く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<相撲サミットin葛城> 横綱白鵬の登場で会場は超満員!

2016年02月29日 | スポーツ

【ちゃんこにも長蛇の列、ゲル内ではモンゴル衣装で記念撮影】

 奈良県葛城市の新庄文化会館を主会場に28日「相撲サミット2016in葛城」が開かれた。横綱白鵬と市相撲館「けはや座」名誉館長、河内家菊水丸氏(新聞詠み河内音頭家元)の対談は大勢の立ち見客も出る超満員で、優勝回数35回を誇る大横綱の話に熱心に耳を傾けた。宮城野部屋力士によるちゃんこ販売にも長蛇の列ができて、大勢の人が本物のちゃんこの味に舌鼓を打った。

 

 対談に先駆けて「けはや相撲甚句会」のメンバー10人による相撲甚句の披露や西岩親方(元関脇若の里)による講演、モンゴル伝統芸能の披露などがあった。西岩親方は昔と今の実力差について陸上競技のタイムなどを挙げながら「相撲でも現代が最強ではないか」と指摘、自ら対戦した相手で最強だったと思う力士に元横綱貴乃花(貴乃花親方)を挙げた。またメンタルトレーニングの重要性に触れ「どんなにつらい逆境の時にもプラスに考えることがなによりも大切。これはスポーツだけでなく普段の生活にも通じる」と強調していた。

 白鵬の来場は同市の「モンゴル友好協会・未来への架け橋」の橋渡しで実現した。対談はまず35回の優勝の場面を大画面で振り返ることからスタート。その後、白鵬は入門時の体重が62キロであまりの細さに親方が驚いていたことなど様々なエピソードを披露してくれた。勝ち負けは「組んだ瞬間に分かる」そうだ。「好きなのは体が硬い人で、一回(体勢が)崩れるとそのまま崩れる」。逆に崩れそうで崩れない体が柔らかい力士として豊ノ島と安美錦を挙げた。

 

 尊敬する力士は69連勝の記録を持つ双葉山と優勝回数32回の昭和の大横綱大鵬。相撲をとってみたい歴史上の力士としてもこの2人を挙げた。立ち合いの「後の先」を得意とした双葉山には「当たったら後の先にはまる。(いい取り口が)浮かばない」と話した。ただ過去に1度だけ夢の中で双葉山と相撲をとったという。あと1回で双葉山の優勝回数12回に並ぶという巡業中のこと。その勝負の結果を問われると、白鵬は「心の中にしまっておく」と笑いながら答えていた。が、その表情から察すると双葉山に勝ったのだろう。

 対談の後、奈良県の葛城市、香芝市、桜井市と兵庫県のたつの市の4市による共同宣言が発表された。これら4市は初の天覧相撲として日本書紀にも登場する當麻蹶速と野見宿禰のゆかりの地で、今後〝相撲発祥の地〟として連携して観光振興と地方創生に取り組むと宣言した。この日はその他にも多彩な催しが開かれた。白鵬の化粧回しの展示、現役力士2人(幕下・高三郷と三段目・勝武士)による初っ切り、しり相撲大会、移動式住居ゲルの展示、モンゴル伝統衣装の試着、モンゴル写真・絵画展……。好天に恵まれたこともあって、会場の文化会館や屋敷山公園周辺は終日多くの来場者でにぎわった。

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<クレロデンドルム・クアドリロクラレ> 英名「ファイヤーワークス(花火)」

2016年02月27日 | 花の四季

【フィリピン原産、真冬に紅紫の長い筒状花を放射状に】

 舌を噛みそうなこの和名は学名の音読みから。属名の「クレロデンドルム」はギリシャ語の「運命」と「樹木」の合成語。本属のある種が呪術に用いられたことに因むとも、病気治癒に優れた効能を持つことに因むともいわれる。種小名「クアドリロクラレ」は「4つ」と「葯(やく)」の意を持つ言葉を合わせたもの。

 シソ科(旧分類クマツヅラ科)クサギ属の常緑低木で、フィリピンやマレーシア、ニューカレドニアなどに分布する。熱帯地方では庭園や公園樹としてよく植栽されるそうだが、日本では温室で栽培されることが多い。クサギ属は多くが夏に開花するが、この樹木は真冬の1月から2月にかけて開花する。

 枝先に集散花序を出し、10~20cmほどもある紅紫白の花筒を放射状に伸ばす。白い花冠は5つに裂けて反り返り、中央から4本の長い雄しべが飛び出る。満開になると夜空を彩る大輪の花火のように。そのため英名では「ファイヤーワークス(花火)」とも呼ばれる。葉は細長い卵形で表面は暗緑色。

 クサギ属はその名の「臭木」の通り、葉を切ったり揉んだりすると少し臭いが、花は美しく芳香を放つものも多い。仲間には日本各地に自生する「クサギ」のほか、熱帯アフリカ原産で紅白の花を源平の旗に見立てた「ゲンペイクサギ」、濃い桃色の花が美しい中国原産の「ボタンクサギ」、花が緋色で葉が桐に似て学名に「ヤポニクム(日本の)」の種小名を持つ「ヒギリ」などがある。

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<ヒヨドリ(鵯)> 頭はモヒカン刈り? 名前は鳴き声から?

