千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『列車に乗った男』

2011-11-30 22:05:08 | Movie
本作は本国では20万人もの観客を動員したそうだが、日本では地味な単館ロードショーでたいして大きな評判にもならずに終わっていたような気がする。実際、私も友人に薦められたのにも関わらず、今頃DVDで観ているし。しかし、断言するが 『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』で究極の愛を描いたフランスの監督パトリス・ルコントの最高傑作だ!

その男、ミラン(ジョニー・アリディ)はさびれたリゾート地に列車に乗ってやってきた。スリムな体躯に着古した皮ジャンをはおり、眼光鋭い中年のその男は、一目見てアウトローな男だとわかる。日が暮れかけてシャッターの閉まっている商店街で唯一開いていた薬局に入り、頭痛薬を求めるミランは、そこで身なりのよい初老の紳士マネスキエ(ジャン・ロシュホール)と出会う。その偶然の出会いがもたらした、ふたりの男の3日間。ふたりの男が一緒に過ごした3日間。何から何まで正反対で対照的なふたり。寡黙な傍観者として女性に好かれたいと語るマネスキエは、定年退職をした元フランス語の教授で、生まれた時から大きく居心地のよい屋敷に住む。次から次への沈黙を恐れるような彼の饒舌に少々うんざりしているミランこそは寡黙な男で、15年間サーカスのスタントマンとして働ていた経験のある流れ者。定職もなければ、定まった住居もない。しかし、彼らにも共通点はある。それは、孤独であること。そして、自分の人生に疲れていること。彼らはいつしかお互いの人生にひかれていくようになるのだったが・・・。

すべてにおいて、余計な演出も会話も削除されたシンプルな進行は、スタイリッシュささえ感じられる。蒼く淡い色調の映像が、孤独なふたりの心象風景を表現しているような美しさがあり、朗読される詩、ギターの物憂げな音色とシューマンのピアノ曲が彩っていく。そして、ふたりの会話のひとつひとつ、映像の一場面ごとが絶妙であたかもいぶし銀のような趣がある。
ミランは、夕食の時にマネスキエにある願い事をする。それは、生まれてから一度も履いたことのない室内履きを試してみたいということだ。早速、いそいそと室内履きを持ってきてミランにはかせて悦にいるマネスキエ。「いいもんだな」と呟くミランに、これまでの落ち着きと安らぎのなかった彼の人生がすけてみえてくる。その一方で、たった一度、パリに行った経験しかないマネスキエは、カバンひとつをもって列車に乗って放浪の旅に出ることに憧れているが、それが叶わない理由があった。そんなふたりの人生が交錯していき、邸宅の鍵と旅行カバンを交換する夢をそれぞれにみるようになる。人生の曲がり角、踊り場にたった時、或いは、自分に残された人生がもう短いと悟った時、もうひとつの人生があったかもしれない、別の人生を考えることは誰にでもありそうだ。なんともせつなく、身につまされるような気持ちになる。

友情というには、あまりにも儚かったふたりの3日間。孤独が互いをよびよせて、ひかれていくふたりの魂。究極の愛を描いたルコントは、本作で男の究極のダンディズムを描いている。ミラン役を演じたジョニー・アリディは、かってはフランスのプレスリーとまで呼ばれたロック界の大御所で、パトリス・ルコントの作品に出演することを熱望していたそうだが、まさに彼のために用意されたような役だった。人生の夢を失いかけた男の悲哀をそのたたずまいだけで演じたのは、お見事であり、こういう男に女性は色気を感じるものだ。勿論、ルコント作品の常連であり、大ベテランのジャン・ロシュホールの表情のわずかな動きですべてを語る演技にもひきこまれた。ラストの場面、ふたりの男の瞳の淡く透明な水色が、なんともの哀しく映っていたことか。才能ある監督によるフランス映画らしい完成度の高い1本である。

監督・パトリス・ルコント
2002年フランス製作

■アーカイヴ
『親密すぎるうちあけ話』

『サラエボ,希望の街角』

2011-11-28 21:44:25 | Movie
ネマニャ・ラドゥロヴィチという凄いヴァイオリニストがいるのだが、彼のプロフィールには「ユーゴスラヴィア生まれ」と「セルビア生まれ」とふたつある。セルビアはセルビア共和国として存在しているが、ユーゴスラヴィアは事実上解体してなくなっている。祖国を失うということは、なんと哀しいのだろうか。

旧ユーゴスラヴィア連邦が解体する途上ではじまったボスニア紛争は、1992年にはじまり3年後に一応の終息するまでに、死者20万人、難民や避難民が200万人も発生したと言われている。そのボスニア紛争から15年。美しいルナ(ズリンカ・ツヴィテシッチ)は航空会社の華やかな客室乗務員として充実した日々を送っている。私生活では、管制官でもある恋人のアマル(レオン・ルチェフ)と一緒に暮らしている。目下の目標は、1日も早く愛するアマルとのこどもが授かること。
しかし、そんなふたりの愛情生活も、アマルのアルコール中毒が職場で露見して謹慎処分を受けた頃から暗転していく。旧友と再会したアマルは、彼に誘われてイスラム原理主義に傾倒していくようになったのだった。アマルは、もう恋をした彼ではなく別の人格に豹変していくのだった。。。

