千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

北朝鮮の銀河水管弦楽団がパリへ

2012-03-30 23:23:44 | Classic
先日の3月14日、パリは若き音楽家たちの演奏で燃えていた。

パリのコンサートホール、サル・プレイエルで、北朝鮮の銀河水(ウンハス)管弦楽団と、韓国人指揮者の鄭明勲氏が音楽監督を務めるフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の合同演奏会があった。そもそも写真で若くやせている(当たり前か・・・)青年たちが楽器を持つ蝶ネクタイ姿に驚きがあった。あの北朝鮮に西欧音楽を演奏する管弦楽団があったとは。それもそのはず、同楽団は発足されてからわずか3年の新しい楽団である。しかし、「2006年に自分が赴任する前のソウル市交響楽団と同じレベル」と鄭明勲氏は高く評価している。

少ない報道を寄せ集めたところ、コンサートはこんな雰囲気だったようだ。
プログラムの前半は、約90人で編成された銀河水だけで伝統楽器を使用した北朝鮮の音楽「ブランコに乗る乙女」「ビナロン三千里」「魅惑」とサン=サーンスの「ロンド・カプリチオーソ」の計4曲。拍手にわくが、20代の楽団員たちは笑顔もなく舞台の上で一緒に拍手をする場面もあり、顔を見合わせる観客も多かったそうだ。

しかし、後半、鄭氏が登場してフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団と演奏したのがブラームスの交響曲1番。ブラームスが20年の歳月をかけて作曲した名曲である。銀河水にとっては初挑戦の大曲。全員が一丸となって必死の形相で楽譜にかぶりついていたという記事を読んだ。独裁者のための音楽とは根本的に異なり、重厚ですべての音符に意味のあるブラームスを演奏する彼らは、この音楽をどう受けとめたのだろうか。「若い人に外の世界を見せたい」と語っていた鄭氏の感情は、同じ東洋人の日本人にも想像がつく。そして最後の曲は「アリラン」。全員が感動に包まれたが、カーテンコールに応えて北朝鮮の指揮者を伴って登場した鄭明勲氏の挨拶は次の言葉だった。

「南北朝鮮は政治的に分断されていますが、人間は一つ、家族です。音楽には国境を越える力があります。」

このような2時間45分にも及ぶ演奏会が実現した背景は、EU主要国の中で唯一北朝鮮と外交がなかったフランスが、昨年10月に、平壌に「文化交流」の常設事務所を開設し、事務所設置に尽力した仏大統領特使のラング元文化相が、南北楽団の共演を果たせなかった鄭明勲氏に手をさしのべて、北朝鮮当局を仲介して、今回、交流の一環として公演が実現した。フランス政府としても北朝鮮との交流にメリットがあるからだろうが。

その昔、大正の詩人で知識人だった金子光晴の名言を思い出す。
「西洋人たちが、猿が人のまねをするときは、喝采をしてほめるかわりに、その猿が人と対等にふるまうようになることをぜったいに許さないことなどは、日本人は気がついたこともない」
現代でも本質的にはそう変わらないと感じているところもあるが、芸術の分野では猿真似を超える多くの優れた東洋人が活躍している。アンコール曲は、「私を育ててくれたフランスに捧げる」と前置きし、観客が総立ちとなったのはフランスの作曲家ビゼーによる「カルメン前奏曲」だった。

『おとなのけんか』

2012-03-29 22:28:49 | Movie
登場人物はたった4人のオトナ、2組の夫婦である。(電話での出演者は除く)
舞台劇を映画化した本作は、11歳の男児2人の喧嘩を良識をもって友好的に解決しようと被害者宅に集まった2組の親夫婦の本音が除ゝに炸裂してついには暴走していく狂想曲。以下は、そんな登場人物の彼らの私なりの独断と偏見による人物ファイル。

その1:ベネロペ(ジョディ・フォースター)は、アフリカ問題に関心が高く、又、芸術を好む女性。なかなか興味の分野と趣味が自分に近い感じがしてドキッとしたのだが、こうした女性のステレオタイプがベネロペだ。きれいな顔立ちなのだが、容姿を磨くことには関心がなく地味で野暮ったい女性。本も出版したりと賢いのだが、作家となのるまでには至らないプチ・インテリ。彼女は人間としてあるべき理想を追い求めるタイプなのだが、これももしかしたら貧しいことへの反動か。

その2:マイケル(ジョン・C・ライリー)は、ベネロペの夫で金物店を経営している。身なりにかまわない妻と同様、ジムでエクササイズをして若い頃と同じ体重をキープする・・・なんてことは全くしない男。だって、金物屋の親父さんなんだもの。一見、妻に理解ある夫のように見せつつ、本音では真剣に額にしわを寄せて世界の果ての問題をまくしたてる妻には少々うんざりしている。「そんなこと、どうだっていいじゃないか。」この一言が言えない気の弱さとお人よしさがある。日本の”亭主関白”を派遣してさしあげようか。。。

その3:ナンシー(ケイト・ウィンスレット)。ベネロペよりもずっと若く、彼女からすればナンシーは新人類。投資ブローカーという実態のなさそうな仕事を有能にこなすキャリアウーマン。上質な濃紺のスーツに真珠のネックレス、勿論、巻き髪に足元はハイヒールと完璧にぴしっと決めている。脱力系の服装でひっつめ髪、殆どノーメークのベネロペとは対照的。品格のある言葉遣い、適度な女らしさをキープしながらテキパキとした物腰だが、実は職業と同じフェイクな女。上昇志向が強く住居、服装、夫と、それらは自分の思い描く人生を飾る道具ではないか。

