く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<高野山・中門> 広目天と増長天の胸元に「セミ」と「トンボ」!

2016年05月28日 | アンビリバボー

【平成の大仏師・松本明慶さんが想いを込めて】

 久しぶりに高野山を訪ねた。お目当ての1つが昨年、高野山開創1200年の記念事業として172年ぶりに再建された壇上伽藍の中門(ちゅうもん)。高さ16m、東西25mで、威容を誇る根本大塔と同じような朱色。壮麗な門構えに目を瞠るが、より目を奪われたのは新しく安置された広目天と増長天の胸元だった。そこにはブローチのように「セミ」と「トンボ」が止まっていた!

 

 標高が800mを超える高地にある壇上伽藍は度々落雷による火災に遭い、焼失と再建が繰り返されてきた。伽藍の正面入り口に当たる中門も1843年(天保14年)の大火で焼失し、その後は礎石だけが残っていた。再建された中門は819年(弘仁10年)完成の初代から数えて8代目に当たる。火災の際、焼失を免れた持国天と多聞天は修復後、西塔に仮安置され、その後は根本大塔に移されていた。

 

 広目天と増長天は中門再建に合わせて新たに造られた。作者は京都・大原野に工房を持つ〝平成の大仏師〟松本明慶師。ヒバ製で高さは持国天・多聞天と同じく約4.3m。これで中門に四天王がそろった。持国天・多聞天は伽藍の外側に向かって、広目天と増長天は内側に向かって安置されている。四天王といえば仏教界の四方を守る守護神だが、それにしてもその胸元にセミとトンボとは実に独創的な意匠。もちろん他に例を見ない。

 「あれ、セミ!」「なぜ、そこに?」広目天と増長天の二天王を見上げていた参拝者、観光客の関心ももっぱら胸元の昆虫に集まっていた。セミはアブラゼミのように見える。トンボはオニヤンマか。そこに明慶師はどんな想いを込めたのだろうか。セミのオスは大きな鳴き声を遠くまで届ける。それは周囲を圧倒するほどの大音響。トンボはスイスイまっすぐ前に飛ぶ。ただ前進あるのみ。そこから広目天のセミは「威嚇」の姿勢を、増長天のトンボは「後ろにしりぞかない」という強い姿勢を表しているそうだ。高野山はいま爽やかな春風が吹き抜け、モミジなど木々の若葉も色鮮やか。トンボは目にしなかったが、ハルゼミらしきものが鳴いていた。(下の写真は㊧持国天、㊨多聞天)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ハクチョウゲ(白丁花)> 星形の愛らしい白い小花をびっしり

2016年05月26日 | 花の四季

【中国・インドシナ原産、庭木や生け垣などに】

 中国、台湾やインドシナ半島のベトナム、タイなどに分布するアカネ科ハクチョウゲ属(セリッサ属)の小低木。原産地では常緑だが、日本の寒い地域では冬場に落葉する。初夏に葉の脇から白、または淡紅紫色の愛らしい小花をいっぱい付ける。花は1cm弱の漏斗状で、先が5つに裂けて開いた星形。漢名では「六月雪」や「満天星」などと呼ばれるそうだ。

 ハクチョウゲは強い刈り込みに耐え病気や害虫も少ないことから、古くから生け垣や庭木などに利用されてきた。渡来時期は不明だが、江戸前期の元禄年間(1688~1703年)に書かれた園芸書『花壇地錦抄』(伊藤三之丞著)や『花譜』(貝原益軒著)などにその名が登場することから、それ以前に渡来していたのは間違いなさそう。学名は「セリッサ・フォエティダ」。海外からの渡来植物なのに「セリッサ・ヤポニカ」(「ヤポニカ」は「日本の」の意)という異名もある。属名「セリッサ」は一説によれば18世紀のスペインの植物学者の名前に因む。

 和名の由来について『花と樹の事典』(柏書房発行)は「丁字咲の白花の意味」としている。樹形や花の形などがよく似た植物にシチョウゲ(紫丁花)がある。別のシチョウゲ属に分類されている日本固有種で、7~8月頃、名前の通り紫色の小花を付ける。自生地は近畿南部~四国地方で、川岸の岩の上に生えることが多い。花姿をハギに見立てて「イワハギ(岩萩)」とも呼ばれる。観賞のために盆栽や鉢植えとして栽培されることも多い。

 ハクチョウゲの変種に「ダンチョウゲ(段丁花)」と呼ばれるものがある。枝がやや太めで、節と節の間隔が狭くて小さな葉を密に付ける。園芸品種には花冠が二重になるフタエザキハクチョウゲ、八重咲きのヤエハクチョウゲ、葉に白い縁取りが入るフイリハクチョウゲ、紫がかった白花のムラサキハクチョウゲなどがある。「しら土の壁のこはれや白丁花」(既白)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ガクウツギ(額空木)> アジサイ属の落葉低木 清楚な花もガクアジサイに似て