ルナは溌剌として、客室乗務員の制服も似合うがお洒落でもある。仕事で海外にも行き、友人とクラブで思いっきり遊んだりもする。現代の日本女性とそれほど変わらないようにみえるのだが、過酷な戦禍をくぐってきた経験を抱えている。また、アマルも戦場を経験し、弟を失っている。弟のお墓参りをしたアマルの背後には、延々と膨大な新しく白い墓標がひろがっている。ボスニア紛争から15年。新しい街、サラエボには新しい光が満ちていて、人々は満ち足りた表情をしているようだが、紛争の痛みはそう簡単に癒されるものでもない。

しかし、それとは別にアマルがイスラム原理主義に傾倒していき、法律で禁じられている多重婚や結婚が認められない年齢の少女との結婚を法律の上に神があると認め、正式な結婚をしていないからと性交渉を拒んでいく姿を見ていて、私が思い出したのはオウム真理教である。映画では、過酷な紛争体験がひとりの青年をイスラム原理主義に向かう姿を映していたのだが、私たちは、戦争など経験しなくても、格別な体験などなくても、真面目で優秀な青年が新興宗教に傾倒して不寛容どころか犯罪すら犯す姿を見てきた。信仰は尊いと理解しているが、もし夫なり、恋人や或いは友人が新興宗教にのめりこんでいき、これまでの習慣や考え方が激変し、しかも人の意見に耳を貸さなくなったら関係を続けるのは難しいだろう。ルナとアナルはあんなに愛し合っていたのに。空港で抱き合い、夢中でキスをするふたりの姿は誰も入り込めない信頼と愛情で結ばれていると思えたのに。

イスラム原理主義の女性が、顔まですっぽり覆った黒いニカブをつけながら「西洋の女は女性らしさを失った。仕事ばかりでこどもを産まなくなった」と言っていたが、近代国家の歴史のひとつは女性の自立と自由の獲得にある。最近観た映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』で女性であるということだけで作曲を禁じられ、ヴァイオリンをとりあげられたモーツァルトの姉ナンネルのことを考えると、女性が男性に服従するイスラム原理主義には不安を感じる。やはり、その理由として他の宗教や考え方を寛容しない姿勢にあるからだ。

かってのサラエボは、イスラム教を中心に、セルビア正教、カトリックなど、異なる民族と宗教が共存する自由な街だったそうだ。

■あわせて読みたい本
「戦争広告代理店」高木徹著
「さよなら、サイレント・ネイビー」伊東乾著

「ゴッホの遺言」小林英樹著

2011-11-27 15:01:52 | Book
ゴッホの絵の本物を、初めて観た時の衝撃は忘れられない。
どんなに優れた高価な画集でも、実物のもつ芸術性をすべて再現するのは不可能であるが、ゴッホほど写真と実物に乖離がある絵画はない。まじかで観た絵の筆遣いは、呼吸をしているように観る者を圧倒してくる。その才能にも関わらず生前は不遇だったゴッホだが、今では、世界中に知られている名前と作品についてまつわるのが、炎の人ゴッホが狂気の果てに自殺をしたという事実でもある。しかし、彼に拳銃を握らせたのは、”狂気”という病だったのだろうか。本作は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)のある有名なスケッチを贋作であると証明し、さらに自殺の真相にせまる。

本作が出版されたのは1999年で、日本推理作家協会賞を受賞し、ベストセラーになったそうだ。・・・そうだ、と表現するのは、美術好きの私だったら、すぐにとびつきそうな内容の本にも関わらず、ちっとも知らなかった。意外にも、この本を知ったのは、11月2日の「日経新聞」に掲載された国立循環器病研究センター理事長の橋本信夫氏の「交遊抄」だった。本の感想とは全く関係ないのだが、その文章にはひかれるものがあった。

著者の小林秀樹さんと橋本さんは、高校(川越高校)時代のなんとなく気のあう同級生であり、友人だった。その後、医学、芸術と違う道がすすんだふたりだったが、交流が続いたのだろう。芸術の道は厳しく、塾の経営にも悩む小林さんから橋本さんに届いたのは、原稿の一部だった。当時、ふたりは50歳。原稿を一目見て鳥肌のたった橋本さんはすぐに小林さんに電話をして、出版を強く勧めたそうだ。大手の出版社は相手にしてくれなかったが、中堅の情報センター出版局が興味を示した。そうして誕生したのが、画家によるこのゴッホの本。

さて、本書の内容だが、何度も観たことのある「寝室」のスケッチが贋作であるという根拠に、透視図法と印象派、透視図法とゴッホの関係の記述は、橋本氏もおっしゃるように論理のつめ方が素晴らしい。ゴッホのレプリカと贋作の違いなど、著者自らが画家である鋭い視点には舌を巻く。私がこれまでイメージしていた炎の人だけではなく、ゴッホは絵画というものを充分に理解し、前人未到の新しい芸術の道を切り開いた独創的な画家だったのだ。耳を切り落としたという”事件”の先入観で、私はゴッホの筆のうねりを狂気が生んだ天才性などとわかったような気分でいたが、その認識は完全な誤りだったことを知り、恥じいる次第である。

