千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『ショパン 愛と哀しみの旋律』

2011-03-28 16:00:46 | Movie
ある資産階級のマダム向け女性誌で、1914年に南フランスのトゥールーズに生まれたピアニストのマドレーヌ・マルロー(Marie-Madeleine Malraux)さんとセツコ・クロソフスカ=ド=ローラ(私の好きな画家バルテュス夫人)の対談を読んだ。96歳の今も尚、現役ピアニストである彼女のグランドピアノには、ショパンの左手の石膏のモノトーンの写真が大切に飾ってある。男性にしては優しげだが、荒々しさと繊細さをもちあわせた手は、戦火を乗り越え波乱の人生を歩んできた熟年の女性ピアニストの心に、自らの苦悩と祖国ポーランドへの望郷の念を静かに語っているのかもしれない。何故、ショパンはこれほど女性の心をとらえるのだろうか。

というよりも、ショパンは社交界の女たちのモテ男だった。ショパンを主人公にした映画を観ると考えさせられるのが、ショパンとジョルジュ・サンドの関係は、肺結核を病み、プライドは高いが貧しさにあえぐ芸術家の若い清純派男が、生活に追われる心配のない賢い中年女性の手練手管にはまりついにペット(餌食)になったのだろうか、ということだ。世界中の女性に愛され、情けない男を演じたら右にでる者がないと評価の高い?ヒュー・グラント主演の『即興曲/愛欲の旋律』というアダルト映画を連想させる映画しかり、本作の『ショパン 愛と哀しみの旋律』もしかりである。我らがショパンが主人公だと思っていたら、いつのまにか男装の麗人、元祖タカラジェンヌのようなジョルジュ・サンドが貫録で後半は主役をはるようになる。私は、ショパンを描いた映画を観に来たはずなのに・・・?。

いつの時代も大国の翻弄されてきたポーランド。ショパン(ピョートル・アダムチク)が育った当時も、帝政ロシアの専制支配下にあり、彼は自由な音楽表現を求めてパリにやってきた。なかなか受け入れらず失意の日々を重ねるも、やがて人気作曲家フランツ・リストの計らいでデビューを果たし、たちまち社交界サロンの寵児となっていく。一方、愛するマリア・ヴォジンスカと婚約をするが、身分の違いや健康面への不安などでマリアの親の反対にあいあっけなく破局する。そこに現れたのが、狙った男は必ずものにするエネルギッシュな女流作家のジョルジュ・サンド(ダヌタ・ステンカ)だった。ふたりは、喧噪なパリを離れて手に手をとり美しいマジョルカ島に恋の逃避行へ、、、と行けばどんなにか素晴らしかっただろうが、そこにはサンドのふたりの問題児までもれなくついてきた。こどもと恋人の板挟みになり悩む彼女は、とうとうある決断を下すのだったが。。。

故郷に思いを寄せマザコン気味だったショパンが、パリの友人宅で大熱を出した時にサンドお手製の熱々のスープにころりと落ちる。まるで少女漫画のような展開だが、ショパンにとっては、サンドは母親兼年上の恋人だったのだろう。繊細で芸術家にありがちなわがままさを思う存分に発揮するショパンを前に、サンドはまるで反抗期のこどもを3人抱えた普通のママのようにおろおろし、気の休まることがない。女性としては、サンドの感情に重ねることはできるが、ショパンのいらだちや不安、父との確執、祖国への思いなどもっと本来描くべきことはあったのではないかと思う。そして祖国ポーランドの描き方が、平板なのも惜しい。しかし、本作は史実に忠実に描かれているそうなのだ。それにしてもせっかくポーランドの雰囲気にあった俳優を使いながら、言語が英語とはこはいかに。
昨年は、ショパン生誕200周年。ショパンがどういう人物でどういう女性と恋をしたかとは別に、どのような映画が製作されても、彼の音楽は永遠に女性の心をとらえて離さない。

監督:イェジ・アントチャク
2002年ポーランド製作

ハリウッドをつくった女優エリザベス・テイラーが亡くなる

2011-03-24 23:02:46 | Nonsense
戦後のハリウッドを代表する女優で「リズ」の愛称で親しまれたエリザベス・テイラーさんが23日、死去した。79歳だった。
『ジャイアンツ』(56年)でジェームズ・ディーンと共演し、アカデミー賞主演女優賞に2度輝くなど、ハリウッドの黄金期を代表する大女優が天国に旅立った。子どもたちに囲まれ、入院先のロサンゼルスの病院で息を引き取ったという。09年10月には心臓の弁の手術を行い、ツイッターで「まるで新品の心臓を手に入れたようだわ」と書き込んでいたテイラーさんだが、6週間前から入院。79歳の誕生日だった2月27日は家族と病室のテレビでアカデミー賞授賞式を見ていたという。

