く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良国立博物館> 特別陳列「おん祭と春日信仰の美術―特集大宿所」

2018年12月14日 | 祭り

【絵巻物や古い文献、工芸品など35点を展示】

 今年も奈良最大のお祭り「春日若宮おん祭」(12月15~18日)の季節がやってきた。春日大社の摂社若宮社の祭礼で、平安時代の1136年(保延元年)に天下泰平や五穀豊穣を願って始まった。これまで一度も途切れたことがなく今回で883回目。最大の見どころは17日の華やかなお渡り式で、馬約50頭と約1000人の行列が目抜き通りを練り歩く。御旅所祭では田楽、猿楽、舞楽など古くから伝わる神事芸能が深夜遅くまで次々と奉納される。(写真は「春日若宮御祭礼絵巻」(上巻=部分)

 奈良国立博物館では毎年この時期に、おん祭に関する絵画や史料を展示し、その歴史や祭礼の様子などを紹介してきた。今回はお渡り式を描いた絵巻物などに加え、おん祭に奉仕する大和士(やまとざむらい)が精進潔斎する大宿所(おおしゅくしょ)を取り上げて、お渡り2日前の15日に開かれる大宿所祭の様子を描いた絵巻や古文書、飾り物なども展示している。

 3章構成のうち第2章「大宿所―潔斎の場と町のにぎわい」で展示しているのは、江戸時代の「春日若宮御祭礼絵巻」や「春日御祭次第」「懸物(かけもの)請状」「大宿所日記」「随兵(ずいひょう)甲冑」など。絵巻には大宿所での巫女による御湯立(みゆたて)神事の様子なども細かく描かれている。「懸物請状」の懸物は各地から寄進される雉(きじ)などの供物で、大宿所前にずらりと吊り下げられる。「随兵甲冑」は大宿所伝来品で、警護役の大和士が身に付けていた朱漆し塗りの具足。

 第1章「春日若宮のおん祭」では南北朝~室町時代の「春日文殊曼荼羅」や江戸時代の「春日若宮祭典式古図」「春日祭礼之図」など、第3章「春日信仰のひろがり」では春日社を俯瞰的に描いた「春日宮曼荼羅」や地蔵菩薩が雲に乗って飛来する「春日地蔵曼荼羅」、神鹿を描いた「春日鹿曼荼羅」など鎌倉~室町時代の図絵を中心に展示している。特別陳列の会期は1月20日まで。

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<枚岡神社秋郷祭> 布団太鼓が次々と勇壮に宮入り

2018年10月16日 | 祭り

【氏子9地区から大中小の太鼓台20台余】

 東大阪市の枚岡神社で14~15日、収穫に感謝する秋祭り「枚岡まつり(秋郷祭)」が行われた。14日が宵宮、15日が本宮。9つの氏子地区から大・中・小20台余りの太鼓台(布団太鼓)が繰り出し、太鼓の音に合わせて地区内を練り歩いた。両日とも午後3時半から勇壮な宮入り。担ぎ棒を頭上まで差し上げる〝サセ〟が決まると、見物客から大きな拍手と歓声が沸き起こった。

 枚岡神社は河内国一宮という古社。奈良の春日大社創建の際、この神社から天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)の二神が分祀されたことから「元春日」とも称される。本殿は春日造り、社紋も春日大社と同じ「下り藤」。氏子の9地区はいずれも大と小の太鼓台を持ち、中太鼓台や複数の小太鼓台を有する地区もある。大きな太鼓台は重さが2トン近くあるといわれ、これを入れ替わりながら40人余りで担ぐ。

 

 太鼓台は午後2時頃、神社から西に下った一の鳥居周辺に集結。この後「出雲井・鳥居」地区の太鼓台を先頭に近鉄枚岡駅すぐ南側の踏み切り前まで進んだ。難関だったのはその直前の狭くて急な坂道。台棒が肩に食い込んで担ぎ手の顔がゆがむ。担ぎ手に女の子も多い小太鼓台の関係者は「登れるかなあ」と不安そうにつぶやいていた。踏み切りを越えた後も急坂が続く。さらにその先には狭いT字の交差点。そこを左に曲がると神社の二の鳥居もすぐそばだ。

 

 宮入りの順番は毎年ほぼ同じとのこと。神社に近い地区から順に宮入りし、境内を出ていく宮出は逆に遠い地区から。今年も神社そばの「出雲井・鳥居」の大・小の太鼓台が最初に二の鳥居をくぐって勇壮な姿を現した。続くのは唯一大・中・小の太鼓台を有する「額田」地区。3台の太鼓台は鳥居から本殿下の広場の間を行ったり来たりした後、広場で一斉に力強く「サセ」を披露した。この後も次々に大・小の太鼓台が宮入り。境内には太鼓の音と威勢のいい「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ」の掛け声が響き渡った。

 

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<長浜きもの大園遊会> あでやかな振袖姿の女性が大集合!