一方で、自殺の真相については、確かにそれもありかもしれない。画商としても有能だった弟テオの給料は、今の価格に換算すると80万円ほど。そのうち、30万円ほどを画材の費用とは別に、兄に仕送りしていたテオ。画家になることをあきらめて、画商に転じたテオの才覚による先行投資以上の、兄と弟の強烈な繋がりを感じる。そこに迎えたテオの妻ヨハンナ・ヘシナ・ボンゲル(ヨー)の存在。緊密なふたりの間が、微妙な三角関係に変化していく。さらに、そこに加わったのが新しく誕生したこどもの存在。画商としてのテオの収入が減り、こどもが生まれた家族を維持していくために、妻として母として賢いヨーは様々な忠告や助言を夫であるテオに与えたことは、女性としても想像できる。ヨーは、2年たらずの短かったテオとの結婚生活で手に入れた膨大なゴッホの書簡集の出版を、期が熟するまで辛抱強く待ったのは何故か。しかし、自殺の真相を解明することよりも大切なことは、著者の願いは安易な”狂気の果ての自殺”というレッテルをはがし、優しく崇高な魂をもったゴッホの尊厳を取り戻すことにあるようだ。ゴッホに向ける著者の鋭い分析からは、稀代の画家への著者のほとばしるような愛情が伝わってくる。

橋本さんが友人として気にかけていた小林さんの生活も、本書の出版を期にたて直し現在は、愛知県立芸術大学の教授になられているそうだ。

『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』

2011-11-26 11:38:05 | Movie
モーツァルトが若くして亡くなった理由に、幼い頃から父レオポルドに連れられて、ヨーロッパ中を悪路にゆられて馬車で演奏旅行をした時の無理がたたったのだという説がある。
馬車の中でさえ凍りつくような冬の道、みすぼらしい宿屋、芸術を理解せず蔑すんだ視線で迎える尼僧、・・・映画は、父レオポルドが演奏旅行の資金を提供してくれたザルツブルグの友人に宛てた手紙からはじまる。報奨金の額に落胆し、財布に注意し、気をひきしめながらも、宮廷人たちをはじめあらゆる人々を美しい音楽で魅了したと伝えている。

「ヴォルフガングは陽気でいたずら好き。
ナンネルの演奏は見事で誰もが称讃する。」

困難な演奏旅行にかりだされていたのは、誰もが知っているモーツァルトだけではなく、4歳年上の姉、マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart)、通称ナンネルも同行していたのだった。彼女は、巧みにヴァイオリンを弾く弟の伴奏をし、黄金の声と言われるくらい歌がうまく、父にとっては、自慢の神童はふたりだったのだ。しかし、18世紀当時、女性が作曲家になることは考えられなかった。

ナンネルは幼い頃から、父の手ほどきをうけて音楽家としての才能の片鱗をみせ、神童として演奏旅行にも行っていた。しかし、弟のヴォルフガングが生まれるとやがて父の関心と情熱は弟に奪われて、ナンネルの音楽家としての道は、姉を凌駕するようになった弟の才能のかげに消えていった。ナンネルには、父の決めた娘は裕福な男に嫁ぐものという道しか残されていなかった。そして、ここからは、監督の想像の物語で、実は、ナンネルはベルサイユ宮殿で出会った王太子ルイ・フェルディナンに恋をしたのだったが。。。

映画の鑑賞で★の数や点数で評価や批評をするサイトをよくみかけるが、『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』は、簡単に点数などをつけられない不思議な映画だ。
ルネ・フェレ監督は、残された膨大なモーツァルト家の書簡や歴史書から、すっかり18世紀の世界に没頭したそうだ。蝋燭でともされた貧しい宿屋、一転、舞台はきらびやかでこれ以上ないくらい豪華な宮殿と美しい衣装、そこには忠実に18世紀のパリが再現されている。現代とかけ離れた18世紀があまりにも見事に再現されているために、逆に私には現実感から浮遊した御伽噺のような感覚が残る。

そして、抑制がきき、感情を表現しないナンネルと、友情を結んだ王大使の妹ルイーズ・ド・フランスの存在。彼女たちは、私が知っている感情をあらわにして自己主張をする欧州女性とは異なる。思春期のふたりの少女は、それぞれに恋をした。しかし、父親の意向だったり、身分の違いなどからそれが成就することは叶わなかった。それだけでなく、女性という理由で自ら道をすすめることもできない。少女たちは、苦しさや恋しさをすべて心に秘めて透明な表情で人生を見つめていく。最後まで、ミステリアスなのは少女たちの感情だった。

ナンネルは、31歳で父にすすめた富裕のかなり年上の相手に嫁ぎ、愛情のない結婚生活を送り、晩年は貧しく失明しながらも彼女の哀しい旅路は78歳まで続いた。

監督:ルネ・フェレ
2010年フランス製作

『道』

2011-11-21 22:31:37 | Movie
何年か前、トヨタ自動車がスポンサーだった「地球街道」という上質の旅番組があった。芸能人の方が夢をかなえる旅というコンセプトは、それぞれに素敵だったのだが、最もうらやましい旅人だったのは、財津和夫さんだ。それは「フェリーニへの道!」

