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「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」熊谷徹著

2013-04-02 22:41:04 | Book
威風堂々たる ベルリンのブランデンブルク門は、観光名所として華やかなにぎわいにある。
その門からわずか南に5分ほどの所に、一等地にナチスに殺された600万人ものユダヤ人を追悼するモニュメントが静かに立ち並ぶ。2005年に完成した石版の群像は6年の歳月と2700万ユーロの大金を投じている。設計を担当したのは、米国のユダヤ人建築家である。3年前に立ち寄った地下にある情報センターでは、誰もが沈黙の中で熱心に展示物を見ていた。このモニュメントについて抽象的過ぎるとか、加害者の責任が追求されていないなどの批判もあるようだが、かけた歳月、投じた金額に、ドイツ政府の自国の犯した過ちを決して忘れない、被害者の心を思い起こすという姿勢を私には感じられた。

本書は、Muenchen在住のジャーナリストの熊谷徹氏による「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」というタイトルそのままの著書である。ドイツのユダヤ人に対して犯したとてつもない罪と負の遺産からすると、大きめの活字、豊富な写真に上質紙、ボリュームも少なめで表紙をノイバンシュタイン城の差し替えればガイドブックのような体裁の本なのだが、かえってよく整理されていて読みやすい。当然かもしれないが、ドイツの過去との向き合い方は徹底している。まずは、莫大な賠償金。敗戦から50年以上経った2002年までに至る賠償金の総額は604億4600万ユーロ。金による償いが不可能なのはドイツ政府だって承知しているが、現在も延々と国富や税金の一部を賠償に回していることには注目に値する。

更に、政府レベルだけではなく、ホロコーストを決して忘れず次世代に受け継ぎ考えさせ、討論をする場としての教育現場での取組みや、10万人以上の容疑者を捜査した犯罪追求センターにみられる司法の場、VW社やシーメンス社のように過去の様々な暗部を公表することによって「過去」と決別する取り組みなど、360度全方位による「過去」=ナチス政権時代の恐ろしい行いや事実と向き合う。

一方、ドイツでは集団の罪という考え方を否定し、あくまでも市民ひとりひとりの行動基準をターゲットに「個人の罪」を重視するところに、日本の国民性とは異なるドイツの戦争責任観があらわれている。ドイツ的な精神がナチスを生んだのではない。ナチスという犯罪集団がドイツの国民性を悪用したという論理で、新生西ドイツはナチスを誕生させた国とは決別していることになった。徹底的に過去と向き合う姿勢がありながら、ネオナチや極右勢力による外国人や移民への暴力事件も増加している。これには、旧東ドイツ時代では共産主義がナチスと戦ったことが強調されたりと、ホロコーストなどの犯罪を西ドイツほど多くの立場から批判的に取組む姿勢がなかったことにも原因を求められる。又、恒常的にドイツの悪をつきつけられることに対し、むしろドイツの恥部が今日的な目的のための道具として利用されているとはっきい批判する文壇の重鎮もいて、一部のインテリ層の共感も招いている。ライヒ・ラニツキ氏はどのように感じたのだろうか。

ところで、ベルリンにある資料館には、12歳で殺されたユディトというユダヤ人の少女の父親に宛てた手紙が展示されている。

「死ぬ前にお父さんに別れを告げるためにこの手紙を書きます。私はもっと生きたいですが、もうだめです。私たち子どもは、生きたまま溝に投げ込まれて殺されるので、とてもこわい。お父さん、さようなら」

連邦財務局は、ナチス犯罪に関する賠償金の支払いは、被害者が生きている限り続けるとしている。繰り返しになるが、被害者や親族が味わった恐怖や悲しみは、決して金では償えるものではない。しかし、ドイツ人はこうした被害者の声に耳を傾けることを最も重要だと考えている。ひとりの少女の短い手紙は、戦争を知らない日本人の私ですら、何度読んでも心がはりさけそうだ。遠い日本に住みながら、本書を通じて感じるのは、歴史的な悲劇とそれに対するドイツ人の償い方に、人としての自分の良心に耳を傾けることにもなることだ。

■アーカイヴ
「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース著
「荒れ野の40年」ヴァイツゼッカー大統領終戦40周年記念演説
映画『二十四時間の情事』
映画『白バラの祈り』
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
映画『愛を読むひと』
「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」
映画『MY FATHER』