2016年02月26日 | 小鳥たち

【雑食…昆虫、木の実から花の蜜、柑橘類、葉野菜まで】

 かつては渡り鳥とされてきたが、今では留鳥として日本各地の里山や緑の多い市街地などでごく普通に目にするようになった。体長は28cmほど。雌雄同色で、翼は黒っぽく胸~腹は灰色に白い斑点模様。頭にボサボサの冠羽が生え、そのモヒカンふうの顔立ちと甲高い鳴き声から他の野鳥にはない精悍な印象が強い。

 平安時代の貴族はヒヨドリを雛から育てて飼っていたという。その頃の呼び名はヒエドリだった。平安中期に作られた『和名類聚抄』も「鵯 和名比衣土里(ひえとり)」と紹介している。ヒヨドリと呼ばれるようになったのは室町時代以降。名前の語源には主に「ヒィーヨ、ヒィーヨ」という鳴き声説と「稗(ヒエ)鳥」からの転訛説がある。ただ『鳥名の由来辞典』(柏書房刊)は「ヒヨドリはヒエを食べないので、鳴き声により名づけられたと考えられる」としている。

 

 主食はコガネムシなどの昆虫類と南天、千両、ピラカンサなどの実。梅や椿などの花の蜜やハッサクなど柑橘類も好む。庭先に食パンのみみやリンゴの皮などを置いておくとよくやって来る。数日前にはゼリー状のカブトムシの餌まですすっていた。ヒヨドリはキャベツやブロッコリー、コマツナなどの露地野菜も食べる。農林水産省がまとめた「野生鳥類による農作物被害状況」(2012年度)によると、ヒヨドリによる被害は年々増加傾向にあり金額と被害量はカラスに次いで2位になっている。

 以前庭のハナミズキにヒヨドリが巣を作ったことがあった(写真㊨)。数年後には別の木にも巣作りしたが、卵を狙って木に登るシマヘビを偶然目撃したため、登れないように〝ヘビ返し〟を作ってやったことも。その巣では3つの卵が孵化し雛鳥は無事に巣立った。その風貌や耳障り(?)な鳴き声、葉野菜の食害や糞害などから、ヒヨドリは野鳥の中の嫌われ者になっているようだ。だけど今日もまたやって来たこのヒヨドリはここが生まれ故郷かもしれない……そう思うと親近感と愛着のようなものも湧いてくる。「鵯のこぼし去りたる実の赤き」(与謝蕪村)

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<BOOK> 岩波新書「日本にとって沖縄とは何か」

2016年02月25日 | BOOK

【新崎盛暉著、岩波書店発行】

 約450年間続いた琉球王国を廃し、明治政府が強制的に日本に統合した〝琉球処分〟から130年余。沖縄戦では県民の4人に1人が戦死し、戦後の米国統治は27年間も続いた。沖縄には日本全体の7割強の米軍基地が密集する。沖縄は戦中・戦後、過酷な時を刻んできた。そして、いま政府と沖縄県は辺野古での新基地建設を巡って鋭く対峙する。本書はタイトル通り「日本にとって沖縄とは何か」を探るものだが、それは同時に「日本人1人1人にとって沖縄とは何か」を問う1冊でもある。

       

 著者は1936年東京生まれ。東大卒業後、東京都庁勤務の傍ら「沖縄資料センター」の活動に携わり、74年に沖縄大学に赴任。専門は沖縄近現代史で、学長・理事長を経て現在は沖縄大学名誉教授。新崎氏は戦後の日米の基本的枠組みを「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」と指摘する。その仕組みは「戦勝者=占領者であるアメリカによって作り出され、日本の独立後も引き継がれた」。

 その背景にあるものを「構造的沖縄差別」と呼ぶ。辺野古新基地建設は「単に米軍基地の建設をめぐる問題ではなく、戦後70年の日米沖関係史の到達点」。そして建設阻止の闘いは「戦後70年、軍事的な意味での『太平洋の要石』としての役割を押し付けられてきた沖縄が、構造的沖縄差別を打ち破り、自らを、平和な文化的経済的交流の要石に転換させるための『自己決定権』の行使にほかならない」と意義付ける。

