千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

本質をつかむ知を養いたい

2005-04-29 23:01:35 | Nonsense
「本質つかむ知を養え」 東大入学式で小宮山学長 (共同通信) - goo ニュース

今年は桜の開花が遅いと思ったら、ゴールデン・ウィーク初日の今日はまるで初夏の陽気。
そんな季節はずれの話題だが、気にとめていたのが今年の東京大学入学式小宮山学長の式辞である。
毎年必ず関東圏各新聞で紹介される話題にのぼるのが、この東京大学の入学式である。

(ところで、私がもっとも気に入った某大学の式辞の一部を引用したい。
「大学は、端的に表現すると、知性を育む者の共同空間である。”ひと”という生物は、多くの動物が本能というプログラムで生命活動を遂行するのとは異なり、知性によって生き方を定める。大学という空間に青春を配することは、極めて不安定な精神を知性の充実によって、次第に安定化させようとする行為だと言える。安定化とは何か、知性を通じて己の人生を自立的に定めてゆくこと、すなわち己の生き方を自ら定めることである。」)

小宮山学長式辞全文

ここで小宮山学長は、ゲーム・コンピューターなどひとりの世界に閉じこもっていて人との関わりあいが薄くなっていることは人生を生きていないと憂慮すると述べている。おっしゃりたいことはよくわかるが、必ずしもPCに向かうことが”ひとりの世界に閉じこもり、ひとと関わりの希薄さ”には結びつかないともいいきれないと考える。
否定するひとも多いだろうが、ネットでの出会い、相手の顔も知らない出会いでも、重要で貴重な出会いになることもある。

さて、明日から5日までネットから遠ざかる予定。
ブログをはじめて4ヶ月ちょっと、いまだにたいした訪問件数のないまるではやっていない裏道の喫茶店のようなブログだ。なにしろ店主は変人だし、第一話題がいけていないしね。でもクラシック音楽が流れて、オリジナリティのあるできれば本質をつかんだ”痴”と知のある小さな部屋に改築中。ユーモアも忘れずに。では、再見。


検察審査会レポート9

2005-04-29 16:57:27 | Nonsense
一昨日の検察審査会をもって、前期平成16年度第4群の方たちは任期満了につき修了された。
午前中は、前回議号案の議決書の草稿が、事務局長より読み上げられ審査員の署名捺印によって、無事修了。
その後、好天にも恵まれ正門の地方裁判所、検察審査会のプレートが入る位置で記念撮影。(検察審査会の存在がわかるのは、なんとこの正門のここのプレートの記載のみ。以前は、建物内に表示もあったが、申立人の方がいきなり会議中に入ってきたこともあったりして、なにかトラブルや傷害事件が発生して審査会メンバーに迷惑が及ぶことを懸念して、現在のように会場はいっさい公表されなくなった。確かに事務局の方には、なにかと問いあわせの電話やら、見当違いの文句を言ってくる方もいるらしい)
午後からは、雑談も交えてそれぞれの感想を述べて修了式を行い解散。
その後、みなさんと某所で親睦会でおおいに盛り上がる。

我々1群は午後1時より事務局の計らいで公判を見学した。
傍聴席は18席。常に席の数は18の倍数とのこと。見学した事件は、被告人がちょっとしたでき心で路上に駐車してあった鍵つきの車を、親戚の車であるという気安さから乗って帰ってしまったという内容で、初犯だった。
テレビ番組でおおよその雰囲気と流れを知っていたが、まさにあのような感じで
人的質問→起訴状朗読(紙1枚)→黙秘権等の告知、その後検察官の冒頭陳述、被告人・弁護人の冒頭陳述が続き、証拠の提出、証人の証言や立証などが続き、最後に論告・求刑、弁論、被告人の最終陳述がおわり、次回判決宣告する日程を予告して終了。この間50分程度。

