千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「背信の科学者たち」ウィリアム・ブロード ニコラス・ウェイド著

2014-05-22 22:46:00 | Science
1981年、下院議員の若きアルバート・ゴア・ジュニアは、深い怒りをこめて「この種の問題が絶えないひとつの原因は、科学界において指導的地位にある人々が、これらの問題を深刻に受け止めない態度にある。」とざわめく法廷を制した。通称、ジョン・ロング事件でのできことだった。 論文の盗用、データーの捏造、改ざんをしていたのは、あのOさんだけではなかった。

「それでも地球が回っている」
あまりにも有名なこのセリフを後世に残し、科学者という肩書きを崇高に格上げしたガリレオ・ガリレイの実験結果は、再現不可能で今日では実験の信頼性に欠けているとみなされている。又、偉大な科学者であるアイザック・ニュートンは『プリンキピア』で研究をよりよく見せるため偽りのデータを見事なレトリックと組み合わせて並べていたし、グレゴール・メンデルの有名なエンドウ豆の統計は、あまりにも出来すぎていて改ざんが疑われる、というよりも本当に改ざんしていたようだ。しかし、いずれもこれらの行為は、ニュートンもメンデルも信頼性を高めるための作為であり、都合のよい真実を集めていたわけで、科学的真理の発見にはおおいに貢献していたとも言える。”悪意”もなかったようだし。

しかし、現代ではいかなる科学的な事実であろうとも、論文の捏造は許されるものではない。そもそも、”悪意”の定義を議論することすら見当違いであることを、本書を読んでつくづく実感する。仮に、もし仮にstap細胞が本当に存在していたとしても、論文のデータを改ざんしたり捏造したりする行為が水に流されて、最終的に結果オーライというわけにはいかない。それが、一般社会通念とは違う科学というグローバルスタンダードの戦場なのだ。

いつかはばれる。化石を捏造した犯人がいまだに謎である推理小説のようなピルトダウン事件、サンバガエルを使って嘘の実験データで強引にラマルク学説を支持したポール・カンメラー事件(余談だが、彼はアルマ・マーラーに恋をして結婚に応じないならば亡き夫・マーラーの墓前でピストル自殺をすると迫ったそうだ)、データを捏造して驚異的な論文を生産していたハーバード大学のダーシー事件、論文を盗用しまくって研究室を渡り歩いたアルサブティ事件。次々と背信の科学者たちが途絶えることがない。

本書に登場する事件を読む限りでは、いつかは偽造がばれるだろうと素人にも思えるのだ。結局、嘘に嘘を積み重ねることは、無理があり破綻せざるをえない。それにも関わらず、ミスコンダクトは繰り返されていく。何故なのだろうか。

たとえば、1960年代、全く新しい星がケンブリッジ大学の博士課程の大学院生ジョスリン・ベル・バーネルによって発見された。しかしながら、「ネイチャー」に掲載された論文の筆頭者は、最大の功労者である彼女ではなく、師匠のアントニー・ヒューイッシュだった。教え子の手柄をとった彼が、後にノーベル物理学賞を受賞すると”スキャンダル”と非難された。おりしも、金沢大学では教え子の大学院生が書いた論文を盗用していたという事件が発覚したが、ここまで悪質ではなくとも、それに近い話はそれほど珍しくない。科学の専門化、細分化がすすむにつれ、多額の助成金が必要となり、予算をとってくるベテラン科学者と、彼らの下でもくもくと実験作業を行う若手研究者。ベテランが予算をとってくるから研究できるのであり、逆に駒のように働いてくれるから研究者は真理に近づけるのである。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授と、当時大学院生だった高橋和利さんのようなよい師弟関係ばかりではない。

実は、本書は1983年に米国で出版された科学ジャーナリストによる本である。そんな昔の本なのに、登場する実際の捏造事件は、今回のstap細胞問題に重なる点が多いことに驚いた。優れた研究室で、次々と画期的な論文を連発するが、本人しか再現できないマーク・スペクター事件。stap細胞作成には、ちょっとしたコツとレシピが必要だと微笑んだ方を思い出してしまった。「リアル・クローン」の中でも、著者が再現性が重要と何度も繰り返していた。大物実力者のサイモン・フレクスナー教授の支持を受けて、充分な審査を受けることなく次々と論文を発表してもてはやされていたが、今ではすっかり価値をなくしてしまったがらくたのような研究ばかりで科学史から消えていった野口英世。

ところで、気になるのが、次の記述である。

「若手の研究者がデータをいいかげんに取り扱ったことが明るみに出ると、そのような逸脱行為によって信用を傷つけられた研究機関は、事態を調査するための特別委員会を組織することが責務であると考える。しかし、そうした委員会は結局、予定された筋書きに従って行動するのである。委員会の基本的な役割はその科学機関のメカニズムに問題があるわけではないことを外部の人びとに認めさせることにあり、形式的な非難は研究室の責任者に向けられるが、責任の大部分は誤ちを犯した若い研究者に帰されるのが常である。」

そして改ざんの予防策として、「論文の執筆者は署名する論文に全責任を負うべきである」とも。今回の茶番も、Oさんひとりの責任ではなく、そもそも科学者としての資質も能力も欠けている人を採用し、バックアップしたブラックSさんの責任も重いのではないだろうか。