2018年10月14日 | 祭り

【女優堀田真由さんが大通寺の境内でゲストトーク】

 滋賀県長浜市で13日「長浜きもの大園遊会」が開かれた。高級絹織物「浜縮緬」の主産地長浜をPRするとともに観光客の誘致につなげようと1983年に始まった。今回で34回目。あでやかな振袖姿の女性を中心に和服を着用した約570人が、曳山博物館や黒壁ガラス館がある大手門通りや長浜別院大通寺に至るながはま御坊表参道などをそぞろ歩きし、古い町並みは終日華やかな雰囲気に包まれた。(写真は大通寺の境内を埋め尽くした振袖姿の女性たち)

 正午前に大手門通りに行くと、あちこちで振袖の女性たちをカメラに収めるアマチュア写真家の姿が飛び込んできた。胸などには「登録番号○○○」と印刷された紙製のステッカー。近くのテントの案内所で伺ったところ、一般カメラマンのマナー順守のため住所、氏名、連絡先を記入してもらったうえでステッカーを渡しているとのこと。「嫌なポーズを強要された」といった女性の苦情から2年前に登録制を始めたという。もらった登録番号は300台の後半で、「撮影に関するご注意」として「撮影するときは必ず許可を得て」とあった。出足の遅さを反省するとともに、このイベントの人気の高さに改めて驚いた。

 

 主催は浜縮緬関係団体などで構成する大園遊会運営委員会。事前に「16歳以上の振袖で参加できる女性」を募集しており、申込者には旅行券や高級着物が当たる大抽選会への参加やお買い物券1000円分のプレゼント、観光施設への無料入館、お茶席での振る舞いなどの特典がある。お茶席は3カ所に設けられており、大手門通りに面した安浄寺での小堀遠州流茶道のお茶席では順番を待つ女性たちであふれていた。

 

 振袖姿の女性たちはカメラマンの注文に応じてポーズをとるとともに、自らの携帯を差し出し写真を撮ってもらう女性も少なくなかった。中でも人気を集めていた一人が赤い振袖を着た山口百恵さん似の若い女性。行く先々でカメラマンに囲まれていた。格好の撮影対象になったのは女性だけではない。晴れ着に身を包んだワンちゃんの周りにもカメラマンの姿が絶えなかった。曳山博物館と大通寺に設けられた特設ステージでは日本舞踊やバンド演奏、殺陣の演舞なども繰り広げられていた。

 

 午後2時が近づくと振袖姿の女性たちは次々に大通寺に集まってきた。一番のお目当ては20万円分の旅行券や縮緬の着物仕立券など豪華賞品が当たる大抽選会。それに先駆けスペシャルゲストとして地元滋賀県出身の女優堀田真由さん(20)のトークショーがあった。堀田さんはNHK連続テレビ小説「わろてんか」で主人公の妹役を演じるなどテレビや映画で活躍中。黒を基調とした振袖姿の堀田さんはステージ上でひときわ輝いて見えた。抽選会には多くの協賛企業や商店、団体などから合計340本もの賞品が寄せられ、多くの女性たちが賞品を手に笑顔で大通寺を後にしていた。

 

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<興福寺> 約300年ぶりに中金堂再建! 5日間にわたり落慶法要

2018年10月10日 | 祭り

【支える大径木の柱などはカメルーンやカナダから調達】

 奈良市の世界遺産・興福寺にとって、伽藍の中心となる「中金堂」の再建はまさに悲願そのものだった。中金堂は平城遷都の710年の創建以来、戦乱や火災などで過去に7回焼失、その度に再建を繰り返してきた。最後の焼失は301年前の1717年。その後、中金堂は小規模な仮堂が造られただけだった。この再建により、興福寺は創建当初の姿に大きく近づいた。完成を祝う落慶法要は7日から始まり、11日まで5日間にわたって営まれる。(写真は南都諸大寺による法要が行われた9日に撮影)

 中金堂の再建は境内整備委員会が発足した1991年に動き出した。発掘調査で創建時の礎石が見つかったことから、これを基に柱の数や配置などを忠実に再現した。建物の規模は東西37m、南北23m、高さ21m。総工費は約60億円。屋根の鴟尾(しび)が眩いばかりに金色に輝き、5色の帯と幕、春日大社の左右一対の鼉太鼓(だだいこ)、8本の錦幡(にしきばん)などがその威容を華やかに彩る。法要は初日が興福寺自体によるもの。その後、西国三十三所札所会、南都諸大寺、比叡山延暦寺と続き、11日に結願(けちがん)を迎える。

 

 中金堂の屋根を覆うのは約7万1000枚の瓦、重さは230トンを超える。担当したのは生駒市に本社を置く「山本瓦工業」で、瓦の製造には2011年から4年近くを要したという。建築工事を担ったのは奈良県内の古い寺社の修復を多く手掛け、平城京の朱雀門や第一次大極殿の復元にも取り組んだ桜井市の「瀧川寺社建築」。中金堂の復元には大極殿の復元に要した材木量2150立方メートルを上回る2320立方メートルが必要。しかも柱には直径77cm・長さ10mが36本、直径62cm・長さ5.3mが30本もいる。国内ではそんな大径木はとても賄えない。そのため材木の大半をアフリカのカメルーンやカナダから調達し、柱にはカメルーン産のケヤキを、軒を支える組み物などにはカナダ産のヒノキを使った。

 

 「材木確保の目途がつけば、仕事の8割をこなしたも同然」。中金堂の威容を前にして、6年前の2012年夏、瀧川寺社建築の会長兼棟梁の瀧川昭雄さんが講演でこう話していたことを思いだした。カナダのバンクーバー島などでは上空から森林を観察して伐採する木の目途をつけたとも話していた。また講演当時79歳だった瀧川さんはこんなことも口にされていた。「私の使命は技術の伝承。宮大工を志す若い人たちの育成に残りの人生を捧げたい」。興福寺の多川俊映貫首から最初に再建を打診されてから約28年。大仕事を成し遂げた瀧川さんら関係者の喜びは計り知れない。中金堂の再建を通じて、多くの中堅・若手の人たちに宮大工の技と心意気が伝授されたことだろう。

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<手向山八幡宮> 「転害会」新調鳳輦の晴れ舞台のはずが…

