千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

NHK スペシャル 「人体“製造”~ 再生医療の衝撃 ~」

2010-03-29 22:40:02 | Nonsense
再生医療は人類の勝利なのか、神の領域への侵犯なのか。
残念なことに昨日のNHKスペシャル「人体”製造”~ 再生医療の衝撃 ~」は途中からの視聴。そのために救世主兄弟の部分のみアップ。

米国のトレヴィング夫妻の3歳になる長女・ケイティちゃんは生まれつき骨髄の肝細胞の働きが弱く赤血球をうまく作れない難病のため、毎週輸血に頼ってきたがそれも限界に近づいてきた。有効な治療として、血液をつくる肝細胞を移植するしかないのだが、HLA(ヒト白血球抗原)が一致しなければならない。他人ならタイプがあうのは、数万人にひとりの確率だが、兄弟だったら4人にひとり。夫婦は迷うことなく体外受精で23個もの受精卵をつくり、そのうち2個がケイティちゃんのHLAと一致することが確認された。その貴重な1個の受精卵を子宮に着床させて無事誕生したのが、クリストファー君だった。弟が1歳になった時に肝細胞を移植してケイティちゃんは元気になった。このような兄弟を”救世主兄弟”と名づけられている。

マイナス1になるよりもプラス1の選択をした両親の心情もよくわかる。しかし、不要とばかりに捨てられた可能性のある他の22個の受精卵の行方が気になる。HLAの型があわなかったばかりに、この世に誕生しなかった受精卵も間違いなく生命の萌芽である。そしてクリストファー君の存在は、生涯ドナーとしての価値がついてまわり、それは姉のケイティちゃんにとっても同様である。このような救世主兄弟は英国でも誕生し、社会的問題に発展して議論が紛糾した。生まれたこどもは誰かのスペアではないという倫理観は勿論だが、やがては臓器移植の目的のためにこどもを作る事態に発展する危惧もある。そのため、2008年に英国では議会で”救世主兄弟”は血液の障害のみに限定、臓器移植目的は禁止となった。
かたや米国では、個々の生殖医療従事者の良心にゆだねられていて、特段の規制は設けられていない。

その一方、英国人科学者が人工精子を肺幹細胞から製造することに成功したと発表している。またクローン人間作成に向かう研究者もいる。もしこのような科学が発展すると、いずれ女性は単体で妊娠・出産ができることにもなる。社会的コンセンサスが、科学の発達においつていないような気もしている。

「遠まわりの雨」

2010-03-28 20:19:28 | Movie
読売新聞で連載されている「時代の証言者」に先月は脚本家の山田太一さんが登壇された。同級生の作家・寺山修司の圧倒的な歌心に詩人になることをあきらめたおかげで、私たちはテレビドラマという手軽な小さな箱の劇場で、多くの名作を生み続けた優れた脚本家をえた。あまりテレビを観る時間のなかった私だが、再放送などで記憶のあるドラマのタイトルと脚本家の話を読むうちに山田ドラマを観たくなった。ちゃんともう一度観たくなった。そこへ絶妙なタイミングで『遠まわりの雨』というドラマが放映された。

福本草平(渡辺謙)は、地方都市の日曜大工店で働いている元職工。かっては腕のたつ職人だったが、一年前に、勤務先の工場が倒産して系列のホーム店で主任として拾われたが、慣れない接客業にとまどう日々。そんな彼のもとにかっての恋人、桜(夏川結衣)がやってくる。
「脳卒中で夫の起一(岸谷五朗)が倒れた。ヨーロッパから大きな仕事が入るかもしれない試作品をつくるために、助けてほしい」と訴える。起一の工場は受注が減ってもう解散するしかないところまで追い詰められているのだが、大手企業が高額な資金をかけて開発してもつくれなかった風力発電の部品の作成依頼があった。小さな町工場に舞い込んだ起死回生のワンチャンスでオンリーチャンス、そんな矢先で起一が倒れたのだった。最後のチャンス。
一度は断ったものの、大田区蒲田の工場に再び草平はやってくる。20年前、桜は草平を捨て工場の跡取り息子だった起一と結婚したのだった。再会にゆれる3人の心。。。

久々にテレビドラマを堪能した。おなじみのたたみかけるような会話の応酬の脚本、演出もよかったが、なんといっても役者の演技が最高に素晴らしかった。
面倒見がよく、古臭い事務服を着こんでいるがかろうじて中年の美しさを維持している下町の工場のおかみさん役の夏川さんの笑顔。その笑顔の裏には、まるで一介の職人から社長の息子に乗り換えた事の報いかのようにこどもがいない悲しみがかくされている。そして、若かりし頃、草平と桜の関係に気がついていながらそ知らぬ顔で割りこんで彼女を奪った跡取り息子のわがままと人の良さを体言した岸谷さんもはまり役。しかし、圧巻だったのはやはり渡辺謙さんである。山田太一さんも絶賛していたが、何度も工場を訪問してしぼりの技術を学んだだけあって、機械を操作する熟練工としての迫真の演技に目をみはる。そして、恋人を奪われて工場を去っていく世渡りが下手で不器用な男が20年ぶりに再訪する時のダークスーツ姿が、この男の生真面目さが表現している。ちなみに、ドラマでは80回も「うん」と言ったそうだが、職人らしく寡黙な男でもある。桜への想いを封印し、作品制作に集中する草平は、もはや絶滅したかもしれない最後の日本の男である。実に見事に、脚本家が望む草平像を演じているのだが、意外なことに渡辺謙さんは本格的な恋愛ドラマは初挑戦だそうだ。