華やかな恋愛遍歴も注目を集めた。私生活では8度の離婚を経験。最初の結婚は18歳の時で、ホテル王の息子、コンラッド・ヒルトン・ジュニアだった。映画「クレオパトラ」(63年)で共演した俳優リチャード・バートンとは2度の結婚、離婚。91年には20歳年下の建設作業員と8回目の結婚をして話題になったが、97年に離婚した。 「ジャイアンツ」でも共演した友人ロック・ハドソンの死をきっかけに、80年代以降は、エイズ撲滅キャンペーンに奔走。イスラエル訪問などチャリティにも熱心だった。

1932年、英ロンドン生まれ。幼少時にロサンゼルスに移り、母親の勧めで映画の世界に入り、10代で出演した「若草物語」(49年)などでスターの座を確立した。「陽のあたる場所」(51年)「ジャイアンツ」(56年)など話題作に次々と出演、類いまれな美貌でトップスターの道を歩んだ。その後「バターフィールド8」(60年)と「バージニア・ウルフなんかこわくない」(66年)で2度、アカデミー主演女優賞に輝き、「最もスターらしいスター」と呼ばれた。


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世界で最も美しい女性だったもうひとりの女優、カトリーヌ・ドヌーヴ(67歳)は老いても華やかな存在感と美貌はちっとも衰えていない現役ぶりと先日鑑賞した『しあわせの雨傘』では、女優としても益々円熟の域に達していると圧倒された。それでは、米国を代表するもうひとりの最も美しい女性エリザベス・テイラーは、というとドヌーヴほどの生き方が上手ではなかったかもしれない。その美貌をハリウッドのスター女優としていかしながら、奔放な私生活では多くの男性の心を虜にしても何度も結婚生活には破れた。恋多き女の艶聞が何かと先行してマスコミのセレブなおもちゃのような扱いが、彼女の尊厳を貶めているようで気の毒な気もした。

彼女の出演作で観ている記憶があるのは、『トスカニーニ 愛と情熱の日々』『陽のあたる場所』『バージニア・ウルフなんか怖くない』の3本だけ。けれども『陽のあたる場所』『バージニア・ウルフなんか怖くない』は映画そのものもとても素晴らしかったのだが、エリザベス・テーラーがスクリーンに立っているだけではまり役で名演技だったと思う。美しい女優は次々と誕生するが、彼女ほどのスケール感のある女優はもう現れないだろう。また、そういう時代でもない。

■謹んでアーカイヴ
『バージニア・ウルフなんか怖くない』

「工学部ヒラノ教授」今野浩著

2011-03-22 22:48:14 | Book
めでたく65歳で東工大を停年退職となった平野教授は、私大の中央大学に天下り?ただのヒラノ教授となった。更に、学生からお爺ちゃんと同じ年と言われれるように、ただのおじいちゃんになる第二の停電、、、いや今度こそ本物の定年となる日を迎えるにあたり、私大文系の『文学部田唯野教授』とは違う雑務で消耗しながらも、研究・教育に情熱を燃やす「工学部平教授」の物語を上梓したのが、本書になる。家では妻やこどもたちに疎外されても大学に出てくれば、「センセイ」と慕ってくる可愛い優秀な学生との素敵な時間が待っている。工学部平教授ほど素敵な商売はない・・・のだろうか?

平野教授は、まだヒラノ青年だった33歳に筑波大学の助教授に任命された。”祝!つくばエクスプレス開通”する前は陸の孤島と呼ばれた彼の地は、ヒラノ青年が舞い降りた時は、まだ映画館、コンサートホール、本屋もなかったそうだ。(今では、西武デパートやりっぱなノバホールも映画館もあるが、なんとなく田舎じみたわびしさが漂うのは筑波大学の宿命か?)筑波大学では学内では筑波三銃士、学外では筑波の三バカとして情報処理の教育や研究活動に大奮闘。その勢いは、東工大に異動してもとどまるところをしらない。本書は主に、研究者や教育者としてだけでなく、大学行政にも携わった著者の東工大での象牙の塔のキョウジュ生活が中心となっている。

ところで、東工大と言えばご存知のように管総理大臣の母校でもあり、QS世界ラインキングの上位校でも理系の雄としてその名が轟いている。しかし、当時のこの大学には人文・社会学群に日比谷高校時代に歴史の発表をフランス語で行ったという”跳ね上がり”江藤淳氏、永い陽之助、吉田夏彦氏らキラ星の如く文系スター教授が勢力をはっていた。彼らの人間性や文系のレトリック会議とエンジニアの工学部系時間厳守の会議の対比など、その内情は実に圧倒されるようなパワフルさとすごさだけではないけったいな個性に思わず、やっぱり大学って魑魅魍魎な世界だよと独り言を言ってしまった。この様々な生態の方たちが跋扈する大学の職階を、ヒラノ教授は軍隊になぞらえているのだが、最近は比較的この軍隊組織も柔軟になっているような気がするが如何だろうか。

