千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『ヒステリア』

2014-01-21 22:27:25 | Movie
この映画の主人公は、もしかしたら実はオトナのオモチャ、、、あの電動バイ×レーターかもしれない。
思わず赤面しそうな「世界初!女性のための”大人のおもちゃ”誕生秘話!!」という文字が躍るチラシに、女子的には、正直、興味しんしんで誘われたのだが、近頃益々多忙の身の上ゆえに、すっかりみのがしていたではないか。レンタルビデオ店で偶然、新作コーナーで「ヒステリア」のDVDを発掘した時は嬉しかった。早速鑑賞したところ、最高におもしろく拍手喝采!脚本、キャスティング、音楽、衣装、すべてにおいてお茶目で、しかも可愛らしくセンスがよく、感動ものだ。(以下、内容にかなりふれてまする)

時は、1880年の英国。これは、あの保守的な英国が舞台でなければならない。
第二次産業革命が起こり、新しい時代が感じられる頃、女性の半分は、すぐに泣く、不感症、逆に異常な性欲などのヒステリー症状を抱えていた。(ちなみに、この時代のご婦人には、参政権もなければ、所有権もなく、父親や夫の支配下にいるのだから、私だって重症のヒステリーを起こしそうだ。)婦人科医の権威であるダリンプル医師は、特殊な”マッサージ療法”を考案して病院は繁盛していた。
そこへ迷い込んできたのが、医療の近代化をすすめるハンサムな青年医師グランヴィル(ヒュー・ダンシー)だった。

裕福なマダムたちは、あの”マッサージ療法”を施していただけるなら、断然じいさんセンセイよりも若くイケ面のグランヴィルとばかりに、次々とやってきて病院は大繁盛する。一方、活発な長女のシャーロット(マギー・ギレンホール)は、そんな治療方法で女性をなぐさめることに猛反対し、真に女性の解放をこころみて家を出て、養護院を運営している。

すっかり病院長に気に入られ、従順で可愛らしい次女(フェリシティ・ジョーンズ)を娶り跡継ぎに、とまで順風満帆だったグランヴィルなのだが、例のスペシャル・マッサージをやり過ぎて、とうとう腱鞘炎になりあっさり解雇されてしまう。失意のうちに友人の発明家(ルパート・エヴェレット)の家に居候しつつ考えたのが、電動マッサージ器の開発だったのだが。。。

少々あらすじを暴露してしまったが、この映画のおもしろさをどうやって伝えたらよいだろうか。
女性の自立、性の解放といった内容もからめてあるが、基本はあくまでもラブコメの王道だ。ちょっとエッチ系の場面も、舞台の英国らしく、あくまでも品よくお茶目にユーモラスに描いたところが、ポイント。全然美人ではないが魅力的なマギー・ギレンホールと、正統派英国紳士の医師役ヒュー・ダンシーのキャスティングもよかったが、次々と登場する上流階級の患者さまたちと、なんといっても”ぺろぺろ”という特技がご自慢の天真爛漫な女中が最高にはまり役で演出もしゃれている。主役の電動マッサージ器は勿論だが、小道具、衣装も本格的で最盛期を迎えたヴィクトリア王朝の雰囲気も堪能できる。演技もセリフもしゃれていて笑ってしまう。

ちょっときわどいかも、なんていう予想は大はずれ。楽しく、鑑賞後は、ほんのり幸福感で満たされるからカップルにもお薦め。
それから、最後の最後まで映画を観るべし。次々と登場してくる・・・・爆笑。あの日本製は、さぞ芸が細かく優秀だろう、なんて。
ところで、映画を観ている途中から気になったのが、監督の性別だが、やはり女性だった。男性がこういう映画を撮るのは、いろいろな意味で難しいかも。それにしても、電動マッサージ器が初めて特許をとった医療電気製品のひとつだったという事実から、女性をとりまく社会問題からラブコメまで瑞々しい1本の作品にまとめたターニャ・ウェクスラー監督。その才能にはおそれいった。


