く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<鉄工芸家・中原弘さん> 個展「河童が語る 壇ノ浦の戦い」

2012年07月31日 | ひと模様

【鉄の廃材がカッパとして蘇る。20年余で1000体以上制作】

 日本各地に伝わるカッパ伝説。多くの民話が各地に残り、熱心なカッパコレクターも多い。北九州市戸畑区在住の鉄工芸家・中原弘さん(1932年生まれ)もカッパに魅せられた一人。廃材の鉄板を使い、カッパを作り続けて20年余り。これまでに息を吹き込んだカッパは1000体以上に上る。いま戸畑区天神の「ギャラリーt.h.m」で開かれている個展「河童が語る 壇ノ浦の戦い」(8月4日まで)は2年がかりで取り組んだ力作という。

  中原さんが再現したのは、幼い安徳天皇を抱いた祖母二位尼や母、建礼門院徳子らが乗った船を、源氏が追い詰める源平合戦最後の場面。二位尼は入水の際、安徳天皇に「波の下にも極楽浄土という都があります。そこにお連れ致しします」と声をかける。中原さんはかねて、その言葉が気に入っていたこともあって、最初その場面(下の写真㊧)から作り始めたという。槍や刀を持った源氏の武将たち(同㊨)も全て手作り。そのため1体1体、表情も動きも鎧(よろい)の形なども異なる。それぞれのカッパの生き生きとした表情が印象的だが、武将が乗る船の成形には少しばかり苦労したそうだ。

 

【珍しい鉄製のカッパ、コレクター垂涎の的】

 中原さんは長年、若松区の造船所で船舶修理に携わり、造船不況で廃業になる際に「退職金代わり」に鉄板の切れ端を大量に頂いたという。その鉄板を使って溶接などの加工技術を生かし、1991年ごろからカッパ作りを始めた。陶器やガラス製のカッパの人形や置物は多いが、鉄製のカッパは珍しいため当初から注目を集めた。北九州芸術祭彫刻展で協会賞や奨励賞などを度々受賞、2006年の「ネオ・ジャポニズム・イン・タヒチ」ではタヒチ大統領賞を受賞している。

 中原さんが作る河童はいずれも黒光りして、なかなか味わい深い。成形後、錆びるまで半年ぐらい待って、その後70~80度に熱したうえで廃油のエンジンオイルを塗って黒く変色させる。知人らからは「着色したら」「型で作ったら大量に生産できる」などといった声もあるそうだが、中原さんは1体1体手作りの今のやり方にこだわっている。珍しいだけに遠方から個展会場や戸畑の作業場を訪ねてくるカッパコレクターも多いそうだ。

【戸畑提灯山笠を担ぐカッパや若松の五平太船のカッパたちも】

 

  中原さんはカッパの制作に当たって、「河童のミイラ」を祀る佐賀・伊万里の酒蔵をはじめ、カッパ伝説が残る各地を訪ね歩いた。中原さんが長く勤めた若松区にも古くからカッパ伝説がある。小説「河童」といえば芥川龍之介だが、若松出身の芥川賞作家、火野葦平(1907~60年)もこよなくカッパを愛した。カッパ収集家として知られ、「河童曼荼羅」をはじめカッパにちなむ作品も多い。葦平が晩年を過ごした若松の旧居「河伯洞(かはくどう)」の一室には中原さんのカッパ作品の数々も並ぶ。ちなみに「河伯」はカッパのこと。中原さんは地元の戸畑祇園大山笠(上の写真㊧)や小倉祇園太鼓、筑豊の石炭を運んだ若松の五平太船(同㊨)などを題材にしたカッパの作品も作っている。

 「子どもの頃、戸畑の蓮根畑で泳いでいて、池の持ち主からカッパの怖い話を聞かされたことが忘れられない」「そのカッパを一目見ようとハス池のそばで半日身を潜めていたことも」――。中原さんは懐かしそうに、また愉快そうに、カッパにまつわる思い出話を聞かせてくれた。そんな中原さんだから、バーナーやペンチなどを使ってカッパ作りを始めると、時間を忘れて没頭するそうだ。次はどんなカッパの物語を作ってくれるのだろうか。

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<北海道・富良野~美瑛> なだらかな丘を彩る花の絨毯

2012年07月30日 | 旅・想い出写真館

【ラベンダー、ポピーに干草ロール】

 

 

    

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<BOOK> 「自在力 見えない道を歩く」

2012年07月29日 | BOOK

【有馬頼底著、講談社】

 筆者は臨済宗相国寺派の第7代管長で、京都の相国寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)の住職も兼ねる。1933年、東京で競馬の「有馬記念」を創設した有馬頼寧伯爵(元農林大臣で日本中央競馬会理事長)に連なる名家に生まれたが、両親の離婚のため8歳で大分県日田市の禅寺で得度。現在は布教の傍ら、社会福祉活動や京都の景観問題などにも積極的に取り組んでいる。

    

 本書は「心を自在にする」「〝非常識な力〟を鍛える」「人生をまるごと遊ぶ」「死は一服のお茶である」の4章構成。仏教、禅宗の言葉などを挙げながら身の処し方などを分かりやすく指南する。例えば『一掃除二信心』。お経を唱える前にまず掃除せよという教えだが、その掃除とは「心にあるゴミを取り除く行為」という。『明歴々、露堂々(みょうれきれき、ろどうどう)』は何事も包み隠さず、ありのままの姿をさらけ出すこと。そうすれば、教養をひけらかす必要も金品で飾る必要もなく、本物の品格が無言の中に自然と出てくると説く。

 『鶴に冲霄(ちゅうしょう)の心あり』。揮毫を頼まれるとよくこう書くそうだ。鶴が中天を目指し高く高く飛ぶ様から、理想や志を高く持ちたいという自身の気概を表しているという。「人間、死ぬまで絶えず勉強、絶えず修行」。『無功徳』。見返りを求めず動く人には他人の助けや運などが多く返ってくる。『不殺生戒(ふせつしょうかい)』。単に生き物を殺すなという意味ではなく、相手を〝生かしなさい〟という教えが込められている。よく「地球を大事にしよう」というが、「生意気を言ってはいけない。その発想には人間の思い上がりが見える」とずばり。『山川草木悉皆成仏』の教えが今後、環境問題に取り組む大前提になるのではないかとみる。

