先日の3月14日、パリは若き音楽家たちの演奏で燃えていた。
パリのコンサートホール、サル・プレイエルで、北朝鮮の銀河水(ウンハス)管弦楽団と、韓国人指揮者の鄭明勲氏が音楽監督を務めるフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の合同演奏会があった。そもそも写真で若くやせている(当たり前か・・・)青年たちが楽器を持つ蝶ネクタイ姿に驚きがあった。あの北朝鮮に西欧音楽を演奏する管弦楽団があったとは。それもそのはず、同楽団は発足されてからわずか3年の新しい楽団である。しかし、「2006年に自分が赴任する前のソウル市交響楽団と同じレベル」と鄭明勲氏は高く評価している。
少ない報道を寄せ集めたところ、コンサートはこんな雰囲気だったようだ。
プログラムの前半は、約90人で編成された銀河水だけで伝統楽器を使用した北朝鮮の音楽「ブランコに乗る乙女」「ビナロン三千里」「魅惑」とサン=サーンスの「ロンド・カプリチオーソ」の計4曲。拍手にわくが、20代の楽団員たちは笑顔もなく舞台の上で一緒に拍手をする場面もあり、顔を見合わせる観客も多かったそうだ。
しかし、後半、鄭氏が登場してフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団と演奏したのがブラームスの交響曲1番。ブラームスが20年の歳月をかけて作曲した名曲である。銀河水にとっては初挑戦の大曲。全員が一丸となって必死の形相で楽譜にかぶりついていたという記事を読んだ。独裁者のための音楽とは根本的に異なり、重厚ですべての音符に意味のあるブラームスを演奏する彼らは、この音楽をどう受けとめたのだろうか。「若い人に外の世界を見せたい」と語っていた鄭氏の感情は、同じ東洋人の日本人にも想像がつく。そして最後の曲は「アリラン」。全員が感動に包まれたが、カーテンコールに応えて北朝鮮の指揮者を伴って登場した鄭明勲氏の挨拶は次の言葉だった。
「南北朝鮮は政治的に分断されていますが、人間は一つ、家族です。音楽には国境を越える力があります。」
このような2時間45分にも及ぶ演奏会が実現した背景は、EU主要国の中で唯一北朝鮮と外交がなかったフランスが、昨年10月に、平壌に「文化交流」の常設事務所を開設し、事務所設置に尽力した仏大統領特使のラング元文化相が、南北楽団の共演を果たせなかった鄭明勲氏に手をさしのべて、北朝鮮当局を仲介して、今回、交流の一環として公演が実現した。フランス政府としても北朝鮮との交流にメリットがあるからだろうが。
その昔、大正の詩人で知識人だった金子光晴の名言を思い出す。
「西洋人たちが、猿が人のまねをするときは、喝采をしてほめるかわりに、その猿が人と対等にふるまうようになることをぜったいに許さないことなどは、日本人は気がついたこともない」
現代でも本質的にはそう変わらないと感じているところもあるが、芸術の分野では猿真似を超える多くの優れた東洋人が活躍している。アンコール曲は、「私を育ててくれたフランスに捧げる」と前置きし、観客が総立ちとなったのはフランスの作曲家ビゼーによる「カルメン前奏曲」だった。
パリのコンサートホール、サル・プレイエルで、北朝鮮の銀河水(ウンハス)管弦楽団と、韓国人指揮者の鄭明勲氏が音楽監督を務めるフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の合同演奏会があった。そもそも写真で若くやせている(当たり前か・・・)青年たちが楽器を持つ蝶ネクタイ姿に驚きがあった。あの北朝鮮に西欧音楽を演奏する管弦楽団があったとは。それもそのはず、同楽団は発足されてからわずか3年の新しい楽団である。しかし、「2006年に自分が赴任する前のソウル市交響楽団と同じレベル」と鄭明勲氏は高く評価している。
少ない報道を寄せ集めたところ、コンサートはこんな雰囲気だったようだ。
プログラムの前半は、約90人で編成された銀河水だけで伝統楽器を使用した北朝鮮の音楽「ブランコに乗る乙女」「ビナロン三千里」「魅惑」とサン=サーンスの「ロンド・カプリチオーソ」の計4曲。拍手にわくが、20代の楽団員たちは笑顔もなく舞台の上で一緒に拍手をする場面もあり、顔を見合わせる観客も多かったそうだ。
しかし、後半、鄭氏が登場してフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団と演奏したのがブラームスの交響曲1番。ブラームスが20年の歳月をかけて作曲した名曲である。銀河水にとっては初挑戦の大曲。全員が一丸となって必死の形相で楽譜にかぶりついていたという記事を読んだ。独裁者のための音楽とは根本的に異なり、重厚ですべての音符に意味のあるブラームスを演奏する彼らは、この音楽をどう受けとめたのだろうか。「若い人に外の世界を見せたい」と語っていた鄭氏の感情は、同じ東洋人の日本人にも想像がつく。そして最後の曲は「アリラン」。全員が感動に包まれたが、カーテンコールに応えて北朝鮮の指揮者を伴って登場した鄭明勲氏の挨拶は次の言葉だった。
「南北朝鮮は政治的に分断されていますが、人間は一つ、家族です。音楽には国境を越える力があります。」
このような2時間45分にも及ぶ演奏会が実現した背景は、EU主要国の中で唯一北朝鮮と外交がなかったフランスが、昨年10月に、平壌に「文化交流」の常設事務所を開設し、事務所設置に尽力した仏大統領特使のラング元文化相が、南北楽団の共演を果たせなかった鄭明勲氏に手をさしのべて、北朝鮮当局を仲介して、今回、交流の一環として公演が実現した。フランス政府としても北朝鮮との交流にメリットがあるからだろうが。
その昔、大正の詩人で知識人だった金子光晴の名言を思い出す。
「西洋人たちが、猿が人のまねをするときは、喝采をしてほめるかわりに、その猿が人と対等にふるまうようになることをぜったいに許さないことなどは、日本人は気がついたこともない」
現代でも本質的にはそう変わらないと感じているところもあるが、芸術の分野では猿真似を超える多くの優れた東洋人が活躍している。アンコール曲は、「私を育ててくれたフランスに捧げる」と前置きし、観客が総立ちとなったのはフランスの作曲家ビゼーによる「カルメン前奏曲」だった。