千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「麒麟の翼」東野圭吾著

2012-08-27 22:10:18 | Book
先日、新幹線の時刻を調べようと乗換案内を利用したら、何度検索しても、ある地方都市から東京駅まで不思議な乗り換えを案内する。そこではたと気がついたのは、”駅”の表示をぬかしてただの”東京”で検索していたから予想外の場所が目的地になってしまったのだった。

「日本国道路元標。つまり、ここから人々が日本中に飛び立っていく。だから麒麟の背中に翼を付けたんだそうです」

そうか・・・・、加賀恭一郎の説明によると、だから東京駅ではなく日本橋近辺をグーグルの乗換案内はさまよっていたのか。東京の起点は、日本橋の麒麟の像とは。かっては、美しかったであろう日本橋の橋のうえに、高速道路がまたがっている。当時は、成長へのあかるい未来の象徴のような高速道路も、今となってはその美的センスの欠如を悲しむほど、著しく周囲の景観を損ねている。そんなはざまに東京の下町の風情を残した人形町。加賀刑事が挑む事件の今度の舞台も人形町だ。

製造現場における今日的な派遣社員の問題をおりこみつつ、殺人事件のミステリー小説とはいえ、いつもながらの抒情的な読後感を残しているのは、東野圭吾さんの幅広い層のファンをもつ人気作家の秘訣であろう。そして、簡単に周囲の雰囲気に集団で同調するこどもたちの世界を、あざやかにすくいとっている。流行作家という名称が東野さんにふさわしいのは、人の琴線にふれる機微の使い方が上手なのだろう。昔の推理の緻密な謎ときよりも人情にも比重がおかれた作品は、映画やテレビでも人気をはくす。本作も阿部寛さん主演で映画化され、軽く10億円以上の興行収入を突破したそうだ。

それから、東野さんは今月24日に第7回中央公論文芸賞も受賞している。受賞作「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を批評した選考委員は「読者の心をつかんでは外すテクニックが素晴らしく、なるべくして流行作家になった人。新しい世代のための知的な小説」と賞賛している。 東野さんは確かに当代随一の流行作家ではあるけれど、”なるべくして流行作家になった人”とは少し違うと私は思っているのだが。

■アーカイブ
「容疑者Xの献身」
「赤い指」
「夜明けの街で」
「新参者」
「使命と魂のリミット」
「カッコウの卵は誰のもの」
「流星の絆」
「プラチナデータ」

「ナチスのキッチン」藤原辰史著

2012-08-25 15:24:46 | Book
身内の者の実家は、ドイツ製のシステムキッチンが入っている。ちょっとした外車が買える値段の女の城は、使い勝手がとてもよく実に機能的によくできているキッチンだそうだ。話を聞くたびに、料理があまり好きでもないし苦手な私でも、いつかは贅沢にもドイツ製のシステムキッチンの家を建てたい・・・と、思い始めてしまっている。本書の書評をしているある建築家の方によると住宅の設計をしていて一番緊張するのはキッチンで、夢や要望が多く、又、細かいそうだ。台所は毎日の作業場でもあり、日々使っているとそれなりの要求項目がでてくるし、けっこうセツジツなのだ。

本書は、憧れのドイツ製システムキッチンのルーツをたどった現代史である。なかでも両大戦そのものとはさまれた戦間期を主な対象として、豊富な資料、緻密な調査によって鮮度の高い社会学となっている。衝撃を受けたのは、台所を、腸、胃、食堂、口、歯などの消化酵素と物理的運動によって生物の栄養を体内に取組むシステムの延長に位置する人体の「派出所」とする著者の発想である。だとしたら、何気なく、毎日、立って料理にいそしむ場所が、人間の生理的営みと切り離すことができない聖域であり、そこは経済活動や社会活動の入口にもなるということだ。

”ナチス”というタイトルをつければ、日本人であれ人々の多少の関心をひく。しかし、著者の視点はそんな計算とは別の次元にある。

ナチスは台所というきわめて個人的な営みの女性の城(作業所)に社会性をもたせ、台所という空間を科学的に人間が効率よく働く「小さな工場」に設計させた。そこで料理をする主婦は、もはや家族のために美味しい料理をするFrauでもMuttiでもない。社会的には主婦の存在すらも、ナチスにとっては台所を構成するひとつの要素に過ぎない。母親学級を通じて、試験を実施して「マイスター主婦」制度を導入、これまでの平板な主婦層の競争心を煽り、ヒエラルキーをもうけて家事技術を向上させる方法を考えついた。国民のために、ではなく、戦争に向かう国のためだろう。