 「いい加減」というと、ちゃらんぽらんという悪いイメージがあるが、「仕事でも人間関係でも〝いい加減〟が大事」。過労で倒れたりストレスがたまったりするのも、いい加減にやらないから。では程よい加減にするには? 「鳥のような眼を持って俯瞰して全体をとらえること」。その他にも「言葉に〝人間力〟が表れる」「休むから人は疲れる」「経済至上主義から開放されて、人は〝人〟になる」「人類が進化しているのは嘘である」「〝勝ち組〟〝負け組〟は、人間には決められない」「目標の先にこそ、本当に大事なものがある」等々、示唆に富む説話が多く盛り込まれている。

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<ハス(蓮)> 水底の泥の中から穢れなき〝極楽浄土の花〟

2012年07月28日 | 花の四季

【2000年以上前の古代の地層から蘇った「大賀ハス」、今年で開花60周年】

 今からちょうど60年前の1952年7月、世界中を驚かす1つの〝花物語〟が生まれた。前年、千葉市の「落合遺跡」という古い地層から見つかったハスの種3粒のうちの1つが出芽、ピンクの大輪の花を咲かせたのだ。周りの地層の年代測定から2000年前の弥生時代以前の古代ハスと判明。栽培に成功した植物学者・大賀一郎の名前を取って「大賀ハス」と名付けられた。そのハスは友好のシンボルとして分根されて、今や国内外の多くの都市で大切に育てられている。

 ハスはインド原産といわれるが、大賀ハスの発見などもあって日本にもともと自生種があったともいわれる。万葉集など古くは「はちす」の名前で詠まれた。実が入った果托の姿がアシナガバチの巣に似ていることから「はちす(蜂巣)」と呼ばれ、それが略されて「はす」になったらしい。大別すると、花を観賞するための「花蓮」と地下茎の蓮根を取るための「食用蓮」。食用のハスは中世に中国からやって来たともいわれる。

 スイレン(睡蓮)が水面に葉を浮かべ、水面すれすれに花を咲かせるのに対し、ハスは葉と花を水上高く展開する。ハスの葉は円く、スイレンのような切れ込みがない。花は早朝に開花、午後になると閉じる。これを3日間繰り返して散っていく。通常1本の茎に1つの花をつけるが、まれに背中合わせで2個をつけることも。「双頭蓮(そうとうれん)」と呼ばれ、良いことが起きる吉祥の兆しとして珍重される。葉には撥水性があり、水は玉になってコロコロと転がる。その葉と空洞の茎を使って〝ハス酒〟を楽しむ風習がある。その形から「象鼻杯(ぞうびはい)」とも呼ばれ、中国では長寿・健康に効き目があるとして古代宮廷でも行われていた。日本でも奈良市の法華寺や宇治市の三室戸寺など毎年催され初夏の風物詩になっている。

 「極楽の花」ともいわれるハスは、開くと同時に実の入った果托も姿を表す。これが「因果倶時」という仏教の説く真理にも通じるということもあって、寺院の壁画や仏様が座る蓮台、軒瓦の蓮華紋など仏教文化の中に多く取り入れられてきた。瞑想する時の座り方「結跏趺坐(けっかふざ)」は「蓮華坐」とも呼ばれる。「一蓮托生」「泥中の蓮」「濁りに染まぬ蓮(はちす)」などハスに由来することわざも多い。

 それにしても2000年という気の遠くなるような時を経て、見事現代に蘇ったハスの生命力にはただ畏れ入るばかり。千葉市は1993年、その「大賀ハス」を市の花に制定にした。埼玉県行田市も今年4月、市制施行60周年に合わせ、従来のキクに加え「古代蓮」を市の花に加えた。滋賀県守山市の市花は「近江妙蓮」。平安初期、延暦寺の慈覚大師が中国から持ち帰ったと伝えられる。県の天然記念物にもなっており、近江妙蓮公園で栽培されている。

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<五輪女子バレー28日初戦> 予選ラウンドのライバルはイタリアとロシア?

2012年07月27日 | スポーツ

【メダルのカギは予選1~2位通過】

 ロンドン五輪女子バレーボールは28日開幕、日本の「火の鳥ニッポン」は1984以来28年ぶりのメダル獲得を目指す。12チームがA、Bの2組に分かれ、総当たりのリーグ戦を行い、各組4位までが準々決勝に進む。日本のメダル獲得は予選ラウンドのA組を1位または2位で通過できるかにかかっている。3~4位の場合、準々決勝でB組1~2位の可能性が大きい強豪国、米国またはブラジルと当たる公算が大きいからだ。予選ラウンドで対戦する5チームの中ではイタリアとロシアが最大のライバルになりそうだ。

 FIVB(国際バレーボール連盟)が7月9日発表した最新の世界ランキングによると、上位10カ国は①米国②ブラジル③中国④イタリア⑤日本⑥ドイツ⑦セルビア⑧トルコ⑨ロシア⑩キューバ。日本はそれまでの3位から5位に順位を2つ下げ、代わって中国が5位から3位にランクを上げた。この10カ国のうちドイツとキューバは今回の五輪には出場しない。

予選ラウンドA組の日本の日程(日本時間)と対戦相手(カッコ内は世界ランキング) 

 7月28日午後5時30分=アルジェリア(16位)▽31日午前4時=イタリア(4位)▽8月1日午後5時30分=ドミニカ共和国(11位)▽3日午後7時30分=ロシア(9位)▽5日午後10時45分=英国(69位)

