チェリストには、何故か髭が似合う。それもN響のコンサート・マスターの”Sまろ”さんのように端整に手入れをした髭ではなく、ごく自然な髪型と同じような自由な印象を与える髭だ。なかでも、現ラトビア共和国リガ出身のミッシャ・マイスキーの髭は、のびのびとした歌心をもつ音楽性と通じている点では、これ以上髭の似合うチェリストにふさわしい演奏家はいない。
チェロという楽器の魅力は、人間の肉声に最も近いことと良く言われるが、遅ればせながら、私は今回のリサイタルによって本当の意味でその理由を理解したようだ。それはすなわちチェロという一台の楽器が、これほど様々な人間の感情を深く、繊細に表現できることの驚きである。同じ弦楽器であるヴァイオリンほどの華やかさには欠けるが、音のやわらかさと強さ、深みと憂いに満ちた音の響きは、まるで音楽に身もこころも包み込まれるような心地よさを感じる。そして何よりもヴィルトーゾである演奏者、ミッシャ・マイスキーのたとえようのない情感に満ちた音楽性と表現力に感嘆した。これを伝えるには、どのような言葉をもっても不可能であろう。
今回の日本ツアーに予定されていたピアノ伴奏者(愛娘リリィ・マイスキー)が急病のため、カリン・レヒナーに変更になったために一部曲目変更。そのため一番聴きたかったベートーベン「魔王」がプログラムからはずれたのが、非常に残念だった。しかしいたしかたがないとはいえ、このような事態を最も残念で寂しく感じているのは、ミーシャご本人であろう。そのせいであろうか、全体の曲目構成としては、ややバランスに欠けているような気もしなくはない。やはりチェロ・リサイタルには、1曲無伴奏がないとややもの足りなさも残るものである。或いは、近年厳粛なる音楽の構築というよりも、歌曲をチェロ曲に編曲して演奏するなど、より柔軟で自由な抒情性に向かっていることもあるのかもしれない。
最初のバッハのソナタは、席が2階RAブロックという位置のせいか、ピアノの音が大きく、チェロとの融和性が欠けているように思えた。華麗なる音楽暦をもつ伴奏者のカリン・レヒナーのバッハは、文字どおりの華麗すぎる演奏スタイルで、バッハ本来の様式美からあまりにもかけ離れていて疑問である。
次のシューベルトは、まさに音楽の神が宿るかのような演奏だった。ウィーンの深い森を散策しながら人生なかばを思索しているおり、しめった陰りに樹々のざわめきがかすかに感じられると、次の一瞬の後にやわらかであかるい光がさすような、ひかりと陰、哀しみやなぐさめ、優しさが交互に織り成す音の色に、ミッシャ・マイスキーのふところの深い芸術性が感じとれる。映画「ピアニスト」の主人公のピアニストがシューベルトにこだわるところの意味をも示してくれた演奏ともいえる。私の貧困な語彙では言い尽くせない感動だった。至福の時とは、まさにこのような時間をいうのであろう。
後半は、伴奏者との息もあい、民俗色豊かなエンターティメント性を披露した。そこにもうじき60代に入るミッシャ・マイスキーの現在の心境がのぞける。
アンコール曲は、なんと6曲!ロシアの歌曲を中心にレパートリーの豊富さと研究熱心さに改めて敬服する次第である。衣装はいつものイッセイ・ミヤケ。
CDを購入するとサインをもらえるということで、メンデルスゾーンの作曲を集めたCDを早速購入する。(アンオール曲の入っている「ヴォーカリーズ~ロシアン・ロマンス」が一番人気)このCDにも大満足で毎日聴いている。ピアニストは、カリン・レヒナーさんの弟さんであるセツジオ・ティエンボ。楽屋では、彼女の可愛いお嬢さんにも対面した。
-------2005年10月29日 サントリーホール---------------
J.S.バッハ:チェロ・ソナタ 第3番ト短調
シューベルト:アルページョネ・ソナタ イ短調 D.821
シューマン:幻想小曲集 op.73