裁判官は単独事件だったので1名(合議事件の場合は3名)、裁判官も30代の女性だったが、検察官が若くて可愛い女性だったのには、ちょっと驚き。黒いパンツスーツ、白いピンとしたシャツ姿で髪をポニーテールにアップし、片手にふろしき包みをさげて歩く薄化粧の彼女は裁判所でもめだっていた。立ち居ふるまい雰囲気が実に珍しく清々しい女性だったから。秘書かと思っていたら、なんと法廷で検察官のお仕事をしていたのだ。父親に近い年長の被告人を立場上厳しく追及する姿が、まるで似合っていなくてお芝居をしているように感じられた。
閉廷後、短い時間だったが私たちの質問にこたえる時間をくださった裁判官には改めて感謝したいが、その時に司法試験に合格し、1年半の司法修習生の期間を経て、半年前に検察官になったばかりと応える彼女の照れた笑顔が、本来の人柄なのだろう。(この話から大学卒業、3年間のロースクール、研修生と法廷の場にたてるにはやはり時間がかかることを実感した。支援する親の経済的負担もなかなかである。)
当然ながら夜の呑み会では、男性軍の話題にものぼった。こういってはなんだが、顔も良い方がいい。

黒い法衣はなにものには染まらないという意を表しているそうだが、同じ司法試験をとおり法廷で対峙しても、裁判官、検察官、弁護士、これらの役割、求められる職務にはかなりの違いがあると実感した。

「白の鳥と黒の鳥」

2005-04-26 23:38:45 | Book
以前、タレントのタモリがナビ・ゲーターをした「世にも奇妙な物語」というテレビ番組があったが、今でも時々放映されているのだろうか。

著者いしいしんじ氏のこの短編集は、残酷なのにあたたかったり、優しいのにこわかったり、日常的なお話しがいつのまにか奇妙な迷宮にいたり、そんな不思議な物語に読者をあやしく誘い出す。まるで、笛吹きの名手が森の奥に村人たちを連れて行くかのように。

こういう奇妙なファンタジーは苦手である。それでも、最後まで一気に読んでしまったのは、いしいしんじ氏の発想の鮮やかさと、なんといっても語りのうまさにあろう。どの物語も小学生でも読める平易な言葉遣いで書きながら、単語のひとつひとつ、文章の流れには、まさに笛吹きの名手の如くいつのまにか人のこころに入り込む魔術がある。

短編映画でもそうだがこうした短編小説は、奥の深さというよりも表現の凝縮された鮮やかさに多くの読者が好むか好まないかによって、作品の評価が決まるように思われる。
なかでも秀逸だと思ったのは

■「すげ替えられた顔色」
駐在所に勤務する新米おまわりさんのところに、早朝若い娘が頭をぼろきれでぐるぐる巻いて、「顔を盗まれた」と泣きじゃくる。ようやくなだめておそるおそるぼろきれをゆっくりほどいたが、そこにあるのは見慣れた散髪屋の娘の顔。けれども本人は、これは偽もので自分の顔ではないと主張する。しかも翌日から次々と同じように自分の顔を盗まれたと訴える娘やおばちゃんが続出し、家に閉じこもるようになった。
そんな或る日、なにかと話題の多い村長の奥さんの顔がやぐらのてっぺんに引っかかっていることから、村中が大騒ぎ。
さてその後、その村はどうなったか。
ちゃんと自分の顔が盗まれないように、今日も鏡でしっかり観察しておこう。
「鏡に映る顔、それが本当に自分の顔だという自信はありますか」

不思議な、ちょっとこわい旅をしたい方、もうすぐゴールデン・ウィーク。この本を手にとってはいかがかな。

『愛の神、エロス』

2005-04-25 23:41:01 | Movie
「エロスの純愛」「エロスの悪戯」「エロスの誘惑」・・・ある女性曰く、エロ巣、エロ酢、はたまたエロ素か。エロス3連発★

そんな冗談でこの映画は斬れない。なにしろ、世界的な3人の巨匠がエロスをテーマーに描いた「至高の愛のトリコロジー」格調高い映画なのである。(”至高”というよりも”嗜好”の愛といった方がわかりやすいが。)けっしてポン(=Gackt語で全裸のこと)の姿に目をギラギラさせたり、喘ぎ声に耳を全開してはならないのである。エロでなくエロスとは、”猥褻”でなく芸術だから。
以下は私の独断と偏見による感想。

