自宅から少し離れたところに「子ノ神社」があります。 鳥居から急な階段を上らなければならないので、今まで社殿まで行ったことはありませんでしたが、鳥居付近を清掃している方に別の入り口を教えてもらい、かなり遠回りにはなりましたが、やっと境内に入ることができました。昔ながらの村の鎮守様で、こじんまりとした社殿があるだけです。氏子の皆さんが定期的に清掃しているとのことです。境内には、“ムクジロの大木”が植えられています。紅葉の季節にはさぞ美しいのだろうと思います。
【子の神社由緒(抜粋)】
小山村の鎮守にして、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられる。拝殿は文政元年(1818)10月建立し、後明治4年(1871)8月、明治42年(1909)5月等数回に亘り修築がなされた。
神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使いであり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われる。祭神大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして国土開発の神であると共に、縁結び・子孫繁栄・五穀豊穣の神とされている。氏子によって奉納される神田流の「おはやし」は、昭和42年3月市の無形文化財に指定されている。
【子の神社由緒(抜粋)】
小山村の鎮守にして、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられる。拝殿は文政元年(1818)10月建立し、後明治4年(1871)8月、明治42年(1909)5月等数回に亘り修築がなされた。
神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使いであり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われる。祭神大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして国土開発の神であると共に、縁結び・子孫繁栄・五穀豊穣の神とされている。氏子によって奉納される神田流の「おはやし」は、昭和42年3月市の無形文化財に指定されている。