く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

熊野に春を呼ぶ「お燈まつり」 新宮市で今年もまもなく

2012年01月31日 | 祭り

【♪お燈まつりは男の祭り、山は火の海下り龍】

 

新宮節にこう歌われる勇壮な火祭り「お燈まつり」が今年も2月6日夜、和歌山県新宮市の神倉神社で繰り広げられる。熊野地方に春を呼ぶといわれるこの祭りの主役は白装束に身を固めた「上がり子」約2000人だ。松明にご神火をいただくと、急峻な石段538段を我先に一気に駆け下りていく。

 

      

 

神倉神社は熊野三山の一つ、熊野速玉大社の摂社。高さ約100メートルの絶壁の上に鎮座し、巨大な「ゴトビキ岩」をご神体としている。源頼朝寄進という石段を下っていくと、最初は緩やかだが、中ほどからは目もくらむほどの急坂が続く。毎年祭りが近づくと補修するものの、古いだけにかなり凸凹も多い。この石段を暗闇の中、松明の明かりを頼りに猛スピードで駆け下りるのだから命懸けだろう。

 

【女人禁制。かつて男装し参加した女性も!】

 

だが、そのスリルと炎の熱さ・煙たさを一度味わったらやめられないそうだ。白装束と松明・わらじ・白足袋・荒縄(しめなわ)などを市内の取扱店で調達さえすれば、誰でも参加できる。だから市民以外にも遠方からやって来て、毎年参加する人たちも結構多い。ただ、この祭りは女人禁制のため、参加できるのはあくまでも男性だけ。男なら小さい子どもでもOK。「子どもはみんなで守る」が上がり子たちの暗黙のルールだ。

   

   

 

ところが、かつて男装して参加した女性がいた。これには神社関係者も「神への冒涜(ぼうとく)」と今も怒りを隠さない。当日はふもとの太鼓橋が「結界」となり、ここで入山者を厳しくチェックし、見物人はそこから中に入ることができない。このため女性の中には祭り前日に神倉神社に上がって明日の無事を祈願し、祭り翌日にお礼参りのため、また上がるという人も多いそうだ。今年の祭り当日の好天と無事終了を祈りたい。

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頑張れ! 新生「岡山シーガルズ」

2012年01月30日 | スポーツ

【前季わずか1勝、今季はすでに6勝】

 

バレーボール女子の国内最高峰「プレミアリーグ」。8チームが3回戦総当りで戦うレギュラーラウンドが中盤に差し掛かり、毎週末、各地で熱い戦いを展開している。その中で予想以上に健闘し注目を集めているのが「岡山シーガルズ」。実業団チームばかりの中で唯一つ、市民クラブのプロチームだ。前季はわずか1勝(25敗)だったが、今季は1月29日現在6勝5敗で、5位につけている。

 

前季は苦しみに苦しんだ。全8チームの中で他チームに大きく引き離されてダントツの最下位。プレミアの下位2チームは2部リーグ「チャレンジリーグ」の上位2チームとの入れ替え戦がある。昨年3月上旬の時点でチャレンジの1位上尾は19勝1敗、2位日立は17勝1敗の戦績を挙げていた。岡山はまさに下位リーグ転落の瀬戸際にあったわけだ。

 

ちょうどその時、東日本大震災が起こる。バレーボールをやっているどころではない。日本バレーボール協会は断腸の思いで、上位4チームによる決勝ラウンドや入れ替え戦の取り止めを決定。2011/2012シーズンは両リーグとも前季と同じチーム構成で戦うことになった。これで岡山は転落を免れたが、監督や選手の思いは実に複雑だったに違いない。

 

【目標は4位以内・4季ぶりの決勝ラウンド進出】

 

 プレミアリーグでは8チームのうち上位4チームが決勝ラウンドに進出し、セミファイナル、ファイナルを戦う。岡山は今季「新生」をテーマに4季ぶりの決勝ラウンド進出を目標に掲げた。

 

だが初戦のJT戦は0-3の完敗。今季もやはり駄目なのだろうか。ところが第2戦NEC戦で驚異的な粘りのバレーを展開、フルセットの末3-2で勝った。この勢いが翌日(12月25日)の第3戦東レ戦にも続く。相手は木村さおり、荒木絵里香、迫田さおりらをそろえる強豪。だが、ひるむことなく戦って、またフルセットの末に破った。東レ戦勝利は2007年3月以来実に5シーズン16試合ぶり。ファンにとってはビッグなクリスマスプレゼントになった。

 