ヒステリア(原題) / Hysteria
ターニャ・ウェクスラー監督
イギリス/フランス/ドイツ/ルクセンブルク製作

「アップル帝国の正体」後藤直義・森川潤著

2014-01-14 17:30:45 | Book
1999年10月5日、アップルの新製品発表会でのことだった。
いつものイッセイ・ミヤケの黒のハイネックにGパンではなく、その日のスティーブン・ジョブズはタキシード風のスーツを着て登場したそうだ。理由は、大型スクリーンに映し出された、3日前に亡くなったばかりのウォークマンを片手に微笑むソニーの創業者、盛田昭夫氏のありし日の姿だった。

「アップルはコンピューター業界のソニーになりたい」

ジョブズが盛田氏を尊敬していたのは有名な話である。私もソニーという企業が大好きであり信頼している。だから、昨年もウォークマンを購入した。ipodはマニュアルがないけれど、ウォークマンにはきちんとわかりやすいマニュアルが合理的に仕切られたケースに収められている。便利だ。けれども、不図、電車の中を見渡すといまだに黒いイヤホンをつけている者は少数派。ipadの純白のイヤホンに比べて、この黒のイヤホンはちょっとおじさんくさくないか。それに、メタルブルーの色もはっきり言ってださいっ。しかし、それもつかのま、あっというまに次々とiPhone 5sに機種変更をする輩を見ていると、そもそもipadももう必要ないのかも・・・と思ってしまう。iPhone1台あれば、マルチに役に立つ。

新製品が発売される度に熱狂的に行列をするファンのお祭り気分を理解できず、iPhoneにもなんら興味がわかないのだが、そのiPhoneに搭載された超優れもののカメラ機能がソニー製と聞いて驚いた。それだけではない、液晶画面は日本が世界に誇るシャープの亀山工場製作だったとは。我家のテレビと同じ液晶画面の技術が、iPhoneにもちゃっかり利用されていたのだ。技術大国日本、と日本の頭脳と大金を投じた技術と伝統的なお家芸に至るまで、名門企業から地方の小さな研磨作業をする零細企業まで、今ではアップル帝国の製品の単なるパーツづくりの下請け工場になり、尚且つ支配されていたのだった。

私が本書を読むきっかけになったのは、日本人がiPodに使用されている技術で特許を侵害されたとしてアップルに訴訟を起こし、東京地裁が約3億3600万円の支払いを命じるという判決がくだされたからだ。私が予想したように、日本の様々な技術の結晶がアップル製品に反映されていた。しかも、彼らはその事実をいっさい公表していない。そして、提供している日本企業側も巨額な違約金を含む「NDA(秘密保持契約)」で封印されているから公表できないのだ。

著者はふたりとも1981年生まれの「週刊ダイヤモンド」の記者である。秘密主義のジョブズの方針を守るアップル社の取材には、困難がつきまとい、取材に応じた人も殆ど匿名だ。それでも、「アップル帝国」という妥協を許さず、美しさに徹底的にこだわり、利益追求には猛獣のような巨大企業を通して本書から見えてくるのが、ガリバーに呑み込まれつつある哀れな日本の家電企業、通信事業、音楽業界の姿である。

ジョブズが愛したソニー。
2001年度の売上は7兆5783億円で純利益が153億円。対するアップル社は売上高6330億円に29億円の赤字。それが、今では(2.012年度)、ソニーの売上高6兆8000億円、純利益がわずか430億円にも関わらず、アップル社は12兆3393億円で純利益はなんと3兆2902億円にものぼる。世界中で爆発的に売れ続けるアップル製品。それにしても高い収益率には驚く。いったい、日本の高い技術力がどうしてアメリカの企業のこれほどまでの繁栄に貢献するようになったのか。本書は、その謎と秘密をあきらかにしていく。経済の本は旬が大事である。私は国粋主義者ではないが、日本の未来を憂うところがある。日本経済の行く末を考えるとき、この本を読むべきは、まさに今でしょ!

