く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈明日香村稲渕〉 「案山子祭り」棚田を囲み50体

2024年09月24日 | 祭り

【テーマは「絆」 能登への応援作品数多く】

 「日本の棚田百選」や「日本の里100選」に選ばれている奈良県明日香村の稲渕棚田。その展望台や案山子(かかし)ロードを会場に、9月22~23日「案山子祭りin明日香村」が開かれた。

 主催は地元の住民や棚田オーナーでつくるNPO 法人「明日香の未来を創る会」。今年のテーマは「絆」で、主催者側製作のジャンボ案山子は石川県輪島市に伝わる「御陣乗太鼓」だった。大地震に襲われた能登地方への連帯や復興支援への思いが込められている。そばに募金箱も置かれていた。

 一般公募の作品にも能登に向けたものが目立った。輪島の有名な棚田「白米千枚田」も地震で大きな被害を受けた。『棚田を結ぶ絆』(制作者:田中一憲さん⋅智恵美さん)は輪島の市鳥トキと奈良の県鳥コマドリをお地蔵さんが温かく見守る。「同じ棚田の仲間として心が痛みます。今後、美しい千枚田が甦ることを願って止みません」との言葉が添えられていた。

 『御陣乗太鼓天高く響け』(キトラとらい塾)はのぼりに「能登の皆さん頑張れ」、『明日香より愛をこめて』(かずくん⋅ようさん)はハートに「能登」と「一日も早い復興をお祈り致します」というメッセージが記されていた。

 『渋沢栄一も応援!がんばれ、能登!』(大阪在住の4人組「陸女部」)と題した作品も。ところが能登では大地震に加え今度は豪雨災害。案山子を制作した皆さんのご心痛はいかばかりか。

 絆がテーマということで「家族」を表現した作品も数点見られた。上の案山子は『絆って家族のことだわ。』(軽費老人ホーム明日香楽園)、下は『家族の絆~誕生日祝』(植村雪子さん)。

 時節柄、パリ五輪を題材にした作品も。『絆の力で金メダル』(せせらぎの園)、『「のこたん」with エッフェル塔』(大和高田市かたらい教室)などだ。

 下の作品は上から『マリンと遊ぶ』(新川ムツ子さん)、『キキとジジ』(烏頭尾南美さん)、『私の中の百目鬼(どうめき)』(久保仁美さん)。百目鬼は百の目、顔を持つ鬼案山子で、栃木県宇都宮市大曽の伝説に登場する妖怪をモチーフに制作したという。

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〈休ケ岡八幡宮〉 社殿前のミニ土俵で奉納子供相撲大会

2024年09月17日 | 祭り

【薬師寺管主ら僧侶も参列し秋季大祭】

 薬師寺の鎮守社、休ケ岡(やすみがおか)八幡宮(奈良市西ノ京町)で敬老の日の16日、秋季大祭が執り行われた。神事に続いて、社殿の前に設けられた土俵では近畿大学相撲部の協力のもと「奉納子供相撲大会」が開かれた。

 大祭は午前10時すぎ、鮮やかな朱色の社殿の前で始まった。現社殿は1603年に豊臣秀頼によって造営されたもの。国の重要文化財に指定されている。献饌に続き巫女舞、土俵清祓(きよはらい)の儀、薬師寺僧侶による読経と続き、最後に薬師寺の加藤朝胤管主(かんす)の挨拶で1時間余にわたる神事を終えた。

 厳かな神事の後は恒例の子供相撲。近大相撲部員3人が登場し、参加するちびっこたちに禁じ手としてパンチ⋅足蹴り⋅髪を引っ張るの3点を挙げた。男児の勝負の多くは短時間で決着。ところか女児2組の対戦はいずれも約3分にわたる大熱戦に。大相撲ならたぶん水入りだろう。観客から「がんばれー」「押せー」という熱い声援が飛び交っていた。

 この後はちびっこたちと大学生の対戦。最初は小学低学年、次に高学年、そして最後は全員で相撲部員に向かっていった。締めくくったのは大学生同士のガチンコ勝負。その迫力に圧倒された。