2018年10月06日 | 祭り

【58年ぶりの東大寺転害門へのお渡りが中止に!】

 10月5日は東大寺の鎮守社、手向山(たむけやま)八幡宮の例祭「転害会(てがいえ)」。この八幡宮は聖武天皇が大仏建立に際し、749年(天平勝宝元年)、九州豊前国(大分県)の宇佐八幡宮から八幡大神を勧請して創建された。そのとき大神は紫の輿に乗って東大寺の西北に位置する転害門をくぐったという。これが神輿(みこし)の始まりといわれており、転害会はこの神迎えの様子を再現した祭事。かつては天皇の勅使を迎えて行われる勅祭だった。

 今年の転害会は例年以上に注目を集めていた。それは長く途絶えていた本殿からお旅所の転害門(国宝)への鳳輦(ほうれん、神輿)の渡御が58年ぶりに復活されることになっていたから。平安時代作といわれる鳳輦が重要文化財に指定され老朽化も激しいため、1960年の転害会でのお渡りを最後に退役、その後は渡御のない転害会が続いていた。しかし昨秋、忠実に模した鳳輦が新調されたことで、今年からお渡りも再開されることになっていた。

 

 曇り模様の天候が少々気がかりだったが、お渡りを楽しみに勇んで出掛けた。到着したのは午前10時すぎ。本殿での神事がほぼ終わって、神職ら関係者の記念撮影の最中だった。ところが法被姿の奉仕者に伺ったところ、お渡りは中止で、転害門で行う予定だった神事の一部、舞楽の奉納が正午から拝殿で行われるとのこと。不安定な天候から前日までに早々と中止が決まっていたそうだ。祭り好きのアマチュアカメラマンが少なかったのも、事前に調べて中止の情報を得ていたからにちがいない。

 

 少しがっかりして時間をつぶすため神社の鳥居を抜け法華堂(三月堂)、そして二月堂方向へ。境内は修学旅行生で溢れ返っていた。と、そこへ先ほどお話を伺っていた法被の方。「お渡りじゃないけど、御神輿がまもなく動きますよ」。鳳輦を収蔵庫へ収めるため神社の周りを担いで回るとのこと。お忙しい中、そのことを伝えるためわざわざ駆けてきてくれたその親切なお気持ちがうれしくありがたかった。

 境内に戻ってまもなく鳳輦が20人ほどの氏子らに担がれて動き始めた。この鳳輦を目にするのは新調直後の昨年11月に開かれた東大寺の「宇佐神輿フェスタ」以来。屋根の上には煌びやかに輝く鳳凰。拝殿から運び出す際、その鳳凰が建物に当たるのではないかと、見守る側も気が気でなかった。鳳輦は朱塗りの楼門から階段を下りて反時計回りに境内の外側を一周。その間も鳳凰が木の枝に引っ掛からないように慎重に歩を進め、長い棹で何度も枝を持ち上げたりしていた。担ぎ手の中には東大寺のお坊さんだろうか、剃髪の方も混じっていた。

 

 拝殿では予告通り、正午から舞楽の奉納が始まった。向かって左手に笛や篳篥(ひちりき)など管楽器、右手に大鉦鼓(だいしょうこ)など打楽器の奏者。舞手はまだ8歳という男児だった。曲名は朝鮮半島系の右舞(うのまい)で有名な「納曽利(なそり)」。通常は二人舞で竜を模した面を被るそうだが、この日は一人舞で頭には面の代わりに天冠を着けていた。一身に注目を集めながら優雅に舞い終わると、観客の間から温かい拍手が沸き起こった。この後、主役の男児を中心に再び記念写真を撮っていた。

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<滋賀・五個荘> 伝統的な町並みを「近江商人時代絵巻行列」

2018年09月24日 | 祭り

【天秤棒を担ぐ商人、鹿鳴館スタイルの女性、マント姿の紳士…】

 近江八幡や日野とともに近江商人発祥地の一つといわれる滋賀県東近江市五個荘金堂町。その金堂地区を中心に秋分の日の23日、秋恒例のイベント「ぶらっと五個荘まちあるき」が開かれた。メインイベントは「近江商人時代絵巻行列」。近江商人が活躍した江戸時代末期~大正時代の衣装に身を包んだ100人余が古い町並みを練り歩いた。ふだん非公開の商家や社寺に伝わる家宝や寺宝、現代アート作家の作品などを公開・展示する「ぶらりまちかど美術館・博物館」も同時に開催され、終日多くの観光客でにぎわった。

 金堂地区は旧五個荘町のほぼ中央に位置する。農業の副業としてスタートした綿・絹製品などの行商で財を成した商人も数多く、広大な敷地を有する商人屋敷が今も残る。金堂の名前は聖徳太子がこの地に金堂を建立したという伝承に由来するそうだ。金堂を代表する町並みが寺町・鯉通り。お寺と商人屋敷と錦鯉が泳ぐ清らかな水路が風情ある景観を形成する。20年前の1998年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、その町並みや屋敷は度々、映画やテレビのロケにも使われてきた。

 

 近江商人時代絵巻行列は「第32回ごかのしょう新近江商人塾」の目玉催事。午後1時、チンドンマンのにぎやかな演奏と横断幕を先頭に近江商人屋敷外村宇兵衛邸を出発した。参加者は2台の人力車に乗った「東近江市レインボー大使」「近江日野しゃくなげ大使」をはじめ、鹿鳴館スタイルのドレス姿の女性、天秤棒を担ぐ近江商人、当時「はいからさん」と呼ばれた袴姿の女学生、立派なヒゲを蓄えたマント姿の紳士、商家の旦那さん、丁稚の少年たちなど総勢100人余り。途中、五個荘川並町にある福應寺で休憩の合間に参加者全員で記念撮影した後、ほぼ同じルートで商人屋敷まで戻った。

 

