千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「新参者」東野圭吾著

2010-08-28 15:52:46 | Book
以前、勤務先の職場が日本橋の人形町があった。その後、職場が本社ビルに移転したこともあり、結局人形町に通勤していたのは4年ほどの期間だったが、日本という国が見捨て去った下町の風情がまだ残っていて、これまで全く縁のなかったこの町をすっかり気に入ってしまった。会社なのに何故か町内会の回覧板がまわってきたり、釜飯がとても美味しい某焼き鳥やさんでは無口で気難しい店主にそっくりのおばあちゃんがカウンターの中の椅子にちょこんと座っていたり、葛篭を制作しているお店があったりと、おまけに”人情”も置いていそうなお店ばかりなのも人形町の特徴。

今度の加賀恭一郎刑事がやってきたのが、この人形町。煎餅屋、料亭、時計屋、洋菓子店、瀬戸物屋、民芸品店を営みながらささやかな日常を送る市井の人々の家族や心にひだにするりと入り込み、そしておだやかに去っていく。テレビドラマでも阿部寛さんが加賀役を演じて好評だったようだが、東野圭吾作品の芸風がくっきりとしたのも本作である。「赤い指」のモチーフをそれぞれの家族に宿し、離婚して現在独身?を謳歌中の当代人気の中年作家がこれほど家族をテーマにあたたかい小説を書くとは。しかも5年間にわたり「小説現代」に連載した短編が一冊の単行本になるとそれぞれが見事につながり(つながるのも舞台を人形町にしたおかげもある)、「日本橋の刑事」の最終章のエンドは脇役だった刑事を中心に円熟のしあがりとなっている。人形町にはさまざまな匠の職人さんがいらっしゃりそうだが、小説界において東野圭吾さんも作家としてまさに旬でありながら熟成した匠の人である。

加賀刑事がそれぞれのお店に聴きこみ調査にやってくるのだが、毎回質問の意外性と結末のひねりに読書の醍醐味を満喫した。おかげで熱帯夜の遅くまで本から目を話せられず、翌日あやうく寝坊をしてしまいそうだった。全く毎回、質の高い作品を生む作家に感心させられる。

デビュー作の「放課後」は鮮烈だった。これまでのミステリー小説のジャンルとは異なる持ち味に、今時の言葉で言えば”せつなく”なる感傷の余韻に乙女は酔い友人たちにも味わうことをすすめた。昔は初版本で終了する作品も多かったそうだが、初期の作品から「魔球」「分身」「トキオ」と私はずっと東野圭吾の作品の殆どを読み続けてきて、期待を裏切られることもこれまた殆どなかった。地味で話題性に乏しかった作家は、私としてはそれほど評価していない「秘密」で一気に成功した作家に躍り上がり、気がついたら、東野圭吾もいつのまにか直木賞作家となり、おしもおされぬ人気作家となっていて出版社からすれば確実に売れる商品生産者になっていた。そのおかげか、図書館に予約してもなかなか順番がまわってこないのだが・・・。この先、彼に望むことは、初期のような青春学園ミステリーものに再度挑戦していただければと、長年のファンとしては勝手なお願いである。

そう言えば、あの焼き鳥屋さんのおばあちゃんはどうされているだろうか。お店に通い始めた頃は、小さな食器の洗い物をして”自分も参加したつもり”と可愛らしいおばあちゃんだったのだが、そのうち体も弱ってきたようで、おばあちゃんをひとりで留守番をさせるのに忍びず、とりあえずお店に連れてきたような様子だったが。もう何年も訪れていない人形町を近いうちに訪問したいと思わせてくれた点でも感傷的になってしまった。

「絆と権力 ガルシア=マルケスとカストロ」アンヘル・エステバン ステファニー・パニチェリ

2010-08-22 11:52:27 | Book
映画『コレラの時代の愛』を振り返ると、やはりまぎれもなくガルシア=マルケスの作品だったと思う。
ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス(Gabriel José García Márquez)通称ガボは、コロンビアの人口わずか2000人ほどの寒村アラカタカに生まれる。次男が生まれてすぐに、両親から離されて祖父母と暮らすことになったが、彼らと過ごした幼い頃の時間が、未来のノーベル賞作家の性格を形成し、軍事指導者の物語に対する嗜好を強めたと伝えられる。祖父母は偉大な人物の武勲を繰り返し聞きながらわいてきた想像力に、猛烈な読書力が加わるのは自然な流れだった。もしかしたら、一生を寒村でたむろするちんぴらで終わったかもしれないガボの人生は、幸いわずかな奨学金をえることでシパキラ国立男子高等学校、首都のボゴタ大学での重要な作家や刺激を受けたカフカとの出会いまでつなげた。彼の類まれなる文学の才能はノーベル文学賞受賞という栄光をもたらし、それは『コレラの時代の愛』で貧困から成り上がった老人フロレンティーノが50年の歳月を超えた愛を獲得するかわりに、キューバーの革命家にして国家評議会議長カストロとの友情をガボにもたらした。本書は、ふたりの出会いから友情のはじまり、やがて南米人らしい最高の宝石の友情を築くまでを、キューバーを中心とした南米の政治的背景をまじえたふたりのノンフィクション物語である。

