千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『カティンの森』

2010-07-25 16:22:18 | Movie
1939年9月17日、ポーランド東部にあるブク川の橋は、避難民であふれかえっていた。緊張感が高まる映像ではじまる『カティンの森』は、やがて監督の母をモデルにしたアンナが、向かう先の東から逃げてくる大将夫人ルジャとごったがえす橋の上で出会うことになる。クラクフからやってきたアンナは、夫のアンジェイ大尉を探しにここまでやってきたのだが、ルジャは彼女にソ連の侵攻がはじまっていることから東部は危険な状態であることを知らせる。ナチス・ドイツから逃れる西から避難して東に向かう人々、そしてソ連軍から逃れるために東からやってきた人々が交錯する場面は、大国にはさまれて何度も分割されたり消滅したり、侵略されたりと悲劇をたどるポーランドの国を象徴している。

戦争を生き抜いた我家の爺さんは、カティンの森事件はナチス・ドイツの犯行だと今だに思っているようだ。家族を虐殺されただけでなく、支配する旧ソ連によって事実をまげられたばかりか、逆にプロバガンダに利用されていたこと、生きるためには嘘すら呑み込まなければいけなかったポーランドの歴史の悲劇を、アンジェイ・ワイダ監督は静かに描く。『世代』『地下水同』『灰とダイヤモンド』の抵抗三部作で情熱的に世界の知識人の良心をゆさぶった激しさのかわりに、夫や父、兄を失ったそれぞれの女性たちの内面を描いた本作は、感情の波をうちたたせるような音楽もなく、円熟の技巧を披露して見映えのよい効果的な演出をするわけでもなく、観客向けの派手なアクションもなく、静かにそれぞれの悲しみを抱えているポーランド市民を描いている。最後の最後まで夫の帰りを信じて待つアンナ、そんな母を悲しみの目で見つめる娘のニカ、大局観を捨てず誇り高く生きる大将夫人、美大に進学することを希望しながらレジスタンス活動の果てに亡くなるタデゥシュ、何とか生還してポーランド将校になるもののソ連側の嘘の公式見解と事実の挾間で自分を追い詰めていくイェジ中尉、その人々のすべてにアンジェイ・ワイダ監督が在り、そしてポーランドの魂が宿る。淡々とした映像の底には、受けて側の感性と考える力にゆだねた歴史的事実に基づくポーランドの深い感情がまるで真夜中の海のようにひろがっている。

ただし、『カティンの森』は単なる戦争映画ではない。ワイダ監督には、私達の戦争への憎悪の共感をひきだして、映画的成功と興行成績を残す意図は全くない。やはり昨年、NHKのETV特集で伝えられたように、「祖国を撮り続けた男が最後に表現したのは自分自身だった」。

ではいったい何故、ソ連が密かに1万数千人もの将校の命を狙ったのか。カティンの森で犠牲になったのは職業的軍人ばかりでなく、多くのエンジニア、弁護士などの将来のポーランドを担うべく知識人もその犠牲となっていった。またアンナの義父であり、夫のアンジェイの父はクラクフ大学の教授だったが、ある日、大学の講義室に全員集められて、学長を含めた教授たちもいっせいにドイツのザクセンハウゼン強制収容所に連行された。戦争が終わり、かって使用人だった女性が大佐夫人に会いにくる場面がある。毛皮の襟がついたコートを着たその老いた女性は、部屋の中でなにやら居心地が悪そうにしている。娘が残っていた彼女の私物を渡そうとすると、物資が不足しているこの時代にも関わらず、赤十字に寄附してと伝える。それもそのはず、屋敷の外には、今では市長夫人となったその女性を運転手つきの車が待っていたのだった。戦後のポーランドの知識層の空洞状態がさりげなく伝わる印象的な場面である。放心したような大佐夫人の表情が、いつまでも心に余韻を残す。

