千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「アムステルダム」イアン・マキューアン著

2008-05-11 21:34:40 | Book
最盛期には発行部数200万部を誇っていた雑誌「フォーカス」が、廃刊されてから7年たつ。モラルを疑う取材と、そもそも疑う以前に品格のない過激な写真への世間の批判が、最終的に10万部という落ち込みの数字にあらわれ、廃刊の原因とされた。

気温マイナス11度のロンドンの教会で、46歳で社交界の花だったモリーの葬儀が行われた。
かわいそうなモリー。
レストラン評論家で先端をいくガーデニスト、ファッショナブルな才人にして写真家だったモリーにふさわしく、かっての恋人たちが葬儀に出席した。英国を代表する作曲家のクライヴ、高級新聞紙の編集長のヴァーノン、そして絞首刑をひそかに支持している時期首相候補とまで言われている外務大臣のガーモニー。やがて、地位と名声をのぼりつめた彼らは、モリーの残したスキャンダラスな1枚の写真から、思わぬ道に転げ落ちていく。

映画『つぐない』があまりにも素晴らしかったので、興味をもったイアン・マキューアンのブッカー賞受賞作。映画の終盤で、最後の作家として成功した老いたブライオニーを観て、この作家は映画に見られるようなロマンティストではなく、辛辣で怜悧な作家だと感じたのだが、全く私の印象どおり。芸術、マスコミ(しかも新聞の「タイム」と思われる)、政治、と高尚な職業、或いは現代社会を動かす頂点にたつ彼らは、いずれも知の代表であるべきなのに、その内面は驚くほど平凡でとりようによってはむしろ低俗。スキャンダラスな写真を見て、人格というものが氷山のように大部分が隠れていて、水面に見えている世間的自我は冷たくとりすましたもの、というクライヴの感想に、作家の自虐的で残酷な趣味に自分自身すらも告発された感すらする。凡人で知性などもちあわせていない私だが、薄汚れたクライヴもヴァーノンすらも、もしかしたら自分の陰画かもしれないとおびえてくる。完全にピュアな人間など存在しない。その意識下のかくされた人の本心がきわどい暴露雑誌の売上に貢献したことを認めつつも、それでもこうありたいという理性がまさると考えたいではないか。そんな東洋の慎ましく能面のような表情の女性を鼻であしらうかのように、作家は知を武器にせまってくる。
そして、彼らの運命は、当然の報いかのように過酷な結末を迎える。葬儀ではじまり、「アムステルダム」での終焉。そのファンファーレは、おそろしくも笑えるくらいに諧謔的だ。年寄りの始末を金で解決してくれるという合理的な安楽死法という表現に、私も思わず老後は「アムステルダム」へと言ってしまいそうだ!これまでも、カンバリズムや小児性愛を書いてきたというイアン・マキューアンの辞書には、評判どおりに禁句の文字はない。気取ったセレブから、警察にかけこみ愚にもつかないトラブルを訴える貧困層まで、人の底に見える軽薄さと穢れを冷静に表現した英国の作家は、映画監督のミヒャエル・ハネケにも通じるひんやりとした肌ざわりが通好みだおと言えよう。ブラック・ユーモアで味付けされた文章にも関わらず、全体を通して洗練さを感じさせられるのが、怜悧な知性の証明でもある。

真贋のほどはともかくとして、うんざりするくらいSPMのTBがブログに届く昨今。また画質は荒くとも無法地帯のように妖しげな動画がおかれているサイト。
IT革命によって「フォーカス」よりももっと速く、もっと刺激的に、もっと扇情的にフリーでアクセスできる今、「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女。それが人間」とのたまった「週刊新潮」の天皇とあがめられ、「FOCUS」を創設した斎藤十一氏だったら、本書にどのような感想をもたれるのだろうか。
小児科医として活躍し、危機に落ちた夫のスキャンダルを鮮やかににきりかえしたミセズ・ガーモニーによると「愛は悪意よりも強い」らしい。

