く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈祇園祭神幸祭〉 神輿3基、勇壮に御旅所へ渡御

2024年07月18日 | 祭り

【「ホイット、ホイット」沿道からも手拍子と掛け声】

 京都の夏を雅に彩る祇園祭の前祭(さきまつり)が17日都大路で華やかに繰り広げられた。日中の山鉾巡行に続く神幸祭の神事の後、夕刻からは四条通の御旅所まで神輿3基の渡御が行われた。

 神輿渡御は午後6時から。八坂神社のシンボル、朱色の西門の石段下に神輿3基が勢揃いし出発式が行われる。石段はその様子を上の方から見物できる“特等席”。2時間前には多くの人で既に埋め尽くされ、境内も身動きがままならないほどごった返していた。

 午後6時すぎ、神輿を先導する行列がやって来た。先頭は「豊園泉正寺榊」。神様を遷した神輿の進路を清める役割を担う。かつては3基の神輿にそれぞれ榊台があったが、今では泉正寺町の1基だけになったという。

 その後、白馬に乗ってやって来たのは綾戸國中神社のお稚児さん。胸の前に馬の首の彫り物「駒形」を掲げており「久世駒形稚児」と呼ばれる。

 盾や矛など神宝を掲げて進むのは八坂神社のお膝元祇園町の氏子組織「宮本組」。今年は「志丁組」というボランティア組織も立ち上げ、参加者を公募した。神宝奉持列に続いて神輿が「三若神輿会」の旗を靡かせながら現れた。

 この神輿は「中御座神輿」と呼ばれ、八坂神社の主祭神素戔鳴尊が乗る。四若神輿会の「東御座神輿」は櫛稲田姫命、錦神輿会の「西御座」は八柱御子神。重さは2~3トンもあるそうだ。

 石段下を出発した各神輿はそれぞれの順路で氏子地域を巡行。途中で神輿を高く持ち上げる“差し上げ”などを披露した。

 神輿は3時間ほどかけて御旅所へ。威勢のいい「ホイット、ホイット」という掛け声と「シャン、シャン」という神輿の鈴の音が夜遅くまで鳴り響いた。神輿は後祭の山鉾巡行が行われる1週間後の24日に神社へ戻る。

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〈石上神宮〉 国宝の拝殿で「神剣渡御祭」と「御田植神事」

2024年07月01日 | 祭り

【神田神社への渡御行列は6年連続中止に!】

 日本最古の神社の一つといわれる奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮で、6月30日「神剣渡御祭」が営まれた。末社神田(こうだ)神社へのお渡り(渡御行列)は梅雨空のため中止となり、一連の神事は全て国宝の拝殿内で執り行われた。

 お渡りは神剣渡御祭の一番の見どころ。太鼓を「でんでん」と打ち鳴らしながら進むため「でんでん祭」とも呼ばれる。この日の天候は「雨のちくもり」で、神事が始まる午後1時ごろには薄日も差していた。だが「諸準備の都合もあって」結局中止に。これでお渡りは6年連続中止となった。(写真は拝殿に参進する宮司ら神職)

 拝殿では雅楽が奏される中、まず「本宮祭」が営まれた。お祓いに続き、お供え物を捧げる献饌、祝詞奏上、玉串奉奠┄┄。

 神事は粛々と進んだ。拝殿には多くの一般参拝者も自由に上がって参列し、厳かな神事を見守っていた。

 拝殿前の境内にも多くの参拝者。神事の節々に神前に向かって低頭していた。

 本宮祭が終わると、続いて「神田神社例祭」。拝殿内に設けられた遥拝所に神剣を供えて神事が執り行われた。

 この後は五穀豊穣を祈る御田植神事。拝殿内を神田に見立て、作男と牛役が田起こしなどの所作をユーモラスに演じた。途中、お疲れ気味の牛役を、脇に控えていた早乙女が立ち上がって励ます一幕も。

 田んぼが整うと、早乙女3人の登場。早苗を一つ一つ丁寧に並べていった。その苗は本物の稲。神事が終わると、参拝者たちは競って苗を手に取り持ち帰っていた。

 この日は半年間の罪⋅穢れを祓い清める「夏越の大祓式」も夕方から行われた。

 社務所前の参道には高さ2mほどの大きな茅の輪。神職らが古歌を唱えながら輪をくぐった。「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり」

