千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

アバド・イン・ベルリン~首席指揮者としての最初の1年

2020-05-03 16:44:21 | Classic
1989年、「クラウディオ・アバドがカラヤンの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者に選出された」というニュースが、
当時の音楽界に大きな驚きをもって迎え入れられた、そうだ。
・・・そうなのか。カラヤン時代を知らない私は、クラディオ・アバド=ベルリン・フィルにすっかりなじんでいたのだが。
こんな時なので、4月末までベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールの一部を無料で視聴できた。
そのなかから、選んだのがドキュメンタリーの今は亡きクラウディオ・アバドの首席指揮者としての最初の1年間を追った1990年製作のドキュメンタリーだったのだが、これは本当に大正解だった。

ところで、クラディオ・アバドClaudio Abbadoとはいかなる指揮者なのか。
私の乏しい知識では、ある方に教えていただいたのだが、あのヴィクトリア・ムローヴァと恋人関係にあった方。(ビデオで録画したおふたりが共演した渋いブラームスのVn協奏曲を本当に何度も愛聴していたので、あの地味~なヴァイオリニストと指揮者の情熱的な関係には衝撃を受けたことを懐かしく思い出す。)
クラシック音楽が3度の飯よりも好き、私にとって音楽は生きていくのにかかせない大切な友でありながら、指揮者の区別は顔以外は全くできない。ただ、最近、世界の著名オーケストラのコンサートマスター51人のインタヴュー集である「世界のコンサートマスターは語る」という著書で、最後にコンマスが自分の所属するオケの首席指揮者や音楽監督を語る記述に魅了された。世界のコンマスたちは、指揮者の個性や“やり方”を分析し、彼らを信頼して自信をもって我がマエストロを紹介していた。その指揮者の多様性と才能に目をみはられた。

さて、このドキュメンタリーは、様々な指揮者の候補から、オケの団員楽員による選挙という民主的方法から10月8日に選ばれた“ダークホース”という文字が当時の新聞をにぎわしていたのがわかる。そのダークホースが車に乗って、栄光の舞台カラヤンサーカス(ツィルクス・カラヤーニ)に向かっている。何と言ってもカラヤンの前も後もベルリン・フィルの音楽監督は、名実ともにあらゆる意味で現代最高の地位であり椅子である。最初、電話を受けたとき、すでに世界トップクラスとしてその名が轟いたアバドですら、2分間電話を握りしめ声がでなかったそうだ。晴れやかな喜びのオーラに包まれたアバドの物腰、そして祖父が音楽学者だと語る姿に育ちの良さを感じた。
改めて調べたところ、1933年ミラノに生まれたクラディオ・アバドは、イタリアの名門音楽一家の出身。やはりそうか、若々しく端正で、飾らない自然体の姿に名門出身の品格に納得。

やがて車はホールに到着して、インタビューを受ける前にカラヤンが長年使用していた控室に入る。「初めてこの部屋に入る」とつぶやく彼に、付き添ったスタッフの「これからは客演指揮者にも使用してもらう」という声に、これまでのカラヤンの帝王ぶりが伝わる。窓からひろがるのは、まさに1989年11月9日に壁が崩壊されたベルリンの風景である。就任記念公演の準備がすすむ。曲はマーラーの交響曲第一番ニ長調「巨人」。難しいが、素晴らしい選曲ではないだろうか。そして、協奏曲のソリストに選ばれたのが、東ベルリン出身の10代のピアニストのジーリ・シュニッツ。しかし、彼女を紹介するのにピアニストという肩書は、まだなじまない。何故ならば、彼女自身が語るところによると、東ドイツでは演奏するチャンスがないのだそうだ。アバドのモーツァルトを弾いてほしいというリクエストに応えて、本番では純白のシャツに長い髪を後ろで三つ編みできりりと結び、しなやかでほっそりと華奢な指から清々しい珠玉の音楽がころがっていく。

「やはり自分は“君臨”するタイプの指揮者の方が好きだ」という楽団の意見もあり。それでも、東西統一の新しい時代とともに、民主主義で選んだクラディオ・アバドとベルリン・フィルの高揚感と期待と、何よりも未来へのあかるい希望を感じるドキュメントだった。
調印式でフラッシュをあびるアバドと関係者たち。ようやくアバドが契約書にサインしたのは、1990年9月1日のことだった。

監督:ボブ・アイゼンハルト, スーザン・フレムケ, ピーター・ゲルプ

マキシム・ヴェンゲーロフ with ポーランド室内管弦楽団

2014-05-26 22:11:43 | Classic
我が偏愛なるヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフがやってくる。又、今年もやってくる!
前回おそるおそる聴いた時は、肩の故障から彼は完全に復活していた。(我が偏向的なブログを検索したが、記念すべきコンサートにも関わらずきちんと更新していなかった。残念)会場全体が、彼の復活を心から喜ぶ雰囲気に包まれていたのが嬉しい。しかしながら、汗をかくようような名演奏が気のせいか、ブランクを一気に縮めるかのように疾走気味で、少々慌しく感じて素敵な余韻がなかった記憶がある。

さて、今年の5月のヴェンゲーロフ・フェスティバル。東京での会場は、おなじみのサントリーホール。あいまに葉加瀬太郎さんとのジョイント・コンサートの突然の企画にはおろろいたが、主催者側の都合でどういうわけか中止となってしまったらしい。そんな情報をネットで気がついてしまったからのこの日までの数日間。まさか、もしや、という心配でいっぱいだった。握手会の最中にA×Bのメンバー約2名がファンからノコギリで襲れちゃったという事件が発生して、今後はもう握手会が開催されないかもしれないと本気で心配する30歳後半のファン心理とそれほど変わらないかもしれない。予定どおりの時刻に、サントリーホールの会場が華やかに客を迎え入れた時は、心底ほっとした。