 沖縄では一部県民の中で繰り返し〝琉球独立論〟が唱えられてきた。2013年には「琉球民族独立総合研究学会」という学会まで旗揚げした。本書でも最後に「沖縄独立論をどう考えるか」という小見出しを立てて独立論に触れる。2015年の琉球新報と沖縄テレビによる世論調査では「現行通り日本の中の一県のままでいい」が最も多く66.6%、次いで「日本国内の特別自治州などにすべきだ」が21.0%で、「独立すべきだ」は8.4%だったという。この10人に1人近い数字を少ないとみるか、多いとみるか。

 著者は「『自立』は必ずしも『独立』ではない」と指摘する。そして辺野古で海上抗議活動に参加する芥川賞作家、目取真俊氏の言葉を紹介する。「米軍基地は必要だが自分たちの所にあると困るので沖縄に押しつけておきたい、というヤマトゥンチュー(日本人)の多数意思が、安倍政権の沖縄に対する強権的な姿勢を支えている……辺野古や高江で起こっている問題すらウチナンチュー(沖縄人)が自己決定できずして、独立など夢物語にすぎない」

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<小林沙羅> 奈良で初のソプラノリサイタル

2016年02月23日 | 音楽

【今秋には万葉オペラ「遣唐使物語」にも出演】

 内外で活躍の場を広げる今注目のソプラノ小林沙羅さんのリサイタルが22日、奈良市のなら100年会館で開かれた。東京生まれで幼少時をドイツで過ごし、東京芸術大学・大学院卒業後はウィーンで研鑚。奈良に来たのはこの日が初めてという。小林さんが音楽活動の軸として掲げるのはドイツ歌曲、イタリアのオペラ・歌曲、日本歌曲の3つ。この日の公演もこの3本柱で構成したが、卓越した表現力、豊かな声量、伸びのある声質は期待を上回るものだった。

       

 小林さんは同会館で今秋開かれる万葉オペラ「遣唐使物語」(中村透作曲)にも出演する予定。リサイタル第1部の冒頭、原作・脚本を担当する万葉学者、上野誠・奈良大学教授が登場し、「美しい人・美しい声を聴く前にはまず私を見るという試練がある」といつものユーモアを交えながらオペラについて紹介した。小林さんには「名もなき人(遣唐使船で中国に渡った留学生や送り出した家族や恋人たち)を慰めてくれる鎮魂の歌を歌ってもらう」そうだ。

 第1部の前半は2014年発売のデビューアルバム「花のしらべ」にも収められているドイツ、イタリアの歌曲4曲。シューベルト「野ばら」とシューマン「君は花のよう」「春が来た」、そしてトスティの「バラ」。この後、ピアノ伴奏者森島英子さん(指揮者としても活躍)の独奏、モーツァルトの「幻想曲二短調」を挟んで、後半は歌劇のアリア3曲を披露した。モーツァルトの「フィガロの結婚」より「とうとう嬉しい時が来た」(通称「薔薇のアリア」)では日本語とイタリア語でスザンヌ役を表情豊かに熱唱。プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」とドヴォルザークの「ルサルカ」より「月に寄せる歌」では伸びやかな高音の美しさに魅了された。

 第2部は日本の歌曲で構成。「大好きな曲」という山田耕筰の「この道」と「からたちの花」に続いて、同じ詩に中田喜直と別宮貞夫の2人が別々に作曲した「さくら横ちょう」。小林さんは詩の朗読などにも取り組んでいるというだけあって、発音が美しく明瞭なため実に聴きやすく耳にすっと入ってくる。どの歌も情景が目に浮かんでくるようで、日本歌曲の魅力と神髄に改めて触れた思いがした。

 2部後半は橋本國彦の作品を4曲集めた。「お菓子と娘」に続いて「スキーの歌」と「お六娘」。この2曲を作詩したのは林柳波で、小林さんが「私のひいおじいちゃん(曽祖父)です」と紹介すると、ホール内に一瞬どよめきが起きた。最後の曲は「舞」。それまでは若草色や赤のドレス姿だったが、この曲ではあでやかな着物姿に。金地の扇を右手に軽やかな舞を披露しながら熱唱した。アンコールはシューマンの「献呈」と、小林さん自作の「えがおの花」。「♪けれど私は信じている 今日も種を植える いつか世界がえがおの花で あふれますように」。あっという間の2時間。終演後、小林さんのサインがもらえるという初アルバムの販売コーナーには男性を中心に長い行列ができていた。

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<鏡作神社> 五穀豊穣を祈る「御田植祭」で牛が大暴れ!