『ラフマニノフ ある愛の調べ』

2008-05-10 21:29:54 | Movie
漫画の「のだめカンダビーレ」のおかげで?、ここのところ一気に知名度のあがったラフマニノフさま。
と言っても、みんなが聴きたいのはピアノ協奏曲第2番。ラフマニノフさまの本名がセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Сергей Васильевич Рахманинов)で、その生涯はあまり知られていない。かく言う私も、ピアノの名手で手が大変大きかったこと以外(中村紘子さん情報)、その生涯は不覚にも存じ上げていなかった。
ごめんなさい、ラフマニノフさま!

ロマン派ピアノ協奏曲の金字塔とも言える第2番は、まさしくロシア的な重さと暗い華やかさを感じさせるのだが、ラフマニノフは1917年のロシア革命を逃れて、翌年アメリカ合衆国に亡命して以降、生涯故郷の大地を踏むことがなかった。
1920年、ニューヨークのカーネギー・ホール。米国の裕福な紳士・淑女が正装してこの哀れなロシアから亡命してきた天才ピアニストにして作曲家のラフマニノフの演奏を、今か今かと待っている。舞台に登場したラフマニノフの表情は、憔悴してやつれているが、その素晴らしい演奏は米国人に熱狂的に歓迎された。その成功を何よりも喜んだのは、彼自身よりも、従妹の妻であるナターシャと演奏をバックアップしているスタンウェイ社のマネージャーだった。次々と依頼のくるコンサートをこなすため、ラフマニノフは列車に乗って、米国中を演奏旅行することになり、その成功がもたらした名誉と賞賛、それにも関わらず資産が増えるのに比例するように、彼は日々いらだちがつのっていくのだが。。。

まるで神からの使者のような音楽家が生み出した作品の美しさと深さに反発するかのような、ここまで暴露?しちゃっていいのか人間くさい彼自身の素顔を描くセオリーは、これまでもモーツァルトの生涯を描いた映画『アマデウス』やベートーベンの『永遠の恋人』『敬愛なるベートーベン』などの成功でお約束済み。本作品も、女性たちに性的にも翻弄されちゃっているキャラのラフマニノフが描かれている。ただし、妻の座をいとめたナターシャ(ビクトリア・トルガノヴァ)だけは、生々しいベッドシーンはなく聖母のように気高く賢明で献身的、という理想の女性像にしているのがポイント。実際の事実を脚色して「すべてを捧げた初恋、短くも美しい恋、支え続ける愛、ラフマニノフの人生を変えた3人の女たち」というフレーズで読むとおり、女性好みの女性のための作品と言えよう。確かに天才のインスピレーションに影響を与える女性、そして野球の落合監督や野村監督のように夫をコントロールしてお仕事をさせるデキタ女房は、天才の天賦の才能を活かすために必要な人材であるのは古今東西、共通である。映画に登場する3人の女性は、それぞれに魅力的で天才の作品に寄与しているのだが、演じているロシアの女優さん達はそれぞれに新鮮な印象がある。さらに、写真で観るとおり、ラフマニノフ役のエフゲニー・ツィガノフがよく似ていて演技力もある。(顔のタイプで言えば、同じく幼なじみと結婚しているメドベージェフ新大統領に近い。)花束を抱えて夢中になっている年上の恋人アンナの自宅を訪問する時のドアの開け方など、初めての恋に舞い上がる男の熱気と欲望、そして天才の集中力を感じさせてなかなか見応えがある。また、時代の変遷とともにナターシャの髪型や化粧、衣装がモダンに変化していく姿が、ロシアの初夏の美しい風景とともに楽しめるのも女性好み。

幼い頃の両親の離婚と没落、作曲に集中したいラフマニノフとピアニストとしての表現者にこだわる恩師との確執、スタンウェイ社との共同がもたらした彼の人生に影響も与える音楽界の商業主義、ロシア革命によって祖国を捨てなければならなかった彼の想い。本作品では名曲を飾る短いフレーズに過ぎなかったこれらの事実を、別なかたちでフォルテすると全く異なる映画もできただろう。だから、あくまでもこの映画の主旋律は、ラフマニノフではなく、強いロシアの女性たちである。ラフマニノフさまの才能の扉を開花させる鍵を握っていたのは女だろうか。
嗚呼、、、「女」というコルセットをしていても、たかが女、されど女は強し!