写真が豊富で、どれも整然とした当時の台所風景が想像される。夫のため、可愛いこどもたちのためにと工夫しながら料理をする妻は、自分の城と信じた場所から、国のための要員をより健康に頑健にする製造現場だったとは思いもよらなかっただろう。

著者は、古書店をめぐり料理本にはさまれたメモ書きを見つける。古いメモがきに残された主婦の思いは、時をへだてて国をこえ、いつ私たちの暮らしにつながるかもしれない。多少、難解の本には慣れている私でも、本書は客観的に難しく感じる。けれども、カタログやネット、テレビでも機能的なキッチン広告を目にするにつれ、本書からの発信はとても興味深いものがある。

『台風騒動記』

2012-08-20 22:41:54 | Movie
ここはのどかな海辺の町ふぐ江。ところが、そんな平和な町にも台風が上陸して荒れ狂い、倒壊する家あり、流される田畑あり。。。
役場の前には救援物資を求めてやってきた町民たちが列をなして押し寄せている。2階の会議室では、森県会議員を中心に山瀬町長(渡辺篤)、進行役の友田議長(左卜全)、そして川井釜之助(三島雅夫)らが会議の真最中。なんと彼らは、台風被害に便乗して、倒れ損ねた小学校の校舎を無理やり倒壊させて政府から補助金1000万円の援助をせしめて、私服を肥やそうと皮算用をはじめた。彼ら頭の中からは、町民たちの苦難などは、台風一過とともにとうに消えていた。
救援物資の配給を今か今かと待ちわびる町民の行列の中を、議員たちへの天丼を運ぶ蕎麦やの出前の自転車が威勢よく走り抜けていくのだった。(以下、内容にふれておりまする。)

そこへ大蔵省から台風被害の調査をする監査官がやってくるという情報に、町長夫人のみえ(藤間紫)ははりきり、ボストンバックをさげてバスから降り立った青年・吉成(佐田啓二)をつかまえるや接待におおわらわ。地元一の人気芸者の静奴(桂木洋子)も召集して、袖の下の実弾まで用意してなんとか補助金を受取ろうと跋扈する議員たち。小学校の代用教師のたよりない務先生(菅原謙二)や、教科書を失ったこどもたちのために奔走する妙子先生(野添ひとみ)までがこの騒動にまきこまれていくのだったが。。。

悲劇を撮るよりも喜劇の方がはるかに難しい。泣かせるよりも、笑わせる方が難しい。
私はそう考える者だが、この映画には久々に何度も笑い、そして心から楽しませてもらった。私利私欲に走る政治家や土建業者、気弱で情けないのだがこどもたちに慕われる男性教師とお互いに恋心が芽生えているしっかり者で優しい美人教師、そして清廉で快活な友人とお茶目な芸者、とすべてのキャラが定番とはいえ、天丼が出前の王道と同じように喜劇の王道のエンターティメントに仕上がっている。俳優たちのちょっとしたしぐさ、表情、群集の何気ない動き、脚本、演出、キャスティングのすべてが完成されている。近頃、観たい邦画が殆どみあたらない私だが、昭和31年の製作、自分が生まれる前の日本映画のレベルの高さに目がさめる思いだった。

本作は作家の杉浦明平氏によるルポタージュ「台風十三号始末記」を映画化したものである。ちなみに杉浦氏は野間宏や丸山真男らと親交があり雑誌を発行したり、野間の推薦で日本共産党に入党するものの規律にそむいて除名されるという経歴をもつ。現在、NHKのBSで放映している山田洋次監督が選んだ日本の名作100本の喜劇編の1本である。それほど期待しないで録画した作品だが、永久保管したいくらい私はえらく気に入ってしまった。大昔の白黒映画だが、社会風刺をコメディに仕上げたセンスが現代にも通じるからだろうか。山本晋也監督による劇中のかたつむりの歌や、務先生の友人の吉成を共産主義者と勘違いする警察官の名前(赤桐)の由来にまとわる解釈も秀逸だった。