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〈奈良⋅菅原天満宮〉 5年ぶりに「鷽替え神事」

2024年06月26日 | 祭り

【「誕生祭」に続き約110人が鷽のお守りを次々に交換】

 奈良市菅原東の菅原天満宮で6月25日、祭神菅原道真公の「誕生祭」と「鷽(うそ)替え神事」が執り行われた。鷽替えの開催は新型コロナ禍もあって実に5年ぶり。約110人の参拝者が太鼓に合わせ「替えましょ、替えましょ」と木彫りの鷽のお守りを交換しあった。

 鷽替え神事は九州の大宰府に流された道真が蜂の大群に襲われたとき、鳥の鷽に救われたという故事に因む。鷽は嘘(うそ)に通じ、災厄⋅悪事をうそとし吉に転じてくれるとして、道真を祀る各地の天満宮で行われている。

 神事の開催時期は年の始めの1月というところが多い。太宰府天満宮も大阪天満宮も道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)も1月に斎行。ただ、この菅原天満宮では古くから道真の誕生日(陰暦6月25日)に合わせて行ってきた。

 鷽替えは午前11時、中村眞一宮司の挨拶に続いてスタート。太鼓の「ドン⋅ドン⋅ドン」という音に合わせ「替えましょ、替えましょ」と鷽のお守りが入った箱の取り替えっこが始まった。

 お守りの交換は回数が多ければ多いほど厄が払われ幸運に恵まれるといわれる。そのため参拝者は次々に相手を見つけては取り替えていた。

 太鼓が鳴り止むと、交換は一旦終了。そのたびに抽選会が行われた。当たりくじを引くのは中村宮司。くじの番号と箱の番号が一致した当選者には梅茶や毛筆、奈良⋅特産赤膚焼の焼き物などが贈られた。

 お守りの交換と抽選は30分余り繰り返された。そして抽選も最後の特別賞1本を残すだけに。景品は高さが30㎝ほどもある「大鷽」。拝殿前の三方の上に飾られていた一品だ。

 「63」。番号が読み上げられると、どっと歓声が起きた。幸運の主は73歳の男性だった。大鷽と副賞の抹茶茶碗を受け取った男性はその後、報道陣に囲まれ取材に応じていた。

 この日、境内にはしばしは「ピ、ピ、ピーッ」という鷽の鳴き声が流された。まるで人の口笛のようなやや甲高い鳴き声だった。鷽の「ウソ」の名前も古く口笛を意味した「オソ」が語源らしい。(上の写真は天満宮の東約100mの住宅街にある「菅原道真産湯の池」と伝わる遺跡)

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〈近江神宮〉 「時の記念日」恒例の「漏刻祭」

2024年06月11日 | 祭り

【時計関係者参列し、時計の献納や舞楽の奉納】

 6月10日は「時の記念日」。約1350年前、671年のこの日、天智天皇が近江大津宮に漏刻台(水時計)を設け時報を始めたとの故事に因む。天智天皇を祭神として祀る近江神宮(大津市)で10日、時計メーカーなど関係者が参列するなか恒例の「漏刻祭」が開かれた。

 祭典が始まったのは午前11時すぎ。王朝装束を身に着け“漏刻博士”などに扮した3人の時計関係者や、采女役のびわ湖大津観光大使の女性ら奉仕者が列をつくって拝殿の石段を上ってきた。

 修祓(しゅばつ)に続いて網谷道弘宮司による本殿の御扉開き、祝詞奏上┄┄。神事が粛々と進む。この後、いよいよ見どころ時計の献納だ。

 先頭は献納目録を捧げもつ”漏刻博士“。その後ろに采女4人が続く。献納台に載っているのは最新の腕時計や置き時計など。

 采女たちはやや緊張の面持ちで本殿の石段を上っていった。観光大使の2人は4月に就任したばかり。2人とも大津市在住の立命館大学の学生さんだ。

 この後、本殿と拝殿の間に設けられた仮設舞台で舞楽が奉納された。拝殿では招待者の後ろ側に一般の参拝者が詰め掛け、立錐の余地がないほど。

 “時の祖神”を祀るだけに、境内には様々な時計が設置されている。最も注目を集めていたのが「古代火時計」(ロレックス社寄贈)。龍の背で巨大な線香が煙を上げていた。銅球が等間隔で糸で吊り下げられており、線香の火が糸を焼き切ると、銅球が落ちて下のドラが鳴る仕組みだ。球の落下はおよそ2時間おきとのこと。