全8チームのうち岡山を除く7チームは強力な外国人アタッカーを擁する。岡山は昨年オフ、若手を中心にブロックやバックアタック、レシーブの強化に取り組んできた。NEC、東レ戦の2連勝はその成果が着実に実を結びつつあることを見せてくれた。

 

数字もそれを証明している。1月29日現在、ブロック決定本数(1試合当たり)やサーブレシーブ成功率は全8チーム中5位。総得点(アタック+ブロック+サーブの得点)ランキングでは福田舞がデンソーのデラクルス・ベタニア、東レの木村さおりに次いで堂々の3位、若手の川畑愛希も8位につけている。ベテラン森和代はブロック決定本数(1セット当たり)で7位。ベテラン勢が持ち味を発揮し、川畑や関季香、丸山亜季、宮下遥ら若手の成長もめざましい。

 

【カギは下位に取りこぼさず、どれだけ上位を食うか】

 

29日現在の順位と勝敗を見てみよう。

(勝敗数が同じ場合の順位はセット率による)

 

    1位 デンソー  9勝2敗

    2位 東レ    9勝2敗

    3位 久光製薬  7勝4敗

    4位 JT    7勝4敗

    5位 岡山    6勝5敗

        6位 トヨタ車体 3勝8敗

    7位 パイオニア 3勝8敗

    8位 NEC   0勝11敗

 

この段階でデンソー、東レの上位2チームが抜け出し、その他は中位3チームと下位3チームにはっきりと色分けされてきた。残る試合数はちょうど10戦。岡山は下位3チームには5戦全勝だが、上位の1~4位チームとは1勝5敗。その1勝が東レ戦だが、1月29日の対東レ2回戦ではアタック、ブロック、サーブのいずれも圧倒され0-3で完敗した。

 

目標の4位以内を達成するには下位に取りこぼさないことが必須条件。そのうえで、中・上位チームから1つでも多く勝ち星を挙げるしかない。順位がセット率勝負による場合をにらんで1セットでも多く取る必要もある。そのためにはサーブレシーブの精度をもっと上げる必要がありそうだ。同時にアタック決定率(現在6位)や、サーブによる得点や相手のレシーブを崩すサーブ効果率(8位)のアップも課題だろう。

 

4位以内への戦いはこれからがまさに正念場。「ガンバレ! ガンバレ! シーガルズ」。

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ウサギの「く~にゃん物語」② 私の隠れ家は特製の巣穴!

2012年01月29日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【マットやバスタオルでぐるぐる巻き、暖かくて快適】

 

ベランダには洗面器ベッドのほかに、ご主人様特製の隠れ家があるんだ。直径30センチ、長さが80センチぐらいある巣穴だよ。植木鉢を載せる円いスチール製スタンドを2つ組み合わせ、ロープを編んだハンモックやバスタオル、新聞紙、玄関マットなどでぐるぐる巻きにして作ってくれたの。中はなかなか暖かいよ。

 

    

 

私の遠い遠~いご先祖様はヨーロッパ原産の「アナウサギ」。その血を引いているからかなぁ、穴の中が大~好き。巣穴は天敵から身を守るためにもなくてはならないものなの。だけど、同じ仲間でも「ノウサギ」は巣穴を持たないんだ。「危ない!」と感じた時には猛スピードで逃げて、茂みや草むらにじっと隠れるそうよ。

 

私たちウサギ族はもともと夜行性。だから睡眠時間の日中は洗面器ベッドに入ったり、日だまりでウトウトしたり。ただ昼過ぎから夕方ぐらいまでの間はこの巣穴の中で過ごすことが多いかな。

 

ベランダはすだれや板の天井などで覆われているんだ。だから寝起きする所には雨は降り込まないよ。強風も吹き込まないし、真夏の直射日光も当たらない。だからベランダ暮らしもなかなか快適。きょうは少し冷えるので、巣穴で昼寝しようかな。では、おやすみ。

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マエストロ小澤征爾、じっくり静養し再び指揮台に!