民主主義と自由を促進する新しい生活を約束した狼は、やがてその耳(本性)を表して独裁者としてふるまうようになるにはそれほど時間がかからなかった。1961年、様々な知識人や芸術家達がハバナの裁判所に収監され、お得意のカストロの長い演説の洗礼を受けることになった。
「革命の中ではすべてを与えられるが、革命の外では何も与えられない」
やがて独裁者が詩人パディーリャを思想弾圧した「パディーリャ事件」にまで発展する。サルトルなどの多くの左派知識人がこの事件をさかいに反カストロへと転向していく中でも、ガボはペンの力でカストロを援護するようになった。そんな彼を天才的な戦略家、名声に甘やかされた男、世界の大人物の得意客、権力の厨房にいるのが好きな男、と痛烈に批判する作家たちもいるが、本書を読んだ感想としてそのどれもあたっているとは私には思えない。文学と政治をつなげるのは美しい友情か、それとも打算に満ちた友情なのか。

彼ららしいエピソードがスウェーデン・アカデミー賞を受賞した時のふるまいである。文豪の政治・外交能力は文才並みで、適切な手をうち後は受賞を待つだけと受賞者たちの待機の仕方も解釈したガボにとってはノーベル賞受賞の物語は「予告された章の記録」だった。授賞式には、最も好きな作曲家のベラ・バルトーク!の音楽をバックにキューバー人を含む忠実な友人40人を伴い黄色いバラの花を一輪胸に飾った故郷の農民が着る白いリキリキで登場した。燕尾服を着ない初めてのノーベル賞受賞者という記録もつくる。カストロはそんな友人のために、キューバー産のラム酒を1500本送って寄こした。ところが、スウェーデンの法律では夜の10時過ぎにアルコールを提供することは禁止されていて、尚且つ飲酒行為が許可されていない施設での飲酒も認められていなかったため1500本ものボトルはテーブルに空のグラスと一緒に並べられただけだった。後にスウェーデン蔵相はキューバ大使館に対し、それほどの大量のアルコールを不法に供給してことで抗議を行ったそうだ。

欧米人のスマートな流儀とは別のところに、南米では摩訶不思議な熱い友情の花が咲く。カストロとの友情によって、ガボが特権的な物資と非公式な立場を得たのは事実。本書によって偉大なる作家に失望される方もいるかもしれないが、私は著者たちがガボの作品をなんら傷をつけずに賞賛していることで、むしろガルシア=マルケスの文学を理解するためにも一読をすすめたい。ガボの文学の才能に感嘆しつつ、それとは別の権力嗜好も彼の作品に投影されていると考える。

■アーカイブ
「カストロとガルシア=マルケス 革命が結んだ友情」
映画『コレラの時代の愛』

読売日響サマーフェスティバル2010三大協奏曲のしらべ

2010-08-18 22:39:22 | Classic
今年の夏の記録的猛暑は、まだまだ続きそうだ。連日のうだるような日々の中で、しばし清涼な風の中に身をゆだねて心身ともに”お潔したい”とばかりにだどりついたのが読売日響の恒例のサマーフェスティバル。本日は、「三大協奏曲のしらべ」という定番もの。以前は、油ののった演奏家たちを招いていたが、今年はまさにデビューしたばかりの”旬”の男性たちばかりである。

最初の曲と楽器は、やはり予想どおりにヴァイオリンで曲目も親しみやすい珠玉の名曲のメンデルスゾーン。演奏するのは最年少の1993年12月生まれの郷古廉(ごうこ すなお)君。まだ高校二年生で仙台の某私立高校に通いながら桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース(特待生)に在籍。またもや天才少年現る!である。本当に日本の音楽家の演奏レベルはとても高く層のあついと感心する。実際、天才と言われる彼ら彼女達の演奏は、いずれも否のうちどころがなくほぼ完璧である。郷古君の使用楽器は個人所有者の厚意により貸与されている1686年製アントニオ・ストラディバリ(Banat)で、その演奏活動履歴は07年のデビュー以来もはやりっぱなプロである。
さて、遠目にも本当に若くってまだまだ線の細い郷古君が奏でるメンデルスゾーンは、繊細で乙女のように(失礼!)はかなげでピュアな音楽。すくすくと伸びてきた青年が、あと10年、20年と人生経験を積んでどのように音が変わるかとても楽しみである。個人的には、コンマスの藤原浜雄さんのようなチャーミングな色気も養ってほしい・・・。