 商人塾ではこの行列を挟んで、ステージ会場で日本の伝統芸能三番叟(さんばそう)やライブ書道、日本舞踊、ジャグリングショーなど様々な催しが披露された。小さなこどもたちが一日店長として商人体験するチャレンジマーケットの開催や、重伝建保存地区選定20年記念行事の一環として錦鯉の放流などもあった。「ぶらりまちかど美術館・博物館」では五個荘地区の23会場が無料公開された。その中でもとりわけ来場者でにぎわっていたのが近江商人屋敷。外村繁邸(外村繁文学館)では「TV・映画撮影ロケスチール展」、外村宇兵衛邸では「加賀友禅花嫁のれん展」が開かれていた。

 

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<戸畑祇園大山笠> 大下り→お汐井汲み、夜には競演会

2018年08月02日 | 祭り

【第65回の節目を記念し子供山笠も会場を1周】

 国指定の重要無形民俗文化財で福岡県の三大夏祭りの一つ、北九州市戸畑区の「戸畑祇園大山笠行事」が7月27~29日行われ、中日の28日には区役所前の浅生1号公園周辺で最大の見どころの競演会が繰り広げられた。第65回の節目を記念し、東・西・中原(なかばる)・天籟寺の4地域の大山笠と中学生が担ぐ小若山笠の計8基に加え、武者人形や幟(のぼり)で飾られた子供山笠もちびっ子らに綱を曳かれて公園を1周した。

 戸畑祇園の最大の特色は山笠の〝姿替え〟で、昼と夜でその姿を一変する。昼は「幟(のぼり)山笠」と呼ばれ、勾欄付きの台座の上に12本の幟が立てられ、前面は菊花を模した4つの白い〝前花〟、後部は直径が1.5mほどの円形の〝見送り〟で飾られる。水引幕など幕類には勇壮な武者絵などが金糸銀糸で刺繍されており、県の有形民俗文化財に指定されている。夜はこれらの飾り物が全て取り外され、12段309個のろうそくの提灯で彩られた光のピラミッドに変わる。高さは約10m、重さは約2.5トン。この巨大な「提灯山笠」を80人ほどのかきこが鉦や太鼓のお囃子に合わせ「ヨイトサ、ヨイトサ」と担いで進む。

 

 28日の正午前、東・西・天籟寺の大山笠と小若山笠の6基が飛幡八幡宮に集結、神事の後、神輿を先頭に神社の坂道を〝大下り〟し若戸大橋直下の渡し場に向かった。目的地は大橋公園のすぐ横にある「お汐井汲みの場」。各山笠はここで神官によるお祓いを受けた後、ご祝儀の御礼を兼ねて地区内を巡行した。中原の大山笠は例年、拠点とする中原八幡宮での御霊移し神事の後、中原先の浜にあるお汐井汲み場でお祓いする。

 

 競演会ではまず各大山笠の囃子方が観覧席前で巨大な太鼓を叩いてお囃子を披露。この後、ブラスバンドに続いて子供山笠が公園の周りを1周した。子供山笠は例年中日の正午前に飛幡八幡宮に終結するのが恒例で今年も10基近くが集まっていたが、競演会場で顔見世するのは今回が初めてではないだろうか。大山笠と小若山笠はまず昼の幟山笠の姿で周回した後、提灯山笠への姿替えのため台上に四角の櫓が組み立てられた

 

 「5段上げ、開始!」。12段のうち最上部の5段分の提灯が一気に持ち上げられ固定され、各段の提灯の木枠も次々に組み上げられていく。まさにあっと言う間に12段のピラミッドが完成し、各山笠から我勝ちにお囃子の「居神楽」が響いてきた。提灯山笠は夜空に浮かぶその幻想的な姿から、4年前に日本夜景遺産にも認定されている。

 

 この後、全提灯山笠8基の運行に続いて提灯小若山笠のみによる運行。百足競走のように歩調を合わせて担ぐ中学生たちに、十数万人ともいわれる見物客の間から温かい拍手と歓声が送られていた。最後は大山笠による〝自由競演〟。東・西・中原・天籟寺の大山笠4基が抜きつ抜かれつの熱い競争を繰り広げる競演は午後9時すぎまで続いた。まさに真夏の暑さを忘れさせてくれるひとときだった。

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<中津祇園> 辻々で華麗な踊り、勇壮な練り込みも

2018年08月01日 | 祭り

【台風接近で最終日は午前中で終了!】  

 長い伝統を誇る大分県中津市の中津祇園が7月27~29日の3日間行われ、踊り舞台を備えた豪華な山車「祇園車(ぎおんぐるま)」が城下町を曳き回された。ただ「戻車(もどりぐるま)」と呼ばれる最終日の29日は迷走台風12号の接近のため、午前中に全ての神事を終了し、歩行者天国への祇園車の集結など午後に予定されていた行事は中止となった。

 中津祇園は別々に繰り広げられる中津神社の〝上祇園〟と闇無浜(くらなしはま)神社摂社の八坂神社を中心に行われる〝下祇園〟からなる。かつては上祇園の1週間後に下祇園が行われていたが、1971年から同日開催となった。始まりは約580年前といわれるが、現在のような山車が登場したのは約330年前の1683年(天和3年)からという。祭り期間中に曳き回される祇園車は上祇園7台、下祇園6台の計13台。加えてそれぞれ神輿が1基ずつ担ぎ出される。

 

 

 祇園車の大きな特徴はほとんどが舞台付きの踊車(おどりぐるま)であること。中津の狭い路地を巡行できるように、左右の軒の部分を上向きに折り曲げた〝折り屋根〟になっているのも特徴の一つ。金箔を張った破風、華麗な彫刻や格天井など贅を尽くしたものが多い。重さ2~3トンという祇園車を支えるのは〝グル〟と呼ばれる重厚な車輪。樹齢数百年の松でできており、祭り後に山車が解体されると、車輪は虫食いなどの被害から守るため中津城の堀などに埋められるそうだ。