「リアル・クローン」若山三千彦著
ミッシング・リンクのわな

「リアル・クローン」若山三千彦著

2014-05-14 22:33:50 | Science
4月16日、 理研の笹井芳樹副センター長によるstap細胞の論文問題に関する会見を見た小保方さんは、尊敬する笹井さんにご迷惑をかけたと泣いたそうだ。男だったら泣くか、それをご丁寧に発信する有能な弁護集団の世間の同情を誘うかのような意図もしらじらしいのだが、なんだかお2人が水面下で結託して、山梨大学の若山照彦教授に微妙に罪をなすりつけようとしているのを感じたのは、私だけではなかったのではないだろうか。

さて、ブラック笹井氏が、「世界的な若山」ともちあげつつ、彼の所属大学を”山形大学”などとうっかり間違えて言ってしまった若山照彦さんだが、最終学歴は東京大学大学院で博士課程を修了。30歳前のポスドク時代に、ハワイ大学で世界初の体細胞クローンマウスを誕生させて、研究者として一躍脚光を浴びた。そんな若山さんだが、幼い頃は山から山へ駆け巡り、小学生時代の成績は1と2ばかりの問題児だったそうだ。本書は、若山さんの元高校の理科の教師だったお兄様が執筆したクローンマウス誕生と「ネイチャー」に論文が掲載されるまでの若き研究者のドキュメンタリーである。

1997年2月、英国のロスリン研究所でクローン羊ドリーが誕生した時は、全世界に衝撃が走った。しかし、その後、わずか半年後に同じ哺乳類のマウスで体細胞クローンを誕生させた成果については、国内ではそれほど大きく報道されていなかったような記憶がある。しかし、ドリーよりも画期的だったのが、若山さんが様々な革新的な核移植方法の工夫で誕生させたマウスのクローンであり、そのためにリアル・クローン(学会では、通称ホノルルテクニック)と呼んでいる。しかも、ロスリン研究所ではドリーの後に次ぐ二番目の誕生は成功していないが、若山さんのクローン・マウスは次々と成功し、2年ほどでクローン・マウスが200匹を超え、第6世代のマウスも誕生し、当初の雌のみという定説をひるがえし、雄でもクローン・マウスの作成に成功、尻尾の細胞からもクローンを作っている。やはり、”世界の若山”という言葉は決して皮肉ではなかった。

クローンそのものは、農学部出身の若山さんが興味をもったように、発生工学の分野の研究になるが、細胞分化や初期化に関わる化学物質の解明にも期待された。その後、山中さんがiPS細胞を作成してノーベル賞を受賞したのは周知のとおりだが、クローン作成も何らかの貢献をしているであろう。

ところで、研究者でありながら名人芸の職人さんのような若山さんにとっては、クローン・マウスの成功よりも難しかったのが、あの「Nature」への論文掲載だった。有力な論文掲載紙に投稿した論文が掲載されることは、非常に重要だ。慎重に、細心に、執拗に、何度も追加資料、新しい研究結果を要求してくる「Nature」サイド。その一方で、突き放すことなく、論文掲載に期待をもたせてくる。そんなさなか、お調子のよい同僚との指導権争い、論文審査のさなかに先を越されるのではないかという不安、掲載されていないのに論文の内容も知られるようになり、ポスドクという身分も様々な不安に拍車をかける。

とうとうクローン・マウスが「Nature」の表紙を飾る日がやってきたのだが、その後に、ハワイ大学が契約していたベンチャー企業との裁判というおまけまでついてきた。若き研究者の奮闘する日々、それはまさしく”リアル・ポスドク”の世界だった。

本書は大変読みやすく、誤解を招きやすいクローンの解説もついている。多少、研究者を真理の探究者と理想化している感はするのだが、写真から誰もが感じる若山さんの朴訥で誠実な風貌に、本書からは粘り強さという芯の強さもかいまみられる。

今月8日、理化学研究所は、調査委員会により、慎重に検討を重ねた結果、stap細胞論文問題で再調査を行わないことを決定した。記者会見は3時間にも及び、きっちりと科学者らしく理論的に説明と報告があったそうだ。その決めてのひとつとして、以前に「サイエンス」の査読者から「切り貼りをする場合は、(それとわかるように)間に白いレーンを入れるように」などの指摘をすでに受けていたことが、共著者である若山照彦教授によってもたらされたからだ。

■いろいろありますリアル・科学者の世界
「二重らせん」ジェームズ・D・ワトソン著
・昨年は、ロザリンド・フランクリン生誕93周年だった

「やわらかな生命」福岡伸一著

2014-05-01 18:04:43 | Science
野球に例えたら、打率は何割になるのであろうか。私にとっては、5割を超える打率で快調にヒットを飛ばしている、いやルーキーの時から飛ばし続けているのが福岡ハカセのエッセイである。本1冊単位ではなく短いエッセイものの1本1本を、その内容の充実度とレベルの高さで測ると、ページをめくる度に、心が躍り、清冽に目を開かれる。某ノーベル賞候補作家の新作が出版される度に、特別に駅の構内で店員さんが声をはりあげて宣伝して売っているイベントを横目に、新作を切望して待っている作家のひとりが福岡ハカセである。

「やわらかな生命」。
つよく、しなやかで、やわらかい生命のありようを語ろうとするいかにもハカセらしいタイトルの本書は、「週刊文春」の2011年9月15日号~13年4月18日号掲載されたエッセイを6つ章に集約したものである。いい感じの仕上がりのよいものだけを集めた抜粋ではないのに、どのページも興味深く、じっくりと読まされる。現代人の日常生活の風景になりつつある携帯電話や端末機の充電の儀式から、教科書でおなじみのルイジ・ガルバーニのカエルの実験による電気生理学の発見、リチウムイオン電池の日本人技術者の貢献に至るまでの最初のお話。日常から科学まで、取り扱う分野が広く、その活字は、意外性に富んだ知の発見の旅でもあった。