2016年05月25日 | 花の四季

【別名「コンテリギ」白い花は萼片が変化した装飾花】

 アジサイ科(前ユキノシタ科)の落葉低木。本州の関東以西と四国、九州の山地に自生する。5~6月頃、枝先の散房花序に淡黄緑色の小さな両性花と、その周りに涼しげな白い大きな装飾花を数個付ける。装飾花は3枚の花弁状だが、これは萼片が変化したもの。遠目には白いガクアジサイに少し似ているように見える。

 ガクウツギの名前は樹形や茎葉がウツギ(空木)に似て、装飾花を額に見立てたことからといわれる。ウツギは別名「ウノハナ(卯の花)」。佐佐木信綱作詞の『夏は来ぬ』で「卯の花の匂う垣根に……」と歌われている花木で、幹の中がストローのように中空になっていることからその名がある。ただしウツギは同じアジサイ科でもウツギ属。アジサイ属のガクウツギとは属が異なる。

 ガクウツギは「コンテリギ」という別名を持つ。漢字では「紺照木」。葉が深い緑色をして独特の光沢があることからの呼び名のようだ。よく似た仲間に小型の「コ(小)ガクウツギ」がある。花序の直径が10cmほどあるガクウツギに対し、コガクウツギは3~5cmほどで葉の形も小さい。このコガクウツギも同様に「コンテリギ」と呼ばれており混同しやすい。

 「○○コンテリギ」の名を持つアジサイ属の植物は他にも多い。沖縄本島北部に自生する「リュウキュウ(琉球)コンテリギ」は花序の周りに装飾花がないのが特徴。「ヤクシマ(屋久島)コンテリギ」は「ヤクシマアジサイ」とも呼ばれ、装飾花の萼片にギザギザ模様が入る。「ヤエヤマ(八重山)コンテリギ」は石垣島や西表島に分布する固有種。「カラ(唐)コンテリギ」は亜熱帯性の常緑アジサイで「トカラ(吐喝喇)アジサイ」とも呼ばれる。ガクウツギの変種とみられ、南西諸島から中国、台湾、フィリピンにかけて自生する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<エキウム・ウィルドプレッティ> 〝宝石の塔〟1株に2万個もの小花!

2016年05月22日 | 花の四季

【原産地はアフリカ西岸沖に浮かぶ常春の楽園カナリア諸島(スペイン領)】

 ムラサキ科シャゼンムラサキ属(エキウム属)の2年草。花茎の高さは1~2m、大きいものは3mほどにもなり、1株に約2万個ともいわれる赤紫色の花をピラミッド状にびっしり付ける。その無数の小花を宝石のようにちりばめた様子から〝宝石の塔〟と称される。

 原産地はアフリカ大陸のモロッコ沖に浮かぶスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島。7つの群島のうち最大の島で、スペイン最高峰のテイデ山(標高3718m)がそびえる。その山の中腹、亜高山帯に自生する。エキウム属は地中海沿岸を中心に50種ほどあるそうだが、「ウィルドプレッティ」はその中で最も大型。カナリア諸島には同属で草丈が低い「カンディカンス」「ギガンテウム」なども分布する。

 属名「エキウム」は一説にギリシャ語で毒蛇を指す「echis」から付けられた。種子の形が毒蛇の頭のように見えるからという。種小名「ウィルドプレッティ」はテネリフェ島の植物園園長だったヘルマン・ウィードゥプレイツの名前に因む。この植物が広く知られるようになったのもヘルマンが100年ほど前に英国のキュー王立植物園に紹介してから。ただ彼は当初「カンディカンス」と紹介していたが、別種と判明したことから彼の名に因む学名が付けられたそうだ。

 この植物は播種後2~3年目の晩春から初夏にかけてようやく花が開く。開花中は蜜を求めミツバチなど多く昆虫が集まる。自生地は雨が少ない温暖な気候。そのため日本のような高温多湿な地域での露地栽培はなかなか容易ではない。日本で最初に栽培に成功したのは京都府立植物園(京都市左京区)といわれる。1980年に元園長がコペンハーゲン大学から譲り受けた種子から栽培し、82年に初開花したという。愛知県安城市の花と緑の公園「デンパーク」もエキウム属の植物の栽培に意欲的。2007年には「ウィルドプレッティ」と「シンプレックス」を交配して新品種の開発に成功している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ねごろ歴史の丘> 「歴史資料館」に根来寺の盛衰を物語る様々な出土品!

