花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「2018年3月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」18

2018年03月29日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
          
3月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。卒業シーズン、そして春にちなんだ歌を含め、15曲を歌いました。
「出船」は常にリクエストがあると歌唱指導の方が話されました。大変好きな方がおられるようです。歌詞はなんとも寂しく切ない内容ですが、勝田香月が「出船」を作詞したのは僅か18歳(大正7年・1918年)のときです。切ない歌詞と短調のメロディが日本人の心に響き、多くの人を惹きつけるようです。大正6年には、ロシア革命が勃発し社会主義のソビエト政権が樹立され、翌大正7年には日本では、全国的な規模で米騒動が頻発、鎮圧のために軍隊が投入され、数万が検挙されました。 また、シベリア出兵も行われるなどなど、騒然とした世相となっていました。このような中、石川啄木を慕っていた18歳の香月は、北上河畔の啄木の碑を訪れた後、北海道の小樽、秋田の能代・大館・十和田湖などを訪れた際に、この歌の着想を得、大滝温泉の宿で歌詞を作ったといわれていますが、18歳という多感な年齢の香月がこのような悲しく切ない歌を作った心情は量り知れません。

「出船」は、大正11年(1922年)に作曲家の杉山長谷夫が曲を付け、昭和3年(1928年)に藤原義江の歌でレコード発売され、ヒットしました。香月は23歳(大正12年・1923年)の時に「出船」を載せた詩集「心のほころび」を出版し 
ています。 後年になって、藤山一郎や三橋美智也、倍賞千恵子などがカバー、現在でも、多くのクラシック歌手がコンサートで歌っています。まさに名曲中の名曲となっています。

香月は、昭和4年(1929年)29歳の時に東京市中野町〈現在の中野区〉の町会議員に当選(社会民衆党)、社会民主運動に身を投じますが、昭和41年(1966年)、67歳で死去しました。やはり、18歳という多感な時代に起こった米騒動やロシア革命の影響強く受けていたのだろうと思います。


1、どこかで春が (百田宗治作詞、草川信作曲)
2、早春賦 (吉丸一昌作詞、中田章作曲)
3、荒城の月 (土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)
4、砂山  (北原白秋作詞、中山晋平作曲)
5、出船 (勝田香月作詞、杉山長谷夫作曲)
6、ともしび (楽団カチューシャ訳詩、ロシア民謡)
7、この道 (北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
8、思い出 (久しき昔)(古関吉雄作詞、イングランド民謡)
9、思い出のアルバム (増子とし作詞、本多鉄麿作曲)
10、仰げば尊し (作詞・作曲者不詳)
11、霞か雲か (加部巌夫作詞、ドイツ民謡)
12、さくらさくら (日本古謡)
13、花かげ (大村主計作詞、豊田義一作曲)
⒕、花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
15、埴生の宿 (里見義作詞、ビショップ作曲)・・(H29/11~年間の課題曲)


「出船」

作詞:勝田香月
作曲:杉山長谷夫
歌 :藤原義江
(一)
今宵出船か お名残り惜しや
暗い波間に 雪が散る
船は見えねど 別れの小唄に
沖じゃ千鳥も 鳴くぞいな
(二)
今鳴る汽笛は 出船の合図
無事で着いたら 便りをくりゃれ
暗いさみしい 灯影の下で
涙ながらに 読もうもの


コメント
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