く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<コリトプレクツス・スペキオスス> イワタバコ科の多年草

2021年05月31日 | 花の四季

【原産地はペルーなどアンデス山脈の北部】

 イワタバコ科コリトプレクツス属の非耐寒性多年草。同属の植物はメキシコ南部から南米にかけ標高の高い雲霧林に12種ほどが分布する。このスペキオスス(学名Corytoplectus speciosus)もエクアドルやペルーなどアンデス山脈の北部が原産地。葉は濃い緑色の厚いビロード状で、真ん中には淡緑色の太い葉脈が走る。葉の裏側は赤紫色。

 花期は8~9月ごろ。茎の先に筒状の小さな黄色の合弁花を付け、その周りを赤い花弁のように見える萼片が囲む。萼片は花が終わった後も果実が黒く熟すのを見守るように長く残る。学名のコリトプレクツスは一説に「兜(かぶと)」と「プリーツ/編んだもの」を意味するギリシャ語に由来するという(「兜」ではなくラテン語の「革のポーチ」とも)。種小名は「美しい/華やかな」を意味する。

 イワタバコ科の植物は世界の熱帯、亜熱帯地方を中心に150属3000種ほどが分布する。セントポーリア(アフリカスミレ)もその仲間。日本にもイワタバコなどが自生する。そのイワタバコ科植物の収集・研究に貢献したのがドイツ出身の植物学者ハンス・ヴィーラー(1930~2003)。米国のマイアミ大学で植物学の博士号を取得した後、フロリダの「マリーセルビー植物園」などでイワタバコ科植物の研究に生涯を捧げた。彼が学名を付け種小名の後ろに「Wiehler」と記されたものも多く、このスペキオススもその一つ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<エニシダ(金雀枝・金雀児)> ヨーロッパ原産の落葉低木

2021年05月29日 | 花の四季

【マメ科特有の蝶形の黄花を枝いっぱいに】

 マメ科エニシダ属の落葉低木(高さ1~3m)。原産地はヨーロッパで、江戸時代の園芸書『花壇地錦抄』(1695年、伊藤三之丞著)によると、日本には延宝年間(1673~81)に中国を経て渡来したという。学名は「Cytisus scoparius(キティスス・スコパリウス)」。種小名スコパリウスが「箒(ほうき)状の」を意味するように、幹の根元から細い枝が何本も伸びて箒を逆さまにしたような樹形となる。英名も箒を意味する「broom(ブルーム)」。空を飛ぶ魔女の箒はエニシダ製ともいわれる。

 和名にシダと付くが、もちろんシダ植物ではない。古代ローマ時代の名前ゲニスタが日本で訛ってエニシダになったといわれる。明るい黄花のエニシダはヨーロッパで身近な花木として長く親しまれてきた。中世イングランド王国の「プランタジネット朝」(1154~1399)という王朝名も、エニシダの木を意味する「Planta genesta」から。5月頃、長く伸びた細い枝に径2cmほどのマメ科特有の蝶形花が群れ咲く。仲間に花の両翼弁が赤くなるホオベニ(頬紅)エニシダや白花種のシロエニシダ、鉢植え向きの矮性種ヒメエニシダなど。エニシダとホオベニエニシダなどとの交配で多くの園芸品種も生まれている。

 ただ耐寒性があり丈夫なエニシダは野生化しやすく、ヨーロッパ以外では生態系に影響を及ぼす外来種と位置づけている地域も少なくない。日本でも河川敷などに分布域を広げていることから「生態系被害防止外来種リスト」に総合対策外来種として登載されている。旧足尾鉱山の煙害などで禿山になった栃木県日光市の足尾地域ではかつて緑化の一環としてエニシダなどの種子が散布された。いま地元の「足尾に緑を育てる会」はエニシダなど外来種を除去して広葉落葉樹に植え替える活動に取り組んでいる。植樹目標は100万本。この20年余の植樹本数は26万強に上る。エニシダは初夏の季語。「金雀枝の黄金焦げつつ夏に入る」(松本たかし)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<大和文華館> 「富岡鉄斎と近代の日本画」展