【カギは高さ対策、相手ブロックをどうかわす?】

 予選ラウンドB組には米国(1位)、ブラジル(2位)、中国(3位)、セルビア(7位)、トルコ(8位)、韓国(15位)と、世界ランクの上位3チームなど強豪国がずらりと入っており、日本は予選ラウンドの組み合わせには恵まれた。だが、イタリアは昨年11月のワールドカップ(W杯)の優勝国。初戦で対戦した日本は1―3で敗れている。セットカウントは20―25、25―23、18―25、15―25。日本はW杯の後半、米国、ブラジルをいずれも3―0のストレートで破ったが、大会序盤は連係がうまく機能せず、イタリア戦では後手を踏んだ。だが、2枚エースの1人、江畑がスパイクでチーム最多の19点を挙げており、木村が本来の調子を取り戻せれば、勝機は十分。開幕初戦で当たるアルジェリアとは2010年世界選手権で日本が3―0でストレート勝ちしており、初戦で勢いをつけて第2戦のイタリア戦に臨みたい。

 もう一つの関門は第4戦のロシア戦。過去20年間の対戦成績は日本の22勝69敗だが、昨年のワールドグランプリでは日本がストレート勝ちした。ところが今年5月の五輪世界最終予選では逆にストレート負け。202cmの長身エース、ガモワ1人に25点も挙げられ、ブロックによる得点も日本の5点に対しロシアは3倍の15点と、ロシアの高さに圧倒された。真鍋監督も「ブロックにやられた」と完敗の弁。五輪では速攻やブロードなどの組織的な攻撃で、いかにロシアの高さを封じるかがカギを握る。その前の第3戦で当たるドミニカ共和国は日本のV・プレミアリーグのデンソーに所属し、2011/12シーズンの得点王、ベタニア・デラクルスを擁するが、昨年のワールドカップ、今年のワールドグランプリのいずれも日本がストレート勝ちしている。

 決勝トーナメント・準々決勝の組み合わせはA組1位―B組4位、A組2位―B組3位、A組3組―B組2位、A組4位―B組1位。日本が予選ラウンドで仮に3~4位となった場合、世界ランク1位の米国または北京五輪の覇者ブラジルと当たる可能性が高い。1~2位の場合はそれ以外の中国、セルビア、トルコ、韓国のいずれかになりそう。中国には昨年のW杯でフルセットの末敗れ、日本が最近10連勝していた韓国にも世界最終予選で負けたものの、米国、ブラジルに比べると勝利の確率はかなり高い。

 日本は2004年アテネ五輪は準々決勝で中国に敗れ、08年北京五輪でも準々決勝でブラジルに敗れ、ともに5位に終わった。だが、10年の世界選手権で3位となり32年ぶりのメダルを獲得。昨年のW杯では8勝3敗で、中国と勝敗数で並んだが勝ち点差で惜しくも4位だった。いずれにしろ、近年になくチーム力が高まっているのは間違いない。日本のメダル獲得はサーブで相手を崩し、拾ってつなぐバレーをどこまで貫くことができるかにかかっているといえよう。

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<三田崇博 世界遺産写真展> アフリカの自然や人の〝輝きの一瞬〟を切り撮る

2012年07月26日 | ひと模様

【撮影成功! 月光の下、ヴィクトリアの滝に虹の架け橋】

 世界各地の世界遺産を撮り続けている写真家、三田崇博(さんだ・たかひろ)さんの「世界遺産写真展2012 アフリカの遺産と人々」が25日、奈良県生駒市の北コミュニティセンターで始まった(29日まで)。2008年9月に世界遺産を巡る旅を始めて4年目。これまでに巡った国は63カ国に上る。今回の展示会での発表作品は3月下旬から2カ月半にわたるアフリカ南部7カ国訪問の写真を中心に50点。三田さんの個展を拝見するのは今春の「ユーラシア大陸2008~2010」以来2回目だったが、今回も雄大な世界自然遺産とともに、地元の風俗や街並み、子どもたちの笑顔など息遣いが伝わる作品の数々には、ほのぼのとした温かさがこもっていた。

  

 三田さん(写真)は1975年奈良県生まれの37歳。滋賀大学教育学部卒。2006年、イタリアで撮影した写真が読売新聞の「旅のノンフィクション大賞フォト部門」で優秀賞を受賞。08年に初の個展を開き、これを機に勤めていた会社を退職し、世界遺産撮影の世界一周旅行をスタートさせた。これまでに7回撮影の旅に出て、その都度、帰国後各地で展示会を開催。昨年の東日本大震災では2回にわたり宮城県などで津波に漬かった写真の修復作業などのボランティア活動に参加し、その傍ら被災地の惨状を写真に収めてきた。

 今回のアフリカ撮影旅行では、南アフリカで背後から2人組の強盗に襲われ携帯と小銭入れを奪われるなど困難を伴った。だが撮影はほぼ順調だったという。その中でも一番の収穫は4~5月の満月の時にしか見られないというヴィクトリアの滝(ザンビア―ジンバブエ)に架かる虹の架け橋をカメラに収めることができたこと。三田さんが「月光のもとで」というタイトルをつけたその写真は、自然の造形美が豪快な滝の音をもかき消して、静謐(せいひつ)で神秘的な雰囲気をたたえていた。

 展示作の中に南アフリカの〝負の世界遺産〟ロベン島の強制収容所の写真があった。反アパルトヘイトの闘志で元大統領のネルソン・マンデラも、この監獄に長くつながれていたという。ナミビアの裸族ヒンバ族の母子と、洋服を着飾ったヘレロ族の女性2人の写真は、同じ近隣の国民の好対照な姿を切り撮って、文明の進歩と幸福度の関わりについて問いを投げかけているかのようだった。果物店の店番をする2人の少年や、あどけない笑顔のストリートチルドレンの女の子、小さな妹を抱いた少年の優しげな表情なども印象に残った。そして、宝石箱のような南アフリカ・ケープタウンの夜景の美しいこと。バオバブの並木道やライオン、シマウマ、ケープペンギンなどの動植物の写真も、まだ見ぬアフリカの魅力を鮮明に伝えてくれた。

 アフリカ撮影旅行の展示会はこの後、奈良市の写真美術館や兵庫県西脇市、松山市、長崎県佐世保市など各地で順次開催の予定。それが終わると、10月ごろから今度は南米を訪ねる予定という。そして、その後は北米とオセアニア。それで世界一周の旅はとりあえず完結するそうだ。その都度開かれる三田さんの写真展を通して、世界の〝空気〟を吸わせていただきたい――。次回南米編がまた待ち遠しくなってきた。