 

 最終日の29日、中津神社の南側一帯を巡行する上祇園の祇園車から梅沢富美男の『夢舞台』が聞こえてきた。近づくと音楽に合わせ1人の踊り子が舞台でしなやかに舞っていた。祇園車は〝高〆(たかじめ)〟が張られた通りの辻(十字路)で止まっては踊りを奉納し、次の辻に向かった。この〝辻踊り〟は辻や町と町の境界などから侵入してくると信じられていた悪霊を、神様の力で退散させてもらおうというもの。踊り子の中心は小中学生の女の子たちで、ある祇園車では8人で全員踊りを行っていた。本番に向け練習を重ねてきたのだろう、みんな見事な踊りを披露して大きな拍手が送られていた。

  

 祇園車7台はこの後、1台ずつ鳥居をくぐって神社に戻った。多くの祇園車が広い境内を全力疾走する〝練り込み〟を披露、土煙をもうもうと舞い上げながら2周ほど回っていた。正午前後には台風の影響で雨が降り始め、祇園車は次々とブルーシートなどで覆われた。祇園車の最後尾は片端町踊車で、ちびっ子を満載して入ってきた。子どもたちのかわいい笑顔が印象的だった。最後に鳥居をくぐったのは新魚町の奉仕による中津神社の神輿。この新魚町もかつては祇園車を出していたが、昭和の初めに宇佐地域の町に売却したそうだ。

 

 

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<浅小井の祇園祭> 江戸後期建造の曳山6基が巡行

2018年07月24日 | 祭り

【ちびっ子たちが練習を重ねた祇園囃子を披露】

 滋賀県近江八幡市浅小井町(あさごいちょう)で7月21~22日、伝統の夏祭り「浅小井の祇園祭(曳山まつり)」が繰り広げられた。今宮天満宮内の摂社津島神社の厄病退散と五穀豊穣を祈願する祭礼。本宮の22日には江戸時代後期に建造された曳山6基が町内を巡行した後、神社の鳥居前に勢揃いし、青い法被姿の子どもたちが太鼓や横笛、鉦(かね)で祇園囃子を奉納した。

 浅小井町は安土城跡の西側にある琵琶湖最大の内湖、西の湖の南側に位置し、かつては特産イ草の栽培・加工が地域に莫大な富をもたらせた。往時の繁栄ぶりを物語るように、町内の6つの小路(東出、北出、西出、平田出、野瀬出、五条ノ木)が重厚な曳山を1基ずつ保有する。曳山は以前、各小路の保管庫に収容されていたが、今はふだん地域のまちづくりの拠点「曳山とイ草の館」で全6基が保管されている。

 

 午後2時すぎ、同館を出発した曳山は子どもたちが演奏するお囃子に乗って約500m離れた津島神社に向かった。山車の上部を飾るダシはその年の干支や世相を映したものを各小路のダシ番が手づくりしているという。今年は戌年とNHKの大河ドラマ「西郷どん」もあって、犬を連れた西郷隆盛の飾り物が目立った。「2018五輪 そだね~」というのもあった。

 

 曳山の中で最も建造時期が古いのは五条ノ木山の1806年で、その他の5基も1800年代前半の建造。基本的な構造は人形屋台・単層露天式の〝日野・水口型〟だが、黒漆塗りや白木造り、破風屋根付きや金箔で飾った彫刻があるものなど独自色も目に付く。形態が異なるのは多賀町や日野町など周辺地域から買い入れた曳山が含まれることによるそうだ。各曳山には大きな寄木造りの車輪が付いているが、最近は曳き回しやすいように山車全体をゴムタイヤ付きの台車に載せている。

 

 6基が鳥居前に横一列に並ぶと、その前で子どもたち約20人による祇園囃子の奉納が始まった。曳山の巡行はずっと続いていたものの、お囃子は約60年間途絶え、約20年前にようやく復興させることができたという。以来、浅小井祇園囃子の会「湖月」が保存・伝承活動に取り組んでいるそうだ。その後、曳山の上から御供まきがあり、子どもたちが歓声を上げながら餅や菓子などを取り合っていた。

 浅小井町は200戸に満たない小さな集落。そこで繰り広げられる大きな曳山6基による祇園祭に、地域住民の誇りと心意気を感じた。祭りの継続には人手不足や資金面での制約など様々な困難があるにちがいない。それを乗り越えて祭りがこれからも長く引き継がれていくことを願わずにはいられなかった。

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<はかた伝統工芸館> 博多祇園山笠の歴史や魅力を紹介

2018年07月01日 | 祭り

【名人与一の山笠飾りの原画や江戸時代の山笠絵図なども】

 九州の夏祭りを代表する「博多祇園山笠」が1日開幕、福岡市博多区の繁華街など14カ所で豪華絢爛な飾り山の公開が始まった。15日早朝の舁(か)き山笠七流(ななながれ)による〝追い山〟に向けて、博多の町は祭り一色に染まっていく。この祇園山笠は博多の総鎮守、櫛田神社の奉納神事。神社のすぐそばにある「はかた伝統工芸館」では祭りに合わせ1階企画展示室で「博多祇園山笠 博多の伝統工芸とみやげ展」を開いている。