アウシュビッツ収容所でユダヤ人を大量に虐殺する方法を考えたナチスにも震撼させられるが、エンディングの1万数千人もの軍人たちを含めて大量に銃殺を実行したソ連の合理的なスキームにも驚かされる。しかし、私たちの日本は、最も合理的にたった一発の投下で大量の無差別殺人を実行された世界唯一の被爆国だということに考えが及ぶ。私は以前、再放送された1972年3月17日放送の「ドキュメンタリー 似島の怒り」で当時、中学生だった息子が行方不明となったまま26年間、毎日、息子の帰りを待っている父親のやつれた表情と落ちて薄くなった肩を忘れることができない。いつまでも帰らぬ息子を待つ老いた父と同じように最後まで夫の帰りを待っていたというアンジェイ・ワイダ監督の母を思う。

■こんなアーカイヴも
『アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男』
巨匠ワイダ監督、アカデミー賞外国語部門の本命作『Katyn』を語る
『パン・タデウシュ物語』
『似島の怒り』

『華麗なるアリバイ』

2010-07-24 17:22:27 | Movie
社会的に地位の高い精神分析医として成功してそれなりの野心も叶えば収入も伴い、貞淑でおとなしく品のある美しい妻に、賢く可愛いこどもたち。公私ともに充実しきっているのが、ピエール。スタイリッシュな成功者には、そんな彼にお似合いの愛人もいる。ピエールのような男にふさわしい愛人、もしくは恋人はどんな女性だろうか。デキル男だが実業家ではないのでイタリアのベルルスコーニ首相ほどの”囲う”財力はないから、経済的に自立している女性がよいだろう。また、愛人という社会的に認められない立場を容認できるには、個性で勝負でき自分の名前イコール仕事で社会的に認められる芸術家や女優がよいのではないだろうか。ピエールの愛人は、彫刻家のエステル。(以下、内容にふれておりまする。)

舞台は、フランスのヴェトゥイユという小さな村の上院議員夫妻の大邸宅。休日、夫妻によって主催されるパーティに集う男女は8人。作家、姪、そこへ登場したのがスペシャル・ゲストのイタリアの女優レアで彼女を含めて9人の素敵なディナー。ひとつのテーブルで食事という原始的な行為をともにする男女たちのさりげなくからめる視線、密かに見つめる視線、複雑な彼らの関係の心理そのものの視線は、一発の銃声ですべてが暴かれることになった。。。

今年で生誕120年を迎えたアガサ・クリスティは、世界中で聖書とシェイクスピアの次に読まれている作家だそうだ。原作の「ホロー壮の殺人」は、ミステリーの女王の作品にふさわしく傑作であるが、映画になるとフランス語とフランス人によるまるで火曜サスペンスになってしまうのではどうしてだろうか。舞台を日本の前総理大臣所有ほどの規模ではなくてもよいが、軽井沢の別荘にし、忍従の妻、演技よりも肉体派の女優、新進作家、今時の大学生の姪、内気な親戚の女の子とむしろ日本人向けのキャスティングとストーリー展開となる。そりゃそうさの動機をおおいに納得する真犯人、多少の苦さと悲しみが残る最後の結末まで、和テイストの映画である。

しかし、フランス語で、サルコジ大統領の妻の姉、ボンドガールの女優などを配し、おしゃれなセンスで固めるとル・シネマで上映される上質で危険なミステリーのフランス映画となる。映画の導入で、人物の登場とともにその背景と男女関係をさりげなく説明する流れは見事だが、心理描写が今ひとつわかりにくかったのは私だけだろうか。本作の主軸はは愛人でも妻でもなく愛情にまつわる人間心理である。「ホロー壮の殺人」は、犯人探しよりも人間の心理や愛情の駆け引きこそがミステリーだったような記憶がある。この心理をシャンソンのような軽快なテンポ感ではなく、じっくりと描いてもらった方が私には好みだったのだが、おそらくその手のタイプはおしゃれではないので興行的には成功しないのだろう。
ラストは、ヒッチコックのある映画のオマージュとなっている。猛暑に涼みがてらの娯楽映画として観るにはちょうどよい。

監督:パスカル・ボニゼール
2007年フランス映画
■こんなオマージュも
誰がどこに出演していたか記憶をたどるのも楽しい本作の出演者たちの過去リスト
『ぼくを葬る』
『ふたりの5つの分かれ路』
『隠された記憶』
『オーケストラ!』