2016年05月20日 | 考古・歴史

【明治の名建築「旧県会議事堂」とともに4月にオープン】

 中世〝根来衆〟として一大勢力を誇りながら、羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めで寺院の大半を焼失した根来寺(和歌山県岩出市)。岩出市立ねごろ歴史資料館にはその根来寺の盛衰を物語る出土品やパネル写真などが展示されている。市制施行10周年に合わせて、隣接地に移築した旧和歌山県会議事堂とともにこの4月にオープンした。市は一帯を市の歴史と文化を伝える地域として「ねごろ歴史の丘」と名付けている。

 

 根来寺は真言宗から独立した新義真言宗の総本山。開創は平安時代末に真言宗を中興した覚鍐(かくばん)上人で、隆盛を極めた室町末期には2千700余の子院・僧坊と数万の僧兵を擁したともいわれる。だが、天正13年(1585年)秀吉の焼き討ちによって全山が火の海に包まれた。資料館に展示中の赤く焼けた壁土や瓦、黒焦げの柱・敷居などが当時のすさまじい模様を生々しく伝える。

 地下室内からは焼けた桶が9つ出土した。火災が地下室にまで及んでいたことを物語る。そのうち1つの底板と焼けた側板も展示されている。山裾に巡らされた堀の跡からは宝篋印塔や五輪塔、石仏、板碑など486基もの石塔類が積み重ねられた状態で出土した。このような形でなぜ放置されたかは分からないという。内外の陶磁器類も多く出土した。海外のものは大半が中国製だが朝鮮製やベトナム製も見つかった。国産は常滑、瀬戸、美濃、信楽、丹波、備前、肥前など広範囲にまたがる。開館記念として、珍しい出土品の「金製蟹形飾り金具」なども展示中。

 

 資料館の東側に移築された県会議事堂は明治31年(1898年)の建築で、木造和風意匠の議事堂としては現存最古という。正面奥には床の間が設けられている。天井は正方形の格子状。中央部は折上格天井(おりあげごうてんじょう)と呼ばれるもので、前後左右で木目の向きを替えた市松模様になっている。夏目漱石がここで「現代日本の開化」と題して講演したこともあったそうだ。今回の移築前までは根来寺の境内にあって「一乗閣」と名付けられ大客殿として使われていた。

 

写真㊧は秀吉の兵火を免れた根来寺の「大塔」(国宝)、㊨は根来寺の中で最も古い建物の「大師堂」(重要文化財)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ユキノシタ(雪の下)> 古くから身近な薬草として親しまれてきた多年草

2016年05月18日 | 花の四季

【漢名「虎耳草」丸い葉をトラの耳になぞらえて】

 ユキノシタ科ユキノシタ属の半常緑性多年草。本州・四国・九州の山間や渓谷などの湿地に群生し、以前は人家の庭先などでもよく見かけた。日本の在来植物のような身近な存在だが、もともとは古く中国から渡ってきた帰化植物ともいわれる。花期は晩春から初夏にかけて。直立した細い花茎の集散花序に小さな5弁花をいくつも付ける。5弁のうち下の2枚は白くて大きく、上の3枚は極めて小さく、うすいピンク地に赤の斑点模様が入る。その花の形をカモの足に見立て、ユキノシタに「鴨足草」という漢字表記が当てられることもある。

 中国では葉の形をトラの耳になぞらえて「虎耳草(こじそう)」と呼ばれる。江戸時代初期の薬物和漢名対照辞典『多識編』(林羅山著)や江戸中期の百科事典『和漢三才図会』(寺島良安編)には漢名の「虎耳草」として出てくる。和名「雪の下」の語源ははっきりしない。一説に、寒さの厳しい冬の雪の下でも枯れずに青々としていることからとか、緑の葉の上に咲く白い花を雪にたとえたことから、などといわれる。2枚の白い花弁を〝雪の舌〟になぞらえたという説もある。

 ユキノシタは古くから中耳炎など耳の病によく利く民間薬として親しまれてきた。厚くて丸い葉っぱを火であぶり揉んで、耳ややけど、しもやけ、虫刺されなどの患部に貼ったり、搾り汁を塗ったりする。葉の主成分、硝酸カリウムや塩化カリウムには利尿作用もある。またアルブチンという成分には美白効果があるといわれ、これを配合した化粧品も生まれている。葉は和え物や煮物などの食材としても利用されてきた。中でも天ぷらはもちもちとした独特の歯触りと風味でおいしいそうだ。

 昨今の山野草ブームの中で人気が高いのが同じ仲間の「ダイモンジソウ(大文字草)」。花の上3弁がユキノシタより大きく、下2弁が二股に開いて、花の形が漢字の「大」に見えることから、その名がある。花期は遅く夏から晩秋にかけて。茨城県の筑波山には固有種の「ホシザキ(星咲き)ユキノシタ」が自生する。これは逆に下側の花弁が細く短く、花びらが線香花火のように放射状に広がったもの。つくば市の天然記念物で「市の花」にもなっている。「鴨足草薄暮の雨に殖えにけり」(長谷川零余子)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<スイカズラ(吸蔓)> 「忍冬」「金銀花」とも 花色が白から黄色に変化