 飾り山は高さが10m前後で、櫛田神社側に向いた面を「表」、裏側を「見送り」と呼ぶ。飾り山は原則展示用だが、上川端通の飾り山だけは走る飾り山笠として追い山ならし(12日)や追い山で〝櫛田入り〟を奉納する。その飾り山の今年の題材は表が「義経八艘飛」、見送りが「京鹿子娘道成寺」。他の飾り山や舁(か)き山も表の題材は例年通り武者物が多くを占める。工芸館には「智将疾風関ケ原」と題した8分の1のスケールの飾り山を展示中。

  

 飾り山、舁き山の人形や飾り物の制作は博多人形師たちが担当する。舁き山は重さが1トンを超え、これを20人ほどで担いで疾走する。このため人形づくりにも軽さが求められ、主に紙・竹・布を使って幾重にも貼り合わせ作っていく。その制作過程を写真などで詳しく紹介するとともに、今年制作に携わった17人の人形師と担当した飾り山、舁き山の一覧表も展示している。また〝名人与一〟として多くの博多人形師を育てた小島与一さん(1886~1970)が描いた山笠の原画(標題「関ケ原合戦」、写真は部分)や、人形師白水英章さんが2012年に手掛けた東流の8分の1サイズの山笠人形も公開している。

 

 江戸時代中期から幕末の山笠絵図の拡大パネルの展示もあり、祇園山笠の起源や追い山の〝櫛田入り〟開始が午前4時59分になった理由などについても分かりやすく紹介している。博多人形と並ぶ伝統工芸品博多織は山笠人形にも使われるが、祭り期間中、博多織の角帯は長法被(当番法被)を着て闊歩する男衆たちを粋に演出するものとしても欠かせない。その男帯もずらりと並ぶ。入り口そばには記念撮影用の祇園山笠切り絵顔出しパネルも立っている。

 

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<住吉大社> 華やかに古式ゆかしく御田植神事

2018年06月15日 | 祭り

 【田舞や住吉踊、武者行事、棒打ち合戦……】

 全国約2300社の住吉神社の総本宮、住吉大社(大阪市住吉区)で6月14日、古来の様式を踏襲した伝統の御田植神事が営まれた。国指定の重要無形民俗文化財で、香取神宮(千葉県香取市)、伊勢神宮内宮の別宮・伊雑宮(いざわのみや、三重県志摩市)とともに日本三大御田植祭といわれる。同大社の御田は広さ約2000㎡。その中央に設えられた舞台と御田の周囲で、早苗を植える人たちを励ますように約2時間にわたって多彩な芸能が繰り広げられた。

 御田植神事は約1800年前、祭神の神功皇后が神田を定め、長門国(今の山口県)から植女(うえめ)を召して奉仕させたことが始まりといわれる。この神事に際し鎌倉時代には猿楽や田楽が催されていたとの記録があるそうだ。午後1時に始まった本殿での神事奉告祭が終了すると、いよいよ御田式がスタート。奴行列を先頭に風流武者、雑兵役の男児たち、神職、巫女姿の八乙女(やおとめ)、植女、替植女(かえうえめ)、御田の世話をする奉耕者、田植踊や住吉踊の女児たちなど数百人が長い列を成して入ってきた。

 

 この日の主役でもある植女8人には一人ひとりに赤い大傘が差しかけられていた。植女はかつて末裔が堺の遊女になったという伝承から、近年まで堺の遊女が植女役を果たしていたという。明治維新後は大阪新町廓の芸妓、その後は大阪花街連盟の芸妓が植女として神事を支えてきた。現在は関西・大阪21世紀協会の上方文化芸能運営委員会が中心になって選出しているそうだ。植女の役割は神前から早苗を授かって、植え付けを行う菅笠に赤襷姿の替植女に渡すこと。御田では一足早く飾り立てられた〝斎牛〟が代掻きをしていた。この牛は5月の京都の葵祭にも参加していたそうだ。

 

  

 中央舞台では赤い風流花笠を囲んで八乙女8人による神楽「田舞」や御稔女(みとしめ)と呼ばれる女性による豊穣祈願の「神田代舞(みとしろまい)」が舞われた。八乙女は白衣に緋色の袴姿で、頭上には花菖蒲の飾り。次いで甲冑姿の侍大将が武運長久を祈る所作を披露したり、陣太鼓や法螺貝が鳴り響く中、紅白に分かれて男児たちが六尺棒を打ち合う棒打ち合戦を繰り広げたりした。棒打ちには害虫を追い払う〝虫追い〟の意味も込められているそうだ。

 

 その後も広い御田をぐるっと囲んで地元の子どもたちによる田植踊や住吉踊が続いた。この間に植え付けもほぼ終わって、水を張った御田は一面早苗の緑で覆われた。そのすぐ上を数羽のツバメが飛び交っていた。田楽は田植え前に豊作を祈って歌い踊る田遊びが起源との説があるという。その田楽の原初の姿を垣間見るような思いがした。

  

 ちなみに御田に植えた稲は大阪府の奨励品種ヒノヒカリとのこと。住吉区と住之江区の農家を中心に結成している御田講のメンバーが今後、合鴨農法も取り入れて稲の生育を見守る。その鴨は生後2週間目の幼鳥20羽を導入するそうだ。米1200kgの収穫を見込んでおり、10月17日の宝之市神事で初穂を刈り取ることにしている。

 

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<筒井町・出来町天王祭> 「徳川園山車揃え」計5両が一堂に

2018年06月05日 | 祭り

【からくりの妙技と山車の〝どんでん〟に大歓声】

 名古屋市東区で6月2~3日「筒井町天王祭」と「出来町天王祭」が行われ、町民の無病息災や家内安全を願って重厚な山車が曳き回された。両天王祭はそれぞれの町内をエリアとする別々のお祭りだが、日曜日の3日には徳川美術館前の広場で「徳川園山車揃え」があり、筒井町の山車2両と出来町の山車3両の計5両が一堂に会して、からくり人形の妙技を披露した。