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<戸畑祇園大山笠㊦>27~29日 幟山笠の豪華な刺繍の幕類も一見の価値

2012年07月25日 | 祭り

【全国的にも珍しい円形の「見送り」】

 戸畑祇園といえば「提灯山笠」といわれるように、夜のピラミッド姿が有名。だが、昼間の幟山笠にも見どころが多い。競演会が行われる28日の正午、飛幡八幡宮に「中原」を除く大・小6基の山笠や子どもの飾り山笠などが集合するため、そこで豪華な飾り物をじっくり観賞することができる。

 

 現存する山笠台を飾る幕類で最も古いのは慶応元年(1865年)製作の「天籟寺」大山笠の切幕。その他の大山笠幕類の大半も明治初期から中期にかけて製作された。上の2枚の写真のように、緋ラシャの布地に勇壮な武者絵などが金糸銀糸で刺繍されている。分厚く立体的な刺繍が特徴だ。また西大山笠の真ちゅう製擬宝珠には文政12年(1829年)の刻銘があり、これも福岡県の重要有形文化財に指定されている。数年前、幕類を京都の業者へ洗い張りに出したところ、費用が1基当たり約500万円もかかったそうだ。

 山笠の後ろに付ける幕の一種、見送りは直径が約1.5mの円形。竹を格子状に編み、中央部を盛り上がらせて和紙を重ね張りし、その上に刺繍幕を取り付けたもの。円形の見送りは全国的にみても極めて珍しい。その図柄は東大山笠が「天翔る金鷲」(下の写真㊧)天籟寺大山笠は「牡丹に唐獅子」(同㊨)、西大山笠は「鳳凰」、中原大山笠は「天に咆哮(ほうこう)する虎」。幟山笠の正面は直径70cmほどの「前花」4個が飾られる。白い菊花を表し、上部に葉と蕾をあしらっている。

 

【終戦直後、幕類などが海外流出のピンチに!】

 これらの幕類などが海外流出のピンチに陥った時があった。古老の話によると、祭りが中断していた戦時中から終戦直後にかけ、幕や幟などの飾り物は旧戸畑市役所に保管していた。駐留軍高官がそれを見つけ、お土産として米国に持ち帰る計画が発覚。これに対し、関係者が「山笠は地域の宝で日本の伝統芸術」と必死に説得し、急きょ担ぎ手を集め祭りを見てもらった結果、思いとどまってくれた。ただ、その際「なんで青い目の前で担がないといけないのか」と反発する人もいて、MPに連行されるなど、ひと悶着あったそうだ。

 幟山笠は祭り中日の28日午後1時「神移し」の儀式を終えた後、「お汐井汲み」のため、お神輿に続いて飛幡八幡宮を出発、JR戸畑駅前の中本町商店街を突き抜けて洞海湾の若戸大橋たもとを目指す。その時の神社の坂道を下る「大下り」(下の写真㊧)は見どころの一つ。大小の幟山笠は坂道を厳かなお囃子に合わせ静かに下っていく。が、神域を出るやいなや、お囃子の調子は豪快な「おおたろう囃子」に一変、山笠はそれに合わせて速度を増し上下に弾むように担がれていく。最終日29日の夜遅くに行われる「天籟寺」提灯山笠の「大上り」も見ごたえたっぷり。地元の菅原神社までの長い坂を「ア、ヨッサ、ヨッサ」の掛け声に合わせ、一度も止まることなく駆け上がっていく。祭り最終盤のハイライトだ。

 

【1カ月後には女性だけで担ぐ〝女提灯山笠〟の運行も】

 戸畑祇園大山笠は女人禁制の祭りだが、戸畑には女性だけで担ぐ「女山笠」もある。中心街の中本町商店街のおかみさんたちが中心になり、地域活性化の一環として14年前にスタートした「ヨイトサまつり」のメーン行事。山笠は戸畑工業高校の建築科の生徒たちに頼んで製作してもらった。本物の提灯山笠に比べると小ぶりだが、それでも高さは7m、重さは1トンもある。夜になると10段200個余りの提灯に灯がともる。

 担ぎ手の中心は商店街の若手の女性や戸畑市立高校(旧戸畑商業高校)の女子生徒たち。ただし開催時期は毎年、戸畑祇園のほぼ1カ月後。運行する場所も商店街の中とその周辺だけに限られている。「女山笠」には男衆たちの反対意見も根強く、紆余曲折の末、そんな条件付きでようやく認めてもらえた、という経緯がある。今年の「ヨイトサまつり」は1カ月後の8月25日に開催の予定だ。

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<戸畑祇園大山笠㊤>27~29日 昼の幟山笠が夜は一変、光の大ピラミッドに!

2012年07月24日 | 祭り

【重さ2.5トン、お囃子に合わせ担いで競争】

 7月の福岡県は祇園祭一色。博多祇園山笠(1~15日)に始まって小倉祇園太鼓(20~22日)、黒崎祇園(20~23日)と続き、北九州市戸畑区の戸畑祇園大山笠(27~29日)が毎年トリを飾る。200年を超える伝統を持ち、博多祇園とともに国の重要無形民俗文化財に指定されている。昼夜で山笠が姿を一変する祭りは全国的にも珍しい。昼は幟12本を立てた幟山笠。日が沈むと高さ10m、12段・309個の提灯のピラミッドに早替わりする。重さは2.5トン。これを担いで競争する。ロウソクの灯が揺れ、たまに提灯に燃え移ることも。豪快な山笠の競演は真夏の暑さも忘れさせてくれる。

   