2021年05月27日 | 美術

【鉄斎と親交があった松山・近藤家旧蔵品を中心に】

 大和文華館(奈良市学園南)で近代日本を代表する文人画家、富岡鉄斎(1836~1924)に焦点を当てた「富岡鉄斎と近代の日本画」展が始まった。鉄斎作品のコレクションといえば清荒神清澄寺(兵庫県宝塚市)の鉄斎美術館が有名だが、この大和文華館も鉄斎が晩年まで長く親交があった四国・松山市三津浜の近藤家旧蔵品のコレクションで知られる。今展でも展示中の鉄斎作品47点(近藤家宛ての書簡4点も含む)のうち近藤家旧蔵品が43点を占めている。会期は7月4日まで。

 

 鉄斎と近藤家の交流は晩年まで40年以上続いた。鉄斎は1873年(明治6年)、松山を旅し旅館や海運業を営む旧家石崎家を訪ねている。そこで代々番頭を務めていたのが近藤家の当主だった。近藤家は折にふれ京都の鉄斎の元にタイやエビなど地元の海産物を送った。これに対し鉄斎は早速その海産物を描きお礼の言葉を添えて贈った。近藤家旧蔵品に描かれた題材は他にも山水画や吉祥画、大和絵風の人物画、花鳥画など実に幅広い。

 

 〝日本最後の文人〟といわれる鉄斎の作品には必ず毛筆で画賛が添えられている。絵画はあくまで〝余技〟。鉄斎はそう考え、「自分の絵を見るときはまず賛文を読んでくれ」というのが口癖だったという。『福神鯛釣図』の賛は「福神の画は拙いけれども神の御威光は赫々であるから貴家の御清栄を祈ってこの絵を送る」。鉄斎は1891年10月滞在中の名古屋で濃尾地震に遭遇した。倒壊した家屋が燃え盛る様子を描いた『濃尾震災図』の賛は「よそことに火事や地震とききすてな はかりかたきハ人の災厄」。『渡辺崋山獄中図』には「麻縄にか々る身よりも子をおもふ 親の心をとくよしもかな」。『閻魔図』は南画家田能村直入(1814~1907)が死後閻魔大王の前で絵を描いている戯画風の構図。その賛は「直入は地獄の鬼に捉えられ 閻魔の席で何をかくらむ」。鉄斎と直入は共に日本南画協会を設立した仲だが、皮肉を込めたこの賛からは両者の微妙な関係も垣間見えてくる。

 

 鉄斎は82歳のとき画家として最高の栄誉といわれる帝室技芸員に任命された。『山水閑居図』の賛には「聖朝恩遇憐遺逸 八十過時拝画師」などと記して喜びを表している。最も大きな展示作品は六曲一双の『古木図屏風』(制作年未詳)。屈曲する太い樹幹と奇石が刷毛目も残る力強い筆致で描かれている。鉄斎以外の出展作品は鉄斎に傾倒していたといわれる富田渓仙の『野々宮図』や、菱田春草の『晩秋図』、横山大観の『游刃有余地図下絵』、上田麦僊の『洗髪図』など。美術館の周りには「文華苑」と名付けられた自然園が広がる。その一角「梅の小径」では自生するササユリの花が咲き始めていた。これから6月上旬にかけて見ごろを迎えそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<オクナ・セルラタ> 別名「ミッキーマウスの木」

2021年05月25日 | 花の四季

【南アフリカ原産、花後に赤い萼片と黒い実】

 南アフリカ原産のオクナ科オクナ属の熱帯性常緑花木(樹高2~3m)。4月ごろ直径2cmほどの黄色の5弁花を下向きに付け、花びらが落ちた後、緑色の萼片が次第に膨らみ赤くなって反り返る。同時にうす緑色の丸い実も光沢のある黒い色に変化していく。その赤と黒のコントラストが美しく、黒い耳と鼻に赤いパンツのミッキーマウスを連想させるとして「ミッキーマウスの木」や「ミッキーマウスツリー」と呼ばれ人気を集めている。

 オクナ・セルラタは学名の「Ochna serrulata」から。属名は「野生のナシ」を意味するギリシャ語を語源とし、種小名セルラタは「小さなノコギリ」を意味する。葉の縁に細かい鋸歯状のギザギザがあることを示す。よく似た仲間に「オクナ・キルキイ(kirkii)」。花や葉はセルラタよりやや大きく花が上向きに開くといった違いがあるものの、花後の実と萼片の様子がそっくりなためこちらもミッキーマウスの木として流通しているようだ。種小名のキルキイは英国の探検家・動植物学者ジョン・カーク卿(John Kirk、1832~1922)の名前に因む。

