千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「排出権ビジネス」をもくろむ中国

2008-07-31 23:13:59 | Nonsense
[北京 5日 ロイター] 北京の東に位置する港湾都市、天津市の当局が、北京五輪開催に向けた公害対策として40工場に操業停止を命じた。新華社が5日に報じた。
記事によると、天津市はセメントメーカー2社の施設を含む工場が7月25日─9月20日の期間、操業を停止する。予想される経済損失影響については言及されていない。
中国当局は北京や周辺地域の大気環境の改善に向け、一連の対策を講じている。4日には河北省の工業都市、唐山市の当局が、約300の工場を停止させる方針と報じられた。

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一昨年の暮れ、上海に旅行に行った時、確かに噂どおりにすっきりした晴天はなく、うっすらと紗がかかったような曇り空だった。中国の公害は、だいぶ前から報道されていたのだが、なんら対処がされていなかったようだ。今読書中の「ほんとうの環境問題」を読むかぎりでは、EUが排出権取引の積極的なのは経済取引を主導できるという思惑があるからだ。こんな公害垂れ流しの中国は、環境問題に関しては劣等生だったが、水力発電、風力発電計画がたちあがり、積極的に”地球の”環境問題に取り組むようになった。この”地球”という部分がポイントである。自国の公害対策ではなく、温室効果ガスの排出権を発生させ、これを欧州や日本に売却しようというのである。京都議定書では、先進各国に温室効果ガスの削 減義務を課したが、実際の排出量が削減目標を達成できなくても、排出枠オーバー分にあたる「排出権」を購入すれば、目標達成とみなされる。

さすがは3万人のための情報誌「選択」である。中国の排出権ビジネスのいかにも中国らしい事情が掲載されていた。1998年京都議定書に署名した中国は、02年に批准し、04年排出権取引を初めて承認したのだが、この6年間という年月は、排出権取引の決定権限を握る壮絶な精力争いに要されたという。さすが、恐るべし中国。結果、国家発展改革委員会に権限が集中することに決まった。このビジネスは、需給のバランスを見極めて、タイミングよく一挙に排出権を売って最大の利益をあげるのがポイント。年間、炭酸ガス約3500万トン相当の排出権に該当するフッ素系ガス削減排出権取引など4つの計画をたて、毎年525億円もの利益をもくろんでいる。中国のふたつの化学メーカーが、日本の電力会社や新日鐵が購入したのだった。規制が強化され、排出権が高くなる前に今のうちに買っておこうという対策での購入とのこと。(だから、中年金融マンぐっちーさん情報の「今年は各金融機関に対し電力量、電力料金の報告を義務付けている」らしいという噂もなんだか本当っぽい雲行きだ。)

しかも、取引の仲介をしたのは、日本の大手商社やJMD温暖化ガス削減である。そのひとつの商社の公式HPで見つけたのが、次の事業案内の一部である。

「地球温暖化防止のため、二酸化炭素(CO2)やメタン(CH4)などの「温室効果ガス」の削減目 標を掲げる「京都議定書」が、2005年2月にいよいよ発効され、現在世界中で排出権ビジネスが活発化している。温室効果ガスを排出する権利「排出権」を グローバルに売買する排出権ビジネスは、全世界にオフィスを置き、多岐にわたる取引先を持つ商社にとって、まさに活躍の場だ。当社は、発展途上国や市場経 済移行国で発生する排出権の仲介のみならず、現地で自らプロジェクトを開拓して排出権をつくり出し、日本における排出権ビジネスの先駆者になろうとしている。」

カップラーメンから戦闘用の兵器まで、なんでも売る商社のしたたかさはすごい。そもそも二酸化炭素排出削減を非科学的だと疑っているのだが、建前は「地球変動防止」が目的だったのに、いつのまにか「排出権」という大義名分のあらたなビジネスチャンスをつかんだ中国に、日本はオリンピック前に完敗しているのではないだろうか。

『敵こそ、我が友』~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~

2008-07-30 23:40:11 | Movie
1987年7月3日、フランスのリヨンの裁判所で、くたびれたスーツを着たひとりの老人が判決を待っていた。
静かな瞳とおだやかな表情の老人の顔のアップが、映画館のスクリーンでうかぶのを眺めて、なんて良い顔をしているのだろう、私は、思わずそう感じてしまった。しかし、クラウス・バルビーという名のその人は、ドイツ占領下のフランスで、ゲシュタポとしてユダヤ人やレジデンス活動家を迫害して、その残虐さから「リヨンの虐殺者」として”活躍”した人物である。深夜の午前0時40分、17に及ぶ人道に対する罪で、情状の余地なく有罪、終身刑を宣告された。

この映画の皮肉にも魅せられる主人公、クラウス・バルビーは1913年、ドイツに生まれ20歳の時にヒトラー・ユーゲントに入隊。1942年、リヨンで政治犯を捕まえる親衛隊保安部(SD)の責任者として任務を果たす。つまり、ゲシュタポとして、ヴィシー孤児院の罪のないこどもたちも含めて多くのユダヤ人を絶滅収容所に強制移送し、次々とレジスタンス活動家たちを拘束しては拷問のうえ、殺害した。その意味で、彼はアイヒマンのように”有能な”ゲシュタポだったと言えよう。
戦争が終わり、フランスが解放されるとドイツ人兵士と親密になっていた女性は、衆人環視の中で罵倒され、髪を刈られた。バルビーのような男は、戦犯として捕らえられて罪をつぐなわされるはずだったのに、彼はまんまとドイツに家族とともに逃げおおせた。
驚くことに、今度は対ソ連との冷戦を勝つために、アメリカ陸軍情報部(CIC)の反共運動専門の工作員として、彼はその能力をおおいに発揮して、第2の人生を歩くことになった。
やがて、フランスからバルビーの身柄引渡しを要請されたCICは、まだ利用価値のある彼を、秘密のうちに南米ボリビアへ亡命させようとする。彼のように多くのナチの残党が、カトリック右派の聖職者たちの支援を受けて逃亡したのだったが、ここで第3の人生がはじまり、1964年、武器の輸出入ビジネスをはじめてクーデターによるボリビアの軍事政権誕生の裏で暗躍したのだったが。。。

