ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ヨーガとわたしとの関わり 一

2008年02月26日 | Weblog
  ☆ 一生できる仕事を模索していた
 読者の方のご要望により、これから何度かにわたり、わたしとヨーガとの
関わりや、インドでの体験などについて書きたいと思いす。
 わたしがヨーガを始めたのは、確か35歳のときでしたが、その頃は社交
ダンスの教師をしていましたが、教えるのは好きでしたが、ダンス教師になって
から、(これは一生続けられる仕事ではない)とすぐに感じました。
 子育てをしながら、幸せには暮らしていましたが、なぜかその頃から
(わたしは商人の妻で収まる女ではない)と、心の奥からの声が絶えず
聞えていました。そして大家族からの批判的な目を受け、そのプレッシャー
に押しつぶされるようでしたが、夫には賛同され、自分の意思を貫いて
主婦だったわたしは、ダンス教師として社会にでたのです。
 でも(これはわたしが成長するためのプロセスにしか過ぎない)と、すぐに
感じたのです。そして(わたしが一生出来る仕事はないだろうか)と、絶えず
考えるようになっていました。
   ☆ ヨーガとの出会い
 それから辿り着いたのがヨーガでした。会った途端に(これを一生の仕事に
したい!)と閃いたのです。ヨーガを習ったのは、いつも肩こりに悩んでいた
夫が、テレビで見たヨーガの体験者が、いろいろな症状が良くなったことを
知り、興味を示したのがきっかけでした。
 わたしは以前からヨーガに関心があったのですが、その頃はすでにいろいろ
な習い事していたので、それを言い出しにくかったの、「渡りに船」で
夫を誘って早速ヨーガ道場に入門しました。夫は半年ほどで止めましたが
わたしは1週間に一度は休まずに通いました。
 先生はインド人でしたが、宗教的な雰囲気で哲学的な?な風貌の方で、
じっと目つめられると、レッスン中にも大変緊張を強いられる状態でしたので
多分夫はそれが嫌で止めたのでしょう。その頃はヨーガはまだ一般的ではなく
教えているところないためか、随分遠くから通ってきている人達がいました。
  ☆ヨーガインストラクターを目指して
 わたしは何故か(ヨーガはこれからきっと普及するはず)と感じ、できれば
指導者になりたいと、レッスンに通う以外にも、毎日家で特訓を続けました。
そのためか、体がどんどん柔らかくなりましたが、その頃経営者のヨーガの
先生から「これからヨーガは普及すると思うので、インストラクターになって
くれませんか」と声をかけられ、わたしは二つ返事で承諾しました。
 それから週二回、個人的に特別の指導を受けることになり、雨の日も風の日も
一日も休まず、一年半特訓を受けたわたしは、その道場でヨーガのインストラク
ターになりました。同じ頃に特訓を受けていた人がいたのですが、何故かわたし
に競争心を燃やし、何かと意地悪をするので、一緒に働くのは嫌でしたので
出張の指導を希望し、それからヨーガの指導者となりました。
                               能里子

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