 「時計館⋅宝物館」のそばには漏刻の模型も。こちらは1964年に日本⋅スイス修交100周年を記念して、オメガ社の総代理店から贈られた。

 「時計館⋅宝物館」は漏刻祭のこの日、入館無料だった(通常大人300円)。1階の時計館には古い大名時計や高松宮家寄贈品などとともに、過去3年の漏刻祭での献納目録と献納時計も展示されていた。

 帰り際、びわ湖大津観光大使と遭遇、早速写真を撮らせてもらった。右が片山桃花さん、左が平良優さん(この春高校を卒業し大学生になったばかり)。お二人とも大役を終えた安堵からか、笑顔満開の柔和な表情が印象的だった。

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〈枚岡神社〉 国の平安を祈願して「平国祭」

2024年05月22日 | 祭り

【「振矛の儀」に続き巫女による「矛の舞」も】

 東大阪市の枚岡神社で5月21日「平国祭」が執り行われた。通称「へいこくさい」と呼ばれているが、正式には「くにむけのまつり」。国の平安を祈願して毎年この日に行われている。

 祭典は午前10時に始まった。拝殿から宮司が祝詞を奏上。この後、本殿に安置されていた「平国矛(くにむけのほこ)」を使って「振矛の儀」が行われた。

 矛を地面に突き立てるように力強く垂直に突く。その動作を中央、左側、そして右側と3度繰り返した。儀式が終わると、矛は大切に抱えられ本殿前の祝詞舎の石段を上っていった。

 続いて巫女舞が奉納された。2人の巫女が通常手にする鈴に代わって矛を抱え、笛や太鼓に合わせ優雅に舞った。この舞の後には刀剣術「勇進流」の宗家、瀬戸天勇宏俊さんによる演武奉納も。

 午前11時からは参道広場で「勇進流」のメンバーが日頃の鍛練の成果を参拝者たちに披露した。「ビュ!」という真剣の風を切る音が印象的だった。

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〈元興寺〉 本堂正面に花御堂を飾って灌仏会

2024年05月09日 | 祭り

【園児たちが「花まつりの歌」を奉納】

 奈良市ならまちの世界文化遺産⋅元興寺で8日、お釈迦様の生誕を祝い子どもたちの健やかな成長を祈る花祭り「灌仏会(かんぶつえ)」が執り行われた。花祭りは釈迦の誕生日とされる4月8日に行われることが多く、東大寺や興福寺でも「仏生会」としてその日に開催。ただ元興寺では毎年旧暦の4月8日に近い5月8日に行っている。

 国宝の極楽坊本堂正面には色とりどりの生花で飾られた花御堂。参拝者たちはその中央に立つ誕生仏に甘茶を注いでから堂内へ。左手には甘茶が入った2つのポットが置かれ「ご自由にお飲みください」と書き添えられていた。

 堂内は近隣の「極楽坊あすかこども園」の園児たちでいっぱい。午前11時、法要が始まると、園児たちは胸元で小さな手を合わせて合掌していた。

 法要が終わると、辻村泰善住職が園児に向けお話し。「世界で一番高い山、知ってますか? エベレストですね。仏様はその麓のルンビニで生まれました。生まれたとき虫や鳥などみんなが喜んで、しおれていた花も雨が降って元気になりました。その雨を甘露の雨といいます。みんなも生まれたとき感謝されたことを忘れないでくださいね」

 この後、園児たちから『花まつりの歌』がお返しに。ちびっこたちの元気な歌声が堂内に響き渡った。「おはなあげましょささげましょ きょうはこどものはなまつり にこにこげんきなおしゃかさま みんなでおいわいいたしましょ」

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〈サンヤレ踊り〉 滋賀県草津市の6地区で華やかに

2024年05月04日 | 祭り

【2022年「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に】

 滋賀県草津市内で5月3日、国の重要無形民俗文化財に指定されている「サンヤレ踊り」が各地の神社に奉納された。一昨年の2022年秋に「風流踊」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されたばかり。

 サンヤレ踊りは五穀豊穣などを祈るもので、古文書などによると江戸時代からの長い伝統を誇るという。今年は市内7地区のうち隔年実施の矢倉を除く6地区で踊りが披露された。

 下笠地区では正午から約30分にわたり老杉神社で踊りが奉納された。主役は華やかな花笠と衣装の子どもたち。青年男子の「サンヤレ、サンヤレ」という囃子詞(ことば)に合わせ太鼓や鞨鼓(かっこ)を打ち鳴らした。

 吉田地区の踊りは午後1時半から三大神社に奉納された。こちらは太鼓打ちの子どもも、囃子や笛吹きも全員男性で白い法被姿。囃子方の「ヤー、ホイ」という独特な囃子と動きが印象的だった。