豊富な当時の記録映像とインタビューが、次々とあらわれていく。何分時代が古く、白黒の映像も不鮮明で見難かったり、また証言者もお年寄りで聞き取りにくい部分もあるのだが、たたみかけるような衝撃的な構成に、監督の意図した術中にはまっていく。しかし、このドキュガンダ映画が興行的に人々の関心をもっとも満足させるのは、チェ・ゲバラの演説とうつろな表情で横たわる今でも最も人気ある革命家の遺体であろうか。反共主義を貫き、ヒトラーを崇拝してアンデス山脈に「第4帝国」の建設を夢見たバルビーは、ゲバラ暗殺にも関わっていたのだった。
バルビーの足跡をたどると、稀代の悪人、冷酷残虐な悪魔としか言いようがない。しかし、ケヴィン・マクドナルド監督も大変興味がひかれたように、極右思想者で拷問やスパイ活動を有能に行使する人格をもちながら、彼が非常に良い顔をしている矛盾がある。これは、エジディオ・エローニコ監督の『MY FATHER』の亡くなった(チャールトン・ヘストンが演じた「死の天使」と呼ばれたヨゼフ・メンゲレに共通するのだが、バルビーも妻や子供たちにとっては、優しく愛情深い良き夫であり、良き父であった。なんと人の心は、複雑で多面性があるのだろうか。その点で、この映画は人間とはなにものかという問いをベースにした原点に近い映画でもある。

また、歴史の事実は、小説よりもはるかに我々に問い掛けてくる。バルビーは、巧妙にしたたかに時代と寝た男である。そんな彼をさんざん利用し、また利用価値がいっきになくなると切り捨てたのも国家である。それは、過去の歴史の話しではない。80年代、米国政府は、サリバン政権を支援してテロリストを育て、サダム・フセインを援助したことを忘れてはいけない。しかも、バルビーの弁護士を務めた皮肉にもベトナム系フランス人のジャック・ヴェルジェスがきれる熱弁をふるったのも、ユダヤ人の孤児院のこどもたちを結果的に収容所に送ったのも、両親から引き離さないという”人道的理由”をつけたヴィシー政府、フランス国家の責任を問うためでもある。
歴史は、時に人間以上に残酷な顔を見せることがある。

監督:ケヴィン・マクドナルド
2007年フランス映画

■もう一度考えたいアーカイブ
「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース著
・NHK「アウシュビッツ収容所」シリーズ第一回三回四回五回
・映画MY FATHER
・映画さよなら、子供たち
夜の記憶」澤田愛子著

「情熱大陸」ヴァイオリニスト五嶋龍君登場!

2008-07-28 23:22:24 | Nonsense
昨日のTBSの「情熱大陸」に、ハーバード大学で量子力学を学びながら、ヴァイオリニストとして小学生の頃から演奏活動を行ってきた五嶋龍君が登場!彼を見てびっくり、、、20歳になり、すっかり青年の風貌と体格になっていたのだ。
20代で勢いのある期待できる大物予備軍日本人ヴァイオリニストは、何人もいる。世界的なコンクールに入賞経験者だけでも、もしかしたら両手で数え切れないくらいではないか。そんなひしめく玉玉混合の中でも、龍君はちょっと別格である。なにが、と言うと、殆どの音楽少女や青年たちが、音楽家になるためにたとえ勉強が好きだとしてもレッスンのための時間をとるために、学業はひとまずおいて、音大に進学しているのに、龍君は米国でもとびきり難しいハーバード大学に進学したのだ。そして、空手の稽古も熱心に続け、姉は、誇張もなく「世界的なヴァイオリニスト」。そんな幼い頃から環境に恵まれ、母から英才教育を受けてきた龍君だったが、せっかく入学した大学を1年間休学して、音楽活動に専念することになった。
今、彼は何を考えているのだろうか。そして、どこへ向かっているのだろうか。

2007年12月名古屋での演奏会。即日完売、満員の観客が待つ中、ステージの主人公は、携帯電話が見つからなくていらいらしていた。こんなたわいないことで神経質になりながらも、いち視聴者として彼をにくめないのは、すっかり年をとっておばあさんっぽくなった母親の節さんのキャラに負う部分もあるのか。華やかなスポットライトを一身にあびて演奏するのは、やはり華やかな技巧を求められるパガニーニ。やっぱり、うまい。龍君は、こんな技巧的で超難曲を好んで弾いているようだが、それも若さの挑戦なのだろう。演奏後のサインをもらうために行列で並んでいるファンたちにも、自然体で接する。
NYの自宅では、ストレッチをして体を鍛える場面が紹介された。身長176センチ、体重74キロ。小学生のように小柄で、いくつになっても肉体的には未成熟な印象を与える姉のみどりさんとは似ていなく、堂々たるりっぱな体格である。脱いでも魅せられるヴァイオリニスト?室内のドアによく学生がもつミニ・タオルをかけて、そこにつかまりながら懸垂をしている様子が微笑ましい。ドアが壊れないのか、と、ついつっこみたくなる。また、腹筋運動をしながら
「日本は腑抜けだ。自分の国も守れない」と辛口コメントをはきながら、日本は世界一美しい国だとも言う。
NYに生まれ、ふたつの国籍をもちながら、日本に対する思いは平凡な日本人学生とは少し違う印象をもった。ハーバード大学の日本人留学生の友人たちが、世界中からトップの優秀な頭脳が集まった授業で、印象に残るような発言をしなければ生き残れないと必死だと語っていたのを思い出す。この大学の量子力学の研究は、世界最先端のトップクラスである。人気もあり、世界中がしのぎをけずり、内外で競争の厳しく熾烈な戦いをしている研究分野で学びながら、毎日3時間の練習を欠かせないヴァイオリニストとの両立はかなり厳しいと思う。たとえ大学生でも、寝る間を惜しんで研究室にこもるのが、研究者となる道を志した者の当然の生活なのだから。