■「若き仕立て屋の恋」
1950年代の香港、高級娼婦のホァイ(コン・リー)のアパートに、新米のチャン(チャン・チェン)が豪華なチャイナ服を仕立てるために訪問する。この映画はその日から、落ちぶれて病に冒された彼女を陰気な雨の降る日に訪ねていく最後の日までの、チャンの哀しい恋の物語である。ホァイは、チャンの自分への狂おしいまでの気持ちを知っていながら、けっして彼を恋の対象には考えない。どんなに彼が仕事でりっぱで優秀な仕立て屋に成長しても、彼が水のしたたるようないいオトナの男になっても、プライドの高いホァイにとっては彼は最初からただの召使のようにつかえる仕立て屋なのだ。だから、彼が服の仮縫いをしている最中に、パトロンに必死にお金をせびったり、男に罵声を浴びせられ捨てられる姿をもさらせる。そんな屈辱的な扱いもチャンはすべてを受け入れて耐える。その主従・支配関係を徹底的に教えたのは、最初の出会いのホァイの原題でもある”THE HAND”。
高級娼婦にとって、女を知らない青年のこころを支配するのは簡単だ。最初が肝心。よく躾られた忠犬のような仕立て屋チャンは、その肉体のすべてを採寸し、仮縫いしてふれた手が覚えている。ホァンとの性的な交わりは鏡の奥、チャンの手のひらに残る感触の記憶のかけらが何回も何回もエクスタシーの頂点に導いていく。
当時のため息のでるくらい美しいチャイナ服が、映画監督であるウォン・カーウェイの描く美に、もうひとつのエロスを見事に華開かせている。ドレスの光沢と布の重い質感が体のラインを描くのを感じるだけでそこにエロスがある。そしてホァンは明るい太陽でなく、日のささない湿った室内で咲く花だ。まるで吉行淳之介の小説のヒロインのように。

■「ベンローズの悩み」
ニック・ベンローズ(ロバート・ダウニーJr)は1950年代のアメリカの広告マン。明るく自信に満ちていた当時のアメリカで、資本主義のアダ花ともいえる”広告”業界で活躍してきたニックだったが、近頃スランプに落ちて朝の目覚めが大変悪い。なにしろ毎日同じ女性がお風呂に入り、青いよそいきの服に着替えるのだから。そんなことから夫婦の関係もひんやり。精神科医のパール博士(アラン・アーキン)を訪ねて治療にあたるのだが。
ジャズのような音楽にあわせて、女性が入浴し、青いドレスを着て帽子をかぶり、手袋をはめる場面は象徴的だ。そこには、毎日時計のように同じ時間帯に勤務し、仕事に追われ、家族や職場のものから管理されている抑圧されている男の滑稽さがある。同僚のハゲ隠しのかつらのように、意味のないことなのに、真剣に悩むニック。老いて益々お盛んそうなパール博士に比較して、そこにあるのは「エロス」のお仕事からレッドカードをだされてしめだされた哀れな男なのだ。
ハゲを隠すために鬘をかぶるのはやめよ、たとえ親しい仲間であろうと、はっきり忠告することが最も大事なことである。

原題”Equilibrium”均衡が破られたときに、エロスがたつ。
監督はスティーブン・ソダバーグ。

そして最後は
■「危険な道筋」
倦怠期を迎える中年夫婦、クリストファー(クリストファー・ブッフホルツ)と妻クロエ(レジーナ・ネムニ)にとっては、別荘のあるトスカーナの夏の光もただうとましいだけ。口を開けば、口論になり、海辺のレストランでも隣席の大テーブルでにぎやかない談笑しながら昼食をとるグループを横目に、けだるい空気がただようばかり。
そこへ、岬の塔にひとりで住む野性的で若い女性リンダ(ルイザ・ラニエリ)がとおりがかって挨拶する。クリストファーは塔を訪問し、リンダとベッドをともにする。帰りぎわに、彼女の足の指を挨拶がわりに舐めるクリストファーの、階段を降りる足取りは軽い。まるで、軽くスポーツを楽しんだかのように。
晩秋が訪れ、リンダは「私の愛はかわっていない。あなた次第よ」と告げるが、電話の向こうの彼は遠い存在だ。
波が打ち寄せる浜辺で服を脱ぎ捨て、のびのびと踊るリンダ。やがてそこに、妻クロエの軽やかに踊る姿が重なる。
映画のもうひとりの主人公は、夫が運転するブルーの高級スポーツカーである。田舎の自然な風景に、車の鮮やかなブルーがいかにも排気量の多そうなエンジンの音とともに疾走する。このモダンな車は、91歳の映画監督、ミケランジェロ・アントニオーニの視線である。精神の若さを誇るかのような、シンプルでおおらかなエロス。

