千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

パンツの主張

2005-08-31 23:12:02 | Nonsense
日本女性は、世界一長生きの座を20年もの長い間、他国に譲らず守りつづけている。とはいっても女の一生は長い宇宙の歴史からすれば、ほんの瞬きにも満たない一瞬の光だ。だから出逢える人、出あう音楽、本は非常に限られている。なかでも本は、映画や音楽以上に費やす時間が長いため、充分に吟味しなければならない。近頃、読みたい本よりも、読まなければいけない本、娯楽よりも教養を、ということで、本の選択は我ながら実に冴えていると自負している。
そして、”秋とともに深めたい教養”と今読み始めている本が、米原万理著の「パンツの面目 ふんどしの沽券」なのである。
エッセイ集だと思っていたのだが、なんと最初から234ページまで、最初から最後まで、下履き、フンドシ、パンツ、tpycbl、デカパン、サルマタ、腰帯、ズロース、ヒモパン・・・それぞれ愛用している形態によって名称が様々であるが、要するにホモサピエンス ヒト科にとって最小で最後の下着について、豊富な資料を駆使し、延々と歴史やお国柄による違いなど、米原さんらしい探究心で熱く時々図解もまぜて分析しているのである。
めったにない優れた教養本だ。

いずれ読みおえたら感想を書きたいのだが、我も考えるパンツの話し。

学生時代、友人と北海道一周旅行に、なにをどれだけもっていくかという相談をしていた。(旅行の日程、列車や宿の予約や手配など、面倒なことはすべて友人のパパまかせだったが、こういう会話は熱心だ。)すると私たちの会話を小耳にはさんだ先輩(♂)が、
「パンツは3枚で足りる!1枚で3日はいけるから。」
当然ながら、私たちのパンツは毎日かえなきゃ!という非難集中砲撃をくらったのだが、
「表で2日、翌日裏返ししてはけば通算3日ははけるじゃないかっ」
と豪語した。私はたまげた。それっておいどんみたい。裏返しして、またパンツをはくという発想は合理的なのか、単なる不潔なのか、いまだに判断がつかない。

また、札幌に単身赴任を3年間していたおじいちゃん部長に聞いたことがあるのだが、単身赴任者用の洗濯機つきの便利なマンションに住みながら、汚れた下着をためこんで宅急便で妻に愛のプレゼントとして、送っていたらしい。まもなく清潔に洗われた下着が、奥様から返送されてきたということから、この中年夫婦にはほんのかすかな情と大きな義理は残っていたのだろう。ところが、一ヶ月近くためこんだら、パンツに黴がはえてきたそうだ。
それ以後、時々汚れた下着をかき混ぜて空気を送り込むことにしたそうだ・・・。こういうのも教育番組向きの”生活の知恵”というのだろうか。身振り手振りでかきまぜ方をご指導いただいた。

日本の男の子は、おおかたおむつがはずれるとブリーフなるものに装着品が移行する。仮面ライダーが、股間の中央で勇ましくたっているような図柄のブリーフも時々見かけるが、殆どが純白、シンプルなこどもサイズのブリーフだ。いや、だったのに、少年から変声期を経て、いつのまにかブリーフからボクサーパンツに心変わりをしている。もはやブリーフ愛好家は、中年以降のおじさんか小学生のこどもたちしか見当たらない。女性としては、いったいいつ、どういうタイミングで、どんな動機で無印のブリーフからミッキーマウスのパンツに意趣替えするのか謎なのだ。ちなみに守るべき器物にとっては、しめつけるブリーフよりも、放熱効果のあるパンツ型の方が望ましいらしい。

Gacktさんも下着にまつわるエピソードの豊富な方であるが、この方は”パンツなし”を好まれる方だ。まあ、つけてもネット通販で購入するヒモパンばかりらしいのだが。
そんな或る日、Gacktさんがテレビ局のトイレにこもりながら、ボールペンで詩を書いていた。書き終わり”よし”と勢いよくたちあがりドアを開けた瞬間、ボールペンがお尻につきささったらしい。けっこう痛かったのだが、トイレをでた瞬間に、憧れのアーティストと顔を合わせ、何事もなかったかのように挨拶をしたそうだ。パンツはいていたらつきささらなかったのに・・・。

『バルカン超特急』

2005-08-30 23:09:13 | Movie
ヨ-ロッパの小さな小さな国バンドリカ(架空の国)で、ロンドン行きの列車が豪雪のために立ち往生してしまった。乗客はしかたなく、田舎風のホテルに避難して、それぞれ快適とはいえない一晩を過ごすことになった。翌朝は晴天になり、雪を反射する眩しい光とともに列車は、頼もしく出発する。