 戸畑祇園は享和3年(1803年)、前年の悪疫退散祈願がかなったことに感謝を込めて始まった。区内の4地区から「東」「西」「天籟寺」「中原」の大山笠4基と、中学生が担ぐ小若山笠4基が繰り出す。その全8基がそろって「競演会」が行われるのは毎年、祭り中日の第4土曜日、今年は28日だ。会場は戸畑区役所前の三角形の浅生1号公園。大山笠は1基を300~500人が担当し、80~100人が交代に入れ替わりながら担ぐ。競演会ではまず昼間の幟山笠の姿で1周し、その後、飾り物を一切取り外し、夜の山笠に姿を変える。

【見どころは昼から夜への姿替えと、抜きつ抜かれつの競演】

 競演会での最初の見どころは5段上げ。山笠の台上に高さ4mの柱4本でやぐらを組み、最上段の提灯5段分を一気に上げる。次いで上から1段ずつ提灯を取り付けていく。一番下の一辺12個の提灯まで組み上がると提灯山笠の完成だ。「運行開始!」の合図で、当番山を先頭に競演が始まる。太鼓・鉦・笛の勇壮な「おおたろう囃子」に合わせ「ヨイトサ、ヨイトサ」。山笠はムカデ競走のように歩調を合わせた法被姿の男衆に担がれ、たまに斜めに傾きながら進む。毎年20万人近い観客が詰め掛け、抜きつ抜かれつの競演に大きな歓声とどよめきが起きる。

 

 山笠は京都祇園の山鉾同様、釘1本使わないで組み立てる。京都祇園は荒縄だが、戸畑祇園は自然の藤蔓(ふじかずら)で縛る。それを〝文字練り〟と呼ぶ。その蔓をどこの山林で採取するかは各山笠の〝最高機密〟。「弾力のあるいい蔓かどうかで、山の盛衰が決まる」。中にはこう言い切る人もいる。組み上がると山笠台の下部に太鼓、上部の匂欄(こうらん)台に鉦を取り付ける。運行する時には囃子方など約10人が乗り込む。囃子は「おおたろう囃子」のほかに「居神楽」「大下り」など5種類。同じ囃子でも大山笠ごとに少しずつ調子が違う。担ぐ時の掛け声「ヨイトサ」は「良い神様」から来ているとも、「どんなことでも力を合わせれば大丈夫」という意味が込められているともいわれる。

【提灯を針金で固定し、叩き落とせず丸焼けになったことも】

 提灯は麻の紐で木枠に固定する。ロウソクから燃え移ったら叩き落し、動く山笠の中ですばやく新しい提灯に付け替える。消えた時にも、すぐロウソクに灯を入れる。山笠は担ぐ速さとともに、提灯のピラミッドの美しさも競う。戦後まもなく、ある大山笠が提灯を強く固定しようと麻紐の代わりに針金で固定した。ところが提灯に灯が燃え移り、叩き落とそうとしてもできずに山笠が丸焼けになったこともあった。競演会の翌日(最終日)、山笠はそれぞれの地元に帰って運行するが、昨年はある大山笠の上部から火が出て、5段分ほどの提灯が焼け落ちるというハプニングもあった。

 山笠を担ぐのは飾りを付けない空山を含めると4日間。この間に肩の皮がむけて血がにじみ、法被に日の丸のような赤いしるしが付くことも。担ぎ手にとってそれはいわば〝勲章〟のようなもの。祭り期間中、決して弱音ははかない。が、祭りが終わると病院に駆け込む人も多いという。各大山笠は最終日の深夜から未明にかけ「狐落とし」という行事で締めくくる。祭り期間中のバカ騒ぎは〝祇園風〟にあたって狐にとりつかれていたため。それを洗い落として明日からはまともな生活に戻ることを誓うわけだ。厳粛な中、神官が「オ~」と狼のおたけびのような声を上げて白い布の上を走っていくという。「狐落とし」が終わったら、各宿に戻って後始末。くたくたの中での深夜の作業は「地獄の道具納め」とも呼ばれているそうだ。

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<ユリ(百合)> 気品をたたえた優美な姿が世界で大人気!

2012年07月23日 | 花の四季

【カサブランカ誕生の裏に悲しい秘話も】

 ユリ科ユリ属。日本や中国、北米、ヨーロッパなどの北半球に広く分布する。大別すると、テッポウユリ、ヤマユリ、スカシユリ、カノコユリの4種類。テッポウユリは花の形がラッパ状で、横か下向きに咲く。ヤマユリは杯状の白い花に斑点がつく。これも花は横向きか下向き。スカシユリは斑点のない杯状の花を上向きにつける。花の色は橙黄色が中心。カノコユリは花弁が大きく反り返り、鹿の子模様の斑点が特徴。「カサブランカ」(下の写真)のように花の色が白いものや赤、桃色系統はいい香りを振りまく。一方、黄色や橙色のものは香りがほとんどしないという。

 草丈は僅か10cmほどのヒメエゾスカシユリから、ヤマユリの一種で2m前後まで伸びるサクユリまで幅広い。サクユリの花は直径が30cmにもなりユリの中では最大。ユリの語源は細い茎に大きな花を付けて風に揺れるから当初「ゆる」といわれ、これが「ゆり」に変化したという。漢名の「百合」は球根の鱗茎が重なり合っていることから、その名が付いた。ヤマユリやオニユリの球根はデンプンを多く含み苦味も少ないことから「ユリ根」として雑煮や茶碗蒸しなどに使われる。オニユリなどの球根は「百合(びゃくごう)」という生薬として利尿や咳止めなどの薬効もある。

 歴史は古く、万葉集には大伴家持が詠んだ4首をはじめ11首が掲載されている。貝原益軒は著書「花譜」で「ほとんど百種に及ぶ」と書いた。江戸時代に新品種づくりが盛んだったことをうかがわせる。ユリの球根は明治時代から大正時代にかけ大量に欧米に輸出され、絹に次ぐ主要輸出品として外貨獲得にも貢献した。幕末にオランダ商館医師のシーボルトが母国に持ち帰ったのがきっかけにヨーロッパで大ブームを巻き起こしたという。キリスト教の復活祭では、ユリは「イースターリリー」として欠かせないものになっている。フランスの国の花はユリとアイリス。リヒテンシュタインでも黄色のユリ「オレンジリリー」が国花になっている。