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〈筒井順慶まつり〉 勇壮な僧形⋅武者行列が練り歩く

2024年09月09日 | 祭り

【地元の高校⋅中学の先生や生徒たちが扮して】

 奈良県大和郡山市で9月8日「筒井順慶まつり」が繰り上げられた。地元の「筒井順慶顕彰会」の主催で、今回で21回目。主会場の筒井城跡の広場で多彩なイベントが開かれ、多くの市民でにぎわった。(写真は近鉄筒井駅前で)

 筒井順慶(1549-84)は筒井城最後の城主。筒井城は外堀で囲まれた東西500m、南北400mに及び、平城式城郭の中では大和で最大規模を誇った。しかし1580年、織田信長の命で破却され、順慶は居城を郡山城に移した。

 順慶は山崎の戦いで洞が峠で形勢を眺めていたとして日和見主義者の代名詞のようにいわれてきた。ただ史実は異なり、順慶は実は洞が峠に出陣していなかったという。顕彰会は順慶を「領民第一の徳将」「状勢判断の天才」と讃える。

 順慶まつりは午前10時半、大阪堺鉄砲隊による祝砲でスタート。出陣式などに続いて「僧形⋅武者行列」が近鉄筒井駅前に向けて出発した。これまで市長が務めてきた順慶役は県立ろう学校の校長、嶋佐近役は県立大和中央高校の校長が務め、近隣の学校の先生や生徒たちが家臣などとして参加した。僧形は筒井家が元々興福寺の僧兵出身のため。

 行列の一行は筒井駅前で記念写真を撮って小休止した跡、再び城跡のまつり会場へ。行列帰着後、会場では「やまと獅子太鼓」の演奏や一般参加の水攻め合戦、堺鉄砲隊の実演などが繰り広げられた。近くの光専寺ではまつりに合わせ安置する木造順慶像が一般公開された。

(写真はまつりで曳き回された光専寺の木造順慶像を模した像)

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〈東大寺二月堂〉 参拝客でにぎわう「功徳日(およく)」

2024年08月10日 | 祭り

【1日で4万6000日分参拝のご利益! 福引の楽しみも】

 8月9日は1年の中でも特別な観音様の縁日「功徳日」。この日参拝すると、なんと4万6000日参拝したと同じご利益があるという。十一面観音菩薩像を祀る東大寺二月堂もこの日が「功徳日(およく)」。朝早くから参拝客でにぎわった。

 4万6000日は約126年分に相当する。この日数はどこから? 一説ではお米1升が約4万6000粒であることから来ているという。加えて一生分の功徳があるとして「1升=一生」とかけたともいわれている。「およく」は「お浴」で「功徳に浴する」ことを意味する。

 参拝客にとっては福引もこの日の楽しみの一つ。灯明料(1口500円)を納めると、1口につき1枚の福引券がもらえる。午前8時半ごろ、二月堂の石段を上ると、福引引替所の前に列ができていた。

 引替所の中をのぞくと、様々な景品が三方の壁面にびっしり。正面の上段には大きなテレビや東大寺管長の色紙などもあった。福引券を1枚入手。直前の男性はたこ焼き機が当たった。もしかしたら正面の┄┄。手に入ったのは可愛いふきん1枚だった。

 二月堂に隣接する無料休憩所「北の茶屋」もにぎわっていた。入り口そばで販売していたのは名物の「およく餅」。その向かい側にはみたらし団子を買い求める客の行列ができていた。かき氷やそうめん、冷やしぜんざいなども販売。どれも100円と格安だった。

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〈大鳥神社「花奪い神事」〉 「神花」で飾られた花傘を青竹で乱打!