バルカン超特急の乗客は、恋する感情もわかない男との結婚という祭壇に向かう決意をした美しい女性アイリス(M・リックウッド)、アイリスと昨晩喧嘩した作家希望のギルバート(マイケル・レッドグレーヴ)、音楽教師でお人よしのミス・フロイ、不倫旅行を楽しむ小心者弁護士とその愛人、クリケット大好きビジネスマンのカルディコットとチャタースの二人組、それに手品師や公爵夫人など。それぞれが袖すりあうも縁ではないが、ロンドンまでの列車旅行を昂揚した気分で楽しんでいる。

やがてアイリスは、同じコンパートメントのミス・フロイと親しくなるが、彼女がほんのつかのま眠っている間に、ミス・フロイは忽然と消えていた。しかも周囲の誰もが、ミス・フロイという人物は最初からいなかったと説明する。事故なのか失踪なのか。いずれにしろアイリスは、納得できずに天敵だったギルバートの協力の下に車内を探し始める。すると、ミス・フロイを名のる人物が表れるのだが、同じ服装をしているのに全くの別人である。これで尚さら不信感を募らせる二人だったが、途中の駅から運ばれた脳外科医の患者に注目する。その患者はミイラのように体中を、白い包帯でぐるぐる巻きにされているが、あの下の顔を見てみたい。。。

1938年製作されたヒッチ・コックの映画は、走る列車という密室を使った古典的な名作サスペンスであろう。謎解きと犬猿の仲だったアイリスとギルバートのふたりのコンビの行動とその後のなりゆきも含めて、こどもの頃に読んだシャーロック・ホームズの物語を連想する。バンドリカという架空の国を設定した理由は、ミス・フロイの失踪の謎を解明した時に理解できる。また日本とは違ってヨーロッパ大陸を多くの国が占めている状況と緊張感は、上質のミステリーの素材として最適だ。この映画が、ヒッチコック作品でも親しまれ、またサスペンス映画として評価が高いのは、推理のプロットが正統であり、しかも当時としては意外性があったこと。そして、なんといっても登場人物の個性的なキャラクターとセリフが、そのルックスといでだちも含めてユーモラスで魅力的であること。まことにヒッチコックは、才能のある映画監督だった。

尚、アガサ・クリスティの最高傑作ともいえる「オリエント急行殺人事件」が、本作品に設定がよく似ている。

■監督:アルフレッド・ヒッチコック

さてさて、アイリスとギルバートはその後どうなったのか。ヒッチコックがある役柄でおきまりの登場をしているのだが、その結末は彼に聞いた方が早いだろう。
そしてクリケット大好きビジネスマンのコンビは、ロンドンであれほど観たがっていたクリケットの試合にはたしてまにあったのだろうか。その謎解きをしたかったら、まずは映画をご覧あれ。。

50代で指揮者になったビジネスマン

2005-08-29 23:05:03 | Classic
「夢をあきらめないで~」
入学・卒業シーズンになると、この歌がどこかから聞こえてくる。けれども年齢とともに人生の選択肢もせばまり、夢を追いかけるよりも現実の足場を固める守りの姿勢に入るのは、ひとつの賢い方法とも言える。夢はかなえることよりももち続けることの方が大事、というのが我流。

宮城敬雄さんという50代のビジネスマンがいる。現在の肩書きは、会社経営者(高輪プリンツ ヒェンガルテンを経営しているらしい)。けれども宮城さんは、もうひとつのお仕事をもっている。それは、音楽ファンだったら一度は振ってみたいさオケ、なってみたいじゃん指揮者(Conductor)、なのである。が、驚くのは、なんとデビューしたのが50代に入ってからということだ。

宮城さんは、音楽一家に育ち、幼少の頃からクラシック音楽に親しんできた。「いつか指揮者になり、音楽に自分の思いを表現してみたい」という夢を、ずっとずっと温めてきた。サラリーマンになるも、父親の会社が危機状態になり、起死回生の新規事業をたちあげ、必死に夜中まで働いた。この時の体験が、なにかのはずみを与えたのだろうか、50歳になり知人の指揮者に弟子入り。翌年には、N響の団員らプロの協力を得て、自分のオケを結成して紀尾井ホールで指揮者デビュー。

その後は、ヨーロッパを代表するオケとも共演。「スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団」の団員に「あなたの音楽はウエルカムだ。共感できる」とも言われた。
宮城さんは、ブラームスが滞在していたオーストリアの保養地ペルチャッハに毎年滞在する。ここでブラームスの作曲の思い、空気を感じてきた。だからブラームスに関しては、思い入れが強そうだ。そして自信もあるのだろう。

そんな宮城さんが、クロアチアのサグレブ・フィルを来月指揮する。長期の戦禍から復興途上にあるクロアチアのオケと宮城さん。この両者が奏でるブラームス2番には、双方にとっても感慨深い曲になりそうだ。

プロフィール


『ベッピーノの百歩』

2005-08-28 22:59:08 | Movie
1978年5月9日、シチリア島の小さな町、チニシで一人の青年の遺体が発見された。正確に言うと、遺体は粉砕されて飛び散り、その姿らしきものははなかった。何故ならば、殴られ気を失った青年はダイナマイトを体にいくつも巻きつけられ、線路に横たえられたからだ。けれども警察は、「自殺」と断定した。

