千の天使がバスケットボールする

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『お早う』

2012-10-12 23:15:38 | Movie
晩年の黒澤明監督は、小津安二郎のような映画を撮りたいと語っていたそうだ。にわかには信じがたいが、こんな映画を観るとそれもあながち伝説ではないような気もしてくる。

テレビがお茶の間に登場しはじめた時代。昭和34年。
東京の長屋のような家がならんだ郊外の新興住宅地を舞台に、それぞれの家族の模様が映されていくが、なかでも林啓太郎と妻の民子、そのこどもたちの中学1年生の実、弟の勇、民子の妹の節子を中心に物語が展開していく。

実をはじめ、こどもたちの最大の関心事はテレビにある。相撲中継がはじまると、アバンギャルトで自由な雰囲気のため周囲からういている若夫婦の家にこどもたちはいりびたり、勉強もしないでテレビにかじりついている。民子にしかられると実たちはテレビを買ってくれと駄々をこねはじめる。その光景をみた啓太郎が「こどもの癖に余計なことを言うな」と一括するや、「おとなだって、コンニチハ、オハヨウ、イイテンキデスネ、、、って余計なことを言っているじゃないか」と実が生意気な口をきく。とうとう兄弟は、抗議のためにハンストとともにいっさい会話をしないという作戦を実行する。彼らのデモはご近所にもさまざまな波紋をよぶのだったが。。。

こどもたちの間で流行しているのが、おでこをついておならをすること。ところが、この芸当がうまくできずに、つい、ちびってしまうこどもあり。
「ばかだなぁ」
こどもたちの英語の家庭教師をしている福井平一郎(佐田啓二)が笑っているように、くだらなくて下品にもなりかねない描写が最後に青空にはてめく洗濯物のパンツでおわる。「山田洋次監督が選んだ日本の名作~喜劇編~」の1本だが、一言で言って、お茶目な作品なのだ。美しく完璧な構図で知られる小津監督の作品にもこんなお茶目な映画があるとは意外な感もした。

しかし、そこはやはり小津監督らしく、全く同じ規格、同じ間取りのマッチ箱のような家が並ぶ新興住宅地のセットは、なかなか興味深かった。玄関をあけるとすぐ目の前に火鉢にのせたやかんがしゅんしゅんと湯気がのぼるお茶の間があり、本当に小さくてつつましく、けれども清潔そうでどこの家庭も整理整頓がゆき届いている。青年・平一郎の家の玄関には赤いスキー板がかかっていて楽しい暮らしぶりがうかがえ、兄弟のおそろいの手編みのセーターは真ん中に赤いラインが入っている。彼らの動きにあわせて、その赤色が一緒に動くことによって、いきいきとした躍動感が生まれている。気がつけば、どの画面を観ても箱根細工のように緻密に完成されている。もし黒澤監督が、小津監督のような映画を撮りたいと言っていたのが事実なら、こんな映画かもしれない。

監督:小津安二郎
昭和34年製作


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2 コメント

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楽しく拝見しました (はせがわ)
2013-01-30 00:20:22
こんばんは!
(お早よう、でなくて・・)

偶然あなたのブログをみつけ、楽しく拝見しました。
それで、久しぶりに「お早よう」を観なおしました。

あなたもお書きになっていますが、小津監督の映像の品格(画面構成やカラー作品の色使いなど)には、僕も若い頃とても感銘を受けました。建築設計の仕事をしているので、僕にとって日本の空間イメージは、小津映画の映像がひとつの大切なよりどころになっているような気がします。

小津映画はわりと大学教授とか、会社重役とか、その令嬢とか、エリートな登場人物が多いですが、「お早よう」は普通の人の生活を描いた「普通の娯楽映画」なのに、豪華キャストや凝った小道具など、文芸映画のように撮っているところが面白いと思います。

カラー作品は少ないですが晩年円熟期といいますか、「小早川家の秋」とともにお気に入りです。
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はせがわさまへ (樹衣子)
2013-01-31 22:56:09
今の時間は、お早うではなく、こんばんは、、、ですね。
ご訪問とコメントをありがとうございます。

>日本の空間イメージ

なるほど、確かにそのような視点もありますね!つきつめれば、京都の寺院の庭園が原点かもしれません。
そうそう、「小早川家の秋」はまだ観ていないのですが、必ず観たい作品です。

こうしてみると、全盛期時代の日本映画は世界に誇れる優れた作品が多かったですね。もっとも、それは日本だけではないのですが。。。
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