 

 欧米では日本や中国から入ってきたユリをもとに、様々な新品種が作り出された。その代表がカサブランカ。純白の大輪で芳香を放つこの花は「ユリの女王」とも讃えられる。1980年代にオランダで、日本のヤマユリ、カノコユリにタモトユリを掛け合わせて生まれた。タモトユリは鹿児島県・トカラ列島の口之島だけに自生していた純白のユリ。戦後、これに着目した欧米の園芸業者が根こそぎ買い漁った。生活に困窮していた島民は高値に引かれ絶壁に生えていたユリの球根を競って掘ったという。県は1953年、天然記念物に指定したが、時すでに遅くほとんど絶滅状態だった。タモトユリの名は島民が掘り出した球根を次々に着物の袂(たもと)に入れたことから付いたという。カサブランカ誕生の裏にはそんな悲しい物語が隠れていた。

 ユリは多くの品種が生まれる一方で、自生種は減少傾向。環境省は2007年、九州や四国の産地に自生するカノコユリをレッドデータブックの絶滅危惧Ⅱ類に指定した。長崎県の佐世保市や西海市、福岡県宗像市、富山県魚津市などはそのカノコユリを「市の花」に制定している。テッポウユリを市の花としているのは鉄砲伝来の種子島北部にある鹿児島県西之表市や沖縄県名護市、埼玉県川口市など。岐阜県恵那市はササユリ、岩手県釜石市はハマユリ(スカシユリ)、山梨県大月市はヤマユリ。このほかにも名古屋市、福井県坂井市、茨城県結城市、高知県土佐市など、市の花としている自治体は多く、ユリ人気のほどを示している。

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<日本の「型紙」> 欧米のデザイン改革運動に多大な影響!

2012年07月22日 | 美術

【絵画・ポスターから織物、陶磁器、家具まで】

 京都国立近代美術館で今「KATAGAMI(型紙) 世界が恋した日本のデザイン もうひとつのジャポニズム」展(8月19日まで)が開かれている。着物などの型染めに使われた型紙はその美しいデザインや高い技術が欧米の注目を集め、染色という本体の用途を越えてアールヌーボーなど美術工芸改革運動に大きな影響を与えた。その点、印象派の絵画に影響を与えたという浮世絵に似ている。しかも今なお様々な分野で型紙のデザインが生き続けているという。内外の展示品の数々は改めて日本人の美意識の高さと巧みの技を再発見させてくれ、さらに日本人としての誇りもくすぐってくれる。

  

 会場は「型紙の世界―日本における型紙の歴史とその展開」から始まって、英米圏、フランス語圏、ドイツ語圏ごとに型紙の影響を受けたとみられる作品・製品を展示。最後を「現代に受け継がれるKATAGAMIデザイン」で結ぶ。総展示数は約400点。その中には喜多川歌麿らの浮世絵やルネ・ラリック、エミール・ガレ、ドーム兄弟、アルフォンス・ミュシャらのガラス製品や絵画など、内外の美術館・博物館所蔵の作品も多い。「型紙」という、どちらかといえば地味なテーマにスポットを当て、関連する作品の収集に奔走した関係者に改めて敬意を表したい。

 まず驚いたのは浮世絵と同じく、型紙も海外の美術館・博物館が実に大量に所蔵しているということ。ドイツのドレスデン工芸博物館のコレクションはなんと約1万6000枚に上るという。会場の一画に「ライデンの里帰り型紙」というコーナーがあった。19世紀前半、オランダ商館医師として日本に滞在したシーボルトが母国に持ち帰った18点のうちの「稲穂」などの3点。ライデンの博物館が1837年にシーボルトから購入したという。そのそばにフランスの染色工業の中心地ミュールーズの染色美術館所蔵の型紙も出展されていた。

 型紙は江戸時代から明治時代にかけ、男性の裃(かみしも)や羽織、浴衣、女性の小紋や中形などの染め模様に多く使われた。その型紙を染め屋に多く供給したのが現在の三重県鈴鹿地方。「伊勢型紙」と呼ばれ、最盛期には全国の9割を占めたそうだ。だが、明治後半になって海外から染色技術が導入されると、次第に活躍の場を失っていく。しかも型紙はもともと消耗品扱いされており、染色業者の廃業などに伴って大量に海外に流出した。特に1880年代から90年代に多く流出したという。

 松葉や菊の花、ツタなどの型紙の細かな繰り返し文様は、欧米で斬新なデザインと受け止められたのだろう。英国ではデザイン改革運動の中で室内装飾の分野に欠かせない技法となり、ドイツやフランス、米国でも様々な分野に取り入れられた。しかも今なお型紙の技法は生き続けている。

 英国のブリントンズ・カーペット社は所蔵の型紙からデザインを起こし、ずばり「KATAGAMI」シリーズのカーペットを発売、世界中のホテルや空港などで使われているという。会場の出口そばに英国の陶器メーカーの主力商品というティーカップなどの食器類が並んでいた。濃紺地に小さな花柄を無数にちりばめた、型紙で染めた小紋のような図柄。そのデザインは懐かしさとともに新しさも感じさせてくれた。

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<五輪女子サッカー> なでしこ 強化試合完敗のフランスと準々決勝で再激突?

