東京・深川の富岡八幡宮には江戸後期の測量家だった伊能忠敬の銅像があります。イノウタダタカの名前は大抵の人は一度は耳にしたことがあるでしょう。何故、今、伊能かって?約200年前の寛政12年(1800年)の今日、すなわち4月19日早朝、伊能忠敬は富岡八幡宮を参拝し、第一次測量の地蝦夷へ向けて力強い第一歩を踏み出した日であります。
時に忠敬55歳。50歳で家業を譲り郷里の千葉県から江戸に隠遁の地を移し、現在の門前仲町に住んでいた忠敬は測量の旅に出る際は必ず、八幡宮に参拝し安全を祈願してから出発したといいます。3年かかって蝦夷地及び行き帰りの東日本の測量を終えた忠敬は、幕府のバックアップを得て西日本の測量の準備に入ります。
今で言うリタイア後に天文学や測量について学ぶ忠敬の向学心と、気が遠くなりそうな距離への徒歩での挑戦にただただ驚くばかりです。1805年に60歳の時に西日本の測量を開始、1815年に全工程を完了した時、忠敬は70歳になっていました。この間、踏破した距離は40,000㌔、ほぼ地球を一周したことになるといいますから、毎日6㌔前後のペースでウォーキングをしているおじさんは脱帽です。
富岡八幡宮の銅像は地元の人たちなどの浄財で、測量開始から200年を記念して平成13年(2001年)に完成したものです。大鳥居の脇にありますので参拝の際にでもご覧になってください。忠敬は文化15年(1818年)73歳でこの世を去りましたが、忠敬らの汗の結晶、大日本沿海輿地全図は3年後に完成、驚くほどの正確さだということです。
時に忠敬55歳。50歳で家業を譲り郷里の千葉県から江戸に隠遁の地を移し、現在の門前仲町に住んでいた忠敬は測量の旅に出る際は必ず、八幡宮に参拝し安全を祈願してから出発したといいます。3年かかって蝦夷地及び行き帰りの東日本の測量を終えた忠敬は、幕府のバックアップを得て西日本の測量の準備に入ります。
今で言うリタイア後に天文学や測量について学ぶ忠敬の向学心と、気が遠くなりそうな距離への徒歩での挑戦にただただ驚くばかりです。1805年に60歳の時に西日本の測量を開始、1815年に全工程を完了した時、忠敬は70歳になっていました。この間、踏破した距離は40,000㌔、ほぼ地球を一周したことになるといいますから、毎日6㌔前後のペースでウォーキングをしているおじさんは脱帽です。
富岡八幡宮の銅像は地元の人たちなどの浄財で、測量開始から200年を記念して平成13年(2001年)に完成したものです。大鳥居の脇にありますので参拝の際にでもご覧になってください。忠敬は文化15年(1818年)73歳でこの世を去りましたが、忠敬らの汗の結晶、大日本沿海輿地全図は3年後に完成、驚くほどの正確さだということです。