2024年07月25日 | 祭り

【花笠姿の愛らしい子どもたちの太鼓踊りも】

 滋賀県甲賀市甲賀町の大鳥神社で7月23~24日、無病息災や五穀豊穣を願って「大原祇園祭」が執り行われた。24日は前夜の宵宮祭に続いて本祭。「花奪い(はなばい)神事」が一番の見どころで、この祇園祭は県指定無形民俗文化財にもなっている。

 本祭は花火の号砲で午後3時から始まった。朱塗りの楼門前には白装束で鉢巻き姿の男衆約50人がずらりと整列。その間を花鉾を先頭に、太鼓踊りを奉納する子どもたち、赤い造花の「神花(しんか)」で飾られ酒樽を乗せた花傘が進む。

 太鼓踊りの踊り子は花笠を被り、和太鼓を「トントト、カカカ」と打ち鳴らしながら進んだ。昼過ぎ一時雨が降ったこともあって、太鼓は透明のビニールシートで覆われていた。

 楼門は京都⋅八坂神社の西門を模したもの。花傘はその楼門を潜って神輿が安置された拝殿へ。そこで酒樽などを奉納した後、再び楼門に姿を現した。

 境内の入場順は毎年、第1番が氏子総代を務める地区。第2番以降はくじ引きで決まる。今年は第1番が大原上田。その後に大原中、高野、大久保、大原市場、鳥居野、神、相模、櫟野と続く。

 いよいよ花奪いの始まりだ。第1番の花傘が笛の合図で石段を駆け下りて男衆の間へ。すると、一斉に青竹による集中攻撃を始まった。

 大鳥神社の祭神は素盞鳴命。花奪いは素盞鳴命のヤマタノオロチ退治に由来するという。花傘は数往復する間に竹の棒でしこたま叩かれ、「そこまで」という笛の合図で観客側に倒された。

 赤い造花「真花」には無病息災や家内安全のご利益があるという。参拝者たちは花傘が倒れるやいなや、我先に駆け寄り競って花を奪い合っていた。

 祭りを支えるのは旧大原村の氏子地域9地区。花傘は各地区から6基ずつほど奉納された。9地区を合わせると50基ほどに。

 花奪いは1時間20分ほど繰り返し行われた。この間に抱えきれないほどの花をゲットした人もいた。

 楼門前で花奪いが繰り広げられる最中、本殿や拝殿の前では子どもたちによって太鼓踊りが奉納された。輪になって和太鼓を打ち鳴らし、「インヨーソーライ(陰陽栄)」の掛け声で輪の中央で太鼓の胴をぶつけ合っていた。

 踊り子はかつて男児に限られていたそうだが、今は女児も加わった地区も見られた。踊り終えた子どもたちにはアイスクリームなどが配られ、親御さんが「お疲れ」というように団扇であおいでいた。

 花奪いの後は氏子総代や役員による楼門からの粽(ちまき)投げ。笹の葉でくるまれた粽の中には当たり券も。当たると酒樽がプレゼントされる。

 当たりの確率は結構高かったようだ。この男性は仲間5人で手にした10個ほどの粽の中に当たり券が4枚も入っていた、と見せてくれた。別の男性は一人で3つの酒樽を持っていた。

 粽神事に続いて神輿の渡御が行われた。担ぐのは花奪いで奮闘した白装束の男衆。汗だくになりながら「ワッショイ、ワッショイ」とお旅所まで担ぎ、獅子頭が沿道の人たちの頭を噛んでいた。

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〈祇園祭神幸祭〉 神輿3基、勇壮に御旅所へ渡御

2024年07月18日 | 祭り

【「ホイット、ホイット」沿道からも手拍子と掛け声】

 京都の夏を雅に彩る祇園祭の前祭(さきまつり)が17日都大路で華やかに繰り広げられた。日中の山鉾巡行に続く神幸祭の神事の後、夕刻からは四条通の御旅所まで神輿3基の渡御が行われた。

 神輿渡御は午後6時から。八坂神社のシンボル、朱色の西門の石段下に神輿3基が勢揃いし出発式が行われる。石段はその様子を上の方から見物できる“特等席”。2時間前には多くの人で既に埋め尽くされ、境内も身動きがままならないほどごった返していた。

 午後6時すぎ、神輿を先導する行列がやって来た。先頭は「豊園泉正寺榊」。神様を遷した神輿の進路を清める役割を担う。かつては3基の神輿にそれぞれ榊台があったが、今では泉正寺町の1基だけになったという。