それから、すっかり忘却の彼方にあった「アルミや亜鉛のように水の溶けやすい金属は電子を放出してイオン化する」現象、、、個人的に、これはちょっと使える話だ。もうひとつ、ハカセのおなじみの友人、顕微鏡を製作したレーウェンフックを、知識階級の象徴であるラテン語の読み書きができないオタクと言い切っていることも使えそうなネタだ。そんな彼の心を解きほぐし、翻訳して出版までプロデュースしたのがロンドンのヘンリー・オルデンバーグだったそうだ。その後、レーウェンフックがスケッチを専門家に依頼して(ハカセ説によると専門家はフェルメール)、次々の投稿し続けた。なんと、その精密な手記は亡くなる90歳まで続いたそうだ。同じ素材で、ここまでリサイクルして使いまわして、尚且つその都度鮮度が落ちずに鮮明。ハカセの変幻自在な手法も、私には謎でもある。

科学者として研究の最先端で走る池谷裕二さんが、研究者のメディア活動についてご自身のサイトでコーナーを設置していて、アウトリーチ活動の是非を公開している。そこには、研究とアウトリーチ活動の両立の厳しさと悩みが伺えるのだが、私は科学者のアウトリーチ活動推進派である。コトが単純ではないのはわかるのだけれど。

さて、最近、ハカセは有名人となり、その活動範囲も広がりつつあるようだ。「生物と無生物のあいだ」出版当時の、白衣を着た素朴で繊細な詩人から、スタイリッシュな都会人にすっかり変貌しつつある。失礼ながら、その見事な変身ぶりにある種の生き物の変態を観察している気すらしてくるのだが、増えたその人脈を生かし、研究者時代とは異なる場所もフィールドワークに加え、益々観察力と考察力に深みを増している。次回作も乞うご期待だ。

尚、表紙の写真は、細胞性粘菌の子実体。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
「フェルメール 光の王国」
「遺伝子はダメなあなたを愛している」
「生命の逆襲」「生命と記憶のパラドクス」
ミッシングリンクのわな

「科学者の本棚」

2014-04-21 22:36:28 | Science
国内でその敷居の高さだでなく、内容の信頼度もトップレベルの出版社、岩波書店から「科学」という雑誌が出版されている。毎月の刊行で、金額は本体1333円プラス消費税。あっという間に消えていく雑誌も多い中、本書は1931年に物理学者の石原純と寺田寅彦によって創刊されて以来、科学の進展を80年以上も見つめてきた。その「科学」が、科学者たちや科学にかかわりの深い方たちに、自分の人生において最も心に残る本、研究への道を進むきっかけになった本、あるいは後輩たちに伝えたい本・・・、「心にのこる本」として連載されていたものをまとめたのが、本書である。

図書館に返却してしまい手元にないのが実に惜しいのだが(デジタル本になることを切望!)、上下二段組で3ページ程度の分量なのだが、どれもこれも密度が濃く、おもしろくて圧倒されまくった。科学者は、毎日数字と化学式を相手にして、論文は勿論英語の世界、、、と思っていたけれど、それにもかかわらずどうしてこんなに優れた日本語の文章を書けるのか。私だって、かなりの本を読んできていると自負しているのだが、本書に登場した科学者達の文章力、日本語のセンス、文系能力の高さに舌を巻いた。そもそも理系、文系のすみわけは意味がないと思っているのだが、世間的に理系と言われる方たちで文系の分野を凌駕してくるのは、古くは寺田寅彦氏、最近では白衣を着た詩人の福岡ハカセや脳科学者の池谷裕二さんだけではないことがよ~くわかった。

それは兎も角、漫画の「鉄腕アトム」にはじまり、最後は「ユークリッド原論」まで。とりあげられた本も、科学界の専門書にとどまらず文学、評伝、まで幅が広い。自分には1行も読めないような難しい本もあるのだが、目がひらかれるようなこんな本があったのかっ、という知的好奇心も刺激されつつ、科学者の情熱や若かりし頃の熱い想いが清々しくも伝わってくる。なんて楽しい書評が続くのか。とりあげられた一冊の本、一冊の本が、珠玉のアンコール曲を集めたような印象だ。読書好きにはたまらない。

もはや古典の域にあるのではないかと思われる本も多いのだが、名著は時代の趨勢に耐えるものである。 巻末に掲載された実物の本の表紙は、殆どが執筆者ご自身の本を借りて撮影したそうだ。長年、引越しをしても手離さず、科学者としての人生とともに歩み続けた大切な本たち。そんな本のリストアップは、次のとおり。

1 夢・・・すべてのはじまりはここに
手塚治虫著『鉄腕アトム』郡司隆男/柴山雄三郎著『驚異の科学』阿部龍蔵/L.M.オルコット著『若草物語』戸恵美子/G.ガモフ著『1,2,3,…無限大』廣田勇/小松左京著『果しなき流れの果に』福江純

2 学ぶ・・・この一冊に育てられ
M.Born 著『ATOMIC PHYSICS』佐藤文隆/鐸木康孝著『理工系物理学』天羽優子/G.Nelson & N.Platnick 著『Systematics and Biogeography』三中信宏/伊福部昭著『管弦楽法』伊東乾/L.D.ランダウ,E.M.リフシッツ著『力学』小磯晴代/E.マッハ著『マッハ力学』横山順一/R.C.Tolman 著『The Principles of Statistical Mechanics』樺島祥介

