各紙が菅直人前首相のインタビュー記事を掲載しているところです。
東日本大震災と原発事故にあたって、日本のトップで指揮をとった方が、どのように考えていたのか、そのことを振り返ることはとても重要と考えこちらでも見ておきます。
このインタビューからわかる菅前首相の考え方。
*事故原発から撤退しようとした東京電力をとどめた。
*本店に政府と東電の対策統合本部を設けた
*「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思った
*浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」
*九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由として、保安院だけの判断の従来のやりかたでは国民の理解を得ることができないと考えた。
*再生可能エネルギーは、産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。
*高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある。
*****東京新聞(2011/09/06)******
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011090690070913.html
【社会】
首都圏壊滅の危機感 菅前首相に聞く
2011年9月6日 07時09分
2日に退任した菅直人前首相が5日、本紙の単独インタビューに応じ、東京電力福島第一原発の事故発生当初に原子炉の状態が把握できず、水素爆発が相次ぐ中で「東京に人っ子一人いなくなるような事故に拡大するかもしれない」と、首都圏壊滅の危機感を持ったことを明らかにした。事故の体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えが変わり、7月の「脱原発依存」宣言につながった。
菅前首相は、事故四日後の三月十五日に東電本店に乗り込んだ理由を「午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた」ためと明言。「(第一と第二で)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)する」との危機感から、本店に政府と東電の対策統合本部を設けたと述べた。
その上で「撤退したら今ごろ、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれない」と説明。こうした体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思ったという。
五月六日に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」と話した。
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由は「(経産省原子力安全・)保安院は、私の知らないところで、保安院だけで再稼働を判断する従来のやり方を取ろうとした。それでは国民の理解を得られないと言った」と述べ、経産省の対応を批判した。
太陽光などの再生可能エネルギーについては「産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べた。
高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある」との見方を示した。
(東京新聞)
******毎日新聞(2011/09/06)******
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110907k0000m040117000c.html
東日本大震災:原発事故対応…菅前首相に聞く
菅直人前首相は、毎日新聞のインタビューに応じ、東日本大震災による被災地救援、東京電力福島第1原発事故への初動対応について、事故状況や現地での作業状況を巡る十分な情報共有ができなかったことを認めた。原子炉建屋で水素爆発が連続した前後、官邸と福島第1原発は東電本店を介した「伝言ゲーム」で意思の疎通が進まず、米国とも「情報の連携がうまくいかなかった」と指摘。米国の不信感につながった。情報を巡る混乱で政府、東電、米政府の間に疑念が深まり、事故対処が後手に回った。
◇現場と「伝言ゲーム」
◇米と情報の連携不調
3月12日未明、原発事故対応で、原子炉格納容器の圧力を下げるため、弁を開放するベント作業を指示しながら、実施が遅れたことについて、東電から官邸に派遣された連絡役を介して要請したが、「(現場とは)ワンクッションあり、伝言ゲームだった」と述べた。12日早朝の現地視察は直接、現場にベント実施を伝えるためだった。
最も危機感を強めたのは東電から、現場からの「撤退」情報が届いた15日未明。東京都内の東電本店に乗り込み、「(撤退すれば)日本が成り立たなくなる。外国が(事故収拾作業を)やる、と言い出しかねない。逃げても逃げ切れない。撤退はありえない」と伝えたと証言。当時、東電への不信感が極まっていたことを明かした。
17日朝の陸上自衛隊ヘリコプターによる上空からの放水についても、「(米国から)日本がどこまで(本気で)やるのか、という雰囲気が伝わってきた」とし、日米関係への危機感が背景にあったことをうかがわせた。
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毎日新聞 2011年9月6日 23時08分
東日本大震災と原発事故にあたって、日本のトップで指揮をとった方が、どのように考えていたのか、そのことを振り返ることはとても重要と考えこちらでも見ておきます。
このインタビューからわかる菅前首相の考え方。
*事故原発から撤退しようとした東京電力をとどめた。
*本店に政府と東電の対策統合本部を設けた
*「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思った
*浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」
*九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由として、保安院だけの判断の従来のやりかたでは国民の理解を得ることができないと考えた。
*再生可能エネルギーは、産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。
*高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある。
*****東京新聞(2011/09/06)******
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011090690070913.html
【社会】
首都圏壊滅の危機感 菅前首相に聞く
2011年9月6日 07時09分
2日に退任した菅直人前首相が5日、本紙の単独インタビューに応じ、東京電力福島第一原発の事故発生当初に原子炉の状態が把握できず、水素爆発が相次ぐ中で「東京に人っ子一人いなくなるような事故に拡大するかもしれない」と、首都圏壊滅の危機感を持ったことを明らかにした。事故の体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えが変わり、7月の「脱原発依存」宣言につながった。
菅前首相は、事故四日後の三月十五日に東電本店に乗り込んだ理由を「午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた」ためと明言。「(第一と第二で)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)する」との危機感から、本店に政府と東電の対策統合本部を設けたと述べた。
その上で「撤退したら今ごろ、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれない」と説明。こうした体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思ったという。
五月六日に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」と話した。
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由は「(経産省原子力安全・)保安院は、私の知らないところで、保安院だけで再稼働を判断する従来のやり方を取ろうとした。それでは国民の理解を得られないと言った」と述べ、経産省の対応を批判した。
太陽光などの再生可能エネルギーについては「産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べた。
高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある」との見方を示した。
(東京新聞)
******毎日新聞(2011/09/06)******
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110907k0000m040117000c.html
東日本大震災:原発事故対応…菅前首相に聞く
菅直人前首相は、毎日新聞のインタビューに応じ、東日本大震災による被災地救援、東京電力福島第1原発事故への初動対応について、事故状況や現地での作業状況を巡る十分な情報共有ができなかったことを認めた。原子炉建屋で水素爆発が連続した前後、官邸と福島第1原発は東電本店を介した「伝言ゲーム」で意思の疎通が進まず、米国とも「情報の連携がうまくいかなかった」と指摘。米国の不信感につながった。情報を巡る混乱で政府、東電、米政府の間に疑念が深まり、事故対処が後手に回った。
◇現場と「伝言ゲーム」
◇米と情報の連携不調
3月12日未明、原発事故対応で、原子炉格納容器の圧力を下げるため、弁を開放するベント作業を指示しながら、実施が遅れたことについて、東電から官邸に派遣された連絡役を介して要請したが、「(現場とは)ワンクッションあり、伝言ゲームだった」と述べた。12日早朝の現地視察は直接、現場にベント実施を伝えるためだった。
最も危機感を強めたのは東電から、現場からの「撤退」情報が届いた15日未明。東京都内の東電本店に乗り込み、「(撤退すれば)日本が成り立たなくなる。外国が(事故収拾作業を)やる、と言い出しかねない。逃げても逃げ切れない。撤退はありえない」と伝えたと証言。当時、東電への不信感が極まっていたことを明かした。
17日朝の陸上自衛隊ヘリコプターによる上空からの放水についても、「(米国から)日本がどこまで(本気で)やるのか、という雰囲気が伝わってきた」とし、日米関係への危機感が背景にあったことをうかがわせた。
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毎日新聞 2011年9月6日 23時08分
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