千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『フローズン・リバー』

2011-04-29 15:41:49 | Movie
荒れた指にはさまれた煙草の煙がたよりなく荒涼とした冬の景色にとけこみ、しわのめだつ顔から一筋の涙が流れていく。。。
冒頭のワンシーンだが、ハリウッド女優の不自然なくらいの若造り(←やっぱり若いといより”若造り”だよね)のつるつるお肌を見慣れていると、レイ役を演じたメリッサ・レオの化粧をしないささくれた顔は演技をする前にすでに何かを語っている。男の顔は履歴書という言葉もあるが、すっかり所帯やつれした彼女の顔にはそれほど高い教育を受けてはいない、生活に困窮しているこどものいる中年女性(主婦)、の生活暦が顔にしわとともにきざまれている。

映像は車の座席に座っているナイトガウンをはおったレイから、開けっぱなしのダッシュボードに流れいていき、そこからなけなしの虎の子の貯金が盗まれたのだと察せられる。まさか、大事な金を盗んだのが、彼女の夫だとは思わなかったのだが。そんな窮地にたった彼女が働く店が「1ドルショップ」。私も便利でたまには100円ショップを利用することがあるのだが、時々あのたくさんの品物がある豊かさとつくりのチープな貧しさのギャップに、気持ちが沈むことがある。100個売れても売上は100ドル、1000個売れても所詮1000ドルじゃないか、と、私など考えがちだが、それでも、真面目に働いて何とか約束どおりに正社員に登用されたいレイの必死さが伝わってきて、同じ女性としてすっかり同情する。やがて彼女の必死さが、そして2人の息子を養い育てていかなければならないぎりぎりの暮らしぶりが、セント・レジスのカナダから米国へ凍った河を車で不法移民を運ぶ犯罪に手をそめていく過程もリアルに描かれていて、凍った風景そのものだ。このレイを中心とした景色に重要な役割を与えられたのが、犯罪に誘ったモホーク族のライラ(ミスティ・アパーム)だった。凍った河を車で移動するには数々のポイントがあり、それは生死を分かつ命がけの仕事。一緒に運命共同体の車に乗っているうちに、何かをあきらめたかのようなライラと、生活のために新しいトレーラハウスを購入しようと働くレイの共犯関係は、彼女たちを結びつけるこどもを核に友情へと育っていく。

彼女達の住んでいる賃貸のトレーラーハウスの家賃は、300ドル程度とか。時給600円程度で働いていると思われるレイの夢の新築のトレーラハウスでさえ40万円だが、それすらなかなか手に届かない。大型の液晶テレビも実はレンタル。クリスマスプレゼントを買うお金も乏しい。世界で最も裕福な米国だが、*)貧困率は14.3%となり、7人にひとりが貧困状態にあるという。彼女たちの暮らしぶりが特別ではないはずだが、米国ではこれまでなかなか貧困層をベースとした映画はあまりなかった。映画資金を提供する側の算盤には、不適切ということだろうか。そんな米国の貧困層の断面を描いている点と、それぞれこどものために命がけの綱渡りのような犯罪に手をそめていくハラハラドキドキ感は、シングルマザーの母親の貧しい日々がサスペンスだったという監督の言うとおりである。また運ぶ荷物である人間の彼らの人生もここでは語られていないが、その存在で様々な波紋を残している。
母親であること、育てなければいけないこどもの存在、それらを連帯に最後は相手を思いやり助け合う姿には、白人と先住民、凍った河のような国境はない。

*)09年の貧困基準は、4人家族の年収が2万1954ドルを下回る世帯とされている。

「無垢の博物館」オルハン・パムク著

2011-04-25 23:56:02 | Book
1975年4月27日、30歳のケマルは婚約者のためにジェニー・コロンの高級バックを買おうととあるブティックに入った。彼は一族で経営する輸入会社の社長を務める青年実業家、結婚が近い婚約者のスィベルは賢く可愛く、誰もがうらやむお似合いの理想的なカップルだった。彼の人生はまさしく何のかげりもなく前途洋洋。ところが、その店ですっかり存在すら忘れかけていた遠縁の娘、18歳のフュスンと運命的な再会をしてしまった。美しく、しかも官能的なフュスンの魅力にすっかりとりつかれてしまったケマルが、望みどおりに人生最高の美しい黄金の輝きのような時間を過ごしたのは、1975年5月26日、月曜日のことだった。。。

2006年にノーベル文学賞を受賞した後のオルハン・パムクの小説は、イスタンブルの富裕層の若き実業家、彼と同じように裕福な友人たちと遊びまわる少々軽薄な男のケマルが、婚約者がいながら18歳の若い女性に激しく恋をし、5723に及ぶ美術館や博物館を訪問して、彼女にまつわる42742点もの蒐集したコレクションを展示する無垢の博物館をつくることを夢見た男の恋愛物語である。ある意味、人生をが破滅していくような危険な恋の顛末と言ってもよいだろうか。2002年の「雪」以来の久々の約束どおりの恋愛小説は、トルコや欧米で発売前から大きな注目を集め、発売後は賞賛されたそうだ。