 その後、志那中地区の惣社神社へ。踊りの行列は「今ごろ御旅所のはず」。社務所でそう教えてもらって太鼓が聞こえてくる方向に向かうと「御旅所祭」の真っ最中。ピンク色の法被姿の女の子たちの輪の中で、色鮮やかな襷掛けの男の子が太鼓を打っていた。

 御旅所の一角にはユネスコの無形文化遺産登録を記念した石碑が。そういえば各地区の踊り保存会の旗や法被などにも誇らしげに「ユネスコ」の文字が躍っていた。ユネスコ登録が伝統の保存に一役買っていることは間違いない。

 神社奉納後、踊りの行列は各地区の町内を巡行した(写真は志那神社で)。今年は3年に一度の長束(なつか)地区も登場した。3年前は新型コロナの影響で中止になっており、印岐志呂(いきしろ)神社への奉納は実に6年ぶりとのこと。

 ただ三大神社などを巡るうち時間的余裕がなくなって長束の踊りを見ることができなかったのが心残り。三大⋅志那⋅惣社の3つの神社は「藤の志那三郷」としてフジの名所として有名とのこと。踊りよりフジお目当ての観光客も多いようだった。(写真は三大神社で)

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〈東大寺〉 大仏殿で「花まつり千僧法要」

2024年04月27日 | 祭り


【全日本仏教青年会主催、宗派を超え若いお坊さんが全国から結集!

 奈良⋅東大寺で4月26日「花まつり千僧法要」が営まれた。主催は全日本仏教青年会(新井順證理事長=四天王寺総務部長)で、南都二六会⋅東大寺との共催。1988年から毎年この日に開いており、宗派を超えて全国各地から集まった若手僧侶たち約300人が大仏さまに仏法興隆、世界平和、災害被災地の早期復興などを祈願した。

 午後零時45分、僧侶たちの行列が法螺貝が吹かれる中、大仏殿に向けて出発した。色とりどりの袈裟をまとったお坊さんの列が延々と続く。

 参道の両側にはあっという間に人垣ができた。海外からの観光客も興味深そうに見つめ、スマホのシャッターを押していた。行列最後尾には東大寺学園幼稚園の園児たちが続いた。

 大仏殿で法要が始まったのは午後1時すぎ。最初に園児たちが『世界がひとつになるまで』という歌を大仏さまに奉納した。散華の後、般若心経、大般若経転読と続く。

 法要中も参拝客が次々と堂内に。写真撮影はいつも通りOKだが、法要中の真正面からの撮影だけはご法度。法被姿の東大寺職員が海外観光客に「ノー フォトグラフィー」としきりに声を掛けていた。

 法要後、僧侶たちは大仏殿のすぐ東側にある宝塔「アショカピラー」の前へ移動。この塔はインド仏教の聖地サルナートにあるアショカピラーの石像頭部を模したもので、ライオン4頭が背中合わせに並ぶ。全日本仏教青年会が1988年「花まつり千僧法要」を始めたときに記念塔として設置した。

 そのすぐそばには金色に輝く高さ23mの「七重塔相輪」がある。こちらは1970年の日本万博の遺産。古河グループのパビリオン「七重塔」の相輪部分が寄進され、翌年この地に移設された。

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〈剣聖の里⋅柳生〉 満開の桜をバックに第16回さくら祭

2024年04月07日 | 祭り

【2日間にわたり火縄銃の演武など多彩な催し】

 奈良市柳生で4月6日「第16回柳生さくら祭」が始まった。会場は旧柳生藩陣屋跡の広場で、7日までの2日間。満開の桜を背にした野外ステージでは初日から火縄銃の演武をはじめ忍術や尺八の演奏、舞踊、南京玉すだれ、コスプレショー、柳生新陰流演武など多彩な出し物が繰り広げられた。

 火縄銃の演武は正午すぎにスタート。大阪城鉄砲隊などのメンバー11人が勇ましい甲冑姿で登場した。率いるのは堺鉄砲研究会を主宰し、柳生観光大使も務める澤田平さん。古式銃⋅古式砲術研究の第一人者で、「なんでも鑑定団」(テレビ東京)の鑑定士としても活躍してきた。

 鉄砲隊の面々が手にする火縄銃はいずれも江戸時代に作られた本物という。澤田さんの号令一下、一斉射撃や一人ずつ順に放つ“つるべ撃ち”などか披露された。そのたびに白煙とともに凄まじい轟音が轟いて、観客から驚きの声が上がった。