次はこれもチェロの名曲のドヴォルザーク。プロフィールによるとなんと宮田大さんは3歳からチェロをはじめられたそうだから、ご両親としては最初から音楽家を育てるつもりだったのではないだろうか。昨年、ロストロポーヴィッチ国際コンクールで日本人初の優勝をさらったのは記憶に新しい。堂々と、朗々と、のびやかに歌うチェリスト。いつか激しく、また哀しく泣く彼のチェロの音を聴いてみたい、そんなことを感じさせられた。

そして最後は真打のピアノ。すべての楽器の中で最後をしめるのはやはりピアノになる。今夜の女性客の大半のお目当てはもしかしたらソリストの外山啓介さんか、と勘ぐってしまうくらいある意味彼は有名人。私が彼の名前を初めて知ったのは、ネット上で流れた第73回日本音楽コンクールの優勝候補者としてだった。彼が優勝間違いなしとネットでは話題性抜群、しかも芸大を卒業した翌年にはあのエイベックスからCDデビュー、デビュー・リサイタルの会場がおそれおおくもいきなりサントリーホール(勿論、大ホールの方)でチケットも完売。あまりにも話題先行でむしろ気の毒な気がしたくらいだが、インタビューを読む限りは謙虚で真摯な好青年。舞台に登場するやひときわすらりとした長身がめだち、この容姿もあいまって諸々評判になっていたこと思い出したのだが、彼の様子からはオーケストラのメンバーにも気を使って誠実な人柄が伝わってきた。なるほど、久々のピアノ界の王子様キャラだ。ピアノ演奏は、確かに独特の色彩感があり、派手な外見とは異なりむしろ内省的なタッチでこれまでのチャイコフスキーとは一味違う。もっと聴きたいと思わせてくれるピアニストだった。
全体的にこれからの若い演奏家たちを応援しようという雰囲気があり、フェスティバルにふさわしい華やかさがある。ちなみにこのサマー・フェスティバルも今年で25周年になるそうだ。1986年の第一回で同じ曲を弾かれたソリストは、前橋汀子さん、毛利伯郎さん、花房晴美さん。タイムマシンがあったら、25年前の名曲も聴きたい!

------------------ 8月18日 読売日響サマーフェスティバル2010三大協奏曲のしらべ サントリーホール-----------------

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23
郷古廉(Vn)、宮田大(Vc)、外山啓介(Pf)
指揮者:円光寺雅彦

『瞳の奥の秘密』

2010-08-15 22:25:50 | Movie
昨日のテレビ番組「嵐にしやがれ」でアニキゲストととして登場されたのが、”乙女なツインズ”のおすぎさんとピーコさんさんだった。その番組の中で、映画評論家のおすぎさんが櫻井翔君に是非観ていただきたいとお薦めしていた映画が、この『瞳の奥の秘密』である。65歳になるおすぎさんがこれまで観てきた映画は、13000本程度。その中でも本作は「ベスト50」に入る!と、オスギさんはそのつぶらな瞳から胸のふるえが伝わってくるような渾身(迫力の?)の批評を披露されていた。・・・というおすぎさんの説得からではないが、本作についてはずっと公開を待っていて日曜日というのに朝9時過ぎには映画館にかけつけていた。鑑賞の感想は期待どおり、いや期待以上の素晴らしさに私も今年度ナンバー1と太鼓判を押したいくらいの映画作品だった。

舞台はアルゼンチン。アルゼンチンと言えば、私にとっては最高のピアニストのひとりマルタ・アルゲリッチをうんだ情熱の国。幕開けは彼女のタッチとはまた違う雰囲気の深い余韻がひろがるピアノの低音の響きではじまる。男が乗った列車をひとりの女が必死に追いかけて駅のホームを走る。ガラスの窓越しに合わせたふたりの手がほんの一瞬重なったかと思うと、どんどんふたりの距離は離れてみるみる遠ざかっていく。あまりにもベタな場面ではないか。さすがアルゼンチン!とちょっと経済的には発展途上のこの国への軽んじた思いはここでわいてきたのだが、やがて物語がすすむにつれてこの作品がおすぎさんでなくても私も生涯ベスト50に入れたいくらいのレベルであることがわかってくる。

冒頭の別れの場面は、刑事裁判所を引退したベンハミン(リカルド・ダリン)が25年前の忘れがたいある事件を題材に執筆している小説のはじまりの部分で、ある理由から遠隔地に異動になった彼を、当時上司だったイレーネ(ソレダ・ビジャミル)が駅で見送るところからはじまる。ほんの1ページ書いただけでもの想いにとらわれて、書きかけの原稿を思いきって破るベンハミン。そして彼の瞳には、米国の大学を卒業して赴任してきた日の若かりし頃の輝いているイレーネの笑顔がうかんでくる。・・・あれから25年の歳月が過ぎた。ずっと忘れられなかったのは、あの残虐な事件のことだけではなかった。事件の裏に潜む不可解な謎の解決だけでなく、今でも心の引き出しにしまいこんでいるイレーネへの想いと向き合う決意をするベンハミン。