2012年07月21日 | スポーツ

【26日未明に初戦カナダ戦キックオフ、12カ国中8カ国が決勝T進出】

 大丈夫だろうか。なでしこジャパンは19日、パリで五輪前最後の強化試合をフランス代表と行ったが、0―2で敗れた。そのフランスとは五輪準々決勝で当たる可能性が高い。6月には最大のライバルと目される米国にも持ち味を発揮できず1―4で完敗している。日本は前回の2008年北京五輪で4位に終わり、あと一歩でメダルに届かなかった。五輪でのメダル獲得はそれ以来の悲願だが、最近のなでしこの戦いぶりから見て、その前に立ち塞がる強豪の壁は予想以上に厚くて高そうだ。

 女子サッカーは五輪開会式に先駆け、26日(日本時間)開幕する。12カ国が3組に分かれ、グループ総当たりで上位各2チームと、3位チームのうち上位2チームの計8カ国が決勝トーナメントに進出する。初戦のカナダ戦は26日午前1時キックオフ。その後、28日にスウェーデン戦、31日に南アフリカ戦。世界ランキング3位の日本の予選突破はほぼ間違いない。問題は第一関門の準々決勝でどこと当たり、これを突破できるかだ。

【グループステージの組み合わせ】 カッコ内は最新世界ランキング(英国のランキングはイングランドのもの)。グループE=英国(9位)、ブラジル(5位)、ニュージーランド(23位)、カメルーン(50位) グループF=日本(3位)、スウェーデン(4位)、カナダ(7位)、南アフリカ(61位) グループG=米国(1位)、フランス(6位)、北朝鮮(8位)、コロンビア(28位)

 なでしこは3月のアルガルベカップで米国を1―0で破り、26回目の対戦にして初勝利を挙げた(PK戦の末勝ったW杯は公式記録上引き分け)。決勝は3―4でドイツに惜敗したが、そのドイツは五輪に出場しない。4月のキリンチャレンジカップではブラジルに4―1で快勝、米国戦は1―1の引き分け。ここまではほぼ順調に来ていた。ところが6月のスウェーデン招待ではその米国に1―4と完敗。ワンバックとモーガンのFW2人にいいようにやられた。さらに19日のフランス戦も0―2で敗戦。いずれもロングボールで最終DFラインの裏を狙われ、得点されるケースが目立った。

【フランスに点差以上の力負け、引き締めの好材料に】

 「10回戦っても数回しか勝てないのではと心配になるくらい、目に付くのはフランスの強さばかり」。ある全国紙は観戦記にこう書いていた。日本は高さ、速さ、強さで圧倒され、わずかな好機はゴールポストを直撃した沢の一撃ぐらい。アウェーという点を割り引いても点差以上の完全な力負けだった。「なでしこはW杯で優勝したことで、各国から徹底的にマークされ〝丸裸〟にされている。W杯後、周りからチヤホヤされて、自分たちは世界一強いという〝錯覚〟が生まれているのかもしれない。W杯は力と運が味方したが、五輪では本当に力があるかどうかが試される」。知人のベテラン運動記者はこう解説してくれた。なでしこには敗戦を引きずらず、むしろチーム引き締めの好材料ととらえ五輪に生かしてほしいものだ。

 初戦で当たるカナダとの対戦戦績はこれまで3勝3分け3敗と全くのイーブン。カナダは北中米大陸予選決勝で米国に0―4と完敗したものの、先月の米国戦では0―1と善戦。代表通算137ゴールという世界屈指のFWシンクレアを擁するだけに注意を要する。ハードマン監督は昨年まで率いたニュージーランドで日本チームとも対戦しており、他の強豪国と同様、なでしこ攻略法を練っているに違いない。第2戦のスウェーデン戦は過去3勝2分け4敗だが、昨年のW杯では3―1で快勝するなど、日本にとって相性がいい。南アフリカは五輪初出場で未知の部分が多いが、個々の身体能力は高そうだ。だが組織的ななでしこのプレーを貫くことができれば問題はないだろう。

【グループ2位なら準々決勝の相手はブラジルまたは英国か】

 日本がグループステージを1位で通過すると、決勝トーナメントの準々決勝で当たるのはG組の2位チーム。G組には世界ランキング1位で、アテネ・北京に続いて五輪3連覇を狙う米国が入っている。米国が順当にグループ1位なら、日本の相手はフランスになる可能性が高い。19日の日仏戦ではスピードや高さを生かした攻撃で日本を圧倒しており、タフな試合になりそうだ。日本がグループ2位の場合、準々決勝の相手はE組2位チーム。E組には五輪2大会連続準優勝のブラジルと開催国としてシードされた英国が入っており、そのどちらかと当たる確率が高い。いずれにしても準々決勝は手ごわい相手になりそうだ。

 この準々決勝を突破できれば、悲願のメダルも見えてくる。前回08年の北京では準決勝で負け3位決定戦にも負けて4位となり、メダルに届かなかった。それから4年。体格と馬力で日本より勝る海外勢に対抗し、組織的な攻守のなでしこスタイルを築き上げてきた。その成果を再び五輪の大舞台で発揮し、W杯決勝の再現となる日米頂上決戦をもう一度見せてほしいものだ。準々決勝は8月3日、準決勝は6日、決勝は9日に行われる。

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<く~にゃん物語⑯> ウサギの寿命はどれくらい? ギネス最高齢は18歳とか

2012年07月20日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【1歳で人間の20歳。もう立派な大人だよ~】

(半年前の新聞記事から) 「ペットのウサギを看取ってから出頭しようと思った」。警察から指名手配されていたH容疑者が昨年の大晦日に出頭した理由を、一緒に逃げていたS容疑者がこう説明した。東大阪のマンションでウサギを飼い始めたのが2000年ごろ。H容疑者は東日本大震災を機に出頭を考えたが、ウサギが老衰で弱っており「世話をする人がおらず死んでしまう」と決断できなかった――。

   

 この記事を読み聞かせてもらって、私、少し複雑な気分になったの。悪い人たちかもしれないけど、私の仲間のウサギをまめに世話してくれたんじゃないかなぁ。なぜかって? そのウサギ、結構長生きしたでしょ。死んだのが昨年の夏。ということは享年11歳? アメリカのHRS(Houce Rabbit Society=家ウサギ協会)によると、ウサギ(去勢したオス)の平均寿命は8~12年というから、11歳ならかなりの長寿。ウサギのギネス最高齢記録は18歳だって。いずれにしても、そのウサギが2人の逃亡生活の中で、唯一の癒しになっていたんじゃないかなあ。

 ウサギは生まれてから1年までが急成長期。生後2カ月で人間に換算すると5歳、6カ月で13歳、そして生後1年で人間の20歳ぐらいになるの。もう立派な大人で、子どもも産める年頃というわけ。小型ウサギの場合はもっと成熟スピードが速くて、生後半年で繁殖期を迎えるともいわれているよ。2年目以降は大体1年で人間の7歳ずつぐらい増える勘定かな。それに当てはめると3歳で人間の34歳、5歳で48歳、7歳で62歳、10歳で83歳。新聞に載ったウサギが享年11歳とすると、人間の90歳ぐらいということになるわね。

 最近は主食のペレットの改良などもあって、以前より寿命が延びているといわれているの。一般的に大型のウサギの方が小型に比べ寿命が長いけど、私たちのようなドワーフ系は小型の中では長寿といわれているんだ。長生きの秘訣は人様と同じで、バランスの取れた食事に、適度な運動、ストレスをためないこと。私の場合、ベランダを走り回ったりサッカーボール遊びでストレスを発散しているの。それでも中年太り気味で、それが最近の最大の悩み。「肥満は大敵」。気をつけなくっちゃ!