休学中なら、ということで、孟母の節さんは、たくさんのコンサートを入れた。客を楽しませるという音楽観をもつ母と別の解釈と哲学をもつ息子は、小さな机の上におかれた楽譜の前で向き合って激しく議論をする。実は、私が一番気に入ったのが、この親子が対立する場面だ。高校に進学したあたりから、子育ては卒業とゆるりと考える母親が多い。もったいない!その考え方が間違っているわけではないが、音楽について真剣に、真摯に熱く議論する母と息子の空間を好ましく感じた。かといって、節さんは龍君に必要以上に”音楽以外は”干渉したりするタイプではないと見受けられた。男の子だしね。結局、最後におれるのは龍君の方で、お母さんが大好き、と人からかわれやすいネタも堂々と公表する素直さが女性ファンの心をつかんでいると見た。男の子が、お母さんが大好きと言ってもOKだよ。ちなみに、ハーバード大学には可愛い女の子が全然いないっっと嘆いていた龍君の好みの女性は、黒木瞳さん。小雪さんも大好きで、本当にすっっごく綺麗とあつくあつく絶賛していた。

偉大なる姉のみどりさんの影響だろうか、社会活動にも関心が高く、東南アジアの小学校でも演奏会を開いた。生まれて初めてヴァイオリンの音を聴くこどもたちの大きな瞳が見開かれ、輝いている。打算も、功名心もなく、ただひたすら歩いてきた道が、今はヴァイオリニストに傾いている。
「肩書きは」と尋ねられて「今はヴァイオリニスト」と応えた龍君が、
今後変わる可能性はと聞かれたら、「あるんじゃない」と言い切ったところに、20歳の青年の将来へのおおいなる悩みと小さな迷いをみた。
量子力学の研究者、ヴァイオリニスト、そのいずれの道を選択しても、その道を極めるには高く険しい。ここ数年が、ひとつの正念場であろう。演奏会に家族ででかけ、帰りにみんなで食事をしている時に、英語で、英語だから、明確に今夜の演奏家と音楽に厳しい批評を姉にとうとうと語る生意気な龍君。そんな弟を黙って見守る誰も歩いたことのない道をすすむヴァイオリニストの姉。
彼は、本当にどこへ向かうのだろうか。彼の奏でる喜遊曲をこれからも聴きたい。

■懐かしいアーカイブ
・クラシック追っかけ隊現る
・五嶋龍ヴァイオリン・リサイタル
・「五嶋龍のオデッセイ」

「アフリカ 苦悩する大陸」ロバート・ゲスト著

2008-07-27 22:24:24 | Book
マンデラ氏卒寿に=依然存在感-南ア
【ロンドン18日時事】南アフリカ共和国で反アパルトヘイト(人種隔離政策)闘争を率いたネルソン・マンデラ前大統領が18日、90歳の誕生日を迎えた。現地からの報道によると、マンデラ氏は故郷クヌ村の自宅で、家族や友人と卒寿を祝った。
 マンデラ氏は記者団に対し、「南アには貧しい人に富を分け与えることができる多くの豊かな人がいる」と述べ、貧困問題への積極的な取り組みの必要性を訴えた。
 誕生日にちなんだ記念イベントは世界各地で開催。英国では先月27日にチャリティーコンサートが開かれた。南アではマンデラ氏の顔を描いた切手と硬貨が発行された。(2008/07/19)

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1990年代、著者のロバート・ゲストがジャーナリストとして日本に滞在していた時、外務省の官僚とアフリカ問題について話す機会があった。
「アフリカはいつまでたっても発展しないと思う」
とその官僚は言ったそうだ。その予想は、残念ながらあたっていると思わざるをえない。日本だって、敗戦後は貧しかったはずだ。しかし、戦後見事に復興して、一時は「Japan as No1」まで登りつめた。アフリカと日本の差はどこにあるのだろうか。日本は、資源がない国だ。それは、実に日本人にとって幸運だったと、今は考えられる。豊かな資源に恵まれていたら、アフリカのように欧米から搾取され続け、一生貧しくどん底の生活を強いられたかもしれない。しかし、本書の著者によると、アフリカ諸国が貧しいのは腐敗した政府に問題があるからだ。世界銀行の研究によると、内戦を引き起こす要因は、貧困と経済停滞である。その貧困と経済停滞は、政府が無能で腐敗している証拠である。そんな政府を利用しているのも世界銀行ではないかと私は言いたいのだが、アフリカ諸国の政府は、しかるべき統治よりも、私服を肥やすための権力を握るためにあり、国民は先進国から物資や融資をひきだすためのエサに過ぎないというのが、テーマーだ。

著者が英『エコノミスト』誌の元アフリカ担当編集長として、7年間にわたりアフリカ各国を取材した当時の現地レポートは、顔をそむけたくなるくらい人々は残酷で、政府や警察は無知で汚職に満ちている。内戦、民族対立からくるジェノサイド、エイズ、未整備なインフラ、売春、貧困、差別、汚職、賄賂、私的な処刑・・・。読めば読むほど、快適で平和な日本人から見れば、同情すべき”悲惨”のひと言である。けれども、そのようなアフリカの実態は、南北問題に少しでも関心のある者にとっては、既知のことと言ってもよい。しかし、エイズに対する科学的な無知、売春、政府による意図的な誤ったプロバガンダは想像ついても、性差別主義により避妊具の使用をパートナーに言い出せない女性、危険と隣合わせのトラック運転手の刹那的な発想による買春や、下校する門の前で父親のような年齢の”パパ”の車の助手席に乗る10代半ばの少女達・・・、現地で生活をしていた著者ならではの日常の景色描写は、淡々としてどこまでも続く危うく悲しい道のりが見えてくる。この道の先に、希望はないのか。

著者がジンバブエを取材で訪れるたびに、散髪をしていたお気に入りの美容院。おしゃれな地区でピンクの壁が小粋な安くて上手な店だった。ところが、政府が白人や反政府分子を強権的に締め付けたために、行く度に客が減り、最後に訪問した時、客は著者だけだった。椅子に座る前からお好みの女の子を聞かれ、その後二度とお店に行くことはなくなった。