「私のオペラ人生」柏木博子著

2010-07-20 22:09:00 | Book
表紙で歌っているこの魅力的な女性が、本書の執筆者の柏木博子さん。
職業は、オペラ歌手、いや正確に伝えればオペラ歌手を引退されて現在はリサイタル中心にご活躍されている歌手である。表紙のタイトルロールの写真だけで、彼女の声域がわかったらあなたは相当のオペラ通。
柏木さんは日本女子大学を卒業と同時に東京藝術大学声楽家に入学。1969年に大学院修了後、医師であるご主人に伴って渡独。音楽の本場、ドイツでも声楽の先生に師事をしてレッスンをはじめたところラインオペラ座のストゥーディオのオーデションをすすめられた。「何が何でも舞台にたちたい」はたまた「どうしてもオペラ歌手」になりたいとまでは、思ってもいなかった元お嬢様の運命の扉がここで開かれたのだった。自分の意志とは殆ど関係なくあれよあれよという間にチャンスという金の玉が転がり込んできた。

その後、20年間、柏木さんは日本人というハンディをものともせずにドイツのオペラ界で活躍するのだが、ここ、ドイツオペラ界はオペラ歌手の心にも肉体にもそんなに優しいところではないようだ。契約を結んだエージェンシーからの突然の北ドイツ地方への客演依頼に、当時3歳の可愛い娘と3週間も離れることで返事を躊躇する彼女に「あなたのプライヴァシーなんぞなんの興味もない」との怒りがふってきた。主役をはるようになっても、お決まりの人種差別、セクハラ、ライバルとの熾烈な競争と奥ゆかしい日本人女性の美徳は一旦封印して、はっきりもの申し、主役候補に名乗りをあげ、セクハラ親父とは断固闘う姿勢をださねば生き残れない。「お先にどうぞ」ではなく「お先に失礼!」とばかりに前進。
専属とはいえ、契約は毎年更新。消えていく歌手も多い中、20年間も第一線でご活躍をされたのも、常にレッスンを怠らない日々のたゆまぬ努力ばかりでもなかったというわけだ。

そして、何よりも甘えることは絶対に許さなかったかわりに全面的に支援してくれたオペラ大好きな夫君の存在、そして大事な一人娘を安心して日夜預けられることができたご家庭なくして彼女のオペラ歌手という肩書きはありえなかっただろう、というのがどこの国での生活でも重要なポイントであり、性的な役割から逃れられない女性のお仕事の秘訣。

ご友人からは赤裸々過ぎではとご心配されたようだが、粉飾決算のようなきれいな部分だけを並べたおしとやかな自伝よりもずっとおもしろい。ドイツでは「キャリアに必要なのはビタミンB」とよく言われるそうだがこのBとは、Bed&Beziehung!既婚の彼女にはBedはなかったが、人とも出会い、運とツキがあったのは確か。正々堂々と自己主張し、泣き言も言わずに次々と主役を歌ってキャリアを積んだ柏木さんはその生き方も含めてちゃんと自分の人生においてもタイトルロールである。
*カバー写真は「利口な女狐の物語」で柏木博子さんはメゾ・ソプラノ歌手。

「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」(上巻)ブリギッテ・ハーマン著

2010-07-18 19:02:56 | Book
ワグネリアンでなくても、音楽好きなら一度は音符の官能の渦にまきこまれてみたいバイロイト音楽祭!音楽鑑賞ツアーもあるが高いっ、それもそのはず世界一チケット入手困難な音楽祭がバイロイト音楽祭。
その音楽祭を総監督として1930年から44年までとりしきった女性がヴィニフレート・ワーグナー、本書の主人公である。ワーグナーと言っても、彼女は生粋の英国人。作家と女優のこどもとして生まれながらわずか2歳で両親を亡くし、親戚をたらい回しにされたがベルリン在住のピアニストの老夫婦の養女となったことで人生が大きく変わる。養父のクリントヴォルトはリヒャルト・ワーグナーの親友でもあり、リストの娘でありワーグナーの二番目の妻でもあるコージマを崇拝していたため、ヴィニフレートも純血種・ワグネリアンとして育てられた。