 この後、真剣の試し斬りに続き澤田さんによる「がまの油売り」の口上もあった。赤い甲冑姿の男性が持つ短い刀は国内で唯一本物と確認されているという忍者刀(忍刀)。一太刀(ひとたち)でスパッとよく斬れていた刀に、がまの油を塗るとなぜか切れ味がさっぱりに。ところが油を拭き取ると再び鋭い切れ味を取り戻した。不思議! 澤田さんは「がまの油は刀傷にもよく効いた」と話していた。

 火縄銃やがまの油売りの前には、橿原市のボーカルとギターのデュオ「歓音~かのん」の演奏や地元の「大河流舞遊会」による舞踊などもあった。さらに午後も南京玉すだれやコスプレショーなどが続いた。

 7日には和太鼓や三味線、草笛の演奏、田原伝統芸能、狂言、相撲甚句、アフリカの太鼓とダンスなど、初日とは異なるグループが出演する。フィナーレは2日間とも法被姿の町民たちによる「柳生音頭」の踊り。この音頭、第1回さくら祭(2006年)に合わせ、地元の小学校教師の作詞とキダ⋅タローさんの作曲で生まれた。(下の写真は初日に登場した南京玉すだれのメンバー)

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〈大和郡山お城まつり〉 5年ぶりに時代行列と白狐渡御

2024年04月01日 | 祭り

【公募の小中学生が武将役として騎乗!】

 奈良県大和郡山市で3月31日、「第63回大和郡山お城まつり」(3月24日~4月7日)のメインイベント「時代行列」と「白狐渡御」が繰り広げられた。新型コロナに加え昨年は雨天中止になっており、行列と渡御の開催は実に5年ぶり。沿道に多くの市民や観光客が詰めかけ、馬上の武将や白狐に扮して踊る子どもたちに歓声を送っていた。

 大和郡山城跡は「日本さくら名所100選」に選ばれている。城跡公園内の桜もお城まつりに合わせるかのように咲き始め、追手東隅櫓のそばにある枝垂れ桜は一足早く見ごろを迎えていた。

 時代行列と白狐渡御は市役所前での出陣式の後、午後2時ふれ太鼓に先導されて出発した。先頭は地元出身の鎌倉時代の名僧⋅叡尊上人。西大寺の復興などに尽力したことで知られる。

 この後、柳沢権大夫(淇園)、薮田市正、武田信玄、大和郡山藩初代藩主柳沢吉里などの武将が続く。勇壮な甲冑姿で騎乗するのは市内の小中学生たち。今回の行列から初めて公募で選ばれた。

 さらに続いて豊臣秀吉の弟の秀長、郡山城を築いた筒井順慶。豊臣秀長は2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で主人公として取り上げられることが決まった。白馬に跨がる順慶の後ろには「筒井順慶顕彰会」のメンバーが大勢続いた。

 白狐渡御は地元で「源九郎さん」と親しまれている源九郎稲荷神社の祭礼。この神社は歌舞伎「義経千本桜」でおなじみの源九郎狐(白狐)を神の使いとして祀る。狐のお面を被った子どもたちの可愛らしいこと。お囃子に合わせ元気いっぱいに白狐踊りを披露してくれた。

 城跡公園内では特産金魚の品評会や品種展、物産展なども開催。柳沢神社の参道と県立郡山高校(城内学舎)の間の道路には多くの露店が並び、あふれんばかりの人出で賑わっていた。そんな中で、ひときわ目を引いたのが手押し車に乗った10匹ほどの子犬たち。ミニチュア⋅ダックスフンド?

 

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〈高取町〉 第18回「町家の雛めぐり」

2024年03月13日 | 祭り

【「かかし祭り」に次いでこちらも最終回!】

 奈良県高取町で春恒例のイベント「町家の雛めぐり」が繰り広げられている。地元の有志でつくる「天の川実行委員会」の主催で、今年で18回目。毎年、大小⋅新旧様々なお雛様が旧城下町の町家や商店、広場などを華やかに飾って、観光客の目を楽しませてくれてきた。だがスタッフの高齢化で、秋の「かかし祭り」に続いてこのイベントも今回が最終回に。3月末までで見納めとなる。

 雛人形の展示場所は旧城下町を貫く土佐街道沿いを中心に約50カ所。メイン会場は「街の駅城跡」内の「雛の里親館」だ。入って左側に17段の雛壇に約500体がうず高く並ぶ。壮観そのもの。その向かい側にも1863年(文久3年)製のもの(下の写真)をはじめ多くの雛人形が並び華やかな光景が広がっていた。