その4:最後に、私が一番気に入ったキャラクターがこのナンシーの夫のアラン(クリストフ・ヴァルツ)。製薬会社の顧問弁護士という職業も”いかにも”である。厚顔不遜という長所をいかして職業人としては優秀なのだが、人としての救いがたい底の浅さはばればれ。ナンシーは初めての妻だろうか。離婚暦ありそうだと疑っている。ひっきりなしにかかってくる携帯電話での会話から下賤な男だというのも感じられるが、そんな人物の造形のためのちょっとした仕草や行儀の悪さが、とてもよく考えられて計算されている思う。うまい俳優だ。そして、高級スーツに身を包むアランだが、案外、中産階級ではなくて貧しい層からの成り上がり組かも。この携帯命の男が、妻に携帯を取り上げられ花瓶の水の中に放り込まれてしまった時の動転ぶりとショックのあまりへなへなと立っていられなくなってしまった場面では、大笑いしてしまった。

アランが握って離さない携帯電話の着信音は、場面の流れで重要な役割をしている。話しがすすみちょうといいタイミングで話しを中断させる携帯電話の着信音。実際、映画で観てもいらっとする。観客の心理効果もねらっているわけではないが、2組の夫婦の会話が着信音の度に本音を小出しにして、やがて誰も止められなくなるくらいヒートアップしていく。演技力勝負の物語で、4人の俳優たちはこのカルテットを楽しんでいるようだ。社交辞令やもって回った言い方、場の空気を読む日本人社会と違って、ストレートの感情を表現してはっきりものを言うアメリカ人でも、社交や夫婦関係では表面的な友好関係でごまかすことも多いのだろうか。後半、ベネロペのヒステリックな会話には辟易したが、思いっきりあんな風に私も本音炸裂で喧嘩をしたいっ!
そういえばアランがベネロペに「君の友人の*1)ジョディ・フォースターのように社会正義を振り回す女よりも、男は何も考えない色気のある女の方が好きだ」という実にもっともな意見を言い放ったのは笑えた。

欲を言えば、最後に窓から見える景色を日が暮れかかっている雰囲気になっていると、時間の経過が感じられてよかったのにとも感じたのだが。ところで、監督のポランスキーがどうしてマンハッタンを舞台にした映画を製作したのか、と思ったりもしたのだが、製作はフランス・ドイツ・ポーランドの合作であり、しかもパリで撮影されたそうだ。納得。そうだ、ポランスキーも喧嘩が上手そうだ。

*1)実は、「とんとん・にっき」のtonton3様にも指摘されましたが、正しくはジョディ・フォスターではなく「ジェーン・フォンダ」と言っていたようです。私の聞き違いです。しかし、ここはご本人のジョディ・フォスターにした方がおもしろいと思っていますので、訂正しないでおきます。

監督:ロマン・ポランスキー
2011年フランス・ドイツ・ポーランド合作映画

■アーカイヴ
『ゴーストライター』

MAROワールド Vol.17 ”モーツァルト Part.III” by MAROカンパニー

2012-03-27 22:53:12 | Classic
ETUDEのromaniさまは、ベートーベンの「田園」の最初の出だしを思い浮かべただけで、なんとなく幸せな気分になるらしい。
この感じはとても良くわかる。私はさしずめモーツァルトの音楽だろうか。単純なことに、モーツァルトを聴いている時の私はほんわかと上機嫌な女王様。ましてやディベルティメントの音楽なんぞに包まれたら、この世の中が美しくも生き生きと心に映ってくる。ディベルティメント。和名では、素敵にも”喜遊曲”(嬉遊曲)なんて訳されている。

さて、今宵は18世紀後半に、貴族のために祝賀行事用、はたまたパーティのためのBGMとしてモーツァルトが作曲したディベルティメントを集めた演奏会である。演奏者はまろさんと親分が「ヤッホー。元気? ねぇ、まろと遊ばない?」などとナンパの電話をかけて集結させたらしい男達。

そう、このMAROカンパニーの特徴は、若手、いずれも国内の主要オーケストラのコンサートマスターや首席奏者、そしてジョシ隆盛の世間とは背を向けたオール”メンズ”であるところに特徴がある。しかし、まろさまのイタリアン・マフィアのようなあの迫力で”遊ばない”と優しく誘われたら・・・断れる勇気はないかも?

それは冗談として、もうひとつMAROカンパニーの大事な特徴は、お客さんも充分楽しんではいるだが、実は演奏者の方たちの方がもっと楽しんでいる!ことだ。ヴィオラの鈴木康浩さんなどは、実に楽しそうに演奏している。

おっと忘れてはいけない、それからまだまだあったのが、曲の途中でまろさんの司会(しきり)があり、突然ご指名を受けた方による曲の解説など、トークが間に入ることだ。これがなかなかお茶目な演出で笑える。今回は、初出品の水谷晃さんと依田真宣さんによる回文の音楽版モーツァルトの「シュピーゲル・カノン」までが演奏された。鏡を表す意味のシュピーゲルのカノンは、一枚の楽譜を相対で演奏していくしかけになっている。よく知られているモーツァルトの天才性を証明したような曲だが、実際に演奏されるのを聴いたのは初めてだった。

こんなところにも、高い音楽性を追求する緊張感とは別の次元の素朴に音楽を楽しむ創意工夫がうかがえる。ちなみに以前のクリスマス・コンサートでは開場時間が通常よりも早く1時間前でワインが呑み放題だった記憶があるのだが、今回は休憩時間にヨックモック提供、パティシエ特製ザッハトルテがふるまわれた。美味で満足!まさかお酒やケーキで釣られているわけではないが、本当にMAROカンパニーはチケット入手困難である。