往年のイタリア映画の名作はたくさんあるが、なかでもフェデリコ・フェリーニの「道」は財津さんにとっては最高クラスのお気に入りの映画だそうだ。この映画を選ぶ時点で、財津さんはけっこう映画好きなのかと思ったら、かなりの映画好きでこだわりもあるようだ。財津さんが、初めてこの映画を観た時は10代半ば。その時は、ロードムービものぐらいしかわからなかったそうだが、30代で再度鑑賞したところ、全く違った印象を受けたそうだ。そんな彼の夢は、フェリーニの「道」を探す旅だった。

ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)の家に、大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)がやってきた。彼の目的は、これまで便利に使っていたジェルソミーナの姉が病死したため、かわりの女を買いに来たのだった。子沢山で疲れきった母親は、口減らしのために少々知恵の遅れた妹のジェルソミーナを今度は売ることににした。わずかな金で売られたジェルソミーナ。粗末な小屋をオートバイにつなげて旅から旅へ移動する、粗暴野卑なザンパーノの唯一の芸は、胸の筋肉を使って鎖をちぎることだった。そんなザンパーノを献身的に支えるジュルソミーナだったが、彼女の優しい心遣いは伝わらず、にわかにお金を手にしたザンパーノは街で女を買うと、邪魔な荷物のように彼女を路上に置き去りにしてしまう。

財津さんが、「道」の記憶に残る”道”を探しに向かった先は、フェリーニの愛したスペイン広場にも近いマルグッタ通り。そこで見つけたのは、なんとジェルソミーナを演じた妻のジュリエッタ・マシーナと一緒に暮らしたアパートだった。ローマには、彼らの行きつけのお店や思い出の場所がたくさん残っている。決して美人ではないが、ジュリエッタ・マシーナの童顔は、純粋無垢なジェルソミーナ役を演じるためにあるようだった。レストランでの食事にこどものように嬉しそうに笑い、ザンパノの怪力に得意げになり、ザンバノの冷たい仕打ちに哀しむ表情は、何度観ても魅力的でひきこまれていく。逆に言えば、「道」は監督が愛する妻のために製作されたような映画でもある。

さて、ザンパノと隷属関係にあるジェルソミーナ。そんなふたりの均衡にさざ波をたてて侵入してきたのが、若い綱渡りをする青年(リチャード・ベイスハート)だった。陽気だが、ちょっと変わった青年はなぜかザンパノを見るとついからかいたくなってしまう。その心理の底に、ジェルソミーナの存在があったからだと私が考えたがるのは、都合がよすぎるか。そして、犬猿の仲のふたりの間に、はずみとはいえ、とんでもない事件が起こってしまう。深く傷ついたジェルソミーナは。。。

ローマから2時間のバーニョレッジョの街へ、「道」を撮影した現場が残るこの街に財津さんはでかける。更にサン・フランチェスコ大聖堂のアッシジを訪問すると、待っていたのはフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画だった。そして最後は、フェリーニの故郷、リミニ。ここでは、フェリーニ財団や彼が通っていた映画館を見つけたり、フェリーニの親友、ルイジ・ベンツィと出会って青春時代の思い出や友情を聞き出し大満足する財津さんだった。

やがて歳月がたち、イタリア経済も戦後から復興しつつあるのか、浮浪者のような穴のあいたセーターを着ていたザンパノもおしゃれにスーツなどを着られるようになった。あいかわらず鎖を胸の怪力で引きちぎる芸で暮らしているのだが、肉体の衰えは隠しようがない。そして、彼の心の中は、虚しく風が吹いているのは、衰えた容姿だけでなくうつろな表情からもうかがえる。ザンパノは、あまりにも愛というものを知らなかった。初めて愛を知った時、愛に気がついた時、そのあまりの哀しさに彼は海辺で泣き崩れるだけだった。

財津さんの旅の終着点は、勿論、この海辺である。ところが、どうやら彼は故郷のリミニの海辺だと思い込んでいたのだが、実はローマの海岸が撮影場所だったそうだ。財津さんは、この映画を「本当に言いたいことがラストシーンで伝わってくる力強さを持つ映画」と批評している。私が初めて「道」を観たのは、20代。この映画を充分に鑑賞できる年齢だったと思える。そう自信をもって言えるのは、ラストで胸をしめつけられ、いつかもう一度観たい映画のリストに入れたからだ。あの海辺がフェリーニの故郷であろうとも、それともローマであろうとも、酒に酔って、心をふるわせながら泣くザンパノの姿はいつまでも忘れられない。永遠に残る名作とは、こういう映画なのだろう。

監督:フェデリコ・フェリーニ
1954年 イタリア製作

「フェルメール 光の王国」福岡伸一著

2011-11-19 15:52:00 | Book
私はフェルメールの絵に会いたかったのか、福岡伸一さんの名文に会いたかったのか。
どちらも大満足させてくれたのが、ANA機内誌「翼の王国」に掲載された文章をまとめた本書。掲載紙がANAらしく、4年の歳月をかけて寡黙の画家フェルメールの現存する作品37点を所蔵する美術館に就いて鑑賞するという、生物学者にして白衣の詩人の福岡さんのフェルメールをめぐる旅である。何と素敵な企画なのか!もっともフェルメールのファンだったら誰もが願う一生の夢だろうし、すでに全作品を踏破した著作もある。しかし、福岡さんの感性のフィルターを通すと、グルメ旅番組のような単なる美術紀行にはならない。