 オクナ・セルラタは花とともにその後の愛らしい姿も楽しむことができるため、世界各地で広く栽培されている。ただニュージーランドやオーストラリア南東部などでは帰化植物として分布域を広げており、生態系に影響を与える〝侵入種〟と位置付けられているという。NZ自然保護局は「National Pest Plant Accord(全国ペスト・プラント協定)」の中で、販売や繁殖を禁じる328種の植物を〝環境雑草〟としてリストアップしている(ペスト・プラントとはペストのように害を与えるので取り除くべき植物ということか?)。オクナ・セルラタはその中に日本のイタドリやニシキギ、オニグルミ、エゾミソハギなどとともに登載されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ギョリュウバイ(御柳梅)> NZ~豪州原産の常緑花木

2021年05月23日 | 花の四季

【梅に似た小花はミツバチの蜜源に】

 フトモモ科の常緑樹で、ニュージーランドやオーストラリア南東部のビクトリア州、タスマニア州などにかけて自生する。日本には戦後渡来し、葉が中国原産の落葉樹ギョリュウに似て細長く、花の形が梅に似ていることからギョリュウバイと名付けられた。花付きがいいことや生長が早く育てやすいこと、病害虫の発生も少ないことなどから観賞用花木として人気が高まっている。

 原産地では樹高が10mにもなることもあるそうだが、日本国内では2~4mのものが多い。開花時期は春に咲く種と冬から初春にかけて咲く種の二通り。花色は白花の5弁花が一般的だが、深紅色やピンクなどもあり、咲き方も一重のほか八重咲きも出回っている。花径は1~2cmほどで、中央の花托が肥大化した花盤がよく目立つ。株元から細い枝を密に伸ばし箒状に生い茂る。学名「Leptospermum scoparium」の種小名スコパリウムも「箒状の」を意味する。属名レプトスペルマムは「細い・薄い」と「種子」を意味するギリシャ語の合成語。

 原産地のNZでは先住民のマオリ語から「Manuka(マヌカ)」と呼ばれ、英名でもこう呼ばれる。マヌカの花はハチミツの蜜源で、「マヌカハニー」は高級蜂蜜として貴重な輸出品になっている。そのマヌカハニーを巡って、NZと豪州の生産者団体の間で〝蜂蜜戦争〟が勃発しているそうだ。AFP=時事電(2021/05/19)によると、NZ側はマヌカが自国の先住民の言葉で、世界各国で商標登録の手続中なので今後マヌカという表記を使わないよう求めている。これに対し豪州側は東南部のビクトリア州などではマヌカがこの花木の一般的な名称として長年使用されており、マヌカハニーも1840年代から生産されてきたと反論している。さて、この蜂蜜論争、決着の行方は?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<オオキバナカタバミ(大黄花方喰)> 南アフリカ原産の帰化植物

2021年05月19日 | 花の四季

【大きな5弁花、小葉には紫褐色の斑点】

 カタバミ科カタバミ属(オキザリス属)の多年草で、道端や空地などでごく普通に見かける小さな黄花のカタバミやうすい紅紫色のムラサキカタバミと同じ仲間。ただ花はその名の通り明るい黄色の大きな5弁花で、花径は3~4cmほどになる。原産地は南アフリカのケープ地方。日本には明治時代の中頃に観賞用として渡来し、1960年代初め鹿児島で野生化しているのが最初に確認された。繁殖力が強く、今では関東地方から西日本にかけて広く見かけられるようになった。

 草丈は20~30cmで、2~6月頃、株元から伸びた花柄の先に数個の花を付ける。別名「キイロハナカタバミ」。花の形から英名では「バターカップ・オキザリス」とも呼ばれる。葉は小葉3枚からなる3出複葉。小葉は先端の真ん中部分がへこんだハート形で、葉の表面には所々に紫褐色の斑点の模様が入る。学名は「Oxalis pes-caprae(オキザリス・ペスカプラエ)」。属名の語源は「酸っぱい」を意味するギリシャ語。カタバミの仲間に葉や茎に酸味のシュウ酸を含むものが多いことによる。種小名は「ヤギの足」を意味する。これは先が2つに割れた小葉の形からか?