若い佐田啓二も菅原謙二も男前。後に作曲家の黛敏郎さんと結婚された静奴役を演じた桂木洋子さんも黒澤明監督の映画『醜聞』とはまた違ったキュートさがある。それにしても脇役の出演者、佐野周二、多々良純、宮城千賀子、飯田蝶子、細川俊夫といった名前に記憶のある往年の俳優がずらりと並んでいる。今考えると、豪華キャストではなかろうか。みんな物故者になってしまったが・・・。

ところで、最後に流れた太字でブログに残しておきたいこんなTwitter・・・、
天災の後に人災がやってくる
まったくだよ!

監督:山本薩夫
昭和31年松竹製作

「ヴェネツィアの夜」グザヴィエ・ドゥ・メストレ

2012-08-13 22:04:07 | Classic
夏の夜になると、何故かひたすら聴きたくなるハープの調べ。
今年の初夏に来日したフランス人ハーピスト、グザヴィエ・ドゥ・メストレのリサイタルのチケットをとりそこなったのがずっと心に残っていたのだが、NHKの「クラシック倶楽部」で王子ホールでの演奏分「ベニスの謝肉祭」が放映された。早速、録画して聴いてみる。

・「ハープ協奏曲 変ロ長調 作品4 第6」(作曲)ヘンデル、(編曲)グランジャニー
・「ソナタ ハ短調」(作曲)ペシェッティ、(編曲)メストレ
・「“無言歌第2巻”から“ベネチアの舟歌”作品30 第6」(作曲)メンデルスゾーン、(編曲)メストレ
・「マンドリン」(作曲)パリシュ・アルヴァーズ
・「ベネチアの謝肉祭 作品184」(作曲)ゴドフロア
・「アランブラ宮殿の思い出」(作曲)タレガ、(編曲)メストレ

メストレは、1973年のフランス産。9歳から地元のコンセヴァトワールでハープを学ぶとたちまち頭角を表し、16歳の時から多くのコンクールで優勝。弱冠25歳でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・ハーピストに就任するや、2002年にはアンドレ・プレヴィンの指揮でウィーン・フィル史上、ハーピストとして初めてハープ協奏曲を演奏したそうだ。ソリストとなってからも、多くのオーケストラや音楽家たちとの共演、音楽祭の出演と精力的に演奏活動を続けている。

本当は、弦をひっかくにも体格的に男性の方が有利に思えるこの楽器ではあるが、これまで優雅な女性向けの楽器というイメージがあり、オーケストラ演奏ではどちらかというと添え物の一輪の百合のような印象があった。しかし、メストレはソロ楽器としてのハープの地位を向上させ、優雅さや繊細な美しさだけはない、情熱的で力強さという多彩な音色をひきだした画期的なハープ奏者だと思う。尚且つ、編曲者にメストレの名前があるように、ヴァイオリン、マンドリン、オーボエのために作曲された曲を次々と編曲し、独奏楽器としてのレパートリーの幅を広げている。

リサイタルでも流れるような美しさは当然のこととして、恵まれた体格をいかした迫力ある音と情熱が伝わってくる。日本人の好きそうな”ハープの貴公子”というキャッチフレーズのわりには、もうおじさんっぽくないか・・・というのが見た目の私の正直な感想。意外にもジムで鍛えたアストリートのような脂肪がないがたくましい上半身は、こどもの頃からのハープという大きな楽器演奏の賜物か。それは兎も角、メストレの黒味がかった金髪が、ハープの楽器の装飾と同じ渋めのゴールド色に輝いていたのには、不思議な美しさとシックな神秘性を感じた。早速、CDを購入して、最近はほぼ毎日聴いている。すっかり耳になじんでいたヴィヴァルディもヴァイオリンだけでなくハープの柔らかな響きが加わると、妙なる夢みるような空間にいるような気がしてくる。理想を言えば、軽井沢やヨーロッパの高原で降る星を眺めながらこんなハープの音楽が聴けたら最高なんだけれど・・・。