そんな穢れきった政府だから、最貧困層のための援助も「富裕国の貧困層から、貧困国の富裕層への富に移転に過ぎない」という皮肉な名言すらささやかれる。典型的なアフリカの貧困国は、GDPの約10%の援助を受けているにも関わらず、人口の20%に該当する最下層の人々に使われる援助はわずかに4%。どこに援助金は消えているのだろうか。高級ホテルでの会議、外国人の援助スタッフの接待等、優雅な娯楽に流れていく。

このような暗澹なる状況のレポートが続くのだが、本書の特徴は、悲惨さを語る口調の軽妙さにある。これは、著者のユーモラス精神というよりも、アフリカという土地が気に入っていて、アフリカ人が根っこでは好きだからであろう。だからこそ、ゆるされるあかるさと軽さなのである。私が、アフリカ問題に関心を示すようになったのは、つい最近のことである。先輩や友人の中には、南北問題を卒論のテーマーに選び人もいたのに。何故、さけていたのか。新婚旅行にアフリカに行った親友を”もの好き”と冗談で笑っていたのだが、音楽なり美術なり、美しいものを愛でたい単純な女性が、好んで汚いゴミ箱の中をのぞきたいだろうか。
しかし、しかしながら、芸術家ではない自分が、世界の現実を知らずして、美しいものをなにをどう語っても、所詮それは底が浅く奥行きもなければ深みもない。

さて、アフリカには希望がないのか。エイズの感染率低下に成功したウガンダとセネガル、平和で経済的にも成長し、一時は格付けが「ふりむけばボツワナ」とまで日本にせまったボツワナ。南アフリカ人も一生懸命働けば、日本のように豊かになれると言った青年の言葉に希望の光を見出し、本書は結ばれている。
長年の拷問に耐え、ネルソン・マンデラ氏は90歳の誕生日を迎えた。
「あらゆる人々が平等な機会を得て、調和の中に共存する、民主的で自由な社会が理想だ。私は、その理想のために生き、理想が実現することを願っている。必要とあらば、理想のために死ぬ覚悟で」この言葉の希望がいまだに消えていないことを願うばかりである。

■あわせて読みたい「緑の帝国」
■アーカイブ
・アフリカを巧みに繰る非鉄メジャー「アングロ・アメリカン」
・アフリカの遠い夜明け
・「アフリカ ゼロ年」感染爆発が止まらない
・「アフリカ ゼロ年」こども兵を生んだのは誰か
・「アフリカ ゼロ年」貧困を引き裂くのは誰か
・21世紀の潮流「アフリカ ゼロ年」
・「エコノミック・ヒットマン」ジョン・パーキンス著
・映画『ホテル・ルワンダ』
・映画『おいしいコーヒーの真実』
・映画『尼僧物語』

漂流する若者

2008-07-26 11:47:37 | Nonsense
 2人殺害の池袋・通り魔事件、被告の上告棄却…死刑確定へ  
 
東京・池袋の繁華街で1999年9月、買い物客らが襲われた通り魔事件で、主婦2人を殺害したなどとして殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた。
無職A被告(31)の上告審判決が19日、最高裁第1小法廷であった。
横尾和子裁判長は「目についた通行人を手当たり次第に襲った犯行は極めて悪質。何ら落ち度のない被害者2人の命を奪った結果も重大だ」と述べ、造田被告の上告を棄却した。造田被告の死刑が確定する。(07/4/19 読売新聞)

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最近、あまりにも凶悪で、理不尽な事件が続くため、それぞれの事件の印象がたちまちのうちに希薄化していく。しかし、この事件はいつまでも記憶に残っていた。今日の読売新聞で連載中の「生活ドキュメント」では、「排除される若者」というタイトルで、1999年に起きた通称「池袋通り魔事件」の犯人が、23歳で犯行に及ぶまでの6年間に、15もの職を転々として、社会から排除される存在になっていった経緯が掲載されている。

犯人Aは、岡山県で育ち、腕のよい大工の父とミシンの内職をする母を両親にもち、比較的裕福に育った。その安定した一家が崩壊するきっかけは、同居の祖父母の死亡による。保険の外交をはじめて着飾った母と、祖父の農地を売り、2000万円ものお金を手にした父は、たちまちのうちにパチンコや競艇のギャンブルにのめりこんでいった。両親は親戚、知人、消費者金融からも借金して、取り立てが自宅に押しかけるようになると、父は仕事をやめた。平凡な成績だったが、友人と猛勉強して進学校の県立高校に進学したAは、弁当屋でのバイトもはじめて、ひとり暗い部屋で食事すらもできない暮らしに耐えていたが、授業料も払えず、電気・ガス・水道も止められて一家は離散した。最後まで親を信じ、「両親は近くで見守ってくれていると思い、相談して将来を考えようと思っていた」Aだったのだが、17歳の秋、彼に何も告げずに両親は家財道具をもちだして失踪。彼は、親に捨てられた。
大学に通う兄の元に身を寄せたのは、94年だった。

今回、はじめてこの事件のことをあらためて調べたところ、新聞には掲載されていなかったが、犯行前のAの手紙や言動を知る限りでは、弁護側の精神分裂病の妄想状態のために善悪を判断し行動を統制する力がまったくない心身喪失常態化、もしくはその力が弱っていた心神耗弱状態であったと主張したのも、よくある単なる罪逃れとも思えないのだが。

精神科医の遠山高史氏によると、近年精神病の発病の時期が若年化しているそうだ。つまり、精神構造が総じて弱くなり、精神病にまで至らずとも、精神的脆弱さが少年犯罪の特徴だと分析している。この精神の弱体化の要因としてふたつあり、ひとつは外部からの強いストレスである。逆に逆境をバネにしてたくましく人間として成長できる可能性もあるが、誰もがのりこえられるわけではないだろう。
次にもうひとつの要因としてあげられるのが、精神の内部構造の希薄化であり、実際にほとんどの精神病は何らかの希薄化、欠損が精神構造の中にもたらされたときに起こってくるそうである。そして、この希薄化は遺伝性のものではない。
私たち生き物は、自分をとりまく様々な要素の変化と流れのなかで生きている。その要素が薄まったり、弱まったりすると、私たち自身の内面も脆く崩れやすくなったりする。だからこそ、家族、友人、教師、身近な地域社会が重要な要素として、精神構造を裏打ちする存在となっていくというのが、遠山氏の意見である。