2016年02月22日 | 祭り

【派手に暴れるほど、その年は豊作になるとか】

 奈良県田原本町の古社、鏡作(かがみつくり)神社で21日、五穀豊穣を祈って御田植祭(おんだ祭り)が行われた。最大の見どころは「牛つかいの儀」。田男と共に登場する牛が暴れれば暴れるほど、その年は豊作になるといわれている。この日も拝殿前の〝神田〟で暴れまくった末に足がもつれてひっくり返り、見物客の笑いを誘っていた。

 御田植祭は午後1時にスタート。拝殿での祝詞奏上などの神事に続いて、花笠に絣の着物と赤い前垂れ姿の早乙女によって「御田植舞」と「豊年舞」が奉納された。最初の「お田植舞」には小学生のかわいい女の子たちも加わった。この後、御田植祭保存会の白装束の男性陣が鋤や鍬を使って田起こしや畦塗り、もみ蒔きなどの農耕所作を熱演。「腰が疲れる」と腰をさすりながら一休みする場面もあった。

 

 

 そして注目の牛が田男に引かれて登場。中に入っているのは2人の中高年の男性。深い砂地を中腰の格好ではさぞきつかろう。と、やはり腰砕けのようにばったり。笑いを誘う演出半分だが、そのたびに見物客だけでなく田男たちも笑いをこらえきれない様子だった。「牛つかい」が終わると、横一列になって〝神田〟にいくつもの松苗を置いていった。並べ終えるや「雨や雨や」の掛け声を合図に、見物客は一斉に突進して松苗を奪い合っていた。この後、餅や菓子などが入った御供まきもあった。

 

 

 

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<奈良市・学園前ホール> 阿見真依子ピアノリサイタル

2016年02月21日 | 音楽

【ショパン「バラード1番」、ベートーヴェン「熱情」など熱演】

 奈良市西部会館市民ホール(学園前ホール)で20日、奈良県出身のピアニスト阿見真依子さんのピアノリサイタルが開かれた。東京芸術大学・大学院を卒業・修了し、第22回宝塚ベガ音楽コンクール(2010年)1位、第6回パナマ国際ピアノコンクール(14年)3位と入賞を重ね、日本ショパンピアノコンクール2015でも2位入賞。同ホールでのリサイタルは昨年に続き2回目で、ロマン派の作品を中心に表現力豊かな演奏を聴かせてくれた。

     

 第1部はバッハのコラール「主よ、人の望みの喜びよ」(マイラ・ヘス編曲)から始まった。次いでメンデルスゾーンの「無言歌集より〝春の歌〟」と「6つの前奏曲とフーガより第1番」。前奏曲では波が繰り返し打ち寄せるような左手のアルペジオと1音1音力強く刻む右手の主旋律がうまく調和して心地よく響き渡った。続いてショパンの作品4曲、「子犬のワルツ」「24の前奏曲より〝雨だれ〟」「バラード第1番」そして「英雄ポロネーズ」。

 「バラード第1番」はショパン20代前半の作品で、ショパンの作品の中でシューマンが最も好きな1曲として挙げたといわれる。フィギュアスケートの羽生結弦はこの曲を2014/15、15/16と2シーズン続けてショートプログラムに採用した。そして昨年11月のNHK杯と12月のグランプリファイナルで世界歴代最高得点を立て続けに更新したことで、この曲は日本人にとってクラシックファンならずとも馴染み深い1曲になった。阿見さんは10分近いこの大作を緊張感が途切れることなく時に叙情的に、時に情熱的に見事に弾ききった。

 休憩を挟んで第2部最初の曲目はシューマンの「アベッグ変奏曲」。作曲家に転向する以前ピアニストを目指していた頃の作品で作品番号は「Op.1」となっている。続いてシューマンが妻クララに結婚前夜プレゼントした歌曲をリストがピアノ版に編曲した「献呈」。妻への愛と幸せの絶頂期に作られた作品で、明るく伸びやかな演奏は聴き手までも幸福感で満たしてくれた。

  最後の曲目はベートーヴェンの3大ピアノソナタの1つといわれる第23番「熱情」。阿見さんは難聴が悪化する中でベートーヴェンが1802年に書いた遺書の内容や彼の不屈の精神を紹介した後で、雄大な交響曲のようなこの作品を最後まで力強く演奏して締めくくった。鳴り止まない拍手の中で演奏したアンコールはリストの「ラ・カンパネラ」だった。

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<ツグミ(鶫)> シベリアから渡来し晩秋~早春を日本で過ごす冬鳥

2016年02月19日 | 小鳥たち

【福井県の鳥、「だるまさんが転んだ」式歩行術!】

 日本に渡来する代表的な冬鳥の1つ。ヒタキ科ツグミ亜科で、シベリア東部~カムチャッカ半島で繁殖し、日本には晩秋大きな群れでやって来る。そして冬は単独で行動し、早春になると再び大群となって帰っていく。体長は24~25cmほどで、よく群れで見かけるムクドリとほぼ同じ。ヒヨドリに比べると、ほっそりしてスマートに見える。