ハープ:グザヴィエ・ドゥ・メストレ
共演:ラルテ・デル・モンド

『「通貨」はこれからどうなるのか』浜矩子著

2012-08-12 17:46:13 | Book
先日、テレビ観戦をしたオリンピックのフェンシングの準決勝では、ラスト2秒で日本の太田選手がポイントを決めて40対40で追いつき、延長戦で見事に決勝に進出した。息のつまるような試合展開にまばたきもできず、一瞬の技が勝敗を決めた。究極の瞬間芸に審査員の集中力と気苦労を思いやったが、なんだか似ているのが為替の相場か。
私のigoogleには、FX為替レート情報を表示するように設定しているが、ずるずるとユーロ安(円高?)に地すべりしていく為替レートのゆくえが気になる。そんな私の前に神の天啓のように表れたのが、エコノミストの姉御の浜矩子氏による「『通貨』はこれからどうなるのか」という著書だ。で、いったいどうなるのか?

テレビで時々拝見するエコノミストの浜矩子には、時々、その奇抜なファションに思わず目が点になる時があるのだが、個性的なファッション同様に既存の常識からぬけだした独自の観点が、彼女の持ち味である。ワーグナーの超大作「ニーベルングの指輪」物語に通貨をなぞらえて語っているために、わかりやすい、おもしろい、とすっかり私などの素人は気に入ってしまったのだが、逆にそのよくできた”物語性”に、経済学は科学に近いと考えるもうひとりの私が、それでよいのか?との疑問を残す。しかし、それはそれとして、浜氏は通貨のよく当たる?評判の占い師というスタンスはとっていないので、異端ではあるが、この物語をたっぷりと入り込んでいくと、これほどおもしろい経済の本はない。新橋駅あたりの呑み屋で、夜毎くりひろげるエコノミストおじさんたちの格好のテキストになるであろう。

円高ドル安と言われながら、幾歳月。かって、1ドル=120円ぐらいが居心地がよいと言われていた時代があった。それが、100円台、90円台、80円台という成層圏に突入し、浜氏によると80円台を円安と受けとめる感覚は、それなりに経済の実態を反映しているものであり、もはや「過去の円高」の位置づけとなっている。日本経済は大赤字で、財政の建て直しのために消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法が、国民がオリンピックにうかれているどさくさに10日に成立した。こんな国の円が何故強いのか。

昨年度の日本の一般会計予算は約92兆円。この中で税収でまかなえるのは40兆円に過ぎない。国債発行を軸とする借金が総額44兆円に、これまでの借金の残高である公債残高はなんと800兆円にものぼる。ちなみに日本のGDPは500兆円。ギリシャ以上の借金大国なのだが、貸主は日本国民。日本人は国債を売らずに、国にカネを返せとは言わない。その一方で、日本は世界一の債権大国でもある。なんと国富(国や企業の資産ー負債)は2712兆円にものぼるそうだ。だったら、それをはきだせと言いたくもなるのだが、通貨の強さに関しては、どんぐりの背比べ時代に、これから円はドルにかわってダミーの基軸通貨の役割を担うことになるかもしれない。

又、円が日本全土で流通しているのは、中央政府の財政が国民経済の一体性を担保にしているからで、ユーロはユーロ圏全体で財政の一体性に欠けているため、通貨としては不完全である。そもそもユーロの成立は英国の政治家、ウィンストン・チャーチルの「欧州に与える助言はただ一言、”統合すべし”」という和平への言葉からはじまったのだった。EUはIMFと協力してギリシャへの2度に渡る金融支援体制をくんだ。昨年、欧州中央銀行(ECB)は、220億ユーロもつぎこんでスペイン、イタリアの国債買取を表明したが、かなり危ないモラルハザードにつながりかねない。おりしもIMFまで、ギリシャ支援に関し「IMFが交渉の席から立ち去ることは決してない」とまで明言しているのが、公正な助言などできるのだろうか。

いつか1ドル50円時代がやてくれば、今の為替レートも昔は円安だったということになる。そうなった時、浜氏は基軸通貨という存在そのものが不要となり、共同体レベルで通用する地域通貨の時代がやってくると見ている。「神々の黄昏」のニンフたちは、すべてが洗い流されたその時、再び指輪を取り戻して終わる。

「レ・ブルー黒書」ヴァン・サン・デュリュック著

2012-08-07 22:22:55 | Book
オリンピックも終盤を迎え、猛暑の日本に毎日メダル獲得の報道が届いてくる。なでしこの快進撃に続けとばかりに、サッカー男子も4強を決めた。

閑話休題。
勤務先には、2年前のワールドカップの時には、治安が心配された南アフリカまで追いかけていった猛者(♀)もいた。レ・ブルーLes Bleus。フランスのサッカー代表の愛称だそうだが、この言葉を聞いてもまるでよくわかっていないサッカー無知の私でもうっすらと記憶に残る事件があった。2010年6月20日、その南アフリカのナイズナで前代未聞の事件が勃発した。ワールドカップの真っ最中の正念場で、選手たちがトレーニングをボイコットするという暴挙にでたのだった。きっかけとなる前哨戦は、17日の試合中のハーフタイムにレイモン・ドメネク監督をニコラ・アネルカ選手がロッカー室内で汚い言葉で侮辱にはずまる。通常は伏字で報道している罵詈を「レキップ」にそのまま報道され、同日中にアネルカは代表追放処分となった。1998年に優勝、2006年には準優勝に輝いた栄光のレ・ブルーにとって、ここまでの一連の事件だけでも充分にフランス人の理解を超えた衝撃的な”デキゴト”だったのだが、モグラ(密告者)探しに躍起になる彼らはトレーニングのボイコットというありえないチーム・プレーを行うことによって、フランス代表は空中分解して瓦解した。

その日、トリコロールが哭いた―。
国辱もののフランスサッカー界に残された汚点。その日、いったいレ・ブルーでは何が起こり、何が起こらなかったのか。「レキップ」誌で20年以上にも渡り報道してきた第一人者による事件の真相にせまるノンフィクションが本書である。

エレガントなプレーで人々を魅了するが、影響力絶大なオレ様ジネディーヌ・ジタン。頭突きをした人、、、と言った方が私にはわかりやすいが。長期政権で疲弊して統率力がなくなっていったドメネク監督、役不足のキャプテンを務めるパトリス・エバラ、ティエリー・アンリ、フランク・リベリらの行動や幼児性を、著者は容赦なく裸にしていく。痛烈なユーモアさえただようフランス人らしい冷静な皮肉に、実はサッカーに対する著者の愛情が感じられる。

サッカーというフィールドではあるが、そこには現代のスポーツ・ビジネスの真実が見えてくる。所属しているビッククラブでは、億単位の報酬をえる模範的な従業員が、ひとたび国を背負うとゴーマニズムを通そうとする有名選手たち。ファースト・クラスのうまみを知り尽くした協会のお偉い面々や指導力が失墜しても地位に固執する監督。権謀が蠢き、嫉妬や打算がうずまく滑稽でダークな世界。プロのサッカー選手が華麗で知性的なプレーをする人とは思えないくらい、実に幼児じみた生態の野蛮人の集まり・・・のように思えてくる。王国は、王国になればいつかは崩壊するものであり、そのきざしは少しずつ、しかし、確かに芽生えていたのだった。サッカーだけではないが、スポーツビジネスには巨額なマネーが動く。今さらスポーツマンシップなどと言いたくはないが、蝕まれた世界はいつかは衰退していくものだ。そして、ここに書かれたかって最強軍団と賞賛されたにも関わらず、崩壊したフランスのビジネス事情は特別ではない。

日本のサッカー男子は4強に入る快進撃だった。快挙と言いたくなるが、日本のプレーの質の高さから、世界ではこの成績を当然と受けとめられているようだ。
「本当に良いチームで、労を惜しまない勤勉さは見事だ。彼らはこの大会の評価基準であり、我々が追いつかなければならないスタンダードだ」。
英国代表の中心選手のクレイグ・ベラミーは、FIFAの公式サイトでこう賞賛していた。彼のような知性的な感性が、レ・ブルーには欠けていたのではないだろうか。

くだんのボイコットした練習場は、ホテル側が元はクリケット場だったのをレ・ブルーのために整備して待っていた施設だ。何十キロ四方にも渡る広大な私有地にもかかわらず、FIFAが負担した。その場所は「フールド・オブ・ドリームズ」と名づけられていた。