ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

プチ*ウルルン(2)

2007-03-21 | こどものこと
2月のある日、娘は成田に一泊、
翌早朝に機上の人となり、東南アジアの国に到着。

飛行機を乗り換えて 隣国である目的とする某国の首都へ。

直行便がないらしい。

首都のホテルに一泊して
翌日は陸路、Vという地方都市へ。

10日間の期間中、宿泊はずっとV町のホテル。

この地方都市は ‘パパやママより ずっと年上?’な参加団員が
「『always 三丁目の夕日』という映画に描かれた時代の
 日本の姿そのままだ」
と評したという町。

娘のケータイには 確かに 
私が物心つくころの
故郷の町の様子に近い風景が写っている。

(私の家は その町までバスに乗らなければ行けなかった。。)



到着してすぐ、バスで
学校建設現場のあるS村へ向かう。


これが、S村の風景らしい。
一番大きくて立派な建物は、もちろん、学校!

こうして毎日 
V町とS村とを 片道約1時間かけて バスで往復するのだ。

現地の家に住み込んで、ということもあったらしいが
現実には このやり方の方が長続きするに違いない。

なにしろ、気温は35度くらい。

エアコンのあるホテルに帰らないと 
軟弱な現代日本人は 翌日働けないのかもしれない。

私が心配していたトイレの問題もあるし。

人は たくましくあるためには
どこででも 何でも食べられる必要があるが
それだけではなく
どこででも 排泄できる能力が必要とされる。

以前の派遣では 
穴を掘って、板を渡して、というトイレを 作ってから使用、
ということもやったそうだ。

これでは 女性は参加しにくい。



S村の中学校の建設、
これはすでに1月に 現地の建設会社が着工しており、
おそらくは基礎工事はできあがっていたと思われる。

実際の作業は
教室の壁を セメントや軽量ブロックで作ることと
そのための資材の運搬が主。

生コンをこねるのは 電力でやることになっているのだが
実際には しょっちゅう停電するので
その間は人の手でこねていたという。

砂と セメントと 水、砂利。

実家の父は 昔 しょっちゅうやっていたのだけれど
これを均等に混ぜるのは力仕事。

現代人にはハードだと思う。

だいたい、普通は ミキサー車から
ほとんど無限に(足りなければ次のミキサー車から)
ドボドボと出てくるものだよね。

「電気がいつも停電しないで通じてるってことは、
 凄いことだったんだよ、ママ!」

ハイ、ハイ。



朝食をすませて、8時にホテルを出発。

到着後、作業開始。

全体の休憩はあるけれど 
あとは 体力の差に応じて適宜個人で休息。

お昼の休憩時には 現地の子どもたちとの交流。

ミーティングも毎日。



女性たちの仕事は 土木作業もあったが 
どちらかというと 
この子どもたち相手の手遊びとかが主流だったらしい。

子どもたち、といえば
やたらと娘になついていた女の子がいたという。

ぺったりはりついたようにいつも一緒で
可愛かったらしい。

これでサヨナラ、という日の交流では 
その子のお母さん(娘とはいくらも歳が違わない)が号泣したそうだ。



ここS村では 刺繍が盛ん。
そのお母さんもやっていたのだろうか。

この国の女性たちは そういった手工芸品を売ることで
生活を助けている。

娘も少し交流会で習ってきたといって
未完の作品をみせてもらったが
とにかく細かい!

見るだけで疲れる!(苦笑)


上の刺繍作品の一部分。
これはもちろん娘の作品ではなく、お土産。