先日、デパートの紳士服売り場で店員さんが華やかな柄を裏生地に仕立てているジャケットを中年の男性にお薦めしている光景を見かけたのだが、その男性がすすめてくれた店員さんに「あっ、まろだっ!」とジャケットを指差していた。私も声こそ出さなかったが、近くで「あっ、まろだっ」と思わず目を見開いていた。この意味がわからない方は、つたない弊ブログ>をご一読いただければ・・・。

---------------------------- 3月22日 王子ホール -------------------------------------

篠崎史紀、伊藤亮太郎、白井 篤、伝田正秀、長原幸太
西江辰郎、水谷 晃、依田真宣(ヴァイオリン)
佐々木 亮、鈴木康浩(ヴィオラ)
桑田 歩、上森祥平(チェロ)
西山真二(コントラバス)
阿部 麿、日高 剛(ホルン)
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136,137,138
       :ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 K334

■サプライズ・ピース
モーツァルト:シュピーゲル・カノン

■アンコール
ランナー:モーツァルト党 Op.196 より MAROスペシャル・バージョン


「巴里の空はあかね色」岸惠子著

2012-03-25 14:52:08 | Book
私の考えるマダムの条件。

本人もしくは夫にかなりの経済力があり、若造りなど大嫌いだがお洒落でセンスもよくいつも若々しく、立ち居ふるまいがエレガントで威厳はあるが包み込むようなあたたかみがあり、そしてここが要だが実は知性と教養も深い。
日本人にはヨーロッパのような美しいマダムにはなかなかお目にかかれないし、かくいう自分こそ一生憧れの”マダム”にはなれそうにもない。
ところが、それらのすべての条件を完備しているマダムがいる。岸惠子さんだ。

岸惠子さんは、1932年生まれの女優であり作家でもある。その昔出演した「君の名は」というドラマが大ヒットして人気女優となり、そして日本を代表する小説「雪国」で駒子役を演じてその地位を不動のものにした。その「雪国」を撮影中、前年の当時としては破格の日仏合作映画「忘れえぬ慕情」を撮った映画監督イヴ・シャンピ氏と密かに婚約。日本の古風な駒子を演じるにあたり、”毛唐”の嫁になるのがばれたらイメージダウンと、婚約を公表するのは厳禁されていたそうだ。驚くべき見識だが、そんな時代に48時間もプロペラ機に乗ってフランスへ結婚のために移住するのは岸惠子さんらしい。フランス人だけでなく、国際結婚が庶民の間でも定着している現代とは違う。岸さんは、ゲランの香水のモデルとなったクーデンホーフ・光子伯爵夫人に続く海外で暮らす日本のマダムで、後継者はジャン・アレジさんと事実婚をしている後藤久美子さんだろうか。

ところで、日本を捨てたとまで言われて嫁いだ相手だが、だいぶ前、週刊誌で結婚式の写真を見た記憶がある。川端康成を介添え人とするのもこの方らしい一流好みだと感じたが、美しい人形のような花嫁に寄り添っていたのが、一回り年上のはげちゃびんのおじさん!だったのは本当に意外な印象を受けた。えっっ、うそでしょ~っ、夢見る乙女心は即座にガイジンのおじさんを否定した。しかし、しかし、そんな頭髪がなくなったずっと年上の男性を選ぶのも、岸惠子さんだからだ。それがなんとなく理解できるのが、日本文芸大賞のエッセイ賞まで受賞して作家という肩書きまで備わった本書の「巴里の空はあかね色」である。夫から突然の破局を告げられた1973年8月11日から10年間、女優という職業を背負いパリに暮らすひとりの女性の自伝的エッセイ。

邪推というのははしたないと承知しつつ、なかなか読ませてくれるエッセイから、女優の絶頂期にイヴ・シャンピさんのところへ嫁いだのはいかなる心からか、と想像をふくらませてみたりもする。鶴田浩二さんは兎も角、どんなタイプの”日本人男性”でも岸さんだったらお相手に選べただろうに。 けれども、岸さんを満足させることができる男性はあの当時の日本にはいなかったのだろう。彼女がイヴ・シャンピさんと出会ったのは、1956年。この年は、経済企画庁は経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と宣言した”戦後”から高度成長期へ向かうパラダイム・シフトをした年。横浜に生まれ、空襲に被災し、物もなく、食べるものもなく、耐乏生活の中でかろうじて生き延びた少女時代。たとえ大女優となり、カイシャから自分専用の車まであつがわれる境遇となっても、年頃の彼女の前に登場したのは、遠い遠いフランスからやってきた白人の映画監督だった。

彼は、将来を嘱望された医学博士でもあったのだが映画界に転進し、父親はパリ・コンセトヴァールでも教える有名なピアニスト、母親は世界的なヴァイオリニストだった方。階級社会の欧州で、毛並みも育ちも抜群。岸さんが映画界に入るきっかけとなったジャン・コクトーの映画『美女と野獣』の美術監督をした方が、夫のために優雅にインテリアの改造したアパルトマンで結婚生活を送った。豪奢なマンションの優雅な螺旋階段、夫の名前のイニシャルがきざまれた皮で装丁しなおされた何千冊もある蔵書が並ぶサロン、赫々とともされた燭台、シャンパン、超上流家庭での晩餐会、夜会服で迎える大晦日、郊外のお城のような別荘、、、。岸さんご自身、不思議な幻想の世界にいたと語る「結婚生活」。これだ、と思った。貧しかった日本の国民が猛烈に働き高度成長期へ向かう転換点で、岸さんは「パリのマダム」へと鮮やかにパラダイム・シフトをしたのだった。

