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ノーベル賞よりも億万長者(ビリオネラ)

2010-05-20 22:31:57 | Nonsense
You can not get wealthy by salary.

今や売れっ子の分子生物学者の福岡伸一氏が、90年代初めにハーバード大学で研究員をしていた時に、ボスのジョージ・シーリー博士からこう言われたそうだ。福岡氏のサイエンス・エッセイ「動的平衡」のプロローグはこのようにはじまる。エピローグのジョージ・シーリー博士のわずか10ページの物語は、私の心に落葉樹を渡るようなしめやかな風をもたらした。

ハーバード大学と言ったら世界で最も有名な大学であり、毎年大学ランキング1位に輝く大学である。シーリー博士の師匠は、ロックフェラー大学で細胞内タンパク質が規則正しく移動する経路とメカニズムを明らかにした研究成果により、74年ノーベル医学・生理学賞を受賞。また兄弟子にあたるギュンター・ブローベルは、その研究をさらに発展させてタンパク質が細胞から外部へ分泌される機構について研究を進めて、分泌されるタンパク質にはシグナル配列という特殊な構造をもっていて、それが荷札として識別されて細胞内にとどまるタンパク質と外に分泌されるタンパク質を仕分ける研究で99年にノーベル賞受賞。ふたりのノーベル賞受賞に寄与したシーリー博士の業績は、人がうらやむくらいに優れていた。事実、研究者の競争に勝ち抜いてハーバードで自分の研究室をもつようになった。

ところが米国の場合、大学と研究者の関係は貸しビルとテナント店舗の関係である。研究者は、米国の厚生省にあたるNIHに研究費を申請したりして、研究予算をぶんどってくるしかない。その中からポスドクまで含めて給与を支払い、ショバ代を大学に納めることになる。ハーバードのような超一等地の貸しビルは激戦地区。福岡氏がいたほんの数年でさえ研究者の転出、転入が繰り返されたそうだ。終わりなき研究費獲得競争に疲弊したシーリー博士は、93年、ハーバード大学医学部のポストを辞して、なんとベンチャー企業をたちあげた。当時、福岡氏とともに研究していた遺伝子データを基本特許に薬品開発につなげる化合物をほりあてるのが、起業の目標だった。とは言っても、本音は営利目的の企業の収益は、本来の研究のための基礎研究の受け皿として必要だったからだ。しかも博士によると、これまで免許とりたての博士は、ポスドクという修行時代を経て、大学に職を求めていたが、最近のポスドクは大学の二倍の報酬にひかれて、またストックオプションをえるためにもベンチャー企業に流れているそうだ。
彼らのスローガンは
「ノーベル賞よりも億万長者」

2000年6月、福岡氏は米国中の知性と富が集まる米国西海岸の小さな町ラ・ホイア(スペイン語で「宝石」を意味する)にあるシーリー氏のベンチャー企業を訪問してインタビューをした。ソーク生物研究所など超一流の研究教育機関が集まるラ・ホイア。青い空、太陽、潮風。そこはまた新しい技術を生み出すセンター・オブ・エクセレンスとしても機能する町だった。福岡氏も共同研究に携わり特許もとったフレックスという技術をつかって完全長遺伝子のコレクションを組織ごとにはじめて遺伝子の在庫を約500万個を保管しているアルファ・ジーン社は、順調そうにみえる。もし会社が上場されたら博士はどれくらいお金持ちになるのか、という質問に秘密だが9桁を期待しているとうちあけた。

世界初のバイオ企業ジェネンテック社が設立されたのは今から30年ほど前。同社の株が公開されるやいなや、研究者たちは一夜にして億万長者となった。福岡氏も共同開発者のひとりとしてアルファ・ジーン社の初期株式25万株ほど分けていただいていたそうだ。しかし、星の数ほど勃興したバイオ関連企業で実際に成功したのは数万社のうちほんの5社にも満たない。しばらく健闘していた同社も、ほどなく投資家からの支援が途絶えて流れ星となって燃え尽きていった。勿論、福岡氏の株式もただの紙くずとなった。生命現象を扱う研究が、そもそも商売として成り立つのか。基礎研究のための熾烈な研究費獲得の戦いに何の意味があるのか。

インタビューしたその日、福岡氏はシーリー博士のオフィスの棚に人目にふれないようヴァリアムの小瓶がおかれていることに気がついた。ヴァリアムは精神安定剤である。
現在、全く別の人生を歩くシーリー博士が、アルファ・ジ-ン社の興亡を語るまでには傷が癒されていないそうだ。


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