福岡さんの著作物を読んでいると、彼が須賀敦子を好きなように、ファルメールに心がひかれるのが僭越な言い方だが、”わかる”ものである。福岡さんらしく、独特の静謐な世界でフェルメールは本書の中で輝いている。それは、「光のつぶだち」だ。

「自分で上手に描くことはできないので、熟達の画家に依頼したのです。」
            ―アントニ・ファン・レーウェンフック

と冒頭に掲載されているのは、顕微鏡の父、微生物の発見者として教科書にも名前が載っているレーウェンフックと、彼の書簡に書かれた昆虫の脚のスケッチ。奇妙だけれど昆虫の丸みや質感、細かくびっしり生えた細い毛まで描いた見事な図。私でも思わずすいよせられる一枚の美術品としては何の価値もない図から、旅ははじまった。ヨハネス・フェルメールは1632年、オランダに生まれる。この年の同じ国に、ベネディクトゥス・デ・スピノザも生まれ、またレーウェンフックの名前は教会の洗礼名簿にフェルメールと並んで記されている。この3人の共通点は、ファルメール作品の細部に秩序ある調和として輝いている「光のつぶだち」。この光のつぶだちを求めて、読書も架空の旅を続ける。未知の先にあるのは、まさに光の王国。

野口英世、エッシャー、数学者のエヴァリスト・ガロア、マウリッツ・コルネリス・エッシャーと予想外な人物と生涯が登場して、科学者らしい空想と仮説が透明な哀しみの抒情をたたえてフェルメールの絵に重なり、ゆれて、展かれていく。その時代の空気感のなか、登場人物に寄り添うように。
かっての高校教師が語ったそうだ。

「《微分》というものは、実は何も難しいものではありません。 《微分》というのは、動いているもの、移ろいゆくものを、その一瞬だけ、とどめてみたいという 願いなのです。カメラのシャッターが切る取る瞬間。絵筆のひと刷きが描く光沢。 あなたのあのつややかな記憶。すべてが《微分》です。人間のはかない"祈り"のようなものですね。微分によって、そこにとどめられたものは、凍結された時間ではなく、それがふたたび動き出そうとする、その効果なのです。」

昔の高校教師は傑出していた。この文章で、魔法のように私は数学の微分が観念的ではあるが、とてもわかった気がする?。福岡さんによると、フェルメールの絵筆は、遊ぶように、踊るように、あるいははかない祈りのように、さりげない光点を載せるだけで、動きの効果をそこにとどめ、それは奇跡のような《微分》となる。その動きの効果は、生物学者としてのキーワード、生物が絶え間のない流れの中にある元素の淀みの集合体であるという生命感、”動的平衡”につながっていく。本書を読み、フェルメールの絵画の魅力は、登場人物の静かに流れる心の動きを、一瞬つかまえた光の中にあると私は思う。それは四角いキャンバスに封じ込められた絵画ではなく、後世に残すための記録でもなく、常に動いている”時間”という観念すらも、生きている人間の感情の流れにとりこまれて、いつまでも観る者の心をとらえる。そして、永遠に発見される謎として、フェルメールは存在し続ける。

本書は、いつものとおり図書館にリクエストして借りたのだが、蔵書にしたいくらいのとても美しい本である。美しいものを美しく感じる心をもった方たちによる作品のような一冊。それには小林廉宜氏による美しい写真も大きく貢献していることは、言うまでもない。そして、欧米の美術館の美しさは、また私を旅人へとかきたててくる。
最後に福岡さんは、実に大胆な仮説をうちたてる。それは、私ですら興奮するような想像であるが、不図、映画『クリムト』を思い出したのだが、科学者と芸術家が出会うことは、むしろ自然な流れではないだろうか。科学的な美しさと芸術の美しさは共通項である。

*福岡さんは、盗難されて行方不明の「合奏」、個人蔵の「聖女プラクセデス」「ヴァージナルの前に座る女」にあう夢は叶わなかった。
私がこれまで観たきたのは、ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館で「窓辺で手紙を読む女」「取り持ち女」、ベルリン国立絵画館「真珠の首飾り」「紳士とワインを飲む女」、ウィーンの美術史美術館で「絵画芸術」。今秋、訪問したフランクフルトのシュテーデル美術館は改修工事中で、「地理学者」を見られなかったことだけが、唯一の心残りだった。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
美の巨人たち フェルメール「絵画芸術」

「プラド美術館所蔵 ゴヤ -光と影」展

2011-11-16 22:42:43 | Art
ミロス・フォアマン監督の映画『宮廷画家ゴヤは見た』は、画家ゴヤの描いた人間の顔が次々と暗闇の中からうかんでは沈んでいく。正義、高潔、愛情、そんな人間の美質とは異次元の、憎悪、嘲笑、欲望、といった感情がその表情にむきだしになっている。ゴヤを「裸のマハ」を描いた宮廷画家という知識しかなかった私を圧倒させた。ここまでの悪意を暴きいて描ききった画家ゴヤは、何を見て、何を考えたのだろうか。そんな謎にひかれるかのように向かったのは、国立西洋美術館で開催されている「プラド美術館所蔵 ゴヤ -光と影」展である。

