千の天使がバスケットボールする

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「最高に贅沢なクラシック」許光俊著

2012-10-15 22:41:58 | Book
「ハイヒールをはかない女性には、クラシックはわからない。ファスト・ファッションで満足している女性には、クラシックはわからない。」
こんなことを職場でのたまったら大顰蹙ものだっ!それでなくても趣味がクラシック音楽・・・というだけで浮いてしまいかねないのに。
ところが、著者の許光俊さんは、小心ものの私とは違って堂々とこんな爆弾宣言をしている。

「電車で通勤している人間には、クラシックはわからない。
トヨタ車に乗って満足している人間には、クラシックはわからない」

こんなこと言っちゃっていいのか。しかも殆ど真実だと自信をっている確信犯。それというのも、「クラシック音楽が本質的に贅沢への志向ないし贅沢感覚がある」からだそうだ。本書のセオリーと要はここにある。なんでも20年以上も前のパリでのこと、育ちのよいお坊ちゃまの友人が「学生食堂なんかでご飯を食べていたら、プルーストはわからないよ」と無邪気な発言をしたら、財力をひけらかす方でも経済力で差別するタイプではなかったのだが、留学生仲間から猛反発をくらった。彼の考えが間違えているのか、そんな疑問が某私大の教授となって「近代の、文芸を含む諸芸術と芸術批評」を専門とする氏の脳裏によみがえり、クラシックという最高に贅沢な芸術なフィールドで過激な本音を言いまくっている。

何かとちょっとした発言で一般人のささやかなブログですら、時に炎上するという不穏な世の中に、読者の反感の攻撃を覚悟でここまで言い切る許光俊さんの紳士の気概(蛮勇か?)に、私は素直にまずは敬意を表したい。内容の是非は兎も角、人間、言いにくいことをはっきり言うにはたとえ真実だとしても躊躇するものである。そして、許さんがこよなくクラシック音楽、車、美味しいワインと料理を愛し、人生を美しく謳歌されていることについては、ファースト・フードと居酒屋めぐりの若者には、本書をもって旅に出よ、少し参考にしろよと言いたくもなる。この国ほど貧しいミドル・クラスはないという怒りには、私も海外を旅して本を読むたびに感じていることだ。

しかし、ここで明確にしておきたいのは、氏のおっしゃる”クラシックがわかる”のと、私の考える”クラシックをわかる”というには意味が違うということだ。
許さんが「NHK交響楽団を聴いても、クラシックはわからない」とおっしゃるのは、洗練され研ぎ澄まされた美意識で感じる感覚なのだろう。本物の贅沢を知っているものが、美しいものを感性で熟知していてわかるように。ところが、オペラ鑑賞にスコアを持参する文字通り知の巨人の丸山真男氏のようなタイプのクラシックがわかる方もいる。圧倒的な教養がクラシックをわかる滋養となっている。(もっともワインも美食も教養のひとつかもしれないが。)丸山氏には足元にも及ばなくてもそれなりの教養がそなわっていれば、清貧でもいけるかもしれない、、、というのが私の日本人的な考えである。ちょっと、許さんにはつまらないかも知れないが・・・。

ところで、ハイソな女性向けファッション誌に掲載されていたのが、ミラノ・スカラ座の初日を飾るゴージャスな上流階級の紳士・淑女たち。いかにも多少の経済的なゆとりがあることを自覚している女性の喜びそうな企画だったが、こういう世界に疑問をもつのが庶民の私だ。著者によると、やはりということになるが、社交界の場としてのミラノ・スカラ座に集う人々は肝心な音楽には無関心で退屈しきっているのがわかり、彼らをはっきり嫌悪しているのだが、高価なエルメスのバックを買う感覚でスカラ座に流行のドレスを着て登場する彼らを相手にしなくてはオーケストラも音楽祭も成り立たないそうだ。最高に贅沢なクラシックの、悲しくも矛盾しているこれも真実であろう。

すべてに賛成できるわけではないが、著者の言い分ももっともだと思う。せっかくの一石なのであれば、年下の後輩相手のような気さくな文章もそれでよいところもあるのだが、相手が贅沢なクラシックなので、もう少し格調高く?品格のある文章だったらより楽しめたかも、というのが私の感想。

最後に、許さんはこうも訴えている。
「若者よ、厳しい時代かもしれないが、無理してでも贅沢を知りたまえ」

まあ贅沢が身についてしまうと、それはそれで又生きにくいことにもなりかねないのだが。若者よ、サントリーホールのP席でもよいから、本場のクラシックの音楽にふれてほしい。
最後に、私自身はハイヒールは苦手でめったにはくことがなく、1年365日バレエシューズのようなローヒールを好んでいることを白状しておこう。


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