文化人類学は、深い思考を与えて下さる。
私たちの進む方向性も、見出してくれている。
朝日新聞の好きな企画のひとつ、入試問題に使われた論説の書いた著者が、入試問題を解くというシリーズ。
自由は、最も重要な価値の一つ、最も重要と言ってもいいと思っていますが、その自由よりも、尊いものがあることを気づかせて下さいました。
*********朝日新聞2021.08.12******
京大100人論文、
私が、最も悩んだテーマ。
自死の正当化に関し論じるテーマであったため、以下のように研究者とやりとりしました。
研究者からの発題:
演題名:自死を問う:生きる理由と死ぬ理由
1
私:自死の正当化を考えることができるのは、生があるからです。
よって、自死の正当化はありえません。
研究者:このコメント、最初あんまり理解できなかったのですが、
噛めば噛むほど、と言いますか
読んでいるうちに確かに…?と思いました。
でも生→死の変化って不可逆的かつ
必ず起こるものなので、自分で
そのタイミング選ぶ権利はあるのかな、とも思います。
すごく刺さりました。ありがとうございます。
私:刺して、ごめんなさい。なお、「自分でそのタイミングを選ぶ権利」もありえません。
自死されている方は、「権利行使」ではなく、自身の苦しみから逃れるためにやむを得ず、
あたかも出口を探すかのように向かわれているのだと思います。
真っ暗闇の中で、唯一光がさしている方向が、自死であるかのような。
救急・集中治療医の先生が書かれていますように(下に添付)、「死に向かわせるまでの理由」があります。
どうか、本研究により、それら理由を減らすことができるように生かして下さい。
最も重要な研究テーマの一つです。
がんばってください。
研究者:権利ではなく、それしか道がないときに自分で死ぬ、ということでしょうか?
この研究(研究というより、今の自分の中のもやもやですが)が
どういう形で死に向かわせる理由を減らすのか、見当がつきません。
自分で書いていながらなんですが、難しいテーマだな、と思っています。
ありがとうございます。
私:例えば、学び続けることは、「死に向かわせる理由を減らしてくれる」と考えます(演題No.113参照、後掲)。
本研究をされているときに、死にたいと思わなかったように。
以下、研究者との議論のようす。
***********
現場の救急・集中治療医のコメント
*********演題 No.113*****************
「社会的ケア関連 QOL 尺度 the Adult Social Care Outcomes Toolkit(ASCOT)の日本語翻訳:言語的妥当性の検討」
https://www.niph.go.jp/journal/data/67-3/201867030009.pdf
インフルエンザワクチンの予防接種について、お問い合わせを数10件かいただいています。
当院は、ワクチンを確実に確保し、親御さんも含め例年通り鋭意接種を行っていく計画です。
厚労省からは、以下のような通知が出されています。
通知の意図するところについては、中央区行政にも伺ってみます。
例えば、小児科の現場にとって、高齢者のインフルエンザワクチン予防接種を早められたとしてもなんら影響なく、10月から子ども達に同予防接種を開始できます。大人の内科の現場でも、今までも、10/1から高齢者へのインフルエンザワクチン接種を開始していたのではないでしょうか。
医学的見地からの合理的判断に基づき、ご高齢の方も、子どもも大人も、感染症を予防していきましょう。
********厚労省ホームページ 抜粋************
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou18/index_00011.html
障がいのあるかたがたの親亡き後の支援、最重要課題のひとつです。
支援ノートのひろがりや後見人のひろがりがカギを握っていると考えます。
以下、ご紹介まで。
********以下 転載*************















コロナ禍、専門家の意見にどのように接していくか、生命・健康に直結しているため、とても重要な課題になっています。
三木義一青山学院大学名誉教授が、その問題点をご指摘くださっています。
「科学的結論を政治がゆがめてはならない」、命題のうちのひとつとして持っており、三木先生のコラムを興味深く読ませていただきました。
三木先生が、ご指摘のように、専門家の意見が、たくさん出てきて取捨選択に迷うこともあります。
より安全なほうを、自らがメディア・リテラシーをつけて選ぶことが最も大事であり、また、なにがより安全かを助言し、専門家と患者さんをつなぐところに、かかりつけである現場の医師(そもそも医療者としての専門家であるが)の役割があると考えます。