そんな渡辺謙さんが恋する中年男を演じている。無骨で不器用で要領の悪い、しかし、まぎれもなく昔の恋人に再び恋をする男を。蒲田の小さな工場群の風景、定宿のさびれたビジネスホテルの佇まいが、 草平の迷う心理を借景している。現代社会の問題を刈り込んで、視聴者を挑発する作風も健在である。
最後に、桜は草平を誘う。
今だけ、恋に落ちよう-
今だけ、今だけ・・・。
ラストの渡辺謙の迫真にせまる演技には、本当にふるえるくらいの感動があった。これまでの感情を抑えてきた素朴な男の脚本が、実に生かされた見事な感情の奔流と慟哭。25年ぶりに山田太一氏が書下ろしのラブストーリーだそうだが、後世に伝えられるテレビドラマである。
10年3月27日放映

■こんなアーカイヴも
『星ひとつの夜』

『その土曜日、7時58分』&『エデンの東』にみる兄弟の確執

2010-03-27 16:15:59 | Movie
ニューヨーク。会計士として成功しているアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、仕立てのよいスーツを身につけてモデルルームのようなスタイリッシュなマンションとその部屋の住人にふさわしい妻をもつ。一方、弟のハンク(イーサン・ホーク)は離婚後の娘の養育費の支払いすら困窮し、生活に困っている。身なりのりっぱな兄が、おちぶれつつある弟にもちこんだ計画が、なんと実の両親が営む宝石店への強盗計画だった。(*以下、内容にふみこんでおります。)贅沢な暮らしを送りつつも、アンディはドラックにおぼれていてぬきさしならぬ状態に陥っていた。その土曜日、7時58分。
頭のよいアンディが考案した誰もが傷つくことないはずの完全犯罪は、たったひとつの誤算で悲劇の坂をころがりおちていくのだったが。。。

ほんの一瞬ですべてがかわり、人生が一気に暗転する恐ろしさ。交通事故などまさにその例であろう。『その土曜日、7時58分』の映画は、登場人物の視点におきかえて時間軸を何度もフラッシュバックさせるという手法で、息が詰まるような緊張感をもたらす。その中でうかびあがるのは、事件そのものの悲惨さもあるが、意外にも兄弟や親子の確執、有閑マダムさまの言葉を借りると「家族の軋轢」になる。優秀だが、両親の愛情は可愛らしい弟のハンクスだけにそそがれて自分は実の子ではないかと疑っているアンディ。日本の”デキの悪い子ほど可愛い”という単純な言葉におきかえることもできない積年の鬱屈した心理が、自らの破滅を導いていく。しかも、ご自慢の妻がふがいないと見下していたハンクと密通していたとは。

同じく兄弟や親子の確執を描いたエリア・カザン監督の『エデンの東』は、1917年のカルフォルニア州の農村を舞台に、逆に真面目な双子の兄アーロンに父アダム・トラスク(レイモンド・マッシー)の愛情を奪われて人生を迷うキャル(ジェームズ・ディーン)の視点から描かれている。孤独で愛情に飢えているキャルは、死んだと聞かされた母親を探し出し、売春宿を経営する彼女から資金を借りて、事業に失敗した父をなんとか助けて、その見返りに自分への愛情をつかもうとする。しかし、キャルの行動は、敬虔で高潔な父にはなかなか理解してもらえない。いつも叱られてばかり。ところが、上目遣いで寂しげな表情の甘い顔立ちのキャルは、やがては兄の婚約者アブラの理解と愛情を奪っていく。映画の中では結婚相手を選ぶとしたらどんな女性も兄に決まっているとされているが、理想の結婚相手が男性としても魅力的かどうかはべつものである。この辺の事情は、『その土曜日、7時58分』の映画にもあるように、兄の愛する妻をチャーミングな容姿で母性本能をくすぐる弟が奪っていく過程と重なる。最後にはアブラの協力もあって、父の誤解もとけて愛情を確認してキャルは絶望の淵から救われるのだった。