 頭や背は黒褐色で、目の上の太くて長い白眉がチャームポイント。翼は赤褐色。胸と腹には白地に黒い斑模様が入る。翼の色や胸の斑点の濃さは個体によって異なるという。地鳴きは「クイックイッ」。ツグミの語源ははっきりしないが「噤(つぐ)む」から来ているという説も。冬鳥のため日本では口をつぐんでほとんどさえずらないからというわけだ。

 鳥類の多くは地面を歩く際、両脚でピョンピョン跳ねるか、または片足を交互に出しトコトコ歩く。だがツグミはカラスの仲間とともに両方を器用にこなす。その歩き方は子どもの遊び「だるまさんが転んだ」に例えられる。最近庭先によく姿を見せるツグミを観察していると、早足で数歩進んでは姿勢を正してピタッと立ち止まる。これを繰り返しながらくちばしで枯葉を払ってミミズや小さな虫などを探し回る。

 ツグミはかつて食用の焼き鳥にする目的で、渡りの時期になるとカスミ網で大量に捕獲された。カスミ網猟はとっくの昔に禁止されたが、その後も密猟は絶えないという。そのツグミを「県の鳥」に指定し大切に見守っているのが福井県。毎年日本海を渡って福井県内に飛来するツグミは100万羽に上るという。ツグミは福井県立大学の学章のデザインにもなっている。「鶫来るふもとの村の赤子かな」(大峯あきら)。

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<飛鳥資料館> 冬期企画展「飛鳥の考古学 飛鳥の古墳調査最前線」

2016年02月18日 | 考古・歴史

【飛鳥寺西方遺跡、檜隈寺瓦窯跡など最新の発掘成果を一堂に】

 奈良文化財研究所飛鳥資料館(明日香村)で冬期企画展「飛鳥の考古学 飛鳥の古墳調査最前線」が開催中。新発見が相次ぐ飛鳥の終末期古墳にスポットを当てるとともに、最新の遺跡発掘調査の成果も出土品とともに一堂に紹介している。3月6日まで。

   

 明日香村の飛鳥寺西方遺跡(下の写真㊧、右奥は甘樫丘)からは2014年度の調査で飛鳥時代の砂利敷とともに初めて2棟の掘っ立て柱の建物跡が見つかった。この遺跡はその名の通り、蘇我馬子が建立した国内初の本格的仏教寺院飛鳥寺の西方にあり「入鹿の首塚」(写真㊨、奥は飛鳥寺)のすぐそばに広がる。ここには日本書紀の記述から飛鳥時代に様々な催しが開かれた「槻木(つきのき)の広場」があったとみられる。槻木はケヤキの大木。中臣鎌足と中大兄皇子はこの大木があった広場で開かれた蹴鞠の会で巡り合った。発掘調査は2008年から継続中。今後の発掘成果が注目される。

 

 渡来系氏族東漢(やまとのあや)氏の氏寺だった檜隈寺(ひのくまでら)跡地(現在の於美阿志神社境内)からはこれまで知られていなかった瓦窯が見つかった。出土した瓦や窯壁、炭化物の年代から、寺の補修のため10世紀頃に造られたとみられる。古代史の舞台として有名な「磐余池(いわれのいけ)」があったと伝わる東池尻・池之内遺跡(橿原市)では6世紀後半に人工的に築かれた堤の上面幅が25m以上あり、堤の上に6世紀後半~7世紀の建物群があったことが分かった。

 このほか甘樫丘南端に位置し貼石を施した大規模な堀割が見つかった小山田遺跡(明日香村)、斉明天皇と2人の皇女が眠る墓とみられる牽牛子塚古墳・越塚御門古墳(同)、馬具や玉類などの副葬品が出土した上(かむら)5号墳(同)、藤原宮のための瓦を生産していたとみられる市尾瓦窯跡(高取町)などの出土品も展示中。天皇稜特有の八角形の牽牛子塚古墳や蘇我馬子の墓ともいわれる石舞台古墳の墳丘模型も展示されている。

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<相撲発祥の地宣言まつり> 特別展「大坂山口神社と宮相撲」

2016年02月16日 | メモ

【28日には葛城市で横綱白鵬を迎え〝相撲サミット〟を開催】

 奈良県香芝市のふたかみ文化センターで特別展覧会「大坂山口神社と宮相撲」が開かれている(28日まで)。相撲にゆかりの深い香芝、葛城、桜井3市による「相撲発祥の地宣言まつり」の一環。3市が「相撲」をキーワードに連携し地域活性化や観光振興につなげようという狙いで、2月28日には葛城市で横綱白鵬を迎え「相撲サミット2016in葛城」などが開かれる。

