☆難しかったポーズ
指導者になるために、ヨーガの歴史や、さまざまなポーズや、それらの効果
などを勉強しなければなりませんが、もっとも大変だったのが、シルシャーナ
と呼ばれるヨーガ独得の逆立ちでした。先生は「できなくても滅多に教える
ものではないから大丈夫」と言いましたが、プロになるための必須条件だと
心に決め、毎日練習しわたしにとっては、大変難しかったシルシャーナを
完全にマスターできたのです。
それから出張専門のインストラクターになって、都内だけではなく
鎌倉など近県にも指導に行きましたが、帰ってくるのが遅くなったり
朝早く家を出たり、まだ週三回ダンス教師をしていたので、毎日大変
タイトなスケジュールで、いつも走っていました。
でも食事の支度は毎日必ずしたのは、(自分で好きで働いているの
だから主婦として、家族のためにそれだけはキチンとやろう)と言う
わたしなりのポリシーでした。家にいないことが多いため、夫や子供達
には随分淋しい思いをさせていたようでした。
☆自分で教室を開いた
わたしはヨーガの指導をしてから、間もなく自分で教室を開きたいと
思うようになったのです。その準備研修期間として、何カ所かのヨーガ教室
に入会し、その指導法を学んでいました。
しかし夫はヨーガは宗教だから嫌だと、強硬ではなかったのですが、反対
をしていたようですが、わたしはどうしても自分で教室を開きたくて、時間を
見付けては都内をいろいろ探しました。
でも、借りられる物件は、主婦のわたしに手が出るような金額ではなく
諦めかけていたとき、近所の奥さん二人が「ヨーガを教えて欲しいと」と
頼みに来たため、家で教えはじめました。
それから間もなく近所の人が、近くにできた都営住宅の集会所で、借り手
を探しているがヨーガを教えてみないかと、声をかけてくれたのです。
それがきっかけで、勤めていたヨーガ道場を止め、梅ヶ丘でヨーガ教室を
開いたのです。自分で学んだものを基本に、ヨーガの基本に忠実(瞑想、呼吸法
ポーズ)に守り、宗教臭がない明るく楽しい独自のプログラムをつくりました。
なぜならわたしがインド人の先生から学んだヨーガは、いつも緊張していて
決してリラックスできず楽しくはなかったからです。
その頃ヨーガブームの始まりでしたので、週三回レッスンを行いましたが
半年間で入会者は百人以上もありました。さすが素早いわたしも、あまりの忙し
さに、体力の限界を感じお手伝いさんを雇って食事以外の、家事はすべてやって
貰うことにしました。でも増え続ける生徒さん達を、一体どのように対応すべ
きか、他の場所を借りなければならないのではと、考え始めていました。
何故ならその場所はわたし一人で借りているわけではないので、いくらきれいに
掃除をしても、きりがないほど汚され、毎回いらいらさせられたからです。
能里子
指導者になるために、ヨーガの歴史や、さまざまなポーズや、それらの効果
などを勉強しなければなりませんが、もっとも大変だったのが、シルシャーナ
と呼ばれるヨーガ独得の逆立ちでした。先生は「できなくても滅多に教える
ものではないから大丈夫」と言いましたが、プロになるための必須条件だと
心に決め、毎日練習しわたしにとっては、大変難しかったシルシャーナを
完全にマスターできたのです。
それから出張専門のインストラクターになって、都内だけではなく
鎌倉など近県にも指導に行きましたが、帰ってくるのが遅くなったり
朝早く家を出たり、まだ週三回ダンス教師をしていたので、毎日大変
タイトなスケジュールで、いつも走っていました。
でも食事の支度は毎日必ずしたのは、(自分で好きで働いているの
だから主婦として、家族のためにそれだけはキチンとやろう)と言う
わたしなりのポリシーでした。家にいないことが多いため、夫や子供達
には随分淋しい思いをさせていたようでした。
☆自分で教室を開いた
わたしはヨーガの指導をしてから、間もなく自分で教室を開きたいと
思うようになったのです。その準備研修期間として、何カ所かのヨーガ教室
に入会し、その指導法を学んでいました。
しかし夫はヨーガは宗教だから嫌だと、強硬ではなかったのですが、反対
をしていたようですが、わたしはどうしても自分で教室を開きたくて、時間を
見付けては都内をいろいろ探しました。
でも、借りられる物件は、主婦のわたしに手が出るような金額ではなく
諦めかけていたとき、近所の奥さん二人が「ヨーガを教えて欲しいと」と
頼みに来たため、家で教えはじめました。
それから間もなく近所の人が、近くにできた都営住宅の集会所で、借り手
を探しているがヨーガを教えてみないかと、声をかけてくれたのです。
それがきっかけで、勤めていたヨーガ道場を止め、梅ヶ丘でヨーガ教室を
開いたのです。自分で学んだものを基本に、ヨーガの基本に忠実(瞑想、呼吸法
ポーズ)に守り、宗教臭がない明るく楽しい独自のプログラムをつくりました。
なぜならわたしがインド人の先生から学んだヨーガは、いつも緊張していて
決してリラックスできず楽しくはなかったからです。
その頃ヨーガブームの始まりでしたので、週三回レッスンを行いましたが
半年間で入会者は百人以上もありました。さすが素早いわたしも、あまりの忙し
さに、体力の限界を感じお手伝いさんを雇って食事以外の、家事はすべてやって
貰うことにしました。でも増え続ける生徒さん達を、一体どのように対応すべ
きか、他の場所を借りなければならないのではと、考え始めていました。
何故ならその場所はわたし一人で借りているわけではないので、いくらきれいに
掃除をしても、きりがないほど汚され、毎回いらいらさせられたからです。
能里子
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