今年の元旦に配達された新聞で真っ先に目を通したのは、「日経新聞」の私の履歴書。ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈さんが登場したからだ。
だいたい経営者として名をなし成功した方の履歴書は、おおかた保守的でちょい自慢めいてちーっともおもしろくない。退屈だ。その点、芸術家や研究者の履歴書は、発想が斬新で若々しいから読んでいて目を開かれることがある。
江崎さんの履歴書のはじまりは「ノーベル賞の秘訣」というタイトルで、さすがに講演になれていらっしゃる方らしく、読者の興味の惹きつけ方をよくご存知である。全部で五か条あり、これは95年スウェーデンの物理学専門誌「フィジカ・スクリプタ」にて”江崎の黄金律”と紹介されている認定済み(?)とのこと。
①今までの行きがかりにとらわれてはいけない(しがらみを解かない限り創造性は発揮されない)
②大先生にのめりこんではいけない(権威の呪縛につかまり、自由奔放な若さを失い、創造力が萎縮する)
③無用ながらくた情報に惑わされてはいけない
④自分の主張を貫くためには戦うことを避けてはいけない
⑤こどものようなあくなき好奇心と初々しい感性を失ってはいけない
上記の条件は、ノーベル賞をとるための十分条件ではなく、あくまでも必要条件だという。このメッセージは単に研究者だけでなく、社会で働く者、またよりよい生き方をおくりたい者にとっても多くのことを示唆している。また同時にこの条件を最低限クリアするのは、けっこう難しい。そして自信と勇気が必要だ。
江崎さんが大学卒業後、最初に就職したのは、神戸工業という会社だった。当時神戸工業は財政難を理由に新しい研究設備は勿論、満足な研究設備をそろえようともしなかった。研究者としての未来がないと気づき始めた江崎さんは、自分のプランどおりの人生ドラマに運ぶためにステージを変える決意をする。
江崎さんにとっては所属する会社は、働いて給料をもらうところ、というよりも研究者として活躍する”場”に過ぎないのだった。早速次のステージなる従業員400人ほどのベンキャー企業の東京通信工業(現ソニー)に移ろうとするが、神戸工業は退社を認めないどころか研究課から営業課に異動という懲罰的人事までが用意された。江崎さんは怒り、内容証明郵便で「退職届」を送った。8年以上も働き、有力な特許まで取得して会社に貢献したにも関わらず、規定の退職金は支払われなかったという。ちなみに今のこの会社が求める人物像はサイトで調べたら『自らキャッチし、自ら考え、自らやる』ことができる人材のようだ。さらに育成することによって、企業の競争力の鍵となりうる「人材競争力」を高め、熾烈なCompetitionを勝ち抜きNo.1、Only Oneになることが目標・・・だとか。時代が変われば、求める人物像も変わるものだ。
その後更に米国IBMに転進して、半導体の研究でエサキダイオードと呼ばれる電子開発を行い、1973年にノーベル賞を受賞。筑波大学の学長に招聘されるまで32年間米国に滞在した。履歴書を読んでいて、江崎さんは一般的な日本人と発想が違うと感じる部分が多々ある。米国IBM時代のもっとも印象に残る話が、主任研究員として毎年年末に全研究者の順位をつけ、上位10%をブルーと呼び転職防止のために手あつい待遇と高給を保証する一方、下位10%をオレンジと呼んでいかに穏便に放逐するかに頭を悩ませたと回想していた。完全なる能力主義と成果主義、聞きしに優る米国の競争社会で生き抜いた江崎さんの発想が、和の心と多少テイストが異なるのも納得したところである。
でも最も興味深かったのが、江崎さんが提唱する”オクシロモン(oxymoron、撞着語法)”である。
萌芽的業績は個人の創造力に負うところが多く、彼らは独立を求め干渉されることを好まない。一方、研究所長は管理者として秩序ある体制を求める。この二律背反が起こった”組織化された混沌”、部分的には自由奔放に見えて全体ではバランスがとれている状態が素晴らしい研究が生まれる環境だという。
それを企業にも応用してはどうか、というのが江崎氏の提案である。部分的には混沌としているが、全体的には筋の通った体制である。若干、一時流行したカオス理論と重なる点があるかもしれないが。
この対立する語句を並べて深い意味をもたす語法も含めて、ひとつの組織論としておおいに共感した。こういう思考はすごく好きだ。
だいたい経営者として名をなし成功した方の履歴書は、おおかた保守的でちょい自慢めいてちーっともおもしろくない。退屈だ。その点、芸術家や研究者の履歴書は、発想が斬新で若々しいから読んでいて目を開かれることがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/cf/7a5df75baf538144644fbf8a91857003.jpg)
①今までの行きがかりにとらわれてはいけない(しがらみを解かない限り創造性は発揮されない)
②大先生にのめりこんではいけない(権威の呪縛につかまり、自由奔放な若さを失い、創造力が萎縮する)
③無用ながらくた情報に惑わされてはいけない
④自分の主張を貫くためには戦うことを避けてはいけない
⑤こどものようなあくなき好奇心と初々しい感性を失ってはいけない
上記の条件は、ノーベル賞をとるための十分条件ではなく、あくまでも必要条件だという。このメッセージは単に研究者だけでなく、社会で働く者、またよりよい生き方をおくりたい者にとっても多くのことを示唆している。また同時にこの条件を最低限クリアするのは、けっこう難しい。そして自信と勇気が必要だ。
江崎さんが大学卒業後、最初に就職したのは、神戸工業という会社だった。当時神戸工業は財政難を理由に新しい研究設備は勿論、満足な研究設備をそろえようともしなかった。研究者としての未来がないと気づき始めた江崎さんは、自分のプランどおりの人生ドラマに運ぶためにステージを変える決意をする。
江崎さんにとっては所属する会社は、働いて給料をもらうところ、というよりも研究者として活躍する”場”に過ぎないのだった。早速次のステージなる従業員400人ほどのベンキャー企業の東京通信工業(現ソニー)に移ろうとするが、神戸工業は退社を認めないどころか研究課から営業課に異動という懲罰的人事までが用意された。江崎さんは怒り、内容証明郵便で「退職届」を送った。8年以上も働き、有力な特許まで取得して会社に貢献したにも関わらず、規定の退職金は支払われなかったという。ちなみに今のこの会社が求める人物像はサイトで調べたら『自らキャッチし、自ら考え、自らやる』ことができる人材のようだ。さらに育成することによって、企業の競争力の鍵となりうる「人材競争力」を高め、熾烈なCompetitionを勝ち抜きNo.1、Only Oneになることが目標・・・だとか。時代が変われば、求める人物像も変わるものだ。
その後更に米国IBMに転進して、半導体の研究でエサキダイオードと呼ばれる電子開発を行い、1973年にノーベル賞を受賞。筑波大学の学長に招聘されるまで32年間米国に滞在した。履歴書を読んでいて、江崎さんは一般的な日本人と発想が違うと感じる部分が多々ある。米国IBM時代のもっとも印象に残る話が、主任研究員として毎年年末に全研究者の順位をつけ、上位10%をブルーと呼び転職防止のために手あつい待遇と高給を保証する一方、下位10%をオレンジと呼んでいかに穏便に放逐するかに頭を悩ませたと回想していた。完全なる能力主義と成果主義、聞きしに優る米国の競争社会で生き抜いた江崎さんの発想が、和の心と多少テイストが異なるのも納得したところである。
でも最も興味深かったのが、江崎さんが提唱する”オクシロモン(oxymoron、撞着語法)”である。
萌芽的業績は個人の創造力に負うところが多く、彼らは独立を求め干渉されることを好まない。一方、研究所長は管理者として秩序ある体制を求める。この二律背反が起こった”組織化された混沌”、部分的には自由奔放に見えて全体ではバランスがとれている状態が素晴らしい研究が生まれる環境だという。
それを企業にも応用してはどうか、というのが江崎氏の提案である。部分的には混沌としているが、全体的には筋の通った体制である。若干、一時流行したカオス理論と重なる点があるかもしれないが。
この対立する語句を並べて深い意味をもたす語法も含めて、ひとつの組織論としておおいに共感した。こういう思考はすごく好きだ。