本作でも登場人物の心の動きの描写がさえていて、トルコの現代史、当時のイスタンブルで起こった事件や風俗を背景に巧みに織り込み、トルコの人だったら、時代の空気感だけでもわくわくするのではないだろうか。また、当初、自己中心的で軽薄とも思えたケマル氏がフュスンの持ち物を密かに盗んだり、逢引でつかったアパートの部屋で彼女の思い出を抱きしめながら官能に浸るさまに、作者の意図する方向が読めなくなったりもしたが、最後には崇高すら感じさせる愛に終結するところは、オルハン・パムクの類まれな文才とそれ故の人気の高さがうかがえる。

さて、「雪」のカルスというアナトリアの国境の町から、舞台は再び、パムクの生まれ育ったイスタンブルに移したことは重要だと考える。東洋と西洋の文明が融合するイスタンブルで、ケマルとスィベルは婚約したことをきっかけに肉体関係に進み、尚且つ、結婚を控えて風光明媚な別荘で一緒に暮らすようになる。今から、35年前のトルコでだ。彼らの愛情物語のライフスタイルは、近代的な西欧化の象徴として友人たちにうらやましがられ、社交界の人々にも賞賛される。しかし、ケマルがフュスンへの執着から婚約を破棄したら、彼は店番女に頭がいかれて、スィベルは結婚もしないで同棲していた単なる破廉恥な女に成り下がる。同棲がかっこよく素敵に見えるのも、破廉恥な行いに墜ちるのも、1975年のイスタンブルでは鏡像のようなものだ。スィベルは、愛とは同じようなクラスの者だけで成立するような感情と主張する。決して、店番女とケマルのような裕福な男は結ばれないと怒る。パムクの描く様々な異国の風習やノスタルジックな風景の中でさまようケマルの魂の彷徨は、現代日本女性の私だけでなく欧米人の視点からは実にエキゾチックで新鮮に映るはずだ。

そして本作から連想したのが、パムク自身がとても好きだという谷崎潤一郎の小説だった。耽美的でマゾヒズム性がのぞかれる谷崎の作品とは作風が異なるが、「細雪」「春琴抄」などが日本を舞台に日本人だから描けたように、「無垢の博物館」もトルコという国で、彼がイスタンブルに生まれ育ったからこそ描かれた世界であって、彼の作品に我々読者は普遍的な感動や恋を求めるものではなく、だから気になる作家として彼は存在している。

「この国で綺麗な女でいるというのは難しいものよ。綺麗な娘でいるよりもずっとね・・・。」
フュスンの母はこうつぶやいた。女性として、なんと悲しいあきらめだろう。けれども、それがおよそ30年前のトルコという国の現実だったのだろう。ケマルの心理やスィベルのいらだちは細やかに描かれているのだが、肝心なフュスンの内面は以前、謎のままに終わる。彼女は、ひとりの青年の人生を狂わした官能の存在としてだけ、鮮やかに読者の心の中に疾走して消えていく。ケマルは生涯、亡くなる日までフュスンへの愛に殉じた。それは、とても幸福な人生だった。たとえ、誰が何を言おうとも。

■アーカイヴ
「雪」
「わたしの名は紅」
「新しい人生」
ノーベル賞作家パムクの政治小説
ETV「東と西のはざまで書くノーベル賞作家」

『ディアハンター』

2011-04-19 22:24:01 | Movie
1968年のペンシルベニア州クレアトン。町の製鉄所の煙突から吐き出された煙がただようくすんだ空の下、マイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サヴェージ)、スタン(J・カザール)、アクセル(チャック・アスペグラン)の5人の若者が、ふざけあいながら勤務をおえた工場からふざけあいなからなじみのバーに向かっていく。今夜は、スティーヴンの結婚式が開かれるだけでなく、ベトナムに徴兵されるマイケル、ニック、そして花婿のスティーヴンの歓送会もかねていた。教会では白い花を飾り、ウエディングケーキが用意され、ピンクのドレスを着たブライズメイドたちが華やかなはじけるような笑い声を挙げて式場にかけつけていく。(以下、内容にふれています。)

そして、結婚式から若者たちが鹿狩に行く場面が、延々と1時間も続くのである。この1時間、物語らしい展開は何ひとつないので退屈だという意見もある。
けれどももう何回か観ている『ディアハンター』を久しぶりに再鑑賞したのだが、私にとってはこの熱気溢れる結婚式のシーンは毎回魅せられ、忘れられない殿堂入りの名場面である。しかし、今回、改めて考えたのが、結婚式場が玉ねぎ型のロシア正教会、人々が『カチューシャ』を歌いながらダンスをしている場面、そしてスティーヴンの母親が、息子の花嫁がよその人間であることと、すでに妊娠していてお腹がめだつことを牧師に訴えて嘆く場面から、彼らがロシア系移民であることの意味だった。彼らの暮らしぶりは、現代の日本のワーキングプアの若者とさほど変わらないくらい貧しい。彼らにとって、最高の女性リンダ(若くてきれいだったメリル・ストリープ!)も、アルコール中毒の父親を抱えてスーパーに勤める店員。ロシア系移民は、18世紀末から19世紀にかけて故国を追われるように米国に渡ってきながら、農地をもつこともできず、炭鉱や映画の舞台になったペンシルベニアの製鉄所などの肉体労働に従事していった。戦場で負傷して放心状態のニックが「It's Russian.」と言われて、「No, It's American.」と即座に答えている場面は、実は最後の場面につながっていく。