エロスの道は、ひとつの美しい肉体を愛することから、身体のうつなる美、魂の美の尊重へ、そして美しい人間の営みから学問の愛好、最後には神的な美そのものを見ることにある。


韓流経済のいま

2005-04-23 15:59:38 | Nonsense
今夜も「オールイン」を観なくちゃ★
けれども韓国ドラマを観ていると、ふた昔前のこどもの頃の昭和時代の匂いがしてくるのは何故だろう。不思議だったのが、ヨン様が「冬のソナタ」でコートを着たまま車を運転していたり、喫茶店でお茶していたこと。また母親が世界的なピアニストなのに、実家のピアノはアップライトだったこと。映画つくりのセンスは抜群だと評価したいが、韓国はよく言えば保守的だが、財閥の存在も含めて前近代的なお国ぶりなのかもしれない。

近くて遠かった韓国に、多少の関心をもったのだからこれを機会に韓流経済のイマをききかじってみようか。

1997年IMFからの支援を余儀なくされた韓国経済だが、その後見事にV字回復して日本経済を脅かすまでになった。
何しろ、咳をすれば韓国経済が肺炎になる(まるでどこかの国同士のようだが)とまで言われるサムスン電子の純利益はトヨタ並の1兆円!◎◎
そのマッチョな韓流経済の勢いのなぞは。

1.社員教育
サムスングループがつくった研修所では、新人から役員に至るまで階層、目的別にプログラムを組まれていて、年間3万人がここで理念をたたきこまれ養成されている。人はお金だけでなく、仕事に対する高い意識も必要だと私も思う。

2.人材の優秀さ
経営陣の殆どがMBAフォルダー。余談だが、「秋の童話」のシネも米国でMBAを取得している。しかも世界中でヘッドハンティングをして、珍種も大切にするようになった。つまり真に人的資源が豊富なのだろう。

3.通貨危機の厳しさを体験することによって、経営判断のスピードが速い。もちろんそれ以前のマーケティング能力、生産ラインの切り替えの早さはいうまでもない。

4.成果主義の導入で社員のモチベーションを高めるのに成功。
業績がよければボーナスもはずむ。能力も低く会社への貢献度が低い社員は組織を設けて転職を斡旋する。ただのリストラとは違うようだ。

5.もともと日本よりも半分以下の人口なので、はじめから海外を視野に入れて商品開発している。
だから海外での競争力もついたのではないか。

あなどれない韓国経済。「天国の階段」クォン・サンウではないが、地味な顔だちでめだたないが、”脱いだらすごい”だった。

とはいっても問題もある。光りがさせば、必ず影もできるのと同じ。

1.経済危機依頼、雇用形態が変化し、短期雇用の割合が増えている。既存の雇用を守るために若者が締め出され、彼らの閉塞感は強い。「冬のソナタ」は比較的裕福な家庭の子女達だったから、あれが標準ではないのはわかる。

2.株価は好調だが、ファンダメンタルによる要因でなく、単に庶民が銀行窓販で投信を購入して、それが株式運用されているだけだ。もし事情がかわり解約があいついだら一気に失速する。

3.対日慢性貿易赤字で、結局日本のメーカーの優秀な部品や機械に頼らざるをえない。
韓流ブームの勢いもまだまだ赤字解消には追いついていない。

4.底辺をしめる数多くの中小企業は育っていない。
「美しき日々」でセナたちは一部屋に雑居して、屋上でホースから水を流して髪を洗っていたっけ。

5.既得権益を守る勢力が強い。
韓国建国以来支配してきたエスタブリッシュメント出身でない廬武鉉大統領によって、こうした層も改革されるという期待があったが。今のところディスクローズを徹底させるが、財閥パワーは活用していくというコンセンサスになったのだろう。