          

 日本書紀は垂仁天皇の時代に當麻蹶速と野見宿禰が力比べをし、天皇は勝った宿禰に蹶速の領地だった「腰折田」を賜ったと記す。これが日本の相撲の始まりといわれる。その腰折田の伝承地があるのが香芝市。桜井市は2人による天覧相撲が行われたともいわれる相撲神社があり、また葛城市は蹶速の出身地で、「けはや座」と呼ばれる相撲館が設けられている。

 宿禰の出身地として候補地の1つになっているのが現在の桜井市出雲。出雲地区の村社、十二柱神社の境内には宿禰の顕彰碑や宿禰塚と伝わる五輪塔も立つ。だが、ふたかみ文化センターで14日「當麻蹶速と野見宿禰―相撲の古代学」と題し講演した辰巳和弘・元同志社大学教授は、「出雲国に勇士有り。野見宿禰と曰ふ」という書紀の記述から「恐らく山陰の出雲地方ということで出雲国といったのだろう」と指摘した。ただ、書紀はその直後に「即日(そのひ)に、倭直(やまとのあたひ)の祖長尾市を遣(つかわ)して、野見宿禰を喚(め)す」と記す。山陰から「即日に喚す」ことが可能だろうか。それとも「即日に」は「遣して」にかかり、「喚す」のは後日だったと解釈すべきなのだろうか。

 

 ふたかみ文化センター・市民ギャラリーで開催中の特別展では、古くから宮相撲が行われていた大坂山口神社(香芝市穴虫)に伝わる江戸後期の奉納相撲板番付や相撲絵馬、地元出身力士大の松為次郎の写真・稽古まわし、当麻寺奉納相撲板番付、蹶速・宿禰戦の墨絵や切り絵などを展示している。会場入り口には奈良県出身の郷土力士徳勝龍の等身大パネルも。28日のサミットでは西岩親方(元若の里)による基調講演や、白鵬と「けはや座」名誉館長・河内家菊水丸氏の対談、3市による相撲観光共同宣言などがある。その日には「けはや座」で現役力士による初っ切りや握手会などがある「どすこい!すもう祭り」、屋敷山公園で宮城野部屋の本格ちゃんこを味わえる「ごっちゃんです!相撲マルシェ」なども計画されている。

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<メジロ(目白)> その名は目の周りを縁取る白いアイリングから

2016年02月14日 | 小鳥たち

【好物は花の蜜や小さな昆虫。リンゴやミカンなども】

 スズメより少し小さい愛らしい留鳥で、日本をはじめ中国、台湾、フィリピンなどアジア東部の温帯域に生息する。目の周りの白い輪からメジロの漢字には「目白」「眼白」または「繍眼児」が当てられる。「繍眼児」は白い輪の羽毛の生え方がまるで刺繍を施したように見えることから。絵やイラストでは真ん丸い円で表現されることが多いが、よく見ると完全な円ではなく目の前部で円が切れていることが分かる。

 雌雄の体色はほぼ同じ。頭から背面にかけては黄緑色、胸と脇は赤褐色で腹は白い。メジロは一夫一妻で仲睦まじい。繁殖期の5~8月頃になると、雄と雌が巣作りから抱卵、ひなへの餌やりまで共同して行う。好物はクモやハチ、ガ、バッタなどの小さな昆虫、そしてウメ、サクラ、ツバキなどの花の蜜。甘党で熟したカキなど果実も大好物だ。リンゴ、ミカン、ハッサクなどを2つに切って庭の枝に刺しておくと頻繁に立ち寄ってくれる。

 繁殖後の秋~冬にはいくつもの番(つがい)が集まって10~30羽ぐらいの群れで行動し、木の枝に押し合うようにくっつきあって止まるという。そこから「目白押し」という言葉が生まれた。ペットショップなどの鳥小屋内はともかく、屋外でそんな光景を一度目にしたいのだが……。メジロは「チィー、チィー」と地鳴きし、繁殖期の雄のさえずりは〝聞きなし〟で「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」と表現される。そのさえずりを競う「鳴き合わせ会」が古くから全国各地で開かれてきた。 

 一定の時間内に何回鳴くかを競うもので、好成績を上げたメジロの中には「横綱」や「大関」として数十万~数百万円で取引されたこともあったそうだ。ただメジロの捕獲は野鳥の中で唯一1世帯1羽の飼育を前提に認められていたが、2012年春から捕獲は原則的に禁止となった。その背景には野鳥保護のほか密猟の横行、暴力団の資金源封じなどがあるといわれる。2015年春には愛知県警が「鳴き合わせ会」のメンバーを家宅捜索、メジロを中心に約360羽を押収し20人余を鳥獣保護法違反(違法飼養など)で書類送検した。メジロは和歌山県、大分県の県の鳥。「目白籠吊せばしなふ冬木かな」(室生犀星)