2016年05月17日 | 花の四季

【主な花粉媒介者は蛾、甘い香りは夜一段と強く】

 スイカズラ科の常緑性つる植物で、日本をはじめ中国、朝鮮半島、台湾などに広く分布する。つるは右巻きで、よく分枝しながらフェンスなどに絡みつく。花期は5~6月ごろ。葉の脇に2つずつ細長い筒形の花を付ける。花冠は唇状で、上唇は先が4裂して立ち上がり、下唇は線状で下側に反り返る。その中央から長い雄しべ5本と雌しべ1本が突き出す。

 学名は「ロニケラ・ヤポニカ」。属名ロニケラは16世紀のドイツの植物学者アダム・ロニツァー氏に因み、種小名ヤポニカは「日本原産の」を意味する。和名スイカズラの語源については諸説あり、その1つに子どもたちがよく甘い蜜を吸って遊んだからというものがある。地方の呼び名を集めた『日本植物方言集成』にも「すいばな」「すいすいかずら」「すいすいぐさ」といった名前が列挙されている。そのほか▽水を吸うカズラから▽口をすぼめたような花冠の形から▽おできの吸い出し薬として用いられたから――などの説もある。

 スイカズラは「金銀花(きんぎんか)」とも呼ばれる。初め白い花色が次第に黄色に変化して、白花と黄花が混在することによる。またの名を「忍冬(にんどう)」というが、これは冬に人が身を縮めるように葉が内側に丸まって厳しい寒さを耐え忍ぶことからの命名といわれる。スイカズラのようなつる植物を図案化した文様は「忍冬唐草文(にんどうからくさもん)」と呼ばれ、飛鳥~奈良時代の仏像の光背や軒瓦などを飾った。

 甘い蜜を出し、いい香りを発散するため、花の周りはクマバチなど多くの昆虫が絶えない。ただ、主な花粉媒介者は夜に活躍する蛾(が)といわれ、香りも夜になると強さを一段と増す。花や葉を乾燥し煎じて服用すると、解熱や利尿、関節痛、湿疹、かぶれなどに効くという。花をホワイトリカーに漬けたものは「忍冬酒」と呼ばれる。沖縄地方に自生する小形の「ヒメスイカズラ」は、環境省からごく近い将来に絶滅する危険性が高まっているとして絶滅危惧ⅠA類に指定されている。スイカズラは夏の季語。「蚊の声す忍冬の花の散るたびに」(与謝蕪村)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<エビネ(海老根)> 日本を代表する春咲きの野生ラン

2016年05月14日 | 花の四季

【太くて節の多い根茎の形をエビに見立てて】

 以前は全国各地の山林や竹薮に多く自生していたラン科エビネ属(カランセ属)の多年草。特に関東、中部地方に多かったといわれる。節の多い根茎が連珠状に横に伸びる。その姿をエビに見立てた。4~5月頃、地際から生える数枚の長い若葉の間から高さ30~50cmほどの花茎を伸ばし、十数輪の唇弁のある花を横向きに付ける。萼片と側花弁は黄褐色や緑褐色、3つに裂けた唇弁は白または淡紅色。

 エビネ(学名「Calanthe discolor」)は「ジ(地)エビネ」とも呼ばれる。全国に広く分布し最も一般的なエビネということだろう。エビネという場合、世界に200種ほどあるエビネ属全体を指したり、日本原産の約20種のエビネ属だけを指したりすることもある。それらと区別し狭義に使うときに「ジエビネ」と呼ぶわけだ。日本原産のエビネ属には花が黄色の「キエビネ」、赤みを帯びた唇弁を猿の顔にたとえた「サルメンエビネ」、花の香りがいい「ニオイエビネ」、夏に咲く「ナツエビネ」などがある。

 エビネは地域によって花の色や大きさなど外観が異なる変異種が多いのも特徴。そのため「○○エビネ」と名前の頭に地名が付くものが多い。「キリシマ」「キソ」「アカクラ」「ヒゼン」「サクラジマ」「アマミ」「リュウキュウ」……。古くから観賞のために栽培された古典園芸植物の1つでもあり、江戸時代中期には栽培ブームの中で多くの新品種が作り出された。エビネは花材としても注目を集め、江戸時代の花道書にも多く取り上げられた。