ベラスケスに並ぶスペインが誇る宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤは、1746年に小さな田舎町フェンデトードスでメッキ職人の息子として生まれる。早くから画家を志し、14歳の頃から地元の画家の元で絵画を学び、やがて40歳で国王カルロス3世の画家となり、1789年には新王カルロス4世の首席宮廷画家の地位をえて、頂点を極める。エスコラピオス修道会の宗教学校で出会った親友のマルティン・サパテールに宛てた当時の手紙には(ゴヤは筆まめだったそうだが)、「国王夫妻以下、僕を知らない人はいない」と成功を自慢している。また自信たっぷりに、仕事の依頼が絶えないことも嬉しげに彼に伝え、むしろ遅咲きだったゴヤは「我々に残された年月はすくないのだから、大いに楽しく生きるべきだ。」と、そこには、野心と成功の美酒に酔う姿がうかがい知れるのだが、1792年頃から、不運にも聴覚を失っていく。しかし、失われた音のかわりに観察者としての鋭い感性が「裸のマハ」「カルロス4世の家族」「マドリード、1808年5月3日」「黒い絵」など、次々と代表作を産み、宮廷画家として後世に名を残す以上の仕事を成したのも、沈黙の夜に囚われてからのことだった。

また、スペインも激動の時代を迎えた。スペインは、1807年、ナポレオン率いるフランス軍により侵攻され、翌年、ナポレオンの兄ジョゼフがホセ1世として支配下に置かれると、1808年から1814年にかけてスペイン独立戦争を戦った。多くの市民、兵士が血にまみれ、死体となった姿をゴヤは見た。それは皮肉にもゴヤの見た<戦争の惨禍>に結実していく。ゴヤは81歳の長寿を生きたが、油絵だけでなく、タペストリー、壁画、版画、素描など多彩な手法で、尚且つ、肖像画をはじめ、宗教画、戦争画、風俗画、諷刺画、寓意性や幻想にとんだ作品まで驚くほど広範囲な表現をしている。

今回のゴヤ展では、「着衣のマハ」「日傘」「カルロス4世の家族」などが出色だろう。(着衣よりも、やはり”裸”の方が好きだが・・・)
構成は全部で14のテーマに分かれていて、闘牛技の批判的ヴィジョン、宗教画と教会批判、ナンセンスな世界の幻影、人間の愚考の風刺、女性のイメージなど、様々なゴヤの視点と内面が伺える。作品を観ていくと、ゴヤは皮肉屋だけれど非合理性に疑問を感じ、伝統的な闘牛にも批判の目を向け、近代的な精神の持ち主だったことが感じられる。この企画は、実によく練られている。本来はtontonさまのようにプラド美術館で鑑賞したいところだが、絵画鑑賞のついでに秋の上野の森を散策するオプションをつけて充実した一日となる。

・ゴヤ展特設サイトリンク先>

あらためて傑作だったと思う映画『宮廷画家ゴヤは見た』

情熱大陸 長谷部誠

2011-11-13 22:30:43 | Nonsense
一年365日、私にとって最旬な男はGacktしかありえないが、最近、ちょっと気になる男性がいる。
その人は、サッカー日本代表キャプテンの長谷部誠さん。忘れもしない昨年の「Number761」のアスリートの本棚。の特集号で表紙を飾り、「読書で心の筋肉を鍛える」と爽やかオーラの笑顔にゴール・・・だった。私の中のサッカー選手のイメージと随分違った印象をもったのは、身長180センチ体重72キロの長身はネクタイをきりりとしめたダークなビジネス・スーツが最も似合いそうだったからだ。しかも、整然とした本棚に読書が大好きな姿は、他のサッカー選手と雰囲気も違うし、何よりも顔立ちがよくも悪くも野生的でなく端整。そんな長谷部さんが登場する情熱大陸、これは女子としても観なくてはいけない。

番組によると長谷部さんはサッカーの盛んな静岡県藤枝市出身の27歳。高校在学中はそれほどめだって活躍する選手ではなかったのだが、たまたま同僚を見に来ていたサッカー関係者の目にとまり、誘われて浦和レッズに入団。その後、頭角を現し、2008年1月ドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに移籍してドイツでの活躍も4面めにはいった。今年の9月17日GKのマルヴィン・ヒッツがレッドカードで退場し、既に交代枠を使い切ったために、長谷部さんが急遽GKを務めることになった。番組は長谷部選手の経歴を簡単に紹介しながら、現在の暮らしぶりを映していく。

住居は、小さな街ヴォルフスブルク市にある3LDKのマンションにひとり住まい。独身!
ちらりと映った室内はさすがに”心を整える”と提言されている方だけあって、室内も完璧に整えられている。家具などのドイツ製品の機能美が、長谷部さん流機能美によくマッチングしている。女子的な余計な飾り物など見当たらない。番組の担当者から彼女はいないのですか、とストレートに質問されると”募集中”との即答があり。ベランダで読書をするのが、今一番の至福の時間と語る長谷部さんを見ていると、ひとりの時間の楽しみ方が得意な方だと思う。私自身も読書好きなのだが、そういう人は日常生活でひとりになる時間が必要不可欠だったりする。ちなみに、長谷部さんの好きな人は、本田宗一郎はよくわかるのだが、意外にもだらしなく自堕落で厭世的な太宰治だそうだ。