シチリヤの風と光りが舞う”ファミリー”が集う会食のテーブルで、少年ジュゼット(=ベッピーノ)・インパスタートは、詩を朗読する。賢い少年は、両親の自慢であり、叔父のお気に入りでもある。その文学的才能が、やがて違うカタチで発揮されるとは、この場にいた誰もが予想していなかっただろう。なにしろ父はベッピーノをボスであり、この地でマフィアの頂点にたつターノのようになることを期待していたのである。

ある日、大好きだった叔父が自動車とともに仕組まれた爆発事故でこの世を去った。ベッピーノは、共産主義者の画家の家を訪問し、叔父の肖像画を描いてくれるように頼むのだが、断られる。画家の「被害者も加害者も同じ穴のムジナ」。その言葉を48年生まれのベッピーノ(ルイジ・ロ・カーショ)が青年になって理解する頃、世の中は若者を中心に左翼化、保守的な価値観を破壊する政治の嵐が吹き荒れる。ベッピーノも反政府活動へとのめりこんでいく。
新聞で権力者を叩き、家族の写真まで公開してマフィアを糾弾する。そんなベッピーノを伝統的価値観をもつ父は、激しく嫌悪する。この時代の父である彼にとっては、息子が共産主義に被れることは、同性愛者になることと同じくらい許されざるべき”恥”なのである。家を出て、自前のラジオ局を開設するようになると、ベッピーノの鋭い説法は、毒をたっぷり盛り込んだユーモアをふりかけ、益々激しくなっていく。そんな緊張感の高まるなか、父親が暗殺される。

この映画は実在したジュゼット(=ベッピーノ)・インパスタートを主人公に、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナが監督した作品である。マルコ・トゥリオ・ジョルダーナは、1980年『Maledetti viamer(呪われた者たちを愛す)』という学生運動世代のテロリストの末路を描いた作品でデビュー。その後、『パゾリーニ、イタリアの犯罪』でもパゾリーニ暗殺事件を題材に扱った作品など、権力の腐敗を追求する社会派である。

ベッピーノの葬式に、友人は誰ひとり参列にこなかった。何故、彼らはこの場に現れなかったのか。その答えは、ベッピーノの短い生涯での活動の正しさと勇気を証明している。

ベッピーノを演じたルイジ・ロ・カーショは、国立演技学校出身でずっと舞台で活躍していて、本作品がはじめての映画デビューになる。映画は実際チニシで撮影された。ルイジが街頭演説で批判をしている場面を撮影中、その対象の当人が新聞片手に道を歩いていた。ルイジはその時に、「映画は虚構の世界だが、何かを信じて死をも辞さない覚悟に、戦慄を覚えた。」とインタビューで語っている。またいかにもイタリアのお袋ともいうべき貫禄のある母親役のルチア・サルドが良い味を出している。ベッピーノのこども時代は夫に尽くす女盛りの妻、老いてはただ息子の身を案じる母親役を時の流れとともに存在感たっぷりに見事に演じている。

尚、ベッピーノの死後、友人たちはジュゼット・インパスタート=シチリア資料研究所を設立し、マフィア撲滅運動を続け、19年後、ようやく暗殺の犯人としてターノ・バダルメンティが起訴される。
監督インタビュー


「野中広務 差別と権力」魚住昭著

2005-08-27 22:06:24 | Book
”政治の天才”
被差別出身者にして、自民党幹事長にまで権力の階段を登りつめ、「郵政族のドン」「政界の狙撃手」として辣腕をふった政治家、野中広務をこう評する者が多い。そこにある評者の感情は、天性の政治的手腕をもった人物への感嘆と尊敬の念とともに、小柄な姿に隠れた厳しさへの恐れとほんのわずかな嫌悪。野中という人間を語るには、その両面性をとらえなければ、本質にせまることはできない。その複雑さは被差別出身者という出自から差別され、屈辱の体験をもちながらも実力でのしあがったことにある。その結果、から求められる解放への役割と、外から要請される解放同盟の圧力への”防波堤”としての役割。利害関係の対立する両者の境界線上に身をおくということで京都府議選を戦い抜き成功したスタンスは、中央政界入りしてからも変わらなかった。しかし結局は非常に有能な調停役としての政治家だが、独自の国家戦略をもたない自らトップとなる器でないことが最後に弱点となり、寂しく政界を去った。