1974年、その事件への関わりは、結婚したばかりの若い銀行員の妻の殺害死体からはじまったのだが・・・。

南米コロンビアのノーベル賞作家のガルシア=マルケスの小説は、常に完璧な構図を提示していると評価されている。章の長さの正確な比率、時間の経過の均一性、そして語りの円環構造、それらのどれもが完璧な構図におさまりつつ、しかもスケールが大きいのがガボの作品の特徴である。本作も現在の進行と25年前の経過が交互にあらわれてパラレルに進行しながらも、正確に、均一に、俳優陣の演技力にも支えられて決して過去と現在が交じり合うことがなく見事に構成されている。また中盤から笑いをそそるユーモア、緊張感溢れるサスペンス、謎解きのミステリー、ワン・カットでとられたサッカー場でのアクション、男たちの友情あり、と映画の魅力の要素をすべて盛り込みながらも、最後は文字通り誇張なしの衝撃のラストを含めて、すべてはまぎれもなく愛になる。それは狂おしいほどの愛であったり、静かな包容力に満ちた愛だったり、ひそやかな秘めた愛だったり、登場人物それぞれの瞳に宿る愛である。

映画館を後にし、名作を観た高揚感のさまないまま街を歩いているうちに、だいぶ前、雑誌に掲載されていたNHKの朝の連続ドラマの撮影現場を撮った一枚の集合写真を思い出した。映画会社が力を入れて売り出し中の新人女優と、こちらも無名の若い男性俳優が夫婦役になり家業を盛り立てて行くという内容だったが、10年に一人の美貌の女優を中央に何人かの俳優たちが彼女を囲んで全員カメラを観て笑っているのだが、たったひとりその夫役の男性俳優だけが、美しく女優と呼ぶにはまだまだ未熟な彼女を見つめていた。それはイレーネの婚約パーティでのスナップ写真での、ベンハミンの表情と同じだった。今でも忘れられないその写真に、私は彼の瞳の奥の秘密を知ってしまったと思っている。

監督:ファン・ホセ・カンパネラ
2009年アルゼンチン製作

カストロとガルシア=マルケス 革命が結んだ友情

2010-08-13 16:58:46 | Nonsense
【カストロ前議長、84歳の誕生日を迎え再び表舞台に】
キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が13日、84歳の誕生日を迎えた。 フィデル前議長は2006年に腸の手術のため第一線を退いたが、最近になって度々公の場に姿を現し、健在ぶりをアピールしている。

キューバ政府は7月、同国のカトリック教会とスペインとの間で、フィデル・カストロ前議長時代に収監された52人の政治犯の釈放に合意した。この発表の数日前には、は国営テレビのインタビューの中で米国の外交政策を批判し、核戦争勃発の可能性を警告したが、政治犯の釈放や弟のラウル現議長の経済改革については触れなかった。
また、フィデル前議長は7日、トレードマークのオリーブグリーンの軍服を着て、国会で12分間の演説を行った。その際、前議長はいつも座る弟のラウル現議長の隣の席には座らず、リカルド・アラルコン議会議長の隣に座ったため、政権内の力関係や兄弟の関係についてさまざまな憶測を呼んだ。

未熟な経済、増え続ける借金、慢性的な品不足などさまざまな問題を抱えるキューバでは、ラウル議長が限定的ではあるが自由市場要素を取り入れつつある。しかしフィデル氏は国内問題についてはほとんど触れず、あくまで外交問題専門のコメンテーターに徹している。
ハバナ(CNN) 


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今日は、南米キューバ、フィデル・カストロ前国家評議会議長の誕生日。国会では定番のカーキ色のミリタリー・ファッションで登場して、彼にしてはとても短いわずか12分のスピーチをこなして健在ぶりをアピールした。カリブ海に浮かび別名”緑のオオトカゲ”は、この長身で野球が得意な議長が、長い政権を維持できた独裁者と、大国の米国からの支配に抵抗を続ける革命家という異なる肖像画の間でゆらめくように、その歴史も不思議な色合いを帯びている。

20世紀のラテン・アメリカが生んだ革命家のフィデル・カストロより、ほんの数ヶ月遅れて誕生し、同じくラテン・アメリカが生んだノーベル賞作家のガブリエル・ガルシア=カストロ(通称、ガボ)の友情を書いた「絆と権力 ガルシア=マルケスとカストロ」が話題をよんでいる。なじみのないラテン語の地名や人名に苦労しながらも私もようやく半分ほど読み終えたのだが、感想を文書化する前に情報誌「選択」で掲載されていた傑出したふたりの熱い友情の予告編を上映したい。