番組は、スポーツタイプの黒い車を運転し、チームメイトのシェーファーさんと楽しく食事をする場面が流れる。シェーファーさんによると「普通は2~3年かかるドイツ語をマコトは半年でしゃべっている」そうだ。更に、毎日、読書感想、その日の練習、自分が監督だったらという監督ノートの合計3冊のノートに記録をしている。こんなところにも努力家の一面がうかがえる。また、毎週一度は通うお店で朝食をとるのだが、写真を撮って栄養士さんに画像を送っている。ファッションもシックで、眼鏡もなかなか似合っている。ファンとは肩をくんで写真を撮り、とすっかりドイツのチームにとけこんでいる長谷部さん。後半、欧州在住のサッカー選手らとデュッセルドルフのレストラン、和室で日本食を楽しむ様子も紹介されるのだが、キャプテンとして真面目に思うところを語る長谷部さんに、いきなり内田さんが「彼女できませんよね!」と斬り返してきた。長谷部さんは、やはり日本女性がよいが出会いの場がないと言い訳?をしているが、あの清潔で無駄のない部屋と趣味が読書では、なかなか女性に求めるレベルが高そうだ。心、部屋、それだけでなく、容姿も整えている長谷部さんはかなりもてると思うのだが。

代表戦に向けて旅立つスーツケースには、スパイク2足にサンダルのみ。荷物はこんなもんですよ、と爽やかに微笑む長谷部さんだったのだが、結婚って、様々な荷物を背負い込むことだよ、、、とついつっこみたくなってしまった。

とんでもない”Resource Action Program”

2011-11-12 16:05:14 | Nonsense
加齢とともに遅れがちな肌代謝サイクルをサポートし、理想的な角質層を育てることを目指した美容液。
デパートから届いたクリスマスに向けてのコスメ特集のパンフレットにあった宣伝文だが、毎日お肌がしっかり代謝してくれたら、いつでもすべすべの赤ちゃん肌なのに。古く役立たない細胞を捨てて、ぴかぴかの有能なお肌にリニューアルしたい。そんな乙女心を実践している外資系企業がある。そう、誰もが知っている超一流IT企業の、情報誌「選択」で知った恐るべし新陳代謝のプロジェクトなのだ。

各部門長宛てに作成されたプロジェクト名は「2008 4Q Resource Action Program」。冒頭には予定数の達成が、我々リーダーのAccountabilityと強調されていて、要するに人事考課でBottom15%の社員の人材を退職させるプロジェクトだそうだ。売上目標ではなく、社員のクビ切りノルマには、ちゃんとフローチャートで優しく丁寧にカイシャが教えてくれる。まずはターゲット(Bottom15%の対象者)を選定し、退職面談をする面談者をトレーニングして、あくまでも本人の自由意志に基づいて決断するようコミュニケーションをしてください、とアドバイスをしてくれる。このフローチャートは何度やってもどのルートをたどっても、自由意志による退職がゴール!成果は、毎週社長臨席の会議で点検される。ここで、プロジェクトの遂行が滞ったら、今度は自分がBottom15%に落とされるというデンジャラスな気分も味わえるかもしれない。まさに勝ち組は残り、負け組は退場。

上司に嫌われた人や逆らった人も含まれるので、素直に応じない社員に用意されているのが、「Performance Improvement Program」(業績改善プログラム)。業績が伸びない社員に面談を重ねて改善を図るこのようなプログラムが用意されているとはありがたいのだが、本来の目的とは違う使い方もあるのがこのPIPだ。「改善目標管理シート」を手渡されて改善を要する点が書き込まれているが、改善されなかった場合の対応の可能性として「降格、解雇」が記されている。最終目標は改善よりも解雇なので、面談のたびに責められるそうだ。実際、昨年11月に大阪労働局長が名誉毀損するおそれのある発言が認められたと是正を指導した。

しかし、業績悪化なら兎も角、このプロジェクトは毎年相対評価によって必ず発生するBottom15%の人材を代謝させるためのプログラムなのである。すさまじい新陳代謝は会社側のコメントによると”市場ニーズに応じた人材適正化”となるそうだが。ところで、このPIPは外資系を中心に浸透しつつあるそうだ。このカイシャの会長は、社長時代に、「我々が毒見して大丈夫となれば日本の会社の皆さんもやりやすい」と雑誌に語ったそうだが、ビジネスマンとして有能であっても人間性に疑問を感じる私が間違っているのだろうか。

私のお肌も毎年Bottom15%の新陳代謝がすすめばと願いつつ、外資なら当たり前なのかもしれないし、優秀な人材が集まり福利厚生も整い、看板の信頼性も高い超優良企業、しかし、カイシャのこんな新陳代謝方法は勘弁だと正直思う。昔憧れたカイシャの社名は、SF映画の金字塔とも呼ばれる作品の人口知能をもつコンピュータの名前にも暗示されてくらい、その分野の象徴なのだが。

「生命の未来を変えた男」NHKスペシャル取材班

2011-11-11 22:35:43 | Book
今年もノーベル賞発表の季節がやってきて静かに去っていった。残念ながら日本人の受賞者はいなかったが、最もノーベル賞に近い男、あとはノーベル賞だけと言われているのが山中伸弥氏である。昨年、NHKスペシャルでその山中さんを迎えて放映された「“生命”の未来を変えた男~山中伸弥・iPS細胞革命~」は反響が大きかったそうだが、弊ブログでもとりあげて「これはわかりやすく本にしてもよいのではないか」とつぶやいていたのだが、何と、嬉しいことにちゃんと1冊の本となって登場した!