 オオキバナカタバミはまだ花の少ない、寒さが厳しい頃から咲き始めるためによく目立つ。数年前の2月初め「ランタンフェスティバル」で訪ねた長崎では民家の玄関口などあちこちで開花中のこの花を目にした。「春間近」を告げてくれる草花として毎年開花が待たれているのだろう。ただ繁殖力が旺盛で、株の根元に多くの鱗茎をつくって土の移動や掘り起こしによって増えていく。このため環境省は「生態系被害防止外来種リスト」(動植物310種)に登載し、野生化を防ぐため「入れない・捨てない・広げない」よう呼び掛けている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ムラサキツユクサ(紫露草)> 北米原産の宿根草

2021年05月17日 | 花の四季

【花色は紫のほか白、青、ピンクなども】

 ツユクサ科ムラサキツユクサ属の仲間は北米から南米にかけて70種ほどが分布している。日本など東アジアに自生するツユクサ属が1年草で、茎が地面を這うほふく性なのに対し、ムラサキツユクサ属の仲間は宿根草で、茎が直立し草丈は30~80cmほどになる。葉の形も全く違う。ツユクサが幅広の卵形なのに対しムラサキツユクサは細長い剣状。

 花弁は同じ3枚だが、ツユクサは上向きの2枚が青色で大きく、下向きの1枚は白くて小さい。一方、ムラサキツユクサの花弁は3枚とも同じ色で大きさもほぼ同じ。花の色は名前の通り紫が基本色だが、青、赤紫、白、ピンクなども。ツユクサの雄しべは2本が長く4本が短めなのに対し、ムラサキツユクサは6本ともほぼ同じ長さで、紫色の花糸が黄色い葯を支える。その花糸には細い毛が密生し細胞が数珠玉状に一列に並ぶ。このため理科の教材として顕微鏡で細胞分裂などの観察に用いられてきた。

 ムラサキツユクサの学名は「Tradescantia ohiensis(トラデスカンティア・オヒエンシス)」。属名は16~17世紀の英国の園芸家・植物採集家ジョン・トラデスカント父子の名前に因む。種小名は米国中西部の「オハイオ州の」を意味する。よく似た近縁の「T. virginiana(ヴィルギニアナ)」は和名でオオムラサキツユクサと呼ばれ、萼片に毛が密生しているのが特徴。種小名は米南東部のバージニア州に由来する。この両者の交配などで多くの園芸品種が生まれており、‘アンダーソニアナ’などの名前で流通している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<シラー> 欧州~中央アジアに分布する球根植物

2021年05月15日 | 花の四季

【代表種ペルビアナは星形の青花をパラソル状に】

 キジカクシ科シラー属(オオツルボ属)の秋植え球根植物。ヨーロッパから中央アジア、アフリカにかけて100種ほどが分布する。学名(属名)は「Scilla(スキラ)」で、その英語読みのシラーがそのままこの仲間の総称となっている。開花時期は3~6月ごろ。花の形は種によって星形やベル状など様々。花の色も青や紫、白、ピンクと多彩で、草丈も10~80cmとかなり幅がある。

 シラーの語源は「害を与える」を意味するギリシャ語に由来するという。地下茎が有毒なことを表しているそうだ。主な小型種にシベリカやビフォリア、ミッシェンコアナなど、中大型種にはペルビアナやナタレンシスなどがある。その中でも花壇植えや切り花として人気が高いのがペルビアナ(写真)。パラソル状の半円形の花序に直径2cmほどの6弁花をたくさん付け、外側から順に咲き上がる。花色は濃い紫色が一般的だが、最近では白花も見られるようになってきた。

 ペルビアナの学名(種小名)表記は「peruviana」で「ペルーの」を意味する。この植物の原産地は南欧~北西アフリカの地中海沿岸。南米には自生しておらず縁がないはず。ではなぜ? 実はこの学名は17世紀にこの植物をスペイン南部から英国に運んだ船の名前に因む。その船名は「The Peru」。以前、花穂に小さな釣鐘状の小花を付けるヒスパニカ種が「シラー・カンパニュラータ」と呼ばれ人気を集めた。ただ、この仲間はその後シラー属とは別のヒヤシンソイデス属(ツリガネズイセン属)に分類された。ただ今も同じ名前で出回っているようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<法華寺> 「七草絵巻」10年ぶりに特別公開

2021年05月12日 | メモ

【カキツバタが咲き誇る名勝庭園も同時に】

 法華寺(奈良市法華寺町)の文化財収蔵庫「慈光殿」で、江戸時代初期に制作された「七草絵巻」が10年ぶりに特別公開されている。慈光殿は例年、正倉院展に合わせ秋に公開されているが、今年は長年にわたって寺の復興に尽力し晩年絵巻の修復にも関わった故久我(こが)高照門跡(1921~2011)の没後10年に当たることから春にも特別に開館し、絵巻も展示することになった。会期は4月8日~6月10日で、同時に国史跡・名勝庭園も公開している。