 昨年10月が最終回だった「かかし祭り」ではイベント終了後かかしを希望者に譲って区切りをつけた。では今展示中の雛人形はどうなるのだろうか。スタッフに伺うと「未定。かかしと違って希望者に譲るというわけにはいかないし┄┄」と話されていた。

 最寄りの近鉄壺阪山駅に程近い「じぃじばぁばの館」の変わり雛も見ごたえがあった。和紙を張り重ねた”奈良一閑張り”のジャンボ雛や大名行列、浅草雷門、日本橋など工夫を凝らした人形が所狭しと並ぶ。

 その近く「衣料の店まつむら」の店頭を飾る雛人形も人気を集めていた。中でも目を引き寄せられたのが2体の木目込み人形。高さが10㎝にみたない小さなサイズだが、2体とも可愛い唇がきれいなハート形で表されていた。

 下土佐ふれあい広場や観光案内所「夢創館」のポケットパークなどを飾るのは手作りの巨大な雛人形。夢創館の館内には製作時期が「幕末」と記された雛人形なども飾られていた。

 街の駅城跡事務所内を飾る藤塚真紀さんのオリジナル人形雛(下の写真)や恵美須神社の雛人形なども目を楽しませてくれた。18回も続き観光客を引き付けてきた「町家の雛めぐり」。来年以降もなんとか継続する手立てはないのだろうか。今月16日には別の主催団体による「高取町ひなめぐり音楽祭」(能登半島地震チャリティー音楽祭)の開催も予定されている。

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<奈良祝ぐ寿ぐまつり> 平城宮跡朱雀門ひろばで

2024年01月28日 | 祭り

【“御斎会”再現や各地の行催事、特産品の販売…】

 平城宮跡歴史公園(奈良市)の朱雀門ひろばで1月27日「奈良ちとせ祝(ほ)ぐ寿(ほ)ぐまつり」が始まった。2016年に冬季の新イベント「大立山まつり」としてスタート。2022~23年の会場は奈良県コンベンションセンターで、3年ぶりに屋外の朱雀門ひろばに戻ってきた。会期は28日までの2日間。

 まつりは午前10時、朱雀門基壇ステージでの「當麻太鼓白鳳座」(葛城市)の勇壮な演奏で幕開けした。続いてオープニングとして古代の正月行事「御斉会(ごさいえ)」の再現。御斎会は正月8日から7日間、高僧たちが「金光明最勝王経」を唱えて国家安泰と五穀豊穣を祈願したという。

 まず命婦(みょうぶ)と呼ばれる女官に扮した7人が列を成して朱雀門に向かった。登壇すると場を清めるために散華(さんげ)。それが済むと純白の礼服(らいふく)姿で天皇が登場した。橿原市出身のタレント福本愛菜さん(NMB48の元メンバー)が女帝の称徳天皇役を務めた。

 この後「平城山相撲甚句」(奈良市)に続いて「風流舞 奏楽(そうら)」(田原本町、下の写真)があり、ステージを華やかに飾った。午後にも「曽爾の獅子舞」(曽爾村)、「飛鳥蹴鞠」(明日香村)、「桃俣獅子舞」(御杖村)などの演舞が続いた。28日には「紅しで踊り」(天理市)や「へぐり時代祭り」(平群町)なども予定されている。

 会場には県内各地の特産品を販売したり観光をPRしたりするテントがずらりと並ぶ。その一角には「立山」と呼ばれる住民手づくりの人形などの展示も。これらの造りものには無病息災の祈りも込められているという。有名なのが広陵町で毎年8月に行われる「大垣内立山祭り」で、江戸時代からの長い伝統を誇る。会場にはNHK大河ドラマ「どうする家康」に因んだ人形が展示されている。

 御所市東名柄天満宮の「天神祭の立山」も明治初期から130年以上続く。いま展示中のものはアニメ「鬼滅の刃」に因む造りもの。県内にはほかに橿原市八木の「愛宕祭の立山」などもある。ただ各地とも人口減などで伝統の継承には苦慮しているようだ。広陵町の大垣内では立山の数や展示場所が以前に比べ減ってきたという。橿原市の愛宕祭は昨年ついに中止に追い込まれた。