前半は生命の未来を変えたiPS細胞、後半はiPS細胞と生命の神秘、各5章という構成になっているのだが、独立してどの章ひとつとっても平易でで読み物としてもおもしろいのである。それは、何といってもやはり山中教授の大きな人間力に負うところが大きい。

山中さんはスゥエーデン地元の新聞でも今年もノーベル医学生理学賞の最有力候補に名前があがっていたとても凄い方なのであるが、弁舌はユーモラスさに溢れ、爽やか系スポーツマンタイプ、しかも人類愛と情熱に溢れる大和男なのだ。そんな山中さんもかっては少年・山中時代の夢をかなえて整形外科の臨床医としてスタートするものの、不器用で手術も下手で”ジャマナカ”と先輩医師に罵倒され挫折した経験をもつ。それは、かなりつらい体験だったと想像される。しかし、その後、大学院に進学して自由な空気のもと、本来のチャレンジ精神が発揮されあだ名も”ヤマチュウ”に昇格。そして、当時まだ新しかったノックアウトマウスを使った研究の技術を学ぶために手紙を書き米国のグラッドストーン研究所に果敢に渡り、”シンヤ”と呼ばれて現在の世界のヤマナカへの道程を走りはじめる。臨床の現場から逃げた彼にとっては、研究の場は水にあっていたのだろう。
山中さんの業績は生命の未来を変えたくらいとてつもなく大きいのだが、成功に酔いしれることもなければそんな時間もない。何故ならば、いかにも臨床医出身者らしいのだが、研究成果を1日も早く、待っている患者さんの治療に役に立てよう、ベットサイトに届けようと今日も必死に走り続けているからだ。

iPS細胞を発表した当初、日本の研究機関や研究者をめぐる環境、投資される資金の規模の違いから、山中さんには栄誉がもたらされるだろうが、果実は欧米にとられるだろうと予測されていた。もしそうなってしまったら、日本人研究者が日本の国民の税金を使って研究して人類に貢献できる発見も、後発隊に特許をとられて治療や投薬の段階では高額特許使用料を支払う必要が生じてしまい、日本人には恩恵にあずかれないことになってしまう。そのため、猛ピッチで公的機関の京都大学を通じて、現在、特許を申請している。それも、欧米流のビジネス上の利益追求などではなく、iPS細胞を使った研究が幅広く人類に普及するようにという山中さんの願いからである。

山中さんが必死になるのも当然で、iPS細胞をめぐる各国の研究の競争の熾烈さは、まるでFIレースさながらである。2006年Cell誌の8月号にiPS細胞の開発成功の論文が掲載された。大半の研究者たちは不可能ときわめて厳しい反応を示したが、ハーバード大学なので追試によって確認できると、批判は驚きに変わった。その瞬間から猛烈なレースがはじまったのである。潤沢な資金と研究者の層も厚く知的財産権の管理体制も充実している米国も圧倒的に強いが、ウミガメ方式で国家により磐石なサポート体制もあり、異なる基準の倫理観によるハードルが低く中国も脅威となってせまってくる、まさに「激しさを増すiPS細胞WARS」というタイトルのとおりである。この競争は、はっきり言ってオリンピック競技観戦のように熱くなる。ちなみに、高校時代、柔道にうちこみ骨折は10回以上という猛者の山中さんの得意技は、一本勝ちを狙える「内股」だそうだ。

そして、若い研究者にチャンスを与えたい、開放的な研究環境を用意したい、オープンに社会に情報を発信したい、そんな願いがかなったのが、京都のCiRAでもある。山中さんの主張はしごくまっとうであり、当然である。逆に今の日本の研究環境の貧しさ、研究者の社会的地位の低さ、それ故に研究の層の薄さがうきぼりになってくる。今回は、異例のスピード早さで、潤沢な資金も投入してCiRAが設立されたのだが、そのかげで他の研究室では予算が縮小されて若い研究者が泣く泣く大学を去ったという現実もある。よい基礎研究は、よい応用研究につながるという格言があるそうだが、大局観をもって日本の将来を考えたら、あらためて日本の学術風土や医療行政の改革が必要だということもよくわかる。

映像でダイジェクトに観るインパクトには及ばないが、iPS細胞をめぐる様々な可能性や逆に発見によって深まる謎など、読み応え充分である。本書の帯には「もはや生命科学を知らなくても済む時代ではない。iPS細胞は人類の未来を”変える”可能性があるのだ」と書かれている。本書がテレビ放映だけでなく、わかりやすい一冊の本となった意味は、社会の受入体制がいまだに整備されていない状況で、本書は未来を生きる私たちへの希望に満ちたプレゼンテーションなのである。

■アーカイヴ
ES細胞のあらたなる研究成果
ips細胞開発の山中教授 引っ張りだこ
「ips細胞 ヒトはどこまで再生できるか?」
「“生命”の未来を変えた男~山中伸弥・iPS細胞革命~」