 その後、白馬に乗ってやって来たのは綾戸國中神社のお稚児さん。胸の前に馬の首の彫り物「駒形」を掲げており「久世駒形稚児」と呼ばれる。

 盾や矛など神宝を掲げて進むのは八坂神社のお膝元祇園町の氏子組織「宮本組」。今年は「志丁組」というボランティア組織も立ち上げ、参加者を公募した。神宝奉持列に続いて神輿が「三若神輿会」の旗を靡かせながら現れた。

 この神輿は「中御座神輿」と呼ばれ、八坂神社の主祭神素戔鳴尊が乗る。四若神輿会の「東御座神輿」は櫛稲田姫命、錦神輿会の「西御座」は八柱御子神。重さは2~3トンもあるそうだ。

 石段下を出発した各神輿はそれぞれの順路で氏子地域を巡行。途中で神輿を高く持ち上げる“差し上げ”などを披露した。

 神輿は3時間ほどかけて御旅所へ。威勢のいい「ホイット、ホイット」という掛け声と「シャン、シャン」という神輿の鈴の音が夜遅くまで鳴り響いた。神輿は後祭の山鉾巡行が行われる1週間後の24日に神社へ戻る。

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〈石上神宮〉 国宝の拝殿で「神剣渡御祭」と「御田植神事」

2024年07月01日 | 祭り

【神田神社への渡御行列は6年連続中止に!】

 日本最古の神社の一つといわれる奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮で、6月30日「神剣渡御祭」が営まれた。末社神田(こうだ)神社へのお渡り(渡御行列)は梅雨空のため中止となり、一連の神事は全て国宝の拝殿内で執り行われた。

 お渡りは神剣渡御祭の一番の見どころ。太鼓を「でんでん」と打ち鳴らしながら進むため「でんでん祭」とも呼ばれる。この日の天候は「雨のちくもり」で、神事が始まる午後1時ごろには薄日も差していた。だが「諸準備の都合もあって」結局中止に。これでお渡りは6年連続中止となった。(写真は拝殿に参進する宮司ら神職)

 拝殿では雅楽が奏される中、まず「本宮祭」が営まれた。お祓いに続き、お供え物を捧げる献饌、祝詞奏上、玉串奉奠┄┄。

 神事は粛々と進んだ。拝殿には多くの一般参拝者も自由に上がって参列し、厳かな神事を見守っていた。

 拝殿前の境内にも多くの参拝者。神事の節々に神前に向かって低頭していた。

 本宮祭が終わると、続いて「神田神社例祭」。拝殿内に設けられた遥拝所に神剣を供えて神事が執り行われた。

 この後は五穀豊穣を祈る御田植神事。拝殿内を神田に見立て、作男と牛役が田起こしなどの所作をユーモラスに演じた。途中、お疲れ気味の牛役を、脇に控えていた早乙女が立ち上がって励ます一幕も。

 田んぼが整うと、早乙女3人の登場。早苗を一つ一つ丁寧に並べていった。その苗は本物の稲。神事が終わると、参拝者たちは競って苗を手に取り持ち帰っていた。

 この日は半年間の罪⋅穢れを祓い清める「夏越の大祓式」も夕方から行われた。

 社務所前の参道には高さ2mほどの大きな茅の輪。神職らが古歌を唱えながら輪をくぐった。「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり」

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〈奈良⋅菅原天満宮〉 5年ぶりに「鷽替え神事」

2024年06月26日 | 祭り

【「誕生祭」に続き約110人が鷽のお守りを次々に交換】

 奈良市菅原東の菅原天満宮で6月25日、祭神菅原道真公の「誕生祭」と「鷽(うそ)替え神事」が執り行われた。鷽替えの開催は新型コロナ禍もあって実に5年ぶり。約110人の参拝者が太鼓に合わせ「替えましょ、替えましょ」と木彫りの鷽のお守りを交換しあった。

 鷽替え神事は九州の大宰府に流された道真が蜂の大群に襲われたとき、鳥の鷽に救われたという故事に因む。鷽は嘘(うそ)に通じ、災厄⋅悪事をうそとし吉に転じてくれるとして、道真を祀る各地の天満宮で行われている。