ファリャ:スペイン民謡組曲
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
■アンコール曲
リムスキー=コルサコフ:薔薇に魅せられた夜うぐいすは 作品2の2
ファリャ:火祭りの踊り
ラフマニノフ:乙女よ、私のために歌わないで 作品4の4
サン=サーンス:白鳥
作者不詳:私があなたに会った時
カタロニア(カタルーニャ)民謡:鳥の歌
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6f/a0562d30f5f6b184d327ac4bc904991c.jpg)
今回の日本ツアーに予定されていたピアノ伴奏者(愛娘リリィ・マイスキー)が急病のため、カリン・レヒナーに変更になったために一部曲目変更。そのため一番聴きたかったベートーベン「魔王」がプログラムからはずれたのが、非常に残念だった。しかしいたしかたがないとはいえ、このような事態を最も残念で寂しく感じているのは、ミーシャご本人であろう。そのせいであろうか、全体の曲目構成としては、ややバランスに欠けているような気もしなくはない。やはりチェロ・リサイタルには、1曲無伴奏がないとややもの足りなさも残るものである。或いは、近年厳粛なる音楽の構築というよりも、歌曲をチェロ曲に編曲して演奏するなど、より柔軟で自由な抒情性に向かっていることもあるのかもしれない。
最初のバッハのソナタは、席が2階RAブロックという位置のせいか、ピアノの音が大きく、チェロとの融和性が欠けているように思えた。華麗なる音楽暦をもつ伴奏者のカリン・レヒナーのバッハは、文字どおりの華麗すぎる演奏スタイルで、バッハ本来の様式美からあまりにもかけ離れていて疑問である。
次のシューベルトは、まさに音楽の神が宿るかのような演奏だった。ウィーンの深い森を散策しながら人生なかばを思索しているおり、しめった陰りに樹々のざわめきがかすかに感じられると、次の一瞬の後にやわらかであかるい光がさすような、ひかりと陰、哀しみやなぐさめ、優しさが交互に織り成す音の色に、ミッシャ・マイスキーのふところの深い芸術性が感じとれる。映画「ピアニスト」の主人公のピアニストがシューベルトにこだわるところの意味をも示してくれた演奏ともいえる。私の貧困な語彙では言い尽くせない感動だった。至福の時とは、まさにこのような時間をいうのであろう。
後半は、伴奏者との息もあい、民俗色豊かなエンターティメント性を披露した。そこにもうじき60代に入るミッシャ・マイスキーの現在の心境がのぞける。
アンコール曲は、なんと6曲!ロシアの歌曲を中心にレパートリーの豊富さと研究熱心さに改めて敬服する次第である。衣装はいつものイッセイ・ミヤケ。
CDを購入するとサインをもらえるということで、メンデルスゾーンの作曲を集めたCDを早速購入する。(アンオール曲の入っている「ヴォーカリーズ~ロシアン・ロマンス」が一番人気)このCDにも大満足で毎日聴いている。ピアニストは、カリン・レヒナーさんの弟さんであるセツジオ・ティエンボ。楽屋では、彼女の可愛いお嬢さんにも対面した。
-------2005年10月29日 サントリーホール---------------
J.S.バッハ:チェロ・ソナタ 第3番ト短調
シューベルト:アルページョネ・ソナタ イ短調 D.821
シューマン:幻想小曲集 op.73
ファリャ:スペイン民謡組曲
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
■アンコール曲
リムスキー=コルサコフ:薔薇に魅せられた夜うぐいすは 作品2の2
ファリャ:火祭りの踊り
ラフマニノフ:乙女よ、私のために歌わないで 作品4の4
サン=サーンス:白鳥
作者不詳:私があなたに会った時
カタロニア(カタルーニャ)民謡:鳥の歌