3 転機・・・出会ってしまったばかりに
中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』山本紀夫/G.バシュラール著『科学的精神の形成』金森修/澤瀉久敬著『「自分で考える」ということ』植木雅俊/A.クラインマン著『病いの語り』柘植あづみ/廣重徹著『近代科学再考』瀬戸口明久/平山諦著『和算の歴史』鳴海風/バナール著『歴史における科学』竹内敬人/東京国立文化財研究所光学研究班著『光学的方法による古美術品の研究』三浦定俊/A.Koyré 著『Études Galiléennes』伊東俊太郎

4 縁・・・めぐりあわせの妙
宮沢賢治著『鹿踊りのはじまり』大貫昌子/K.Aki (安芸敬一),P.G.Richards 著『地震学』蓬田清/片山正夫著『分子熱力学総論』大野公一/鈴木尚著『化石サルから人間まで』奈良貴史/宇井純著『公害の政治学』原田正純/R.エイブラハム,Y.ウエダ編著『カオスはこうして発見された』西村和雄/高木貞治著『解析概論』川合眞紀/『岩波 生物学辞典(第一版)』古谷雅樹/大塚弥之助著『日本の地質構造』杉村新/N.マイアース著『沈みゆく箱舟』長谷川博

5 衝撃・・・目眩がするほどに
C.ターンブル著『ブリンジ・ヌガグ』篠田謙一/オカザキ ツネタロー著『コンチュー700シュ』藤田恒夫/R.ドーキンス著『神は妄想である』三浦俊彦/織田正吉著『絢爛たる暗号』団まりな/C.シェーファー,E.フィールダー著『シティ・サファリ』浜口哲一/S.ゼキ著『脳は美をいかに感じるか』大隅典子/G.ベイトソン著『精神の生態学』池上高志/T.Winograd & F.Flores 著『Understanding Computers and Cognition』玉井哲雄/松本元著『愛は脳を活性化する』霜田光一/Philip Morrisonほか著『Powers of Ten』徳田雄洋/H.シュテンプケ著『鼻行類』今泉みね子

6 敬慕・・・先達をあおぎみる
高木仁三郎著『市民科学者として生きる』小野有五/湯浅年子著『パリ随想』山崎美和恵/神田左京著『ホタル』矢島稔/H.ヴァイル著『シンメトリー』伊藤由佳理/P.レヴィ著『一確率論研究者の回想』舟木直久/米沢富美子著『猿橋勝子という生き方』高薮縁/森毅著『数の現象学』瀬山士郎/武谷三男著『戦争と科学』吉村功/E.キュリー著『キュリー夫人伝』石井志保子/Shun-Ichi Amari (甘利俊一)著『Differential-Geometrical Methods in Statistics』江口真透/上原六四郎著『俗樂旋律考』徳丸吉彦/C.ダーウィン著『ミミズと土』新妻昭夫/朝永振一郎著『日記・書簡(新装版)「滞独日記」』佐々木閑

7 礎・・・いくつになっても読み返す
C.ダーウィン著『種の起原』八杉貞雄/プラトン著『パイドン』納富信留/C.Linnaeus 著『Species Plantarum』大場秀章/D.O.ウッドベリー著『パロマーの巨人望遠鏡』黒田武彦/渡辺格著『人間の終焉』島次郎/寺田寅彦著『寺田寅彦全集』高橋裕/E.フッサール著『現象学の理念』竹田青嗣/ユークリッド著『ユークリッド原論』砂田利一

ミッシング・リンクのわな

2014-04-14 00:06:49 | Science
「 米国のボストンにある、ハーバード大学医学部付属病院。世界最高峰のブランド力のあるこの病院に、若きエリート医師が勤務していた。彼の名前は、ジョン・ロング。彼の研究対象は、原因不明の難病の”ホジキン病”だった。難病の撲滅の研究のためには、まず疾患している患者の腫瘍組織から細胞をとりだして純粋培養をすることが必要だった。もしシャーレの中で、細胞を死滅することなく細胞分裂をさせることができれば、様々な方法で実験に活用できる。

ロングは、なんと短期間のうちにホジキン病の患者組織から細胞株の作成に成功して、一躍脚光を浴びることになった。まさに神の手の持ち主だ。有名な学術雑誌には、次々と論文が掲載され、出世もし、多額の公的研究費も獲得できた。そんな彼をまぶしくも尊敬していたのが、助手のクエイ。

1978年のこと、実験で行き詰った彼が、息抜きにでかけた2週間のバカンスから帰ってくると、待っていたのは休暇中のクエイの替りに行ったロングによる素晴らしい実験データだった。不審に思ったクエイが、ロングに実験ノートの提示を求めると激怒したという。益々あやしいではないか。そこで機械の使用記録を調べて矛盾に気がついたクエイは、尊敬する上司が一気に疑惑の人となり、悩みに悩んだがロングを告発した。

大学が調査をすると、データの捏造どころではなかった。10年間ホジキン病の細胞株として大切に培養されていた細胞株は、驚くことに全く別の実験で使われていたサルの細胞株だった。勿論、ホジキン病とは何ら関係がなかった。」