 神事の開催時期は年の始めの1月というところが多い。太宰府天満宮も大阪天満宮も道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)も1月に斎行。ただ、この菅原天満宮では古くから道真の誕生日(陰暦6月25日)に合わせて行ってきた。

 鷽替えは午前11時、中村眞一宮司の挨拶に続いてスタート。太鼓の「ドン⋅ドン⋅ドン」という音に合わせ「替えましょ、替えましょ」と鷽のお守りが入った箱の取り替えっこが始まった。

 お守りの交換は回数が多ければ多いほど厄が払われ幸運に恵まれるといわれる。そのため参拝者は次々に相手を見つけては取り替えていた。

 太鼓が鳴り止むと、交換は一旦終了。そのたびに抽選会が行われた。当たりくじを引くのは中村宮司。くじの番号と箱の番号が一致した当選者には梅茶や毛筆、奈良⋅特産赤膚焼の焼き物などが贈られた。

 お守りの交換と抽選は30分余り繰り返された。そして抽選も最後の特別賞1本を残すだけに。景品は高さが30㎝ほどもある「大鷽」。拝殿前の三方の上に飾られていた一品だ。

 「63」。番号が読み上げられると、どっと歓声が起きた。幸運の主は73歳の男性だった。大鷽と副賞の抹茶茶碗を受け取った男性はその後、報道陣に囲まれ取材に応じていた。

 この日、境内にはしばしは「ピ、ピ、ピーッ」という鷽の鳴き声が流された。まるで人の口笛のようなやや甲高い鳴き声だった。鷽の「ウソ」の名前も古く口笛を意味した「オソ」が語源らしい。(上の写真は天満宮の東約100mの住宅街にある「菅原道真産湯の池」と伝わる遺跡)

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〈近江神宮〉 「時の記念日」恒例の「漏刻祭」

2024年06月11日 | 祭り

【時計関係者参列し、時計の献納や舞楽の奉納】

 6月10日は「時の記念日」。約1350年前、671年のこの日、天智天皇が近江大津宮に漏刻台(水時計)を設け時報を始めたとの故事に因む。天智天皇を祭神として祀る近江神宮(大津市)で10日、時計メーカーなど関係者が参列するなか恒例の「漏刻祭」が開かれた。

 祭典が始まったのは午前11時すぎ。王朝装束を身に着け“漏刻博士”などに扮した3人の時計関係者や、采女役のびわ湖大津観光大使の女性ら奉仕者が列をつくって拝殿の石段を上ってきた。

 修祓(しゅばつ)に続いて網谷道弘宮司による本殿の御扉開き、祝詞奏上┄┄。神事が粛々と進む。この後、いよいよ見どころ時計の献納だ。

 先頭は献納目録を捧げもつ”漏刻博士“。その後ろに采女4人が続く。献納台に載っているのは最新の腕時計や置き時計など。

 采女たちはやや緊張の面持ちで本殿の石段を上っていった。観光大使の2人は4月に就任したばかり。2人とも大津市在住の立命館大学の学生さんだ。

 この後、本殿と拝殿の間に設けられた仮設舞台で舞楽が奉納された。拝殿では招待者の後ろ側に一般の参拝者が詰め掛け、立錐の余地がないほど。

 “時の祖神”を祀るだけに、境内には様々な時計が設置されている。最も注目を集めていたのが「古代火時計」(ロレックス社寄贈)。龍の背で巨大な線香が煙を上げていた。銅球が等間隔で糸で吊り下げられており、線香の火が糸を焼き切ると、銅球が落ちて下のドラが鳴る仕組みだ。球の落下はおよそ2時間おきとのこと。

 「時計館⋅宝物館」のそばには漏刻の模型も。こちらは1964年に日本⋅スイス修交100周年を記念して、オメガ社の総代理店から贈られた。

 「時計館⋅宝物館」は漏刻祭のこの日、入館無料だった(通常大人300円)。1階の時計館には古い大名時計や高松宮家寄贈品などとともに、過去3年の漏刻祭での献納目録と献納時計も展示されていた。