 両天王祭は名古屋市内の夏祭りの先駆けとして長い伝統を持つ。山車5両はいわゆる名古屋型と呼ばれる構造。高さ6m前後の二層式で、本体の外側に付く車輪は輪懸けという枠で覆われる。5両のうち古出来町の「王義之車(おうぎししゃ)」を除く4両は江戸時代の建造で、とりわけ筒井町の「湯取車(ゆとりぐるま)」は名古屋市内に現存する山車の中で最も古い1658年(万治元年)の製作といわれる。「王義之車」も江戸中期の1740年代に造られたが、戦災で焼失したため戦後に再建された。

 

 両町5両の山車揃えは尾張徳川家の別邸跡に整備された庭園「徳川園」の再開園を機に2006年から始まった。会場は同庭園と徳川美術館、尾張徳川家伝来の書籍類を収蔵・公開する逢佐(ほうさ)文庫に囲まれた広場で、3日午前11時すぎ、法被姿の子どもたちに曳かれて1両ずつ入ってきた。全5両が勢揃いしたところで、新出来町の「鹿子神車(かしかじんしゃ)」を皮切りに1両ずつ自慢のからくり演舞を披露した。

 

 各山車の上段には山車の進行を鼓舞する〝采振り〟も含め4体のからくり人形が乗る。湯取車のからくりは安倍晴明の前で巫女が行う湯取り神事を再現したもの。巫女が窯の中をかき回した途端ぱっと白い紙吹雪が舞うと、見上げていた観客から大きな歓声と拍手が沸き起こった。各山車はからくりが終わると、次の山車へ場所を譲るため後輪を持ち上げぐるっと180度方向転換して退く。いわゆる〝どんでん〟と呼ばれるもので、中には頑張って1回転半する山車もあった。

 

 日が落ちると、各山車には百数十個の提灯が飾られろうそくに灯が入った。その夜の曳行もなかなか幻想的だが、山車同士の〝出合い〟の場面はとてもロマンチックで感動的だった。筒井町天王祭では建中寺公園前で夜の装いを整えた「神皇車」がお囃子に乗って筒井町商店街を東へ。約30分後、東側で待機していた「湯取車」と対面した。しばらくして「神皇車」は方向転換し「湯取車」を従えるようにして再び建中寺公園前に向かった。まるで年に1度出会う七夕の織姫と彦星。2両は「筒井天王社 氏子中」と書かれた大きな幟の間に仲良く並んでからくりを披露した。

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<有松絞りまつり> 伝統工芸を実演・体験・展示

2018年06月04日 | 祭り

【山車のからくりも、旧東海道の町並みに人の波】

 絞り染めで有名な名古屋市緑区有松町で、6月2~3日「有松絞りまつり」が開かれた。主会場は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている名鉄有松駅南側の旧東海道の古い町並み。絞り技法の実演や体験実習、新作の展示、山車のからくり披露、町並みツアーなど多彩なイベントが繰り広げられ、通りを埋め尽くすほどの人出でにぎわった。

 絞り染めはインドから中国を経て日本に渡ってきたといわれ、正倉院や法隆寺に伝わる布の中にも絞りを施したものが見られる。有松絞りは江戸時代、尾張藩が特産品として保護・育成したことから活況を呈した。旧街道沿いには往時の繁栄ぶりを映すように今も重厚な商家などが軒を連ねる。有松は歴史的な町並みの保存・再生に取り組む「全国町並み保存連盟」の発祥の地としても知られる。

 

 絞りまつりは今年で34回目。有松絞りの特徴は100種を超える多様な技法と作業工程の分業制。会場に数カ所設けられた実演コーナーでは、模様を作る〝くくり〟を実演する女性たちの手元を通り掛かった人たちが食い入るように見つめていた。往時の絞り問屋の伝統的な建物として市指定有形文化財になっている竹田家住宅では、オードリー・ヘップバーンを描いた絞りの作品や女優の吉岡里帆さんが昨年のNHK紅白歌合戦で着用したという着物も展示されていた。

 

 人気を集めていたのが〝手蜘蛛絞り〟の手拭い・ハンカチを作る体験実習コーナー。この手蜘蛛絞りは糸を巻き上げて絞り、染め上がった形がクモの巣に似ていることからこう呼ばれる。1人1000円、所要時間約30分ということだが、希望者で長い行列ができていた。そのそばでは女の子が自分の作品を大切そうに干していた。有松山車会館では海外の絞りアーティスト11人による「YUKATA展」が開かれていた。6月27日~7月1日に名古屋市で開かれる「第11回国際絞り会議 in Japan」の併催事業という。古い商家などの前では絞りの衣装をまとった男女をモデルに写真撮影会も開かれていた。

 

 有松では毎年10月の「有松天満社秋季大祭」のときに3台の山車が曳き回される。絞りまつりに合わせこれらの山車も展示され、西町の「神宮皇后車」では皇后が鮎を釣って神意を占ったという故事に因むからくり人形の実演が行われた。東町の「布袋車」は四方を飾る大幕(1812年製作)の劣化が激しいため、今秋の大祭が見納めになるとのこと。大幕は今後12年がかりで新調されるそうだ。

 

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<奈良・霊山寺> 華やかに薔薇会式・えと祭り

2018年05月21日 | 祭り

【世界平和を祈念し本尊と八体仏にバラをお供え】

 内外の多彩なバラを集めたバラ園で有名な奈良市中町の古刹霊山寺(りょうせんじ)で20日「薔薇会式・えと祭り」が開かれた。バラ園では約200種・2000株という色とりどりの花がちょうど見ごろを迎え園内はまさに春爛漫。鼓笛隊を先頭にした約100人の行列がその庭園から出発し、干支守りの八体仏と本尊の薬師如来にバラの花をお供えして世界平和と参拝者の健康、幸福を祈念した。

