ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ヨーガとわたしの関わり

2008年02月27日 | 健康
   ☆難しかったポーズ
指導者になるために、ヨーガの歴史や、さまざまなポーズや、それらの効果
などを勉強しなければなりませんが、もっとも大変だったのが、シルシャーナ
と呼ばれるヨーガ独得の逆立ちでした。先生は「できなくても滅多に教える
ものではないから大丈夫」と言いましたが、プロになるための必須条件だと
心に決め、毎日練習しわたしにとっては、大変難しかったシルシャーナを
完全にマスターできたのです。 
 それから出張専門のインストラクターになって、都内だけではなく
鎌倉など近県にも指導に行きましたが、帰ってくるのが遅くなったり
朝早く家を出たり、まだ週三回ダンス教師をしていたので、毎日大変
タイトなスケジュールで、いつも走っていました。
 でも食事の支度は毎日必ずしたのは、(自分で好きで働いているの
だから主婦として、家族のためにそれだけはキチンとやろう)と言う
わたしなりのポリシーでした。家にいないことが多いため、夫や子供達
には随分淋しい思いをさせていたようでした。
   ☆自分で教室を開いた
 わたしはヨーガの指導をしてから、間もなく自分で教室を開きたいと
思うようになったのです。その準備研修期間として、何カ所かのヨーガ教室
に入会し、その指導法を学んでいました。
 しかし夫はヨーガは宗教だから嫌だと、強硬ではなかったのですが、反対
をしていたようですが、わたしはどうしても自分で教室を開きたくて、時間を
見付けては都内をいろいろ探しました。
 でも、借りられる物件は、主婦のわたしに手が出るような金額ではなく
諦めかけていたとき、近所の奥さん二人が「ヨーガを教えて欲しいと」と
頼みに来たため、家で教えはじめました。
 それから間もなく近所の人が、近くにできた都営住宅の集会所で、借り手
を探しているがヨーガを教えてみないかと、声をかけてくれたのです。
 それがきっかけで、勤めていたヨーガ道場を止め、梅ヶ丘でヨーガ教室を
開いたのです。自分で学んだものを基本に、ヨーガの基本に忠実(瞑想、呼吸法
ポーズ)に守り、宗教臭がない明るく楽しい独自のプログラムをつくりました。
なぜならわたしがインド人の先生から学んだヨーガは、いつも緊張していて
決してリラックスできず楽しくはなかったからです。
 その頃ヨーガブームの始まりでしたので、週三回レッスンを行いましたが
半年間で入会者は百人以上もありました。さすが素早いわたしも、あまりの忙し
さに、体力の限界を感じお手伝いさんを雇って食事以外の、家事はすべてやって
貰うことにしました。でも増え続ける生徒さん達を、一体どのように対応すべ
きか、他の場所を借りなければならないのではと、考え始めていました。
 何故ならその場所はわたし一人で借りているわけではないので、いくらきれいに
掃除をしても、きりがないほど汚され、毎回いらいらさせられたからです。
                              能里子    

人気ブログランキングに参加しました

人気ブログランキングへ