専門家側で大事なことは、①公開の場で議論し、②その記録を検証可能なように残すこと。そして、③発信していくこと(図表参照)。④リスクコミュニケーションの機会を作っていくこと。
国側で大事なことは、学問の自由を保障すること(憲法23条)。
●東京新聞2020.8.6
●坂本氏のコメント
専門家→データに基づき政治家に助言
政治家→助言を受けて判断し、市民に分かりやすく説明
マスコミ→正確な発信や建設的批判ができる勉強をしてから報道
騒動を防ぐために必要なこと。
●専門家(研究者)の発信について(日経新聞2020.8.4)https://www.nikkei.com/article/DGXKZO62140160R30C20A7KE8000/
●政治と科学 朝日2020.8.10
https://www.asahi.com/articles/DA3S14581427.html
●教養主義 日経2020.8.10
●毎日社説2020.8.12 https://mainichi.jp/articles/20200812/ddm/012/070/049000c
●毎日 戦争と科学2020.8.12
医師による嘱託殺人事件。
大変残念に思います。
********岐阜新聞******************
https://www.gifu-np.co.jp/news/20200726/20200726-259443.html
【寄稿】日本ALS協会・恩田さん「余命宣告でない」
2020年07月26日 14:56
京都府で筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者の依頼を受け、医師2人が薬物を投与して殺害したとされる事件。日頃から「ALS患者も自分らしく幸せに生きられる」と発信し続けている日本ALS協会岐阜県支部長で、まんまる笑店社長の恩田聖敬(さとし)さん(42)=岐阜市=が、事件について本紙に寄稿した。死にたいと訴える女性患者に、生き生きと暮らす患者の姿を伝えられなかったことに無念さをにじませ、生きる選択肢を示さなかった医師への憤りとともに「ALSは余命宣告ではない」と強く訴えた。
◇
ついに起きてしまった-。事件について聞いた時、最初に思ったことです。同時に(2016年の)やまゆり園事件を思い出しました。「障害者は社会のお荷物。死にたいと言っているのだから死なせてやればいい」という至極短絡的な発想が、実行した医師たちにはあったに違いありません。そうでなければ、仮にも医師が頼まれたとしても自ら人を手にかけることができるわけがありません。本来は人の命を救う役割の医師が、死にたいという患者に生きる選択肢を示せなかったことは極めて遺憾です。
今回亡くなった患者さんのプロフィルを報道などで拝見するに、強い意思を持ってやりたいことをやって生きてきた印象を受けました。重度訪問介護の制度を使って24時間の介護体制を築き、会員制交流サイト(SNS)も使いこなしていたそうです。24時間の介護体制を築くのはたやすいことではありません。それを踏まえて考えると、この患者さんは交渉力とマネジメント力にたけた優秀な方と想像ができます。
優秀であるが故に自分の理想と現実のギャップに耐えられなかったのかもしれません。でももしSNSで生き生きと暮らす先輩ALS患者との出会いがあったとしたら、結末は変わっていたかもしれません。
現在、私は日本ALS協会岐阜県支部長を務めており、患者さんからメールなどでよく相談を受けます。SOSを発信さえしてもらえれば、私なりに救う手段を全力で答えます。かく言う私も何度もSOSを出して救ってもらったからです。本件の患者さんはSNSという発信手段を持っていました。SOSが誰にも届かなかったことが残念でなりません。
あえてALSになって良かったことを考えると、障害者の世界を知れたことが一番に思いつきます。私の中の世の中が2倍にも3倍にも広がりました。障害者の生きる工夫、それを支える人たちの情熱、障害者の賢さ、当たり前のありがたみなど、健常者として生きていたら一生、接点がなかった出会いや気付きがありました。その経験をより多くの人に伝えていくことで、障害者も健常者もないフラットな社会づくりの一助になりたいと本気で思っています。知ることから全てが始まると思います。
最後に誤解なきよう申し上げます。「ALSとは適切な介助者チームとテクノロジーの力を借りれば乗り越えられる病気です! 余命宣告では断じてありません!」。彼女にもこの事実を伝えたかったです...。無念です...。ご冥福をお祈りいたします。
おんだ・さとし 1978年、山県市生まれ。京都大大学院工学研究科修了。アミューズメント会社を経て2014年、サッカー・FC岐阜を運営する岐阜フットボールクラブ社長に就任。その後、ALSを発症して15年に退任。16年、まんまる笑店を設立、社長に就いた。