2012年01月28日 | 音楽

 

【ミューズが乗り移った世界のマエストロ】

 

 世界的なマエストロ、小澤征爾の体調が心配だ。2年前の2010年初め、食道がんを全摘手術。さらに1年前には腰痛の手術も受けた。この間の10年9月の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」では、腰痛の悪化からメーンの公演の指揮に代役を立て、チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の第1楽章だけを振った。その苦闘ぶりはNHKが「入魂の一曲」として放映したから、ご存じの方も多いだろう。

 

 最近はほとんど体力も回復して元気に演奏会などの日程をこなしていると思っていた。ところが1月25日の朝日新聞朝刊に「小澤さん、倉敷の出演中止」と出ていた。体調不良のため、その日予定していた水戸室内管弦楽団の演奏会の指揮を取りやめ、指揮者なしで開くとあった。2日前の栃木県足利市での公演も中止になっていたという。

 

 

 

 かなり以前の話になるが、長野県松本市で開かれた「サイトウ・キネン・フェスティバル」で、小澤指揮の交響曲やオペラを鑑賞し、屋外でも若い演奏家の指導に全身全霊を傾ける姿を間近に見る機会があった。それは実にエネルギッシュで躍動感にあふれていた。この人には音楽の神ミューズが乗り移っているのではないかとさえ思った。

 

 同フェスティバルの第1回演奏会が開かれたのは1992年。桐朋学園創設者の一人、故斎藤秀雄の薫陶を受けて世界で活躍中の演奏家を一堂に集めて音楽祭をやろうと、小澤の呼びかけで「サイトウ・キネン・オーケストラ」を結成してスタートした。57歳になったばかりで、米ボストン交響楽団の音楽監督に就任してからほぼ20年。マエストロとしてまさに油の乗った時期だったといえよう。

 

【「東洋人が西洋音楽をどれだけやれるか」テーマに全力疾走】

 

 ただ、そのころから指揮者にとっての職業病が小澤征爾を悩ませ始めていた。松本での第1回フェスティバルの3カ月前、ウィーン国立歌劇場で指揮中、両肩に激痛が走り、その後しばらく活動中止に追い込まれていたのだ。指揮者は演奏中ずっと立ちっぱなしのうえ、前屈みの姿勢になることも多い。長い曲目の場合には腕を何千回も振ったり伸ばしたり。だから腰痛や肩の故障は指揮者にとって、いわば持病のようなものだ。小澤征爾の師匠「カラヤン先生」も晩年は腰痛に苦しめられていた。

 

 その後、1998年春には体調不良で全国4都市でのオペラ公演が中止。2006年には気管支炎を患ったり、帯状疱疹(ほうしん)を発症したりして、ウィーン国立歌劇場の年内公演がキャンセルになった。09年末には食道がんが見つかり、翌年のウィーンフィル日本公演の指揮もキャンセル。そして、がん手術が成功し、無事退院できたと思ったら今度は腰痛。そのため、長年音楽監督を務めたウィーン国立歌劇場のフェアウエル・コンサートの指揮も、キャンセルを余儀なくされてしまった。小澤にとっては実に痛恨事で心残りだったに違いない。

 

  50年余り前の1959年、武者修行のため相棒のスクーターを伴って貨物船でヨーロッパへ旅立った。当時23歳。以来「東洋人として西洋音楽をどれだけやれるか」をテーマに全力疾走し、ついに「世界のオザワ」と言われるまでに上り詰めた。この間、多くのオーケストラや主要コンサートホールから引きも切らず声が掛かり、実に多忙を極める日々だった。

 

今年9月1日には77歳の喜寿。ここはじっくり静養したうえで、また指揮台で雄姿を見せていただきたい。そして、これまで佐渡裕や金聖響、三ツ橋敬子ら数々の有能な指揮者を発掘してきたように、これからも優秀な若手音楽家をもっともっと育ててほしいと真に思う。小澤征爾に代わる日本クラシック界のリーダーはいないのだから。

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ウサギの「く~にゃん物語」① 私のベッドは洗面器!

2012年01月27日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【中に牧草、おなかがすいたらムシャムシャ】

 

ピーターラビットって、もちろん知ってるよね。そのモデルとなっているのが「ネザーランド・ドワーフ」という種類の小型ウサギ。「ネザーランド」はオランダ、「ドワーフ」は小さな妖精という意味だって。

 

私はその血を少し引き継いでいるの。メスなので名前は「く~にゃん」。中国語で書くと「姑娘」で、「娘さん」のことなの。えっ、年齢? 「それはヒ・ミ・ツ」。体重は1.5キロぐらいかなぁ。

 

   

 

では、まず私の住まいからご紹介しますね。私はいつも2階のベランダで過ごしているの。その隅のほうにある洗面器が大のお気に入りの寝室。中にはワラがいっぱい敷き詰められているからフッカフカ。だから寝心地もいいの。このワラ、「チモシー」という牧草で、おなかがすいたらムシャムシャ食べるのよ。まさに〝食住〟近接というわけ。便利でしょ。

