花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

(2018)「8月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2018年08月18日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「唱歌・童謡・名歌を歌う会」の8月例会に行って来ました。今回は夏に因んだ恒例の曲(われは海の子、海、水遊び、金魚の昼寝、風りん、夏の思い出)など6曲を始め、15曲を歌いました。久しぶりに歌った「月見草の花 (山川清作詞、山本雅之作曲)」は私の大好きな曲です。一般的にはあまり知られていないように思いますが、もっと知られてよい名曲だと思います。今月の特筆すべきことは、この会としては初めて、藤山一郎さんの歌で大ヒットした「長崎の鐘」を歌ったことです。歌謡曲はあまり取り上げられないのですが、一昨年の「青い山脈」、今回の「長崎の鐘」はいずれも、会員の強い希望があり、歌唱指導の先生がこの歌ならば、と取り上げたとのことです。

「長崎の鐘」の歌は、よく知られているように、長崎医科大学(現長崎大学医学部)放射線科の医師であり、自身も被ばく(妻は被ばく死亡)した永井隆博士が寝食を忘れて、被爆者を懸命に治療した記録的自伝本「長崎の鐘」を基にしてサトウハチローが作詞し、古関裕而が作曲、藤山一郎が歌った“祈り”の曲でした。
曲調は、短調のしっとりとしたメロディーで進んでいき、重々しい気分になりますが、後半の『なぐさめ はげまし 長崎のあゝ 長崎の鐘が鳴る』の部分が長調になり、しかも高い音域で、未来へ生きる希望を感じさせるので救われる気分になります。藤山一郎さんの明るく澄んだテノールの声による格調高い歌い方がこの曲にピッタシで大ヒットした要因とも思えます。
被ばく闘病中の永井博士には、昭和23年(1948年)10月に、ヘレン・ケラーが、また、昭和24年(1949年)5月には、昭和天皇が見舞いに訪れています。

なお、「長崎の鐘」とは長崎市内の浦上天主堂にあった「アンジェラスの鐘」のことです。浦上天主堂は原爆で崩壊し、左右二つあった聖楼ドームの右側の塔に小さな鐘、左側の塔に大きな鐘がありましたが、小さい鐘は破損していましたが、大きい鐘が無傷で見つかり、永井博士は、丸太を組みこの鐘をチェーンでつり下げ、終戦から4ヶ月後のクリスマスの日に戦後初めて鐘を鳴らしました。この鐘はその後再建された天主堂につるされて鐘の音を響かせています。一方、破損していた小さい方の鐘は、現場でそのまま遺構として保存されています。


1、われは海の子(作詞・作曲者不詳。明治43年7月尋常小学読本唱歌)
2、海(作詞・作曲者不詳。大正2年5月尋常小学唱歌)
3、月見草の花(山川清作詞、山本雅之作曲)
4、水遊び(東くめ作詞、滝廉太郎作曲。明治34年7月幼稚園唱歌)
5、しゃぼん玉(野口雨情作詞、中山晋平作曲。)
6、金魚の昼寝(鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎不詳)
7、証城寺の狸囃子(野口雨情作詞、中山晋平作曲)
8、かわいい魚屋さん(加藤省吾作詞、山口保治作曲)
9、長崎の鐘(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)
10、船頭さん(武内俊子作詞、峰田明彦補作、河村光陽作曲)
11、夏の思い出(江間章子作詞、中田喜直作曲)
12、夕焼け小焼け(中村雨紅作詞、草川信作詞)
13、風りん(川路柳紅作詞、草川信作曲)
14、夕方のお母さん(サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)
15、埴生の宿 (里見義作詞、ビショップ作曲)・・(H29/11~年間の課題曲)


「長崎の鐘」「昭和24年(1949年)7月1日にコロムビアレコードより発売
作詞:サトウハチロー
作曲:古関裕而
歌 :藤山一郎
(一)
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

(二)
召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

(三)
つぶやく雨の ミサの音
たたえる風の 神の歌
耀く胸の 十字架に
ほゝえむ海の 雲の色
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

(四)
こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る




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