千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「毛沢東のバレエダンサー」リー・ツンシン著

2010-09-18 15:03:39 | Book
先日鑑賞した映画『小さな村の小さなダンサー』のラストで、風にはためく真紅の大きな中国の国旗を観て妙に感動してしまった。私は純粋国産品なのに。 尖閣諸島付近で起きた海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件では、中国側の異例の駐中国大使未明呼び出しには、外交儀礼上、実に失礼な対応と、中国のお行事とセンスの悪さを感じるのだが、国の政策に翻弄されてきた隣人には同情を禁じえない部分もある。

閑話休題。
ここで物語のおさらい。
毛沢東政権下の激動と混乱の中国の時代。山東省の貧しい寒村に生まれて著者リー・ツンシンは7人兄弟の6番目。11歳の時に国の政策により、11歳の時にバレエの英才教育のための北京舞踏学院の生徒に選抜される。それが500万人に1人という超難関選抜試験をくぐりぬけたエリートだという自負を感じるには、あまりにも少年は幼く素朴だった。芸術に精進することイコール偉大なる毛沢東の運動を推進することだったのだが、1976年に毛沢東首席が亡くなるや中国は改革政策へと大きく舵をとり、79年に成長して実力をつけたツンシンはバレエの研修でアメリカに渡る切符を手にすることになった。その切符が彼の人生を大きく転換させるとは想像すらできず”堕落して貧困にあえぐ”と教えられた「西側」との出会いに、共産党に入党して毛沢東を敬愛していたツンシンの心は激しく揺れるようになったのだが・・・。

自叙伝は、両親の結婚からはじまる。大家族の中に嫁いだ母。自分を認めてもらおうと懸命に働いた母。母は義姉たちのように纏足をしていなかったために、足を自由に動かせたので重宝された。ここで”纏足”に、私なんぞカルチャーショックを受ける。女性としての美しさを決める社会の基準が、走行困難という女性支配にもつながりかねない中国という国。あきらかにここには、アジアの一員ながら西欧化しつつある日本とは異なる文化がある。やがてツンシンが生後15日で右腕に大やけどをするという事件が起こる。お金をかき集めて受診した医師からの右腕を失うかもしれないという不運な宣告の危機から救ったのは、医学の知識が全くない伯母だった。彼女は昔聞いた治療師の化膿した傷にはミョウバンが効くというおぼろげな記憶を頼りに、絶叫して泣き続けるツンシンの傷口に一時間ごとにミョウバンの結晶をすりこみ、傷口は少しずつ回復していった。

そんなリー一家はとても貧しかった。水は井戸から汲み、トイレは外に穴を掘っただけで、ひとつの部屋の3つのベットで家族全員が眠る。暖房は炕と呼ばれるオンドルだけ。人民公社には公衆浴場もあったが有料だったためにお金のないリー一家は利用することができず、風呂をつかう時はなべで湯をわかしてたらいに入れた。文字通り赤貧洗うが如しの暮らしぶりが続くのだが、著者が生まれたのは毛沢東が58年から展開した大躍進政策により、深刻な凶作にもみまわれて3000万人もの人々が餓死をした時代だった。そんな中でも彼らはお互いの家族を思いやり食べ物を譲り合う。映画でも中国映画定番の食事の場面があったのだが、これは物語として添えられたきれいなエピソードではなく本当の当時のリー一家の姿だったことが本書からわかる。次々と行方不明のお年寄りが発覚した報道に少なからずショックを受けたのだが、地域のコミュニティが喪失し、家長制度がなくなり家族という最小単位のコミュニティすら消えつつあるのも現代日本の世相なのだろうか。しかしリー一族には家族の強い絆があり、その要は母親だった。

一方、寡黙な父は息子たちに諭す。
「苦しい生活の中でもリー一族は誇りを失うことがなかった。生活がどんなに苦しくても、決して人間としての品位と誇りを失ってはいけない」

ここまではほんのさわり。21ぺーじめまでである。しかしここまで読んで、映画の脚本家のジャン・サーディは自伝にすぐに特別に人をひきつけるものがあると感じて、映画化を考えたそうだ。映画人の直感はあたった。本書はオーストラリアで刊行されるやベストセラーとなってすでに世界20数カ国で翻訳出版され、制作された映画の方も個人的には名作『シャイン』を超える素晴らしい作品に仕上がっていたと思う。映画の方では大切な家族と離れてツンシンが小さな村を出発するところからがメインだが、本書では4分の3が中国を離れるまでの物語になっていて、映画のエンターティメント性とは別の厚みがある。映画と本書をあわせると更に充実する。映画『リトル・ダンサー』ではビリー・エリオット少年がバレエダンサーになるために家族と離れることを決心して、生まれ育った小さな炭鉱町をバスに乗って出発した。この映画も大好きな映画だ。ツンシンは本人の希望など無関係に選ばれたことによって、素質を磨いて努力してバレエダンサーとなった。バレエに全く興味のなかった田舎の少年を世界的なダンサーに育てた基礎をつくったのは、貧しいながらも懸命に働く両親と兄弟たち家族との深いつながりと愛情、そしてやはり目的の是非とともかく芸術家を育てた中国という国と恩師だろう。貧困の中、裸足で野原を駆け抜けて強靭な肉体と精神をつくったのも、皮肉なことに中国の大地だった。タイトルのとおり毛沢東の最後のバレエダンサーであり、だから、あの中国の国旗に感動すら覚えたのだ。

しかしそうは言っても、彼に本当のチャンスを与えたのは中国ではなくアメリカだった。最後に著者は、兄弟全員に井戸の底から抜け出せるチャンスに恵まれることを願いながら、それがほぼ不可能であり、また自分が与えられるものではないと悲しむ。幼い頃のツンシンは勉強が嫌いなどこにでもいるようなわんぱく小僧。そんな彼が家族と離れて、バレエという芸術を通して芸術家としてだけでなく人間としても成長していくのも読みどころのひとつ。現在は文庫本でも出版されているので映画と本書をあわせてご鑑賞あれ。

■ささやかなアーカイブ
映画『小さな村の小さなダンサー』


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2 コメント

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仕事で良く接する本物のダンサーのなかに (六代目鍼師大左衛門)
2010-11-17 21:56:05
この話に出て来る主人公の同級生で 同じく優れたダンサーとして キャリアを積上げた チャンウエイチャン(張衛強)は
個人的に良く知っているヒトなので とても関心を寄せています
2番館に回って来る迄待ち遠しいです 文革時代は自分にとっても他人事ではなかった時代でもあり 思い入れは一入です
早速明日 ジュンク堂で探してみます
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六代目鍼師大左衛門さまへ (樹衣子*店主)
2010-11-18 22:34:49
はじめまして。ご訪問ありがとうございます。

> 同じく優れたダンサーとして キャリアを積上げた チャンウエイチャン(張衛強)は
個人的に良く知っているヒトなので

お知り合いなのですかっ!あらゆる分野で優秀な中国の方が活躍している時代ですが、本書や映画のおかげで当時の社会的背景などを少しでも知ることができたのは、私としては非常によかったと思っております。
文革時代のことも含めて、六代目鍼師大左衛門さまのご感想を聞きたいですね。
もしブログで感想をお書きになられましたら、TBしていただけたらと願っております。
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