しかし、心から愛したイヴ・シャンピさんと離婚せざるをえなかったのも、愛娘デルフィーヌ・麻衣子さんの存在だったと勝手に憶測する。
最愛の娘の失踪事件。やはり、これは赦し難い事件だったと思う。コトの顛末は本書に詳しく書かれているが、娘イノチの母親にとって、気が狂わんばかりの娘の失踪事件の遠因に夫の不貞があったとしたら、夫婦関係の修復は困難であろう。イヴ・シャンピさんがすべて悪いのではなく、慎重に根回しをしてシャンピ夫人におさまろうと画策するユダヤ女性にもそれなりの事情もあったのだろう。愛情には紆余曲折もあり、変遷もあり、落とし穴もあるものだ。ともあれ、他人には、伺い知れない夫婦関係が破綻した。そして、元夫、別れても愛していたシャンピ氏が亡くなった。

スーツケースひとつで離婚後の引越し、日本語を覚えようとしないフランス人の娘との葛藤、東と西、江戸っ子のようにいさぎよくかっこよく、人生の機微を熟知したオトナの女性の10年に渡るエッセイは、優雅なマダムにはなりえなかったけれど、日本人の心に複雑な悲しみをたたえて静かに響いてくる。

「30年の物語」に続く。。。

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

2012-03-20 14:12:40 | Movie
背中がまがり、スカーフを巻いた老女がよろよろとおぼつかない足取りで牛乳を買いにいく。細かく皺のよった首、たるんだ肉体、小さくしぼんだ目。老いたマーガレット・サッチャー、そして現在、認知症を発症している彼女が回想する政治家として”鉄の女”というご本人お気に入りの中傷どおりに意志と決定を敢行する過去のサッチャー首相、彼女になりきった女優メリル・ストリープの演技力は、予想通りに3度目のオスカー賞受賞とアカデミー主演女優賞の栄冠をもたらした。まさに肝心のサッチャーは影となり、メリル・ストリープによる”彼女の舞台”に圧倒された。もはや彼女を前にして今後誰もサッチャー役を演じることはできないのではないだろうか。しかし、私が観たかったのは、メリル・ストリープの演技力ではなくサッチャーだったはず。

映画はほどなく、若かりし頃のサッチャーを映す。マーガレット(アレキサンドラ・ローチ)は、食糧雑貨商の娘に生まれたが市長まで務めた父親の影響を受ける。父の政治演説に誇らかに胸高鳴らせる彼女を「お茶を入れるように」と会場から連れ出したのは母だった。オックスフォード大学からの入学通知に飛び上がるように喜ぶ父と娘を片目に、無関心そうに皿洗いをする母の姿。マーガレットは、まさにこの両親の娘だった。奨学金をえて大学を卒業し、化学者として研究活動を行っていたマーガレットは、25歳で保守党から出馬した最初の下院議会議員選挙で落選した。落胆する彼女にプロポーズしたのは、裕福な実業家のデニス・サッチャー。そんな奇特な?彼にためらいがちにマーガレットが尋ねたのが

「私はお茶を入れて人生を終わる女ではないわ。それでもいいの。」

何と胸のすくようなセリフなのだろう。議員になるためには 「世界で最も長い就職試験」をくぐりぬけなければならないといわれるこの英国で、まして雑貨商の娘のサッチャーが、大臣を勤め、首相にまでのぼりつめるのは本当にすごいことなのだ。鉄の女と揶揄されても、鉄の女にならなければ政治家への道は阻まれた時代と国なのだ。そして、ある作家の言葉を借りれば、

”Whether you love her or hate her, Margaret Thatcher's impact on twentieth-century history is undeniable.”

サッチャーが歴史的にみて完全に正しいと、後に第3の道を提唱して首相になったブレア首相も語っている。人々は豊かになるにつれ、お金の使い道に自由を求めた。大きな国家が、国家独占性の画一性、単調さ、鈍感さで国民を窒息させて自由に介入することを否定しはじめた。自由な競争が水準を高め、増税が意欲を失わせるか、極端にいえば人間性を無視することだ。しかし、彼女が間違えたのは、必要な機会を得るためには公的サービスを受け政府の力に頼るしかない人々の存在をみようとしなかったこと。フランスのサルコジ大統領にも通じるような下層から猛烈に努力してはいあがり成功した者にありがちな、成功できないものへの苛立ちや原因に努力不足をみようとする視点は、ソーシャル・キャピタルへの無関心につながった。タイタニックのように沈没寸前の英国を救ったサッチャーの功績の陰となり取り残された国民を思いやり、投資と改革のバランスをとり、公的サービスと福祉国家を築こうと第3の道を提唱した労働党のブレア首相も、基本的にはサッチャリズムとそれほど変わりがないと私は考えている。

それにしてもブレア首相の「回顧録」を読んでも感じたのだが、この国で首相になるのはとんでもなく大変なことである。テロ、紛争、デモ、野党からの猛烈な攻撃と心身ともに鉄のようにタフではないと務まらない。卵をぶつけられるなんてご愛嬌、サッチャーなどは文字通り保守党党大会中に宿泊していたホテルでIRAによる爆弾テロにまでまきこまれた。フォークランド紛争、とさまざまなエポックがあるのだが、サッチャー嫌いの監督は政治映画ではなく、あくまでもひとりの老いた女性を描くことに主眼をおいている。