 帰り際、びわ湖大津観光大使と遭遇、早速写真を撮らせてもらった。右が片山桃花さん、左が平良優さん(この春高校を卒業し大学生になったばかり)。お二人とも大役を終えた安堵からか、笑顔満開の柔和な表情が印象的だった。

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〈枚岡神社〉 国の平安を祈願して「平国祭」

2024年05月22日 | 祭り

【「振矛の儀」に続き巫女による「矛の舞」も】

 東大阪市の枚岡神社で5月21日「平国祭」が執り行われた。通称「へいこくさい」と呼ばれているが、正式には「くにむけのまつり」。国の平安を祈願して毎年この日に行われている。

 祭典は午前10時に始まった。拝殿から宮司が祝詞を奏上。この後、本殿に安置されていた「平国矛(くにむけのほこ)」を使って「振矛の儀」が行われた。

 矛を地面に突き立てるように力強く垂直に突く。その動作を中央、左側、そして右側と3度繰り返した。儀式が終わると、矛は大切に抱えられ本殿前の祝詞舎の石段を上っていった。

 続いて巫女舞が奉納された。2人の巫女が通常手にする鈴に代わって矛を抱え、笛や太鼓に合わせ優雅に舞った。この舞の後には刀剣術「勇進流」の宗家、瀬戸天勇宏俊さんによる演武奉納も。

 午前11時からは参道広場で「勇進流」のメンバーが日頃の鍛練の成果を参拝者たちに披露した。「ビュ!」という真剣の風を切る音が印象的だった。

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〈元興寺〉 本堂正面に花御堂を飾って灌仏会

2024年05月09日 | 祭り

【園児たちが「花まつりの歌」を奉納】

 奈良市ならまちの世界文化遺産⋅元興寺で8日、お釈迦様の生誕を祝い子どもたちの健やかな成長を祈る花祭り「灌仏会(かんぶつえ)」が執り行われた。花祭りは釈迦の誕生日とされる4月8日に行われることが多く、東大寺や興福寺でも「仏生会」としてその日に開催。ただ元興寺では毎年旧暦の4月8日に近い5月8日に行っている。

 国宝の極楽坊本堂正面には色とりどりの生花で飾られた花御堂。参拝者たちはその中央に立つ誕生仏に甘茶を注いでから堂内へ。左手には甘茶が入った2つのポットが置かれ「ご自由にお飲みください」と書き添えられていた。

 堂内は近隣の「極楽坊あすかこども園」の園児たちでいっぱい。午前11時、法要が始まると、園児たちは胸元で小さな手を合わせて合掌していた。

 法要が終わると、辻村泰善住職が園児に向けお話し。「世界で一番高い山、知ってますか? エベレストですね。仏様はその麓のルンビニで生まれました。生まれたとき虫や鳥などみんなが喜んで、しおれていた花も雨が降って元気になりました。その雨を甘露の雨といいます。みんなも生まれたとき感謝されたことを忘れないでくださいね」

 この後、園児たちから『花まつりの歌』がお返しに。ちびっこたちの元気な歌声が堂内に響き渡った。「おはなあげましょささげましょ きょうはこどものはなまつり にこにこげんきなおしゃかさま みんなでおいわいいたしましょ」

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〈サンヤレ踊り〉 滋賀県草津市の6地区で華やかに

2024年05月04日 | 祭り

【2022年「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に】

 滋賀県草津市内で5月3日、国の重要無形民俗文化財に指定されている「サンヤレ踊り」が各地の神社に奉納された。一昨年の2022年秋に「風流踊」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されたばかり。

 サンヤレ踊りは五穀豊穣などを祈るもので、古文書などによると江戸時代からの長い伝統を誇るという。今年は市内7地区のうち隔年実施の矢倉を除く6地区で踊りが披露された。

 下笠地区では正午から約30分にわたり老杉神社で踊りが奉納された。主役は華やかな花笠と衣装の子どもたち。青年男子の「サンヤレ、サンヤレ」という囃子詞(ことば)に合わせ太鼓や鞨鼓(かっこ)を打ち鳴らした。