 ワラが減ってきたら、ご主人様が新しいワラを追加してくれるの。やっぱり新しいワラは新鮮でおいしい。この家に来たのは生後2カ月ごろ。それからずっと、この洗面器が私の安息の場所。暖かいし、愛着もあって、その中に入ると本当に気が休まるのよ。では、洗面器ベッドでおやすみ。

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「大地讃頌」震災復興へ 届け!合唱のエール

2012年01月26日 | 音楽

【心に染みる歌詞と旋律】

 最近、その歌詞の深い味わいと温かみ、旋律の感動的な雄大さから、しばしば胸中を去来する合唱曲がある。ちょうど今から50年前、大木惇夫の作詞、佐藤真の作曲で誕生した「大地讃頌(さんしょう)」という曲だ。7つの楽章から成る「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ・土の歌」の中の最終楽章である。

  母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある
  大地を愛せよ 大地に生きる
  人の子ら 人の子 その立つ土に感謝せよ
  (人の子ら 人の子ら 土に感謝せよ)
  平和な大地を 静かな大地を 
  大地を誉めよ 頌(たた)えよ 土を
  恩寵の豊かな 豊かな大地 大地 大地
  (我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)
  頌えよ 頌えよ 土を(誉めよ 頌えよ)
  母なる大地を 母なる大地を
  頌えよ 誉めよ 頌えよ 土を
  母なる大地を ああ 頌えよ 大地を ああ

 合唱コンクールや卒業式などでしばしば取り上げられてきた。今も中学の音楽教科書などに掲載されている。これまでに何万人、いや何十万人が歌ってきたのだろうか。久しぶりに思い出されたのはちょうど1年前の東日本大震災の直後だった。大津波が営々と築き上げてきた東北の町並みを、歴史遺産を、そして多くの人々をも瞬時にのみ込んでいく。まさに大地そのものを削り去るように。テレビでそのさまを繰り返し目にするうちに、この「大地讃頌」の歌詞がふいに脳裏に浮かんできたのだ。

【初演指揮、小澤・N響の確執で急きょ岩城に】

 初演は岩城宏之の指揮、NHK交響楽団の演奏で行われた。初めは小澤征爾が振る予定だったが、N響との間の確執から急きょ岩城に交替した。この曲が生まれた1962年、小澤はN響との間で客演指揮者として契約したばかりだった。ところが、フィリピンなど東南アジアへの演奏旅行中、小澤とオーケストラとの間にさまざまな〝不協和音〟が生じ、契約打ち切りを巡って小澤側が訴える事態にまで発展した。

 翌年、黛敏郎などの仲介で和解したものの、小澤とN響の関係はその後長らく実質的な断交状態が続いた。「カンタータ・土の歌」はこうした波乱の中で、N響・岩城の組み合わせで世に出たのだった。小澤がN響の指揮台に再び立ったのは阪神大震災直後の1995年1月23日。実に32年も過ぎていた。この日、阪神大震災の犠牲者追悼のため、バッハの「G線上のアリア」や「無伴奏チェロソナタ第5番」(チェロ・ロストロポーヴィチ)などが演奏された。

【各地の復興支援コンサートで響き渡る「大地讃頌」】

 東日本大震災で「大地讃頌」が脳裏に浮かんだのは私だけではなかった。その証拠に、大震災直後から全国各地で開かれた復興支援コンサートで、演奏曲目の一つとして「大地讃頌」を取り上げるところが少なくなかった。

 8月、東京・世田谷では大震災で花火大会を中止する代わりに復興支援イベントを開催、公募した区民150人が「大地讃頌」を歌い上げた。10月には山口市・瑠璃光寺でのチャリティーコンサートで、総勢250人の市民がベートーヴェンの「第九」とともにこの「大地讃頌」を演奏、被災地への熱い思いをDVDにして届けた。

 このほかにも多くの復興支援コンサートで、犠牲者の冥福と被災地の復興を願いながら「大地讃頌」が演奏された。富山市、青森県弘前市、埼玉県桶川市、大阪府門真市、群馬県高崎市、神奈川県寒川町、兵庫県三木市、岩手県大船渡市……とまさに全国各地で。

 津波による大破壊と原子力発電所の放射能汚染で、故郷を追われた方々は今なお30万人を超えるという。原発の「安全神話」は自然の猛威の中でもろくも崩れ去った。「平和な大地を 静かな大地を 大地を誉めよ 頌えよ 土を」。避難されている方々がふるさとで、また元の静かで平和な日々を送ることができる時が一刻も早く訪れることをただ祈るばかりだ。

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