瀬島龍三という人物は果たして何者なのか、何者だったのか。
本書はノンフィクション作家、保阪正康さんが月刊「文藝春秋」昭和62年5月号の「瀬島龍三の研究」をもとに大幅に加筆修正したものである。
大正14年の春、北陸の小さな村から当時の村いちばんの秀才がそうだったように、14歳の瀬島少年は親だけでなく地元の期待を背負い、東京をめざして畑道を歩いていた。小柄な少年は、大人たちの励ましに黙ってうなずき、列車が走りだした時は目に涙を浮かべて郷里をあとにした。その列車は東京幼年学校へ向かい、そして16年後には大本営参謀、関東軍参謀につくも終戦後11年間シベリヤ抑留、この間極東国際軍事裁判(東京裁判)に出廷。帰国後は伊藤忠商事に入社して、昭和37年取締役業務部長、やがては土光臨時行政委員など列車は、昭和という時代を凝縮したかのような人物を乗せてかけぬける。
「瀬島会」なる彼を信望するメンバー、高い評価と信頼をよせる政治家がいる一方で、不誠実で無責任、参謀時代の戦術を企業で応用し、異例のスピードで出世しただけと、瀬島には毀誉褒貶がつきまとう。瀬島が脚光をあびたのは、専門商社だった伊藤忠商事を総合商社に格上げした業績もあるが、やはり山崎豊子さんの小説「不毛地帯」の主人公岐正中佐のモデルという説が定着したからだろう。「不毛地帯」を読んだことはないが、山崎さんご自身は特定のモデルは存在していないと否定している。
東京幼年学校という全国から集まったエリート集団において、決してはめをはずすこともなく、情熱のまま理想に走ることもなく、勤勉で勉強家の優等生タイプの少年は、周囲を冷静に観察してふるまう軍人としてのこころがまえを自然に身につけていき、やがて頭角をあらわしていく。そしてガダルカナル撤収作戦、ニューギニア作戦など太平洋戦争において、キーパーソンとなる役割を背負っていき、終戦後はシベリアの収容所でもリーダー的な役割と交渉役も勤める。帰国後、45歳にして4等社員、高卒の女子社員扱いで日本の企業人にはじめてなった瀬島の、伊藤忠での業績と暗躍は「沈黙のファイル」の方が詳しい。(銀座の地味なホステスがデビ・スカルノ夫人になった当時の時代を語る経緯もわかる)しかし、本著で保阪氏が”研究”し、明らかにしたいのは旧ソ連との交渉時捕虜抑留についての密約があったのではないかという疑問、そしてその時に公人ともいえる瀬島の果たした役割からくる責任だろう。特攻機とともに海に消えた学徒たち、ソ連への協力を拒否して消えた将兵たち、シベリアでの過酷な重労働のために亡くなった多くの人、そんな彼らに果たす「責任」を求めているのである。
保阪さんの著書を読むのは、これで二冊めだが綿密な資料を丹念におっている。そして読者の情に訴えるというようなこともなく、強引な押し付けがましい主張もいっさいない。けれども信頼がおけ、読みすすむうちに静かなジャーナリストとしての開かれた目と確固たる目的意識を感じる。そんな保阪さんをずっと見つづけている存在を知った。保阪正康の祈り
だから私は、そんな保阪さんの著書を読みつづけたい。
本書はノンフィクション作家、保阪正康さんが月刊「文藝春秋」昭和62年5月号の「瀬島龍三の研究」をもとに大幅に加筆修正したものである。
大正14年の春、北陸の小さな村から当時の村いちばんの秀才がそうだったように、14歳の瀬島少年は親だけでなく地元の期待を背負い、東京をめざして畑道を歩いていた。小柄な少年は、大人たちの励ましに黙ってうなずき、列車が走りだした時は目に涙を浮かべて郷里をあとにした。その列車は東京幼年学校へ向かい、そして16年後には大本営参謀、関東軍参謀につくも終戦後11年間シベリヤ抑留、この間極東国際軍事裁判(東京裁判)に出廷。帰国後は伊藤忠商事に入社して、昭和37年取締役業務部長、やがては土光臨時行政委員など列車は、昭和という時代を凝縮したかのような人物を乗せてかけぬける。
「瀬島会」なる彼を信望するメンバー、高い評価と信頼をよせる政治家がいる一方で、不誠実で無責任、参謀時代の戦術を企業で応用し、異例のスピードで出世しただけと、瀬島には毀誉褒貶がつきまとう。瀬島が脚光をあびたのは、専門商社だった伊藤忠商事を総合商社に格上げした業績もあるが、やはり山崎豊子さんの小説「不毛地帯」の主人公岐正中佐のモデルという説が定着したからだろう。「不毛地帯」を読んだことはないが、山崎さんご自身は特定のモデルは存在していないと否定している。
東京幼年学校という全国から集まったエリート集団において、決してはめをはずすこともなく、情熱のまま理想に走ることもなく、勤勉で勉強家の優等生タイプの少年は、周囲を冷静に観察してふるまう軍人としてのこころがまえを自然に身につけていき、やがて頭角をあらわしていく。そしてガダルカナル撤収作戦、ニューギニア作戦など太平洋戦争において、キーパーソンとなる役割を背負っていき、終戦後はシベリアの収容所でもリーダー的な役割と交渉役も勤める。帰国後、45歳にして4等社員、高卒の女子社員扱いで日本の企業人にはじめてなった瀬島の、伊藤忠での業績と暗躍は「沈黙のファイル」の方が詳しい。(銀座の地味なホステスがデビ・スカルノ夫人になった当時の時代を語る経緯もわかる)しかし、本著で保阪氏が”研究”し、明らかにしたいのは旧ソ連との交渉時捕虜抑留についての密約があったのではないかという疑問、そしてその時に公人ともいえる瀬島の果たした役割からくる責任だろう。特攻機とともに海に消えた学徒たち、ソ連への協力を拒否して消えた将兵たち、シベリアでの過酷な重労働のために亡くなった多くの人、そんな彼らに果たす「責任」を求めているのである。
保阪さんの著書を読むのは、これで二冊めだが綿密な資料を丹念におっている。そして読者の情に訴えるというようなこともなく、強引な押し付けがましい主張もいっさいない。けれども信頼がおけ、読みすすむうちに静かなジャーナリストとしての開かれた目と確固たる目的意識を感じる。そんな保阪さんをずっと見つづけている存在を知った。保阪正康の祈り
だから私は、そんな保阪さんの著書を読みつづけたい。