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<BOOK> 「語られた自叙伝 遠山一行」

2016年02月13日 | BOOK

【遠山一行著・長谷川郁夫編、作品社発行】

 遠山一行(1922~2014)はクラシックを中心とする音楽評論の第一人者として長年健筆を振るった。一昨年12月の逝去から1年余り。本書は生い立ちを辿った聞き書きの「語られた自叙伝」と2002年以降に様々な媒体に寄稿した随筆の「未刊エッセイ」の2部で構成する。自叙伝の聞き書きは2009年に行われたもの。生前あまり触れられることのなかった私生活を回想しながら、最後は「最近の音楽、特に演奏が気に入らない」と苦言を呈しているのが印象的だ。

      

 遠山は日興証券(現SMBC日興証券)の創業者で初代会長の遠山元一の長男として生まれた。東大在学中の1943年には学徒出陣で入隊し、45年9月の復員まで内地で軍隊生活を送る。その後、フランス留学などを経て、日本近代音楽財団理事長、東京文化会館館長、桐朋学園大学学長などを務め、96年には文化功労者に選ばれた。

 また日本音楽コンクール委員長を務めるなど内外でのコンクールとの付き合いも長かった。ただ自叙伝でコンクールには「複雑な気持ちを持っていた」と告白し「これは一種の必要悪だと思う」と吐露している。「今の音楽界の技術偏重や演奏の画一化はコンクールに大いに関係がある」とも。文学の芥川賞のように審査員の間で議論がなく、点数だけで機械的に決まる状況に疑問を抱いていた。

 主として西洋音楽に携わった遠山は日本の音楽をどう見ていたのだろうか。エッセー『音楽深邃(しんすい)―音楽その合理性と幽邃なるもの』には、能の楽器演奏に強く魅かれるとし「これ程純粋な音楽はないだろう」と綴る。「つづみが打ち鳴らされる。笛が鳴りひびく。それは、西洋音楽の算術的なリズムや音程とはちがって、極めて自由で即興的な時間と空間の感覚に満ちている。そしてそれでいて厳密な秩序が支配する世界である」

 エッセー『八十歳の幸福』の中では再び「最近は、音楽会に行っても気に入らずに帰ることが多い……音楽の商品化の勢いのなかで、腕前を見せびらかすような演奏が氾濫しているので」とぼやく。だが続いて「本物の演奏家」に出会ったとして、バイオリニスト塩川悠子さんの名前を挙げる。「豊かな情熱にあふれた演奏はいまではほとんど聴くことのできない世界である」

 ノーベル賞受賞者でモーツァルトファンの小柴昌俊さんの半生を連載した日本経済新聞の「私の履歴書」(2003年2月)にこんなくだりがあった。「特に気に入っているのが遠山慶子さんの演奏……お祝い事があると遠山さんは友人のバイオリニストの塩川悠子さんといっしょに私のためにモーツァルトを演奏してくれる」。遠山慶子さんは遠山一行が渡仏時代に知り合って結婚した夫人で、国際的なピアニストでもある。

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<大和文華館> 特別企画展「仏教の箱―荘厳された東アジアの容れもの」

2016年02月11日 | 美術

【舎利容器・厨子・経箱・経筒……国宝2点、重文4点など60点余】

 大和文華館(奈良市学園南)で特別企画展「仏教の箱―荘厳された東アジアの容れもの」が開かれている。舎利容器や仏像を納める仏龕(ぶつがん)・厨子、経典を納める経箱・経筒など62点。この中には国宝2点「一字蓮台法華経」「金銀鍍宝相華唐草文経箱」や重要文化財4点も含まれる。21日まで。

   

 「一字蓮台法華経」(写真)は平安時代の装飾経典を代表するもので、同館が所蔵する国宝4点のうちの1つ。縦26cm、長さは322cmある。法華経最後の章である「普賢菩薩勧発品」を書写したもので、金銀の切箔や砂子をちりばめた華やかな料紙に、経文が一字ずつ蓮台の上に墨書され金の輪で囲まれる。これは経典の文字1つ1つを仏身とみなす〝一字一仏〟の思想に基づく。見返り部分は法会の様子を描いた大和絵が飾る。国宝の「一字蓮台法華経」には福島県会津美里町の龍興寺所蔵のものもある。

 国宝「金銀鍍宝相華唐草文経箱」は比叡山延暦寺蔵で、現存する最も華麗な経箱の1つといわれる。平安中期に栄華を極めた藤原道長の娘で、一条天皇の中宮だった上東門院彰子(988~1074)が1031年ごろに法華経を書写し、この経箱に納めて比叡山に埋納したとみられる。道長はそれより20年余り遡る1007年に法華経を経筒に納め奈良・吉野の金峯山経塚に埋納した。今展ではその「金峯山経塚出土品」(金峯神社蔵、重要文化財)の一部も展示中。