ふたりが本格的に出会う前に最も接近したのは、1948年4月コロンビアの首都ボコダで最有力大統領候補だったホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されて勃発したボダコソ事件だった。その日、ガイタンと会見する予定だった学生団の代表者カストロと無名の作家志望のガボは同じ大学の法学部に学ぶ学生、文学を愛好する政治家と権力に愛着する文豪が後に出会った時、カストロがボコダ騒動を回想してタイプライターを壊している男を目撃したエピソードを披露すると、ガボは作家らしく創意溢れる答えを返した。
「フィデロ、そのタイプライターの男は僕だ」

67年、こうしてカストロは「百年の孤独」で作家として成功したガボと、共通の「ボダコソ」の思い出を友情の原点と確認しあい、82年にガボがノーベル文学賞を受賞すると益々友情を深めていった。友情の深まりは、同時に作家としてのガボにその際立つ文才を政治家のように世界をかえる政治的な能力にかえる夢をもたらすようになった。ガボはカストロの密使としてコロンビアの二大ゲリラ組織とコロンビア政府との和平交渉を設定し、82年にはフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とカストロの間を仲介して、キューバの獄中にいた詩人アルマンド・バジャダレスの釈放も実現させた。それにも関わらず、バジャダレスは米国に亡命するや恩人を「ガボにとってキューバは、礼賛する友人フィデルが持ち主の広大な荘園」と揶揄し、ガボをカストロの密告者と批判する。

そうは言っても、ガボはカストロとの友情の絆を大切にしながらもキューバの現体制を全面的に支持しているわけではない。「族長の秋」「迷路の将軍」の主人公にはカストロが反映されていると受け止められているが(実際、世界的ベストセラー「族長の秋」は長らくキューバでは出版されなかった)、権力者であってカストロではないというのが真相のようだ。しかし、大国と南米の大陸に浮かぶ島で起こった革命が、若者たちに唯一信じられる現象だったというガボの主張を考えれば、権力好きだけでは説明できないカストロへの忠誠と友情もうなずける。

文学大好きカストロは「ラテンアメリカでは作家はフィクションをさほど必要としない。現実が虚構をはるかに凌いでいるからだ。(中略)ガボは私に、来世はガボのような作家になりたいと思わせた」とコロンビア人作家を讃えると、ガボは2006年に倒れたカストロに「フィデルにとって生きる最大の刺激は危機に立ち向かう情熱であり、閃きで危機に即座に対応する」としながらも「仕事を覚えるのと同様に大切なのは休むのを学ぶこと」と休養をすすめた。このアドバイスがきいたのだろうか、カストロは大手術をのりこえて復活した。
キューバの詩人にこんな歌がある。

 もしも宝石箱から
 最高の宝石を選べと言われたら、
 私は誠実な友を選び
 愛は脇に置いておく

ガボは、もしフィデルが自分より先に死んだなら、カリブ海の真珠とも言われるキューバを二度と訪れるつもりはないそうだ。
「実際、あの島は、ひとつの友情の風景のようなものなのだ」と。

今年も「家庭面の一世紀」より

2010-08-11 23:41:57 | Nonsense
読売新聞の夏の定番シリーズなのか。今年も昨年に続き「家庭面の一世紀」が不定期で連載されている。(今年は「女性と戦争」がテーマ)
中でも7月31日に掲載されている「”軍神の母”求める声高く」は女性として母としても悲しい・・・。

そもそも”軍神”とは何のこっちゃと思ったのだが、記事によると輝かしい武功をたてた戦死者の尊称だそうだ。国のため懸命に戦って華々しい成果を出すのは勿論なのだが、”戦死”して初めて戦士は”神”になれる。当時、真珠湾攻撃で戦死した”九軍神”や”空の軍神”の加藤少将は誰もが知っている神だった。彼らのようなりっぱな働きをした軍神の生家を国民学校(小学校)の校長と少年が訪問する「軍神敬頌派遣団」が発足され、そこで学んだことを校長たちが座談会形式で語った記事が昭和17年から読売新聞家庭面で連載された。

タイトルも「軍神に学ぶ」。
連載にある大尉の話が紹介された。
「(大尉が)『お母さんもし私が死んでもお母さんは泣きはしないでしょうね』と尋ねたところ、『泣くものですか。手柄をたてて死んだのだったら涙ひとつ出しません』と言われ、大尉は涙を流して喜ばれたということであります」