両親が不在がちと気がついた近隣住民は、民生委員に情報を届けていたが、一時的に帰宅した父親を見て、「夜は帰っている」と安心していたという。また親が借金をしていたため親戚には頼れないとAは思っていたのだが、高校中退を後から知り、せめて高校卒業までは面倒をみたのにと伯父夫婦は言う。しかし、未婚率が高く、少子化がすすむ我が国では、いずれひとりっこ同志の結婚が珍しくなく、おじもおばも、いこともいないひとりっこも増えるだろう。頼れる親戚は、やがて消えていく。自宅を何度か訪問した教師も退学の意向を確認すると、卒業までとどめることをしなかった。
私は未読だが、「ホームレス中学生」という本が大変売れていて評判もよい。家族が崩壊して一家離散、そういうこともあるのだ。社会のセーフティネットも機能せず、頼れる親戚も相談できる教師も、面倒を見てくれるご近所さんもいなかったら、そう考えると、99年の事件の後、Aの家庭事情を知る地元住民の「不遇な少年を救えなかった」後悔が集めた1834人もの減刑嘆願書の意味は重い。たとえ、今回の判決にはなんら住民の思いが届かなかったにせよ。

『俺たちフィギュアスケーター』

2008-07-23 22:46:04 | Movie
「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」という男性だけのバレエ団がある。1974年、米国ニューヨークで創立された同バレエ団は、私も一度は観に行きたいと願っているのだが、コメディ・バレエとしても有名だが、その技術力の高さには定評がある。体脂肪率はGacktさん並と想像されるが、やはり♂のごつくて広い肩幅に細いチュチュの肩紐がくいこみ、つけまつげの下の真紅の唇が悲劇の愛に苦悩するカタチを眺めているだけで、笑える。実際この姿で、優雅にはかなく踊られたら爆笑ものだろう。

さて、舞台をフィギュア・スケートリンクに移したのが、この『俺たちフィギュアスケーター』である。
アメリカ、フィギュア・スケート男子シングル部門の因縁のライバル、チャズ・マイケル・マイケルズ とジミー・マッケルロイは氷上での乱闘騒ぎで金メダル剥奪、しかもスケート会から永久に追放されてしまったのである。失意の日々を送るふたりだったのだが、ジミーのストーカーの助言から、協会規定の盲点をついてペア部門に男性同士のカップルとして出場することになったのだが・・・。

スケートは、米国では人気の高いスポーツということらしいが、なるほどDVDの特典インタビューでは出演者たちが好きなスケート選手の名前を、次々とあげている。舞台を誰もが親しみ、尚且つ芸術性が高いフィギュア・スケートにしてところが、成功のポイントだろうか。トロカデロ・バレエ団の主役も「バレエはとてもシリアスなもの。だからコメディーにしやすい」と語っているように、フィギュア・スケートも美しい音楽に、芸術性を競う本来シリアスなスポーツでもある。しかし、そこはアメリカ!ちょいメタボ系のチャズは、夏場もフリンジの皮ジャンを着ていそうなロック調の服装でセクシーさが売り、大真面目にエンターティメント性を発揮してもてもて男を演じているのが笑える。なにしろ「ミッシェル・クワンが俺のこどもを生みたがった」らしいのだ。この自己愛が強い勘違い男チャズ役を演じたウィル・フェレルは、絶大な人気がある本物コメディアンらしい。多分、、、この人が登場しただけで、大真面目になにかひと言のたまっただけで瞬間爆笑ものなのだろう。また金髪巻き毛の王子キャラのジミーは、なよっとしているが素直でいかにもスポーツしか知らない世間知らずの頼りない男がぴったりあっている。このふたりの容姿、性格のかけ離れた違いがあってこそのペアのおもしろさが成り立つのである。また、ストーカーのヘクター(←この名前も笑えるのだが)の言動が、ブラック・ユーモア満載。登場回数こそ少ないが、私としてはもっともウケタ部分である。

実際は、男性同士のペアは体重が重くて難しいと思う。ロシアのバレエリーナが体重60キロをこえて解雇されたが、無理なく相手をリフトするには、男性の体重では厳しいのではないだろうか。でも、ダンス部門だったら大技がないので可能であろう。いつか、男性ペアのスケートを”芸術的”にも鑑賞できる日がくるかもしれない。それはそれで、楽しみなのだが。
そして、単純お馬鹿なハナシだけでなく、実はふたりとも孤児であり、ジミーは幼い頃に金メダルをとるための養子として富豪にひきとられたのだが、目的を果たせなくなりあっさりと養父から捨てられるという今日的な文脈もそえられている。アメリカの著名人は、何人も養子を迎えているのだが、その実態が謎である。
実在の新旧のスケーターたちも登場して、業界全体でこの映画製作を楽しんでいる様子が伝わる。

日本の歌舞伎も男性が女性を演じているのだが、こちらはあの化粧の厚さと着物姿でオトコの雰囲気が消えていて違和感がないためになじみやすいのだろう。私としては、実在の名門男子校で実際に行われている男子学生のシンクロナイズド・スイミングを描いた矢口史靖監督の『ウォーターボーイズ』の方が、はるかに傑作だと思うのだが、水上ではなく氷上のオトコたちを描いた本作も、酷暑にあえぐ夏場の一服の清涼剤としてもお薦め。ちなみに、実在の新旧のスケーターたちも登場して、業界全体でこの映画製作を楽しんでいる様子も伝わる。凝った衣装にも注目!