しかし、しかしである。キャルは最後に父を看取り、兄の婚約者アブラともよい関係を築いていくのだが、亡くなったと信じ込まされていた母親の存在をキャルから聞かされて錯乱し、自暴自棄になって軍隊に志願して戦場に向かう列車に乗りこんだ兄アーロンのその後の運命やいかに。私は、真面目だが、その真面目さゆえに父の教えに忠実に従い生きてきたために、弟をばかにするような気量も器も小さくなってしまった兄にも同情を禁じえない。太って醜いアンディが弟の存在によって愛情の不在をうみ、アーロンもまたゆがんだ父と弟の確執の蹉跌の車輪の下でひきさかれていく。それぞれの作品は、いくつもの鑑賞のポイントやテーマーをはらんでいる映画ではあるが、女性としてはなかなか入り込めない兄弟と父の確執も、姉妹と母におきかえればいずれも普遍的な親子の問題になる。親からすれば、兄弟に愛情の差はないが、その現れ方に多少の違いができてしまうのは一般的な現象ではないだろうか。優秀な長子に期待という重荷を背負わせて、気楽な愛情を末っ子にふりそそぐ。ただ、こどもの立場からするとキャルの一連の行動はティーンエンジャーとはいえ未成熟で(父の戦争でもうけることへの強い反発には同感)、逆にアンディの計画はあまりにも狡猾で冷酷にも感じる。血のつながった親子・兄弟とはいえ、互いに理解することの困難さがこのような悲劇をもたらすことへの恐怖と、気がつけばひとりっ子家族の増加の日本のわびしさもあり。こども手当てが支給されても、安心してこどもを預けて働ける社会的環境が整わなければ、少子化にははどめがかからないであろう。何はともあれ、親がとりあえず元気でいることと、喧嘩のできる兄弟がいることのありがたさすらも考えさせられる今日この頃である。

『その土曜日、7時58分』Before the Devil Knows You Are
監督:シドニー・ルメット
2007年米国制作

『エデンの東』East of Eden
監督:エリア・カザン
1955年米国制作

「ダウンタウンに時は流れて」

2010-03-25 23:00:39 | Book
"Golden lads and girls all must,
As chimney-sweepers, come to dust."


桜の蕾も寒さで閉じるのように冬に逆もどりをした今日、冷たい雨が降りしきるなか、卒業式や学位記授与式が行われた大学も多かった。人生の大きな節目を向かえ、社会へ、或いは引き続き大学院へ進学、更なる研究室へと旅たつ若者、なかでも研究者の卵たちにお薦めしたい本の一冊が、多田富雄氏の「ダウンタウンに時は流れて」である。
1934年3月31日生まれの多田富雄氏は世界的な免疫学者である。71年に抑制T細胞を発見するなどの優れた業績を残し、内外で多くの賞を受賞する。研究者として多忙な日々を送りつつも、多田氏は能の造詣も深く、新作能の作家、さらには詩を創作し、小林秀雄を愛する名文筆家としても知られている。

本書は老年に達した研究者の最近の自伝的エッセイであるが、ふたりの多田富雄が登場する。ひとりは、2001年に脳梗塞に倒れ、右半身麻痺、構語障害や嚥下障害などの重度の障害から車椅子生活。しかも、前立腺癌にも冒されて睾丸の摘出手術を受ける。前年の2004年当時のブッシュ大統領のイラク戦争に進出する報道に接し、米国のマスキュリズムや男性優越主義の印象を感じて「残虐性の遺伝子」の動きを察知していた多田氏の決断は、早かった。70歳を過ぎれば性的能力も無用、こどもも3人のいるのでDNAの移送も完了済みとばかりに去勢する日を晴れ晴れとした気持ちで待つことになる。いよいよその日、無事に?玉トリが終わり退院すると、氏は何か風通しがよくなって重荷を下ろしたような安堵感が広がり、無垢な童貞の少年に戻って、不老不死の菊の清々しい酒を呑んでいるような気分になったそうだ。その夜、作者は少年になり透明な蜻蛉のような翅がはえて、空をどこまでも飛んでいく夢をみた。透き通った翅には黒い翅脈が見え、限りなく空を飛んでいく。

そしてもうひとりは、まぎれもなく青年、多田富雄である。1964年医学部の大学院を修了し、30歳で生まれて初めて飛行機に乗って米国デンバーにある小さな医学研究所に留学する。月給225ドル。勤勉な日本人らしく研究所と小さな下宿との徒歩での往復だけの生活から、青年は、半年たって中古車を買って夕暮れになるとダウンタウンに買物などに出かけるようになる。何の目的もない言わば青春の彷徨。かってはゴールドラッシュで華やかににぎわっていた駅前も、今では寂れ果てて薄暗い町に変わり果てた。やがてそんな場末のバーに毎日のように出入りするようになった。気のぬけたビールと安ワインの熟柿臭さで満ちた下層の貧しい労働者たちがたむろするバー。銃の撃ち合いの事件が発生し、青年のこの界隈での徘徊が研究所や日本人社会に知れ渡ることにより、彼は窮地に陥ることもあったが、バー通いはやめなかった。やがて留学期間も切れて帰国するものの、二年後、今度は新妻を伴って再び多田青年はデンバーの地にやってくる。ホームスティ先の夫人を看取ったり、じバーの常連客やメイドのその後、戦争花嫁として渡米してウエイトレスをしながらふたりのこどもを育てている女性との交流は、豊かな国の光のあたらない悲しみがにじんでいる。そんな日本人社会が付き合わない層の人々と多田青年は、ドクターは真摯に誠意をもって付き合ってきた。妻の人格もそんな多田氏にふさわしく優しい知性のある女性だったこともあると私は思う。だから、その暮らしは黄金の日々として輝いていた。

多田氏は今や重い車椅子に括り付けられた終わりを待つ灰色の老人。見ているのは回想という名の不思議な魔術。本書を書きながら、多田氏は「青春の黄金の時」を思い出した。涙で不自由な体で押すキーボードが、見えなくなるまで切実に思い出した。それは若さゆえに奇蹟的にあらわれた「黄金の時」であったことに改めて気がつく。ふたりの多田が存在してその価値が成り立つエッセイである。