 法華寺は奈良時代に光明皇后の発願により〝総国分尼寺〟として創建された。本尊は皇后のお姿を写したといわれる十一面観音菩薩立像(国宝)。2011年に表具や箱が修復された「七草絵巻」は全長約10mで、正月の七草粥にまつわる伝承が詞書と色鮮やかな絵画で描かれている。中国・楚の国で「大しょう」という若者が21日間山にこもって「年老いた父母を再び若返らせてください」と帝釈天にお願いする。すると帝釈天の使いの天童が現れ、七草を集めて玉椿の枝で叩き羹(吸い物)にして服するとたちまち10年若返ると伝えた――。

 慈光殿では絵巻のほかに、江戸初期の僧・仏師で生駒・宝山寺の中興の祖といわれる湛海律師(1629~1716)作の厨子入り不動明王坐像や鎌倉時代の阿弥陀如来立像、四臂不動明王坐像、五重小塔(本堂の古材で海龍王寺の国宝五重小塔を写して1979年に復元)なども展示されている。慈光殿北側に位置する名勝庭園は江戸初期に造られた池泉回遊式庭園。京都の仙洞御所から客殿や庭園の石や庭木を移して作庭されたといわれる。客殿前の水辺にはカキツバタが群生する。

 法華寺は門跡寺院として皇室や公家出身者が代々門跡を継いできたが、2013年、民間出身者として初めて樋口教香尼が門主として就任した。先代の久我高照尼は明治天皇のお后、昭憲皇后の姪に当たる。15歳のとき法華寺に入寺し1939年に第45世門跡となって華道法華寺小池御流の家元も務めた。門跡在任中には本堂の修復をはじめ月ケ瀬地区からの旧東谷家住宅(現「光月亭」、県指定文化財)の移築、庭園「華楽園」の整備、「からふろ」(国指定重要有形民俗文化財)の解体修理などに取り組まれた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<カキツバタ(杜若・燕子花)> 歌に詠まれ絵の題材にも

2021年05月10日 | 花の四季

【五千円札裏面の花は光琳の国宝屏風から】

 池や川辺などの湿地に自生するアヤメ科アヤメ属の多年草。日本のほか中国、朝鮮半島にも分布する。5~6月ごろ、叢生する剣状の葉の間から高さ50~70cmの花茎を立ち上げ、鮮やかな青紫色の花を付ける。「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若」と形容される気品のある佇まいが愛され、古くから歌に詠まれたり絵画に描かれたりした。花の美しさから「貌(顔)佳花(かおよばな)」という別名を持つ。

 カキツバタの語源は「書き付け花」で、これが転訛したものといわれる。昔この花は汁を布に摺り付け染めるために使われた。花弁内側の付け根の中央に白いラインが入るのがこの花の目印。花の色や形がよく似たアヤメは黄色の花弁の基部に網目模様が入る。カキツバタは古く万葉集にも「垣津旗」などの表記で7首詠まれている。「われのみやかく恋すらむ杜若 丹(に)つらふ妹はいかにかあるらむ」(巻10-1986)。

 平安貴族の在原業平は東下りの途中、三河国八橋(現在の愛知県知立市)で目にしたカキツバタに旅情を誘われ、句頭にカ・キ・ツ・バ・タの5文字を織り込んだ歌を詠んだ。「唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」。この業平の歌にゆかりのある愛知県ではカキツバタが県の花になっており、知立市と刈谷市でも市の花に選ばれている。知立市の無量寿寺境内には「八橋かきつばた園」があり、刈谷市の小堤西池の群落は京都市の大田ノ沢、鳥取県岩美町の唐川とともに日本三大カキツバタ自生地と呼ばれている。

 江戸時代には絞り咲きや四季咲き性、斑入り葉など多くの園芸品種が生み出され、カキツバタは工芸品や衣装、絵画などのモチーフとしても盛んに取り上げられた。美術品として有名なのが尾形光琳作「燕子花図屏風」。金地に群生するカキツバタを描いた六曲一双のこの屏風は国宝になっており、その画面の一部は五千円札の裏面のデザインにも採用されている。屏風を所蔵するのは東京の根津美術館。今春には開館80周年記念特別展として4月17日から1カ月間「国宝燕子花図屏風―色彩の誘惑」展を企画。ところが開幕1週間後に新型コロナで緊急事態宣言が出されたため、残念ながら途中打ち切りとなってしまった。「船着きてそこらに波や杜若」(長谷川零余子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ヤマゴボウ(山牛蒡)> 中国原産の有毒植物