「緑の帝国」マイケル・ゴールドマン著

2008-07-21 21:11:21 | Book
私が定期的に講読している雑誌「選択」に、元世界銀行副総裁の西水美恵子さんの「思い出の国 忘れえぬ人々」が連載されている。連載43回にあたる今月号には、西水さんがインドの首都デリーに初めて訪問した時に、同行の当時の世界銀行のチーフ・エコノミストから、涼みがてらと称してヤムナの河くだりに誘われた時の話が掲載されていた。
太古から、「ヤムナには女神がおわす」と敬われて、古代ギリシャの文献にもその美形と豊かな水量が潤す流域の富が記されているが、その女神の面影はいまや全くない。河というよりも重油に似た「真っ黒なフィルムのような水面が不気味に光る」。それにも関わらず、岩場に洗濯ものを打ち付けて洗濯をする男衆や一日の稼ぎを得るために首までつかった獲物をしとめる釣り人たち。やがて朝日がのぼり、土手の上下を行き来する人々で河べりは活気づいてゆく。水浴、洗顔、歯磨き、水汲み、と朝の水仕事にまじって水遊びに興じるこどもたちを眺めて、思わず微笑んだ著者は、すぐさまこどもたちの頭上に黒い大きなコンクリート管の大穴に気がついた。そこから漂う汚臭とともに、灰色ともこげ茶色ともつかない大量の水が飛沫をあげてヤムナに流れ落ちている。この汚水の成分に関して、今更説明は不要だろう。著者は、死人に頬を撫でられた様な気がして、悪寒がとまらなくなったという。

「Water for all」
世界の人口の40%がきれいな水へのアクセスがない現状で、「すべてに人に安全な水を」というこのキャンペーンは世界銀行だけでなく、地球上の誰もが願うことだろう。これまで世界銀行は貧困緩和という輝かしい旗をふり、先進国の金融機関から資金を集めて、発展途上国にプロジェクト融資をしてきた。しかし、はかり知れない債務負担は、債務国政府に過酷な重圧を与え、飢餓などの悲惨な社会現象をおこしている。負債の利子分の返済だけで手一杯で、肝心な教育、衛生設備、福祉政策に予算がまわらなくなってしまったことは衆知の事実である。その結果、世界銀行とIMFは、債務免除というアメのかわりに重債務貧困国に公共水道事業の民営化を押付けた。新しい水政策は、途上国から国営をとりあげ、公共サービスの民営化、すなわち多国籍企業化に方向転換せざるをえなくなった。資金援助を受けるためには、いたしかたがなかったとはいえ、公共財の供給者から民間財の単なる管理人へと格下げされた。こうした事業を請け負ってきた多国籍の先進国企業から、大多数の貧困層は「良き客」となることを求められるが、人々はこの新しい商品を購入できる資金力がもともとないので、水道はとめられ、従来からの井戸水もとめられ、公衆衛生状態は更に悪化している。

世界銀行の歴代総裁が、すべて米国人から選ばれているように、世界銀行は市場第一主義のネオリベラル政策を推進している。ところが、プロジェクトが環境破壊的だと非難がではじめると、狡猾にも身をひるがえし、地域自然環境を本当の意味で熟知している”当該国ではなく”先進諸国の環境NGOと手をくんで、逆に公有の自然資源を基盤とした産業を多国籍企業に競売するという問題解決策を提示し、環境アセスメントを開発手続きに組み入れるようになった。
本書は、巨大化した世界銀行の、グリーン(環境)とネオリベラル(民営化)の抱き合わせ販売のようなあらたな開発レジーム、グリーン・ネオリベラリズムの戦略と実体をうきだし、その矛盾と問題を静かに分析している。世界銀行とはいえ、ひとつの銀行であり、常に銀行としての格付けを迫られる市場主義から逃れられない。そして、優秀な人材と潤沢な調査費からうみだされた研究成果は、他の追随をゆるさないくらいの権威があるのも事実。しかし、その知識の集積を運用するのは、世界銀行流の開発手法を身に付けて、現場を知らずに昇進と出世を気にするエリートの世界銀行コンサルタントたちである。

昔の後進国という言い方から、80年代以降は、発展途上国という呼称に変更された。発展途上国は、発展する途上にある国と解釈するが、これでは評者のナオミ・クライン氏が言うように発展する以前に衰退するばかりである。しかも、よくよく考えてみると、このようなスキームが最貧国ばかりの問題ともいえないのではないか。地球温暖化対策が、排出権ビジネスの”発展途上国”であるわが国も、彼らのようなエリート金融マンによって利用される可能性を秘めているのだから。

インドの小都市に属するデリーですら、貧民街の人口は年々50万人ずつ増えている。西水さんのエッセイは、「大河ヤナムの女神身から授かった宿題。いまだに答えの糸口さえ見えてこない」という文章で結ばれている。毎回、世界銀行の誇り高い志と成果を紹介する西水美恵子さんの、現場を歩く行動力とその高い目的意識を尊敬し、また女性ならではの細やかな感受性に共感をもちながら、なぜか、申し訳ないが私はこの方を好きになれないでいる。

■こんなアーカイブも
・アフリカを巧みに繰る非鉄メジャー「アングロ・アメリカン」
・アフリカの遠い夜明け
・「アフリカ ゼロ年」感染爆発が止まらない
・「アフリカ ゼロ年」こども兵を生んだのは誰か
・「アフリカ ゼロ年」貧困を引き裂くのは誰か
・21世紀の潮流「アフリカ ゼロ年」
・「エコノミック・ヒットマン」ジョン・パーキンス著

クールビズ「28度では能率低下」…日本建築学会調査

2008-07-20 12:09:40 | Nonsense
神奈川県の電話交換手100人を対象に1年間かけた調査では、室温が25度から1度上がるごとに作業効率が2%ずつ低下した。
東京都内の官庁のオフィスではクールビズを導入後、消費電力が以前より11・9%減ったが、調査すると、室温にムラがあり、30度に達する席もあって働く人の不満は高かった。3~6席に1台の大型扇風機を運転すれば、体感温度が下がって能率は維持され、電力消費は以前の10・2%減と、さほど変わらなかった。
 チームの田辺新一・早稲田大教授(建築環境学)が、平均賃金などから試算すると、冷房の設定が25度の場合と比べ、軽装のみでは、能率低下で期間中、オフィス1平方メートルあたり約1万3000円の損失が出る。(2008年7月18日 読売新聞)