冒頭の一節は、本書より引用したシェークスピアの劇中歌。
「輝ける若者よ、そして乙女たち、
 みな、あの煙突掃除夫らと同じように いつか土に還る」
と訳したい。真摯であれ、そして謙虚であれ。
門出を祝し、学生時代に培った英知を糧に輝ける黄金の時をつかまえるように 健闘を祈りたい。

『恋するベーカリー』

2010-03-23 22:31:42 | Movie
元高校時代の同級生、女3人で六本木ヒルズ内の映画館で鑑賞。当初観る予定だった映画が残念なことに終了していたためのリリーフの『恋するベーカリー』。
なんだか大昔にあった細腕繁盛記を連想させるタイトルにちょっとがっかりめの私だったが、映画の幕開けのタイトルロールのはしっこに18禁指定のマークを見つけて、思い直す。メリル・ストリープが主演する映画で成人映画とは◎◎!おそらくそんな事情がなければDVDでも観なかったと思われる本作は、予想外にヒット!いやいや、こんなエッティなコメディは大好きである。

ジェーン(メリル・ストリープ)はサンタバーバラで人気ベーカリー・ショップを経営する独身女性、と言っても10年前にやり手の弁護士のジェイク(アレック・ボールドウィン)と離婚して3人のこどもを育て上げた。長女は婚約、長男は大学卒業式を控え、末娘は意気揚々と進学先の大学へと飛び立とうとする。仕事も私生活も順調で充実感に満たされつつありながらも、どこか満たされないものを抱えている。もしかして、あなたも空の巣症候群?そこへ自宅の増築を依頼している建築家のアダム(スティーヴ・マーティン)といい雰囲気になる。誠実そうだが、今イチださめのこの男と恋の予感だろうか。
ところが、長男のニューヨーク大学の卒業式のために宿泊するホテルのバーで元ダンナのジェイクと遭遇するや、ふたりはおおいに呑みかつ盛り上がりとうとう10年ぶりのベットイン。元夫婦ながらもすでに再婚しているジェイクにとっては、不倫の関係。こどもたちにも内緒で密会を繰り返すふたりだったが。。。

この映画の主人公は、大女優のメリル・ストリープではなく、体重の増加とともに華のある主役級から准主役クラスの俳優にすべりつつあるアレック・ボールドウィンだと宣言したい。気の強い若い後妻としつけの悪い子どもにふりまわされながらも、落ち着いた魅力の前妻にもみれんたっぷり、人はよいが調子がよくて口のうまい弁護士役がまさにはまり役。派手なスポーツカーをロックの音をガンガン鳴らして走る軽い男にぴったりだが、関取並みの肉体をギャグに使う太っ腹ぶりもお見事!かっての美男子俳優の捨て身の艶技に爆笑だった。私は、けっこうこういうキャラの男は好きである。少なくとも真面目で誠実だが、おもしろみに欠けるアダムよりもはるかに好きな人物像である。しかし、しかしながら、ジェーンの最後の選択は、やはり賢明な彼女にふさわしく円満な解決。映画の中で何度も何度も深いため息をついていたジェーン。息子の卒業式のパーティのお手伝いを申し出る母に、カードだけあればよいと伝える息子たち。自分もそうだったが、こどもはそんなもんだ。こどもたちの成長に胸をなでおろしながらも一抹の寂しさにゆれる。この辺は日本のおかんたちと変わらないと思いながらも、50代になってもちゃんと恋をするのが米国流。いくつになっても恋に現役の女は、またいくつになっても女性としての魅力は衰えないと再確認した映画だった。

ところで、映画の中でジェイクがポップコーン片手に前家族たちと自宅で映画を鑑賞する場面があるが、流れていたDVDは『卒業』である。場面は主人公のベンジャミンが婚約者の母ミセス・ロビンソンとホテルで密会しているシーン。思わずにやりとしてしまった。

監督・脚本:ナンシー・マイヤーズ

『マイレージ、マイライフ』

2010-03-22 19:34:57 | Movie
チョークを製造している日本理化学工業の会長・大山泰弘氏が、多くの知的障害者を採用するようになったきっかけは、禅寺の和尚さんに教えられた「幸せとは、人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること。愛はともかく、あとの3つは仕事で得られる」という言葉だった。それを考えたらもし解雇の勧告をされたら、自分の存在価値の根源をゆすぶられるような過酷な事件になるのではないかっ。

主人公のライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)は、企業のかわりに従業員に解雇を通告する死刑執行人。年間322日も出張してこんな仕事で能力を発揮する彼は、“バックパックに入らない人生の荷物はいっさい背負わない”のがモットー。物をもたず、人間関係も必要最低限のシンプルさ。勿論、独身でただ今賃貸のアパート暮らし。夢は、マイレージを1000万マイル貯めて航空会社の"コンシェルジェ・キー"を手に入れること。。そんな超身軽な男の飛行に乱気流をもたらすのが、彼と同じく全米を出張して価値観を共有できるアレックス・ゴーラン(ヴェラ・ファミーガ)と、リストラの方法に新しい発想をもちこんだ新人のナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック)。優雅で優秀で完璧とも思えるアレックスと、現代っ子で理屈で合理化案を提案するナタリーの存在は、少しずつライアンの心に変化をもたらしはじめる。そんなおり、故郷の姉から妹の結婚の知らせが届くのだが。。。