悲劇的なニックの死を迎えて、葬儀の後、彼らはなじみのバーに集う。誰もが涙を堪え、お互いをいたわりあい、ニックのために乾杯をする。そして彼らが歌うのが、"God bless America”だった。実は、これまで、私はこの作品をベトナム戦争を題材にした戦争映画というくくりで観ていたのだが、少し違うように感じ始めている。ロシアから新大陸アメリカに渡って来た彼らだったのだが、ここでも貧しく生活は苦しかった。しかし、彼らが住む町は同じロシア系移民たちで独自の文化を継承し、地域のコミュニティがお互いに助け合い支えあうぬくもりのある暮らし。スティーブンの結婚式で必要な手作りのウェディングケーキを運ぶ、分厚い眼鏡をかけた老女たちの笑顔から、そんなこの町のあり方と住民たちのかかわり方が想像される。そんな彼らにとって、もう帰る故郷は、帰る家は、結局このアメリカという国以外にはないのだ。戦場に向かうニックが、森の木が好きだ、家に帰ってきたいという想いに友が歌う”God bless America, ・・・My home sweet home”が重なっていく。戦争というよりも、ベトナム戦争で傷つき、若く希望の光を失っていくアメリカという国を描いている映画なのだ。

映画が公開されてから、30年以上の歳月がたち、ロバート・D・パットナム著「孤独なボーリング」によるとアメリカでもコミュニティが衰退しているようだ。彼らのなじみのバーでは、今でもお互いに顔見知りの客同士が談笑し、ビリヤードに興じているのだろうか。映画のような町ぐるみのお祭りのような披露宴が続いているのだろうか。不図、そんなことも考えた。

次に、米国映画で音楽の入れ方がうまいと思う作品は殆どないのだが、ここでつかわれた3曲はそれぞれにこれ以上ない選択だった。まず、 “Can't Take My Eyes of You”という当時の流行歌を入れることで、アメリカ人の心に時代性と雰囲気がナイーヴにしかもわかりやすくフィットしているのではないだろうか。また、テーマー曲のジョン・ウィリアムズが演奏するスタンリー・マイヤーズ作曲”Cavatina”のギターの音色が主人公たちに寄り添うようで素晴らしい。(ギターの音がこんなに素敵だなんて、知らなかった・・・。)そして最後の”God bless America”が胸にせまるようだ。
これまではニックを演じたクルストファー・ウォーケンの繊細で美しい顔とスタイルに心を奪われっぱなしだったが、この作品に関しては演技力はロバート・デ・ニーロ以上に素晴らしいと感動した。他にも名もないすべての出演者たちの自然体のたたずまいは、私にきっといつかまたこの映画の扉を開けさせるだろう。

原題:The Deer Hunter
監督:マイケル・チミノ
1978年米国製作

読売日本交響楽団 第503回定期演奏会

2011-04-18 23:03:07 | Classic
今宵のマスター(マエストロ)、シルヴァン・カンブルラン氏は、フランスはアミアン産。シルバーグレーの長髪を後ろで一本にしばった容姿はなかなかお茶目さんのようだが、2010年4月から読売日本交響楽団の常任指揮者に就任された。、冒頭、場内アナウンスで被災者の追悼のためにメシアンの「管弦楽のための交響的瞑想〜忘れられた捧げもの」の「聖体」を(ヴァイオリンとヴィオラ)の演奏を告げられ、続いて”演奏終了後の拍手はお控えください”との断りがあった。静かで心の内側の傷を癒すような内省的な音楽だが、メシアンを選ぶあたりカンブルランらしいと感じた。

そして、ほぼ満席の客席を前に、今日のプログラムの演奏に入る。何でもカンブルランの今年のテーマーは「ロミオとジュリエット」だそうだが、まずはプロコフィエフ版で精力的な指揮棒から醸成される音楽は、ちょっと軽めだが色彩豊かで生き生きとしたドラマティックさとエンターティメント性を感じられる。読響も、N響のような優等生的な演奏の枠をこえておおいに楽器を鳴らしている。

続いてラヴェルのピアノ協奏曲2曲。これは、ソリストのロジェ・ムラロの演奏に圧倒されっぱなし。本当に左手だけで弾いているのかっ、というくらい、くっきりとした音符が会場を飛び交い、まるで華やかな打ち上げ花火を見ているようでラヴェル音楽も極まれりである。日本人に彼の人気があるのもわかる。会場の拍手にこたえてアンコールで弾いた曲もアンブルランにあわせたかのようなメシアンだったのは、特別な音楽会の思い出ともなった。カンブルラン×ムラノ×ラヴェルの最高の組み合わせに、読響の新しい一面と今後の可能性をみたような印象である。プログラムも独特であるが、これはムラノにお得意のラヴェルを2曲弾かせたいためだろうか。