職業軍人が職務を全うするところに美しさはある。また、有事に際し、死を覚悟することもあるだろう。しかし、必ず生きて帰ってくることことよりも、たとえ死しても国のために手柄をたてることの方が優先されるのがこの国である。ここでも個人主義よりも全体主義の思想、国民性が反映されていて、現代に至るまでもカイシャという全体主義につながっていると考えられる。大尉の母は軍人にとって理想の母なのかも知れないが、おおかたの母親の本音とも思えない。

この時期、新聞にはこのような母を礼賛さる記事が1面から社会面まで!掲載された。同年の4月の2面には「良き母あれば戦争は勝つ」という今では論拠のない大見出しが踊る。「日本の兵士が大君の御盾となって散ってゆけるのも、心の網膜にやさしい母のまなざしが生き生きと輝き、慈母観音のように見守っていてくれるからだ」と海軍大佐が語る。慈母観音をひきあいにだし、母を絶対的な存在に位置づけて母が国のために死になさいということで、子は安心して死んでいけるという論調が続くようになる。新聞、マスコミが総力をあげて母親の愛まで動員して戦場へ向かう決意を鼓舞するのはどこのお国でも同じかもしれないが、自分のこどもは陛下からお預かり申し上げているという信念をうえつけるのは我が国の決定的な違いである。翌年には、日本の女子教育の伝統回復の記事も掲載され、女性の高等教育と婦人参政権論者は批判された。

「軍神の母」を求めるのは男性である。この頃から女性の論者は家庭面から姿を消して、男性ばかりの意見が掲載されるようになった。男性優位の圧力に女性の意見は押さえ込まれた。日比谷公会堂で開かれた九軍神とその母をたたえる会では、集まった3000人の女性は泣いたそうだ。

昨年の「家庭面の一世紀」より100年前の婦人の貞操論

「ドイツの都市と生活文化」小塩節著

2010-08-08 14:29:18 | Book
先日、早めの夏休みをとって駆け足でドイツをめぐってきた。ドイツ語は勿論のこと、英語もできないのであれば旅行会社のツアーに頼るしかないのが情けない。5年前のドイツ旅行は、音楽と美術鑑賞に目的をしぼりドレルデンとベルリンが中心だったので、今回は観光のための旅行で、景色の風光明媚を楽しめる季節を選び、ハイデルベルク、ローテンブルク、ミュンヘン、ハンザ、ワイマール、ドレスデン、ベルリンと大型バスでドイツのアウト・バーンをひたすら走りめぐった全日程8日間の旅。世界遺産でなくてもどの街も清潔で美しく整っているのがドイツの都市の特徴である。
本旅行の目的を果たし、楽しき日々は過ぎ去り、、、しかし、つくづく感じたのが、私にはこういう一般の観光旅行は向かないということだ。もっとじっくり、城やゲーテの館や資料館で過ごしたいと願いつつ、ただただ通り過ぎただけの旅行だったような気がする。もっとドイツのことを知りたいと手にとったのが本書。(多分、あと2年は私のドイツ探索は続くはず。)

フランスやイタリアも絶対に訪問したいと少ない給料からせっせとへそくりを貯めているのだが(まだ貯め込むまではいかない)、ドイツにはまた別のある種の憧れがある。一緒に戦争を戦ったという負の歴史や、明治以来、医学や法学など兄貴分としてドイツにせっせと学んできた日本人としての歴史もあるが、旧制中学、旧制高校で涵養された多くの先輩たちからの「ドイツ」の教養の影響も受けている最後の世代かもしれない。著者の小塩節氏は信州の松本、旧制松本高校で学ぶ。高校の先輩には北杜夫や辻邦生!(←昭和23年から36年までおふたりの書簡集「若き日の友情―辻邦生・北杜夫 往復書簡」が、最近、新潮社から出版された。)がいて、トーマス・マンやリルケ、ヘッセが近くにいるような幸福な学生生活を送った。この旧制高校の存在もポイント。寮の向かいには哲学者の森有正、同級生ののちに映画監督になる熊井啓たちと一緒に山を登るうちに、とうとうドイツ精神への山登りに一生を賭けることになったという。

文庫本向けの書き下ろしということで、ドイツのみならずウィーン、モーツァルトなど、著者の筆がすすむままに、ドイツ文学者によるドイツ東西統一されたばかりの当時の新生ドイツからの都市と生活文化を記した本ではあるが、それこそあらゆる外国生活や文化を紹介する本は巷に溢れているが、それらの本とは本書は一線を画す。元アナウンサーで現在パリに住んでいらっしゃる雨宮塔子さんが雑誌に連載されている「雨宮塔子のパリの酸いも甘いもパリ風味」もなかなか素敵で私は好きなのだが、やはりそれは女子的お洒落なレベルだからこそ受けるのであって、有名人の「ブログ」に過ぎない。文化を語るには、その人に本物の文化人の厚みが必要になる。