 その後、華やかな洋ランに押され忘れ去られたが、昭和40年代に入って野生ランの栽培ブームが訪れ再びエビネが脚光を浴びるようになった。今も全国に同好の士が多く、毎年4~5月には各地でエビネ展が開かれる。環境省のレッドリストでは準絶滅危惧種。エビネは大分県杵築市や福岡県久山町などで市花や町花になっている。群生地としては町田薬師池公園内のえびね苑(東京都町田市)や伊豆諸島の御蔵島えびね公園(東京都御蔵島村)などが有名。「隠者には隠のたのしみ花えびね」(林翔)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ハクサンボク(白山木)> 枝先に直径10~15cmの白い小花の固まり

2016年05月13日 | 花の四季

【秋には真っ赤な実に、名前は誤認から?「白山には生えていない」】

 レンブクソウ科(旧スイカズラ科)ガマズミ属の半常緑低木。本州の中部以西、九州、沖縄の暖地の海岸沿いや山野に自生する。樹高2~6m。4~5月頃、枝先の集散花序に白い小花をたくさん付ける。小花の花冠は径6~8mmほどで、先が5つに裂ける。花序の直径は10~15cmにもなり、少し離れて見ると、まるで無数の白い星をちりばめたよう。

 秋になると小さな楕円形の実が真っ赤に熟す。白い花と赤い実を年に2度楽しめることから、庭木のほか生け花の花材としてもなかなか人気。葉は光沢のある緑色で、一部の葉は秋から冬にかけて紅葉する。硬い幹や枝は木釘や道具の柄などに用いられたという。伊豆半島や伊豆諸島には高さが2mに満たない「コハクサンボク」がある。

 白山といえば石川県にある名峰。その白山地域で見つかって名前の頭に「ハクサン」と付く植物は実に多い。ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、ハクサンシャクナゲ、ハクサンコザクラ……。ただ、このハクサンボクの名前に関しては「白山にはえていると誤認したもの」(改訂版原色牧野植物大圖鑑)といわれる。それにしても、寒さにあまり強くなく暖かい地域にしか自生しないのになぜ誤解したのか、という疑問が残る。真っ白な花の様子を雪の白山にたとえたのではないか。一部にそんな見方もあるそうだ。

 ハクサンボクによく似た花木に同属のガマズミがあるが、ガマズミは落葉樹で葉には光沢がない。ハクサンボクは九州地方を中心に様々な名前で呼ばれている。「いせび」「やまてらし」「いぬでまり」「ひよどりじゅーご」……。「いぬでまり」と呼ばれるのは、同属で花が白いガクアジサイのようなヤブデマリやその園芸種オオデマリに比べると、やや地味に見えるということだろうか。愛知県は「レッドリストあいち2015」で、ハクサンボクを絶滅の危険が増大しているとして絶滅危惧Ⅱ類に指定している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<大和文華館> 「琳派と風俗画―宗達・光琳・乾山・抱一」展

2016年05月12日 | 美術

【琳派の流れを辿る作品群、国宝「婦女遊楽図屏風」などの風俗画も】

 昨今の〝琳派ブーム〟の中で、大和文華館(奈良市学園南)で開かれている「琳派と風俗画―宗達・光琳・乾山・抱一」展が熱心な来場者で連日にぎわっている。尾形光琳と弟の尾形乾山を中心とする琳派の作品に加え、国宝『婦女遊楽図屏風』(松浦屏風)など琳派が活躍した桃山~江戸時代の風俗画も併せて展示中。5月22日まで。

 

 琳派の展示作品には4点の重要美術品が含まれる。伝本阿弥光悦作の『沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒』、尾形光琳筆の『扇面貼交手筥(せんめんはりまぜてばこ)』(上の写真㊧)と『中村内蔵助像』、尾形乾山作の『武蔵野隅田川図乱箱』(同㊨)。光悦は『風神雷神図屏風』で有名な俵屋宗達とともに琳派の創始者といわれる。〝寛永の三筆〟ともいわれ書や絵、工芸などに多才ぶりを発揮した。同展では笛筒のほか『新古今集和歌色紙』や光悦筆と伝わる『刀匠名書』も展示中。本阿弥家は刀剣の鑑定や研磨を家業としていた。

 宗達の展示作品は『寒山図』『桜図』や伝宗達筆の『伊勢物語図色絵』(六段「芥川」と八十段「衰えたる家」の2枚)。墨の濃淡を駆使して描いた『桜図』は深い味わいで、宗達水墨画の極致ともいえる。光琳の『扇面貼交手筥』は金箔貼りの桐箱に扇面画8面と団扇画4面を貼り合わせたもの。全12面のうち富嶽図、雲龍図など扇面画3面に光琳の落款と印章がある。ほかも光琳と関わりの深い絵師によるものだろう。光琳筆の展示作にはほかに『流水図広蓋』『雪舟写山水図』などがある。

 