野中広務は、京都府船井郡園部町に1925年生まれる。当時としては珍しく新聞を読む女として有名だった母と、正直で人の良すぎる父の間に、長子長男として生まれる。野中がはじめて町議選にたった時、母は文字の書けないお年寄りに熱心に字を教え、線香の火でボール紙に「ノナカヒロム」という字をかたどった穴をあけ、それをなぞれば名前を書くことができる方法も考案した。その一方で、父は元受刑者や朝鮮人の生活救済にも力を尽くした。野中の子守に雇ったのは、なんと子が泣き止まないとキセルで叩く、前科八犯の婆さんだった。その時できた傷が、今でも顔に残っているという。。。おまけに政府への米供出の時も、ごまかす者のために基準に満たないと、自分の家族用の飯米で他人の分の穴埋めをした。そのおかげでひもじい思いをするのは、家族だというのに。恥ずべきいわれのない差別をする者へ怒りと、差別される側にも潜む狡猾さへの怒り。この時の経験は、後年の人権問題へ立ち向かうあたたかい人柄をもちながらも、「控除」という特別扱いを、あらたな差別をうむ卑怯な問題だと、国会で一刀両断のもとに激しく追求した姿へつながる。

かっての日本の政界の中枢は、帝大出身者が占めていた。彼らを支える官僚、政治資金を提供する財界人も同じく帝大出身のエリートたち。ところが、日本列島改造論をひっさげて、小学校しか出ていない土建屋の田中角栄が力を奮うようになると、地方出身の非エスタブリッシュメントたちが政界の場に踊りでるようになる。そこには、かっての体制とは違う権力とお金が結びついた構図がつくられる。雪深い新潟に育った田中角栄と、野中広務はともに利用し、利用されながら昭和という政治の表舞台で、思う存分その権力を行使していくのである。まさに昭和という時代と寝て、日本の政界の縮図を描いたのである。その大きなうねりも、やがて時代とともに衰え最後を迎える。

著者の魚住昭氏は戦後社会は、平等性と差別性という二重構造をもつ社会だったと言う。そのはざまをよじ登り権力の中枢にたどり着いた象徴が、野中広務だ。しかしそれらを内包しながらも平和と繁栄を志向してきた戦後の終焉が、小泉首相との権力闘争に破れての引退が象徴とも語る。おりしも解散選挙。自説をまげず文字どおり政治生命をかけての戦がはじまった。プレビシットを強要する小泉首相のたて髪には、かっての泥臭い日本的な演出はない。そこには昭和の時代のおもかげも、あらたなる平成へのあかるい未来も見えない。

野中広務。
この名前をつけたのは地元一番の名士である船井郡部長の佐藤厳治だった。郡長が民の名づけ親になることは、当時では異例中の異例。その時の両親の喜びようは格別で、”郡部長さんに名前をつけられた特別な子”として、乏しい収入から広務への教育にかける。
広務にこめられた意味と願いが、見事に生き方に結実している。

「世の中に広く務める人間になれ」

■アーカイブ
「野中広務の居場所」

セレブな方御用達「ホワイトバンド」

2005-08-25 23:37:40 | Nonsense
ほっとけない 世界のまずしさ
あのホワイトバンドのCMを一度観た時の、なんともいえない複雑な気持ちが今でも消えない。
単に寄付金を集めればいいのだから、話題性充分なセレブな人たちにご登場願おう、若者はこういうのにノッテくるだろう、夏だしセレブと同じバンドはおしゃれ気分を満足させてくれる、そんな広告代理店の思惑を感じてしまうのは、貧困国と搾取する先進国の利害関係を見る天邪鬼だからだろうか。そんな燻る気持ちを他のブログにお邪魔して、足跡を残すのも自分らしくないだろう。
先日の="「アフリカ ゼロ年」感染爆発が止まらない~南アフリカ届かないエイズ薬~で書ききれなかったNGO「命の泉ケアセンター」の活動から、このホワイトバンドを改めて考えたい。

南アフリカでの小さなNGO施設「命の泉ケアセンター」では、90人ほどの末期を迎えたAIDS患者が収容されている。彼らには、治療薬を投薬されることもなく、医師の診断を受けることもなく、毎月9人もの見捨てられた患者が、ここで命を落としていく。年間25000円の治療薬(抗レトルウィルス薬)を服用するには、専門医の指導と生涯服用するお金が必要だからだ。清潔で明るいベッドに眠るドゥドゥジー・ソケラ(36歳)さんも、帰るところがなくここにたどり着いた。末期のエイズ症状に苦しむが、頼る家族もなければ友もなく、このセンターで活動するヴォランティアのあたたかい好意だけが、救いだ。ソケラさんは、13歳の時に村を出て、白人家庭のメイドとして雇われたが、ある日解雇された。その後、生活に困窮して売春婦として街にたつようになった。この国でのこうした行為の当然の帰結として、彼女もまたエイズを発症する。やせ細り、抵抗力を失った体が受け付けるのは、お金のかからないわずかなスープ。それでもこのセンターでは、資金源が滞り、今後の活動への先細りに患者や活動家も不安とあせりを募らせる。センター代表は「政府でも、民間でもいい、とにかく我々を助けて欲しい。」と必死に訴える。