ところで、今日のフェスティバルは、ポーランド室内管弦楽団の指揮者もかねている。(指揮者のギャラ分を節約しているためか、それほどまでは高くないチケットのお値段を、妙に納得した)前半のモーツァルトは、まさしくモーツァルトらしく、モーツァルトだった。美しい音はかわらず、優雅で、気品もあり、それでいてちょっとしたチャーミングな遊び心を感じさせる。才能と自信と貫禄がつけば、優れたヴァイオリニストはこんな演奏ができるのか。そうではない。レーピンや五嶋みどりさんとは違う個性の音楽家だから、マキシム・ヴェンゲーロフだからこんな美しくも魅力的なモーツァルトが生まれ変わったかのような演奏ができるのだ。モーツァルトを演奏するにあたり、誰がベストかというのではなく、それがまぎれもなく彼の個性なのである。

後半は当初の予定からプログラムに変更があり、マスネの「タイースの瞑想曲」がチャイコフスキーの「メロディ」と「瞑想曲」へ。たまたま職場の女性に、最近、彼女のイメージから「タイースの瞑想曲」をお薦めしていたこともあり、少々がっかりしたのだが、このプログラムの構成はツボをついていた。彼が、旧ソ連出身だったということを思い出させるような憂愁なメロディーをバランスのよい歌心で奏で、特に「憂鬱なセレナーデ」の演奏後に、聴衆の一部の拍手をすかさず制したかと思うと、流れるように続けて「懐かしい土地の思い出」の演奏をはじめた。とても贅沢なプログラムとなった。ただひとつ、惜しいかな、ポーランド室内管弦楽団の演奏がさえなかった。マキシム・ヴェンゲーロフのテクニックも音楽性があまりにも素晴らしいため、逆に伴奏の貧弱さがめだってしまった。

余談だが、”魔弓”と伝えられる彼の右手の薬指にきらりと光る指輪。彼は一昨年、ロシア出身のヴァイオリニストのイリア・グリンゴルツのお姉さまと結婚していた。しかも、あっというまに2児のオヤジになっていたのだった!現在、イスラエルでも英国でもなくモナコ在住。ま、それは兎も角、今年で40代を迎えるのだが、円く熟すよりも益々演奏が若々しくなっていると感じてもいる。

------------------------------- 5月26日 サントリーホール ---------------------------------

Maxim Vengerov with ポーランド室内管弦楽団 ヴェンゲーロフ・フェスティバル 2014

モーツァルト:
・ヴァイオリン協奏曲第3番
・ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」

チャイコフスキー:
・憂鬱なセレナード作品26
・「懐かしい土地の思い出」~スケルツォ作品42-2
・「懐かしい土地の思い出」~メロディ作品42-3
・「懐かしい土地の思い出」~瞑想曲作品42-1
・ワルツ・スケルツォ作品34

サン=サーンス:
・ハバネラ作品83
・序奏とロンド・カプリチオーソ作品28

■アンコール
・ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

神童から脱皮した奇才バイオリニスト・神尾真由子に迫る「情熱大陸」

2014-02-02 23:03:45 | Classic
かっての「神童」からいつのまにか「奇才」という近寄りがたい敬称がついていたのが、ヴァイオリニストの神尾真由子さん。
日本人にしては個性も貫禄もまつげと同じくらい盛られていて、これまでの優等生タイプとは違う規格外の方とお見受けしていたが、スケールの大きい演奏をされる彼女には、世界的に活躍するソリストの王道を歩んで欲しいとかねがね期待しているのだが、どうやら「奇才」というレッテルだけでなく、最近、”人妻”というのも彼女には加わっていたらしい。
今夜の「情熱大陸」は、そんな新生活をスタートした神尾真由子さんが登場!

1986年生まれの神尾さんは、27歳。10歳でソリストとして演奏活動をはじめ、21歳で、「第13回チャイコフスキー国際コンクール」で優勝をさらったのは周知のとおり。着実に実績を積んでいると思っていたら、幼少の頃からのヴァイオリン漬けの生活に少々お疲れになったようで、2011年には半年間の休養をしていたそうだ。知らなかった・・・。その後、昨年の7月8日、同じチャイコフスキー・コンクールで最高位に入賞したロシア人のピアニスト、ミロスラフ・クルティシェフとサンクトペテルブルクで結婚された。

番組は、ヴァイオリニストとしての神尾さんと、人妻となった彼女の素顔を追っている。
パリでもクラシックの殿堂と伝えられるコンサート・ホール、サル・ガヴォーで夫婦での共演を控えている神尾さんと夫のミロさんは、今夜も練習に余念がない。曲目はオール・ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ」!。日本で神尾さんのこのプログラムだったら、私も絶対に聴きに行きたい。彼女は、この演奏には芸術性だけでなくエンターティメント性もだしていきたい。ソロで演奏する機会の多いミロさんは、つい自分の演奏に没頭しがちで、神尾さんは厳しくそんな夫にダメダシをしていく。そんな妻に”えっ”と不意打ちをくらったかのようなミロさんの表情が、少々お茶目に見える。おまけに、真剣そのもの「白熱教室」のよ妻の演奏に対する注言にも、まるで聞いていないかのように愛する妻の背中をなでるミロさんに、「なんでさわるの」ときつい一言の神尾さん。そう、ミロさんは神尾さんにベタぼれで、でれでれ状態である。一時も離れがたい、いつも彼女に触れていたいという印象だ。