しかし、11年間も英国首相であり、まだ存命中にもかかわらず、認知症で亡くなった夫に語りかける姿を描くことに対して、側近達の間では尊敬の念がないと批判の声もあった。派手で趣味の悪い服装をしている娘のキャロルさんが回顧録を出版した時の猛烈な批判を思い出し、米国とは違う英国紳士の慎みを感じた。確かに年齢を重ねれば誰もが老い、どんなに有能だった人でも認知症を発症することもある。メリル・ストリープ自身は「それは不名誉なこととしてとらえられるべきではありません。それは人生であり、真実です」と語ったそうだが、私はある日の新聞の読者投稿の記事を思い出す。早朝の通勤者でごった返す駅前に、忙しくて誰も声をかけることなく下着姿の老女が呆然と立っていたそうだ。おそらく徘徊して自宅に帰れなくなってしまったのだろうが、投稿者の都会の無関心さを悲しむ声に私も同感しながら、その女性のことをとても気の毒に感じた。病気になることは全く不名誉なことではなく、それも人生であり、真実だ。しかし、英国の首相だった女性を映画でこのように描くことは、老女を下着姿にすることとかわらないのではないか。他者への敬意と遠慮、思いやりがないと私は感じている。

恐らく男性の感想だと感じたのだが、「自分の母親があんなふうに描かれているのを見たくはない」と言う議員もいたそうだ。全く同感だ。彼女は鉄の女だったけれど、彼女を認める国民にとっては英国の強い母親のような存在でもあった。私には、良い意味とは違うなんとも寂しく苦い映画となってしまった。最後に流れたシューベルトの「アベ・マリア」が心に優しく聴こえたのがせめてものなぐさめだったけれど・・・。

原題:『The Iron Lady』
監督:フィリダ・ロイド
2011年英国映画

■アーカイヴ
「ブレア回顧録」
老いたサッチャー夫人
・サッチャー元夫人が認知症に
「インタビューズ!」

■参考まで
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の生き方」カトリーヌ・キュラン著

「最底辺のポートフォリオ」J・モーダック他著

2012-03-17 15:38:53 | Book
あなたの負債と資産(預金)はいくらありますか。
おおまかでも回答できるの方は、税金対策に悩む資産家ではないですか。こう聞かれて即答できる方は、むしろ少ないのではないか。私も少ない預金ながら、正確には把握していない。今すぐに使う必要もないということもあるが、生活には困っていないからそれほど通帳をめくることもない。

バングラディッシュの首都ダッカ。ハミドとカデシャは海辺も貧しい村で結婚した。しかし、村には満足な教育も受けていないハミドのような若者が働く場がなく、その村の多くの人々と同様に、田舎を出て首都ダッカのスラムに身をおくフリーター暮らし。自転車でリキシャをひいたり、建設作業員となったり。しかし、健康がすぐれないために収入は安定しないまま、カデシャはこどもを育てながら裁縫の内職でわずかばかりの収入をえている。1990年代のことだった。そんな彼らのような貧困者にとって、決定的な金融ツールはどのような意味をもつのか。著者たちは、バングラディッシュ、インド、南アフリカで貧困世帯と面接を行って、それらの得られたデーターをもとに日記形式でまとめたファイナンシャル・ダイアリーが本書である。

1日2ドルで暮らす貧しい夫婦は、得られた現金は貧しいためにたちまち使い果たして、所謂”その日暮らし”だと想像していたのだが、それは間違い。田舎の両親への仕送り、将来のこどもへの教育資金のための貯蓄、病気に備えての保険がある一方、親戚への貸付金、借金の返済、家賃の延滞金、賃金前借り、他人から預かったお金など、金額こそ数10ドル単位とわずかながら、バランスシートには様々な項目が並んでいる。そして彼らは、これらの日々変化するポートフォリオを正確に把握していた。彼らにとって基本的な目標は、収入がない日でも食べ物がちゃんと食卓に載せられること。長期的な目標の前に、目の前の現実をのりこえるためにキャッシュフローの管理がより重要である彼らは、病気、怪我、仕事にあぶれることも想定して借入れや貯蓄を繰り返す。彼らは彼らなりに懸命にリスク管理をしている。

そして、貧しいにもかかわらず積極的に金融ツールを活用しているのではなく、貧しいからこそそうしているのだった。
たとえば主婦のカデシャは、近所の奥様たちから金遣いの荒い夫や息子から大事なお金を守るために、20ドル預かるというインフォーマルな銀行、人間「マネーカード」の役割も果たしている。そのカデシャやハミド自身も少ないお金を他人に一時的に預かってもらっている。「貯蓄クラブ」を作って、仲間でお金を貯める活動もある。背景には、貧しさゆえにフォーマルな銀行を利用できなかったり、利便性もあるのだろうが、そのようなマネーカードやクラブには安全性に問題が残る。実際に、お金を預けていた店主がいなくなったり、貯蓄クラブの集金人が失踪したりと預けたお金が戻ってこないこともある。

そこで登場したのが、グラミン銀行に代表されるような第二のマイクロ・ファイナンスである。
マイクロファイナンスの機関が、村に担当者を派遣してくれ、便利な通帳式を採用して、どんな目的にも使える貯金が毎週少しずつ増えている。又、利便性、信頼性、柔軟性、構造がキーポイントのマイクロファイナンスの機関の今後の課題を本書は次の3点にあるとしている。

①貧困世帯の日々の金銭管理を支援する機会
②長期的な貯蓄を支援する機会
③どんな目的にでもお金を借りられる機会

貧困世帯にあっては頼れる貯金があることと、いざという時に借入れできることがリスク管理の重要なポイントである。
「最底辺のポートフォーリオ」というタイトルではあるが、1日2ドルで暮らす彼らのファイナンシャル・ダイアリーはセツジツさの向こうにたくましさもかいまみえ、最底辺イコール最低のポートフォリオではない。日本の貧困家庭には、生活保護というセーフティネットがあるが、住民登録のない一家3人が餓死をするという報道が話題になった。彼らにはお金を借りるという金融ツールがなかったのだろうか。孤独死の増加とあいまって、危うい社会の世相も感じさせらる。

■私の負債か資産か?過去ブログ
・ノーベル平和賞受賞にみる女の自活
「マイクロファイナンスのすすめ」官正広著
”小さな金融”が世界を変える

「N響アワー」が終了へ

2012-03-13 22:22:12 | Classic
いやな予感はしていた。
ちょうど1年前に、演劇、バレエ、コンサートなどが週代わりで放映されていた「芸術劇場」が消えてしまった。この番組で、海外のオペラの斬新な演出に衝撃を受け、フランスのバレエの洗練さと粋に目をみはり、シックで上質な室内楽にひきこまれた私だったから、「芸術劇場」の終了には、どえらいショックを受けたのだった。それが、今度はN響アワーまでなくなるのかっ!