そして17歳になるや、ワーグナー家の大事な跡取り、同性愛傾向がありおじさんになっても未婚だったジークフリートとセッティングされた”出会い”で一気に恋に落ち、めでたく18歳で結婚。妻としての彼女の存在は、夫の同性愛者というスキャンダルを封印させたばかりか、名門に生まれた一族の子孫にありがちで、趣味趣向に走り大局観に欠けて生活力も乏しい夫を日本人以上の内助の功で支え、またワーグナー家の嫁としても次々の4人のこどもを産むことで大役を果たした。やがて一族の絶対的な存在だった姑のコージマと夫が相次いで亡くなってからのヴィニフレートは、ワーグナー家の家長としても役割を担うことになる。しかも、ワーグナー家の歩調にあわせるかのように、歴史は熱狂的なワグネリアンとしても知られているヒトラーが誕生するようになる。

本書をたどるにあたり、重要なエピソードがある。新妻ヴィニフレートが、後にヒトラーが心から安らげるお気に入りの場所になるヴァーンフリート荘で迎えた初めてのクリスマス。ろうそくの光で輝く特大のクリスマス・ツリーの前でコージマを取り囲みグリム童話の「イバラの茂みの中のユダヤ人」を脚色した笑劇が披露される。金もちのユダヤ人をその下男が魔法のヴァイオリンをつかってだましたため、一度は死刑判決を受けるのだが、絞首台で再び魔法のヴァイオリンを弾いて裁判官と死刑執行人を躍らせて吊るされるのはユダヤ人だと判決をひるがえす。今となっては信じられないような人種学なる学問すらあったこの時代においてドイツ人のユダヤ人を嫌う感情が率直に表れた童話だが、この童話では音楽が死刑を判決する道具としての機能を果たし、また音楽が人々を幻惑するものとして扱われている。

貧困と失業であえぐ”ドイツの救世主”として台頭してきたアドルフ・ヒトラーが初めてヴァーンフリート壮を訪問した時、人妻でありながらまだ若き乙女そのものだったヴィニフレートは、謙虚で控えめにふるまう彼の優れた才能と知性、洗練された美しい作法に深い感銘を受けた。(18歳で結婚した彼女は、未亡人になってから年上の音楽祭の芸術監督を務めるティーティエンに本物の恋をするが、ヒトラーに対しても異性として惹かれていたと思われる。)そして何よりも、一族の事業と位置づけられたバイロイト音楽祭に、ワーグナー信奉者のヒトラーが有力な後援者となってくれることに期待した。余談だが、未亡人のヴィニフレートは、多くの男性に好かれたようだ。あのトスカニーニすら彼女に夢中になった。そんな彼女の期待にもこたえ、自分の芸術への情熱を実現させプロバガンダとしての価値を認めたワーグナー作品を祭るバイロイト音楽祭に力を入れたのもヒトラーだった。一族の経済的事情と稀代のアジテーションが得意だった総統の政治的事情は、バイロイト音楽祭を本来のワーグナー音楽の祝祭から遠く別の次元におしやってしまった。グリム兄弟の「イバラの茂みの中のユダヤ人」の寓話のように、音楽はユダヤ人を絞首台においたてようとするドイツ人の心を鼓舞する太鼓の音の役割を担うようになった。

ヒトラーを崇拝しながらも、彼女は受難にあえぐ数多くのユダヤ人を”ヒトラーの親しい友人”というつながりを利用して果敢にも救ってきた。その不思議な行動には、少女のような正しい目をもつ純粋さがありながら、悪しきことは部下のナチスたちの仕業でヒトラーは把握していないという単純な思い込みが矛盾を受け入れたようだ。彼女の残された多くの手紙からは、情熱的で聡明な資質がうかがわれる。本書はまさにワーグナー家に嫁ぎ”のれんを守る”ヴィニフレートの1897年から1980年まで短命だったダンナの分まで生き抜いた波乱万丈の人生を軸に、20世紀の激動のドイツの歴史を描いている。本書は音楽に興味のない方にもお薦めの優れた歴史書である。上巻は1897~1938年まで。
1938~1980年の下巻へ続く

■こんなアーカイヴも
「バレンボイム/サイード 音楽と社会」
音楽と和平を考える

「ラテに感謝!」マイケル・ゲイツ・ギル著

2010-07-13 22:41:49 | Book
「アメリカ人の人生に第二幕はない」
作家になる前、広告代理店に勤務していたF・スコット・フィッツジェラルドはこう言ったそうだ。なんとペシミストな感想だろう。