スーパーに行っても卵のパックの中身をちゃんとチェックして買物をし、小さなアパートで、そんな夫のために料理をする。「ミロは、全く家事ができない。飲み残しの紅茶をトイレに流してしまう人なんですよ。」とまで暴露されて、少々情けない感じだ。完全に女房の尻にしかれているのか?しっかりしろ、ミロ、、、と、つい言いたくなってしまう。が、番組は、外出する時は常に手をつなぐふたりを映して、ラブラブぶりを紹介する。

さて、サンクトペテルブルクから3時間半、パリについたふたりを迎える支配人ジャン=マリー・フル二エ氏が、「ようこそマダム」ととても嬉しそうだ。1000人収容の会場は、満席。パートナーをえた神尾さんの演奏に、耳のこえた聴衆だけでなく、プロの演奏家も、ふたりでつきつめたブラームスであり、成熟してきたと好評だった。演奏家だけでなく、番組からは女性としても益々魅力的になっていると感じる。

「兎に角、結婚するしかない」というから結婚したという神尾さん。夏になったらミロが探してきたアパートに引越しする予定だ。100平方メートルで3500万円の新居は、目の前の公園の眺めが気に入ったそうだ。神尾さんは、終の棲家をサンクトペテルブルグに決めたという。

■メモリー
「神尾真由子さんがチャイコフスキー国際コンクールで優勝」

レイ・チェン ヴァイオリン リサイタル

2013-11-05 22:08:15 | Classic
11月3日、日本中が注目する中「東北楽天ゴールデンイーグルス」が優勝した。もうまー君というのは失礼かもしれないが、大活躍をした田中将大選手は実に男前だった。来年は、国内であの勇姿が見られないかと思うと残念だが、そういえば、かってのライバルだった”何かをもってらっしゃる”ハンカチ王子さまの勇姿を近頃は見かけない。彼はどこへ行ったのだろうか。

閑話休題。
何かをもっている人、私的にはそれはハンカチ王子ではなくヴァイオリニストのレイ・チェンその人である。
ほぼ一年ぶりに来日してきたその人は、リサイタルを開いただけではなく、サントリーホールではシベリウス協奏曲も演奏したそうだ。昨年は、ノーベル賞受賞式でブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いた時の山中さんとのツーショット写真が新聞などにも掲載され、今年はアルマーニのモデルも務めたりと、いろいろな意味で彼が若者らしく演奏だけでなく人としてのハバを広げていることが感じられる。しかし、今回のプログラムの内容から、レイ・チェンの演奏活動は意外と堅実で慎重であることも感じられた。

今年の演奏もモーツァルトのソナタからはじまる。伴奏は昨年同様、もはやベテランの風格の漂うジュリアン・カンタン。(これまでクエンティンという呼び方で日本語記載されていたが、正しい発音はカンタンだそうだ。)モーツァルトのソナタは、演奏するのは技術的には易しいが、音楽として演奏するのはとても難しい曲だと常々思う。しかし、ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K.305は、レイ・チェンの音楽性と個性との相性がよいはずだと私は確信している。しかし、昨年の記憶がよみがえってきたのだが、真摯にこの曲に取組むあまり、本来の伸びやかさとエレガンスさが少しものたりない。贅沢でわがままな注文かもしれないが、プロとしての経験を積んで純粋に演奏することを楽しんでいる彼らしい音を待ちたい。

さて、次のプロコフィエフのソナタは、息をつくまもない技巧的な熱演を要する難曲である。民族風でありながら、機械的なリズムが重奏となって続く。鉄のようなリリシズムの中に、美しさも求められる。この曲は、彼にとって今度の勝負パンツ(失礼!)ならぬ勝負曲ではないだろうか。卓抜したテクニックと渾身の演奏に会場もおおいにわいた。

後半のバッハになると、レイ・チェンの魅力がさらに輝きはじめた。バッハの精神性の高さを追求しつつ、エンターティメントらしさも盛りこんだ音楽にあかるくなり心から楽しめる。そして、色気とチャーミングがまぶされたお得意のサラ・サーテのハバネラ。更に、情緒たっぷりに弾いたかと思うと、後半はとんでもないハイテンポにも関わらず、破綻なく躍動感に満ちた疾走するツィゴイネルワイゼン。ピアニストのジュリアン・カンタンの演奏もさえまくっていた。

毎年毎年、鮮度のよいヴァイオリストが誕生して泡のごとくいつのまにか消えていく。音楽の世界でソリストとして第一線で活躍するのはあまりにも厳しい。1989年生まれのレイ・チェンは8歳の時すでにクイーンズランド・フィルハーモニー管弦楽団と共演、翌年長野オリンピックの開幕祝賀コンサートにも参加している。2008年メニューイン・ヴァイオリン・コンクールで優勝し、翌年はエリザベート王妃国際コンクールにて、最年少出場者で優勝した。こんな薔薇色の素晴らしい音楽暦も、彼の将来を約束しているとまではいえないのがこの業界だ。しかし、彼は何かをもっているヴァイオリニストだ。その何かが、いつしか熟して比類のない音楽に育つことを私は楽しみに待ちたい。だから、浮気はしてもずっと見守って演奏会に足を運んでくれる息の長いファンをつかむためには、アルマーニで武装した鍛えられた精悍な肉体と甘いマクスを売りにしないで欲しいとちょっと願っている。アーモンド形のきりっとしたきれいな目をしているけれど、何よりも”素敵な音楽”をもって生まれたからにはね。

余談だが、最初のモーツァルトの第一楽章が終わった時に、拍手がわいたのはちょっと気の毒だった。( 私がよく聴く往年のオイストラフのチャイコフスキー協奏曲のCDで、感動のあまりやはり第一楽章で待ちきれなかった観客の拍手の録音が入っているのとは事情が違うであろうから。)それから、舞台を去る時に、通常新人でも主役が先に歩くところを、カンタンに道を譲っていたのは、演奏とは全く関係ないが感じのよい印象が残った。