しかも納得がいかないのは「N響アワー」終了の背景に、「芸術劇場」の終了があるのだとか。つまり、オーケストラ以外の公演もとりあげていた同番組がなくなったために、「N響限定の番組ではクラシックファンの多様なニーズに」対応できない(NHK広報部)くなったため、4月からは「ららら♪クラシック」をスタートさせて吹奏楽や合唱など幅広いジャンルをとりあげることになったそうだ。

???よくわからないっ!確かに、オケばかりではなく、室内楽やリサイタル、バレエ、オペラだった聴きたい観たい。だからそんなわがままで多様なニーズにこたえてきた「芸術劇場」は価値ある番組だったのではないか。だったら「芸術劇場」を復活させればよいではないか。「ららら♪クラシック」は、作家の石田衣良さんと作曲家の加羽沢美濃さんのトークで「初心者に配慮して、食べ物など音楽以外の要素も盛り込みたい」と言っているが、これまでのN響アワーだって、錚々たる日本の音楽の専門家が、池辺晋一郎さんなどおやじギャグを飛ばしながら、私のように専門家ではない初心者にもわかりやすく本格的な解説がついているのが本分だったはず。音楽以外の要素もとりいれて、後任の西村朗さんも健闘していた。充分楽しかった。

N響公演の放送は、BSプレミアムの日曜日、朝6時から放映されるそうだが、何故、誰もが観られる地上波でなくBSへ。早朝、クラシック音楽を聴くのは私も好きだが、それは映像ではなくCDじゃん。朝の6時という洗濯、朝食の準備、と多忙な家事諸々が待っている時間帯に、テレビの前に陣取ってじっくりと「運命」や「ブラ3」を聴けるわけない。

ところで、「N響アワー」の視聴率はなんと1%もあったそうだ。クラシックファンの人口比からすると、これは驚異的な視聴率だと思う。終了が告知されてから600件以上の意見が寄せられていて、N響ファンからの批判も多いという。そもそもNHKは公共放送だ。私たちの受信料で充分潤っているのだから、視聴率にふりまわされずに良質な番組をお客様である視聴者に届ける義務がある。くだらない娯楽番組を垂れ流す民放には殆ど観る番組がない時代、NHKも娯楽色を強めるようだが、フリーハンドで教養番組を創れるのが公共放送のメリットだったはず。せっかくN響という好きか嫌いかは別として一流のオーケストラを擁しているのならば、演奏会を放映して視聴者に還元する義務がある。そもそも”楽しい”という言葉の本質をNHKの人はわかっていないのではないのか。大笑いすることだけが楽しいことばかりではない。難しくとも本物、本質にふれることがどんなに楽しくて人生を豊かにしてくれることか。生の芸術にふれるのが本来の鑑賞方法だが、それには様々な制約と限りがある。茶の間で、お年寄りの方にも中学生にも芸術の真髄をかいまだけでも感じてもらうことが、テレビの意義ではないか。

NHKの広報担当者が「視聴者のニーズがますます多様化し、より多くの方にクラシックの素晴らしさを伝えることが公共放送として急務となっている」と言っているのも、何度読んでも私には全くわからないのだが・・・。

■こんな番組だってあった(一部だけ紹介)
「3月11日のマーラ」
似島の怒り
ああ宅配便戦争
「魔笛」カナダ・ロイヤル・ウィニペグバレエ団

『3月11日のマーラ』NHK

2012-03-11 15:41:15 | Classic
あの日、あの時間、都内で働いていた私は、かって経験したことのない大きなゆれに、もしかしたら自分の人生はこのまま終わるのかもしれないと感じ、それが運命だったら受け容れるしかないとあきらめかけた。
その後、ネットで震源地が関東ではなく遠方の東北であることに地震の甚大ではない規模を想像して驚き、津波で流される家屋の映像に職場の人たちと衝撃を受けた。

東日本大震災から一年目の節目を迎えるにあたり、各局で次々と特集番組が組まれている。あの日を様々な視点で検証し考える番組の中で、私が観たかったのは3月10日に放映されるドキュメンタリーNHKによる『3.11のマーラ』だった。あの日、あの夜、錦糸町駅近くのすみだトリフォニーホールでは、予定どおり午後7時15分からクラシックの演奏会が開かれていた。指揮者は、新鋭のダニエル・ハーディング。しかも、当日は世界的な指揮者が同楽団で"Music Partner of NJP"に就任した記念すべきコンサートだった。1800席のシートはたちまちソールドアウト。電話も通じず、交通はストップして余震も続き大混乱の中で、演奏会を開くことへの議論、そしてロンドン生まれのハーディングがこんな大地震に遭遇して果たして指揮ができるのかという危惧、さまざまな出来事を再現した異色のドキュメンタリーだった。