現実に貧困から立ち直るには、どのようなカタチであれ、お金は必要だ。しかし、今までの戦後60年間の約1兆円に及ぶ援助資金はアフリカでは、殆ど役にたっていなかったではないか。NGOの活動自体は、善意100%のほっとけない愛からくる行為だから、批判する気持ちは毛頭ない。そしてホワイトバンドの活動を純粋に支援する方たちの意志を損ねる気持ちもない。ただ、自分のなかで納得できないわだかまりがあるだけである。

①そもそもホワイトバンド代300円のうち、実際のNGOの活動資金にまわるのが30円なのに、広報費が二倍の60円とは如何なものか。私の慈悲の足りない頭では理解できないのである。何故、目的のための手段に、そんなにお金をかけるのか。あのCMにいくらの経費をかけ、広告代理店にどれだけの利益がころがりこんだのか。しかも今回の活動資金は、援助でなく「途上国から先進国に富が流れる構造、貧困から脱却する人、NGOの活動をだめにする政治や経済の仕組みを変えるために使う」ということだ。

②つまり明確な運用目的があるわけでなく、とりあえずお金を集めてからばらまく、もしくは一箇所に集中して大規模な活動資金にあてるということだろうか。そもそも順番がちがうのではないか。まず、はっきりした目的ありきで、そのためにいくらのお金が必要だということからはじめるべきだろう。

③そして製作原価90円のホワイトバンドが中国製だということ。元々、アフリカでは自由貿易が繊維製品などの伝統産業を奪ってきたこと、中国製品との価格競争に敗れて閉鎖に追い込まれた工場もあり、貧困が増加したことを考えると割り切れない気持ちになる。

④それにこうした活動の主流は、リッチな欧米人が握っていること。国をあげて貧困国から搾取しほうだいなのに、まるで善意溢れる表と、国益と自社の繁栄のためなら平気で弱者を踏み台にできる裏の顔を巧みに使い分けているかのようだ。

⑤ホワイトバンドをつけている間は、貧困国に意識が向くかもしれないが、はずすと同時に忘れられるかもしれない。何年かたって、ただの”流行”いっときの”イベント”としての思い出として風化してしまうかもしれない。

ホワイトバンドの公式HPを何度読んでも、主義主張を正論だとは思うが、ホワイトバンドを買おうという気持ちにもなれない。なにしろ”ほっとけない貧しさ”をつくったのは、我々自身ではないか。

不老不死の薬が届く日

2005-08-24 23:17:07 | Nonsense
私たちは、ひとりひとり60兆個という天文学的な数字に及ぶ”あるもの”をもっている。それは何か?

この解答を柳田充弘 氏が岩波新書「細胞から生命が見える」で、わかりやすく、 しかも浪漫チックに解説されているのだが、 それは細胞である。たった一個の受精卵からはじまり、気の遠くなるような細胞分裂をくりかえし、しかも間違いなく正確にプログラミングにそって分裂を繰り返し、成人に達すると40兆もの数の細胞になるのである。これはもはや神秘的な奇跡ともいえそうな軌跡である。

ところで、その細胞の中には、「未来の遺伝子」でも語ったのだが、細胞死のメカニズムとしての再生できる「アポトーシス」と再生できない「アポビオーシス」という2種類の「死の遺伝子」がプログラミングされている。ところが、再生できるといっても、このアポトーシスには、分裂寿命があって、分裂できる回数が決まっている。人間の細胞だと約60回細胞分裂とアポトーシスが繰り返されて、寿命が尽きる。これはチケットの回数券のもののようだ。その一方アポビオーシスのスイッチがはいると個体としての死を迎える。このように、私たちは確実に老化と死へ向かう列車に乗っているようなものだ。

それでは、この死の遺伝子のプログラムを変更して、永遠の生を可能とできるだろうか。アポトーシスのチケットを無制限に使えるようにできないのだろうか。私は、それは人類の叡智をもってしても不可能ではないかと考える。もしも可能な日がきたとしたら、それは地球がこの銀河系に存在する役割の終焉の日であろう。それでは、古今東西、伝説、映画に描かれる”不老不死”は、人類の見果てぬ夢なのだろうか。

現在、心臓移植はこの日本でも、術例は少ないが行われている。1968年札幌医大胸部外科チーム和田教授が世界で30例め、日本初の心臓移植を行った時、日本人の国民性を考慮すると、心臓移植はドナーからの提供でなく、人工心臓の開発に力をいれた方がよいという意見もあった。現在は補助型の人工心臓の植え込みであるが、いつの日か全置換用人工心臓が登場する日もそう遠くなさそうだ。だったらカラダの一部が故障したら、次々とこのような人工臓器を移植することが、可能にすればいいではないかっ。老化した皮膚は、人工皮膚を植え込み、松田聖子さん並に永遠のツルツルお肌。けれど気がついたら200歳だけれど、カラダはサイボーグになっていた。。。そんな妄想を人は荒唐無稽と笑うだろう。ところが米国の発明家カーツワイル氏は、大真面目に長生きの発明を考えている。血球サイズのロボット(ナノボットくん)が何100万と体内をかけめぐり、骨や筋肉、脳細胞までメンテしてくれるので、永遠の若さを保てるようになるという自説を、「夢の旅:永遠に生きられるまで長生きしよう」で披露しているそうだ。
まるで映画「ミクロの決死戦」のようではないか。カーツワイル氏の発想は奇想天外ではあるが、1999年には「米国技術栄誉賞」、2002年には発明家の殿堂入りを果たしている実績のある科学者なのだ。