 吉田地区の踊りは午後1時半から三大神社に奉納された。こちらは太鼓打ちの子どもも、囃子や笛吹きも全員男性で白い法被姿。囃子方の「ヤー、ホイ」という独特な囃子と動きが印象的だった。

 その後、志那中地区の惣社神社へ。踊りの行列は「今ごろ御旅所のはず」。社務所でそう教えてもらって太鼓が聞こえてくる方向に向かうと「御旅所祭」の真っ最中。ピンク色の法被姿の女の子たちの輪の中で、色鮮やかな襷掛けの男の子が太鼓を打っていた。

 御旅所の一角にはユネスコの無形文化遺産登録を記念した石碑が。そういえば各地区の踊り保存会の旗や法被などにも誇らしげに「ユネスコ」の文字が躍っていた。ユネスコ登録が伝統の保存に一役買っていることは間違いない。

 神社奉納後、踊りの行列は各地区の町内を巡行した(写真は志那神社で)。今年は3年に一度の長束(なつか)地区も登場した。3年前は新型コロナの影響で中止になっており、印岐志呂(いきしろ)神社への奉納は実に6年ぶりとのこと。

 ただ三大神社などを巡るうち時間的余裕がなくなって長束の踊りを見ることができなかったのが心残り。三大⋅志那⋅惣社の3つの神社は「藤の志那三郷」としてフジの名所として有名とのこと。踊りよりフジお目当ての観光客も多いようだった。(写真は三大神社で)

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〈東大寺〉 大仏殿で「花まつり千僧法要」

2024年04月27日 | 祭り


【全日本仏教青年会主催、宗派を超え若いお坊さんが全国から結集!

 奈良⋅東大寺で4月26日「花まつり千僧法要」が営まれた。主催は全日本仏教青年会(新井順證理事長=四天王寺総務部長)で、南都二六会⋅東大寺との共催。1988年から毎年この日に開いており、宗派を超えて全国各地から集まった若手僧侶たち約300人が大仏さまに仏法興隆、世界平和、災害被災地の早期復興などを祈願した。

 午後零時45分、僧侶たちの行列が法螺貝が吹かれる中、大仏殿に向けて出発した。色とりどりの袈裟をまとったお坊さんの列が延々と続く。

 参道の両側にはあっという間に人垣ができた。海外からの観光客も興味深そうに見つめ、スマホのシャッターを押していた。行列最後尾には東大寺学園幼稚園の園児たちが続いた。

 大仏殿で法要が始まったのは午後1時すぎ。最初に園児たちが『世界がひとつになるまで』という歌を大仏さまに奉納した。散華の後、般若心経、大般若経転読と続く。

 法要中も参拝客が次々と堂内に。写真撮影はいつも通りOKだが、法要中の真正面からの撮影だけはご法度。法被姿の東大寺職員が海外観光客に「ノー フォトグラフィー」としきりに声を掛けていた。

 法要後、僧侶たちは大仏殿のすぐ東側にある宝塔「アショカピラー」の前へ移動。この塔はインド仏教の聖地サルナートにあるアショカピラーの石像頭部を模したもので、ライオン4頭が背中合わせに並ぶ。全日本仏教青年会が1988年「花まつり千僧法要」を始めたときに記念塔として設置した。

 そのすぐそばには金色に輝く高さ23mの「七重塔相輪」がある。こちらは1970年の日本万博の遺産。古河グループのパビリオン「七重塔」の相輪部分が寄進され、翌年この地に移設された。

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〈剣聖の里⋅柳生〉 満開の桜をバックに第16回さくら祭

2024年04月07日 | 祭り

【2日間にわたり火縄銃の演武など多彩な催し】

 奈良市柳生で4月6日「第16回柳生さくら祭」が始まった。会場は旧柳生藩陣屋跡の広場で、7日までの2日間。満開の桜を背にした野外ステージでは初日から火縄銃の演武をはじめ忍術や尺八の演奏、舞踊、南京玉すだれ、コスプレショー、柳生新陰流演武など多彩な出し物が繰り広げられた。