ゲネプロの開始時刻は3時。地震が発生した2時46分には殆どの楽団員とスタッフは、すでに会場内で練習や打ち合わせに入っていた。その時、ハーディングはタクシーに乗車して錦糸町に向かう最中、日本橋を通り過ぎるところだった。あるホルン奏者は新橋駅で電車がとまって下車。そこからホルンを背中にかついで、歩きはじめる。途中で間に合わなくなることがわかり、ボーイスカウトで習った40歩歩き、40歩走る、という走法で飲まず喰わずでぎりぎり開演40分前にたどりついたそうだ。彼には大槌市の海側に住んでいる親戚もいるそうで、どんなにかつらかっただろう。

開演するためには、同楽団では2つの条件をクリアーすることが必要だった。
ホールを点検して安全を確認できることと、ひとりでも観客がくることだった。ハーディングからは、どちらの決断にも従うからと申し出もあり、全ホールを点検して震災の被害はなく安全を確認できたことから、4時に開演を決めた。何時間もかけて会場にかけつようとする観客もいた。一方、電話での問い合わせに予定どおりに開演を告げると「こんな時にコンサートか」とどなる人もいたそうだ。楽団員の中には、防災用のヘルメットを一瞬かぶる方もいたそうだ。
こんな時にコンサートか。
当然の抗議であろう。私もそう思う。しかし、サントリーホールでも、この日、コンサートは開かれていた。音楽はパンのかわりにもならないし、溺れている人を救助することもできない。生きるかどうかの瀬戸際にいる人にとっては、何の役にも立たない。しかし、だからこそ、それでも音楽は必要なのだと、大切なのだと私は考えるタイプだ。下野竜也さんもおっしゃっていたようにこれには正解はないだろう。

7時15分、行儀よく購入していた指定席に着席した観客は105人。ハーディングはみんなもっと真ん中に集まればよいのに、と笑いながら語っていたが、逆に分散されていたことで広い会場を満たしていると感じたそうだ。演奏されたのは、マーラーの交響曲第5番。トランペットのソロではじまるこの曲が、なんとこの日の鎮魂にふさわしいか。番組を観ていて、マーラーの音楽が心にしみるようだった。そして、まだこの段階で、大津波による被害の大きさと原発事故も知らなかった帰宅困難者となった観客たちとハーディングが写った最後に紹介された写真の中の笑顔を見て、確かにあの日を境に、私たち日本人は変わったとしみじみと感じた。

サイモン・ラトルが気に入ったとても若い指揮者という印象だったハーディングだが、番組を通して、実に音楽に真摯で装いだけでなく本物の英国紳士に成長していると感心した。地震、原発事故を理由にキャンセルをした音楽家ばかりではなかったのだった。演奏後、彼は「この日を境にして、音楽に対する考え方が変わりました。これからそれを永遠に深めていくことになるでしょう。私の中ではマーラーの交響曲第5番イコール3月11日として刻まれています」と語ったそうだ。そんな彼の肩書き、耳慣れない""Music Partner of NJP"とは、2010年9月に新日本フィルの指揮者に仲間入りした際に、「一緒に最高の音楽を作っていこう」という思いを込めて両者相談の上決めたという。

■こんなアンコールも
「読売交響楽団第503会定期演奏会」

風が目にしみるプーチン首相

2012-03-08 23:07:53 | Nonsense
今年の3月4日は寒かった。しかし、ロシアの寒さはもっと厳しい。
この日、プーチン首相はモスクワでロシア大統領選の勝利宣言を行ったのだが、支持者を前に壇上で涙を流した。
・・・おろろいたっ!
冷徹で現実主義の彼が涙を流すとは。この人はそういう人ではなかったと思っていたのに。あの涙は何だったのか。
ここで浮上しているのが、プーチン首相の個人蓄財疑惑である。

ひそやかにささやかれている噂が、ロシア銀行の元幹部が、夜の帳にまぎれてこっそり鞄につめてもちだしたとされる書類の存在だ。そこには銀行の急成長の秘密とプーチン政権とのつながりが読みとれるそうだ。
そもそも、ロシア銀行は旧ソ連時代の1990年にソ連共産党地区支部を大株主にして創設されたが、現在の大株主はすべて首相の旧友。2000年にプーチン政権の誕生とともに飛躍的に業績がのび、04年に天然ガス事業「ガスプロム」の保険部門子会社「ソーガス」を底値で買収、06年には年金基金「ガスファンド」、翌年には金融部門子会社「ガスプロム銀行」を次々と傘下においた。買収時のガスプロム会長はメドヴェージェフ大統領、社長は腹心のアレクセイ・ミレルと用意周到だ。

首相の旧友たちは、ヤクーニンがロシア鉄道社長、アンドレイ・フルセンコが教育科学大臣と次々と出世して幹部となっていき、ロシア銀行や関連企業の株主にプーチン首相の友人や親族が名を連ね、まさに一族郎党のファミリーバンクのようだ。又、日本の柔道家も本物と認める黒帯保持者のプーチン大統領だが、柔道の稽古相手だったローテンベルグ兄弟はパイプライン建設会社を創設して、資源外交の旗印のもと、次々と伸ばすパイプの契約を獲得し続けて、今では35億ドルもの資産を保有する大富豪に成り上がった。今年の11月に開催予定のAPEC首脳会議に100億ドル、2014年のソチ冬季オリンピックには150億ドル使われ、主な契約は首相の関連企業が取った。これまでクリーンさを装っていたプーチンだが、さすがに利権構図は隠しようがなくなってきた。以前、プーチン首相がロレックスの時計をしていたのが話題になったが、そんな彼らの公表年収は1000万円台。しかも、首相や大統領官邸で26もの邸宅や敷地があり、プーチン宮殿と呼ばれる豪奢な邸宅もあり、ロシア銀行の元幹部の内部告発も銀行の収益がこれらの貢物に流れていったからだそうだ。ロシアのことわざ「魚は頭から腐る」のように。