私の夢想は、科学的根拠のないただの楽観論だが、カーツワイル氏のような著名人が考える不老不死の願望は、少し違う。それは昔からある権力をもつ者、富をもつ者の命と若さへの常人をこえた執着心に近い。すべてを手中におさめた者が最後に求めるものが、不老不死という発想に似ている。そこにあるのは、傲慢な自己への執着だ。このような不老不死への願望を「究極の延命に関する会議」を主宰するマイケル・リスキン副会長は、次のようにジョークで飛ばしている。

1.死を恐れるあまり、何でもためしたい
2. ナルシストで、宇宙は自分が存在しなければ意味を成さないと信じている
3. 死を理解する答えを見つけられない
4. 嘲笑される少数派の一員になることを楽しんでいる

不老不死。それはまさに肉食動物の欧米人の発想だろう。春夏秋冬の季節の移ろいを愛で、儚さと滅びの美学をもつ日本人の気質から、不老不死を望む声はない。
死の遺伝子があるからこそ、生命は進化して繁栄を遂げた。結局、こういう結論で16歳への若返りをあきらめることにした。

亀井静香氏の”復讐するは我にあり”

2005-08-23 23:50:57 | Nonsense
拝啓 亀井静香さま

立秋を過ぎましたが、今年は例年以上に残暑が厳しい今日この頃かとお察しします。

元財務省キャリア「サツキカミキリ」だの、セレブのカリスマ主婦兼料理研究家だの、次々と落下傘部隊が刺客として飛来してきて、郵政造反組のチーム「国民新党」のリーダーとしては、戦々恐々の暑い毎日ではないでしょうか。そんな汗くささたっぷりのところに、今度は貴殿の地盤である広島6区に忍者としてやってきたのが、かのお騒がせマン、通称ホリエモンとは、益々この舞台は見逃せなくなりました。

堀江貴文氏は、「どうせなら造反組と民主党が拮抗するところにポーンと出る美しい構図が望ましい」という彼らしい理屈っぽい美意識のもと、反対派の旗頭と民主党佐藤光治氏とのタッグ線に参戦して、三つ巴の戦いに挑むという生意気な戦闘意欲、満々です。対談でホリエモンに「亀井さんはシャイな人」と称えられ、なにやら眩しいような寂しいような遠い目をしていると感じたのは、私のうがった感傷というものでしょうか。民間企業に勤務するも国政にたずさわる仕事をしたいと政界に転身したご自身の、かっての青雲の気概をこの若いライバルに見たのでしょうか。そんな姿に、いつもの傲慢な勇ましさと、政治家特有のいやらしさを兼ね備えた自民党特有の匂いをふりまいていた日々は遠くなりました。さすがに今回の解散、選挙の嵐はきつかったようです。

それでも、下馬評によりますと農村地帯や山間部である広島6区では、浮動票はあまりなく、反亀井派の票はわかれてむしろ亀井氏には有利に働くそうです。亀印では戦えないだの、火遊びが過ぎただの、小泉首相により私怨だの、誠に寂しい中傷が国会を徘徊しております。そしてつい先ごろは、永岡洋治衆院議員(茨城7区)とのつらい別れもありました。葬儀委員長として、「君は本当に頑張ったが、わたしがふがいないばかりに、君を守ることができなかった。許してくれ…。また会おう、さようなら」と弔辞を読まれました。涙を流してかついだ棺の重さが、もはや火遊びだの私怨だの言わせるわけにはいかないことを悟らせてくれたでしょう。

先ごろ、下町浅草神社に漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が単行本発行部数1億3000万部突破を記念して、石碑が建立されました。

私は下品で、破天荒でむちゃくちゃな両津勘吉の顔と姿を、亀井氏に似ているーと常々感じておりました。警察官にあるまじき奇想天外な発想と行動をするアナーキーな両津氏のごつい顔は、めちゃくちゃ濃いです。おまけにあの時々ハダカになってさらすスタイルとエロ加減は”おじさん”キャラそのものです。女性は、ひきます。逃げます。それでも両津氏がにくめないのは、その根底に人を思いやる気持ちが流れているからです。
碑文は「友情はいつも宝物」
この言葉を胸に、「国民はいつも宝物」かっての政界に転身した時の原点にかえって、この夏の陣を善戦していただきたいです。