出張用スーツケースに手際よく必要最低限の荷物をパッキング。きびきびとした身のこなし、「カード」をさっと通せば飛行機の中でもホテルでも”お得意様”扱いで、全米を颯爽と飛び回るライアン。30代以上の女性のSEXアイコンであるジョージ・クルーニーが、お尻がいけてるだけでなく最高にかっこいいのである。金融危機から発生した現代の厳しい空気を盛り込みながらも、軽やかでユーモラスな上質な映画に仕上がったのは、ひとえにジュージ・クルーニーの存在による。ダークスーツをスマートに着こなし、さわやかで最高の笑顔で、解雇を告げた後に「あなたの本当の夢」を説くとってもとっても素敵なクルーニーだから、過酷な死刑執行人が本当は孤独な寂しい人形のような雰囲気をもたらしていく。この役を演じられるのは、クルーニー以外に考えられない。それに、次々と登場する飛行機から眺める米国の風景にも味がある。緑なす平原が続くかと思えば、小さな家の明かりが規則正しく並ぶ街、山あり平野ありビルがあり。昨日は半そでのポロシャツ姿でマイアミのビーチの船上でパーティを楽しんだかと思えば、今日はコートを着込んで雪のデトロイトを車で走る。米国という大陸の大きさと広さがあって成り立つマイレージ。こんな広い大陸を飛び歩くからっぽのバックパックのむなしさとわびしさを教えてくれたのも、意外にもリストラされて呆然自失、仰天して怒ったり悲嘆にくれる人々だった。

実は、本作でライアンからリストラを勧告される22人の人々は、実際のリストラ経験者。失業問題をとりあげたジェイソン・ライトマン監督は、真実がもつ誠実さを求めて「本物を見せるべきだ」との結論に達し、自らのリストラ体験について話してくれる人を募集した。彼らはカメラの前に立つことは承知したものの、自分の本心が大勢の人々に見られることになるとは予想もしていなかったようだ。しかし、映画出演が一つのきっかけとなり、その後の人生をやり直すことになったことは彼らも認めている。なんと「映画のおかげで、次の失業手当を待つ代わりにスーツを着て、仕事探しをやってみようと思えるようになった」と気持ちを新たにした人もいる。 1年後、映画に出演した22人のリストラ経験者たちの多くが再就職に成功しているそうだ。大不況とは言いながらも日本とは異なる男女や年齢の差別もなく柔軟な雇用環境、きるのも簡単だがチャンスも多いという事情も後押ししているのだろう。決して、解雇イコール自分の存在価値を否定されたことではないという励ましが、作品からも伝わってくる。解雇通知という残酷な仕事師を主人公に失業問題まで考えさせられながらも、最後は後味よく夫もしくは妻、こどもという重い荷物をもちたくなる映画である。幅広い年齢層でカップルでの鑑賞もお勧め。特に花の独身を謳歌しているちゅうぶらりんな(UP IN THE AIR)貴方、男性必見である。

監督:ジェイソン・ライトマン
原題:UP IN THE AIR
2009年アメリカ

■こんなアーカイヴも
『サンキュー・スモーキング』ジェイソン・ライトマン監督
『グッドナイト&グッドラック』・・・ジョージ・クルーニー監督のこの映画は★★★★★

「生命保険のカラクリ」岩瀬大輔著

2010-03-21 16:19:50 | Book
今さら「セイホ」の本である。著者の岩瀬大輔氏は、74年ぶりに独立系セイホ会社「ライフネット生命保険株式会社」を設立した76年生まれの若造。しかし、この若造がただ者ではないのは、大学在学中にすでに司法試験に合格。ま、ここまではそこそこいる。せっかく司法試験に合格しながらも著者は、卒業後は外資系のコンサルティング会社に入社し、その後ハーバード・ビジネス・スクールにご留学。という嫌味なくらいの類型化したエリート街道を驀進しつつ、最後の決め技は日本人で4人目だというBaker Scholarを受賞する。そんな彼が参入したベンチャー企業の業界が「ザ・セイホ」か。(ちなみにこの世界共通言語の「ザ・セイホ」の発信者は、同社代表取締役社長の出口治明氏だそうだ。)ネットというさして目新しくもないツールを使って、そんな超優秀なビジネスマンがチャレンジする業界が旧態依然としたセイホとは。今さら?
本書を読んでまいったのは、疑問をもちつつも安易にとりあえずの契約をしていた私が、”今さら”本書でご教示いただいた生命保険のカラクリの実態である。そして、旧態依然としたマンモスな今さらの業界だからこそ、新規参入のビックチャンスがあることを。