--------------------------  2013年11月5日 浜離宮ホール --------------------------------
[出演]
レイ・チェン(Vn)、ジュリアン・カンタン(Pf)
・モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K.305
・プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 作品94bis
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番ホ長調 BWV1006
・サラサーテ:ハバネラ 作品21-2、プレイラ 作品23-5、ツィゴイネルワイゼン 作品20

■アンコール
・グルック:メロディ(クライスラー編)
・ジョン・ウィリアムス:シンドラーのリスト

アンコールを弾く時に、「私の演奏は、私のお・も・て・な・し」と日本語で話して会場に笑いが広がった。彼の声はよくとおる。

■昨年の演奏会もアンコール!
・レイ・チェン 未来のマエストロシリーズ

フランク・ペーター・ツィンマーマン ヴァイオリン・リサイタル

2013-10-06 21:56:52 | Classic
世間ではアベノミクスともてはやしてはいるが、一般庶民の給与はあがらず生活は苦しくなるばかり。 カザルスホールもなくなり、 王子ホールのコンサートカレンダーもなぜか寂しいここ数年。そんななかで、頑張っている感があるのがトッパンホールかもしれない。「トッパンの弦」と“弦に最もこだわるホール”という独自路線を築きつつある新興勢力のホールである。ところが、弦にこだわる私なのだが、弦にこだわるホールになかなか足が向かないのは、地の利ならぬ地の不利?。なんたって、この「トッパンの弦」は、最寄の飯田橋駅からも後楽園駅からも歩いて10分以上かかる本当に何もない場所にあるからなのだ。

歩くのはそれほど嫌いではないが、コンサートという晴れの時間に詣でるからにはそれなりの正装感のスタイルでのぞみたい、という自分なりの決め事を守ることを考えると、要するに普段ははかないハイヒールで10分以上も場合によっては傘をさして歩くのか・・・と躊躇してしまうのである。近場にレストランもないし、タクシーなんか走っていない。働く女にとっては、仕事帰りのコンサート会場はどこにあるかも選択のポイントとなってしまう。だから、弦のトッパンは遠いのだ。

が、しかし、フランク・ペーター・ツィンマーマンがやってくる。実に久々のこんな朗報には、比較的便利な東京文化会館の大ホールよりも向かうべきはやはりトッパンの弦になる。

すがすがしい青年のようにいつもの詰襟の学生服を連想するスーツで登場したツィンマーマンを、初めてまじかで拝見したら、ドイツ人にしては意外と小柄な方だった。プログラムは最近CDをリリースしたヴァイオリンとピアノのためのソナタ全6曲という珍しい構成。CDの宣伝をかねてのコンサート行脚なのだろうか、こんな地味なプログラムでも満員の集客力に、一般的には知名度抜群でもないが知る人ぞ知る、というよりもクラシック音楽好きには充分に知られている彼の実力と人気の高さを改めて実感する。熱狂でもなく、静かに集中力高く、音の一粒一粒に耳を傾け、ツィンマーマンを迎える聴衆のあたたかさに、僭越ながら日本のクラシック音楽愛好家の成熟を感じて嬉しくもあり心がなごんだ。

さて、ツィンマーマンは1965年生まれ。ご子息がヴァイオリストとして演奏活動のスタートをきったお父さん、りっぱなおじさんでもある。それでも彼の音の美しさと清潔感は、くもらず全く変わらない。CDで聴いてきた青年時代のモーツァルトの演奏に感じられる純粋で清らかなきらめきと、N響との共演でもはや伝説ともなったベートベンのヴァイオリン協奏曲で魅了したおおらかで懐あつくチャーミングな音も健在である。そして、彼を紹介するのに最もふさわしい表現は、現代ドイツの最高峰にして正統派ヴァイオリニスト。そんな彼が奏でるバッハは、極上の至福の音楽でもあった。ピアニストのエンリコ・バーチェも、息のあったパートナーぶりを発揮して長年のおしどり夫婦のような安定感がある。

ちなみに、忘れてはいけないのが、ドイツを代表する双璧ともいえるもう一人のヴァイオリニストのアンネ・ゾフィー・ムターがいる。カラヤンお気に入りの彼女に対する、彼の次のコメントを見つけて笑ってしまった。

「カラヤンとは、個人的にお知り合いになる機会はありませんでした。幸か不幸か、私の2年前にアンネ・ゾフィー・ムターがベルリン・フィルでデビューして、彼のヴァイオリニストと言えばムターだったからです」

----------------------------- 2013年10月6日 トッパンホール -----------------------------------------------

ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン
ピアノ:エンリコ・パーチェ
J.S.バッハ: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 全6曲
第1番 ロ短調 BWV1014
第2番 イ長調 BWV1015
第3番 ホ長調 BWV1016
第4番 ハ短調 BWV1017
第5番 ヘ短調 BWV1018
第6番 ト長調 BWV1019

PMF2013

2013-08-06 22:41:37 | Classic
「継続は力なり」

先日、ご近所の市立ホールを拠点に、クラシック音楽を普及するためにコンサートを企画して演奏者や団体を招聘していたNPO法人が、実はすでに何年も前に解散していたことを知った。理由は、クラシック音楽を聴く人が年々少なくなってきたからだそうだ。最近、コンサートカレンダーを眺めていても、空白が多かったり、電話にかじりついてもチケットをゲットしたい演奏家の名前も少なくなったような気がする。失われた時代は、音楽も失っていくのか。なんとも寂しいかぎりだ。