本書の著者、マイケルも広告代理店に勤務していた。後に米国を代表する作家となったフィッツジェラルドと違って、彼の場合は両親ともパーティ好きな著名なライターであるニューヨーカー。裕福な家庭に生まれた金色のゆりかごの中のひとり息子のマイケルは、名門イエール大学を卒業する頃には、汗水たらすシュウカツなどは無縁で一流広告代理店のJ・ウォルター・トンプソンの椅子が待っていた。持ち前の才能とカイシャ人間として猛烈に働いて彼は昇進を続ける。JWTのためなら何だってする、まるでニッポンのお父さんのように健気に忠誠を誓うのだが、25年間のご奉仕の後、63歳の時にあっけなく解雇された。しかも、解雇を通知したのは、マイケルが優秀な取締役になるように格別なとりはからいをして育ててやった30代前半の女性社長だった。
女でも「利益をあげて無駄を切り捨てる」タフさを身につけるよう教えてきた彼女から、老兵は無駄、つまり不要な人材としてあっさり今度は自分自身が椅子から追い出されたのだった。いかにもアメリカらしい話ではないか。

しかし、日本だって60歳を越えれば役員でも引退せざるをえないこともあろう。だったらこれまで稼いできた”高給鳥”の老後の蓄えなるお金はどこへいったのか?これもアメリカ人らしいのだが4人のこどもたちの学費に消え、貯金は殆どなし、おまけに還暦過ぎてほんのデキゴコロで浮気した女性が妊娠してこどもを産んだことで、熟年離婚に至り、屋敷まで元妻にとられて無一文になってしまった。転落の早さもアメリカ流。

よれよれになってたどり着いたニューヨークの片隅にあるスターバックスで、ひょんなことからありついた店員としての仕事。かっては交わることすらなかったバックグランドをもつ異なる人種のメンバーたちと一緒に帽子をかぶり、ブルックスブラザースのスーツのかわりに黒いズボンにエプロンをつけてスタバで働くことによってはじまった、人生の第二幕の本気の勝負。まだ幼い浮気相手とできちゃった5人目のこどものためにもおとうちゃんはがんばらなきゃ・・・。

よくあるアメリカ人好みの成功譚?ビシネスマン対象のわかりやすいポシティブ思考の啓発本?はたまた単純にハッピーになれる現代版泣けるお話か?
そんな懸念?を軽く払いのけられるような爽快感に満ちたよくできた実話だった。短い10章に区切られたマイケルのスタバ体験の中で、有名人のエピソードを交えた裕福だがちょっぴり寂しいこどもの頃の様々な思い出がさしこまれて、どん底に落ちた老人の現実に微妙なトーンを与えている。そして本書を通して、マイケルとともに読者も働くことの意味、働くことの価値、そして自分自身が愛せる人生とは、そんなことを考えさせられてしまう。ビジネス本としても構成がしっかりしている。広告代理店に勤務していた時代に、大物顧客を相手に様々なプレゼンテーションに成功してきた有能なビジネスマンとしての面目躍如だ。まるで映画のようなお話だと思っていたら、トム・ハンクス主演で映画化が決定されているそうだ。なんだかスタバの新種の宣伝のようなお話なのだが、映画の方も間違いなくヒットするだろう。

さて、本書ではマイケルは、Leap、Look、Listenの3つのL(←このような表現はお決まりですね)提案をしているが、私が感じた職場で大事だと思われたのが次の3つの要素。
コミュニケーション、ダイバーシティ、相手への敬意。
私はあまり珈琲を飲む習慣もないし、完全にシステム化されたスタバよりも街の喫茶店もしくはヨーロッパ調のケーキのあるカフェの方を利用する。それにトム・ハンクスがある映画でスタバで複雑な組み合わせをする注文を悩んでいる映画があったが私も同様、結果、スタバに入ることはめったにないのだが、本書ですっかりスタバというカイシャが気に入ってしまった。だから珈琲好きにとっては魅力的な会社だろう。スタバでは年に一回社内コンテストが主催されるそうだが、マイケルはそんなスタバをエンターティメント産業と言い切る。そっかっ、明日は、ちょっくらスタバをのぞいてみよう。