このお話は、福岡伸一氏の著書「やわらかな生命」からの要約(コピペ?ではない)である。
私は、ブログでこれまで何度もとりあげているが、福岡伸一さんの文章はかなりのお気に入り。たまたま図書館から借りて新作を読んでいたところ、あまりにもタイムリーなロング事件に衝撃を受けた。この事件をもう少し調べたところ、悪意があったのではなく起こりがちなサルの細胞が混入したミスだと主張したそうだが、データの捏造は認めたという。

本書は「週刊文春」に連載されているエッセイの2011年9月15日号~2013年4月18日号 分までをとりまとめた一冊である。大好きな福岡さんの本を、まるで大好物なバウムフーヘンを大切にちょっとずつちょっとずつ味わうように楽しみに読んでいたのだが、「世界を分けても・・・」という文章を読んだのが、偶然なのか4月9日の日本中が注目した記者会見の後だった。
研究者、専門家、報道の立場の方から、テレビのインタビューに「かわいそう~、もういいじゃない」と答える町のおばちゃんまで、あらゆる意見や感想がでつくした感があるから、ブログで言うこともないのだが、私は少々気になった点がある。

●写真の枚数を記者から質問されて
「写真は1000枚……。わからないですけれども、もう大量に」
私たち全くの門外漢でも、複数の画像やファイルを保存しておく場合、必ず時系列がわかるように年月日を入れる。特に科学分野での写真は”記録”になるからいつがとても重要だと思う。福岡ハカセによると実験に使う試験管はエッペンドルフチューブと呼ばれ、研究室内は多国籍なので共通使用でYYMMDD、その後に実験者、実験ナンバー、サンプルナンバーが決まっているそうだ。そんな環境で働いていて、非常に重要な投稿論文に、しかも結果を示す画像を間違えて貼ってしまうことがあるのだろうか。

●「私は学生の頃から本当にいろいろな研究室を渡り歩いてきて、研究の仕方がかなり自己流なままここまで走ってきてしまったということについては」と反省しつつ、一方で「いろんな未熟な点や不勉強な点は多々あったけれども、だからこそSTAP細胞に辿り着いたんだと思いたい、という気持ちも正直にある」ということも話されている。彼女のこの認識は、疑問に感じる。もし報道されているように、博士論文に大量の剽窃をしていたとしたら、そもそも未熟でも不勉強でもなく単なる科学者としての資質がもともとないのでは。もっとも科学者としての教育を受けてこなかったという気の毒な面もある。

●弁護軍団の「それから半数以上法律家にすべきである。それから理研の関係者を排除すべきである。」という意見で、科学の土俵ではなく世間一般的な”悪意”という抽象的な概念から画像を加工したことが捏造にあたらないとしたら、世界の科学界から日本の科学者は信頼が失われると恐れる。

人というのは、ついミッシング・リンクにワナに陥りがちだ。ジョン・ロングはその後どうしたのだろうか。
気になってネットで調べたら、彼は、その後中西部の町で病理開業医になった。病理で開業できるのか、と思ったのだが、さすがに勤務医として採用されるのは厳しいのだろう。しかし、30年後、ある病理標本を誤診したのをごまかすために、標本をすりかえてしまった。その事実が発覚して、彼は医師免許も剥奪されたという。

■続きは

・「背信の科学者たち」へ

「生命の逆襲」「生命と記憶のパラドクス」福岡伸一著

2013-10-29 22:28:56 | Science
毎度おなじみの福岡ハカセのエッセイを続けて2冊読んでみた。
「生命と記憶のパラドクス」は一般週刊誌で最も売れている「週刊文春」連載のエッセイをまとめた本、一方「生命の逆襲」は「週刊AERA」に連載中の「ドリトル先生の憂鬱」をまとめた一冊である。(「遺伝子はダメなあなたを愛している」の続編)

毎週やってくる締切、テーマーも同じ”生命”、活字も殆ど同じ量の連載エッセイを、福岡ハカセはどうやって脳内で整理して、すみ分けているのか不思議である。フェルメール、動的平衡、レーウェンフック、昆虫・・・と、福岡ハカセ自身を分析するおなじみのキーワードがここでも頻出しているのだが、内容が全くかぶっていない。だから、何冊読んでも鮮度が落ちずに日々発見になる。そのうえ、驚異的なのはすべてにおいて質が高いことだ。文章力、表現力は勿論だが、身近な話題から生命科学の扉が開き、最後には鮮烈なオチが待っている。

考えてみれば、科学もののエッセイとして、米国のスティーヴン・ジェイ・グールドが有名であるが、日本でも過去には寺田寅彦や中谷宇吉郎のような物理学者にして情緒があり本質をついている名文筆家がいて、現代でも愛読されている。福岡ハカセの文章には、生物学者らしくセンス・オブ・ワンダーに満ちている。世界は、こんなにも美しく不思議なあり方だったことに気づかされる。

ところで、これだけ次々と書く本、書く本のすべてが売れまくっている福岡ハカセの著作物の中で、初版3000部で終わり、そのまま消えて絶版となった本がある。化学同人という小さいが化学・生物系にはおなじみの出版社から上梓された「ヒューマン・ボディ・ショップ」である。思い出すのも悲しいがハカセがとても好きだというその本を、私は偶然4年前に図書館から借りて読んでいたのだが、今日的な生命倫理の問題を含むとても読み応えのある本だった。それが、最近、リニューアルをして「すばらしい人間部品産業」として再出版されたとのこと。今度こそ、広く読まれることを期待したい。