 ほかの特別出陳に「黒漆宝篋印塔嵌装舎利厨子附法華経」「鳳凰文鎗金経箱」(いずれも奈良国立博物館蔵、重要文化財)、中国・唐時代の「舎利容器」「『南栢林弘願和尚身槨』銘石槨」(いずれも泉屋博古館蔵、重要美術品)などがある。

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<オオシロショウジョウバカマ> 琉球列島に自生する日本固有種

2016年02月10日 | 花の四季

【環境省のレッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類】

 ユリ科の常緑多年草。日本固有種で、鹿児島県の徳之島、沖縄本島の北部、石垣島、西表島に分布する。漢字では「大白猩々袴」。「猩々袴」の名前の由来には諸説あるが、赤紫色の花色を酒好きで赤ら顔の想像上の生き物猩々に、ロゼット状に地面に広がる根出葉を袴にたとえたともいわれる。

 オオシロショウジョウバカマはそのショウジョウバカマの仲間で、全体的にやや大きく花色が白い(またはうすいピンク)ことによる。山中の渓流沿いなど暗く湿った場所を好む。花期は1~2月。草丈は10~30cmで、花茎の先に長さ1.5cmほどの細長い花を10~20個下向きに付ける。花被片は6個、葉はへら状で長さ10~30cm。花茎は花後にも伸びる。

 琉球列島にはこのオオシロショウジョウバカマのほかに、ショウジョウバカマの仲間では最も小さい「コショウジョウバカマ(シマショウジョウバカマ)」も自生する。葉の長さは2~5cm、花茎も5~10cmと小型。この2種は絶滅の危険が増大しているとして、いずれも環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に分類されている。

 ショウジョウバカマ自体は北海道から九州まで広く分布するが、花色などに変異が多く八重咲きのものもある。関東以西の本州と四国に自生する白花種は「シロバナショウジョウバカマ」と呼ばれる。他にも九州に自生し花が白または淡紅色の「ツクシ(筑紫)ショウジョウバカマ」、その矮性種で屋久島固有の「ヤクシマショウジョウバカマ」などがある。

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<ヤマガラ(山雀)> 人懐っこい留鳥 かつては「おみくじ引き」で人気!

2016年02月09日 | 小鳥たち

【木の実などを樹皮や地面の中に蓄える〝貯食〟の習性も】

 スズメほどの大きさのシジュウカラ科の野鳥。黒・白・灰色・赤褐色という色鮮やかな配色が美しい。生息域は日本や朝鮮半島中南部、台湾など。主食は木の実や小さな昆虫などで、市販のヒマワリの種も大好物だ。餌が少なくなる晩秋~早春に庭先に置いておくと、1粒ずつくわえては近くの横枝上で、両足で押さえて鋭いくちばしを何度も打ちつけ殻を破って食べる。

 ヤマガラには〝貯食〟という習性がある。木の実や種を幹や樹皮の隙間、地面の中などに貯め込み、後で取り出して食べる。蓄えた場所はかなりの高い確率で覚えているという。この習性は種子の広域散布・発芽にもつながっているようだ。ヤマガラは人懐っこく芸達者な鳥としても知られる。縁日でヤマガラの「おみくじ引き」を目にした光景がおぼろげながら記憶の彼方に浮かぶ。

 

 この芸はくわえた1円玉を賽銭箱に落とした後、くちばしで鈴を鳴らす。そしてお宮の扉を開け、おみくじをくわえてヤマガラ使いのおじさんに渡すというもの。小山幸子著『ヤマガラの芸 文化史と行動学の視点から』(法政大学出版局刊、写真は表紙の上半分)によると、見世物としてヤマガラ芸がもてはやされたのは江戸時代になってから。ただ複数の芸を組み合わせた「おみくじ引き」は昭和に入って初めて完成した。

 同書の「ヤマガラの芸の時代による推移」一覧には20を超える演目が列挙されている。簡単な「つるべ上げ」や「鐘つき」「那須の与一」などから、「おみくじ引き」や「かるたとり」「暗算」「輪抜け」という難度の高い芸まで。「かるたとり」は上の句を読むと、ヤマガラが下の句のかるたを取ってくるというもの。江戸時代に最もはやったそうだ。ただ、こうしたヤマガラ芸も野鳥の捕獲禁止や後継者難に加え、オウム・インコなど芸達者な小鳥の流通などもあって、昭和の半ば以降急速に廃れていった。「山雀の芸こぞり見る年の市」(真下喜太郎)。

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