「バイオリニストに花束を」鶴我裕子著

2010-07-11 22:01:15 | Book
都会の片隅の冷暖房完備のオフィスで、終日、端末を目の前に期限を気にしながらあせあせっ”作業”をしていると、これって現代の「女工哀史」だよ・・・とぼやく私がいる。しかし、憧れの芸術分野のオシゴトでもオーケストラの楽士とくれば、それはまたそれで”ジョコー”なのだろうか。著者は、2007年にめでたくカイシャ(N狂)から定年で釈放されたバイオリニストの鶴我裕子さん。彼女の奏でる現代版「女工哀史」の音調は、ほろにがさが後からきいてくる軽いビールのようだ。

読売新聞の著者来店に登場された時の鶴我さんの「私たち全員分と同じようなギャラを一人でもらって、指揮者は待遇が良すぎます」と告発?されていたが、えっ!そんなに指揮者と団員のギャラに格差があるなんて知らなかった・・・というのが正直な感想。もっともN響の指揮者は世界の一流どころばかりを集めて振らせている敷居の高さでも日本一のオケ、ギャラもおなかもりっぱな西欧人の体積と鶴我さんの東洋人女性の小柄な体に比例しているのかも。しかし、小粒でもぴりりと辛いスパイスをきかせるのも鶴我さんである。戦友ともいえる同輩の楽士の面々へのいとおしさとは別に、上司である指揮者への切り口はなかなかのもの。珍獣の果てしなき要望にひたすらこたえなければならない楽士たちのあだ討ちと堂々と言ってはばからないのもこの方の持ち味。それはすなわち音楽への真剣さに繋がるのだけれど。
指揮者の皆様がた、日本人オケはみな勤勉でおとなしい扱いやすい子羊ばかりと侮ってはいけませんよ。

ところで「オーケストラのゲストたち」のコーナーに紹介されていた「チョン・キョン・ファとヒラリー・ハーン」について。
チョン・キョン・ファは、私の印象では炎の演奏とは別に、その素顔はクール・ビューティNo1のヴァイオリニスト。鶴我さんによると、以前はリハーサルの前に「ソリストはとてもナーヴァスになっているので、刺激しないでください」というお願いがあったそうだ。そんな警告?のとおりに、彼女はぴりぴりとした敵意もしくは闘争心に包まれていたそうだが、年を重ねてフレンドリーになり笑顔いっぱいで、客席のひとりひとりにまで愛情をそそいでいる様子だったそうだ。老いたチョン・キョン・ファの演奏も聴きたいものだ。(余談だが、競演した指揮者のデュトワを「もと夫」と書いてあったが、このふたりは結婚していたのか?)

一方、若手のスーパースター、ヒラリー・ハーンは線が太くのびやか、展望が大きく、曲に対するヴィジョンがはっきり伝わってくると批評している。小さなことも妥協せず、スコアや管楽器の事情をすべて理解しているような頭の良さに驚いたそうだ。これはまさしく私が感じているヒラリー・ハーンに一致している。ついでながら頭の良さを感じさせるというのは、これからのソリストにとってはセールスポイントのひとつだと思っている。

本来ものすっごくマジメな女性が、セクハラもパワハラも乗り越えて経験を積み、歳月を重ねていい感じのおばさんの域に達して鎧を脱いだ時の語り口はこんな感じになるのだろうか。しかし、脱力系のゆるい文章にきらりと光る感性がみえるところがなかなかのもの。それに読んでいるだけで、鶴我さんが酒好きだということがじわじわとわかってくる。鶴我さんと一緒に呑むお酒はさぞ楽しいだろう。そしてタイトルの花束にこめられたエピソードには、しんみりと考えさせられる。そして、わずか半世紀ほどで何もなかった時代と何でもありの日本。プラハに行った時、旧共産圏の灰色のくすんだ建築物の中の小さな小さなショーウィンドーの中で光っていた宝石の金色の美しい輝きを思いだす。東京のどんなに高価な宝石よりもあんなにきらきらとした輝きを見た事がなかった。
退団と同時に肉体の限界もやってきて、今は残念ながら本気でヴァイオリンを弾ける状態ではなさそうだが、本書のアンコールも期待したいではないか。
ビールをおかわり!!

■本書のアペリティフ
「バイオリニストは肩が凝る」