今回の大統領選をめぐり、現地に国際選挙監視団を派遣していた全欧安保協力機構によるといくつかの重大な問題があったと不正を公表している。昨年の下院選挙では、各地でデモが多発し、数万人もの人々が参加した。勝利宣言の一方で、プーチン王朝の終焉がはじまっていると言えよう。

毎日1~2時間もの筋肉トレーニングを欠かさず、鍛えた肉体を披露したり、マッチョで力強さをアピールしてきたプーチン首相の涙に、「人間味のぞく」と評する報道も見かけたが、はっきり言ってそんな甘いことではないと私は思う。「モスクワは涙を信じない」。西側外交筋は、彼が長期政権にこだわるのは、政権を去った後に待っている刑事訴追をさけるためであり、自己保身とカネが目的と語っている。

あの涙は、ただの安堵の涙だ。本人は、風が目にしみたと弁明したそうだが、その風の向きが変わっていくのを一番実感しているのはプーチン首相かもしれない。

■アーカイヴ
強権政治を実行するプーチン大統領の笑顔
プーチン批判の露・元中佐が重体
プーチン大統領が長期国家戦略を発表
映画『ローラーとバイオリン』
映画『父、帰る』
映画『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』
映画『12人の怒れる男』
映画『静かなる一頁』
映画『人生の祭典 ロストロポーヴィッチ』
映画『エルミタージュ幻想』
「自壊する帝国」佐藤優著
「国家の罠」佐藤勝優著
おろしや国訪問記④
「エルミタージュの緞帳」小林和男著
「1プードの塩」小林和男著
「ロシアの声」トニー・パーカー著
「完全なる証明」マーシャ・ガッセン著
今時のモスクワっ子住宅事情
歴史の不可避性とソビエト的礼節
映画『モスクワは涙を信じない』

世界への挑戦 17歳のバレリーナ

2012-03-06 22:44:21 | Nonsense
今年の2月に開催された 「第40回ローザンヌ国際バレエコンクール」で日本人の菅井円加さんが1位に輝いた。
バレエ界でのアジア勢の台頭に伴い、日本人も同コンクールに入賞するのが珍しくなくなった近年だが、今回の菅井さんについては、
「円加のクラシックは、円熟した完成度の高いもので驚いた。同時にコンテンポラリーの表現も素晴らしかった。一般にダンサーはクラシックかコンテンポラリーのどちらかにより優れているものだ。ところが円加の場合は両方に優れている。両者に境界線を引かず、両方必要だと知ってもいる。今後のダンス界を象徴するようなダンサーが登場した」
と審査委員長のジャン・クリストフ・マイヨ氏が絶賛したことが格別なインパクトを与えた。又、この発言から、日本にいると従来からの「白鳥の湖」のような古典ものが中心になりがちなバレエだが、世界の潮流は華やかなチュチュを脱ぎ捨てたコンテンポラリーとのふたつの潮流があり、どちらの流れでも高い技術性と芸術性をあわせもって泳げるバレエダンサーが求められていることを実感した快挙でもあった。

そして、日本でもおなじみで、菅井さんにとっても憧れのダンサーでもあり、審査員のひとりでもある吉田都さんも「舞台がはじまった頃からとても踊りを楽しんでいる雰囲気で急に輝きだした。」と語り、世界で活躍できる大型ダンサーと実感をこめて彼女に期待を寄せている。

さて、そんな菅井さんをはじめとした今年の入賞者による数々の素晴らしいダンスをかいま観られたのが教育テレビで放映された「世界への挑戦 17歳のバレリーナ」ローザンヌ国際バレエコンクールだった。菅井さんはクラシックでは「“ライモンダ”第1幕 夢の場からライモンダのバリエーション」を踊った。素顔は普通のむしろ地味めな女子高校生の雰囲気なのだが、踊っている姿はとても可愛らしく、しなやかな動きが爪の先まで音楽にぴったりあっている。細部までリズムとメロディーの流れにのっている。しかし、彼女の本領を発揮したのは、やはりコンテンポラリー部門のストラヴィンスキー作曲による「リベラ・メ」だったと思う。吉田都さんは舞台で感じる彼女のダイナミックさは、映像ではわからないと断言していたのだが、確かにわからないが審査員たちがどよめくようなダイナミックさは想像できた。上野水香さんのようなバレエをするために生まれてきたような容姿ではないが、身体能力がとても高い方だと感じる。

ところで、最後に登場したのが第17回のコンクールで金賞を受賞した熊川哲也さん。
このコンクールで優勝することは、今後のバレエ人生には全く関係がない(要するにダンサーとしての単なる通過点である)とのコメントを残していた。確かに、国をあげてダンサーを養成するフランス人などの参加は少ない。だいぶ前からローザンヌ国際バレエコンクールで日本人の姿を見かけると感じていたのだが、何と、日本全国に約5000のバレエ教室があり、バレエを習う方は40万人にも上るそうだ。民間運営とはいえ、この層の厚さが菅井さんのような大器を育てたのだろう。
そして、番組で流れた10代のクマテツさんの「“ドン・キホーテ”第3幕からバジルのバリエーション(抜粋)」の凛々しいを観ながら、この人は踊ってもすごいが踊らなくてもすごい人だとつくづく感じる。ともあれ、留学後の舞姫の今後の素晴らしい踊りが楽しみである。

■アンコール
「テレプシコーラ/舞姫」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部3」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部5」
「黒鳥」