現在、勤勉で真面目な国民の日本人の9割の世帯が、生命保険に加入している。この加入率は世界一の裾野の広さである。もしかして、あのユニクロのヒートテック保有率を上回るのではないか。国民が払っている年間保険料の総額は40兆円。これは我が国のGDP550兆円の7~8%に該当する。この数字だけで、私には充分にインパクトがあった。小売業全体の売上が年間133兆円だから、日々のお買物の3分の1を生命保険料として私たちは支払っているのだ。確かに毎月の引き落としだからそれほどの実感はなかったが、一日にならすと毎日毎日パン代をはるかにこえる金額をお財布から支払うことになる。住宅に次ぐ、うっかりすると1000万円近いお買物になってしまう人生で二番目の高額なお買物にも関わらず、生保レディのおばちゃんにすすめられるがまま、おされるがままに加入してきた生命保険・・・、そんな方が多いのではないだろうか。日本の生命保険は、義理(G)・人情(N)・プレゼント(P)からなる「GNPセールス」と呼ばれているそうだ。 著者自身の亡くなったおばあちゃんも、そんなセイホ・レディのひとりとして働き、病弱な二番目の夫やこどもたちを養ってきた。

かっては、戦争で夫を失った女性や離婚や死別によって寡婦となった女性がこどもを養える職業があまりなかった。専業主婦を主体とした日本の女性の社会進出の遅れが、生命保険の加入をすすめ、欧米には見られない「女性セールスを中心とした販売モデル」がそれを後押しした。離職率50%ながらも、ある意味、女性の雇用の場を提供したセイホの役割は、それはそれで社会に貢献もしてきたと思う。しかしながら、3年前に発覚した大手生保会社各社の保険料不払い事件は、生命保険の根源をゆるがす不祥事!高い離職率の営業職員に、厳しいノルマを課せて誰も理解できないような複雑な商品を押し込む業態自体にそもそも無理があると著者は述べる。つまりそこには、非効率な市場があるということだ。市場のゆがみはいずれ正される、合理的な経済人はグローバル化をそう考える。

もともとこの国の公的医療保険は充実しており、民間の医療保険はそれを補完できる範囲で、また不幸にも稼ぎ頭が亡くなっても「遺族年金」も支払われる。安くてお得な保険はありえない、と率直に述べる著者のライフネット生命は、付加保険料率を全面開示をしている。生保カイシャからいただくグッズを見る度に、どれだけのオマケを保険料で負担しているのだろうという疑問も本書で解決できる。著者は賢く保険に入る7か条を挙げている。

1死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう
2加入は必要最小限、を心がけよう
3死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう
4医療保障はコスト・リターンを冷静に把握して、好みにあったものを選ぶ
5貯蓄は金利が上がるまで、生保で長期の資金を塩漬けしてしまうのは避けよう
6すでに入っていても「解約したら損」とは限らない。見直そう
7必ず複数の商品(営業マンではない)を比較して選ぼう


最後に本当に賢い消費者は・・・、最も私が本書で衝撃を受けた方法が最後のページに記載されている。
ご興味をもたれた方は、文藝春秋社の協力をえて、4月15日までPDFが無料で全文公開をしているのでこちらをご参照ください。今さらが、本当は遅かったこともわかる。

『去年マリエンバートで』

2010-03-15 20:17:13 | Movie
ちかれたっ・・・。本当に疲れた。まさか映画を観てこんなに疲れるとは。。。

バロックの対位法を忠実に再現したかのようなシンメトリックな庭園のある城館。上流階級の紳士淑女たちが、退屈な時間を浪費するためにパーティを楽しむ演技をしている。豪奢できらびやかなシャンデリア、金色に縁取られた扉を開いて迷路のような通路をやってきたのが、ひとりの男A(ジョルジュ・アルベルタッツィ)。そこへ黒いソワレを着た美しい女が現れる。彼は、女性をまっすぐ見て告げる。

「去年、マリエンバートでお逢いしましたよね。」女は、表情をかえずに会ったことがないと答える。
「僕たちは去年愛し合い、一年後に再会する約束をしました。さあ、迎えにきました。僕と、約束どおり一緒に行きましょう」

何度も記憶にないと拒む女に、男は執拗に過去の”ふたりの物語”を再現しながら、愛を語らった”現場”に連れまわし、ついには証拠までさしだす。やがて女は男の紡ぐ夢か現実か判別できないままその危険な”物語”に身を投げ出すようになる。そんなふたりを見守るもうひとりの男(サッシャ・ピトエフ)。石取りゲームに強い彼は、女の保護者、おそらく夫と思われる。冷静に紳士的にふるまいながら、まるで外科医のように妻の心を眺めていく夫。記憶と感情という主観の象徴のようなふたりに対比して、男の視線は客観的事実を再現していくのだったが。。。

デザイナーの芦田淳さんはシンメトリーがとても好きだそうで、軽井沢の別荘も完璧なシンメトリーで建築されている。テレビで一度だけ観た豪奢で趣味のよい建物に、芦田さんのデザイナーとしての美意識がすべて現れていると思った。そして、謎の男が何度も女に一年前のマリエンバートでの追憶をささやくのも、シンメトリーな人工的な庭。噴水の水の動きと足元の砂利の音だけが、唯一時の流れと現実性を知らせてくれるが、シンメトリーの無機質な美しさと閉じた永遠性がまるで白実夢のような記憶を女に少しずつ与えていく。男が物語をつくっているのか。男の妄想なのか。女が嘘をついているのか、それとも本当に記憶をなくしたのか。事実よりも、男の出現に苦しみながれ、やがて階段の下の椅子で男を待つようになる女の心理に、オルガンの音楽とともに心が奪われていく。