「今の世は 仮の姿と思えども なお憂き事に この身捧げん」この句がご自分への辞世の歌にならないよう、いざ決戦です。

「未来の遺伝子」佐倉統編

2005-08-21 22:34:00 | Book
図書館で何気なく見つけて借りてきたこの「未来の遺伝子」
生物系の一般教養書を、定期的に読んでいる。生物の世界は実に、表裏一体の現象が多い。そんな不思議で逆転の発想は、ルーティンワークの日常に埋没しがちな、自分の頭脳と発想に快適なインスピレーションを与えてくれる。そして、時々宇宙とは、人間とはなんぞや・・・などと哲学する時間も与えてくれる。だから確かに意識的に生物の本を借りたのだろうが、何故、この「未来の遺伝子」なのか。

本著は、瀬名秀明、小長谷(こながや)明彦、四方哲也、田沼精一、安藤寿康氏という、おそらく生物に興味のある方にはおなじみの作家、研究者と佐倉統氏の対談形式ですすむ遺伝子に関するお話しである。その序章ともいうべき第1章「神になった遺伝子」にA・ヒットラーの「わが闘争」の抜粋が引用されている。最近観た映画「MY FATHER」の主人公の父、実在した遺伝子の研究者ヨゼフ・メンゲレが、ヒットラー政権の下に優生学を実証すべく双子の研究をしていたことから、”遺伝子”というキーワードにひかれて借りて帰ったということに思い至った。
実際最後に登場する安藤氏は双子のデーターを研究して、行動遺伝学という分野にすすまれた方である。今では何百組もの双子のパーソナリティのデーターを集められるようになったが、行動遺伝学というのは、かっては米国でも就職口もなく批判も多かった。環境も遺伝も同様に人の形質に貢献度が高く大切だが、遺伝子であらかじめ決められてしまうというお話は、誰でも楽しい話しではない。だから安藤氏自身も教育心理学者の立場として、「遺伝子で決まる」という表現には、強い警戒感をもっている。かっての「わが闘争」の例を見るまでもなく、遺伝の研究は、真に科学的に自制していかないと、優生学に発展する芽をもっていると思う。

近頃は、経済活動の場でも○○社の遺伝子が引き継がれるというように、社風、創業者の理念や社員の気質が継承される現象を”遺伝子”と読み替える表現が流行っているようだ。このようなわかりやすくて、ちょっとかっこいい記者のものの言い方をなかなか、と誉めたいがなにかちょっとしっくりこないものを感じつつもある。
というのも、実際は、ゲノムの解析がすすみ、単一の遺伝子(gene)が生命現象に影響を与えるという概念は、もはや時代遅れなのだ。そして安藤氏は、ヒトゲノムを、ワーグナーの「ニーベルリングの指輪」に例える。それを手にしたものは世界を支配できる。しかしそれによって世界が終焉するならば、勇気と犠牲をはらってでももとあった場所に返す。つまり遺伝子の研究成果として、病気や食糧問題の解決によって莫大な利益が期待されるが、道具としての魅力にこころを奪われてばかりいては、本来のDNAの居場所を見失ってしまう危険性もある。



閑話休題。すっかり序曲が長くなってしまったが、どの対談も大変おもしろかったのだが、私が最も興味深く読んだのは、ご自身の著書も多い田沼精一氏の「アポトーシス」と「アポビオーシス」の話しである。アポトーシスは通称、自殺細胞という言葉でおなじみだが、「アポビオーシス」はギリシャ語で”生命が尽きる”という意味を含めた神経細胞や心筋細胞のように再生しない細胞の死で、田沼氏はそのメカニズムを研究している。細胞が自ら死んでいくというこのふたつのシナリオをもって万物の生物は、この地球に生まれてきた。「アポトーシス」と「アポビオーシス」。この二重に組み込まれた死のプログラム、刺客によって我々は、徹底的に確実に殺されるのである。アポートシスによって死んでいく細胞は、蛍光顕微鏡で見ると、宇宙の星の崩壊と生成というか、吸い込まれていくような感じがするそうだ。さぞかし美しい物語なのだろう。やはり死がないと生は成り立たない、そう考えると生より死は先にあったのではないか。そして死から生を捉え直すとこれまで見えてこなかった生きていくことの意味が、はっきりととらえらるようになった、とも田沼氏は語るのである。

オトナになって、子孫を残したら元の古い個体は消去しなければならない。何故ならば、有性生殖を行う過程で遺伝子はシャッフルされることによって、変異が起きた古い遺伝子をキャンセルできるのに、いつまでも古い個体が残っていたら進化すべき遺伝子も進化できずに、種としてはやがて衰退していくだろう。こうして新しい個体に移った遺伝子があるからこそ、新しい芸術、思想も生まれてくるという説である。この発想は、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の田沼流ひとつの解釈であろう。死の遺伝子は、こうして限られた生命の個体である我々に、だったらどうやって自由に生きるか考えなさいとささやくのである。