 尾形乾山は光琳の5歳下の弟で、野々村仁清に作陶を学んだ。京都に乾山焼の窯を開いていたが、70歳を前に江戸に下る。『武蔵野隅田川図乱箱』は裏面に「八十一歳画」とあり没年の作品。見込みに太い墨線で蛇籠(竹や木を編んだ護岸用の籠)と波と水鳥、側面にススキが描かれている。ほかに源氏物語の「夕顔」をテーマとした『色絵夕顔文茶碗』(写真㊧)や『色絵竜田川文向付』、光琳と乾山のコラボ作品『銹絵(さびえ)山水文四方火入』(同㊨)や『銹絵菊図角皿』なども。江戸後期に光琳・乾山の顕彰活動に力を注ぎ、〝江戸琳派〟の祖といわれた酒井抱一に関わるものでは『瓶花図』や『光琳百図・光琳百図後編』などが展示されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ハルジオン(春紫苑)> ヒメジョオンと同じ北米原産の帰化植物

2016年05月11日 | 花の四季

【大正時代に観賞用草花として渡来、今や「日本の侵略的外来種」に】

 キク科ムカシヨモギ属の帰化植物。4~6月頃、白やうすいピンク色の直径2cmほどの小花を何輪も付ける。線状の細い花びらがきれいに円形に並び、真ん中が黄色い頭状花。原産地は北アメリカで大正時代の中頃、観賞植物として持ち込まれた。だが、今や「日本の侵略的外来種ワースト100」(日本生態学会選定)の1つに挙げられるなど〝雑草〟の代表格として扱われている。

 名前は日本在来種で秋咲きのシオン(紫苑)の花に似て、春に咲くことから。繁殖力が旺盛で、やせた土壌にも適応し、引き抜いても根が残るとまた芽を出す。太平洋戦争後、東京の焼け跡にはびこり、さらに1970年代に除草剤パラコートの使用開始に伴って関東を中心に爆発的に増殖し全国各地に広がったという。同じ北米原産の帰化植物で似た花としてよく挙げられるのがヒメジョオン(姫女苑)。渡来はハルジオンより50年ほど早い明治維新前後で、当時「柳葉姫菊」や「御維新草」などと呼ばれた。その後、各地の鉄道沿線に繁殖したことから「鉄道草」とも。

 そのヒメジョオンの花期はハルジオンより遅く6月頃から10月頃まで。ハルジオンは花が蕾(つぼみ)の頃、下向きにうつむいており、開花が進むにつれて立ち上がる。一方のヒメジョオンは最初から直立したまま。ほかにも、ハルジオンは葉の基部が茎を抱く(ヒメジョオン=抱かない)、花の頃にも茎の基部に根出葉が残っている(同=残っていない)、茎の内部は中空(同=白い綿状の髄が詰まっている)といった違いがある。

 雑草扱いされて普段見向きもされない草花だが、よく見ると花の1輪1輪は可憐でしとやかな感じ。一斉に咲き誇るハルジオンの群落にはつい目が引き付けられる。若芽はヒメジョオン同様、和え物やおひたし、油炒めなどに。蕾をてんぷらにしてもおいしいそうだ。3月下旬、乃木坂46のシングル曲『ハルジオンが咲く頃』が発売された。「ハルジオンが道に咲いたら 君のことを僕らは思い出すだろう いつもそばで微笑んでた 日向のような存在 心癒してくれた 白い花の可憐さ」(秋元康作詞)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<唐古・鍵ミュージアム> 春季企画展「弥生遺産Ⅳ~土製品・ガラスetc.」

2016年05月10日 | 考古・歴史

【土器、木製品、石器に続く唐古・鍵遺跡出土の分野別遺物紹介第4弾】

 奈良県田原本町の唐古・鍵ミュージアムで春季企画展「弥生遺産Ⅳ~唐古・鍵遺跡の土製品・ガラスetc.」が開かれている。国内有数の弥生時代の大集落、唐古・鍵遺跡。同ミュージアムでは出土した膨大かつ多種多様な遺物の中から、これまで3回にわたって土器、木製品、石器に焦点を当てた分野別企画展を開いてきた。最終回に当たる今回は、出土量は少ないものの弥生人にとって貴重な材質や役目を担っていたとみられる土やガラス、金属でできた製品、玉類、骨角器などを取り上げた。5月22日まで。

 

 同遺跡からはシカの角や脚を中心に、道具を作る段階の加工痕とみられる様々な骨角が出土している。シカの角は矢の先に付ける鏃(やじり)や弓の両端の弦をかける道具・弭(ゆはず)、糸つむぎに使う紡錘車などに、脚の骨は縫い針や狩猟用の刺突具などに加工された。またシカやイノシシの肩甲骨は焦げ具合などから吉凶を占う卜骨(ぼくとつ、写真㊧の手前)に利用された。イノシシの下顎骨(写真㊧の奥)には関節に近い箇所の両側に孔が開けられているものも。岡山県の南方遺跡では孔に棒を通し12個の下顎骨を連ねた状態のものが出土しており、弥生時代には捕獲したイノシシの下顎骨を棒に架ける習慣があったと考えられるという。