監督:パーヴェル・ルンギン
2007年ロシア制作

「追伸」真保裕一著

2008-05-08 23:58:55 | Book
追伸、、、私は、手紙やメールを書くときに、最後に添える言葉を追記する癖がある。
言い忘れたこと、念押ししたいこと、たいしたことではないがちょっと伝えたいことをユーモラスに、そして実は最も言いたかったことをさらりと最後に。
多作で精力的に活躍されている真保裕一氏による最新の著書が「追伸」である。

ギリシャに単身赴任中である夫、山上悟に唐突に妻から離婚を申し出る手紙が届く。離婚届まで添えて、しかも結婚前の旧姓で。
つい先日、妻の奈美子はギリシャに訪問した時に、移住することを約束して帰国したはずなのに、初めて妻から届いた長い手紙が理由を理解できない一方的な最後通告なのだから、悟が承服するはずがない。
「拝復」の書き出しで、今度は夫の方から妻に長い手紙を出すことになった。

そしてこどものいない結婚10年目を迎えたばかりの夫婦による日本とギリシャを往復する”往復書簡”という形式で本書は構成されている。このような形式で読書家が思い出されるのが、宮本輝氏の名作「錦繍」であるが、「追伸」ではミステリー作家らしく、奈美子の離婚したい理由、離婚しなければならない思いが、一種の謎解きとして主軸におかれ、更に奈美子の母方の祖父母の恋愛と彼らの”往復書簡”を中央に編纂するという凝った二重の構図で物語が編まれている。美しかった祖母に面差しがよく似ている母は、その美貌を封印するかのように生きてきた。そんなことに気が付かない奈美子は、逆に写真でしか見た事のない若くして亡くなった祖母の美しさに憧れていく。
これまでどちらかというとハードボイルドに近いミステリーものというジャンルから、単なるミステリーに悟と奈美子の現代の恋愛、戦前の祖父母の恋愛を盛り込んだのか、或いはミステリーを超えた恋愛ものなのか、その区別で作品の評価はわかれるだろう。一気に読ませられるおもしろさは、本書を地元公立図書館に予約してから手元に届くまで要した長い期間で証明済みであいかわらずの人気ぶりだが、かといって長く心に残る作品かというとそこまでは到達していない。真保氏は流行作家、人気作家として常に売れる作品を世に送りながら、その作品が所詮消費されていくのだとしたら少々惜しい気持ちがする。
最後のギリシャの「根を生やしたオリーブの木には多くの実がなる」という含蓄のある諺がさえているだけに。
また、瞬時に海外に届くメールでなく、あえて「謹啓」というクラシックな頭書きにはじまる現代の夫婦の手紙が古風に感じられ、逆に祖父母の往復書簡の文体や表現が現代とあまり変わらないことが、ふたつの時代の隔たりが感じられず情緒が失われたようで残念だ。
ミステリー小説は確かにおもしろい。本というカテゴリーの中では、娯楽という快楽に最大に貢献しているジャンルだとも言える。しかも、純文学よりも確実に売れる。しかし、あまりにも巧みな作家群によってすっかりこの分野も成熟してしまった感もある。そこに、恋愛という人間的な深みと奥行きを与えたい作者の試みは買いたいのであるが。
追伸
この表紙の写真にひかれて、ギリシャを訪れたくなってしまった。。。