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<ムクゲ(槿、木槿)> 朝咲き夕方しぼむ→「槿花一日」「槿花一朝」

2012年07月19日 | 花の四季

【花期の長い5弁花、韓国の国花にも】

 アオイ科フヨウ属で、同じ仲間にフヨウ、スイフヨウ、ブッソウゲ(ハイビスカス)など。原産地は韓国や中国、インド。渡来の時期ははっきりしないが、平安時代中期の930年代に編纂された辞書「和名類聚抄」に「木波知須(キハチス)」として出てくる。さらに平城京の貴族邸宅跡から20年ほど前、ムクゲの花粉が検出されたことから、すでに奈良時代には伝わっていたことが分かった。朝鮮語では「無窮花(ムグンファ)」、漢名は「木槿(ムージン)」。ムクゲはそれらから転訛したものといわれる。

 花は一重と八重があり、色も紅紫のほか白やピンク、白地の中心が赤いものなどがある。朝開いて夕方しぼむことから、人の世の栄華のはかなさを「槿花一日(の栄)」や「槿花一朝(の夢)」という。出所は白居易(白楽天)の「放言詩」の一節「松樹千年終是朽 槿花一日自為栄」。松の木は千年栄えても最後には朽ちていく。槿花ははかないものの1日の間は栄える――。ということは、この詩はただ単にムクゲのはかなさを嘆いたものではないようだ。1日花から「朝開暮落花」ともいわれるが、実際には夕方には半開き状態になって、翌朝また開くという。

 

 初夏に花が咲き始めると、毎日次々と咲き続ける。生命力が強いのが特徴で、土質を選ばず、暑さ・寒さや乾燥をものともしない。種からよく発芽し、挿し木でも容易に根付く。そのムクゲは繁栄と粘り強い国民性の象徴として韓国の国花になっている。9世紀の新羅は自らムクゲの国を意味する「槿花郷」と呼んでいたそうだ。朝鮮半島は古い時代「槿域」とも呼ばれた。国歌にもムクゲの言葉が盛り込まれている。

 国内では函館のそばにある北斗市(上磯町と大野町が2006年合併し誕生)がムクゲを桜、マリーゴールドとともに「市の花」に指定している。神戸市西区の最明寺は「ムクゲ寺」とも呼ばれる。この寺を開いたのは7世紀に百済からやって来た法道仙人。かつて500株ほどあったが、残念ながら阪神大震災で根こそぎやられ、かなり数が減ったそうだ。大阪府枚方市の王仁塚(わにづか)もムクゲの名所の一つ。王仁も百済から来日し、論語や千字文(漢文の長詩)を日本に伝えたといわれる。

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<平氏隆盛の頃の腰刀2本> 奈良・西大寺で中国産青磁(日宋貿易で輸入?)と共に出土

2012年07月18日 | 考古・歴史

【奈良市埋蔵文化財センターの発掘調査速報展】

 奈良市の西大寺旧境内(西大寺南町)の土坑墓内から、鉄製の腰刀2本が中国産の青磁器と共に出土した。刀はいずれも平安時代後期の12世紀後半のもので、速報展「平氏隆盛の頃の腰刀と轡(くつわ)」(8月31日まで)で公開中。腰刀は合戦用の長い太刀とは異なり、武士が万能利器として常に腰に差していた短刀。2本とも錆びが目立つものの、なお装飾の模様がくっきりと残っている。

 

 出土した腰刀は大小2本で、漆塗りの鞘に入っていたとみられる。大形の刃長は37.9cm、刃幅4.3cm。装飾は柄と鞘に3本の沈線を1つの単位として刻まれている(写真㊨)。小形の方は刃長18.4cm、刃幅2.8cm。柄の縁がU字形に丸く作られ、大形と同じ模様がわずかに残っていた。この2本の腰刀とそっくりのものが三重県で出土している。雲出島貫(くもづしまぬき)遺跡(津市)の木棺墓から見つかったもので、12世紀末から13世紀初頭に埋葬された伊勢平氏に関わる人物の埋葬品とみられている。この三重の遺跡でも同じような輸入磁器が納められていた。

 

 奈良の土坑墓内から腰刀と共に見つかった中国製青磁は碗2個(写真㊧)と小皿3個。碗は龍泉窯系(浙江省)、小皿は同安窯系(福建省)の製品で、それぞれ飛雲文、櫛点描文という独特の文様があしらわれている。これらの輸入磁器は、平清盛が推進した日宋貿易で日本に大量にもたらされた。被葬者は不明だが、刀や輸入磁器が納められていたことから、この地に屋敷を構え耕作地を持つ地位にあった人物の可能性が高いという。

 速報展では中世の馬具の轡(写真㊨)も展示中。轡は馬を制御するため馬にくわえさせる器具。これらは腰刀とは別の平城京の2カ所(法蓮町と杏町)の井戸から出土した。法蓮町のものは12世紀後半、杏町のものは11世紀後半のもの。平安時代後期の轡の出土例は少なく、極めて貴重という。2つを比べると、12世紀後半のものは作り方が簡略化されていることから、同センター担当者は量産化されたのではないかと推測している。

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<祇園祭> 16日宵山点景

2012年07月17日 | 祭り

  

 

 

 

 

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