さて、最後のボレロは、私にとっては作曲者のラヴェルの頭の良さを実感するこだわりの曲で何度も何度も聴いてきた曲だったが、今夜は不思議な感慨を胸に抱いた。たったふたつの旋律が繰り返され、楽器が加わり音量もどんどん増幅されて、最後の頂点で一気に破綻する。素晴らしい傑作だと思う。しかし、今は、とても悲しいことにボレロから津波をなんとなく連想してしまったことが記憶に残りそうで残念だ。おりしも、カンブルラン自身の次のコメントを見つけ、様々にボレロという音楽を考えさせられた。

―とびきりの名曲だが「執拗な反復の後に激変する音楽は暗示的。毎日の小さな積み重ねが悲劇に至るようにも思え、人生を考えさせる」

東北地方大震災の後、一週間ほどは関東圏も余震が頻発し、公的な交通手段も計画停電のおかげで一定時間運休となったり毎日、明日、会社に出社できるのかわからない、今日、無事に帰宅できるのか心配という日々が続き、いつまた帰宅困難者になってしまうかもしれないと、正直言ってコンサートどころではなかった。コンサートも次々と延期もしくは中止。けれども、気候とともに電車の運行も安定すると、本当にこれでよいのだろうか、と考えるのも本音だった。ある日、コンビニのBGMで流れるヴァイオリンとチェロの音楽に思わず足を止めて、自分が本当に心から音楽を渇望していることに気がついた。

こんな時に音楽なんて、被災者の方たちのことを考えるとそのような意見も当然だと思う。しかし、音楽は何のためにあるのかと考えたら、こんな時だからこそ音楽をという発想もあってもよいではないだろうか。プログラムに指揮者の下野竜也氏の「感謝とお願い」が掲載されている。それによると、諸条件がそろい、会場の協力もあり、音楽家としてのメッセージを発し、オーケストラとしての音を出すことに楽団員、職員が一丸となって取組み、3月19、20日の演奏会を開いたそうだ。(ことさら強調するものではないとの断り書きがあり)音楽を求めてくださるお客様に音楽を届ける使命があり、そのことを終の仕事と決めているとも。そして、音楽にできること、できないことを議論で尽くし、開催を決定したそうだが、これには正解はないと。

それでは、観客である私たちにとっては、音楽を絶やすことなく、必要としている人に届くように、やはりチケット代を払って演奏会に足を運ぶことも大事ではないかとも思う。おりしも1900年に創立した米国の名門オーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団が破綻し、連邦破産法11条に基づく更生手続きの適用を申請したというニュースが届いた。チケットの売り上げが落ち込み、献金・寄付金が減少し、契約が落ち込むなどの状況の中で、運営費がかさんでいたためだそうだ。あのフィラデルフィア管弦楽団すら、と驚いたのだったが、日本のオケはもっと困窮しているのではないだろうか。私はもう自粛なんかしないっ、日本経済のために群馬県に旅行にも行き、ワンピース、カーデガン、パンツ2本お買物し、コンサートにも行き、お金を使うことにした。顰蹙を買ってしまいそうで、コンサートに行ったことは職場の人にはまだ内緒だが。。。

---------------------2011年4月18日(月) 19:00開演 サントリーホール  ---------------------------------

指揮:シルヴァン・カンブルラン(読売日響常任指揮者)
ピアノ:ロジェ・ムラロ
プロコフィエフ/バレエ音楽〈ロミオとジュリエット〉作品64 から抜粋
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
ラヴェル/左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
ラヴェル/ボレロ

■アンコール
メシアン:プレリュード



「Aをください」練木繁夫著

2011-04-13 22:43:49 | Book
某年某月某日、、、あるヴァイオリニストのリサイタルを聴いていた時のことだった。
隣席の友人の表情が、だんだん険くなり機嫌が悪くなっている気配を察知した。休憩時間に入るや否や、彼女は周囲の人の耳などおかまいなしに「ピアノ”伴奏”の音がうるさくて邪魔っ!」と恐れ多くものたまった。神をも恐れないこの発言(暴言か?)にひえ~~~っ。

ところが、室内楽奏者としてもご活躍されているピアニストの練木繁夫さんは、チェリストのヤーノシュ・シュタルケル氏との共演をはじめた駆け出しの1976年の頃、一番辛かったのが終演後に楽屋を訪れた人に「ピアノがうるさかった」と言われることだったそうだ。(練木様、心情をお察し致します。)しかし、ソリストの邪魔にならない程度に静かにピアノを弾くのが伴奏者のおつとめ、という時代もあったようだが、近年は、室内楽でも伴奏者というよりもピアノの蓋も開けて”共演者”になれるピアニストが求められる時代である。偉大で完成度の高いシュタルケル氏の伴奏をつとめて3年たった頃から、若造だった練木さんは舞台の上で交わす音楽的会話が面白くなり、ピアノで少しずつ自分の意見を言うようになり、15年たってようやくシュタルケル氏のパートナーとして相応しい仕事をしている自覚をもてるようになったそうだ。今では円熟の域に達し、ピアニストとしてだけでなく後進の指導にあたられている練木繁夫さんの本書は、華やかなソリストのかげにかくれがちなちょい地味めの室内楽の重要性や楽しさ、演奏側の喜びや醍醐味を平易な文章でわかりやすく書かれている考えてみればけっこう貴重な本である。

練木さんは、前述したように演奏活動のかたわら母校のインディアナ大学教授の肩書きももち、桐朋学園大学などでも定期的に教えてらっしゃるそうだが、おそらく指導者としても有能な方なのではないかと本書から想像される。それというのも、理論整然とした文章でクールな印象も受けるのだが、実際的で平易な言葉を使用されていてプロの作家並みにレトリックが巧みであり、抽象的なことを誰もがわかりやすい単語や形容詞におきかえ、技術的なことも簡潔に要点だけ述べているからである。読んでいて、これまで漠然としていて謎だったペダリングのことや、美術と音楽の関係、バッハからラヴェルまでの作曲家の系譜など、多岐にわたるがどれも目が覚めるようにわかりやすくておもしろい。そのほんの例を挙げると
「音楽は音で表現する芸術であることには違いないが、表現芸術に大切な”間”というものは、音だけで表現するものではない」
「バロック時代の演奏スタイルは、イタリア系の自由奔放でヴィルトゥーゾ的なもの、ドイツ系の荘厳で教会的なもの、フランス系の優雅で気品の高いもの、という3種類に分かれる」
と、至言が次々と並び、そしてなかにはこんな苦言も。
「最近は、視覚的効果に走りすぎた”観衆”向けの音楽が氾濫し、”聴衆”向けの音楽が少なくなってきている」とも。
この本一冊分で一年間、カルチャースクールで練習嫌いな(練木さんは練習嫌いで有名らしい?が、努力家である)ピアニストの本音を交えた音楽講義を受講するのに値するくらいの内容の充実ぶりで、しかもCDまでついている。

ところで、室内楽大好きな練木さんは、3人以上で舞台にあがる時はピアニストなのに、二重奏になると職業が伴奏者とよばれることにどこか差別的なニュアンスを感じているそうだ。実際、1970年代の演奏旅行では独奏者は飛行機のファーストクラスで、共演者であるピアニストはエコノミーで旅をしているのを何度もみたが、それが”差別”でなく当然だった時代だったと回想する。その背景として、昔、Accompanistsには二種類あって、ひとつは舞台の上で重奏者として栄誉ある共演ができるピアニスト、もうひとつは舞台を踏むことのない練習用のピアニストがいて、この後者の仕事のイメージが誤解を生む原因になってしまった。(後者の音楽家としての人権のない時代のAccompanistsについては、フランス映画『L'accompagnatrice』を観ると雰囲気がよくわかる。)英国のピアニスト、ジェラルド・ムーアはピアニストが差別される時代は去ったと高らかに宣言しているが、はたしてそうなのだろうか?依然として問題が残っていると感じているところに、著者の本書の執筆のモチベーションがかなりある、、、と私はみた。

それは兎も角、コンチェルトの出番を舞台裏で待つピアニストにとってオーボエのAほど物悲しく孤独な音はなく、室内楽のAには期待に心を踊るものらしい。なるほど、ピアニストにとってさまざまに悲喜こもごもな「Aをください」(音楽好きの方はご存知でしょうが、Aは”エー”ではなく”アー”。)である。

■こんなアーカイヴも
「ピアニストが見たピアニスト」
「六本指のゴルトベルク」
「ピアニストは指先で考える」
「ボクたちクラシックつながり」
クラシック音楽家の台所事情
我が偏愛のピアニスト

「伝説となった国・東ドイツ」平野洋著

2011-04-05 23:01:06 | Book
映画『グッバイ、レーニン!』は、私の中ではなかなかポイントの高い作品だ。
物語は、1898年の崩壊直前の東ベルリンが舞台、建国40周年を祝う式典の夜、学生のアレックスは改革を推進するデモに参加する。ところが、生粋のコミュニストにて生粋の愛国主義者のママが、その姿を目撃して心臓発作を起こして昏睡状態に陥ってしまった。奇跡的にママが意識を取り戻したのは8ヶ月後のことだったが、大変!その間にベルリンの壁は崩壊して、東西は統一して社会主義体制の東ドイツは消滅しつつある。東ドイツがずっと続いていくと信じているママのために、必死に消えつつある東ドイツの製品を買い求めたり、偽のニュースを製作したりと奔走するアレックス。東西ドイツ統一の時代の波に翻弄される人々の姿をユーモラスにちょっぴり感傷的に描いた2003年製作のドイツ映画は、本国では大ヒットしたそうだ。そう、確かに今となっては「伝説となった国・東ドイツ」が主役だったから、盛り上がったのだろう。

本書は、88年から93年まで、東ドイツ時代のライプチヒと統一後の旧東ベルリンで留学生活を送った著書による、主に東ドイツ人の”その後”の暮らしぶりや変遷を追ったルポタージュである。生まれた時から民主主義が当たり前の国に育った者から見れば、旧東ドイツは国全体が監視社会の監獄にいるようなもの、とぞっとしていた。表紙の写真こそ、美しい歴史的建築物が残る中でも無愛想で無味乾燥な装いをした悪名高き元国家保安省(シュタージ)である。(シュタージについては、別の映画『善き人のためのソナタ』がお薦め)計画経済の旗印のもとに個人の選択や自由は制限され、画一的で西に比べたら物資も乏しく貧しい東ドイツ。ベルリンの壁が崩壊した時、ドイツ人とともに喜んだ遠い国の人々も、東西の都合によって分割されていた国の統一を祝福するだけでなく、東ドイツの体制が崩壊することをも同時に喜んでいたと考えられる。彼らにとって、政治、経済、社会の大転換は大変だろうが、これでよかった・・・と、本当に。しかし、コトはそんなに単純ではなかった。


「東はそこまでひどくなかった」
ハンガリーの大学に留学して頃、当時、禁止されていた西ドイツの友人とこっそり旅行したらシュタージに密告されて危うく退学になりかけた経験のある男性が、東独政権の度量の狭さを嘆く一方、東にとどまったのは、そんな東ドイツにもよいところがあったからだそうだ。『グッバイ、レーニン!』でアレックス君が、ママのために偽装東ドイツに奔走しながら、反対デモをしていたにも関わらず、不図、ある種のノスタルジーを東ドイツに感じる場面がある。彼はまだ若い学生だから懐かしい感傷で美しくおわるが、おとなたちは愛憎なかばする複雑さを抱えている。東ドイツ時代の女性は、基本的に男女差別がないので専業主婦は少なく、女性も働き責任のある高い地位につくのも当たり前、経済的に自立できるので離婚も怖くない。もっとも、楽しみと言えば恋愛とSEXしかなかったという説もあるが。失業もなく社会保障も整っていた。余談だが、FKK(裸体主義)も裸になれば身分の差がなしということで、コミュニストの幹部からも気に入られる。アレックスのママが特別な愛国主義者ではなく、東ドイツ人の本音の一面を代表していることを本書で気がついた。

東ドイツ人の複雑さも、西ドイツ人による偏見、意識が高く能力の高い女性の失業、託児所の閉鎖などの不安や不満を知れば理解できなくもなく、一方、東への援助に不満をもつ西ドイツ人もいる。同じドイツ人でも完全に融和するのは困難がともなう。しかし、統一後20年の歳月がたち、現在のアンゲラ・メルケル首相はコールのお嬢さんと言われた東ドイツ出身の科学者である。多くの軋みもゆがみも乗り越えて、本当の統合にはそれなりの時間が必要である、もしくは必要だったということだろう。いみじくも、著者が言うように、結局、ドイツ人とは何かという根源的な問題につきる。本書の東ドイツ人の本音炸裂トークは、日本人でも同調する部分もあるのだが、やはりここは次の一文に集約したい。

誰よりの民衆を愛した君は 誰よりも民衆を軽蔑した君だ。(芥川龍之介)
だから『グッバイ、レーニン!』

「パンとペン」社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い 黒岩比佐子著

2011-04-03 13:46:58 | Book
今年は大逆事件から、100年がたつ。幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、菅野スガら24名の社会主義者が、明治天道暗殺計画を企てたと事件を捏造されて、冬の寒い日に死刑を処刑されたのは、歴史の教科書にも掲載されていて、日本人なら誰でも知っているだろう。それでは、同時代に彼らや大杉栄らと交流し、社会主義者として生きぬいた堺利彦という名前を知っているかと問われたら、私は知らなかった。ましてや、大逆事件後の弾圧の社会主義冬の時代に、彼が、「売文社」を興して文章の代筆から翻訳、コピーライターの仕事までこなして文を売り、ユーモアと筆の力で生き抜いたことも知らない。彼らは非業な死のかわりに歴史に革命家としてその名前を刻んだが、堺利彦はたまたま事件の最中に投獄されていて獄中にいたために命拾いをして、64歳で畳の上で脳溢血で亡くなったためだろうか、まさに「売文社」は命がけの道楽だったにも関わらず、彼の名前と功績は、歴史のかげにすっかり埋没して忘れ去られてしまった。これまでも、古本屋を探索して闇に埋もれた史実を発掘してきた歴史の考古学者のような著者の黒岩比佐子さんは、この事実に「義憤にかられた」と言う。そんな黒岩さん自身の”文章を売ってきた”人生の集大成のような、渾身の一冊が本書である。

「ペンとパンの交叉は即ち私共が生活の象徴であります。
私共は未だかって世間の文人に依って企てられなかった商売の内容をここに御披露するの光栄を誓ひます。」
パンにペンがつきささり、かたわらにワイングラスがおかれたイラストは、この宣言文のようにユーモラスである。そこに、親友を処刑された哀しみや絶望、明日は我が身かもしれない恐怖、残された社会主義者である同志たちの糊口しのぐための商売を必死で考える堺の苦境を想像すると、このたくましさと朗らかさはいったいどこから生まれてくるのだろう。

堺利彦は、明治3年11月25日に福岡県豊前国京都郡豊津に貧乏士族の子として生まれた。秀才としての誉れも高く、郷里の期待を担って勉学のために上京するものの、大酒を呑んでは遊郭に通つという乱暴狼藉なる放蕩学生としての実績を積み、学校からは除名、養家からは離縁して”一文無し”になるという武勇伝を残す。当時の典型的なパターンでもある女に愛された破滅的な文士として短い生涯を終えた兄の影響もあるだろうが、こんな破格な思春期に、私には社会主義者としては理論派よりも現実的な行動派の堺の気質が伺えるように思われる。本書を通じて堺という人物の人となりを察すると、人間としての懐の広さが魅力であるが、それもこんなとんでもないやんちゃ時代を通り抜けてきたからかもしれない。さて、そんな彼は26歳の時に父の死をきっかけに放蕩生活には別れを告げ、また社会主義を知ったことにより、弱気をたすける正義感と貧しい人々の共感をもって理想の社会を実現したいと考えるようになる。そして1899年、幸徳秋水を知り交流を深めていく。

本書のテーマーでもある売文社は、1910年、堺が獄中で幸徳秋水らの検挙を知り、売文社の構想をねったところからはじまる。彼は、文章力があるうえにもともと語学のセンスもあり、牢獄を読書に励む書斎、英語だけでなくフランス語やスペイン語などの語学学習の場にかえ多言語をものにして、自ら”楽天囚人”と名乗るようになる。しかし、出所後の売文社の”情報センター”としての最初の仕事が、大逆事件で処刑された友人達の遺体引取りと葬儀だったとは。当時、警察の捜査は執拗で大規模だったために、大逆事件の”犯人”と顔見知りというだけ、無事ではいられないという恐怖に人々はとらわれ、中には変名を使って行方不明になる者もいたほどだった。そんな世相の中、堺は一ヶ月あまりの遺族慰問の旅をして、残された遺族に面会して義捐金を渡していったのだった。
「行春の若葉の底に生残る」
秋水の墓に詣でて詠んだこの句には、彼の万感の思いがこもっているようである。

売文社の営業種目は35種目。商標考案、性欲記事英訳、遊覧案内編集、出金を求むる書簡分、某学校卒業式生徒総代答辞などもあり、現在の編集プロダクション、広告代理店、翻訳会社の機能を果たしている。学生時代、某大学の苦学生が女子大の女の子の卒論代筆を請け負ったなどという噂も聞いたことがあるが、売文社では卒論代筆もこなしていた。その仕事の幅広さや能力の高さは、一度も行ったことがないヨーロッパ、アジアの国々の旅行ガイドにも見られるから笑える。売文社時代の堺は、狸親父と慕われ、尾崎士郎や荒畑寒村をはじめ多くの作家や社会主義者に尊敬され、慕われたそうだ。
しかし、尾崎は、文章を売ることで冬の時代を耐え、時期が来るのを待ち続けた堺を忠臣蔵の大石内蔵助ににたとえたが、「大正版忠臣蔵」は辛抱ができなかった若い四十七士に謀反され、信頼していた部下に「十年臥薪嘗胆の夢」を破られる結末となった。

1933年1月23日、堺利彦は亡くなった。最後の言葉は「帝国主義戦争絶対反対」だった。日露戦争当時の非戦論から世界大戦の危機をはらむ時代まで、常に捨石埋草として働きたいと願っていた堺は存分に生きたと思う。しかし、もしもう少し彼が長生きしていたら、その後の日本の暗黒時代をどのように見ただろうか、と本を閉じると同時に考えざるをえなかった。

終始、堺利彦によりそうように、多くの資料を集めて彼の業績をほり起こした文章には、今では故人となった著者、黒岩比佐子さんの誠実で丁寧な仕事ぶり、そして”義憤にかられた”という本書執筆の動機を語った静かな情熱が感じられる。
*表紙は、出獄後、売文社の看板を初めて掲げた自宅の前で、妻と娘と。(1910年冬)

■こんな本も
「明治のお嬢さま」

『英国王のスピーチ』

2011-04-02 16:02:25 | Movie
俳優の中には、どんな役柄にもなりきり器用にこなせるカメレオンのようなタイプの役者もいる。そんな才能ある役者の抜群の演技力に感嘆させられることも多い。
しかし、中には向き不向きがはっきりしていて役柄が限定されてしまう俳優もいる。それは演技力うんぬんという以前に、外見を含めてその人のもっている長所に左右される話ではなかろうか。映画『英国王のスピーチ』で、主人公であるジョージ六世を見事に演じきったコリン・ファースを見ていてそう感じた。彼がこれまで演じた『真珠の耳飾の少女』のフェルメール役は全くミスマッチ、だいたいあの黒い長髪が全然似合っていなくて、鑑賞の間ずっと違和感を感じていたし、『ブリジット・ジョーンズの日記』のようなコメディものも、いまひとつでさえない。はっきり言って、私の中ではコリン・ファースは存在も演技力もそこそこレベルで便利で手軽なB級役者扱いだった。(誤解を招くといけないが、B級役者の存在も大事である。)要するに、主役をはれるタイプのキラキラ王子でも重みのある俳優ではないと軽んじていた。

ところが、ところが、あなどってはいけない。映画『シングルマン』では、監督がデザイナーのトム・フォードがゲイをテーマに撮った映画という話題性が先行していたが、愛するパートナーを失った哀しみと孤独を端整に演じた大学の文学部教授役、コリン・ファースの存在が素晴らしかった。ここで、あえて”演技”ではなく、”存在”という単語を使用したのは、彼が、茶色のスーツに細めのネクタイをしめ、髪はポマードでオールバックに固めて黒縁の眼鏡をかけた容姿が、複雑で軟派な文系教授役に絵にかいたようにふさわしかったからだ。彼がこんなに良い俳優だったとは。この人以上に、この役を演じられる俳優はいない。国内ではたいした宣伝もなく、うっかり見過ごしてしまいそうだったこの作品で、コリン・ファースは確実に俳優としての階段をのぼったと言える。そして、幸運の女神は彼に次の作品『英国王のスピーチ』での吃音に悩む内気な英国王ジョージ6世を演じることを与えた。これこそ、一世一代のはまり役!

今年度、華やかさには欠ける地味だが気品のある古典的な作品とともに、コリン・ファースは満を持したかのように数々の名誉ある賞を受賞した。
「この仕事は一生懸命やったことが必ずしも認められるとは限らない。だからみんながポジティブなことを語ってくれるのは、とても光栄だ」と真摯に語ったそうだが、全方向OKのカメレオンのようなタイプの俳優ではなかったからこその感想だろうと私には受け止められた。本来は王位を継承できない次男に生まれ、社交界の花形で自由奔放、行動力もある長男におされながら、こどもの頃に受けた心の傷から内向的、プライドが高いからコンプレックスも強い複雑な皇太子役も、彼以外にふさわしい俳優もなかろう。吃音を克服して、誠実で真面目な人柄が、第二次世界大戦中のイギリス国民を勇気づけて「善良な王」とまでしたわれるようになったジョージー6世の姿に、コリン・ファースの役者人生が重なるようにもみえた。スピーチ矯正の専門家、ライオネルを演じたジェフリー・ラッシュは、その強烈な個性が逆に変幻自在にどんな役柄も演じられる才能をもった名優。夫を支える妻のエリザベス役のヘレナ・ボナム=カーターとともに熟練のアンサンブルを楽しめたのも醍醐味だ。

ところで、英国史上最も内気な皇太子の悩める吃音の原因として、幼い頃に利き腕を無理に矯正されたことや乳母による虐待、兄によるからかいなどが考えられるようだ。しかし、吃音の問題は単純ではなく、専門医も少なく周囲の正しい理解をえられることも難しい。脚本を書いたデビッド・サイドラー自身も幼い頃に戦争からのストレスで吃音に悩み、同じく吃音を克服したジョージ6世のラジオ放送で国民を励ますスピーチは希望だったそうだ。初めて、映画化の申し出をしたところ、エリザベス女王は当時のことを思い出すのはあまりにもつらいので自分の存命中は映画にしないで欲しいと語った。女王は101歳まで長生きをし、それから30年の歳月がたって、ライオネル・ローグの記録から映画化までにこぎつけた脚本家の情熱が結晶したのが、本作でもある。
(*当時のスピーチのレコードを所有されていた92歳の男性のエピソードも⇒有閑マダムさまの「英国王スピーチの録音レコード」

最近、よく耳にするのが「コミュニケーション能力」という言葉。くしくも、映画の中でバーティ(ジョージ6世のニックネーム)がヒットラーの演説する映像を観ながら、この人は演説がうまそうだと感想を述べる場面がある。家族や職場の相手以上に、その立場から国民に向かってスピーチをしなければならないというのも大変な役割だと思うのだが、国民を戦争へと駆り立てユダヤ人を排斥したのもヒットラーの巧みな演説の影響だとしたら、国難にゆれる国民に勇気を与えてひとつにまとめたのもジョージ6世の渾身のスピーチにある。心温まる映画を観ながら、立場が与える演説、アジテーション、そしてスピーチの力、怖さと魔法をも私は考えさせられた。

監督:トム・フーバー
2010年英国製作

■コリン・ファースのアーカイヴ
映画『シングルマン』