 霊山寺の開山は奈良時代の仏僧行基と菩提僊那と伝わる。本堂は国宝、本尊薬師如来は重要文化財。バラ園はシベリア抑留の体験がある先々代の住職がバラの花に世界平和の思いを込め1957年に開園した。薔薇会式は若い世代に平和への祈りを伝えていきたいと、開園30周年に当たる1987年から始まった。普段秘仏となっている本尊もこの日には開帳される。

 

 午後1時にバラ園を出発した行列は天平装束姿の鼓笛隊「まつぼっくり少年少女合唱団」に、十二支のお面を着けた干支面者、バラで飾った御輿、一山の僧、お稚児さんなどが続いた。最初に法要が行われたのは境内のほぼ中央に位置する「八体仏霊場」。生まれ年の十二支に生まれ星座十二宮を加えて、千手観音(子年、水瓶座)から阿弥陀如来(戌・亥年、牡羊・魚座)まで8体の守り本尊がずらりと並ぶ。その前で僧侶が読経を唱え稚児がバラの花を供えた。八体仏のそばにある開山行基の銅像にもバラの花が供えられていた。この後、一行は再び行列を作って本堂に向かった。

 

 バラ園は広さ約4000㎡で「人生輪廻」をテーマとして造園された。入り口から奥に向かってまず母子像のオブジェが置かれた子どもの世界、次にバラの女神を中心とした成人の世界、そして人生を顧みるばらの館がある老人の世界が広がる。京都大学農学部の造園学研究室(監督新田伸三氏)が造園を担当した。新田氏は当時、大阪府営服部緑地の大花壇、奈良の壷阪寺香りの園、神奈川県立フラワーセンター大船植物園なども手掛けている。

 園内では第二次世界大戦が終結した1945年に命名されたという大輪・八重咲き品種の「ピース」をはじめ様々なバラの花が今が盛りと咲き誇っていた。その中でもとりわけ人気を集めていたのがかわいいピンクの小花をびっしり付けた「夢乙女」。その前では写真を撮る人が引きも切らなかった。咲き始めの黄色が日光によって朱色に変化する「絵日傘」というバラの花にもじっと見入る人が多かった。この2品種はいずれも日本で作出されたそうだ。

 

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<大垣まつり> 神社前でからくり芸と少女の舞踊を奉納

2018年05月13日 | 祭り

【13両の軕が城下町を巡行、夜は幻想的な提灯飾り】

 岐阜県大垣市の八幡神社(通称大垣八幡神社)で12日、約370年の伝統を誇る「大垣まつり」が始まった。国指定の重要無形民俗文化財で、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されている。大垣の山車は「軕(やま)」と呼ばれる。〝試楽〟の12日には各町内から曳き出された13両の軕が神社前と市役所前でからくり芸や少女たちによる舞踊を奉納した後、別々に太鼓や笛のお囃子に乗って練り歩いた。日が落ちると〝夜宮〟。神社前の水門川沿いに再び勢揃いした13両は午後7時になると提灯に一斉に点灯、1両ずつ鳥居前で片方の車輪を持ち上げぐるぐる回転する軕回しなどを披露した。

 大垣まつりは1648年(慶安元年)、初代藩主の戸田氏鉄(うじかね)により八幡宮が再建されたとき、城下18郷が神輿3社を寄付し、軕10両を造って曳き出したのが始まりという。79年には3代藩主から〝三両軕(さんりょうやま)〟と呼ばれる神楽軕、大黒軕、恵比須軕を下賜された。その後、濃尾震災や戦災などで多くの軕が被災・焼失したが、順次再建・復元が進められ6年前の2012年、70年ぶりに藩主下賜の3両と町衆の10両合わせて全13両が揃った。

 

 12日には鳥居前でまず神楽軕が巫女などによる人形神楽を披露した。舞台の下から棒で操っているそうだが、とても人形とは思えない軽快な身のこなしだった。この後、布袋軕や相生軕、愛宕軕、菅原軕などが続いた。別名天神軕とも呼ばれる菅原軕のからくり人形は「大垣まつり」という文字書きを披露し、見事な筆遣いに観客から拍手が沸き起こった。操作する人はこの本番に向け繰り返し練習を重ねたに違いない。

 

 玉の井軕と松竹軕にはとりわけ華やかな雰囲気に溢れていた。前面に設えられた踊り舞台に色とりどりのあでやかな晴れ着姿の女の子たちが5~6人。1人で、あるいは全員で「お夏清十郎」「大垣音頭」「紅葉の橋」「越天楽」などを舞った。演目を紹介するめくりには踊り手の名前に加え年齢も書いていた。その中には1人で見事に踊りきった7歳や8歳の女の子も。お人形さんのようなかわいらしい踊りを、多くの観客が食い入るように見つめていた。

 

 豪華な軕の造りやからくり、少女舞踊の魅力もさることながら、驚いたのは500店ともいわれる露天の多さ。八幡神社周辺や大垣城東側の目抜き通りなどを埋め尽くす露天には圧倒された。境内にはお化け屋敷も出現し、女の子たちの甲高い叫び声が途切れることなく遠くまで響いていた。〝本楽〟の13日は神社前で奉芸した後、神楽軕を先頭に全13両が列を成し城下町を約8.8km巡行する予定だった。だが大垣観光協会に13日午前中に伺ったところ、あいにくの雨天のため巡行は中止になったそうだ。その恐れもあると思って12日に訪ねたのが正解だった。

 

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