けれども、私は韓国映画を観るけれど、やっぱり現代自動車に乗ってみたいとは思わない。それはイ・ビョンホンの演技力を高く評価し、成熟した男の魅力をも認めるが、会話をしてみたいとまでは惚れないのと同じかもしれない。

*参考:「週刊東洋経済」

ウィーン・フィルの厳しい掟

2005-04-22 23:17:55 | Classic
なんともはや残念。
今日帰宅途中の本屋さんで「週刊新潮」の音楽情報を立読みしたのだが、ウィーン・フィルのチューバー奏者として東洋人初の正式団員入りを期待されていたSさんが、試用期間をおえて合格できなかったとの記事を読んだ。

ウィーン・フィルは改めて言うまでもないが、格別音楽ファンでなくとも誰もが知っているであろうベルリン・フィルと並ぶ、歴史と格式を重んじる世界最高峰のオーケストラである。母体はウィーン国立歌劇場管弦楽団で、有志が集うが女性奏者がいないこと(外部圧力に負けてお年を召したハープ奏者を入れたらしいが)と、ドイツ・オーストリア系の演奏者で構成されているという純血主義という点でも、稀有なオケでもある。(何しろ真面目で練習熱心な日本の音楽家は、今や世界中の主要なオケに進出しているのである。ベルリン・フィルのコンマスだって日本人だ。)
そんななかSさんは、ウィーン・フィルの音楽監督でもある小澤征爾氏主催の公演に来日していたバストロンボーン奏者と共演したときに高い評価を受け、推薦により第4次まである厳しいオーディションをクリアーしたのである。

1年間の試用期間を経て、正式団員に決定したらそれこそ”歴史的快挙”と言っても大げさではないくらいの、熱い音楽ファンの期待を背負ったいたのだが、残念なことに25名中過半数の同意を得られずリタイアとなってしまった。

もしかしたら美しい音楽を聴いたことがないのではないかと疑うくらい音楽家にはシニカルで厳しい批評をする「週刊新潮」の記事によると、その原因のひとつとしてあるヴァイオリニストとの結婚が挙げられていた。その女性ヴァイオリニストが学生時代、「毎日新聞学生音楽コンクール」で優勝した時の演奏を聴いた時の印象では、音楽性よりも美少女ぶりがその名前とともに私には記憶に残った。格別な個性はないけれど、音楽家の両親のもとで堅実に演奏技術を磨いた彼女は「日本音楽コンクール」でも高位に入り、順調に演奏家として活躍をはじめたばかりである。Sさんがそんな美貌と才能に恵まれた女性とウィーンで”正式に”結婚し、妊娠して大きなお腹になった妻とよく歩いていた姿が目撃されていたことにも今回の結果に至ったのではないかというのが、音楽評論家の解説だ。
つまり精進して寸暇も惜しんで練習をしなければならない時期なのに、そのような生活ぶりでは仲間としてはやっていけない。

そのような音楽事情通の噂の真偽を疑ってしまうのは、私だけだろうか。
もしSさんが、ドイツ人、オーストリア人或いは生粋のウィーンっ子だったら、また違う結果になったのではないかという残念な気持ちは捨てきれない。或いは結婚した妻がごく平凡な方だったらどうであろうか。

ウィーン・フィルの姿は、その奏でる音色のように眩しい光りに満ちている。けれどもある人種でかためたその姿はいつまで続くのだろう。
ちなみに繊細な音を奏でる私も好きなコンマスのライナー・キュッヘルさんをはじめ、日本女性を妻にしている団員は多いのだが。

「内側から見た富士通」The Inside of FUJITSU

2005-04-21 23:37:09 | Book
「純粋に会社が憎い」
こう富士通の中堅エンジニアは言った。彼は通常勤務の時期は意図的に残業時間を増やし、裁量労働制になるや夕方には退社するというサイクルを数年続けていた。別に残業代が欲しいわけではない。残業時間の多いものは裁量労働制を適用、少なければ不適用、毎年春に上司と面談して前年の残業実績で決めるやり方を「詐欺に近い」almost trickというのが彼の主張だ。
サラリーマン生活の経験のある者は、多少なりとも会社に理不屈さの悔しさや処遇に不満をもったことはあるのではないだろうか。しかし憎悪まで抱かせるのは、よほどのことだろう。

1973年生まれの著者の城繁幸氏は東京大学卒業後、成果主義performance-based pay systemを素晴らしい制度と先輩から説明され、自分の実力で将来を開けると信じて富士通に入社した。ところが希望どおりの人事personnel managementの仕事に従事して、見て聞いて、知りえた外資系経営コンサルタントによって導入された成果主義は、様々な点で問題があり、ついに日本のリーディングカンパニーleading company をなかば崩壊collapseさせるに至った。

本書は、かなり話題になり、また多くの読者に読まれている。成果主義という制度を何らかの形で取り入れている会社がすでに7割に及ぶこと。年功序列seniority-based system世代と新世代が混在している点で成果主義の導入によってきしみが生じやすい懸念。評価が給料pay、つまり生活にダイレクトに反映される不安。会社生活をおくる者にとって関心が高いことを示しているのであろう。

ここでどのような問題が噴出して、その結果富士通がどのような事態に陥ったのか、そのすさまじい実態を解説してもあまり意味がない。すでにこの本の存在によって成果主義が見直されはじめているし、我々も成果主義というモチベーションを高めてくれそうな言葉の裏に、人件費を抑えるためという内実も知りつつある。それよりも著者自身が言っているように日本型の成果主義を模索すべきなのであろう。そこに単なる暴露本とは違う、「人間は未来にために働いている」という哲学があるからである。

余談だが光文社のこのような英語交じりの「4重表記」というのもどうなのであろうか。読みにくいだけで、あまり意味がないと思うのだが。

その後、冒頭で紹介したエンジニアはどうなったのか。勿論、退職した。嫌気がさしたからではない。きっかけは課長昇級の話がきたからだ。「評価されるのはありがたいが、自分が課長になって詐欺の片棒を担ぐのは、もっとイヤだから。
この季節、通勤電車の中でいかにもリクルート活動中という感じの大学生を見かける。彼らが、能力のある者はそれを存分に活かせる会社、そこそこの者にとっては働くことの喜びと達成感の味わえる会社、そんな会社に就職することを願ってやまない。

さて、あなたの会社では「目標管理制度」なんて導入していない?

検察審査会レポート8

2005-04-20 22:42:06 | Nonsense
平成17年度第1群にとっては8回めだが、平成16年度第4群のメンバーにとっては実質最後の議案になるであろう、フィナーレにある意味ふさわしい審議になった。

結論をだすのは比較的簡単で、一般人の民意がイコール社会通念だということを認識したような内容だった。しかし個人的には、検察審査会に出席してからずっと考えていた、”法とはなにか”という法哲学にもつながる根本的なことを改めて考えさせてくれる申立人の主張ではあった。法律によって個人は守られている反面、当然ながら規制もされている。個人と社会、社会における個人、そんなことも考えている。

現在の議長はこんな上司に就きたいと思わせてくれる、人間的にも成熟したオトナの男性のモデルのような方だ。議長のものの考え方も私は好きである。今日は議長にとって記念すべき最後の議決にあたり、そんな方から、出席者の中から私の意見書をとりあげて評価していただいた。大変嬉しいことだ。

来週は、今日の議決をまとめた草案の推敲、午後からは非常勤公務員の任期が終了する4群の方達は検察庁へ、私たちは実際の公判を傍聴して勉強するという予定になっている。

フジVSライブドア終結宣言

2005-04-19 23:42:50 | Nonsense
フジ、ライブドアが提携合意 2カ月の買収攻防に幕 (朝日新聞) - goo ニュース

70日間に及ぶライブドアVSフジテレビの劇場型仁義なき戦いは、当初の懸念どおり想定の範囲内で手打ち式を終えた。
つまりホリエモンのかかげる”メディアとインターネットの融合”という新しい風が吹く前に、買い付け価格と同じ価格でフジテレビに株の譲渡とはいうものの、440億円の第三者割当増資引き受けを承諾させ、実質高額なmoneyを一挙にせしめた、ということだ。

それともライブドアの株価下げで資産価値も急落しているから、双方ともに痛み分けといえなくもない。
そしてやっぱり、というか誰もが最初から予測していたように、当然のごとくリーマン・ブラザースは確実に大もうけ、村上ファンドも漁夫の利を得ているはずだ。

プロ野球参入とこの買収劇でさほど知らなかったホリエモンという人物の、新世代経営者の横顔は。

「お金で人の心は買える」「女は金についてくる」こう豪語しているから、旧世代の浪漫派からはすっかり嫌われてしまったが、私にはホリエモンの寂しい独り言にも聞こえる。お金以前に、もっと大きなビジョンと意気でビジネスに関わる人物はけっこういるのである。そのような大なり小なりの物語は市井にうずまっている。NHKの「プロジェクトX」だけではない。もっとももしかしたら、ホリエモンは、そういうビジネスの関わり方そのものを否定しているのかもしれないが。
それから女性。確かにお金についていく女性は多いだろう。特にお金もちには自然とそういう女性が集まるものだ。しかし、逆にいえば、ホリエモンが本当に好かれたのは自分でなく、銀行の通帳だったということを告白しているともとれる。なんともいえない孤独で寂しき実像だ。

ただひとつ弁護したいのは、彼のカジュアルなスタイルを旧世代の方達は非礼だと非難するが、若々しく経営のスピードを期待させてくれるいでだちである。あのビル・ゲイツだって、記者会見の席ではボタンダウンのシャツにセーターという清潔なアメリカンカジュアルでいどんでいる。もしホリエモンが高級なイタリア製のスーツなどお召しになっていたとしても、それこそ老けてみるし金満家の悪いイメージもただよいそうだ。但し、女性の目から見てひとこと、太めの男性は好みだがTシャツを着るにはあと数キロ体重をしぼるべきだ。

そして新聞は経済、テレビは娯楽に特化という考え。
それも結局、金儲けのための情報提供と娯楽しかメディアの役割は必要ないという考えなのだろう。買収されそうになったとき、公共放送うんぬんとフジテレビ会長はのたまっていたが、そんな大義名分を失笑されるようなお粗末な番組がフジテレビには多いとは思う。しかしながら、メディアの重要な役割としての”報道”という原点でもあり真摯な概念を無視しているところに、ホリエモンがなにを考えているかわからない奴だという反発にもつながるのだろう。インターネットが普及したら従来の紙ベースの新聞は不要になるという予測もあるが、私は今後も新聞は報道機関のひとつとして生き残ると考えている。

買収という経済行為から始まった今回の劇ではあるが、メディアにおける役割をも考えさせられた終幕でもあった。


「オールイン」

2005-04-18 22:34:30 | Nonsense
見てはならないモノを見てしまった↓・・・思わず視線をそらしたいイ・ビョンホンのお姿

  

いまどき「オールバック」の髪型は、Vシネマ王の竹内力さんか、タレントの西川きよしさんしか見かけないと言いたい、だっさくないか昨日から放映開始「オールインのこの姿は。
室長、、、どの瞬間もクールに決まっていて日本の女性ファンを獲得していたのに、今度はテレビチャンピオンの司会者の”あの方”のような香りがただよいそうないでだちに、ちょっとがっかり。それも韓国ドラマだからという自分にいいきかせる好意的な考えもあるが。

実在したギャンブラーをモデルに波乱万丈の人生を描いたドラマということだ。そのギャンブラー(ドラマではイナ)を演じるのがイ・ビョンホン、彼の運命の恋人になるのがミン・スヨン(ソン・ヘギョ)。韓国ドラマは最初の3回ぐらいは、少々そのストーリーの背景になじむまでがつまらない。今回も映画館の舞台設定、イナのいかさま賭博師であるおじを含めた家族や、後に友人になる優等生の家族など、大昔の日活映画を観るような展開とドラマじたてに、感情移入するには素朴なこころを用意しなければならない。

しかし、回がすすむごとに自然と物語を楽しめるようになるのが、やはりテレビドラマの映画にないおもしろさというものか。
今後映画とはひとあじ違う、イ・ビョンホンの演技に注目したい。

オールインとは、持ち金をすべて賭博にそそぎこんでいる状況のこと。すなわち、いっときのニッポン放送株を買い増ししていたホリエモンのような渦中にいることだ。