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<漢国神社> 年末恒例の「大祓・獅子神楽」奉納

2023年12月30日 | 祭り

【多彩な獅子舞や曲芸などで大盛り上がり】

 近鉄奈良駅のそばにある古社、漢国(かんごう)神社の石舞台で12月29日「大祓・獅子神楽」の奉納が行われた。2008年に太神楽曲芸師・豊来家玉之助さん(51)が1年の厄払いと新年の福を願って獅子舞を奉納したのが始まり。今では歳末恒例の風物詩としてすっかり定着、この日も境内は多くの観客で埋め尽くされ、演舞が終わるたびに拍手とともにおひねりが次々に投げ込まれた。

 出演者は豊来家さんを中心に漢国神社韓園講(からそのこう)、桃俣(もものまた)獅子舞保存会(奈良県御杖村)、西宮神社獅子舞保存会(兵庫県西宮市)の面々。神楽奉納は午後1時「道中」で幕開けし、続いて道先案内の「猿田彦舞」、「宮参り」と続いた。

 4番目の演目「韓園」は1人で獅子頭を左右両手に持って舞う。豊来家さんが自ら創作したという。いわば獅子舞の“二刀流”だ。

 豊来家さんは邪気を払う「剣」に続く6番目の「大黒」でも再び登場し、軽妙なトークで会場の笑いを誘っていた。観客席から舞台へおひねりが飛び交う。

 続く「抜身荒神祓」と「抜身中村」はこの日一番の見どころ。半紙を口にくわえたまま、鈴や宝刀を手に激しく舞う。口で息を吸うことも吐くこともできない。半紙が唾で濡れても落ちやすくなってしまう。真剣な表情で舞う演者に、和紙をくわえて息や唾がかからないように刀剣を手入れする武士の姿が重なって見えた。

 2つの演舞の最中、観客席は静まり返って視線は半紙をくわえた口元に注がれた。「大丈夫かなぁ?」。次第に心配になって見つめていると、ついに若い女性の口元から半紙が落ちてしまった。それがこの演目の過酷さを端的に表していた。「練習を積んで来年は落ちないようにします」。そう話す女性の爽やかな表情が印象的だった。

 奉納芸はまだまだ続く。「荒神祓崩し」の後は「へべれけ」。千鳥足のひょっとこが瓢箪のとっくりと大きな金杯を持って登場し、観客に渡した杯に酒を注ぐ(まね)。それを一気に飲み干す観客。隣に座った女性にも杯が回ってきた。舞台後方に控えた豊来家さんから声が飛ぶ。「女性ばかりに(杯を)渡すんじゃない!」。会場はまたまた爆笑の渦に包まれた。(隣席の女性へ。ブログへの写真掲載、快諾していただきありがとうございました)

 続く「参神楽」の演舞では豊来家さんが太鼓に合わせ自ら笛を吹いていた。その演奏の見事なこと! この後の演目「太神楽」でも傘回しや籠鞠(かごまり)などの曲芸を披露した。豊来家さんの芸には失敗しても、みんなを笑わすための演技では、と思わせるところがある。

 まさに八面六臂の活躍。豊来家さんが以前、NHKの連続テレビ小説「わろてんか」で松坂桃李さんに傘回しなどを演技指導したことを自慢していたことを思い出した。

 神楽奉納もいよいよフィナーレ。「荒廻剣」に続いて、参加者全員が「伊勢音頭」を歌いながら舞台に勢揃い、一人ひとりお礼の挨拶をしたり新年の抱負を話したりしていた。最後に豊来家さんの「四方鎮(よもしずめ)」の舞で、2時間近くにわたった熱演の舞台を締めくくった。この後、観客には小豆とカボチャを煮込んだ御杖村の郷土料理「いとこ煮」がふるまわれた。

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<おん祭御渡り式> 参道で落馬事故! 先頭の「日使」奉仕者?

2023年12月18日 | 祭り

【御旅所祭は半時間ほど遅れて開始に】

 第888回を迎えた春日大社の摂社若宮の祭礼「春日若宮おん祭」が12月17日、奈良市内の目抜き通りで華やかに繰り広げられた。御渡りの行列は予定通り正午に県庁前の登大路園地を出発した。コースは近鉄奈良駅前~JR奈良駅前~三条通り~御旅所。一之鳥居内側の「影向(ようごう)の松」の前では古典芸能を披露する“松の下式”が行われた。ただ参道で行列の騎乗者が落馬する事故があり、御旅所祭の開始が30分ほど遅れるというハプニングがあった。(写真は御渡りの最後尾を務めた大名行列の御旅所入り)