ドイツの気候、歴史、ビジネススタイル、暮らしとドイツ人とドイツの語りを最初は軽い気持ちで流しながら、私はその文章に小塩氏の深い教養のエッセンスを感じてしばし立ち止まり、じっくりと真剣に一文一文を心に刻むようになった。
「フランケンの白の辛口がいい。ワインは人を朗らかにする。その晴朗さは、モーツァルトと詩人ゲーテの世界だ」
この平易な一言に、軽やかな語り口に、私はドイツで呑んだ白ワインを思い出し、楽しく酔えた。

そしてドイツの暮らしを知るうちに考えさせられたのが、わが日本と日本人の生活事情だ。それぞれにはそれぞれの家庭の事情があり、隣のご家庭をうらやんでも仕方がないのだが、我々日本人は本当に豊かな生活を送っているのか、ということだ。ドイツ生活にも不便なことも多くあり、ドイツ人気質にも受け入れがたい部分もある。それでも、ドイツでの暮らしは日本よりよいのではと思ってしまうのである。ドイツのケルン放送交響楽団の主席コントラバス奏者の河原泰則氏は私も大好きな演奏家だが、以前、雑誌に掲載されていた郊外にある河原邸を訪問したご友人の感想を思い出した。室内では暖炉の薪がはぜる音だけが静かに聞こえ、一面ガラスの窓の向こうには純白の雪に覆われた森がひろがり、時々鹿が遊びにやってくる。これがドイツの芸術家の暮らしか・・・と、そのご友人は感じたそうだ。芸術家ではなくても、この地では平凡な日々の中に静かで豊かな暮らしが送れそうだ。

最後の余暇について、著者は余暇は人生を豊かにする最大の課題として、職場中心の生活から、時間的にも空間的にも「個人の生活」「個人の時間」をより重視するバランスのとれた生活転換を勧めている。怠けろ、というのではなく、バランスをとることによって豊かな人間を生み出す貴重な時間をつくることである。
20年近くの前の提案だが、これこそまさに、近年言われている「ワーク・ライフ・バランス」ではないか。職場でも「ワーク・ライフ・バランス」を求められているが、そもそも現状の体制では無理!日本のように多くの機能が東京に集中し、通勤時間が1時間超当たり前、少ない休暇、余暇の環境が貧弱、とそうそう簡単に過剰なワークからライフへの転換はできない理由もあるが、太平洋戦争がはじまる前、日本で初めて「生活文化」という言葉を積極的に使った哲学者の三木清も、非国民として獄中死しているお国柄である。それが日本なのである。
「明朗で、健康で、また能率的な生活は美しい」
と三木清は記しているが、何故ドイツ人ではできて、日本人はできないのか、という著者の問いは、自らの日々の生活の事業仕分けの必要を痛感する。
近頃、厚生労働省雇用均等・児童家庭局から政府主導の「イクメンプロジェクト」なるものが発足し、男性の育児参加も強く望まれているのだが、はたして現実的に男性が育児休暇を取れるのだろうか。私だったら、なかなかコワクテとれないと思う。私がドイツに憧れる理由、それは深い精神性に基づいた真に豊かな人生をおくりたいという願望からだということにも気づかされたのも本書による。

「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」(下巻)ブリギッテ・ハーマン著

2010-08-04 22:50:31 | Book
 ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの孫で、ワーグナー歌劇上演で有名なバイロイト音楽祭の総監督を長年務めたウォルフガング・ワーグナー氏が21日、バイロイト市内で死去した。90歳。音楽祭の運営財団が発表した。死因は不明。 1919年バイロイト生まれ。第2次大戦後の51年7月、ヒトラーへの協力責任を連合軍から問われた母に代わり、同音楽祭を兄とともに再開。66年に兄が死去してからは1人で08年8月末まで総監督を務めた。 ヒトラーは熱烈なファンだったワーグナーの一家に出入りし、ウォルフガング氏をかわいがっていた 。

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今年も7月25日からドイツ、バイロイト市にあるバイロイト祝祭劇場で世界中からクラシック音楽ファンが集まるバイロイト音楽祭の幕があけた。メルケル首相やウェスターウェレ副首相をはじめとしたドイツ与党の幹部も鑑賞した初日の「ローエングリン」は、終演後にブーイングの嵐が巻き起こり、著名な演出家を含めてそのできばえには賛否両論がぶつかりあう”猛暑”にゆれる南ドイツのようだ。