そんななかで1990年にレナード・バーンスタインによって札幌に創設された国際教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)は、来年25回目を迎えるという。音楽、人、そして平和を愛したバーンスタインの精神を受け継ぎ、世界中からオーディションで選ばれ、第一線で活躍する演奏家による指導で一ヶ月間みっちり磨かれた若者たちで構成されたオーケストラ。それがPMFオーケストラである。四半世紀もの間、巨星のようなレニーが亡くなった後も、日本という極東の島国で若い演奏家を育てていく趣旨の音楽祭を継続してきたことには、参加する音楽家の卵たちの士気も勿論あってこそだが、関係者の方々の努力やスポンサーの存在、そして支える市民の人々の心も忘れてはならないだろう。

さて、夏枯れの音楽シーンで、このPMFはねらい目のコンサートである。指揮者はトップクラスでソリストも超一流、にも関わらず、営利目的ではなく研修成果を披露するハレ舞台というためか、チケット代金は安価である。何年か前、指揮者がシャルル・デュトワ、ピアニストはマルタ・アルゲリッジという業界セレブ元夫妻による競演という僥倖もあった。そして若々しい情熱を感じられるPMFオケによる音楽も、熟練の洗練さにはない違った魅力もある。

今年は日本人にもおなじみの準・メルクスが指揮をふり、ソリストのヴァイオリニストはワディム・レーピン。天才少年という名前どおりに17歳でエリーザベト王妃国際コンクール優勝で国家旧ソ連の期待に応え、世界的に活躍をはじめるやフランスに移住した小太りの少年は、白髪が渋く輝くスタイリッシュな風格の漂う第一線で活躍するトップクラスのヴァイオリニストに成長していたのだった。かっての少年の体重の貫禄は、本物の王道を歩む音楽家の貫禄に見事に進化していた。

ある小説でブルッフのヴァイオリン協奏曲を大好きな主人公が、友人からこの曲を”歌謡曲”と言われると告白していた。ヴァイオリンを習う者が、チャイコフスキーやメンデルスゾーン、ベートーベンの協奏曲に入る前に練習する協奏曲。あまり演奏される機会がないが、誰がなんと言おうと私も通俗的なこの曲が大好きである。レーピンは、完璧なテクニックと美しく豊かな音楽性で聴衆を魅了した。ここまであらゆる点で高いレベルで演奏されると、この曲の芸術性を再評価してもよいのではないかとまで考える。しかし、レーピンの実力の真価が発揮されたのは、そんな観客に応えるかのように演奏したアンコール曲だった。

演奏した曲はパガニーニによる「ヴェニスの謝肉祭」。パガニーニらしいめくるめくような超絶技巧!若かりし頃は、音楽性の浅さをカバーするようにやたら難曲をアンコールにもってきてテクニックを披露していた感があったレーピンだが、あいかわらず抜群の技術力を安定した土台に華やかに音楽性をひろげ、チャーミングな演奏をしてくる。全く、圧巻の演奏だった。弦でピチカートを入れたリズムの伴奏も素敵だったが、幾重にも重なった花びらの中心に王者の風格で演奏するレーピンには心底感心した。プロをめざすオケのメンバーにも印象に残る一夜になったのではないだろうか。ちなみに現在の使用楽器は、Guarneri del Gesù 1743 “Bonjour”。

そして後半は、ベルリオーズの「幻想交響曲」。多少の荒さは感じられつつも、熱気溢れる若い演奏は幻想交響曲の曲風になじんでいく。音楽にパワーをもらったというそれこそ通俗的な表現をさけたいところだが、実際、猛暑でパワーダウンした私の中に生気がよみがえってきたような気がする。これも彼らの若さの勝利かしら。。。

------------------------------ 7月30日 サントリーホール -----------------------------

準・メルクル(指揮)
ワディム・レーピン(ヴァイオリン)*
PMFアメリカ・メンバー
PMFオーケストラ

演奏曲目
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26*
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
パガニーニ
:ヴェニスの謝肉祭(ヴァイオリン・アンコール)

ホルスト/田中カレン編
:組曲『惑星』から「ジュピター」(PMF讃歌)


ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル

2013-05-14 22:00:36 | Classic
ヒラリー・ハーンはどこへ向かおうとしているのだろうか。
1979年11月生まれの彼女は、現在、33歳。まだ33歳なのか、もう33歳なのか。
少女の頃から一流のヴァイオリニストととして世界中で活躍している彼女は、気さくなアメリカの少女という素顔の雰囲気から演奏している姿には、もはや巨匠候補の風格すらただよっている。ヴァイオリンを弾いている時の堂々たる雰囲気は、よく見るとそれほど整った容姿でもないにも関わらず、男女を問わず、彼女の演奏を聴く者に美しいと感じさせる”力”がある。今夜の演奏会終了後のサイン会は、またもや長蛇の列で、早々にあきらめて帰宅せざるをえなかった。人気、実力ともにトップを走る若手ヴァイオリニスト。それが、ヒラリー・ハーンだ。

そんな彼女だから、インターネットで委嘱作品を公募すると世界中から400もの候補作品が集まったそうだ。今回は、その作品も含めてヒラリー・ハーンのための委嘱作品、つまり現代曲が並ぶ。作品自体は、ソナタ形式ではなく、近年彼女がとりくんでいるというアンコール・ピースを集めた「In 27 Pieces : The Hilary Hahn Encores」から抜粋している。率直に言って、聞いた事のない作曲家、作品。もともとがアンコールのために作曲されていることもあり、標題があることからもどの曲も比較的親しみやすく入りやすい。抜群のテクニックを誇る彼女ではあるが、一瞬一瞬、集中力高く真摯にとりくんでいるのが感じられる。世界的にクラシック音楽のマーケットが縮小しているなか、こうしたプロジェクトで、双方向に音楽の可能性を広げようと音楽界に貢献している姿には好感がもてる。やはり、ヒラリー・ハーンらしい。そして、今夜も彼女には私たちに美しいと感じさせる品格がそなわっていた。