2021年05月06日 | 花の四季

【直立した花穂に白い小花を密に】

 中国原産といわれるヤマゴボウ科ヤマゴボウ属の多年草。野菜のゴボウ(キク科ゴボウ属)とは無縁の有毒植物だが、日干しした根は漢方で「商陸(しょうりく)」と呼ばれて利尿薬に用いられ、若葉もアクを抜くと食用になるという。このため古い時代に薬用や食用として渡来し栽培されたとみられる。それが野生化して全国各地の人里に近い山野に生え、ゴボウに似た根の形からヤマゴボウの名が付いた。

 草丈は1mほどになり、円柱形の緑色の茎をまっすぐ立てて長さ5~15cmの総状花序に小さな白花をびっしり付ける。花弁はなく5つの花弁状の萼片が下から咲き上がる。雄しべの葯(ふつう8個)は紅紫色。花後に8個の分果から成る扁球状の果実を結ぶ。日本原産の近縁種に本州の関東以西~九州の山地に自生する「マルミノ(丸実の)ヤマゴボウ」がある。こちらは花が淡紅色で、果実が球形なのが特徴。学名「Phytolacca japonica(フィトラッカ・ヤポニカ)」は牧野富太郎博士が命名した。属名のフィトラッカはギリシャ語の「植物」と「紫色の」の合成語。

 ヤマゴボウの仲間で街中の公園や空地などでよく見かけるのは「ヨウシュ(洋種)ヤマゴボウ」。これも有毒植物だ。北米原産の帰化植物のため「アメリカヤマゴボウ」とも呼ばれる。ヤマゴボウよりやや大型で、茎の色は赤みを帯び花穂は垂れ下がって、ブルーベリーのような赤紫色の実を付ける。観光地などで「山ごぼう」として市販されているものはモリアザミ(キク科アザミ属)の根やその加工品。その名称からヤマゴボウの仲間も食べられると勘違いする人が少なくない。ヨウシュヤマゴボウの根を採取し味噌漬けなどにして食べ、嘔吐など中毒症状を起こすケースが絶えないそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<フトイ(太藺)> イグサに似て茎が太いから

2021年05月03日 | 花の四季

【別名に「オオイ」「マルスゲ」、万葉集にも1首】

 フトイは池や沼などの湿地に群生するカヤツリグサ科の多年性抽水植物。日本以外にもアジア、ヨーロッパ、南北アメリカなど世界各地に広く分布する。畳表などに使われるイグサ(藺草、標準和名「イ」)に似ており、太い茎をまっすぐ立てることからその名が付いた。茎は直径1~2cmの円柱形で高さは1~2mになる。ただイグサはイグサ科に属しており、分類上では同じ仲間とはいえない。

 花期は5~8月頃。茎の先端に黄褐色の小さな花穂を数個ずつ付ける。学名は「Shoenoplectus tabernaemontani(ショエノプレクツス・タベルナエモンタニ)」。よく栽培されるものに白~淡黄色の横縞模様が茎に入る「シマフトイ」(ヨコシマフトイとも)、縦に白い筋模様が入る「タテジマフトイ」があり、生け花やフラワーアレンジメントに使われる。別名に「オオイ(大藺)」や「マルスゲ(丸菅)」など。万葉集にも「於保為具左(おほゐぐさ)」として1首登場する。「上毛野(かみつけの)伊奈良の沼のおほゐぐさ よそに見しよは今こそ勝れ」(巻14-3417、作者不詳)

 フトイは茎に節がなく丈夫なことから世界中で籠や帽子などの材料として利用されてきた。日本では茎を編んで筵(むしろ)に加工し、各地の湖沼に水質浄化用としても植栽されている。ヨーロッパでも観賞用として庭園の水辺に植えられ、河川や干拓地の土留め用としても利用されてきたという。南米・アンデスのチチカカ湖では「トトラ」と呼ばれるフトイの仲間が浮島造りに使われ、手作りの家や舟などの材料としても活用されているそうだ。「雨の中雨が太藺に凝りにけり」(阿波野青畝)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする