千の天使がバスケットボールする

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「アフリカ ゼロ年」貧困を引き裂くのは誰か~ナイジェリア・石油争奪戦

2005-07-31 13:57:48 | Nonsense
NHK21世紀の潮流アフリカ ゼロ年の第2回「貧困を引き裂くのは誰か~ナイジェリア・石油争奪戦」
カメラは、アフリカの緑深い密林を上空から映していく。大河、樹木、広大な大地。それらが、資源の乏しい日本とは、比較にならないくらいの自然の宝、富を約束している。しかし、資源が豊富という神からの贈り物に恵まれたばかりに、欧米諸国のオイルメジャーに狙われ、moneyに変換された宝物は、汚職・賄賂などのかたよった利益分配と外国に流れ、それがさらに部族間の対立をうんでいる。平和な日本に住んでいると身近なに感じるのは、ガソリン価格の高騰と為替の投機ぐらいだ。しかし、1956年に石油が発掘され、60年に独立したこの地ナイジェリアでは、現在原油輸出量世界第七位、一日の生産量が250万バレル、それらの資源がもたらしたものは、いったいなんだったのか。

ナイジェリアの石油発掘地であるポートハートでは、今夜も原油が盗まれている。パイプラインを知り尽くした捜査官が取りしまっても、こうして盗まれた原油は、タンクローリーに移されて毎晩六億円で売られている。盗むのは、イジョ族。しかし本当に、彼らは盗賊なのだろうか。資源を盗まれたのは、もしかしたら彼らだったのではないか。
ナイジェリアは250以上の部族からなる。そのうち大きく4つの部族に代表されるが、そのひとつイジョ族が住むクラ村は、石油会社NO2のシェブロンの採掘所の対岸にある。この村には電気、ガス、水道、学校もない。近隣の医師にかかるには、手漕ぎ船で3日かかる。川で生活する彼らが一日働いて収穫した油に汚れた巻貝を売っても、わずか70円。目の前で巨大資本のもと次々と溢れるオイル・マネーは、彼らには決して届かない。

「自分たちの未来を買い取られた」
そう憤りを感じる仕事も食料もない彼らは、ロビン・フッドとよばれる「デルタ人民義勇団」を指揮するアサリ・ドクボの元に、結集する。彼らは、盗んだ原油を武器にかえ、富の再分配をもとめて闘う準備をすすめている。

AU(アフリカ連合)で議長を務めるオルセグン・アバサンジョ大統領は、富の分配を見直し、貧困を脱却してアフリカを導く国家にしたい、そう理想を語るが、アフリカの夜明けは遠い。石油生産を自力で育てたいが、技術がなく結局外国だより。年間3兆円もうむ富も、1兆円は外国企業に流れている。特に米国との関係は重要だ。ナイジェリアは、米国にとって石油戦略上重要な地、”チャンスの弧”ともよばれる。ギニア湾の推定埋蔵量は、日本の消費量の25年分。ライス国務長官がかって取締役を務めていたシュブロンが、2兆円を投じて海底油田開発する予定だ。

そんな安定的に石油が欲しい米国は、ナイジェリアに汚職追放、富の平等分配、貧困をなくすことを課題に与えている。つまりナイジェリアのためでなく、自国のために。そんな状況、ワシントンから元世界銀行副総裁オコンジョ・イウェラ女史が、高額な報酬とともにやってきて、財務大臣として采配をふるう。オイル・マネーがうんだ、つまり白人がもたらした賄賂、横領をなくし、1000億円以上の支出見直し、さらに27万人中、4万人の幽霊社員を排除。現職の大臣、高官が次々と逮捕される。そしてサン・アバチャ元大統領の隠し資産、150億円の賄賂が眠るスイス銀行口座をつきとめて凍結した。こうした汚職・賄賂の構図を”ナイジェリア流”と欧米諸国は弁解するが、このような”流儀”をもたらしたのは白人だと経済金融犯罪委員長は批判する。

投資を求める米国と開発資金が欲しい政府は、更なるオイルマネーに利害を一致させようと手を結ぶ。そのためにも彼らは、アサリ達デルタ人民義勇団とも”友好関係”を結ぶ必要もある。そしてその方法と手段にはいろいろある。米国は、民間軍事会社MPRI会社を派遣させ、近代的な戦略をナイジェリア政府軍に指導している。無料で提供されたパソコンで攻撃をシュミレーションする対象は、いったい誰なのか。そしてアメリカの利益を守るための政府は、軍事政権とかわらないと闘志むきだしのアサリたちを牽制するために、11ヶ所の拠点を空爆するという”実戦”も経験済み。
最初に原油が発掘された時、次々と白人が船にのってやってきて、この地をパラダイスにすると約束したが生産から10年で枯れた。残ったのは、醜い残骸、かたつむりのような殻である。中身は白人が持ち帰ったから。かってビアフラ戦争があった。石油をねらって武器をもたらした欧米人によって、この地で200万人もの人々が散った。
そして今。1日1ドルで生活する最貧困層は、10年で1億3000万人減った。しかしナイジェリアでは、2億から3億人に増加している。3人にひとりがナイジェリア人だ。石油収入をあてに欧米が貸したお金は1兆8千億円。その3分の2まで返済するものの、利子や延滞金で借金は逆に3兆円にまでふくらんでいる。

かってデルタ少数民族の権利を訴え、旧アバチャ政権によって処刑された作家ケン・サロ=ウィワは、こう語る。

「わたしたちが住むナイジェリアという舟は、沈没寸前だ。利益のために国家をあやつる者がいる。
国家のために、国民は原始時代にくらす。
ナイジェリアという仮面の踊りには、もううんざりだ。踊り手は我々の資源を奪い、着飾っている。
仮面のひもを握る白人の目的を見極めなければ、仮面をはがすことはできない。」

この作家のことばが、採掘所で燃える赤い炎に重なる。大統領、財務大臣、アサド、彼らが身にまとうアフリカの民族衣装は、色彩豊かで独特の文化を感じる素晴らしさがある。けれども、こころまでひとつになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
今日も米国から譲渡された警備艇四隻が、武器を手にした兵士を乗せて石油採掘所と貧しい村を隔てている川をゆく。

法と正義の守り手-検察官

2005-07-29 23:18:13 | Nonsense
検察審査会の最終日検察庁を見学し、ビデオで仕事の内容と簡単な組織の知識をえ、庁内を見学し、最後に現職検察審査官の方達と質疑応答してきた。この間、かかった時間が2時間半。予定より1時間オーバーだった。検察審査員という役割を強制的だが与えられ、ほんのわずかな時間だが、被疑者・申立人にとっては重要なミッションを行う司法にふれることが、民間人から多くの関心をひきだすということだ。

簡単に、時系列にその模様を報告したい。

ビデオで紹介された
■検察官のお仕事

1.事件について捜査を行い、裁判所に起訴するかどうか決定する。
(検察審査会のお仕事は、まさにここに関わり、不起訴事案が妥当か不当、もしくは起訴相当か議決する。)
2.起訴した事件について、公判で立証し、裁判所において適切な裁判を求める。
3.裁判の執行を指揮監督する。
4.公益の代表者として法令に定められた事務を行う。

またあまり注目されることがないが、検察事務官という検察官をサポートする仕事もある。(国家公務員)

■刑事事件の流れ

捜査→起訴 又は不起訴(嫌疑不充分・起訴猶予・心神喪失)→起訴のみ裁判→確定したら執行(財産刑・自由刑・死刑)

ビデオでは、別れ話のもつれから男が女を刺すという事件だった。最初殺意を認めていなかった被告人が、検察官の取り調べと説得により、殺意を認めるという内容。懲役13年は、人ひとりの命を奪っていて軽いのでは、と感じたがこれがイマのラインなのだろう。

実際の検察官がいる部屋を見学したが、6~8畳程度で狭い。入ってすぐのところに警察官が待機してりする簡易ソファー、ちょっとして曇りガラスのついたてがあり、右手に事務官の机、奥の窓側に検察官の大きな机。検察官のイスと被疑者がすわるイスは、手が届かないように離れている。全体に非常に簡素であり、また質素である。
被害者の方達を支援する被害者支援員(2名)にお会いする。穏やかそうなOBの方たちだ。一度相談の電話がかかると2時間ぐらいかかることもあるらしい。

■質疑応答

勤続23年ベテラン、押し出しもあり紳士的だが威圧感のある検察官Aさん、30代になったばかりか、教室のすみでめだたなく、大人しかった勉強のできる少年が30歳になって検察官になったという感じ、検察官Bさん。

Q1.検察官になろうと思ったのは。
 Aさん-司法修習時代は、周囲も自分も裁判官になるだろうと思っていた。けれども裁判官よりも、検察官の方が人と接し、その人の人生にまで関わることができるので選んだ。人間対人間のぶつかりあいなので、経験できないことを間接的に吸収し、多くの人生を生きている感じがする。少なくとも我々は、六法全書を読むのが少しも苦でない。
 Bさん-僕は、裁判官になろうと思ったことは一度もなかった。最初から検察官になるつもりだった。

Q2.無罪の判決がでた場合、検察官の方の評価に影響するか。(実際無罪になるのは、14000件のうち、一件ぐらい)
 Aさん-それはない。仕事の評価は数字であらわれるものでない。

Q3.地域によって、捜査担当と公判担当と検察官が分かれているが、両者の連携プレーはうまくいくのか。
 Aさん-書類を読めばわかるので、それは大丈夫。もし不明な点があれば、捜査担当に聞いたり、確認したりする。

Q4.仕事がら、私生活でも自制することもあるかと思うが、(ここでBさん、何度もうなずく)車の免許はもっているのか。
 Aさん-車の免許はもっている。(ポケットから免許書を取り出す)よかった、ゴールド免許だ。地方など、捜査で車を運転することもある。今のような都会では、交通網が発達しているので、あまり運転しないが。
(後で事務局の方と、やはり24時間検察官という意識はあるだろうと語った。大変な仕事である。)

Q4.裁判員制度が導入されたら、検察官のお仕事に変化があるのか。
 Aさん-それは、ものすごく変わる。まず裁判官、検察官の人数がたりない。国民のみなさんを拘束して(最長1週間程度の予測)犠牲を強いるわけだから、それに我々も対応しなければならない。今は、5~20件の事件を並列して調査しているのだが、裁判員制度が導入されるとスピード化も求められるので、ひとり一件に集中するようになるのではないか。

Q5.取調べ中、感情的になることがあるか。
 Aさん-人に害を与えていながら、嘘をつく人には感情的になる。検察官とは、不利益なことを当人から聞き出すわけだが、人間対人間としてはだかで向き合っていけば、多くの人は真実を述べてくれると信じている。

Q6.死刑制度の是非
 Aさん-やはり私はあった方がよいと思う。
 Bさん-私もあった方がよいと思う。

以上、もっとたくさんの質問があったが、一部オフレコもあり、自分の質問の回答のみ紹介。若手Bさんも、ベテランAさんの控えバッターとして、いろいろお話をしてくださった。クール・ビス期間ということで、一般サラリーマンと外見が殆ど変わらないが、常に思考、思索する生活の片鱗がうかがえた。なんかやっぱり、違う。。

資本主義社会における企業の最初であり最大、そして最終目標は、利潤の追求である。そのためには、手段を選ばずとまではいかないが、市場の波にさらされ、弱気もくじき、強いものにまかれ、お金を産むのが最大の使命。勿論、そうした企業活動自体が社会に貢献し、雇用、サービス、生産と幸福をもたらしてはいる。しかし、利潤追求と全く別の次元のパブリックな仕事は、非常に魅力があり、やりがいのある仕事と映った。

「憲法で読むアメリカ史」阿川尚之著

2005-07-28 23:05:19 | Nonsense
「アメリカが嫌いですか」
近頃不人気なアメリカ。一人がちの保守的な大将が世界をしきっている姿が、日本語でいう「憎まれっ子世にはばかる」だからだろうか。

「それでも私は親米を貫く」
そう宣言する著者の阿川尚之氏の言い分には、根拠あるアメリカの姿と歴史がある。本著によるガイドで読者は、”憲法の読み方”を学び、建国200年を越えたアメリカいう大国の自主独立の精神を知る。それはまたアメリカという国が、歩んだ困難な道のりでもある。

建国、憲法の制定から南北戦争まで憲法の解釈をめぐって多くの議論があり、運用をめぐって州と連邦が対立することもあった。しかし、1801年マーベリー対マジソン事件判決でみるように、マーシャル判事は憲法に反する法律は無効にすること、さらに司法が立法府や行政府の政策実行をさしどめる場合もあると示唆するほどの、強い権限を示した。そして今日にいたってなお、その根拠、司法審査の条件などをロースクール学生たちによって議論が続いている。

南北戦争、二度の世界大戦、冷戦下の言論の自由への弾圧、大恐慌、人種差別や女性問題。歴史のうねりとともに、保守と進歩に揺れ動きながら、前進したり、後退したり、判決をとおして正義の旗をふる正しい国家へと歩んできた。時には、誤った解釈をおこなった時もあり、ずっと先を見ている判事の意見が当時は理解されなかったこともあった。しかし、それらをこえて常に「アメリカという国のカタチ」を筆をふるって描いてきた主役のひとりが、最高裁であり「憲法」である。

そして今日、進歩派4人、保守派3人、中道派2人のうち、最高裁史上初の女性判事であるサンドラ・デイ・オコナー判事の引退に伴い、ブッシュ大統領は念願の、そして予定どおりに保守派ジョン・ロバーツ連邦高裁判事を指名し、上院に対して迅速な承認を呼びかけた。承認されれば、ブッシュ大統領にとっては、大変ラッキーともいえよう。だから民主党の反発もある。

常にアクティブに進化して行動するアメリカという国を、”それでも嫌いになれない”のだ。

「我々は、飽くことなく、屈することなく、終わることなく、その目的を今日新たにする。 それは、わが国をより公正、寛大にし、我々の生命、あらゆる生命の尊厳を確認することである。
この努力はこれからも続く。この物語はまだ続く。そして、これからも天使が旋風を御し、嵐を導く。
すべての皆さんに、そしてアメリカに、神のご加護を給わることを祈る。」-2001年ブッシュ大統領就任演説より

←ブッシュ大統領とジョン・ロバーツ判事



「法の人間学的考察」小林直樹著

2005-07-26 22:16:00 | Book
明日がいよいよ最後の検察審査会。この半年間の事件や事故の概要が走馬灯のようにめぐってくる。
前群の方達が任務をおえた日の、感慨深そうな、達成感に満ちて、それでいてちょっと寂しそうな表情を思い出す。当事者、被害者の方やご遺族の感情を考えると、感慨深いと自己満足におちてはいけないと戒めたりもするのだが。

或る日突然舞い込んだ、候補者に選ばれたという連絡。それからまもなく、さらに候補者に入り、ついに招集状がやってきた。その時から、最後の日はこの本の話をしたいと決めていた。一昨年の8月、読売新聞の1本の書評が目にとまった。その「法の人間学的考察」 という本の短い書評を読み終えた後、深い感動をおぼえ、地元の公立図書館にリクエストして、早速お買い上げいただいた。その本との出会いが、まるでこの仕事を導いたような不思議な気持ちがした。
この著書に関しては、あまりにも書評が素晴らしいので、私は何も感想を書かないでおこう。ただ、書評どおりの壮大な「知の饗宴」に圧倒され、感動させられ、「法」の哲学につかまったということだ。

昨年高校の同窓会の席で、W大学法学部に進学した(元?)男子と、著者の小林直樹さんの話題があがった。彼はさすがに小林氏の名前を知っていた。教わったことはないらしいが。。。
高名な法学者であること。顔立ちも整い、スタイルもよく、運動神経もよくてテニスも上手であること。あの時代は、そういう育ちのよい人がいた時代だ。
この言葉は、鮮烈だった。

評者・橋本五郎さんの書評↓

 ■「法の人間学的考察」 小林 直樹著------------------------------------------------

壮大な「知の饗宴」

 拝啓 小林直樹様
 今回のご著書に心から敬意を表したくペンをとりました。書名から、和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』や尾高朝雄の『法の窮極に在るもの』を意識されているとは推測していましたが、スケールの壮大さに圧倒されました。
 哲学や倫理学、歴史学、政治学だけでなく、物理学や生物学、天文学などの学問成果も駆使し、法の根底にあるものを導き出そうとされています。さながら「知の饗宴(きょうえん)」の趣があり、失礼ながら、まもなく82歳になる方の著作とは思われない若々しさに満ちています。
 法について、存在論、時間論、空間論、価値論、構造論、機能論、文明論などあらゆる角度から先人の業績を洗い直しておられます。その幅の広さに加え、最も心打たれたのは「なぜ法なのか」「なぜ人は正義を求めるのか」「なぜ人間だけが尊厳を主張できるのか」というように、根源的な問いを発しながら、すべてに自説を披瀝(ひれき)されていることです。
 歴史とは何か。「理性と反理性とが糾(あざな)える縄のごとく、正負・明暗の彩りをなして織りあげてきたものと見るのが、正確な認識に近い」
 死刑廃止論をどう考えるか。「法には正義の理念を実現すべき使命があり、正義の原則に従い、“問うべき責任を問う”結果として、死刑を科するのは、まさに『人間を人間らしく扱う』ゆえんではないだろうか」
 一つ一つ説得力をもって響きました。法には「当為の規範」としての性格と、強制力で当為を実現する「力のシステム」の両面があるが、その根底には矛盾に満ちた人間存在があると繰り返し説いておられます。そして天使と悪魔の「中間的な存在」である人間を常に複眼的に見つめ、立体的に全体として捉(とら)えて法を考え、行う必要を力説しておられますが、とても充実した気持ちで読み終えました。心から感謝し、ますますのご活躍をお祈り致します。   敬具

評者・橋本五郎(読売新聞本社編集委員) / 読売新聞 2003.08.31 -------------------------------

さすがに”種蒔く人”岩波である。売れる本より、知の財産になるような本を出版している。12000円は、決して高くない。電車の中で立ち読むするには、ちょっと腕が疲れるが、「ハリーポッター」よりずっとはらはらする。
橋本五郎氏は、インテリジェンスなお仕事をしているにもかかわらず?、その笑顔は2代めの商売人に見える方である。そしてともすれば、知性というシックな表彰に陥りがちな新聞書評から、いつも人の機微がさりげなくのぞく名編集委員である。文章、は人を語るのである

『美術館の隣の動物園』

2005-07-25 23:25:29 | Movie
ショーウィンドーに飾られた女らしいハイヒールの靴を見て、料理をしない、掃除もしない女はいう。
「あの靴が欲しいけれど、似合わないだろうな。」
料理が上手で清潔好きな男は、あきれて言う。
「履いてみなければわからないじゃないか。一度試してみろ!」
男女の”交わり”も同じこと、一度寝てみて相性を知るべきだと主張する男に、そういうわけにはいかないと彼氏いない暦2○年の女は怒る。



政治家の秘書に告白もできず、ずっと片想いしているずぼらでだらしない遅刻魔のチュニ(シム・ウナ)と、恋人タヘ(ソン・ソンミ)にふられたばかりで失意のどん底にいるチョルス(イ・ソンジェ)が、軍の休暇の間だけ奇妙な同居生活を送ることになった。それぞれのライフスタイルの違い、恋愛感の違いでことごとく反目しあうふたりだったが、チュニのシナリオ公募を共同執筆していくうちに、こころの変化があらわれていく。
・・・映画の中で、ふたりのストーリー(シナリオ)がもうひとつの映画として同時進行していく。美術館に勤務する可愛い女の子タヘと、動物病院勤務のインゴン。それぞれが想う相手が役になり、秋の美しい風景を背景に少しずつ想いを寄せ、肩を寄せていく。
ところが、現実のチュニとチョルスは・・・。

実際97年韓国のシナリオ公募で青龍賞を受賞した脚本を、執筆したイ・ジョンヒャン自らが監督した映画である。
日本人の私としては、チュニのようなおおざっぱな生活態度は特別珍しくもないが、韓国では女性の支持が大きく共感を呼んだところに、この映画のポイントがありそうだ。男と女の描き方が類型的な気もしなくもないが、そんな感想も日本の女性の方が一歩大胆で自由でとらわれない風潮の表れだろうか。
もうひとつの劇中劇のようなふたりの恋物語は、まるでふた昔前の少女漫画のように浪漫チックで、現実と物語の乖離が古今東西かわらぬ”乙女心”を告白しているようだった。

韓国の甘いお菓子をいただいた気分。休日の息抜きにどうぞ召し上がれ。。。

テキサス議員×州検事

2005-07-24 17:13:40 | Nonsense
昨日に続き、TBSの『CBSドキュメント』から。(こんなにおもしろい番組があるなんて、知らなかった。1時間に話題は3つ。コンパクトで、興味のある内容だけインプットすればOKという感じです。ロシアの最高権力者プーチンのインタビューも見逃せない。)
そのうちのひとつ、ブッシュ大統領のお膝元(←米国事情にこの表現は不適切だが)であるテキサス州下院共和党議員、トム・ディレイ下院院内総務によるスキャンダルだ。この実力NO.2といわれる”ハンマー議員”デュレイ議員と”Mr.クリーン”と言われているロニー・アール州検事総長の闘いは、米国中の話題をさらっている。
日本だったら、連日ワイドショーでみのもんたさんが怒るという現象だろう。

宣戦布告をしたのは、勿論アール検事で、議員の側近3人をマネーロンダリング及び企業献金の不当流用の疑いで訴えたことから始まった。ここテキサス州では102年前から州法によって、企業献金は州で行われる政治活動に遣ってはいけないとされている。ところが、議員は8社に及ぶ政治献金の一部60万ドルの献金を、”管理目的”という名目で実情政治活動に流用していた。これは国税庁の納税記録から判明したものであるが、選挙運動でも”管理目的”だったら合法とする規定から、議員サイドは問題ないと主張する。マニュファストの作成・配布、候補者評価の拡大が果たして管理費なのだろうか。管理というのは、家賃・光熱費・通信費という記者の主張を、共和党は管理目的は概念によって違ってくる、内容を決めるのは裁判官と相手にしていない。

そして民主党員であるアール議員を政治的嗜好によって告発していると、批判する。さらにひとりよがりの変人とまで、決め付けている。
ただ、このデュレイ議員は、かねてより権力をお金に換える職権濫用のはなはだしい疑惑の政治家だった。議員の出身地、シュガーランドは米国イチの環境汚染に病んでいる”甘くない”土地だ。賭博業界のロビィーストと接待ゴルフにでかけて翌日、企業に不利な法案を潰している。米国独特のロビー活動でも、こうした接待ゴルフがあるとは意外だったが、こうして地元企業を守るために、環境汚染問題を放置していた。なにしろ、彼は共和党倫理委員会から3回も譴責処分を受けている札付きの不良だ。もし4回目があるとしたら、共和党全体へも大きな影響が及ぶだろう。生徒の重なる不始末には、教師も責任を問われるし。

権力がお金に結びつき、お金が権力をよぶ、こうした図式は東洋も西洋も作法に、あまり文化の違いはなかった。ただ米国の違いは、こうした納税記録から政治家の活動をみはる市民活動が熱心であること。うやむやのうちに、闇にまぎれるケースがあまりないこと、告発するマスコミの使命感が健在だということだ。

ディレイ議員は疑惑を真っ向から否定しているが、弁護チームを100万ドルのお金で用意した。
「問題は、法が犯されたということ」と戦闘意欲満々のアール議員に、私が行事だったら軍配を挙げよう。
テキサス、カウボーイたちの闘いは熱い。。。ハンマー議員Mr.クリーン検事

『モディリアーニ ~真実の愛~』

2005-07-23 23:24:10 | Movie
1919年、第一次世界大戦後のパリの一角、カフェ「ラ・ロトンド」では今夜も芸術家たちが集い、酒を呑み、美しい女をはべらせている光りが、夜の石畳の路上を映す。そこへすでに酔っている画家アメデオ・モディリアーニ(アンディ・ガルシア)が、やってくる。ジャン・コクトー、ハイム・スーチン、モイース・キスリング、モーリス・ユトリロ・・・熱気と興奮で煙草の煙に輝く若い彼らの表情が浮かぶが、モディリアーニの瞳がとらえたのは、一番奥の上席に座るパブロ・ピカソと取り巻き連中である。

「立体とSEXしている」
モディリアーニは、ピカソの作品をそう揶揄して、取っ組み合いの喧嘩になりそうだが、このふたりの反目は年中行事のイベント。今時のプロレスを観戦するかの如く、喝采をして楽しむ彼ら。けれども、成功者のピカソと異端児であるモディリアーニ。この両者に多くのものの、才能に溢れた芸術家としての高慢なプライドと、それゆえにお互いへの嫉妬や羨望、複雑だが激しい感情が重なり、渦をまく。
そんな彼らの青春をきりとった面と、画学生であり、後に妻、モデルとなるジャンヌ(エルザ・ジルベルスタイン)との恋が進行していく映画である。

モディリアーニが、飲酒、麻薬、結核で街頭で倒れて亡くなった後、身重のジャンヌが飛び降り自殺をした事実はあまりにも有名だが、映画を観ているうちに、どこまで真実で、どこまでがフィクションなのか少々混乱した。ふたりの激しい愛は深かったのだろうが、夫を憎む父との確執、生まれたばかりの長女をとりあげられたこと、貧困のうちにジャンヌ自身が精神的に追い詰められた後の、狂気じみた絶望感による行為だと考える。
「本当の君が見えたら、その瞳を描こう 真実の愛」
そんなコピーが、ちょっと美術好きな女性層をとりこもうという意図が、みえなくもない。

しかし、すでにアトリエ「洗濯船」を抜け出した成功者としてのピカソへの、ライバル意識。この部分は、映画のもうひとつの大きなテーマーである。
ピカソは20世紀最高の画家である。好きな画家は他にいるけれど、やはり私はそう思う。同じ画家であるならば、モディリアーニこそ、それを最も理解していたことだ。ピカソの運転で、郊外にあるため息のでるような美しい屋敷を訪問する。この敷地はいくらですか、と尋ねるモディリアーニに老いたその人は、小さな絵の2枚分と答える。芸術家として、常にぎりぎりの精神的な状態でありつづけるモディリアーニ、芸術をお金にかえることになんのためらいのないピカソ、そんなふたりの対立する芸術観が表現されていたら、もっと楽しめたと思うのは、欲求が高いのだろうか。

このような実在の人物を演じるのは、キャスティングが重要だ。モディリアーニを演じたアンディ・ガルシアは、実に魅力的でいい男であることに、異論はないであろう。ジャンヌ役のエルザが撮影中、共演できて毎日天国だったというのもうなづける。ただ映画館のロビーでインタビューのビデオが流れていたが、この方はハリウッド人にしてはバランスのとれた人物である。本物のモディリアーニが、神経質な印象を与えるのに、やわらかく包容力のある紳士的なイメージのアンディには、放蕩な芸術家という雰囲気はない。ジャンヌとオルガ役を演じた女優は、まさにぴったりだったのだが。

監督・脚本:ミック・デイヴィス

フランスパンと塩で赤ワインを呑んだ気分。

ラン・ランという天才ピアニスト

2005-07-22 22:52:29 | Classic
中国語で”輝き”を意味する名前のラン・ラン(郎朗)、現在まだ23歳のこの中国出身の天才という肩書きのふさわしいピアニストの存在を知ったのは、いったいいつのことだったろうか。
ヴァイオリン曲ばかりでピアノは殆ど聴かないが、米国の「CBS」を深夜に紹介する番組で「中国出身の天才ピアニスト」というタイトルを見つけたとき、真っ先に浮かんだのが、もはや巨匠の風格さえ漂う「ラン・ラン」の名前だ。(次点でショパン・コンクール覇者のピアノ界のキムタクと宣伝されるユンディ・リ)
睡眠不足は美容の敵であると信じる者であるから、早速録画してじっくり観たがとても良い内容だった。そして主役は今さら天才ととりあげるには実績がある、ラン・ランだった。

Lang Lang は、1982年に中国のシェンヤン(瀋陽)に生まれ、3歳の時にピアノを学び始める。中国一人っ子政策のためか、胡弓奏者の父と舞踏家の母のもとに一人っ子として生まれる。海外での演奏を願いながらも、文化革命の嵐にはばまれた両親の夢と期待を一身に背負いながらも、プレッシャーを感じなかったのは、ピアノをひくために生まれてきたような才能があったからだろうか。父は、彼が一歳のときから道路に線をひいて音階を教えたという。5歳のときの発表会の映像も流れたが、この年齢で比類のないテクニックには、誰もが驚くだろう。その後8歳になると母を残し、父と北京の中央音楽院に入学。当時の別れを思い出し、インタビュー中に母は涙ぐむ。音楽家になるためにに、親子が小さい頃から離れ離れに暮らすのはよくある話だ。やがてそこでも頭角をあらわし、13歳で第2回チャイコフスキー国際青少年音楽家コンクールで第1位となるラン・ランは、奨学金を得て今度はフィラデルフィアに移住する。最も転機となったのが、17歳でアイザック・スターンと出会ったことだと語る。

これは音楽的な、という意味ではない。若い才能のある者にチャンスを与えるのが、米人アイザック流だ。ラヴィニア音楽祭でワッツの代役(!!)でチャイコフスキーの協奏曲を弾き終わった後、世界中から仕事のオファーが殺到し、現在では年150回のコンサート活動を行っている。共演者の名前に、マエストロ・・・という方たちとばかり。

その中でも特別なコンサートは、21歳でのカーネギーホールでの初リサイタル。深紅の中国服を着たラン・ランは、最後に父の胡弓と共演した。果たせなかった父の夢を自身でかなえるだけでなく、そっと機会を設けたのだ。

私が初めてテレビだが、ラン・ランのピアノに接したのが、スイスの2003年に行われた「ヴァルビエ音楽祭」での創設10周年を記念するガラ・コンサートの映像だった。キーシン、アルゲリッチらが、8台のピアノをステージにぐるりと並べた配置で演奏している姿は圧巻だったが、中国服を着て演奏するラン・ランの存在は際立っていた。
また先日も、NHK「芸術劇場」で来日コンサートの放映があった。その圧倒的なテクニックと自己陶酔型に、一昨年聴きにいった同じく中国出身のヴァイオリニストでパガニーニ・コンクールで優勝したホアン・モンラを思い出した。ホアンの演奏会の感想は長くなるので、ひとこと。アンコールの超絶技巧曲を聴いたとき、フランスもののフランクのVnソナタは年齢的にも難しい。やっぱりこのようなテクニックを披露する中国雑技団的な聴かせ方から少しずつ成長していくしかないね、と友人と意見が一致した。

近年指揮者としての活躍がめだつが、バレンボイムは「ラン・ランは指が12本ある。まるで猫のように鍵盤のうえを跳躍する。」と絶賛する。確かにロックスター並の天衣無縫さとアクロバティック的なテクニックは、誰もが認めている。しかしニューヨーク・タイムズの音楽評論家アンソニー・トマシニーは、そうしたラン・ランの自己陶酔型の演奏を、まるで大根役者の演技を見るようだと酷評する。乱暴で粗野は弾き方は、興奮でしめられ論理的な思考に欠けるとも。

クラシック音楽の未来系はむしろ邪魔だとする厳しい批評は、うなづけるものがある。浪漫と情熱だけでなく、理性と理論も音楽演奏には、必要不可欠だ。ただ、大衆はこのような演奏スタイルを好むものだ。だからラン・ランも聴衆が喜ぶものは、何でも与えたいと堂々といえるのである。

「すばらしい音楽を通して、人を楽しませその人生を豊かに出来るような、そんなアーティストになりたい。」
そんなラン・ランの今後の成長を長い目と耳で、静かに願いたい。



人民元2%切り上げ

2005-07-21 23:09:09 | Nonsense
中国が人民元切り上げ 2%幅、米に配慮 (朝日新聞) - goo ニュース

もしかしたら、絶妙なタイミングでの発表かもしれない。

中国はこの11年間米ドル単位通貨へのペック制という実質固定相場制を採用していた(よく図で表現されている)が、米ドル、ユーロ、日本円の3大通貨に一定の割合に連動する「通貨バスケット」である管理相場制という踊り場のような相場制に移行した。
再来年の中国の世界貿易機構(WTO)に加盟するため、資本市場への完全解放と変動相場制への移行は確実という予測だった。さらに、繊維製品などで貿易摩擦が問題となっている米国をはじめ、欧州からの人民元の切り上げ圧力の高まるなか、中国の温家宝首相はレート改革の意向を「いつ実施あるか、方法も含めて”意表をつく”タイミングで行う」と回答していたが、最近では年内実施はないのでは、という観測も出始めていた矢先のことである。

これが8月以降での発表だったら、対中制裁法案という過激なブーイングがでる現ブッシュ政権への屈服とも受けとめられかねない。それはもはや大国として世界経済に影響を与えかねない中国としてのプライドが許さなかっただろう。ただ突然の発表に対して当初は衝撃が走ったが引き上げ幅が予想の3~5%よりも小さい2%という数字に、産業界やマーケット関係者は冷静に受け止めているようだ。

人件費の安い中国には、日本だけでなく多くの国から工場建設などで、人も流れているが、かなりなお金が流れている。しかも1米ドル=8.28人民元前後という割安相場で貿易黒字が拡大していために人民元の上昇圧力はもはやおさえきれないところまできていた。実力があるのに、ゴルフで大きなハンディをもらってゲームを挑んでいるようなものだ。おかげでブランドのタグの下”MADE IN CHINA”という興ざめな刻印はあるし、日本に限っていれば、野菜など中国産が半分を占めている。女子12楽妨♪というアイドルバンドのCDも飛ぶように売れていたっけ。

そうはいっても問題は、金融システムの脆弱、北京オリンピックに向けてのバブル景気感、国有企業の不良債権、財政赤字、一部の超お金もちが税金逃れで海外に持ち出す金額が毎年3兆円を超えるなど、肝心なところで危うさと脆さを孕んでいる。図体が大きいだけに、倒れたときは大変だ。。。

もうすぐ中国で開園するディズニーランドで、ミッキーマウスがちょっぴり門を開いたような今回の人民元切り上げ。けれども、2%はほんのお試しレート。これから更なる人民元切り上げが行われるだろう。もし10%を超えたら、その時こそ中国に進出している日系企業25000社も含めて、市場も本格的なサーキットが始まる。


消費者金融に取引履歴開示義務

2005-07-20 23:08:43 | Nonsense
検察審査会も残りあと1回、次回は議決書草案の検討、及びセレモニーやら勉強会で時間がとられるために実質、議案を審査する国民の”義務”としてのお仕事は修了。予想外の開放感で、気がつかないうちに任務の重荷を感じていたことを実感した。真冬に始まり、半年間を長く感じたがあっというまに過ぎ、充実していた日々ともいえよう。そして非常勤の公務員という身分もとかれる。民間企業で働くこともさまざまな局面で社会に貢献しているともいえるし、公務員も職種が様々だから一概にいえないし、半年間悩んだこともあったが今のこの達成感を味わってみると、パブリックな仕事はやりがいがある、というのが率直な感想だ。

ところで審査会で話題になったのが、この消費者金融会社の取引履歴開示義務の最高裁による初判断である。

消費者金融に取引履歴開示義務 最高裁が初判断 (朝日新聞) - goo ニュース

たまたま先日から話題になったのが、消費者金融の利息の話である。所謂サラ金の金利は法律で上限が規制されていて、民法の特別法である利息制限法では、上限金利を、融資金額 100 万円以上は年 15 %、 10 万円以上 100 万円未満は年 18 %、 10 万円未満は年 20 %と定めている。ところが刑事罰の対象となる出資法では、平成12年6月1日からは年 29.2 %以下に定められているが、この利息制限法から出資法の29.2%の範囲を「グレーゾーン」という。

何故グレーゾーンというのか、そのからくりは利息制限法を超える利息分については無効になる、つまり借りてがその超過分を支払わなくても罪にならない、が・・・しかしたとえ貸して側(サラ金業者)が利息制限法の上限を超える金利を設定しても出資法による上限を超えなければ、罰則の対象にならないのである。そして殆どの消費者金融は、このグレーゾーン間で金利を設定している。(ちょっとネットで調べたが、複数のコースがあるが大手の消費者金融の無担保貸付金利は、殆ど20%を超えている。)要するに刑事罰の対象にならなければ、とれるだけとっておこうという考えだ。・・・長者番付の常連になるわけだ。

弁護士の方達がなんとかこの出資法のグレーゾーンの引き下げを要望しても、業界の力は強く、逆に金利の上限をひきあげろという声におされ気味だったが、今回の判決は、このようなダーティなグレーゾーンに風穴をあけたと高く評価したい。借金はきちんと返すべきだ。契約において締結したことは守るべきだ。けれども債務者が債務の内容を把握していなかったために、利息制限法を超えた過払い分もいわれるがままに支払っていたケースが多いだろう。

ご利用は計画的に。。。利息の取り方も計画的だったわけだ。

【追記】
実は、最終回の検察審査会で検察庁に赴き、現場の検察官の方達に接見する予定ですが、質疑応答のお時間もいただくことになっております。そこで!もしもこんなことを聞いて欲しいというご要望がございましたらコメントをください。
検察官になった動機など個人的なことでなく、システムやあり方など検察制度そのものに対する疑問や質問などございましたら、お願いします。