理系の工学部教授らしく、統計、数字で大学教授をめざす道、生き残り作戦を指南(暴露?)されているのは、著者がすでにご引退を覚悟されているからだろうか、もはや怖いものなし?のご愛嬌ぶりがほほえましい。一発鉱脈を当てれば、パチンコの「チン・ジャラジャラ現象」で次々と論文が書けるというのも、最近のiPS細胞関連の業績などを見ているとよくわかる。

そしてユーモラスにこれまでの過去をふりかえっている著者なのだが、一転、未来を考えるヒラノ教授になるとその筆は厳しい。2004年に実施された戦後最大の改革(私はむしろ改悪だと思っているのだが)、大学の競争原理を導入して成果をあげる大学を優遇する一方、成果のあがらない大学を冷遇するという「国立大学独立法人化」を国民が小泉改革路線に眩惑され、また優良大学に対して提示されたアメに大学がのったからだと伝えている。有力国立大学と一部のほんのわずかな私大を除いた地方の国立大学は、今や瀕死状態だそうだ。これはもはや日本全体の教育の危機かもしれない。そして、もうひとつが大学院重点化である。ヒラノ教授が過ごした某大学でも教養型ではなく研究型の大学をめざし、入学式では学長が新入生にはやくも大学院進学をすすめたりもしていた。大学院重点化できる大学は兎も角、それ以外の断念もしくは最初からあきらめた国立大学の運命やいかに、である。

日本のベスト・アンド・ブライテストを集めた同僚たちとの”競争と協力”のもとで誇りをもって仕事ができたヒラノ教授は、幸福だった。しかし、それも過去形で語る時代がやってきた。時代に先駆けて分野、時代遅れになった研究、日の当たらない研究、長いスパンで研究する分野は、自民党時代のお国の拙策によって枯れ死にしていくだろう。それは、実にリスキーなことなのに。だから「工学部平教授ほど素敵な商売は・・・なかった」。

■こんなアーカイヴも
「院生・ポスドクのための研究人生サバイバルガイド」菊地俊郎著
「リスク 神々への反逆」ピーター・バーンスタイン著

『神々と男たち』

2011-03-21 16:37:38 | Movie
本作は、退屈な映画である。
1996年3月、政府軍とイスラム原理主義者たちとの激しい内戦が続く北アフリカのアルジェリア。カトリック厳律シトー会のフランス人修道士たちは、この地の山間の小さな村にたつ修道院でイスラム教徒たちと宗教の違いを超えて交流し、平和に暮らしていた。
映画の半分以上は、修道士たちの、人種、宗教も異なる現地の人々との暮らしぶりである。毎日、畑を耕し、ささやかな自然の恵みを現地の人々と肩を並べて露天の市場で売り、お年頃の少女には尋ねられれば恋についても答え、鐘を鳴らし、聖書を読み、祈りを捧げる。今日も、医師でもあるリュック訪ねて、大勢の患者たちがやってきた。そして、明日も怪我をしたり、病気を抱えるお年寄りやこどもたちが、診断と薬を求めてに修道院にやってくるだろう。それが、淡々とした”平穏な日常”である限りは、映画としては退屈になるのだ。

それでは、退屈な映画は観る価値がないかというとそれは別の次元になる。観客は、敬虔な心で静かな生活をしていた修道士たちが、内戦の激化に伴いアルジェリア政府やフランス内務省からの再三の帰国要請や警告を受けたにも関わらず、住民たちとともに死を覚悟して留まる決意をして、その結果、武装イスラム集団(GIA)に誘拐され、2ヵ月後に7人全員が殺害されるという実際に起こった事件を前提に映画を観ていく。日がのぼると目覚め、夜のとばりがおりると祈りとともに一日がおわる彼らの慎ましく、互いに支えあう静謐な日々が、まるでふりつづける白い雪の結晶のように観る者の心に重なっていく。おさえた色彩、音楽もなく、美しいものを美しくみせることもなければ、感動をひきだすワザなど使うべくもなく、退屈だが、この退屈さに意味をもたせる、これも映画だ。

本作はサルコジ政権のブルカ禁止法にゆれるフランスでは社会現象にもなり、当初は、欧米流の彼らの価値観をみせられるのではないかと構えていたが、脚本からも他宗教や異なる民族に対する配慮も感じられ、また、神々と複数形をとっているように、、宗教や価値観の対立や国家の違いをこえて、人間の尊厳を描いている。信念の強い修道士とは言え、彼らも当然、迷い葛藤し、悩み続ける。その姿には、同じように家族をもつ人としての共感をよぶ一方、彼らの住む最適な場所が兄弟たちと暮らす修道院というのも、神に仕える者の一抹の寂しさも感じさせられた。神を信仰するか弱き人間を描くことで、信念をもった人間の強さと崇高をも同時に描いている。

帰国命令を受けて逡巡する修道士が住民たちに「私たちは枝にとまった鳥に過ぎない」と伝えると、彼らは残留を願う。
「鳥は私たちで、枝はあなた方。枝がなくなれば、私たちはどうすればよいの」と返ってきた言葉に、修道士たちは言葉を見失う。
今般の日本の災害や原発問題で、職場を置いて次々と日本脱出する在日外国人の報道に接するにあたり、さまざまに考えさせられる映画である。
尚、当該事件は現在もまだ裁判が進行中で、彼らの死の真相は解明されていないそうだ。

原題『Des hommes et des dieux』
監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
2009年フランス製作

「生命の跳躍」ニック・レーン著

2011-03-19 11:49:02 | Book
今日、私たち人類をはじめとして数え切れないくらいの生物、生命がこの地球上で生きている。それは、おそらく想定外の苦難が起ころうとも、明日も来年も、延々と生命の鎖はつながれていくと願っている。

さて、本書では46億年前に地球が誕生し、およそ40億年ほど前に原始生物が発生してからの生命の歴史観(ここでは、あえて”観”を入れたいのだが)を、進化をキーワードに大胆に論じられている。ここでの進化は、魅力的にも革命的でもある。その進化の革命は、生命の誕生・DNA・光合成・複雑な細胞・有性生殖・運動・視覚・温血性・意識・死と10の物語となっている。著者のスタンスが「世界のあらゆる驚異は、偶然と必然の両方を内包した、ただ一度の出来事に端を発している」という言葉にあり、これはなかなか考えさせられるものがある。

たとえば、有性生殖は偶然のなりゆきかもしれないが、そのための”作業”につきまとう快楽ははたして必要なのか。クローン生殖の方がよほど効率がよいのでははないだろうか。有性生殖には様々なデンジャラスがつきまとうのは、ある程度の年齢を重ねればご想像がつくだろう?しかし、「クローン生殖を行うのは同じ宝籤を100枚買うのと変わらない。それよりも番号の違う宝籤を50枚買うほうがよく、これが有性生殖の出した答えなのだ」というある科学者の意見には思わず頷き、進化という現象に感嘆した。

ところで、著者のニック・レーンは科学的な探求だけでなく、思想・哲学の意表をつくようなエッセンスが絶妙なバランスで随所に装飾音のように奏でられていて、サイエンスライターとしての文章がおしゃれできまっている。訳者の斉藤隆男さんによると「生物界の村上春樹」となるそうだが、私の感想は違う。比喩の巧みさと、それが意表をついている点でニック・レーンの文章が村上ワールドにつながるのかもしれないが、スタイリッシュさを装いつつゆるぎない確固たる生命感による構成が壮大な進化の歴史の流れによりそっている。しかも、多細胞生物に個々の死を恵むことで逆の個の生存、進化の潜在力を活かすことを可能にするという死で最後に幕を閉じるなど、出来過ぎている。評価が高いのも当然だ。さすがに、英国人らしい少々ブラックなユーモアに笑わされもした。しかし、考えてみれば、日本には彼のような純粋なサイエンスライターが存在していないのではないだろうか。文章表現力も高い研究者による一般人向けの本か、立花隆さんのような教養人によるサイエンスもの、もしくは科学者の評伝に近い科学本。これは残念なことだと思うのだが、エピローグに1973年にイギリスで放映された『人間の進歩』という番組が紹介されていていて、日本にはそもそもサイエンスライターという職業が育つ土壌がないということを知らされた。

著者が観たその番組では、ポーランド生まれの科学者ジュエイコブ・ブロノフスキが、自分の親族を含めて400万人もの灰が捨てられたアウシュヴィッツの湿地を歩きながら「人が神の知識を求めるばかりで現実による検証がないとそうういうことが起こる。」と語っていたそうだ。そして「科学の判断はどれも、誤りと紙一重で、主観的です。科学とは、不完全な我々でも知るうることがらを立証するもの」だと。こういう深い科学番組がお茶の間に流れて(今でなお茶の間そのものが消滅しつつあるが)、こどもたちが家族と一緒に観ているがお笑い番組全盛の日本のテレビ業界とは違うイギリスらしい。それはさておき、無神論者の私にとっては、信仰の篤い科学者がどうやって進化とおりあっていくのか謎なのだが、宗教と同じように科学の世界にも荘厳な輝きがあり、時には敬虔な気持ちにうたれることがある。また、その不完全さがあればこそ、人は知への探求心が豊かな人間性を培うとも考えれる。そんなことを思い起こさせてくれたのも本書のおかげである。

現実はフィクションをこえる

2011-03-18 17:20:18 | Nonsense
新聞の社会面や雑誌を読んで時々しみじみと感じるのが、巷間に言われる”事実は小説よりも奇なり”という言葉だ。世の中で実際に起こる事件は、人の想像をこえる。そして、事実は、恐ろしくもフィクションをこえると知らされたのが、今回の東北地方太平洋沖地震だった。福島市のご自宅で被災した作家の冲方丁さんが「物語の想像力は、現実に起こりうる以上のものは書いていないと、思い知らされた」と語っていたが、まさにその通りである。

3月11日は、通常どおりに出勤し業務をこなし、、、ただひとつ平凡な一日と違っていたのが、電車がストップしてしまい帰宅できずに会社で朝まで過ごしたこと。(合法的な朝帰りというのは、ちっとも楽しくない。)夜、テレビの報道で作業服を着た枝野官房長官の会見を観て、その後に登場した東京電力の方のお話を聞き、なんとなく既視感にとらわれて、最初はおよそ現実のことという実感がともなわなかった。それほど、この国で大災害の後に次々と起こった災難に呆然としてしまったということだろうか。1週間たっても、明日、会社に出社できるのかわからない、今日、自宅に帰れるのかわからない、自宅は計画停電の対象外とはいえ、どうも数時間電話が不通になりネットが使用できないという繰り返し。コンサートも次々と中止か延期。しかし、この程度の不自由さは被災者の方たちに比べたら、文句を言ってはいけない。

ところで海外メディアや新聞の報道を読むとザ・タイムズ紙は「日本国民の回復力と政府当局の迅速な対応を称讃する」と表明し(14日)、デイリー・ミラー紙は被災地ルポで「泣き叫ぶ声もヒステリーも怒りもない。日本人は黙って威厳をもち、なすべき事をしている」と報道しているようだ。「国家の品格」で日本人の品格を問われたこともあったが、実際、日本人には品格がなくなったと感じることも多いが、未曾有の災害を前にして、一番困難な被災者の方たちの、厳かさと誇り、思いやりを失わず助け合う姿を知るにつれ、日本人の美徳が失われていないことを知った。今後もどうなるか、まだまだ気が抜けない日々が続くが、この日本だったら、私たち日本人だったら、おそらく早く復興する日が訪れると信じたい。

近日、鑑賞予定映画。

2011-03-13 23:36:56 | Nonsense
今春は、とても観たい映画がめじろおし。
とりあえず、忘れないように覚書。。。

・『神々と男たち』
・『英国王のスピーチ』
・『ショパン』
・『サラエボ,希望の街角』
・『アメイジング・グレイス』
・『さくら、さくら』
・『コミュニストはSEXがお上手?』
・『わたしを離さないで』・・・3/26から
・『マーラー 君に捧げるアダージョ』・・・4/30から
・『ブラック・スワン』・・・5/13から
・『ナンネル・モーツァルト』・・・4/9から

「ジャッキー、エセル、ジョーン」J・ランディ・タラボレッリ著

2011-03-09 23:11:47 | Book
America has no royal family, but in the earliest 1960s, the White House was graced with the presence of a couple so attractive, so vibrant and so glamorous that the eminent historian Theodore H. White, writing in LIFE, likened the situation to Camelot.
And if Jack Kennedy was our King Arthur, then Jackie was our queen.


1961年1月19日、ジャッキー・ブーヴィエ・ケネディのカレンダーのこの日にはワシントン開かれる大統領就任前夜祭の予定が記されていた。まだ31歳の若い新しいファースト・レディは、この日のために オレグ・カッシーニにデザインをさせた雪のようにきらきらした純白のダブル・サテンのドレスを用意していた。彼女は、背の低い太ったおばさんたちに同じドレスを着られたくないために、オリジナル以外のものは着たくないとデザイナーに宣言した。ホワイトハウスでは、保守的で野暮ったいアイゼンハワー夫婦の時代に別れを告げ、若さと華やかさ、エレガンスな時代の幕が開かれようとしていた。それは、アーサー王の伝説から由来される”キャメロットCamelot”、華やかで魅力的な時代だ。

先日、それなりに長い映画『ケネディ家の妻たち』を観たのだが多少のものたりなさを感じて、図書館で借りてきた映画の原作が、本書の「ジャッキー、エセル、ジョーン」である。それぞれの配偶者がケネディ家の兄弟だったという縁で、本来は交わることのなかったタイプの異なる義理の姉妹になった(なってしまった)3人の女性が、溌剌と並んで歩いてやってくる表紙の白黒写真が象徴的である。1960年、ハイアニスポートにて。ちょうど大統領選挙がはじまる前の頃だ。上段と下段にわかれていて500ページ超、車内で本をもちながら立ち読みするには少々重いずっしりとした嵩のある本なのだが、映画ですでに見ている同じ物語にも関わらず、 気づいたらあっと言うまに読了していた。何に、ここまでひきこまれたのだろう。

やはり世界でも著名な大統領だった夫をもった女性、ジャッキーのパーソナリティと人生が凡人とはかけ離れていること。これまで知らなかったロバート・ケネディの妻のエセル、エドワード・ケネディと結婚していたジョーンの行動や性格を対象とすると、またあわせ鏡のように別の意味でうきあがるジャッキーそのひと。特異な人というだけでなく、あの時代を生きたアメリカの女性を彼女の航跡にみることは、私にとって興味をひかれることだった。それでは、あの時代とはなんだったのか。それこそ、キャメロットの時代である。大統領在職中のケネディの人気は絶大だった。その理由として、前例のないやり方で彼は、アメリカ人の想像力に火をつけて燃え立たせたからだ。ベトナム戦争、東西冷戦人種差別と問題は山積みだったが、アメリカは希望をもち未来を信じられた時代だった。そのキャメロットの時代が終焉したのは、ジャッキーがインタビューで伝えたように大統領が暗殺された時だったのか、それとも1968年6月6日、ロバート・フランシス・ケネディ上院議員が狙撃された時なのか、或いはアメリカの星と国民から愛されたジャッキーがギリシャの男と再婚した時のなるのだろうか。

ジャッキーは男性との将来を想像する場合、その人の経済力というよりも財力を考慮するように育てられた女性であり、彼女が華やかな暮らしの維持と悪夢から自分とこどもたちを守るためにケネディ家の反対をしりぞけて海運王のオナシスと再婚した。オナシスにとってはこの結婚は米国に対する意趣返しであり、また彼女は世界最高のディーバであるマリア・カラス以上のトロフィー・ワイフだった。だから、アメリカの国民は失望した。

そしてボビーも兄と同じように倒れた時、司法副長官のロジャー・ウィルキンズが言った言葉は、国民全体の気持ちを表している。
「終わった。すべてが終わってしまった。高揚と希望と奮闘の時代が。すべてが終わった。ただ終わってしまったんだ。」
その後もくりかえされるケネディ家の様々な悲劇は、何度もキャメロット時代の幕が静かにおりようとしていることを失望という風にのって知らされる。
敬虔なカトリックのクリスチャンであるエセルは生涯未亡人を貫き、ジョーンは誠意のないテッドと離婚してアルコール中毒症を克服し教育学の修士号を取得した。授与式には、母親思いの3人のこどもたちだけでなく、別れた元ダンナも出席したそうだ。

そしてジャッキー。彼女は、今ではアーリントン国立墓地の見事に手入れをされたビロードのような芝地で、永遠の眠りについている。勿論、かたわらにはいろいろあったが最も愛したジャックとともに。彼女の葬儀では、スピーチをした人の誰ひとり、再婚相手の故アリストテレス・オナシスに触れる者はいなかったそうだ。彼女は、参列したエセルとジョーンとともに、彼女の意志とは関わらず、永遠に変わることのないケネディ家の一員である。もはや、キャメロットの時代は、遠く過ぎ去ってしまった夢物語に過ぎない。しかし、国の宝として、キャメロットの女王はいつまでも国民の心に生きている。

枯葉剤の傷痕を見つめて ~アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ~

2011-03-07 23:35:18 | Nonsense
N響アワーでジュリアン・ラクリンさんの素晴らしいベートーベンのVn協奏曲の演奏を聴いて心が晴れ晴れとして自信を取り戻したような気分になった日曜日の夜、そのままテレビをつけっぱなしにしていたらETV特集がはじまった。テーマーは「枯葉剤の傷痕を見つめて」。読書タイムの予定だったのだが、そのままテレビの画面から離れられず、けれどもあまりにも痛ましく観ているのがつらくて半ばでスイッチを切ってしまった。

ベトナム戦争が終結して、36年にもなる。銀座には私もお気に入りのベトナム料理の店があり、ベトナムは戦争とは無縁なエステや買物も楽しめる女子の人気観光地でもある。しかし、今でも苦しみが続いている枯葉剤被害の実態を取材している日本人の映像作家がいる。映画『花はどこへいった』を撮り、数々の賞を受賞した監督・坂田雅子さんである。番組は、地方の民家をモダンに改装して事務所兼自宅となっている坂田さんの住まいからはじまった。

坂田さんが枯葉剤被害に関心をもったのは、2003年に夫の写真家だったグレッグ・デイビスさんを肝臓がんで亡くしてからのこと。グレッグさんは、元ベトナム帰還兵で枯葉剤を散布された地域で従軍していたこともあり、そのためこどもをつくりたくないことを友人に語っていたことを聞き、今でもアメリカの帰還兵と枯葉剤による被害にこどもたちが苦しんでいる実態を知った。1996年、当時のクリントン大統領がはじめて公式に枯葉剤被害を認めたが、その被害の全貌はあきらかにされていない。そんな中で、帰還兵のこどもたちが自らの経験を語り始めた。

右足の膝から下の足と指が数本欠損しているヘザー・バウザーさんも、その中のひとりだ。彼女の父親はベトナム戦争に従軍して枯葉剤をあびたが、病院では因果関係はないと診断され、こどもの頃からいじめられたりとヘザーさんはアメリカ社会で孤立感を抱いてきた。彼女は、坂田さんとともに父の戦場だったベトナムへと向かう。ベトナムで「枯葉剤被害者の会」の面々と会うヘザーさんの胸中は複雑だっただろう。彼女は戦争相手で枯葉剤を散布した国からやってきたのだ。しかし、対立や戦争を超えて、どちらも同じ障がいをもって生まれたことではともに被害者である。ヘザーさんを受け容れるベトナムの人々の心にふれて、こどもの頃からの孤立感をいやされて思わず涙ぐむヘザーさんとかたわらで彼女を見守る夫。
やがて、坂田さんとヘザーさん夫婦は、被害の大きかった農村まで足を運でいく。そこで待っていたのは、貧しい暮らしの中で生活する生まれながらに皮膚病をわずらっている姉と目も見えない弟。また、目のない少女や学校にも行けないくらいの重い障がいをもった男児。彼らの障がいは、私たちが日常、社会で目にする障がいとはあきらかに異質な異形、奇形児である。ある母親は、出産したわが子と初めて会った時にその姿に失神したそうだ。そんなこどもたちを愛情深く、優しく見守る家族に、何か考えさせられるものもある。

ベトナムの歴史ある産婦人科病院で、ヘザーさんたちは溌剌とした女性の病院長に会っていろいろな話しを聞く。この病院では、枯葉剤による障がいがあり親が育てられない100人ほどのこどもたちが生活している。並んだベットでただ横たわる少年たちは、自分たちの不運を認識すらできないのでは、と思われるくらいその障がいは重い。病院長から超音波診断による中絶の話を聞かされたとき、ヘザーさんは自分も生まれてこなかったかもしれないと感じて反発した。彼女が感情的になるのも無理はないが、この病院で実際に中絶するのはたとえ出産しても生きることができない胎児だけだと説明される。その後、ホルマリン漬けとなって保管されている多くの胎児を目の前にして、ヘザーさんは自分の生命が紙一重だったと感じて驚愕する。

旅に出る前のヘザーさんは、肉体に一部欠損している部分があるが、さまざまな苦難を乗り越えて、今では夫とふたりのこどもたちに恵まれたあかるいアメリカ女性という印象だった。ところが、旅をして様々な自分と同じ枯葉剤に含まれたダイオキシンによる障がいをもったベトナムのこどもたちと会って、どんどん思いつめて神経が衰弱していっているように見受けられた。彼女が涙ながらに語ったのは、忘れることのできない父の姿だった。戦争から帰還したお父さんは、アルコール中毒、PTSD、そして障がいのある子をもったことで悩み、最後はガンで亡くなった。ある日、拳銃自殺をしようとしているお父さんに気がつき、とっさに何気なく声をかけて冗談を言って防いだ思い出を語りながら、泣いている姿を気の毒に感じる。

当初、枯葉剤は人体に影響はないと説明されていたそうだ。しかし、枯葉剤による被害で障がいのあるこどもを出産したベトナム女性が言っていたが、真っ白な枯葉剤が一面にまかれた翌朝、木々はすべて枯れていたそうだ。ぞっとした。それで本当に人体に影響がないわけがないと、誰だって思うのではないだろうか。これはもう、戦争犯罪と言ってしかるべきか。番組では、美しい緑の大地に枯葉剤を撒く軍用機の映像が何度も何度も流れた。

ネマニャ・ラドゥロヴィチ presents 《悪魔のトリル》

2011-03-02 23:31:28 | Classic
ネマニャ・ラドゥロヴィチという凄いヴァイオリニストがいる。
何が凄いかって、、、彼はきらびやかで日本を代表する最高の音楽専用ホール、サントリーホールよりも、新宿の路上の雑踏の風景が似合うからだ。彼の音楽には理論をこえた原点がある。だから、彼の音楽は素晴らしくも規格外。

一昨年の「ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン 熱狂の日 音楽祭2009」でヴィヴァルディ「春」を演奏するネマニャ青年の演奏には、心底驚嘆した。私が趣味を聞かれていつも困惑するのは、クラシック音楽鑑賞と答えると、「高尚ね」の一言で会話が終了することだ。なんなんだ、高尚とは。。。(泣)クラシック音楽=高尚なものと思い込んでいる方には、是非、聴いていただきたい、というよりも体験していただきたいのが、ネマニャ・ラドゥロヴィチのヴァイオリンだ。彼は、高尚で上品なヴァイオリニストというよりも範疇からフェードアウトした”ロック・スター”のような音楽家だ。

その演奏は、パワフルで疾走感に溢れ、それでいて極上の絹の糸のような芯の強靭さと繊細な美音が自由奔放に飛翔し、聴く者はアドレナリンの分泌が発動する。ここまで自由な音楽性が許されるのも、彼の抜群なテクニックと鋭い音程の正確さという基本がしっかりしているからである。そんな彼の今宵の曲は、「同世代の人たちにもロックやポップスと同じように、もっと気楽にクラシック音楽を楽しんでほしい」と仲間と結成した弦楽六重奏ユニットの成り立ちにあるように、深い音楽性を掘り下げるというよりも、アンコールピースとしてよく演奏されるようなヴァイオリンの魅力がたっぷりつまったお楽しみ曲ばかり。

・クライスラー:プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
・ヴィエニャフスキ:伝説曲ト短調op.17
・ヴィターリ:シャコンヌ ト短調
・シューベルト:ロンド イ長調D.438
・チャイコフスキー:なつかしい土地の思い出op.42「メロディ」「スケルツォ」「瞑想曲」
・タルティーニ:ソナタト短調「悪魔のトリル」

■アンコール
・ヴィヴァルディ:「四季」より夏
・セルヴィア民謡より
・映画「シンドラーのリスト」より

黒いブラウスに同じく黒の革のパンツで自然体で登場するネマニャ君。どの曲も、こどもの頃から子守唄として聴いてきたかのように、音楽という小さな宇宙の中を跳んでいるように奏でる。 全く、生まれながらのヴァイオリニストという感じで舌を巻く。画像でもおわかりように、女子好みの端整な顔立ちの王子キャラではない。サイン会で目の前で珍しい生き物として”観察した”彼は、音楽家というよりもその風貌はペンキをもった方が似合うような下層階級の職人タイプ。しかし、ステージに並んだ演奏家たちの中でソリスは誰かと尋ねられたら、それは誰でも人目でわかるだろう。私は、世間で俗に言うカリスマ性というのは、容姿が整った人にだけあるものだとこれまで思っていたが、彼を見ていてそうではないということを知った。演奏中に何度もでてくるtuttiで演奏する場面での率直な感想は、高い音楽教育を受けてきた仲間とソリストとの音楽性がこれほどかけ離れていると。世界には、自ら芸術品のような音楽家はたくさんいる。しかし、彼らとは一線を画した存在ながら、不思議なカリスマ性がある特異なヴァイオリニストのいきいきとした音楽をなかば興奮しながら楽しんだ。当然ながら、我も終演後のサイン会は、ダッシュで長蛇の列に並び・・・。

ところでそんなネマニャ君なのだが、日本ではなかなか演奏会が開かれない。彼は日本では「アスペン」という音楽事務所に所属してしてCDも出しているが、実力のわりには知名度が低いために、これまでチケットが売れなかったこともあったそうだ。(CDもあまり売れていないそうだが、私は山野楽器のS席にあるネマニャ君をお買い上げしたぞ)そのため、彼の音楽を日本でもっと聴くために、「音楽で人は輝く」の著者、樋口裕一氏が会長になりファンクラブ「プレピスカ」*1)が発足されていた。つきましては、是非、本格的なリサイタルを開催していただき、ベートーベンやモーツァルトなどののソナタ、バッハの無伴奏ソナタ、アンコールにはアンリ・ヴュータンの「アメリカの思い出」を弾いていただきたい。嗚呼、、、いつになることやら。。。

【2011年3月2日オペラシティにて】
ネマニャ・ラドゥロヴィチ(Vn)
仲間たち:ギヨーム・フォンタナローザ(Vn)/フレデリック・デシュ(Vn)/デルトラント・コセ(Vla)/アン・ビラニェ(Vc)/スタニスラス・クシンスキ(Cb)

*1)「プレピスカ」とはネマニャ君の生まれた国、セルビアの言語で”交流”という意味だそうだ。

■こんなアンコールも
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日音楽祭」2009年