そして現在、福岡ハカセはNYロックフェラー大学に客員教授として赴任している。彼にとって最も売れなかった本は、しかし生命は動的平衡であるという彼の主張の原点となった。そして、ハカセは理系を”卒業”して、マウスを使ったりする分子生物学者から文化や社会とのかかわりの中で生命観を深める生物学者になることを決意したそうだ!新生ハカセの登場を乞うご期待。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
「フェルメール 光の王国」
「遺伝子はダメなあなたを愛している」

□ハカセにお薦めしたい記憶にまつわる本
「暗いブティック通り」パトリック・モディアノ著
「奪われた記憶」ジョナサン・コットン著

「数学で生命の謎を解く」イアン・スチュアート著

2013-06-25 22:28:06 | Science
表紙を眺めているだけでなんだか楽しい。ひまわりの花に見られる二種類の螺旋(時計回りが34本、反時計回りが21本)、DNAの2重螺旋構造の図、ボルボックス、メンデルの法則で使ったえんどう豆、裏表紙に登場するのはアンモナイト、ゾウリムシにダーウィンの肖像画。ここまではすぐにわかった。最後に残った鳥の絵は、ダーウィンフィンチだろうか。はるか昔?の高校と、大学の一般教養で生物を学んだ記憶がかろうじて残っている私にとって、これらの生物学的な意味をなす絵はおなじみである。特別に理工学系にすすんだわけではない私のような者を対象とした一般読者向けの、近頃耳になじみつつある”ポピュラーサイエンス”ものの典型が本書になる。

著者イアン・スチュアートは、英国の大学数学部教授で第一線の数学者、そして王立協会のフェローでもある。原子人類が骨に印をつけて月の満ち欠けを記録し、ヒッグス粒子を探索する現代に至るまで、数学は物理科学の中核をなす理論的枠組みとして人類の発展におおいなる貢献をしてきた。しかし、21世紀は物理から生物へ、生命科学の時代へと期待されるのに伴い、これまで生物の単なる統計に使われる下僕だった数学は、重要な形で使用しないと答えがえられなくなってきた。数学者にとって、生命科学は21世紀数学の推進力となり、生物学者にとっては数学は謎を解明する新しいセンテンスになる。

といった著者によるプロローグはさておき、本書はこれまで生命の神秘の謎解きに数学がどのように使われてきたのか、という親密性を説きあかしていく。フィボナッチ数列、ダーウィン、メンデル、リンネの分類体系、DNAの2重螺旋、おなじみのキーワードやエピソードがおなじみの物語として展開していく。高校の授業のおさらい感覚で読み進めていくのだが、イアン・スチュアートのさりげないユーモラスでお茶目な語り口は、わかりやすくておもしろい。それに数学の教授なのに、このおじさまは生物についてとっても詳しい。

けれども、本書の真価は後半からはじまる。ニューロンのネットワークとアリゴリズム、結び目理論からたんぱく質の折りたたみ、動物の模様に関するチューリングの方程式、、、とだんだん内容も現代の生物のトピックスにふれるにつれ高度になっていく。そして、生命科学と数学のかけあわせで異業種分野の”合コン”と思われる予想外の組み合わせで、確かに生命科学が今世紀に益々重要で魅力的な分野になっていくことを実感する。さらに、研究室の従来の蛸壺では想像もできなかったダイナミックな世界が広がりつつあることも。

私が最も興味を感じたのが、日本人研究者チームにより、エンジニアが設計した東京の鉄道網とほぼ同じものをモジホコリという粘菌を使って作成することを発見したことだ。粘菌はコロニーから血管状の管のネットワークをつくり、その管によって体液を輸送する。我々通勤列車を利用する東京人は、この体液と同じようなものだ。彼ら研究者は、粘菌を使ってネットワークに関する問題を解いて、さらに粘菌がそのようにして問題を解くかをネットワークの数学を使って発見したのだった。そういえば、いつのまにか我孫子と成田が繋がり、京成電車によって成田空港と羽田空港も繋がった。粘菌が関東地方に鉄道網を作る様子の図65などは、実際の鉄道網に似ているし、ドイツのDB鉄道網も連想させる。生物のふるまいが、複雑系にリンクしているようで、インパクトが大きかった。
最後に、数学を忌み嫌う方たちへ。本書を読むと「数学の力」 にちょっと感動すると思う。

原題:Mathematics of Life

「宇宙飛行士はこうして生まれた~密着・最終選抜試験~ 」NHKスペシャル

2009-03-10 18:47:51 | Science
独断と偏見を許していただければ、宇宙飛行士ほどかっこいい職業はそうそうないのではないのではないだろうか。
先日の2月25日、実に10年ぶりらしかった宇宙飛行士候補者(◎◎)2名が誕生した。候補者というのは、万が一辞退した場合に備えて、そのようなという言い方をしているようだ。
ところで、私が知りうる限りの宇宙飛行士候補者に選ばれる、ある意味究極な方の条件としては、
1理系出身・・・たくさんの科学実験をこなすためで、ある程度のレベルの国立大学理系・医学部出身程度の学力も
2運動神経がよくて体力もあり
3視力がよい
4歯が丈夫というよりも虫歯は全くない
5英語力必須・・・どんな危機的状況でも一瞬で判断できる英会話能力
6忍耐強い
7協調性あり
8冷静沈着に行動できる
9適用性が高い
10船酔いに強い
番外か・・・おむつ装着でも違和感を感じられなくなくるくらいの耐用性もあり