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やっぱり、そうか。
常識を疑いたい私としては、ずっと疑問に感じていたのが、地球温暖化の真偽とともにクールビズによる作業能率の影響だったのだが、建築学会による研究でクールビズは経済的損失につながる”場合”があることがわかった。「クールビズ」の免罪符で、ビジネスマンから背広を解放した見た目も含めての効用は確かにあると思う。(夜9時以降の満員電車内のメタボ族のおじさまたちの汗臭いスーツは、気の毒をこえて迷惑・・・)けれども、我が勤務先でも「チームマイナス6%」とのお達しで、昨年よりとりくんできたクールビズだが、席によって暑いだの寒いだの苦情(わがまま?)いいたい放題の女性群を前にたじたじで、上司が各シマに取り付けた空気撹乱器3台。電源をつけっぱなしで帰宅するチームもあり、機械に席が近い人や場所によっては一日中風を受けてかえって迷惑だの、予想したとおり諸々不評だったのだが、今年は登場せず、あれは、どこへいったのか。。。冬になると今度は暑いと登場する扇風機もあった。チームを異動して席がかわった私は、寒い。同じチーム内では、冬ものカーデガンや、Gジャンを着込む婦人も出現。これで、本当に室温設定をあげているのか?

首脳陣の避暑とも揶揄された洞爺湖サミットも無事おわった。
しかし、二酸化炭素の排出を削減して地球温暖化を防ぐことも議題だったが、かりに日本がマイナス6%を素直に実施しても、100年後の温度は0.004度しかさがならない。私の夏の課題図書その3の「ほんとうの環境問題」の共著である池田清彦氏と養老猛司によると、日本人の地球温暖化対策の枠組みは、「意味がない」「アホ」になるらしい。そもそも米国が京都議定書を批准しなかったのは、自国の石油産業の保護であり、EUが推進するのは経済取引を主導できるもくろみがあるからだ。政治と国益ぬきに温暖化対策の枠組みを語るのは、お寒いハナシなのだ。
それも知らずに、エコブームにのって、「マイ箸」をもち歩くことで自分のイメージアップを計る芸能人を揶揄する気持ちはないが。仕事や勉強の時は、適切な温度に室内を冷やしてほしい。大型扇風機も直接からだに風があたると、だるくなってそれも厳しい。都心の猛暑、酷暑はなんとかならないのか。ふう・・・、、、暑い。

■アーカイブ
・地球温暖化は誤った説?
・「ドキュガンダ映画」ヒットの背景

東京フィルハーモニー「第757回定期演奏会」

2008-07-18 22:58:31 | Classic
連日の猛暑、お見舞い申し上げます。

毎年、夏になると言っているのだが、ヒートアイランド現象で蒸し風呂状態の東京で、最高の避暑地はコンサートホール。というわけで、東京フィルハーモニー交響楽団の第757回定期演奏会のチケットを握りしめて、久々に職場を5時にベルダッシュ。本来なら、もっと東京フィルの演奏会に行きたいのだが、本拠地があの渋谷のオーチャード・ホールといういろいろな意味での地の利の悪さで敬遠していたが、今日は完璧な空調と上質の接客マナー、音響も素晴らしいサントリーホールだから、期待度高し。クラシック・コンサートのチケットはなかなか売れない、集客率が落ちているとの説もあるが、今夜のチケットはなんと完売。殆ど満席といってもよい。まるで金融業界のようにふたつのオケが合併してからどうなることか、週刊誌にも数年前に上層部の方たちのスキャンダルが掲載され手ていた記憶もあり、内部はそれなりの問題やオケマンの気苦労や不満はあるのではないかと勝手な憶測もしてしまうのだが、最も攻めの企業努力しているのが、この「東京フィル」だと思う。

オケの冠ともいえるスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーとしてチョン・ミュンフン氏をパリから招聘し、日本人以上にクラシック音楽好きの多い韓国を代表する企業の系列会社、日本サムスンとマルハンがオフィシャル・サプライヤーとなっている。それはありかと驚いたのだが、日本初の携帯着メロ、着うたなるものを果敢に実施(蛮行?)したのも東京フィルだ。コンサートのライブ音源を携帯電話で聴きたいか?それは、寂しすぎるぞ、、、と余計なことだが思ってしまう。それは兎も角として、プログラムの充実ぶりは、りっぱにN響をこえている。
今回は、「What is This?」道具が語る音楽家の風景として、怪しげなブツの写真があり、解答が首席トランペット奏者の吉田俊博さんの語りと写真とともに後ろのページに掲載されている。へーそうだったのか、という素人の驚きと興味をひき、また吉田さんのお話がほっんとうにおもしろい!(オーボエ吹きのもぎぎさんと言い、管楽器奏者って陽気なのね。)トランペット奏者にとっては、「唇は命」だそうだ。一日吹かないだけでも衰えるから、リップクリームやオイルでそれぞれ気をつかってケアをしているそうだが、吉田さんの場合は、酒でうるおしているらしい・・・。やっぱし首席になるには、酒席でも実績がありそうだ。

そして肝心の演奏会。
指揮者は、はっきり言って若くてイケ面のフランスはアルザス産。この設定も東京フィルの”企業戦略”かと疑いたくなるが、お得意のフランスものの選曲は成功したと思う。但し、今夜の観客のお目当ては、ヴァイオリニストの松山冴花さんだ。なんと2歳からヴァイオリンをはじめ、9歳でお父さまを日本において母と兄とNYに移住して、ジュリアード音楽院で学んだ。後ろのL席から拝見する真紅のドレスと漆黒の髪を束ねた勇姿は、繊細な音楽家というよりもむしろ中国のアストリートのよう。冒頭の出だしこそ、冴えなかったが、パワフルな演奏は説得力がある。全体に荒削りな印象もなきにしもあらずだが、自己主張がはっきりしていて、その分、ほぼ同世代の庄司さやかさんのような奥の深い思索がたりない気もする。ラロの「スペイン交響曲」は、情熱さの中にもエレガントさがあり、それがたまらなく魅力なのだが、かってチー・ユンがN響と共演した独特の解釈をくわえた名演奏が印象に残っている。しかし、技術力も高く、発展途上の元気いっぱいの彼女の成長を見守りながら登用するのも東京フィルの戦略だろうか。