 土製品では炉に風を送るための円筒状の送風管、銅鐸や銅戈(どうか)、銅鏃(どうぞく)などの武器を作るための鋳型、狩猟に使われたとみられる土製投弾など、軟らかい粘土の特性を生かしたものが出土している。人や動物を模した人形(ひとがた)や鶏頭形など、祭祀に使われたとみられる土製品もある。金属では鉄製品の出土はわずかだが、青銅製は祭祀や装飾に使われた銅鐸や鏡、巴形銅器、釧(くしろ)などが出土。玉類ではヒスイやガラス、水晶の玉、碧玉管玉が見つかっている。このうちヒスイは蛍光X線分析の結果から新潟県の姫川流域産とみられ、また碧玉の産出地は丹後半島や石川県小松市菩提・那谷地域と推定され、当時の広範囲にわたる交流を物語る。

 

 企画展に合わせ、今年2月に県指定文化財となった笹鉾山2号墳(田原本町八尾)からの出土品も併せて公開中。2号墳は約3mの周濠に囲まれた直径24mの円墳で、周濠南東側から古墳時代後期の埴輪、須恵器、土師器、木製品が出土した。人物埴輪の髪型や入れ墨、馬形埴輪の馬具などは当時の習俗が忠実に表現されていることから資料価値が高いという。土製の埴輪のほか〝木の埴輪〟といわれる笠形木製品(写真㊨)や石見(いわみ)型木製品も出土している。笠形は直径35cmほどで、いずれも中央に孔が開いており、この孔に柱を通して墳丘の周囲に並べられていたとみられる。これらの木製品はいずれも古墳の木棺にも多く使われているコウヤマキ製だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<クリンソウ(九輪草)> 階段状に咲く花の様子を仏塔の九輪に見立てて

2016年05月07日 | 花の四季

【日本固有種、「宝塔華」「七階草」「七重草」などの別名も】

 晩春、直立した花茎の先に鮮やかな紅紫色の花が何段も輪生して咲く。その姿を寺院の五重塔などの頂上を飾る九輪に見立てた。草丈は40~80cm、花の径は2~3cmほど。花は下の段から上に向かって咲き上がる。サクラソウ科サクラソウ属の多年草で、国内に自生するサクラソウ科の仲間の中では最も大きい。

 北海道、本州、四国の山間や谷間の湿地帯に自生する。日本固有種で学名は「プリムラ・ジャポニカ」。まれに白花もある。古くから観賞のために栽培もされてきた。室町時代の『山科家礼記』という日記には「宝憧花(ほうとうけ)」の名で出てくるという。江戸時代末期に来日した英国の植物学者ロバート・フォーチュン(1812~80)は著書『幕末日本探訪記ー江戸と北京』の中で、クリンソウを「最も心をひかれた美しい花」と称えた。

 階段状の花姿から九輪草と命名されたが、実際には数層から多くても7層ぐらいで、9層になることはまずないそうだ。そのためか、古くから「七階草(ナナカイソウ)」や「七重草(シチジュウソウ、ナナエソウ)」とも呼ばれてきた。小林一茶は「九輪草四五輪草でしまひけり」と詠んだ。「宝塔華(ホウトウゲ)」という別名も。

 見頃はこれからが本番。約5万株が自生する長野県喬木村の九十九谷森林公園では5月10~25日に「くりん草まつり」を開く。関西で有名なのは40万株と国内最大級の群落を誇る兵庫県宍粟市のちくさ湿原群生地と神戸市の六甲高山植物園。いずれも例年5月中旬から見頃を迎える。栃木県の日光・千手ケ浜や北海道津別町の町民の森自然公園(通称ノンノの森)にも約30万株の大群落がある。ただクリンソウも例に漏れず乱獲や鹿の食害が深刻化、多くの道府県が絶滅危惧Ⅰ類またはⅡ類に指定している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<BOOK> 「野生動物は何を見ているのか バイオロギング奮闘記」

2016年05月06日 | BOOK

【佐藤克文・青木かがり・中村乙水・渡辺伸一共著、丸善プラネット発行】

 「バイオロギング」。最近この言葉を目や耳にすることが増えてきた。つい最近5月1日付の日本経済新聞でも「魚に発信器、生態の謎探る」の見出しで、ほぼ1ページを割いてバイオロギングの最新情報を紹介していた。「バイオ(生物)が」「ロギング(記録する)」の合成語。野生動物の体に記録計やカメラなどを取り付けて、動物と同じ目線で行動を観察する手法を指す。日本はその先進国の1つ。2003年には東京で「第1回国際バイオロギングシンポジウム」も開かれた。

       