混乱の中でよろよろとわかりかけていくのが、女の衣装と時系列の関係である。去年は、純白のジョーゼットのようなソワレ、輝くドレス、そして白い毛皮でくるまれた室内着のドレス。今の彼女は、黒いソワレに黒いドレス。FINの文字が登場して初めて映画の概要に近づけるのだが、一度観ただけでは、とうてい精密なパズルのピースを組み立てることはできっこない。それでもわかるのは、本作が計算されつくした脚本とあらかじめすべて決められた演技と演出の中で、役者は監督の人形のように演じることしかなかったことだ。おそろしくも究極の映像美を魅せた作品である。疲れるはずだ・・・。

監督:アラン・レネ
脚本:アラン・ロブ=グリエ
1961年フランス・イタリア合作

■こんなアーカイヴも
『24時間の情事』(ヒロシアモナムール)
「夏の名残の薔薇」恩田睦著

「初夜」イアン・マキューアン著

2010-03-14 17:53:48 | Book
「婚前交渉」とは、今ではもはや御用済みのお蔵入りされた単語ではあるまいか。結婚式まで性交渉をおアヅケけするのが社会の暗黙の慣習だった時代に成り立つ言葉だからだ。ところで、「R25」による、と江戸時代はそれなりに身分のあるカップルの結婚初夜には、やはりそれなりの儀式が伴ったそうだ。まず、東枕に敷かれた寝具がある部屋で、新夫が冷酒を一杯いただき、その盃を次に新婦が受け取り一杯。これを三回繰り返す。最初の儀式の「床盃」。お次は本格的に「床入」する儀式として、犬の置物(安産の象徴)や鶺鴒や屏風などを飾った寝室で、穂長(ウラジロという植物)と青い石が3つ入った盥で手を洗ってから、新婦が先にお布団に入り夫を迎える。ここから先は、映画『マリー・アントワネット』と同様、立会人が新郎新婦が”達成”したのか”未遂”に終わったのかを、宴席で待っている関係各者に報告しなければならない。

1962年、初夏の英国。性の解放という時代の波がやってくる前の時代のことだった。優秀な頭脳をもち歴史学者を目指す新郎のエドワードは22歳。新婦のフローレンスは王立音楽院で学び室内楽の演奏に熱心にとりくむヴァイオリニストの卵。ふたりは知り合って一年と少し。祝福されてつつがなく華燭の典をおえ、風光明媚なチェジル・ビーチ沿いにあるホテルで食事をしている。深く愛しあっていたふたりだったが、実はこれまでベッドをともにしたことはない。
そして、初夜を迎える二人。
歓喜への期待と興奮で胸が高まるエドワードにとっては、若者らしい昔からよくある初夜という”初舞台”を前にした緊張に過ぎなかったが、フローレンスは肉体が触れあうことへのどうしようもない恐怖と嫌悪感に悩まされていた。彼は彼なりに準備した初舞台、彼女は彼女なりに覚悟を決めて事前に学習してまで挑んだ初舞台。ふたりの緊張に満ちた合奏は、どのようなフィナーレを迎えるのか。

なんと美しくも残酷で、そして尊厳と悲しみに満ちた小説だろうか。本書は従来の小説とは趣向をかえた異色でありながら、まぎれもなく完璧な室内楽のような唯一無二の恋愛小説である。物語は、ほんの少し開いたフランス窓の前でのふたりの礼儀正しいディーナーからはじまり、翌朝で終わるほんの数時間。いつもどおりのイアン・マキューアンらしい冷静な文章は、時にはユーモラスさをふりまきながらふたりのベット・インまですすんでいく。この一夜の流れとともに、ふたりの出会いから、育った階級(女性の方が裕福なのがポイント)、育った家庭環境、音楽の趣味の違いをのりこえて結婚式にたどりつくまでが静かに奏でられる。そこには苦味のある皮肉と人生や運命の残酷さを滲ませているものの、結婚に至るまでのふたりの日々は、希望に満ち美しくも輝かしい。まるで永遠に続く5月の光のように。

深く愛し合っているのに、いや深く愛し合っているからこそ招いた事態。もしかしたら、明日にはそれも微笑ましい躓きになっているかも、一年後の結婚記念日には大笑いで振り返れること、老いた今となっては懐かしい愛情の出発点になったかもしれないこと。「もしも」、ほんの「もしも」のさじ加減で人生が左右されることの皮肉と、失った輝きの尊さを、失ったもうひとつの人生の価値を、名匠は技巧的に細密に優雅に描いていることに成功している。誰もがいくつもの人生の分岐点を抱えている。にも関わらず、それは過ぎ去って振り返ってはじめてわかること。本書は、★★★★★の強力にお薦めしたい作品。女性のみならず、むしろ男性に読んでいただきたい。彼女のふるまいに対して、思いやりに欠けた自己中心的という感想をもたれる男性もいるかもしれない。しかし、私はこう伝えたい。フローレンスのぎこちなさが、彼女の真摯さという美徳に結びついていることを理解するには、あまりにもエドワードは若かったのだと。そして思い出してほしい。初めてエドワードの家を訪問し、彼の母親と腕を組んで歩いている彼女の姿を。
それにしても、映画化は不可能と思える題材で小説の醍醐味と存在価値を示したイアン・マキューアンの筆の力は、本当にすごい。こんな素敵な本に出会って、今宵、私は少し感傷的になってしまった。