しかし、しかし、である。。。
演奏会のチラシには、音楽ライターなる方による「有名な作曲家の作品を並べて演奏するだけで終わらないのが、ヒラリー・ハーンのクリエイティビティ」と書いてある。バッハ、モーツァルト、フォーレ、有名な作曲家である。ベートーベンの「運命」なんぞ、こどもですら名前だけは知っている。けれども、私は有名な作曲家の作品が並んでいるからといって、わざわざ演奏会に来ているわけではない。時代をこえて長く聴かれる名曲には、そして現代も残る作曲家には、人の心をとらえる高い音楽性と深遠さがある。何度同じを聴いても、別の演奏家、違う指揮者、他のオーケストラでの演奏を貪欲に聴いてみたくなる。音楽を生業とする仕事の中で、このような現代曲を演奏することはとても重要で尚且つ大切な機会だと考える。評価の定まった名曲ばかりの演奏では、クラシック音楽そのものが衰退していく。今回、生まれたばかりの曲の演奏にたちあえたことは光栄でもあり、しかも大好きなヒラリー・ハーンの名演奏である。けれども、演奏会全体を通して、私はどこか充実感がたりないものを感じた。新作の中に演奏されたバッハ、モーツァルトで、心がようやく満たされていくのがわかる。ピアニストの華やかな演奏を楽しみこそすれ、現代音楽のどの曲もなんだかイージーリスニングのようで、アンコール・ピースは、やはりアンコールで演奏されるものである。

最後に、フォーレの演奏はあまりにも独創的で、少々なじめなかったと白状しておこう。決して、保守的な私ではないのだが、なんだかあわただしく落ち着かない雰囲気で終わったしまった感がある。ところで、彼女は人気あるヴァイオリストとは言え、マスコミで大きくとりあげられた某ピアニストやヴァイオリニストとは違うので、演奏を聴きにきた会場の観客はそれなりに音楽を知っている方たちであろうに、第一楽章で拍手があったのは不思議な感じだった。ずっとソナタ形式ではなく、短く終わる曲が続いたためだろうか。

---------------- 2013年5月14日 オペラシティ --------------------

[出演]
ヒラリー・ハーン(Vn)、コリー・スマイス(Pf)
[曲目]
・アントン・ガルシア・アブリル:"First Sigh" Three Sighs より *
・デイヴィッド・ラング:"Light Moving" *
・モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 K.302
・大島ミチル:"Memories" *
・J.S.バッハ:《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ》第2番ニ短調 BWV1004から「シャコンヌ」
・リチャード・バレット:"Shade" *
・エリオット・シャープ:"Storm of the Eye" *
・フォーレ:ヴァイオリンソナタ 第1番 イ長調 op.13
・ヴァレンティン・シルヴェストロフ:"Two Pieces" *
(*=ヒラリー・ハーンのための委嘱作品)

《アンコール》
・ジェームズ・ニュートン・ハワード:133...at least
・デヴィッド・デル・トレディッチ:Farewell

■アンコール!
2006年6月8日オペラシティ
2010年6月2日チャイコフスキーVn協奏曲

東京・春・音楽祭 川崎洋介 ヴァイオリン・リサイタル 

2013-03-30 15:49:46 | Classic
春だ、桜だ、音楽祭だ、、、という知る人ぞ知る企画が「東京・春・音楽祭」。
桜の季節に上野界隈の1200本の桜の蕾がほころぶ季節から桜吹雪となっていくまで、ひとつの季節をクラシク音楽で祝福しようという、ちょっと粋な音楽のお祭りとなって5年目を迎えることになった。何しろ明治時代に西洋文化が花開いた拠点の上野は原点。実行委員長の鈴木幸一氏と小澤征爾氏の酒席での話しからはじまったそうだが、何とか定着してほしい。

この音楽祭の特徴として、通常音楽会場ではない東京都美術館、国立西洋美術館、東京国立博物館や国立科学博物館でコンサートが開かれていることだ。先日も人気ヴァイオリニストの方が、自ら芸術監督を務めて、名画を前にチェロとヴァイオリンのデュオ演奏会という美術館コンサートを企画していたが、音楽専用ホールとは違った静寂で歴史のあるホールでの演奏会も素敵だ。日程の都合も考慮して、今回選んだのは川崎洋介さんによるヴァイオリン・リサイタル。会場は最近、よく出没している国立科学博物館。

さて、川崎洋介さんのお名前を存知あげていなくて失礼だったかと思ったのだが、それもそのはず、川崎さんは10歳からジュリアード音楽院予科に入学を認められ、ドロシー・デュレイに師事して98年に卒業。米国で育った米国人だと思う。その後は米国や日本で演奏活動を行い、現在はカナダのオタワ・ナショナル・アーツ・センター管弦楽団のコンサートマスターを務めているそうだ。プロフィールでお父様がジュリアード音楽院教授の川崎雅夫さんと知り、納得。

まずはやはり、この季節にもっともふさわしい「スプリング・ソナタ」。最近、テレビのコマーシャルソングでも耳にすることもあるのだが、ベートーベン自身がこの表題を「春」と名づけたわけではないのは周知されているが、これほど春を連想しふさわしい曲もないのではないだろうか。何回聞いても若々しく生気が溢れて心があかるくなり、又、そればかりでもない春の嵐も感じさせてくれる大好きな曲だ。ベートベンの全10曲のヴァイオリン・ソナナの中でも5番となっているが、ベートーベンの浪花節的ラインを感じさせてくれる1曲である。この曲の中で最も重要で尚且つ難しいのは、私は冒頭の弾き始めであると思っている。好みはひとそれぞれあれど、最初に人の心を引き寄せればすべてがうまくいく、というわけではないだろうが、当初はバッハを最初に演奏する予定が急遽「春」とスイッチした。この曲順変更は成功したと思う。バッハは好きだけれど、集中力を要するため、身も心も完全に音楽モードに入るには二曲目ぐらいがちょうどよい。柔らかく、節度がある川崎さんの音に心地よい。