 本書はウミガメ、マンボウ、水鳥のオオミズナギドリ、マッコウクジラ、チーターを取り上げる。巨大なクジラや草原を疾走するチーターにどうやって記録計やカメラを取り付けたのか。そんな興味から、まず第5章のマッコウクジラ、次いで第6章のチーターから読み進めた。クジラの調査は小笠原諸島周辺で、捕食行動の解明を目的に行われた。装置の取り付けは長い棒で車のルーフキャリア用の吸盤を使って行う。やはり悪戦苦闘の連続だったが、3年目に深い海で餌を捕獲した〝痕跡〟の撮影に成功した。世界初という。撮影した2万枚弱の写真の中にイカの触腕やスミと思われるような写真が20枚あった。いずれもクジラが猛ダッシュした時に撮影されていた。相手はダイオウイカだったのだろうか。クジラ同士が潜水中、一緒に潜降したり体を触れ合ったりボディーコンタクトする様子もカメラで初めて捉えることもできた。

 チーターの観察場所はアフリカ南部のナミビア共和国の野生動物保護区。チーターにはGPS(全地球測位システム)、加速度計、ビデオカメラを付けた首輪をはめた。保護区のチーターは人に馴れており装置の取り付けは比較的容易だったようだ。10日間の調査でチーターは70回狩りをし7回成功した。そのうちの1回の様子がカメラに映っていた。その時の最高時速は25キロ、疾走時間はわずか8秒。衝撃で画面はその後真っ暗になったが、カメラには悲鳴のような激しい獲物の鳴き声が記録されていた。加速度計にはその後2時間以上かけて獲物を食べる様子も記録されていた。時速100キロともいわれるチーターだが、広々した草原ではなくブッシュでの狩りということもあって70回の狩りの平均時速は31キロ、最高でも61キロだった。

 マンボウに光源付きカメラを取り付けた調査では、主食がクラゲの中でも深い海中にいるクダクラゲ類ということが初めて明らかになった。クダクラゲは個虫と呼ばれる独立した個体が数珠つなぎになっている群体性のクラゲ。マンボウはその長いクラゲの群れをすするように食べているらしい。さらに体が大きいマンボウほど深い所に長くとどまって餌を探し食べることができることなども分かった。日経新聞の特集ではクニマス、ニホンウナギ、カブトガニ、沖縄本島周辺海域にすむヒロオウミヘビなどの研究事例を取り上げていた。バイオロギングの広がりによって、これまで観察が難しかった様々な動物の知られざる生態が今後次々に明らかになっていくに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<オドリコソウ(踊子草)> 花姿を花笠をかぶって踊る人々にたとえて

2016年05月05日 | 花の四季

【日本原産の多年草、ヒメオドリコソウはヨーロッパ原産の帰化植物】

 日本や朝鮮半島、中国など東アジアに分布するシソ科の多年草。4~5月頃、高さ30~50cmの花茎を伸ばし、茎を囲むように輪生状に白または淡い色の紅花を節ごとに付ける。その様子が花笠をかぶった踊り子が背中合わせで踊っているように見えることから「踊子草」という優しい名前をもらった。「オドリバナ(踊り花)」「コムソウバナ(虚無僧)」という別名も。

 江戸中期の百科事典『和漢三才図絵』にも「人笠を着て踊るに似たり」と紹介されている。茎の断面は四角形、花冠は長さが2~4cmほどの唇状で、シソ科の特徴を併せ持つ。若芽はゆがいて和え物や汁の実など食用に。花はホトケノザ(仏の座)に少し似るが、オドリコソウのほうが大きく、花の数も多い。「全国各地の山野や半日陰の道端に群生」などと紹介している本が多いが、最近は都会周辺で目にすることは少なくなってきた。

 オドリコソウを「すいばな」「すいすいぐさ」「ちちばな」などと呼ぶ地方もある。これはかつて子どもたちが花の蜜を吸って遊んでいたことから。仲間に北海道などでよく見られる「チシマ(千島)オドリコソウ」がある。オドリコソウに比べると花がまばらで、「イタチジソ」とも呼ばれる。ヒメオドリコソウはオドリコソウに似て、小さいことから頭に「姫」と付いた。土手や畦道、空き地などに群生し、すっかり日本の春の風景になじんでいるが、こちらはヨーロッパからやって来た帰化植物。明治時代の中頃に東京・駒場で最初に見つかったという。

 「ツルオドリコソウ」もヨーロッパ原産の多年草。繁殖力が旺盛で、花後に根元からツルを次々に伸ばして広がるため、グランドカバーに使われることが多い。葉に白い斑(ふ)が入ったものもあり、黄色い花を付けることから「キバナ(黄花)オドリコソウ」とも呼ばれる。また学名から「ラミウム」とも。「踊子草咲きむらがれる坊の庭」(山口青邨)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする