千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『サマリア』

2006-09-29 00:09:29 | Movie
ずっと気になるふたりの少女がいた。荒廃した建物の残骸にこしかけて微笑む少女となにか語りかけるようなもう一人の少女。
彼女たちの名前は、ドイツ人が好む監督、キム・ギドクがうんだチェヨンとヨジン。韓国の女子高校生である。そして彼女たちのもうひとつの名前は”サマリア”。

チョヨンとヨジンは、ヨーロッパへの旅行するためにせっせと貯金をしている。方法は、マックのコンビニでバイトするのではなく、ヨジンが電話でアポイントをとって顧客をつかまえて、チョヨンが彼らと売春することだった。いつも微笑みをたやさないチョヨンには、肉体を未知の男たちに売ることに対しての罪悪感は全くない。ある日、いつものように外で見張りをしていたヨジンは、警察の捜査が入ることに気がついてチョヨンの携帯電話に連絡をするのだが、チョヨンは警官の手から逃れるために窓から飛びおりて重体に陥る。
やがて迎えたチョヨンの死。その日から、ヨジンはノートに書き綴った交渉相手の男性と肉体関係をもちながら、受け取っていたお金を返していく。男と寝て、行為を終えたらお金をベッドの中で返すヨジン。ノートのリストからは、その度に一人ずつ消されていく。これは、儀式である。残りあとわずか、というところで売春の取締りをしていた警察官の父が、男とラブホテルのベッドにいる娘を偶然目撃してしまう。衝撃とともに、怒りは相手の男へと激しい憎悪にふくらんでいく父だったのだが。。。
(以下、映画の内容にふれています。)

公式HPであかされている3つの場面における3つの視点については、あえて書く必要はないだろう。好みは分かれるだろうが、常々、鬼才と評されるキム・ギドクの才能が感じられる作品だ。少女たちの自らの体を売ってまで稼ぐ目的が、ヨーロッパ旅行。しかしパリでもローマでも、イギリスでもエーゲ海でもない漠然としたヨーロッパ。母亡き後、マンションに父とふたりで住むヨジンは、経済的にもなんら不自由のない暮らしぶりだから、旅行の費用ぐらいはすぐに捻出できるはず。売春の目的の希薄感と、対するチョヨンのあまりにも淡い存在感。彼女は危篤状態になっても、連絡先すら不明で家族のいないままヨジンに見守られて病院で息をひきとる。ここにリアルな生身の現実(ヨジン)と、微笑みの絶やさない穏やかでまるで蜻蛉のような空想的な存在(チョヨン)と、少女の表裏一体化した鏡像が描かれている。
誰もいない銭湯で、コトを終えたチョヨンの体を洗うヨジン。これも彼女たちにとっては、儀式なのだった。それはまるで、彼女の体から不潔で穢わらしい男との接触点をきれいに洗して清めるかのような処女の潔癖さを彷彿させる。チョヨンの死をもって、果たして彼女は存在したのか。ヨジンのうんだもうひとりの自分自身の幻影だったのではないか。だから笑いながら、ホテルの窓から飛び降りるという”犠牲”を行ったのではないか。監督のふくませた不可思議な余韻に包まれる。

後半は、ギドク監督お得意の父から娘へ注ぐ執念の愛情だ。
確かに、高校生の娘の性体験、金銭の伴う不特定多数の男との行為を知った父親の驚愕ぶりは想像できる。しかし、毎朝娘の食事の仕度を整える姿に、単なる父親としての愛情以上の狂気を示すことによって、平板な復讐と少女の自立を超える芸術性を作品にもたらしている。現在公開中の「弓」に通じる、老人(「サマリア」では中年)の聖少女への狂気に満ちた執着と言ったら、考えすぎだろうか。映画の「弓」における海に浮かぶ一艘の船というふたりきりの閉じた世界と、「サマリア」のマンションの部屋での父と一人娘の生活と車での旅はリンンクしていると思われる。
最後に、ヨジンを殺す幻影を映すことによって、聖少女を封印して大人の女性へと成長していく物語へと未来へとつなげている。

「エネルギーに満ち溢れた若者は、人生を生き抜く知恵を手にする前に、虐待、マゾヒズム、自虐などが蔓延する時代の囚われの身になっている。いったい、どんな人間が、サマリアの少女に向かって石を投げることが出来るのか?」

この監督の言葉を読んで、何故自分がこの少女たちから目が離せなかったのか、ようやくわかりかけてきたような気がする。それは廃屋の残骸を背景に並んだふたりの少女が、頼りなく、そしてあまりにもけがれのないピュアな印象を与えるからだろうか。

■サマリアとは(公式サイトから引用)
「新約聖書ヨハネ第四章に登場する、名もなきサマリア人の女性のこと。
罪の意識のために隠れるように生きてきたが、イエスと出会い罪を意識することで生まれ変わったように信心深く生きた人物。
聖書にはイエスの深遠な教えの受け取り手が、世間的に蔑まれる女性であるという逆説がしばしば登場する。」

宮台真司さんの批評・・・社会学者はこの映画をこう観ていた。。。

ホロヴィッツ愛用のスタインウェイがやってくる

2006-09-27 23:24:58 | Classic
らしいのだ。
ホロヴィッツが愛用していたスタインウェイのNo.314,503は、1941年にニューヨークで製造され、彼とトスカニーニの令嬢ワンダさんとの結婚のお祝いにスタインウェイが贈った楽器であるという。(誇り高きスタインウェイがこのような特別待遇したのはこの他になし。)ホロヴィッツが亡き後、このピアノをスタインウェイが買い戻し、世界中のファンのために巡回しているのだが、彼が”忠実な強い絆で結ばれた最愛の友”と呼んだこのピアノが二度目の来日を果たす。

9/16~10/1 日比谷スタインウェイサロン東京 (試弾可能)
12/21~07/1/8 スタインウェイサロン神戸

「ぶらあぼ」10月号で招聘元である松尾楽器商会の社長、松尾治樹氏と評論家の青澤唯夫氏による「ホロヴィッツと彼のピアノについて語る」対談が4ぺーじに渡って掲載されているのだが、興味深い内容だったのでピアノに関心のある方は是非ご一読されたし。(その一部を要約)

1983年、評論家の吉田秀和氏から”罅の入った骨董”と大変不名誉なレッテルをはられた来日時、ワンダ夫人は事前に極秘に宿泊予定のホテルオークラのペントハウスを下見にきて、壁紙を全部張り替え、窓は昼間でも光がもれないような床まで垂れ下がる分厚い黒いカーテンに取り替えた。同じフロアーと階下の客室全室貸切にして準備万端整えてお抱えの調律師、医師、料理人、ボディガードを伴ってやって来た。ところが、このせっかくのコンサートも絶不調のためリハーサルの時は、あの冷静なワンダ夫人も泣いてしまうほどだった。当時長年の不眠症に悩まされていてかなり強い薬を服用していたのだが、その後医師の急死により薬の服用を中止すると、すっかり元気になり復活した。その様子を見ていた調律師のフランツ・モア氏は、25年間毎月調律に自宅に通っていたという。

松尾氏はこのNHKホールで行われた評判の悪かったコンサートのビデオを85年暮れに来日していたマルタ・アルゲリッチと一緒に六本木の寿司屋で観たのだが、最初は敬愛するホロヴィッツの演奏のまずさに涙を流していた彼女が、そのうちにここが凄い、あそこも凄いと食い入るように観ていたことが印象に残り、ハンブルグでのコンサートを聴きにいき、その素晴らしい演奏に本当に甦ったとマルタと喜びあった。そして渋る梶本氏を説得しロンドンに飛ばせコンサートを聴いて事実を確認してもらい、86年に捲土重来を期した。勿論、二回目のコンサートは大成功だった。

ホロヴィッツの好みの鍵盤の重さは42g。スタインウェイのフルコンの基準48-52gに比較するとかなり軽いので、その分鍵盤の戻りが鈍くなるためスプリングを少し強めにしている。音は、ホロヴィッツ自身が”Nasal”と呼んでいるやや鼻にかかった独特の音で、彼の解説によると”弦の上に一枚ハンカチを被せたような音”に常に調整されていた。彼のソフトペダル使いも独特で、通常はソフトペダルは弱音の時に更に音を弱めたい時に使うのだが、彼の場合はフォルテの時に多用する。フォルテのところでソフトペダルを踏んだままにしておいて、さらに一段大きくしたい時にペダルをパッと放す。この部分は、もっとも本文中で私が感心したところだ。松尾氏は、彼の演奏のダイナミックレンジはそのような工夫で広がると解説している。

かってホロヴィッツのことを彼には猫ほどの脳を期待していないと中村紘子さんは、ピアニストとしての彼をまことに言いえて妙な絶賛をしていた。来日時のドキュメントを観た時、恐妻のワンダ夫人にまるで借りてきた猫のように甘え、頼り切っていたおじいちゃんが、モーツァルトを弾きはじめると羽のはえたようなタッチと驚くばかりのピアニズムに、これがあのホロヴィッツかと強烈な印象を残した。二度目に来日の時には、打ち上げの席で上機嫌なホロヴィッツはホテルにあった古いピアノを弾いて披露したが、その音は紛れもなく”ホロヴィッツ・トーン”だったそうだ。そのことから、松尾氏は
「ピアノのメカニズムから考えると、彼ほど合理的なタッチはない。ピアノのことを実に解っていて、本当は知的で冷静な人です」
と結んでいる。

■実際に試弾されたemiさまの貴重な感想
  


「東京カワイイ★ウォーズ」NHKスペシャルより

2006-09-26 22:53:10 | Nonsense
”エビちゃん”は、そんなにカワイイか?→
カリスマ・モデルと大人気のエビちゃん大好き派というのは、そのファッションを見れば一目瞭然。髪型も雰囲気もエビちゃんに似ているのか、似せているのか。マスカラをたっぷりとぬった目と同じ、いかに自分を可愛く見せるのかが命。(9/24放映NHKスペシャルより)

2006年、3月渋谷で開催されたファッション・ショー「ガールズコレクション」に18000人の女の子たちが集結。彼女たちの目的は、蛯原友里ちゃんや、あの「日々一考」のecon-economeさまも大ファンという押切もえ嬢をひとめ見たいという熱心なファンや、等身大のブランドの知名度や品質よりも今すぐ着たい、着られる欲しい服、”リアル・クローズ”を携帯サイトでショーを見ながら同時に注文することだ。なんといっても日本の「Cancam」世代の女の子たちは、世界中で一番ファッションにお金を遣う巨大なマーケットだ。なかでも一番人気なのが、エビちゃん。彼女のカリスマの勢いで専属モデルを務める雑誌「Cancam」は、毎月80万部も売れている。特に雑誌の中で彼女が着用した服は、問い合わせが殺到して売れていく。これぞ”エビ売れ”現象だ。そしてキーワードは、兎に角「kawaii☆!!」だ。

そのエビちゃん人気にあやかろうとしたのは、老舗の足袋カイシャ。(NHKなので会社名は非公表だが、会社更生法を適用したといえばフクスケとすぐわかる。)
彼女にストッキングの商品開発を依頼する。素人のデザインに難色を示す社内のプロのデザイナーを声を抑え、エビちゃんや押切もえさんのアイデアや感想を熱心に聞くおじさん社員たち。エビちゃんのストッキングを脱いだ時におなかのあたりがさえないという実にリアルでナマナマしく艶かしい不満とアイデアをとりいれ、胴まわりにたくさんのハートのすかしもようをいれたストッキング。そのハートの微妙なカタチもエビちゃんご指定。80足の試作品からエビちゃんが気に入ってはいたストッキングを生産化しようと気合がはいる。そこでエビちゃんが選んだのは、足首のちょっと上の位置にハートの柄がはいった黒いストッキング。ここでも、キーワードはエビちゃんの「kawaii☆!!」のひと言だ。(モデルさんなので、会話の語彙が、肉体に比較して貧困なのは仕方がないか。)

エビちゃんファッションの殿堂は、渋谷109。このビルの中に一歩脚を踏み入れるとハイテンポでノリのよいにぎやかな音楽に思考能力をノックアウトされ、まるでパチンコやさんのファッション化を連想するのだが、年間の売上が253億。毎日すべての店の売上が公表されるという。常に新商品を入れ替え、鮮度を保ち若者の購買意欲を刺激する。売上のおちたテナントは、すぐに撤退させられるのだから、化粧の濃いいかにもコギャルあがりといった風情のアネゴの店長たちも、売上の計算には真剣そのもの。この中のひとつのお店で素人の元渋谷のコギャルだった女の子たちにデザインや運営を任せるテナントのオーナーの喜多徹夫さんは、「プロは必要ない」と言い切る。この渋谷の109のビル自体が、若い子たちの情報発信だ。彼女たちのデザインを国内より安い工賃で韓国に発注し、2週間後には店頭で売り出される。このくりかえしで、年々早くなる流行のサイクルの先端をいき、若い子たちの感性のアンテナをくすぐり消費をひきだす。長く愛着をもって着る必要はない。だから、生残りをかけてアパレル会社は安価で次々と手をかえ品をかえたデザインの服を売り続けていく。

こうしたリアル・クローズは所謂従来のモードの世界とは一線を画す。モードの世界では有名デザイナーが最先端の流行をつくりだし、ファッション・ショーを間近で見られるのは一部のバイヤーやジャーナリストの関係者だけだった。モード界のデザイナーのコシノ・ヒロコさんは、「ファッションとは、私らしいものはなにかということだ。とにかくコピーしてマーケティングに成功してお金にしたい人がいる。しかし先行的に新しいものを創る立場のものとして、人のものをコピーしていては、続かない。」と苦言を呈す。確かにモードのファッション・ショーはモデルが痩せすぎだろうが、実際に着るのは難しかろうが、芸術的なモードの美しさが厳粛にある。そしてデザイナーの創造性に心底敬服する。
しかし国内の経済復活をめざす経済産業省としては、芸術よりもパンの方が重要。官も協力して、日本ファッション・ウィークを開催して外国からの需要をほりおこそうとしている。日本ファッション・ウィークを主催するのが、イッセイ・ミヤケの代表者である太田伸之氏。太田氏は垣根をこえて、東京ガールズ・コレクションと共同開催することを提案して実現にこぎつける。
9月3日の勿論エビちゃんたちが笑顔をふりまく東京ガールズ・コレクションには、入場料3千円を支払って2万人もの人がやってきて、ネットでショーの様子を流して一日で2300万円の売上があがった。
エビちゃんの登場でわく女の子達の悲鳴が聞こえる。

「kawaii☆!!」

「受命 Calling」帚木逢生著

2006-09-24 21:59:55 | Book
なんという大胆で驚くべき国際的エンターティメント小説なのだろう。
舞台は、米国ブッシュ大統領が”ならずもの”と怒りをあらわにした北朝鮮。しかし作家が帚木逢生氏とくれば、同じ作家の逢坂剛氏が、「登場人物の口を通じて語られる民衆の惨状は、凡百の北朝鮮レポートをはるかに超える、針で刺されるような現実感がある」と脱帽しているように、最高指導者への激しい怒りと同時に、民衆への深い情が伝わってくる。”ならずもの”というのが、この場合国家をさしてはいるのだが、父親である前指導者の金日成さえも自分の権力を維持するために毒殺したと言われている将軍様、たったひとりの人物の”ならず者”としてのパーソナリティが、この国の国際的評価を貶めたのは衆智の事実だろう。しかし、国の指導者の政治的能力の欠如と救いがたい独裁ぶりがどれほど悲劇なのか、この国の民衆を知れば明らかである。それでも命があるだけまし、というものなのだろうか。

日系ブラジル人の津村リカルド民男は、国際的な生殖医療の学会で「朝鮮民主主義人民共和国」の平壌産院の医師である許日好から声をかけられる。その席で臨床能力を自分の勤務する病院で活かして欲しいと客員として正式に招かれる。そして津村の友人である北園舞子も勤務先の在日朝鮮人の成功者であり祖国に多額な献金を続ける平山昌浩と懇意になり、万景峰号に乗船して北朝鮮に向かう。さらに舞子の親しい友人で、津村とも交流のある韓国に住む寛順とその義弟である金東源は、ある理由から脱北者の焼肉チェーン店の社長の父親に手紙を届けるために、命の危険を犯してまで密入国する。この3組の消息とお互いの安否をまとめて中国からラジオを通じてメッセージを送りつづけるのは、脱北者を支援する車世奉だった。
彼は言う。
「韓国人は、北朝鮮のことを本気で考えると夜も眠れない。怒らせれば国土は火の海、崩壊すれば難民の大群を引き受けねばならない。考えないのが一番の安眠方法。太陽政策はその口実に過ぎない。」
その慧眼に、これまで私が鑑賞してきた南北分断をテーマにした素晴らしい韓国映画の数々の深い哀調は諦観へと沈んでいく。

物語の展開におけるこのような奇跡のような偶然はありえない、という疑問をねじふせて読者を物語にのめりこませるのは、ひとえに作者の力量と言わざるをえない。平壌の地下鉄の長いエスカレーターに驚く地方から選抜して修学旅行にやってきたこどもたちの表情、この国が誇る大規模な平壌産院で津村がとる食堂での意外なほど美味しい食事や高級軍人家庭での豊富な食材や酒、その一方で地方のからっぽの薬品棚やあまりにも貧しい手術設備。密告や盗聴。こどもも含めて制裁と粛清目的の現代のアウシュビッツとのいえる収容所。なんと彼らを移送する時は、脱走を防ぐために樽に収容者を入れて蓋をするという。そして電気が乏しい街で、そこだけ明るく照らされた金日成と現最高指導者の肖像画。将軍様の権力を象徴する主体思想塔や平壌学生少年宮殿、彼のこれまでの生き方を称えるための朝鮮美術博物館。そのひとつひとつの抑えた描写が、読者に既視感を与えるほどの文章力は、『薔薇窓』でもおなじみである。

そして平壌、百源、文徳と分散していた津村、舞子、寛順ら3つのグループは、最後に彼らの想像を超えた目的のために日本海に面した元山での宴に集結していく。津村は、何故この目的に協力したのか。それは医師としての良心、この国の現実を見たひとりの人間としての怒りだった。その彼をおしたのは、「先生、これは天の命令です。天命を受けるのが受命です」と語る招聘した許日好の言葉。その天命を授け多くの人々の願いを集約したのは、60歳になる彼らのすでに亡くなった小学校時代のひとりの教師だった。「行くに径に由らず」と諭したその教師の意志は、長い歳月を経て静かに実行される。

本書の真の読者たるべき人は、この国の人々であろう。タイでクーデターが勃発したが、この国でも必要だ。それが叶わぬことがわかっているだけに、「受命」はその日まで日本で読み継がれるべきだろう。

「人は資源。その資源と開発と活用をおろそかにして、地中の資源ばかり探したところで、国は隆盛しない」

今読みたい帚木逢生氏の「受命」

李英和さんの「北朝鮮 秘密集会の夜」も一読の価値あり


今読みたい帚木蓬生氏の「受命」

2006-09-23 18:51:22 | Book
秋だ。ようやく秋がやってきた。
読みたい本のリストが、一向に減らないのはやはりこの国が平和な証であろう。それほど、自分の命の一部をつかって読書するに値する本が豊富なのだから。
その中の一冊、帚木逢生氏の「受命」を読了。北朝鮮を舞台にした本書には、ただただ圧倒された。精神科医でもある著者の朝鮮半島への関心は、「三たびの海峡」ですでに読み取れたのだが、ここにきて著者渾身の作品「受命」によって、かの国の国家の問題を世に問う。実に衝撃の小説である。

帚木氏は北朝鮮問題と最高指導者の情勢をしびれるくらいの切れ味で喝破して、作品中の登場人物に語らせている。
(以下、小説の中から要約)

■中国と北朝鮮は同盟国である。北朝鮮がなくなって一番困るのが中国だから。世界にとって異物のような存在が北朝鮮。その異物に触れるには、中国の仲介を必要としており、異物が存在する限り、中国は国際社会で大きな顔ができる。ロシア政府は脱北者を発見すると、国連難民高等弁務官事務所に行かせて、難民申請をさせる。ここで難民として認められると韓国大使館が受け入れ証明書を発行し、脱北者は国際赤十字で旅券を作ってもらい韓国への出国を認められる。これは国際法として難民を迫害の待つ国へ送還してはならないとうたっているからだ。中国も1982年にこの条約に批准しているのだが、脱北者はただちに北朝鮮に引き渡す。その時点で、彼らの運命は決まる。収容所へ送られ、二度と生きては帰れない。これがわかっていて、脱北者を北朝鮮に引き渡す。これが中国の本質だ。国連安保理の常任理事国とは、あきれるではないか。

■20年前までは、この国の最高指導者を真の指導者と本気で思っている将校はいなかった。祖国がどれだけの兵器を有し、どんな戦略が可能か全く無知だった。それを知っていた彼が、密かにはじめたプラトニウム型とウラン型の核兵器開発だった。古参の将校の理解を超える核開発こそ、軽蔑から尊敬に変える唯一の方法だった。
北朝鮮にとっては、核保有の宣言は、誰が考えても飢えたこどもがぼろぼろの服を着て指に50カラットのダイヤをはめているようなものだ。けれどもそのダイヤの指輪がなければ、この国はただの薄汚れた物乞いに成り下がる。世界からは時々哀れみの目を向けられるだけで終わるのだが、指に大きなダイヤが光っていると憐憫だけでは終わらない。周囲の想像をかきたて、目が放せなくなる。そこに北朝鮮の狙いがある。

■90年代半ばから、国際社会から食料援助をとりつけるようになった。WFL(国連食料計画)やIFAD(国際農業開発基金)に、食料援助を受けるために演出した数字で報告する。視察団が現地いりすれば、大芝居をうつ。骨の髄まで劇場国家である。最初は援助する側が優位にたつが、ことがはじまると援助する側が事業を打ち切るのが難しくなる。現場の担当官としては、とどこおりなく任務を遂行し、本部から高い評価を受けたくなり、援助額が増えていく。そうなると強気になるのが、援助される側である。ところがこの国への援助物資の行き先は不明である。おおかた特権階級に行き渡っているのだろう。一部は、偉大なる将軍様の贈物とパッケージがかわって施設にも届くらしいが。

北朝鮮問題は、将軍さまのお抱えの踊り子たちの容姿に始まり、その異形はマスコミでも格好の話題を提供している。小説というエンターティメントにこめられた作者の執念に近いこの国の分析は、テレビの前でその前時代性と低い文化を嘲笑する日本人への無理解の悲しみすら感じるのは、私だけだろうか。

新潮流「COACH」

2006-09-21 00:45:06 | Nonsense
以前、バッグに投資する英国女性の話をしたのだが、購買意欲旺盛なのはなにも英国女性だけではない。
ハワイに行く度に、ルイ・ヴィトンのバッグが増えていく身内の者が昨年のハワイで購入したのが、珍しくヴィトンではなくCOACHのバッグだった。みんながもっている「シグネチャー」シリーズではない本来のCOACHらしいその黒い革のシンプルで機能的なバッグを、、、ひとめ見て気に入ってしまった。値段を聞いたら、毎月の電気代すら知らない主婦である我が身内は、夫に尋ねてどうやら日本円で3万円台だったらしい。兎に角、当初の購入目的だったヴィトンの財布よりは安かったという。
「コーチはやっぱり安い。」
そう答える身内の者が、学生時代愛用していた(今ではどこに埋もれているのか)リュックは、とっても重くて私はさんざんケチをつけていたのだった。
そのバッグが、最近になって地元のデパートの店頭に並びはじめて、どうにも気になって仕方がない。しかしもっと気になるのは、日本でのお値段の方だ。5万3千円。そんなに高いのーーーーっ!

今週号の「週刊東洋経済」によると、そのCOACHが売れているらしい。「COACH」の奇跡を特集としてとりあげている。
06年6月期のコーチ・ジャパンの売上高は481億円。これは王者ルイ・ヴィトンの約1500億円の1/3に過ぎないが、5年前の100億円に比べたら、なんとこの5年間の5倍増という大躍進だ。確かに機能的で耐久性にすぐれたつくりのCOACHのバッグは、さすがに米国産というだけあってちょいダサめだった。それがグッチ、エルメス、シャネルといった欧州の女王クラスをごぼう抜きして今や業界第2位。その米国流の元気な勢いを警戒したルイ・ヴィトンは、昨年日本の百貨店におけるコーチの出店・増床を妨害したとして、コーチ・ジャパンから更正取引委員会に訴えられたのだ。
コーチのバッグを購入する動機として女性たちが支持する理由は、

①おしゃれなのに機能的で使いやすい
②ブランドにしては高くない
③店員がフレンドリーで敷居が高くない

なるほど、身内の者のお気に入りのルイ・ヴィトンはやはり高いし、路面店など恐れ多くて私なんぞ外から眺めるだけだった。そして、勿論売れるにはMBAの教科書にもでてきそうな徹底した消費者を囲い込む米国式の経営方式がある。この経営戦略はおもしろい。

コーチの最大の特徴は、「アクセシブル・ラグジュアリー」。手の届く範囲のちょいお高めの高級品。ヴィトンに代表される欧州の高級ブランドが10万円以上、その一方で国産の2~3万円の隙間をついた価格帯が成功要因だ。この4~6万円台というほどほどの納得価格で、質には厳しい日本人の要望にはこたえる品質。そして96年に起用されたデザイナー、リード・クラッコフ氏によるポップでおしゃれなデザインの採用。おかげで「シグネチャーコレクション」は、大ヒット。入口のそばにはある「フィーチャーテーブル」には、毎月新商品を展開して、サプライズを与えリピーターを迎える。確かに今は、65周年記念バッグが並んでいる。これがまた、おしゃれで可愛いのだ。また色、デザインを細かく頻繁に変えて新商品を次々と投入することによって複数個の購入に結びつける。ヴィトンのバッグ1個買うなら、がんがん使っても惜しくはないコーチのバッグ2個という動機もわかる。それにコーチのバッグを持っている女性をよく見かけるが、ヴィトンのように同じバッグを見かける確率は少ない。
「トラッキング・スタディ」という独自の消費者調査も国内では6000人に及ぶ。そこであらゆる声をすいあげ商品政策に反映させ、在庫検索のPOSシステムも導入。コンビニのようなサプライ・チャーン・マネジメントも確立してインフラも完璧。ここにコーチの哲学である「ロジック・アンド・マジック」という数値の”論理”とファッション性の”感性”の両軸が成立する。英国ブーツ社撤退の後、フラッグ店第一号を開店してから次々と全国に進出して、その数は今や100店舗超。ただし、店舗戦略に関しては、コーチ・ジャパン設立で合弁相手だった住友商事の協力があってこそだ。当時の幹部は、
「コーチはいわば”ブランド界のスタバ”。ちょっと豪華で、ちょっと高く、ほどほどの心地よさ」と例える。

全くブランドのバッグに関しては、なかなか語り尽くせないものだ。・・・で、そのコーチのバッグはチョコレート・ブラウンを選択していつのまにか部屋にあるのだった。

ルイ・ヴィトン物語

『B型の彼氏』

2006-09-18 00:05:31 | Movie
科学の発達が人類に啓蒙を与えてとしても、いつまでたっても非科学的な○○占いや神秘的な現象にひかれる者は多い。かく言う私は、週刊「AERA」で「B型女は嫁にくるな」と一蹴されたりっぱなB型女である。(もっとも血液型占いは信じないが)
それではルックス抜群(あえてイケ面とはいわない)のイ・ドンゴンを主役にして究極のB型男との恋愛を描いたA型女の悲喜劇、韓国映画「B型の彼氏」ではどんな世間の誤解と真実を描かれているのだろうか。

映画の冒頭、ヨンビンはお金を賭けたバスケットの試合でシュートの多かった自分が一番多く分け前をとる。成果主義を貫く合理性だ。
その後、駐車違反にならないよう車の中に待たせた彼女を、その場で置き去りにする冷酷さと自己中心的なふるまい。
そして、運命の出会いを信じる乙女チックな血液型がA型の女子大生のハミと偶然出会ったことからお互いに惹かれて交際をはじめることになるのだが、あまりにも自分勝手なヨンビンに振り回されるハミ(ハン・ジヘ)にとって受難の日々が始まる。恋をするにも、気力が消耗するような顛末だ。

何しろヨンビンは、デート中の映画でもつまらなかったら彼女に断りなく退出してしまう。ある日突然電話してデートに誘ったり、彼女の気をひくために窓の下で甘い甘い恋の歌を歌う始末。またある時は、大学の構内まで両手いっぱいの花束を抱えてやってくる。このB型男に罪はない。あまりにも無邪気だから。悪気はないのだよ。おまけに単純だし。ところが、散々ヨンビンに振り回されて怒り心頭のハミは、ヨンビンが自分に好意をもつ先輩とのデートをセッティングしたことを知って我慢の臨界点をこえてしまう。果たして、この恋は彼氏の血液型がB型だったための人格によって成就しないのだろうか。

この映画が制作された2004年の韓国では、血液型性格判断が一大ブームになったという。ネットでB型男と付き合ったがためにイタイ思いをした女性たちによる掲示板が活況をよび、そこではB型男は最低という審判がくだった。(ということは、B型女もやはり嫁にはしたくないということか)そんな韓国の騒動から生まれたのが、この「B型の彼氏」という監督をはじめスタッフ全員B型人間による映画である。観客動員数150万人。それだけ、B型男は隣国で話題をふりまいていたのか。

甘い顔立ちで育ちの良さそうなイ・ドンコンは、見れば見るほどお気に入りのジェームズ・スペイダーにそっくりである。確かに、血液型のなせる技か知らないが、身勝手であるのだが、いくらスタイルよく美形の素材をもってしても今ひとつ魅力的な人物像に描かれていない。それがイ・ドンコンの整ったルックスがかえってあだになっているせいなのか、演技力のためなのか、脚本、監督のせいなのかわからないが、本来だったら大きな魅力になりうるB型人間のおおらか自由な性格の特徴が、ただの自己中心的で軽薄な男でおわってしまった感がある。いくら先輩の希望とはいえ、彼女からの指輪を嘘をついてまで渡さないだろう。どこまで本気でハミを大事に思っているのか、本当に彼女のことを好きなのか、なにか実感がわかないうちに不完全燃焼で終わってしまった。フレンチ・キスまでいかなくても良いが、軽いキッスな気分もないままのハッピーエンドは残念。

監督・脚本:チェ・ソグォン

『ある子供』

2006-09-17 23:31:40 | Movie
20歳のブリュノ。そして18歳のソニア。彼らがこどもをもつのは早すぎるのか。
私の祖父は20歳の時に、18歳の祖母との間に赤ちゃん(私の母)が生まれた。今で言うヤンパパだったわけだ。毎晩夜泣きする赤子のお世話をするのは、若い両親でなく曾祖父母の役割だったと聞いている。

病院を退院したソニアは、ブリュノ(ジェレミー・レニエ)との子供、ジミーを抱いて自宅のアパートに向かう。しかしそこには入院中、彼女の断りなく金のためにまた貸しした見知らぬ男女が居座っていた。ソニアはブリュノを探しに行く。赤ん坊を抱いたまま車の往来の激しい車道を突っ切るソニアのミニスカートからすんなり伸びた少女らしい脚が、若々しくいかにも頼りない。その寒々とした後姿に、今後の母子の行方が案じられるではないか。ようやく出会えたブリュノは、彼が命名した赤ん坊の名前すら忘れていて、新しい生命への関心がない。それもそのはず、彼は定職にもつかず盗品を売りさばいては得た小銭を収入源にしているその日暮の生活。

「真面目に働いて欲しい」
そんなソニアの赤ん坊の母として、父親に望む願いは当然だ。ようやく職業斡旋所にふたりで出向くが、長蛇の列を見てブリュノはうんざりする。そしてソニアに並ばせて、ベビーカーを押して散歩に出かける。彼は、ある事を計画していたのだ。それはジミーを売ることだった。

(以下、映画の内容にふれております)
2005年二度目のパルムドール大賞を受賞した本作品は、『息子のまなざし』と同様に音楽を控え、リュック&ジャン=ピエール兄弟監督らしい荒いドキュメンタリー・タッチのような映像が続く。これは彼らの出発点が、労働者階級の団地に住んで、都市計画問題を描いたドキュメンタリーだったことから由来するのであろう。この手法はいやでも、観客に緊張感と現実的な感触をもたらす。そこにベルギーだけでない欧州全体の現代社会の病巣が浮き出てくることが、審査員をはじめとした観客の共感をよび、今回の偉業に繋がったと感じる。アカデミー賞とはコンセプトの異なる傾向だ。
根無し草のようなジミーの生活の由縁は、単に若年層の失業率が20%というベルギーのお国の経済事情だけではない。出産して退院したソニアを迎える者が誰もいない。また男と同棲している母から疎んじられるジミー。ここに行き場のない若者像がうかんでくる。そしてシビアに盗みという悪事に加担した成功報酬を要求してくる14歳の子分格のスティーブたち。
それでも、産む性である女性のソニアは、ジミーに母親としての愛情を注ぎ堅実な生活を営んでいこうとしている。だからジミーが売られたことを知った時、しかもこともあろうか、父親であるブリュノの手によって売られてしまった衝撃のあまり失神してしまったのだ。
ブりュノは、単なる馬鹿で軽薄な男なのだろうか。このての男は、いずれ幼児虐待に向かう危険性をはらんでいるのではないだろうか。
彼は、知らないのだった。人を愛することも、愛されることも、そして働くことの意義も、将来の夢をもつことのいとおしさも命の重さも。

後半、ブリュノはスクーターに乗って手下のスティーブと路上で中年女性のバッグをひったくる。執拗に追いかけてくる警官たちから、必死で逃げる彼らチンピラの姿に、緊迫感が高まっていく。スクーターに乗って後を何度も振り返りながら逃げ惑う姿は、彼らの不安をうつしだしている。そして姿を隠すために河に入った時、そのあまりの冷たさに驚き泣くスティーブが溺れかけると、ブリュノは初めて心の底から彼を助けようと救出する。そして警察に補導されたスティーブをかばって自首する。ブリュノは、誰かのための行為、生きていくことの意味を学んでいくのだった。

「貧しい人たちにこそ、希望の光をわずかでも見せたい」
ソニアと再会したブリュノの姿こそ、リュック&ジャン=ピエール兄弟監督の困難なこの時代に光を導く本作品の価値を見る。原題も同じ『ある子供』には、父と息子の両方の意味をかねていると考える。
今にして思えば、農業を営む祖父母たちの昼間の労働のために、曾祖父母たちが交代で深夜赤ん坊の世話をしていたことに思い至った。決して若さゆえの育児放棄ではない。

『ALWAYS 三丁目の夕日』

2006-09-16 23:21:12 | Movie
すでにデキレース、なんとも盛り上がりに欠ける自民党総裁選。けれどもその本丸、安倍晋三・官房長官が首相に就任すると戦後生まれの世代が初めて首相の座に就くことになるという。現在51歳、総裁選翌日の21日に誕生日を迎える安倍氏は、昭和29年に生まれた。昨年暮れに上映されて250万人が泣いた『ALWAYS 三丁目の夕日』を鑑賞して、まもなく首相に就任する安倍氏も涙を流したというではないか。(以下、かなり映画の内容にふれております。)

昭和33年、安倍氏が3歳でやんちゃ盛りの頃、東京下町の小さな小さな自動車修理工場では、青森から金の卵を歓迎する。当時は六子のように、寒村の口べらし目的と、町工場の安価な労働力の需要という利害の一致から、住み込みで働く金の卵と称される少年たちが大勢いた。憧れの都会暮らしへの六子の希望と期待を見事に粉砕したそのカイシャの貧相な佇まい。しかし、単純で気が短いが先見の明があり夢をもって働く店主の則文(堤真一 )や、気のよいおかみさんのトモエ(薬師丸ひろ子)、息子の一平らとともに、修理の仕事を覚えながら生活拠点を築いていく。

その鈴木オートの目の前には、天敵とも言えるたった一度の芥川受賞候補者になったことを矜持として純文学作家をめざしながら、”生活のために”少年誌に小説を連載している作家の芥川(吉岡秀隆)が、こども相手の駄菓子やを営んでいる。戦争体験のないひ弱な芥川と、吉屋文学を知らない粗雑な鈴木は犬猿の仲だ。ある日、芥川はいきつけの呑み屋で、淡い恋心を抱いていたおかみのひろみ(小雪)から、身寄りのない淳之介を押し付けられる。なんとも陰気で笑わない淳之介をもてあましながら、彼らの奇妙な同居生活がはじまる。

何故、この映画がこれほどの評判をえたのだろうか。この映画にみられる明るさとひかりは、次の3点に集約される。

①家族の絆
②地域社会、コミュニティーの存在と温かさ
③敗戦の復興から高度成長期へむかう日本の将来や未来への希望

どれもこれも、今の日本から失われたかがやきではないか。それに、昭和の時代の臭いをすみずみと味わって育った者にとっては、空き地のドラム缶、初めてテレビが我家にやってきた時の興奮、風鈴を売る町の風物詩とともに、ノスタルジーをかきたてるような綿密に再現したCGによる景色。(このCGによる映像は、非常によくできているが、あまりにも忠実によくできているためにかえって「童話」のような趣を強めている。)
それだけではない。映画に奥行きを与えているのが、人々の影の部分も描いているところだ。
父の病気のためにかかった高額な治療費の借金返済のために、ストリッパーに身を落とすひろみ。空襲によって姿かたちもなく亡くなった妻と娘が、酔うとまだ生きていると錯覚してしまう医師(三浦友和・・・好演)のあまりにも寂しい境遇、冷蔵庫を買って大喜びする鈴木家の路上にうち捨てられた氷貯蓄庫を眺めて時代の動きを感じる氷屋の悲哀、実の母からは捨てられ、後に現れた実父の尊大な態度に行き場をなくす淳之介。
絵画で対象を立体的に描く手法で影をつけることの重要さに通じる、この映画においては人間の悲しみがよく描かれていた。

登場人物の誰もが、決して高潔で善人ばかり、というわけでもない。
則文はあまりにも短気で、喧嘩っぱやい。今の時代だったら、DV夫との誹りをまぬがれないかもしれない。妻のトモエも俗物とみえなくもないし、芥川などは現実をみきわめる能力に欠けていて、淳之介の小説を盗作する始末。それでも彼らは、いざとなったらお互いを思いやり、その温かな絆は地域コミュニティーの紐帯としての機能を果たしていた。

映画の舞台となった時の首相は、安倍氏の祖父・岸信介氏だった。一般の観客とはまた違う感慨が胸にせまっての涙だったのではないだろうか。
安倍氏は11日の日本記者クラブで
「私たち自身の手で21世紀にふさわしい日本の未来の姿、理想を描いていこうではないか」
と訴えた。映画で夕日の中で見上げた完成した東京タワーは、50年前の日本の明るい未来の象徴だった。「美しい国へ」と続く21世紀の”東京タワー”を実現するための戦略を、今度は国民にみせていただきたい。

監督:山崎貴
原作:西岸良平

絶対絶命?植草教授

2006-09-14 23:16:35 | Nonsense
痴漢で植草教授を逮捕 「覚えていない」

電車内で女子高生(17)に痴漢をしたとして、警視庁は14日までに、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で、元早稲田大大学院教授で名古屋商科大大学院客員教授の植草一秀容疑者(45)=東京都港区白金台=を逮捕した。
「酒を飲んでいて覚えていない」と供述しているという。
調べでは、植草容疑者は13日午後10時10分ごろ、京浜急行品川-京急蒲田間の快速電車内で、神奈川県内に住む私立高校2年生の女子生徒のスカートの中に手を入れ、下半身を触った疑い。
女子生徒が「やめてください」と声を上げ、目撃していた乗客2人とともに取り押さえ、京急蒲田駅で駆け付けた蒲田署員に引き渡した。(2006年 9月14日 共同通信)


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前回の逮捕劇では、まだ冤罪ではないかという声もあった。植草氏ご愛用の電子手帳は、確かに手鏡そっくりに見える。それにキャバクラ遊び好きは有名だったが、判決に対して一抹の疑問とエコノミストとしての実力から救済を望むのも甘いとまでは思わなかった。
しかし、しかし!さすがに今回は3度目の逮捕。しかも午後10時という時間にも関わらず、酔っていて覚えていないとは。(こんな時間に電車に乗っているという女子高校生を見かけることはないのだが)ここまできたら、ある種の病気かもしれない。東京地方裁判所で証人にたった中年金融マンのぐっちーさんも、3回目はさすがにまずいとおっしゃっていたが、これで完全に植草教授は社会的に抹殺されるだろう。。。