1951年のことだった。バイロイト音楽祭で指揮をする予定のフルトヴェングラーは、リハーサル中に彼が「男K」と呼んでいた若きライバル、ヘルベルト・フォン・カラヤンが客席にいるのを見つけると怒りを爆発させた。カラヤンは何も言わず劇場を去っていった。そしてこの年の7月30日、指揮者はクナッパーツブッシュ、そしてワーグナーの直系の孫、長男ジークフリートと妻のヴィニフレートの間に生まれた長男のヴィーラント演出の《パルジファル》はセンセーションを巻き起こし新しい時代がはじまった。祖父伝来の伝統を振り払い革新的に時代精神を具現化した彼の演出の成功は、当初こそ賛否両論の反応が凄まじかったが、やがてワーグナーの子孫に素晴らしい名声を与えることとなった。実際のヴィーラントがヒトラーと親交があり、総統という後ろ盾を戦中おおいに利用したことや、偏狭で尊大、自己中心的な人物だったことは、彼の演出がオットー・クレンペラーとユルゲン・フェーリング率いる20年代のクロル・オペラの演出コンセプトを徹底化していたものだったことと同様に都合よく消えていった。その後を引き継ぎ主催者となったのが、本書の執筆を依頼した次男のウォルフガング・ワーグナーだった。

本来はハプスブルク王朝に関する著書で評価されている歴史研究者の著者が、当初ヴィニフレートに全く関心がなく執筆を一旦は断ったのだが、ヒトラーをキーワードに探っていくうちに、この特異な英国人女性の物語に急速にひかれていってこのように上下700ページを超える一冊の本が誕生したわけも、読者は本書の中のヴィニフレート像にふれるうちに理解することになるだろう。世界的ベストセラーの「朗読者」の映画版『愛を読むひと』のハンナは文盲であることの哀しみが重要だったが、英国人のヴィニフレートがドイツを代表する作曲家の一族に嫁ぎ、ドイツ人に同化するために流暢なドイツ語をマスターして多くの手紙を残したからこそ、その生涯と彼女の思想をたどることができた。ヴィニフレートは健筆家であり文章も巧み、尚且つ自分の意見をはっきり述べる女性だった。

ワグナー家に嫁いでからのヴィニフレート・ワグナーは、亡くなるまでスキャンダルや噂の餌食になるセレブ族の一員。それも、ヒトラーと親交を結び、女性としては稀有な社会的な影響力をもっていた存在だったからである。夫亡き後、未亡人のヴィニフレートが戦争を通して苦労のすえバイロイト音楽祭を主催して継続した功績は大きい。それにも関わらず非ナチ化の厳しい審査を受けて引退を余儀なくされた。おばあちゃんとなった彼女はこどもたちや孫たちとは疎遠になり、関係がうまくいかなくなった。ナチの重い十字架を背負ったドイツ人の心境を考えると、老いとともに夫を美化する傾向にヒトラーも連なるようになったのも理由のひとつだ。26歳の若かったヴィニフレートが出会った時からの”ヴォルフ”との友情を誇りにし、彼がどんなに親切だったかを陶酔したように語るようになった。

その姿には、ナチ政権下の時代に果敢にも多くのユダヤ人や聖職者、共産主義者を救ってきた姿に重なる。情熱的でまっしぐら、生活力たくましく生粋のワグネリアンだった彼女の特徴を語る手紙がある。かって彼女は側近のボルマンから1/4ユダヤ人との関係を含めてあらゆるユダヤ人との関係を断つように要請された時、ヒトラーに手紙を書いたことがある。

「政権交代のたびに、シャツを取り替えるように友人を替えるような人間ではないことを十分にご存知のはずだ。また自分の個人的な付き合いに関するいかなる指図の謝絶する」と。

なんと意思が強くいさぎよい女性なのだろう。ベルリン在住の歌手、柏木博子さんの著書「私のオペラ人生」に彼女が在籍していた歌劇団のある音楽総監督のエピソードを思い出す。仕事を引退したら、誰も訪ねてくる人がいなくなったという。誰もが役を得るために後任の新しい音楽監督にとりいろうと、古いシャツはさっさと捨て去ったのだ。妻を亡くした彼は、孤独のうちに自らの命に幕をひいた。

そんな彼女だから晩年の記録映画でも孫のゴットフリートとの会話で、スキャンダラスにもこう明言している。
「ヒトラーが今日、今、ドアを開けて入ってきたら、彼に会えたら、また一緒に時間を過ごせると、いつものように心から嬉しいと思って喜ぶわ。」

亡くなる前の最後のバイロイト音楽祭に出席した彼女は、公職から離れているにも関わらず、堂々としたその姿の皇族のような気品に圧倒されたという者もいれば、老婆の俗っぽさを感じた友人もいる。バイロイトの緑の丘は、今日でも歴史的な音楽祭のイベントだけでなく、後継者をめぐる御家騒動や出演者、演出家をめぐるスキャンダルで社会的な関心を集めている。(1938~1980年まで)
「1897~1938年までの上巻」
*NHK衛星ハイビジョン「プレミアムシアター」で、8月21日午後10時50分から「ワルキューレ」が生中継されるそうだ。