後半のサン=サーンスの交響曲第3番。漫画「のだめカンタビーレ」の千秋が「プラティニ国際指揮コンクール」に出場した時、ライバルのフランス人指揮者のジャンの指揮は、色彩が豊かだと評価されていた。フランス人の感性を期待したいところだが、ポール・メイエ氏の指揮はむしろ日本人に近い端正さで、鮮明というよりは繊細な淡い色彩という印象がした。
大所帯のメリットをいかし、オペラ、バレエ、地方と活躍する東京フィルに親しみを感じたコンサートだった。

―――― 2008年7月18日(金) 19:00 サントリーホール  --------―
指揮:ポール・メイエ
ヴァイオリン:松山 冴花 *
オルガン:新山 恵理 **

■ シャブリエ/狂詩曲「スペイン」
■ ラロ/ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調「スペイン交響曲」 *
■ サン=サーンス/交響曲第3番 ハ短調「オルガン付き」 op.78 **


「ケネディ」-「神話」と実像 土田宏著

2008-07-17 22:57:38 | Book
1963年11月22日、この日は米国民にとって自由と民主主義が銃声とともに破壊された悲劇の日となった。アメリカ合衆国の若き第35代大統領J・F・ケネディが暗殺された。

ケネディの時代に生きた人も、彼を歴史上の大統領としてしか知らない若い世代にも、そして日本人の中にも、彼の中に青年期の米国の理想と希望を見る人々が多くいる。私自身も、そのひとりと言ってもよい。著者の土田宏氏は、ケネディの人生と暗殺事件と常に向き合う生活を送るうちに、いつしか研究者となっていた。。ケネディは、まるで大統領になるために生まれたような人。リベラリストで、夢は見るものではなく叶えるものと説いた人。冷戦時代のキューバー危機をのりこえた決断する能力と勇気を備えた政治家。10年以内に月に宇宙飛行士をおくりこみ、帰還させる計画を宣言して、実現させたひと。そして、女性関係も英雄にふさわしく華やかだった。今も尚、多くの謎を残した暗殺事件とともに、ケネディ像はなかば歴史のなかに「神格化」されているが、本書は、幼少時からの病気との戦いから、政治家としての時代との戦いまで、その実像を紹介したJ・F・ケネディ入門書である。

アイルランド出身の裕福な資産家のカトリック信者らしく子沢山の家庭に生まれ、ハーバード大学を卒業。しかし、私の知らなかった、しかも意外なケネディの素顔を知ることとなった。

その1・・・ケネディは長男だと思っていたが、実は次男だった。
2歳年上の父と同じ名前の長男ジョセフ2世(ジョー)は、よくある話だが父にとっては特別な期待の星だった。誕生直後から、ハーバード大学からボストン市長、もしくはマサチューセッツ州知事にさせ、ゆくゆくは大統領になるという人生のレールがしかれていた。2番になることは意味がない。常にトップで勝つことを求められたジョーは、この期待にこたえ、名門校でも学業・運動ともに飛びぬけて優秀な成績を誇る自慢の息子だったのだが、戦死した。この後、父の夢を継ぐ大役は、ションにまわった。長男を特別扱いする家庭環境において、年の離れた三男ほど気楽ではなかった次男という立場のジョンは、ある意味、兄のスペアであり、一番しかゆるさなかった強烈な父は、彼に関心がうすかったと思われる。長男がもし戦死しなかったら、ホワイト・ハウスの椅子に座ったのはジョーだったと私は考える。

その2・・・ケネディは、病弱だった。
大統領選挙を勝ち抜くだけでも、常人以上のタフな神経と体力が必要だし、PTボートの指揮官時代の活躍で「太平洋の英雄」になった経緯もあり、ケネディは健康的でタフなイメージをもっていたが、幼い頃から病弱で入退院をくりかえし、何度も死の淵をさまよったことがあった。当時、服用した薬の副作用で生涯激しい腰痛に悩まされ続けた。このような体験も、辛抱強いケネディの資質をつくる要素になったかとも思う。

その3・・・一丸となってケネディの選挙戦を支えた一族であるが、幼い頃から両親の仲は不和であり、夫婦愛は冷めていた。
なんと言っても、元々の能力が高いのだが、若い頃から向上心にあふれ、闘争心や出世欲もあり、金儲けも上手だった父の存在が大きい。家族にも競争相手に勝つことを強いる夫と、敬虔なカソリック信者の妻が寄り添うのは難しいだろう。けれども、彼はそんな父に対立しても、政治生命をかけても守るべき自分があり、自分自身で考え、自分自身で結論するのを理想とする新しいタイプの政治家だった。

本書を読みとおし、病弱で長男にいつも負かされていたジョンが、大統領への道を歩んだ軌跡は、資質的に当然なようで、実は苦難に満ちた危うい道すじだったことがわかった。それでも、彼は大統領になった。それは、父の夢を実現するためでもあったが、ただひたすら自らの理想を追い求めた努力の果実だった。大統領として活躍していた1000日、ベルリンやアイルランドを訪問した時、彼の演説に熱狂する群集の写真が雄弁に政治家として人としての魅力を語る。真の意味でのカリスマ性とオーラに包まれた人だったのだろう。
そして、運命の日。今では、誰ひとりオズワルドが暗殺犯だと考えていないだろうが、著者は真犯人を実名であげている。この推理が真相をついているのか、結局、今となっては永遠にその解答を誰もみることができない。そのことが、ケネディ暗殺が残した米国への深い傷と痛みを想像される。また、ケネディを語る時に何度も繰り返される暗殺シーン。妻のジャッキーが後部座席に異動して、夫の飛び散った脳を無意識に拾う映像。ここには、個人の尊厳はない。ケネディの政治家としての人生も、むなしく悲劇の銃弾が主役となってしまった。

いや、やはり、私たちが記憶に残したいこと、残すべきことは、1961年1月20日の大統領就任時の演説であろう。彼は氷点下5度の厳寒のなか、コートを脱いで母親の家に伝わる聖書に手をおき、憲法に規定された宣誓を読み上げ、そして語った。

「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。」

大統領就任公式行事の前日、ワシントンDCは朝から雪が降り積もっていた。しかし、降り積もる雪とは対照的にジョンの表情はあかるかったという。