 火縄銃の演武は正午すぎにスタート。大阪城鉄砲隊などのメンバー11人が勇ましい甲冑姿で登場した。率いるのは堺鉄砲研究会を主宰し、柳生観光大使も務める澤田平さん。古式銃⋅古式砲術研究の第一人者で、「なんでも鑑定団」(テレビ東京)の鑑定士としても活躍してきた。

 鉄砲隊の面々が手にする火縄銃はいずれも江戸時代に作られた本物という。澤田さんの号令一下、一斉射撃や一人ずつ順に放つ“つるべ撃ち”などか披露された。そのたびに白煙とともに凄まじい轟音が轟いて、観客から驚きの声が上がった。

 この後、真剣の試し斬りに続き澤田さんによる「がまの油売り」の口上もあった。赤い甲冑姿の男性が持つ短い刀は国内で唯一本物と確認されているという忍者刀(忍刀)。一太刀(ひとたち)でスパッとよく斬れていた刀に、がまの油を塗るとなぜか切れ味がさっぱりに。ところが油を拭き取ると再び鋭い切れ味を取り戻した。不思議! 澤田さんは「がまの油は刀傷にもよく効いた」と話していた。

 火縄銃やがまの油売りの前には、橿原市のボーカルとギターのデュオ「歓音~かのん」の演奏や地元の「大河流舞遊会」による舞踊などもあった。さらに午後も南京玉すだれやコスプレショーなどが続いた。

 7日には和太鼓や三味線、草笛の演奏、田原伝統芸能、狂言、相撲甚句、アフリカの太鼓とダンスなど、初日とは異なるグループが出演する。フィナーレは2日間とも法被姿の町民たちによる「柳生音頭」の踊り。この音頭、第1回さくら祭(2006年)に合わせ、地元の小学校教師の作詞とキダ⋅タローさんの作曲で生まれた。(下の写真は初日に登場した南京玉すだれのメンバー)

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〈大和郡山お城まつり〉 5年ぶりに時代行列と白狐渡御

2024年04月01日 | 祭り

【公募の小中学生が武将役として騎乗!】

 奈良県大和郡山市で3月31日、「第63回大和郡山お城まつり」(3月24日~4月7日)のメインイベント「時代行列」と「白狐渡御」が繰り広げられた。新型コロナに加え昨年は雨天中止になっており、行列と渡御の開催は実に5年ぶり。沿道に多くの市民や観光客が詰めかけ、馬上の武将や白狐に扮して踊る子どもたちに歓声を送っていた。

 大和郡山城跡は「日本さくら名所100選」に選ばれている。城跡公園内の桜もお城まつりに合わせるかのように咲き始め、追手東隅櫓のそばにある枝垂れ桜は一足早く見ごろを迎えていた。

 時代行列と白狐渡御は市役所前での出陣式の後、午後2時ふれ太鼓に先導されて出発した。先頭は地元出身の鎌倉時代の名僧⋅叡尊上人。西大寺の復興などに尽力したことで知られる。

 この後、柳沢権大夫(淇園)、薮田市正、武田信玄、大和郡山藩初代藩主柳沢吉里などの武将が続く。勇壮な甲冑姿で騎乗するのは市内の小中学生たち。今回の行列から初めて公募で選ばれた。

 さらに続いて豊臣秀吉の弟の秀長、郡山城を築いた筒井順慶。豊臣秀長は2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で主人公として取り上げられることが決まった。白馬に跨がる順慶の後ろには「筒井順慶顕彰会」のメンバーが大勢続いた。

 白狐渡御は地元で「源九郎さん」と親しまれている源九郎稲荷神社の祭礼。この神社は歌舞伎「義経千本桜」でおなじみの源九郎狐(白狐)を神の使いとして祀る。狐のお面を被った子どもたちの可愛らしいこと。お囃子に合わせ元気いっぱいに白狐踊りを披露してくれた。

 城跡公園内では特産金魚の品評会や品種展、物産展なども開催。柳沢神社の参道と県立郡山高校(城内学舎)の間の道路には多くの露店が並び、あふれんばかりの人出で賑わっていた。そんな中で、ひときわ目を引いたのが手押し車に乗った10匹ほどの子犬たち。ミニチュア⋅ダックスフンド?

 

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