或る日、尋ねられたことがある。
「何故、どうしてあらゆる生物は死ぬのか」
答えられるわけがない。そもそもそんな疑問自体、私のなかでは発想できないことだった。けれども生物の神秘を開く魔法の鍵は、こういう発想をするものの手に、いつかそっと渡されるのかもしれない。そんな今は大学院で生物を研究する、かっての夢見る高校生の受験勉強に向かうエネルギー、好奇心を理解した夏の夜だった。

強権政治を実行するプーチン大統領の笑顔

2005-08-20 22:07:43 | Nonsense
ロシアの熊さんのような、人が良くてウォッカ好きなエリティン大統領の後継者として、世界中に報道されたプーチン現大統領の顔を見て、役場の陰気でひっそり生息する慇懃無礼、およそ人間的魅力の乏しいお役人(人物像)が浮かんだ。さすがにKGB出身だ。私的人相判断によると、こういうタイプの人物は上司の命令には忠実、慎重かつ冷酷に実行できる。その反面、上に対しては顔色を伺う習性が逆に部下には、自分のもっている権力で横柄にふるまう。しかしそのような人物が、一度より大きな権力の座に這い上がると、これまでの小心ものから変身して、自身の権力を行使して、強い権力をふるまうようになるものである。当初のおとなしそうな印象が仮面だったことに気がついた時には、もう遅い。

昨年3月、ロシアの大統領プーチンは、70%に及ぶ高い得票率で再選した。
5年前、エリティン大統領からバトンタッチされた時、右手には社会主義国から民主主義国への衣替えがほぼ完了していた贈物、左手にはチェチェン戦争に代表される紛争などの厄介ごと。けれどもひとたび権力の頂点に登りつめると、周到な計算のもと断固とした態度で、政府軍の大部隊を投入して武力制圧にのりだした。そして次に行ったことは、地方の行政区を連邦政府の直轄権限下におき、連邦大統領に権力を集中させ、指揮命令系統を一本化させた。これはわかりやすいし、スピード効率化につながるメリットもある。ただ米国のような司法・行政・政策のバランスがとれていなく、もっとも問題なのは大統領に対する監視機能が備わっていないことだ。

【改革の政策】
①全国を7つの連邦管区にわけて、大統領全権代表を配置
②連邦憲法と法令に矛盾する地方の法令や少数民族の共和国憲法を無効にする(地方首長の罷免権を連邦大統領がもつ)
③地方首長(地方州知事・共和国大統領)と地方議会議長が上院議員を兼務する制度の廃止
④地方首長を住民の直接選挙から連邦大統領による任命と地方議会での承認制への移行
⑤下院議員選挙の小選挙区制を廃止、政党制への比例代表制への一本化

侮れなかった、恐るべしプーチン大統領。「テロとの戦いによる追加措置」とは言いながらも、これで少数民族の声なき声は中央には届かなくなった。そして軍部も含めて主要なトップには、自分の息のかかった人物を配置する。
おまけにマスコミ統制も怠りない。経営者に財政・司法的圧力をかけて編集長も交代、番組編成替えも実行している。
経済界にも、ロシア最大の石油会社ユコスのホドルコフスキー社長を脱税、横領で逮捕、世界中にこの模様を垂れ流し、牽制している。

そんなプーチン大統領に、CBSのウォーレス記者がインタビューをした。

ふたりの娘(一人は国立大学の日本語学科に合格)をもつプーチン大統領に、男の子を欲しいと思ったことはと尋ねた。
A.何事も神の思し召し

Q.(意外そうに、私も意外だ)信仰心をおもちですか?
A.自分に内なる世界、信仰心は大切だ

Q.ブッシュ大統領とうまくいったのは、精神的な世界で共通点を見いだしたから?
A.そうだ。彼は信頼できる人だ。時には意見が違うこともあるが、やることは実行する人だ

そして民主主義に関して、社会が成熟するに伴い、自然に発展するのであっておしつけるものでもない。インドの例をだし、知事も大統領が任命することが、即ち民主主義の欠如にはつながらないと語った。アメリカでは、選挙民が選ばれてその人が選挙するが、ロシアは全国民の直接選挙によって大統領が選ばれる、と強気だ。

かっての大国ソビエト崩壊の挫折から甦ったロシア、そこには国民のプライドをかけた強いロシア復活の期待がプーチン政権の独走を許している。
国民にとって望ましい民主主義とは、何か。そして世界が望む民主主義のあり方とは。いずれにしろ、市場経済へ一気にすすむロシアだが、内部は頑健なからに閉じこもろうとしているように思えてならない。

このインタビューでのプーチン氏に、かっての顔色悪くさえない小役人の顔はなかった。慎重な性格は、そのKGB出身という出自とかってのソ連の粛清政治が、もたらしたのかもしれない。
今では、まるで人気エステシャンの魔法の手による施術が効をなしたかのように、自信に満ちてあかるい薔薇色の表情ではないか!
   ・・・やっぱり恐るべしプーチン大統領。