千の天使がバスケットボールする

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背信の科学者たち 

2015-04-26 09:53:43 | Nonsense
諸般の事情により、というよりもお勉強?に時間をとられてブログを更新できない状況が続いています。
その間、あんな本、こんな映画、そして素敵な音楽と過ごした時間。
言葉や感情が溢れていますが、その前に60日間更新していなかったための広告がとうとう出没。
えっっ、、、化粧品や不動産など、それほど関心がないのに。

・・・というわけで以前のブログを再掲載。
続編として村松秀氏の「論文捏造」がお薦め!

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1981年、下院議員の若きアルバート・ゴア・ジュニアは、深い怒りをこめて「この種の問題が絶えないひとつの原因は、科学界において指導的地位にある人々が、これらの問題を深刻に受け止めない態度にある。」とざわめく法廷を制した。通称、ジョン・ロング事件でのできことだった。 論文の盗用、データーの捏造、改ざんをしていたのは、あのOさんだけではなかった。

「それでも地球が回っている」
あまりにも有名なこのセリフを後世に残し、科学者という肩書きを崇高に格上げしたガリレオ・ガリレイの実験結果は、再現不可能で今日では実験の信頼性に欠けているとみなされている。又、偉大な科学者であるアイザック・ニュートンは『プリンキピア』で研究をよりよく見せるため偽りのデータを見事なレトリックと組み合わせて並べていたし、グレゴール・メンデルの有名なエンドウ豆の統計は、あまりにも出来すぎていて改ざんが疑われる、というよりも本当に改ざんしていたようだ。しかし、いずれもこれらの行為は、ニュートンもメンデルも信頼性を高めるための作為であり、都合のよい真実を集めていたわけで、科学的真理の発見にはおおいに貢献していたとも言える。”悪意”もなかったようだし。

しかし、現代ではいかなる科学的な事実であろうとも、論文の捏造は許されるものではない。そもそも、”悪意”の定義を議論することすら見当違いであることを、本書を読んでつくづく実感する。仮に、もし仮にstap細胞が本当に存在していたとしても、論文のデータを改ざんしたり捏造したりする行為が水に流されて、最終的に結果オーライというわけにはいかない。それが、一般社会通念とは違う科学というグローバルスタンダードの戦場なのだ。

いつかはばれる。化石を捏造した犯人がいまだに謎である推理小説のようなピルトダウン事件、サンバガエルを使って嘘の実験データで強引にラマルク学説を支持したポール・カンメラー事件(余談だが、彼はアルマ・マーラーに恋をして結婚に応じないならば亡き夫・マーラーの墓前でピストル自殺をすると迫ったそうだ)、データを捏造して驚異的な論文を生産していたハーバード大学のダーシー事件、論文を盗用しまくって研究室を渡り歩いたアルサブティ事件。次々と背信の科学者たちが途絶えることがない。

本書に登場する事件を読む限りでは、いつかは偽造がばれるだろうと素人にも思えるのだ。結局、嘘に嘘を積み重ねることは、無理があり破綻せざるをえない。それにも関わらず、ミスコンダクトは繰り返されていく。何故なのだろうか。

たとえば、1960年代、全く新しい星がケンブリッジ大学の博士課程の大学院生ジョスリン・ベル・バーネルによって発見された。しかしながら、「ネイチャー」に掲載された論文の筆頭者は、最大の功労者である彼女ではなく、師匠のアントニー・ヒューイッシュだった。教え子の手柄をとった彼が、後にノーベル物理学賞を受賞すると”スキャンダル”と非難された。おりしも、金沢大学では教え子の大学院生が書いた論文を盗用していたという事件が発覚したが、ここまで悪質ではなくとも、それに近い話はそれほど珍しくない。科学の専門化、細分化がすすむにつれ、多額の助成金が必要となり、予算をとってくるベテラン科学者と、彼らの下でもくもくと実験作業を行う若手研究者。ベテランが予算をとってくるから研究できるのであり、逆に駒のように働いてくれるから研究者は真理に近づけるのである。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授と、当時大学院生だった高橋和利さんのようなよい師弟関係ばかりではない。

実は、本書は1983年に米国で出版された科学ジャーナリストによる本である。そんな昔の本なのに、登場する実際の捏造事件は、今回のstap細胞問題に重なる点が多いことに驚いた。優れた研究室で、次々と画期的な論文を連発するが、本人しか再現できないマーク・スペクター事件。stap細胞作成には、ちょっとしたコツとレシピが必要だと微笑んだ方を思い出してしまった。「リアル・クローン」の中でも、著者が再現性が重要と何度も繰り返していた。大物実力者のサイモン・フレクスナー教授の支持を受けて、充分な審査を受けることなく次々と論文を発表してもてはやされていたが、今ではすっかり価値をなくしてしまったがらくたのような研究ばかりで科学史から消えていった野口英世。

ところで、気になるのが、次の記述である。

「若手の研究者がデータをいいかげんに取り扱ったことが明るみに出ると、そのような逸脱行為によって信用を傷つけられた研究機関は、事態を調査するための特別委員会を組織することが責務であると考える。しかし、そうした委員会は結局、予定された筋書きに従って行動するのである。委員会の基本的な役割はその科学機関のメカニズムに問題があるわけではないことを外部の人びとに認めさせることにあり、形式的な非難は研究室の責任者に向けられるが、責任の大部分は誤ちを犯した若い研究者に帰されるのが常である。」

そして改ざんの予防策として、「論文の執筆者は署名する論文に全責任を負うべきである」とも。今回の茶番も、Oさんひとりの責任ではなく、そもそも科学者としての資質も能力も欠けている人を採用し、バックアップしたブラックSさんの責任も重いのではないだろうか。

「リアル・クローン」若山三千彦著
ミッシング・リンクのわな

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