次のバッハは2番。渋い。力強く、エネルギッシュな演奏がめくるめくように流れていく。ああ、これもちょっとして春の嵐だ。。。ステージ上での演奏なのだが、演奏者の息づかいが感じられる会場の雰囲気がよい。後半は、バルトークとブラームスのこれも2番。春らしい軽やかな装いというファッション雑誌の定番とは全く違うコーディネイトで挑む川崎さんのプログラムである。一般的に、休日の昼下がりは名曲のファミリー向けで初心者でもなじみのある聴きやすい曲を選びがちだが、しかも、祭りだし、川崎さんのプログラムはしっかり本格派。

聴き応えたっぷり、草食系ではなく肉食系の内容になかなかやるものだと、充実した音楽に神経も少々疲れはじめたところ、川崎さんがアンコールに弾いてくださった曲がオリヴィエ・メシアン!しかも「世の終わりのための四重奏曲」より第8楽章(終楽章)「イエスの不滅性への賛美」だとは。ところが、この曲は素晴らしく、川崎さんの演奏よくこの曲を研究されていると感じた。ちなみに、作曲家のメシアンは第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜になった時にこの曲を作曲したそうだ。そして、ゲルリッツにあった極寒の収容所で数千人の捕虜の前で初演された。どうしてこの曲をアンコールに選んだのか、川崎さんに聴いてみたい気もするのだが、一歩間違えると単調になってしまうこの曲を深遠で深い祈りの音楽として演奏された川崎さんに”ぶらぼぉ”だった。

-----------------------13年3月30日 国立科学博物館 日本館講堂 -----------------

■出演
ヴァイオリン:川崎洋介
ピアノ:ヴァディム・セレブリャーニ

■曲目
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24《春》
J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ 第2番
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.100

[アンコール]
メシアン:世の終わりのための四重奏曲より第8楽章(終楽章)「イエスの不滅性への賛美」

■アンコール♪
東京・春・音楽祭 ジャスパー弦楽四重奏団

日本フィルハーモニー交響楽団第647回定期演奏会

2013-01-25 22:29:04 | Classic
首席指揮者アレクサンドル・ラザレフとの契約を、2011/12シーズンより更に5年延長して挑む日本フィルハーモニー交響楽団との、《ラザレフが刻むロシアの魂》。そうか、気合が入っているなと感じる。今夜は、ラフマニノフ・チクルスである。

寒さが厳しくなると無性に聴きたくなるラフマニノフ。プログラム・ノートによると、1941年に、ラフマニノフ自身は「私はロシアの作曲家です。私の生まれた土地が、私の人格と精神を、かたちづくったのです」と語っていたそうだ。日露戦争の翌年の1906年にドレスデンに移住し、ロシア革命から逃れるために1918年には今度はアメリカに移る。そんなラフマニノフの代表作、ピアノ協奏曲2番のソリストを務めるのは、2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで最年少優勝者となったハオチェン・チャンである。

すらりとした長身から流れるハオチェン・チャンの音楽は、ラザレフの振るロシア人のロシア人による音楽とは少し異質な印象がする。ハオチェンのピアニズムは、美しくロシアの大地の咲く白い花のように可憐に清々しくもあるが、はるか大地を染めるような熱情には少しものたりない。改めてプログラムを見ると、ハオチェンは1990年生まれ。平成2年生まれではないか。しかし、きれがよくロシアのおっさんの太っ腹におされ気味となりつつも、鮮烈にラフマニノフを弾ききった。なかなかいけるじゃん、と満足したのだが、アンコールで弾いた中国民謡は絶品だった。ラフマニノフがロシアの大地に育てられたとしたら、スカラシップを獲得して15歳の時からアメリカのカーチス音楽院で研鑽を積んだハオチェンも、中国という国に生まれ、育てられた、やはり中国のピアニストなのだった。この曲を選択した彼の心情を聞いてみたい気がした。

さて、後半の交響曲第3番は、まさにラザレフのパワー全開というところ。ロシア風の重さよりも、華々しくもにぎやかに、しかも色彩的に音楽がつくられていく。これまでのこの曲の印象が一変するくらいの豪快さである。契約を延長するのも納得の奮闘ぶり。それでいて、音が乱れたり大味になることもなく、日フィルの演奏も心に響いてくる。逆に、ラザレフの持ち味がわかってくると、10年後に今よりも成長したハオチェンとの共演をもう一度聴いてみたい気がしてくる。最後に振った瞬間にくるりと回転して客席に向いた時は、本当に拍手喝采!