・・・と、まあとにかく思いつく条件を並べただけで、そんな理想的な人間がいるかっというくらいに求められる要件が多い。努力以前に、もって生まれた資質が要だ。そうだっ、顔立ちのよしあしだけは問われない。今回は10年ぶりということもあり、宇宙航空研究開発機構(JAXA・ジャクサ)が実施した選抜試験には、過去最多の963人が応募したそうだ。よくある芸能人のオーディションやコンテストで”1万人の中から選ばれた”なるおおかた気楽な応募者の雑魚から選ばれるのとはわけが違う。
そんな宇宙飛行士のオーディションがNHKスペシャルで放映された。

まずその前に毎日新聞のサイト「質問なるほドリ」の「宇宙飛行士はどうやって選ばれるの」から。↓
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質問なるほドリ:宇宙飛行士はどうやって選ばれるの?=回答・西川拓<NEWS NAVIGATOR>

Q どうしたら宇宙飛行士になれるの?

 A 日本では、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が必要に応じて公募し、選抜します。2人が認定されれば、JAXAの宇宙飛行士は退職者を含め計10人になります。今回は国際宇宙ステーションの運用や科学実験を担当する長期滞在要員として、10年ぶりに公募されました。

Q 誰でも応募できるの?

 A 応募条件があります。大学で自然科学系を専攻し、研究や開発など3年以上の実務経験が必要です。身長158~190センチ、体重50~95キロという身体的条件もあります。宇宙船内では機器の表示を色で識別しているので、色覚が正常でなくてはなりません。着衣で75メートル泳げること、10分以上の立ち泳ぎができることも求められます。

Q どんな試験が課されるの?

 A まず書類選考、英語、一般教養の試験など2段階の選考で50人に絞られ、面接や医学検査で10人が選ばれます。最終選抜では、閉鎖環境で1週間生活を共にし、討論や共同でものを作るなどの課題をこなす「長期滞在適性試験」があります。この後の面接では「この中の誰と一緒には宇宙に行きたくないか」という質問があったそうです。大西さんは「これが一番きつかった」と話していました。協調性やコミュニケーション能力、柔軟な対応能力などが重視されます。(科学環境部)


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最終選考に残った10人がスーツケースをひきながらやってくる。医師、パイロット、科学者、米国でMBA取得者、大手企業からベンチャーに転進した技術者など、どの顔も高揚感にあふれて輝いている。31歳から39歳までの彼らは、10年間停止されていた宇宙飛行士への階段をめざして、一度はあきらめかけた夢を最後のチャンスにかけ、しかもここまできたのだからその意気込みも察するにあまりある。宇宙ステーションを想定した施設に閉じ込められたりなど、2週間に渡る実技試験が行われた。

モニターで観察される彼らは、名前ではなくゼッケンをつけたAからのアルファベットで審査される。ところが、そのゼッケンを早速間違えてつけてしまった方がいる。一番若いYさんだ。そんな些細なミスも宇宙では命とりになりかねないので、こんなところでもマイナス評価がつく。毎日1時間ずつかけて折り紙で100羽の千羽鶴を折るテストでは、ストレスへの耐用性を見られる。こういうのだったら、女性は得意かも。できるだけ同じ色に、という指定を読み落して折り紙を交ぜてしまいあせるAさん。後半頑張ったが、目標まで届かなかった。テストを続けていくうちに冷静沈着な大西卓也さん、さりげなくリーダーシップを発揮する油井亀美也さんが審査員の印象に残っていく。審査委員長のそろそろ日本人の中から宇宙船の船長をだしたいという希望が、今回の試験のポイントだろうか。

人をなごませてくれるロボット製作の課題を与え、完成後、急遽あまりおもしろくないと難問をつけ、理不屈な状況でどのようなふるまいを示すかの緊急対応力も観察されるかと思うと、得意な芸を披露して周囲をなごませる試験もある。ここで、いつもの冷静な大西さんが意外にもひとりミュージカルをしておおいに受けて一番ポイントを稼いだのだ。最後のテストは、NASAでの宇宙飛行士たちの面接テストで試される「覚悟」である。ここまででどんなに点数を稼いでも、彼らから仲間として受け入れられないと候補者にはなれない。低迷していた最年少Hさんは、高校時代にNASAの一時間ものビデオを1週間かけて作成したレポートを物理の恩師から受取り、面接に挑んだ。

「君はどうしてここへ来たの」

そんな宇宙飛行士の質問に、レポートを見せながらこのレポートが僕をここへ連れてきたと答える彼に、宇宙飛行士たちはみな好意をもつ。赤いチェックのネル・シャツにチノパンのHさんの宇宙にかける情熱が、とても伝わってくる。そして彼だけでなく、番組ではもうひとり幼なじみだった妻との間に、3人の娘がいるDさん宅にもカメラが入り、家族から応援されて頑張る素顔も追っている。娘たち全員の名前に宇宙に関わる漢字を使ったDさんの宇宙飛行士への強い希望と家族を思いやるよきパパぶりから、人格のバランスの優れた方という印象がする。この番組でよかったのは、勝者ではなく惜しくも夢にあと一歩で届かなかったふたりの敗者をとりあげた点である。

華やかにマスコミから一気に注目される存在となった候補者ではなく、ベンチャー企業に戻り地味な作業服に戻ったYさん。淡々と「挑戦して破れることは何回でもあることだ」との達観ぶりに、彼には最終選考に残っただけですごいなどというなぐさめはなんの意味もないだろう。JAXAによれば、早ければ2013年に今回の候補者は宇宙飛行士となって飛び立つそうだ。