■こんなアーカイヴも
映画『つぐない』
「アムステルダム」
映画『Jの悲劇』

「女優 岡田茉莉子」岡田茉莉子著

2010-03-10 23:36:46 | Book
少女は父を知らなかった。顔は勿論、その名前すら知らなかった。1歳の誕生日の5日めに亡くなったと聞かされた父、その人の名前と最初に出会ったのは、小学校3年生の時に配布された家庭調査書に記された母と自分とは異なる姓の名前だった。しかし、少女はその理由を母に尋ねるようなことはしなかった。やがて、少女は高校生になり、疎開先の新潟の映画館で泉鏡花原作のサイレント映画『滝の白糸』を観る。初めて、それとは知らずに少女が父の面影と出会ったのはスクリーンのうえだった。芸名、岡田時彦。わずか30歳で病に倒れた美貌の俳優、岡田時彦と宝塚歌劇の男性役スターだった母との間に生まれた少女がまもなく演劇研究所に入ることになるのは、遺伝子のなせる自然な流れなのだろう。いや、それはやはり運命としか言いようがない。
職業は女優。芸名の岡田茉莉子の名は、父の葬儀の時に美しい弔辞を読んだ作家の谷崎潤一郎が命名した。父の芸名も谷崎がつけたと少女はきいた。こうして、女優「岡田茉莉子」が誕生した。

表紙の情感がただよいほのかな色気がある端整な横顔は、誰もが思わずふりかえってしまいそうな華がある。これぞ本物の女優の顔である。岡田茉莉子さんといえば、これまでは、時々2時間ドラマで有産階級の奥様役か美容やアパレル系企業の女性社長役がいかにも似合いそうな、ちょっと性格がきつそうだけどおばさんにはなれない(かっての)美貌を誇る中年女性というイメージでしかなかったが、「自伝を書くのはあなたの宿命」とまで言った夫であり映画監督の吉田喜重氏の判断が、決して身内のひいきではないことがわかる。その根拠として、岡田茉莉子さんが自分の言葉で考えてきたことを自分の言葉で語っていること、戦争体験と復興、映画全盛期を迎えながら産業の衰退を身をもって語ること、すなわち女優の視点からの映画の歴史、そして何よりも夫が期待したのはひとりの女性が運命に導かれるように映画女優になって限りなく映画を愛した事実である。

本来の自分のキャラクターとは別の人格を与えられて必死に演じる若き「岡田茉莉子」、そして女優になるために自分自身すら別の「岡田茉莉子」になろうとする私を、もうひとりの素顔の私が俯瞰している、こんな構図に気がついた時、本名・田中鞠子は女優「岡田茉莉子」へとなっていく。本書を読むと、全く自分自身とは違う人格を演じることで世間がかってに先入観をつくり、その期待される枠の中で役が固定されていく若かりし頃の悩みが綴られている。確かに魅力的だが、芸者役もこなさなければいけないアプレゲール女優というレッテル。そんな中で、岡田茉莉子さんは着実に演技力をつけ、会社が求める以上の仕事をこなして成果をだして成長していった。出演した映画の数は180本。本書の中で何度も登場するのが「岡田茉莉子が岡田茉莉子という女優を演じる」という言葉だが、それは生涯の彼女の女優としての夢となっていく。素顔の岡田さんははっきりものを言う方だそうだが、それはいつも一生懸命に全力疾走しているからではないだろうか。俳優や女優が映画会社という置屋の芸者のように縛られた時代から、彼女は大胆にも映画界から追放されるかもしれない覚悟のもとフリー宣言をする。そして演技の幅を広げて出会った映画監督の吉田との結婚。ドイツの小さな町で結婚式を挙げたふたりはそのまま欧州8カ国をめぐる35日間に及ぶ新婚旅行をする。淡々とした文章ながら、そこには夫婦が信頼しあうまるで夢のような旅行の雰囲気が伝わる。このご夫婦ばかりではなく、当時は、インテリジェンスな映画監督と結婚する女優が多かったのも映画に勢いがあった時代のひとつの反映だろう。そして、独立。岡田さんの女優の歴史は、そのまま貴重な戦後日本の映画の歴史でもある。豊富な写真と簡単なあらすじに観たいと思う映画が次々とでてくる。表紙になった吉田監督の『秋津温泉』、裏表紙の『エロス+虐殺』もそうである。映画監督としての夫の才能を誰よりも理解しているのも、妻である女優の岡田さんだ。

平易な言葉で流れるように綴られた文章からは、ひとりの女優の素直なひたむきさと情熱が静かに伝わってくる。女優の自叙伝は、さりげない自己アピールが続くのではないかという懸念にも関わらず本書を手に取ったのも、表紙の横顔の美しさにひかれたからだ。掲載されてる多くの白黒写真の中で様々な役を演じていた岡田茉莉子さんがなんと端整なのだろう。岡田茉莉子さんの職業は、もうひとりの岡田茉莉子を演じる女優だった。