------------------- 2013年1月25日 サントリーホール -------------------------------

曲目 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
:交響曲第3番

アンコール 中国民謡/彩雲追月

指揮 :アレクサンドル・ラザレフ
出演 :ハオチェン・チャン(ピアノ独奏)

「魔笛」@Bayerische Staatsoper

2012-11-24 23:16:26 | Classic

その昔、音楽がらみでバイエルンの話をしていたら、ウィンナーの名前しか知らなかった某女が「バイエルンってドイツの地名だったの」と驚かれたことがあった。君のパパはドイツによく出張に行っていたと聞いていたのに、憧れのバイエルン国立歌劇場の世間知ってそんなものか?
バイエルン国立歌劇場(Bayerische Staatsoper)は、遠くドイツはバイエルン州のミュンヘンにある。日本人指揮者ケント・ナガノさんが2013年まで音楽監督に就任されているように、堅牢なドイツの門は近年グローバル化しているが、その名声とドイツを代表する歌劇場であることにはゆるぎがない。

ミュンヘン中央駅München Hauptbahnhofからはトラム19番に乗って、Nationaltheaterで下車すれば目の前。ちなみに短距離券Kurzstreckeの1.2€で行けるぎりぎりの範囲内だが、ここは歩いて劇場まで行けるホテルを予約しておこうか。

つまり、、、今年はかの地でオペラ、モーツァルトの「魔笛」を鑑賞してきたのだ。日にちは11月24日。
許光俊様の「最高に贅沢なクラシック:都市と劇場の味わい方」に刺激されたわけではなく、海外で音楽を聴くのは清貧で生きようと言い聞かせている私にとって、ブランドもののバックよりも宝石よりも何よりの最高の贅沢なのだ。以下は、全く芸術から離れた私の感想記。

チケットは公演日の2ヶ月前からネットで購入できるので、事前にシュミレーションをして準備万端、時差がある日本は有利とふんでいたが、なんと現地時間の昼頃には殆ど完売で残るのは立見席とパルケット1枚のみ。学生だったらよいが、7時開演10時15分終演予定のドイツ初オペラ体験を立ち見で過ごすのは悲しい・・・すべてにおいて見通しが楽観的で、いつも最後のつめが甘い自分を反省するが、立ち直りも早い。速攻でチケット予約代行サービスのサイトからキャンセル待ちのオーダーを出す。ラッキーなことに、1週間もたたずにキャンセルでパルケット2枚がとれたと連絡をいただいた。(サイトのMさんには大変お世話になりました)

バイエルン歌劇場はウィーンのようなゴージャスな華やかさには欠けるが、合理的で清潔なたたずまい。座椅子の真紅の色は軽めで伝統の中にもあかるさと意外にも気安さを感じられる。それも、オペラにしてチケット代がバイエルン州とミュンヘンの補助金で運営されているためか、最も高くても135€と日本に比べれば身近な価格設定ということもあるかもしれない。

開演前にはお決まりのシャンパンとおしゃれで美味しい前菜でご機嫌。古いエルメスのバッグをもった定年引退後とおぼしきご夫婦から相席しても良いかと尋ねられたが、無論、大歓迎。観客は彼らのようにカップル単位が基本で男性は殆どの方がダークスーツにネクタイを着用されていて、女性も地味目とは言えオペラ鑑賞にふさわしい服装だった。当日は、家族連れのこどもの姿が多く、女の子はドレスやワンピース、男の子もジャケットを着用しているのが微笑ましい。成人すると人それぞれなのだが、ドイツの小さなこどもたちは兎に角みなとても可愛らしく、美少年コレクションをしてみたいくらいだった。感心するのは、演奏中、どのこどもたちもお行儀よく鑑賞していることだった。「魔笛」の魅力のひとつは、ちょっぴりとりようによってはセクシーな下世話な部分があるところなのだが、こども時代のオペラ鑑賞は情操教育にもよいと考える私はうらやましいところがあるのだが、もともとの語源が母国語のドイツ語で歌われることを考えると、そもそも日本ではお子ちゃまのオペラ鑑賞のハードルは高過ぎる。

さて、指揮者は許先生が注目されているアッシャー・フィッシュ(Ascher Fisch)。見た目からもわかるようにイスラエル生まれのユダヤ人。
彼の無難な指揮に前衛というよりも伝統を継承しつつもお茶目な演出が進行し、軽めでスマートな音楽づくりが歌っていく。イケ面王子タミーノ役は、声、容姿ともに限定されるが、パパゲーノは歌手によってかなり印象がかわり、私はむしろパパゲーノを歌う歌手が「魔笛」のイメージを決めていると思う。Alex Espositoは素朴ながっしりとした農夫というよりも、今時の嫁不足に悩む農村の青年で、あかるく溌剌とした声が舞台に躍動感をもたらしている。ちょっとたよりない若者が、13人のこどものパパになるのも笑える。フルートの独奏が透明であかるく思わずひきこまれていく。観客と演奏者が一体となって「魔笛」を楽しもうという雰囲気で、”贅沢なる”時間を思う存分堪能した。チケットが即日完売されるのもしかり。6€でプログラムを販売していたが、過去の「魔笛」の資料が掲載されていて内容が充実している。

余談だが、結局26日も当日券を購入してブルックナーとシュニトケを当日券を鑑賞した。

2012.11.24
”Die Zauberflöte”  at Bayerische Staatsoper
Wolfgang Amadeus Mozart

Emanuel Schikaneder

Papageno wants Papagena - Tamino his Pamina. But the pathway to love is not a simple one! Everyone has to undergo difficult trials. They even have to decide against murder and suicide, and do without food and drink and sometimes even without speech and song. The things that help them survive danger are a flute and a set of magic bells. The most world-renowned opera in a classically beautiful production, the legacy of stage director August Everding. The snake still breathes "real" fire, the Queen of the Night is still really a "star-flaming" monarch. The stage portrait (by Jürgen Rose) is wondrous fair. The magic of this opera really works here.

指揮:Asher Fisch
演出:August Everding
出演者: Pavol Breslik, G.Zeppenfeld,H.E.Müller,E. Miklosa,,A.Esposito,I.Maria Dan

■こんな「魔笛」もアンコール!
映画『魔笛』イングマル・ベルイマン監督
映画「魔笛」ケネス・ブラナー監督
バレエ「魔笛」カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団
オペラ「魔笛」