「誰も読まなかったコペルニクス」オーウェン・ギンガリッチ著

2006-01-23 23:51:14 | Science
”コペルニクス的転回”の通称「コペ転」という言葉は、旧制中学より始まり、現役高校生まで脈々と継承されている。この意味をあえて説明するまでもなく、天動説が信じられた時代に、宗教の謀反を起こすかのような地動説は、まさに科学革命だった。その地動説を誰よりも早く発見したコペルニクスが出版した『天球の回転について』は、アーサー・ケラーによって、実際は誰も読まなかったワーストセラー本という烙印を長らく押されていた。ところが、著者のオーウェン・ギンガリッジがエジンバラ王立天文台で偶然手にしたこの『回転について』初回版には、最初から最後まで入念に読みこなして、副次的な仮説まで入り込んだ形跡を思わせるたくさんの書き込みがあったのだ。そしてこの本の持ち主が、残されたイニシャルからコペルニクスの次世代の傑出した数理天文学者エラスムス・ラインホルトであることを想像する。ギンガレッジ氏に衝撃が走った。それ以降30年に渡って、世界中に散った『回転について』を探索することになるのである。”誰も読まなかった”コペルニクスの本をめぐって、ふたつの物語が交錯する。それは、『回転について』の本を読みつづけていった人々の物語と、検閲のために豊富な蔵書を誇るバチカン宮殿内の書庫、鉄のカーテンの向こう、旧共産圏の図書館、また或る時はイギリス貴族の館まで現存する601冊の本を探索する著者の30年に渡る長い旅の物語である。

1473年ポーランドに生まれたコペルニクスは、伯父の計らいで司教座聖堂の参時会員になり、生涯経済的に困らない身分で政治的駆け引きから背を向けて研、究活動に没頭することができた。ボローニャで天文学教授の家に下宿したことを契機に、やがて天文学に興味をもつようになる。彼は早くから太陽でなく、この地球が回っている論文を「仮説」として書きつづけていたが、教会の反応への不安や納得いかない未完成の部分(当時は観測不可能だった)、非常識な説への人々の嘲笑や批判を考えると、とても出版するまでの気持ちはなかった。このコペルニクスの学説に注目し、出版を強く勧めたのが若きゲオルク・ヨアヒム・レティクスだ。彼は老いたコペルニクスを師と仰ぎ、戦略をたてて重い腰をたたいて数年に渡り熱心にくどき、とうとう原稿をニュルンベルグのペトレイウスの印刷所に届けることができた。ようやくできあがった本を携えて、師のもとに意気揚揚と戻るとなんと恩師は卒中を起こしていて、意識がまだら状態ではないか。自分の人生をかけた集大成を認めたのかどうかも不鮮明なまま、まもなく死の天使のむかえがくる。
やがて時はたち、1551年教授として人望を集めていたレティクスの人生も暗転する。酒に酔ったあげく、若い学生に対して同性愛行為に及んだというスキャンダルがたち、青年の父親から告訴される。そしてプラハに逃れ、三角法の数表作成に取り組み、正弦(サイン)、余弦(コサイン)を小数点第10位まで計算したり、医学に転じ急進的で画期的な新しい医学にも取り組んだ。再び三角法への情熱を取り戻すきっかけが、老いてから出あった共同研究者である若いヴァレンティン・オットーの存在だ。オットーの勧めに従い、今度は自分が『三画法総覧』を世におくることになるのである。まさに若き頃の自分とコペルニクスに重なるような不思議なめぐりあわせである。

そして初版500部、第二版500部程度と推測される革命的な著書『回転について』が、哲学者デカルトやティコ・ブラーエ、ガリレオ・ガリレイへと受け継がれ、ケプラーの法則まで、その時代に活躍した科学者に大きな影響を与えたことが、本の行間にある書き込みから浮かび上がる。そこにあるのは、また人間くさいドラマだ。
スウェーデンの女王の個人教授になったデカルトは、毎朝11時までベッドで瞑想する習慣を5時起きにされ、哀れ命を縮めたり、占星術の知識の豊富なガリレオが、トスカーナ大公にお世辞を並べて取り入ったり、プライドの高い貴族ブラーエが皮肉やでライバル心むきだしだったり、ケプラーが実は唯一天文学だけが-Aの成績だったりと、舞台を想像するだけで映画を楽しむような物語が続くのである。それを可能にしているのは、ラテン語という共通言語と、ニュルンベルグで開催さていた本の見本市、そして何よりも幅広い地域に網羅されていたネットワークが一種の「見えない大学」を形成していたことである。

そしてギンガリッチ氏自身も『回転について』を1冊ずつ調べながら、盗まれた本の証言のために法廷に出頭したり、道を誤って旧東ドイツ内に不法侵入して冷や汗をかいたり、同じ科学書のライバル書誌学者との競争もあり、それはそれでもうひとつの長い物語でもある。「科学革命をもたらした書誌学的冒険」という副題のとおり、この本とともに知的冒険に魅了されるのは、私だけではないだろう。

「幾何学に暗い者は入るなかれ」
表紙に、ギリシャ語でそっと警句が記されている『回転について』は、太陽を中心として惑星がその周りを回っている説を、きわめて説得力ある議論を展開しているという。その基盤にあるのは、単純さ、調和、そして美しさだとも。”コペルニクスが誰も読まなかった”というのは、途方もなく間違っていたのだった。