最後に象徴的なエピソードとして紹介したいのは、ジョブズの背後のスクリーンの中に微笑む盛田氏の遺影には
Think different
という文字がうかんでいたそうだ。

「実録 ドイツで決闘した日本人」菅野瑞治也著

2014-01-06 23:10:41 | Book
古くは文豪ゲーテ、新しきは経済学者マルクスや哲学者ニーチェ、ビスマルク首相まで真剣で決闘をしていた!
え~~~っっ、、、ほんまかいな!
本書をめくると、まず飛び込んでくるのが、女子的には思わずのけぞりそうな次の文章。しかも太字だ。

驚くべきことに、
ドイツでは今日もなお、
刃渡り約90センチの切れ味鋭い真剣を用いた
「決闘」が一部の学生の間でごく普通に行われている


”ごく普通”ってなにさ。更に、気弱な乙女が本当にのけぞってしまったのが、プロローグからはじまる著者の実際の決闘の場面!ザ・実録である。

―1982年6月26日、ドイツのハイデルベルク。・・・中世や江戸時代の話ではない。ほんの30年前の話ではないか。
「なぜ、再びここにいるのだろう?」と、右手に真剣を握りしめ、恐怖心と緊張感でふるえながら著者は考えたそうだ。当たり前だ。帰国を間近に控えた日本人留学生で、しかも二回目の決闘に挑んでしまうとは!

著者が、無謀なのか野蛮なのか、それともおおいなる勇気なのか、カラダをはって体験した決闘は、ドイツ国内に400ほど存在する学生結社からの代表者が闘う決闘で、Mensurと呼ばれるそうだ。日本の反社会的勢力やお子様達の族の抗争とははるかに次元が違うこのメンズーアは、厳格なルールというよりも掟のもとに、正装したOB紳士たちを観客に実行される。勿論、女こどもたちには見学できる資格はない。相手との距離が1メートルしかない中で直立したままで90センチ程度の真剣を上から振り回し、上体、頭部を相手の攻撃をかわすために前後左右にわずかでも動かすことが禁じられている。人間には本能というものがある。思わず、わずかにでも真剣を目の前に顔や体が後退しようものなら、「臆病で卑怯な態度Mucken」とみなされ即刻失格となる。げっ。

つまり、この決闘は剣の腕を競うこと以上に、ヨーロッパの騎士道をベースにした精神性の高さと強さ、誇りを試される、男になるための厳しい鍛錬であり、試金石でもある。それ故に、真剣勝負の本当に闘う相手は、必然的に自分自身となる。恐怖心を克服して見事に闘いぬいた者は、たとえ顔に傷が残り倒れても、学生結社の正式メンバーとして認められ、結社のハウスの鍵とともに生涯にわたる会員同士の絆を得ることができるのである。

こんなことが法律で認められているのか。驚くなかれ、ドイツ連邦最高裁判所でお互いに合意に基づく場合は処罰の対象にならないという判決がくだされている。但し、若き数学者エヴァリスト・ガロアのようにいくつも命があっても足りなくならないように、特殊なゴーグルのような鼻付き眼鏡や鎧の着用、決闘専門医の存在などで一定の安全対策はとられている。そうは言っても、頭や頬に刀傷が残ることがあるのだが、このような傷をシュミスといってエリートである男の勲章にもなる。

ドイツの文化をそれなりに知っていたつもりであるが、本書には驚かされっぱなしである。もし仮に、自分が男でドイツの大学に留学したとしても、決闘をしなければならない学生結社のメンバーになるのは無理っ!実に男の美学にこだわったマッチョな世界なのだが、学生結社なるものの成立ちと歴史、活動や日常といったドイツの社会学が本書の主眼である。新年早々のブログが血なまぐさい本の感想となってしまったが、ゲルマン騎士の「高貴なる野蛮さ」を書いた稀な本のお薦め度は★★★★★

昨年の秋、Muenchenの交差点を渡った時に、すれ違った美青年の頬に見事な切り傷が残っていてぎょっとしたのだが、もしかしたらシュミスだったのかもしれない。もしシュミスだったら、あの傷は麻酔なしで縫合されていたはずだ。それから著者の菅野氏、通称ミーチーが決闘をした場所は、Heidelbergのあの場所ではないかという心あたりがある。こっそり確かめてみたい気もするのだが。

■Archiv
「ドイツの黒い森の現在形」
ドイツ雑感
ベルリン・ドイツ交響楽団
メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
「アルト=ハイデルベルク」マイヤー・フェルスター著
「ドイツ病に学べ」熊谷徹著
映画『THE WEVE ウエイヴ』
「ナチスのキッチン」藤原辰史著