 行列の第1番は黒い束帯姿の「日使(ひのつかい)」。この大役は例年経済界の重鎮が務めており、今年の奉仕者は園潔さん(三菱UFJ銀行特別顧問)だった。市女笠(いちめがさ)・垂れ衣姿の女官や「祝御幣」などに先導されて進む。「日使」は平安時代おん祭に向かう関白藤原忠通が病気になり、急遽お供にその日の使いをさせたのが始まりとのこと。

 2番は巫女列。その後の3~5番は芸能集団の細男座(せいのおざ)、猿楽座、田楽座。さらに馬長児(ばちょうのちご)、競馬列、流鏑馬、将馬(いさせうま)、野太刀、大和士(やまとざむらい)と続き、最後尾の12番は大名行列。

 大名行列を見送って県庁前から、一之鳥居と御旅所間の参道に移動。目の前を長い稚児列(三条通りから参加)に続いて再び第1列の「日使」や巫女列などが通り過ぎていく。「影向の松」の前では様々な芸能を披露する“松の下式”も始まっていた。

 事故が起きたのは午後1時半ごろ。競馬列の周りが急に慌しくなってきた。競馬は参道の馬出橋から御旅所近くまでの間で行われるが、何かの事情でスタートが遅れている様子。先に進むと参道脇で倒れた人を囲むように人垣ができていた。「落馬した」という観客の声を耳にした。

 落馬したのは先ほど目の前を通ったばかりの「日使」の奉仕者かもしれない。取り囲む人が手にする冠は「日使」が被っていたもののように見える。救急隊が到着したのはそれから十数分たってから。急の知らせを聞いて駆け付けたのだろう、春日大社の花山院弘匡宮司が心配顔でストレッチャーで運ばれる男性に付き添っていた。

 午後2時ごろ、ようやく競馬が始まった。その後、田楽座や稚児流鏑馬、大和士などの行列が何事もなかったように御旅所に向かった。しんがりを務めた大名行列は子供列と郡山藩列、南都奉行列。それぞれ道中で奴振りの技を披露した。

 御旅所には正面に若宮様の仮御殿、左右には巨大な鼉太鼓(だだいこ)。午後3時すぎ鼉太鼓が打たれ御旅所祭がスタート。まず若宮様に神饌が供えられた。そして仮御殿前の芝生の舞台(「芝居」の語源とも)では深夜まで様々な芸能が奉納された。

 行列の御旅所入りが終わったころ、参道ではまだ稚児3人による流鏑馬が行われ、「影向の松」の前では武術の柳生新陰流兵法と宝蔵院鎌兵法が披露されていた。“松の下式”が全て終わったのは午後3時45分だった。

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<春日若宮おん祭> 開幕を告げる「御湯立神事」「大宿所祭」

2023年12月16日 | 祭り

【今年で888回目、17日には4年ぶりに「御渡り式」も】

 春日大社の摂社若宮神社の祭礼「春日若宮おん祭」が12月15日始まった。日本最古の文化芸能の祭典といわれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。平安時代から連綿と続いて今年で888回目。15日には奈良市餅飯殿町の大宿所(おおしゅくしょ)で「御湯立(みゆたて)神事」と「大宿所祭」が執り行われた。17日には約1000人・馬約50頭による華やかな行列「御渡り式」と「御旅所祭」が深夜まで繰り広げられる。御渡り式が通常の規模で開催されれば5年ぶりとなる。

◎…御湯立神事は祭り奉仕者の身を清め、祭りの無事執行を祈願するもの。御渡りに参加する「大和士(やまとざむらい)」や「神子(みこ)」(写真)たちが参列した。

◎…湯立巫女を務めるのは祝詞や所作を代々受け継ぐ加奥家(大和郡山市)の加奥満紀子さん。クマザサを大釜につけ「サヨーサ(左右左)、サヨーサ」と唱えながら湯を振りまいた。この後、ササと鈴を手に参拝者もお祓い。

◎…大宿所の室内には御渡りで奉仕者が身に着ける時代装束や道具類などが所狭しと並ぶ。

◎…杉の葉造りの小屋を飾るのは寄進された供え物のキジやタイ、塩ザケ。“懸鳥(かけどり)”と呼ばれる。江戸中期1742年の寄進はキジ1268羽・ウサギ136羽・タヌキ143匹…という膨大な記録も!

◎…奉仕者や参拝者には大根や里芋、こんにゃくなどを煮込んだ“のっぺ汁”がふるまわれた。

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