く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<帝塚山大付属博物館> 「瓦アート展―アートな視点からみたKAWARA」

2016年09月29日 | 美術

【作家3人が様々な瓦から自由な発想でジュエリー、絵画、切り絵などに】

 帝塚山大学付属博物館(奈良市)で「瓦アート展―アートな視点からみたKAWARA」が開かれている。同館は日本、中国、朝鮮半島の古代から現代に至る多くの瓦を収集・所蔵しており、それらの瓦を基にアクセサリー作家、日本画家、切り絵作家の3人がそれぞれに自由な発想で制作したまさに〝アートな瓦作品〟が並んでいる。

 

 アクセサリー作家、西村崇則さんの作品「Necklace」(上の写真㊧=部分)は銀・銅・ジルコニア製。朝鮮半島・新羅時代の蓮華文軒丸瓦と日本・現在の緑釉宝相華唐草文滴水瓦のデザインを取り入れて華麗なネックレスに仕立て上げた。「Bangle―唐草文」(写真㊨)は銀製で、デザインの基となったのは統一新羅時代の唐草文軒平瓦。鬼瓦や鯱(しゃちほこ)をデザインしたブローチやかんざしも出展している。瓦の文様の斬新性を改めて想起させる作品群だ。西村さんは2012年、イタリアの国立フィレンツェ美術アカデミー絵画科を卒業。在学中に彫金やレザークラフトを始め、昨年、革小物や貴金属などを使ったアクセサリーブランド「BoTTega Ruan」を立ち上げた。

 

 安藤はるかさんは2000年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業。その後、西村さんと同時期にフィレンツェ美術アカデミー絵画科に入学し卒業している。第25回全日本アートサロン絵画大賞展で優秀賞を受賞。今回の出展作のうち「川原のKAWARA」(上の写真㊧=部分)は日本の奈良時代や安土桃山時代、朝鮮半島の高句麗や統一新羅などの出土瓦20点余を画面の要所に描き込んだP40号(100×72.7cm)の作品。精細な描写で瓦たちが存在感を主張しており、それら1つ1つに目を奪われる。「にらめっこしましょ」(写真㊨)は中国・南朝時代の獣面文軒丸瓦の欠けた部分にしっぽの長い猿を描いた作品。そのタイトルとユニークな組み合わせがつい笑いを誘う。

    

 タナカヒロユキさんの「鬼次と鬼瓦」(上の写真㊧=部分)は浮世絵の大首絵風で、獣面文軒丸瓦のデザインを着物の紋所部分に置き換えた。鬼次の表情に実によくマッチしている。「鯱―SHACHIHOKO」(写真㊨=部分)は大阪城・乾楼鯱瓦を基にした切り絵で、原画は安藤はるかさんが描いた。タナカさんは帝塚山大学の広報課職員。切り絵の制作を始めたのは3年前とのことだが、国内各地や韓国で精力的に展示会に出展しており、昨年、切り絵アートグループの「SAMURAI展 2015年冬大阪の陣」で「Sayaka Imai賞」を受賞したとのこと。「瓦アート展」は10月8日まで。

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<ハリガネムシ> 出てきた! ハラビロカマキリのお尻から3匹‼

2016年09月28日 | アンビリバボー

【長さ30cmほど、水中でクネクネ身をよじらせて】

 隋分前、自宅のそばで捕まえたハラビロカマキリを、玄関脇にあった洗面器にポイと投げ入れたことがあった。しばらくしてのぞくと――。少し水がたまった洗面器の中で、黒く細いものが5本ほどクネクネと蠢いていた。カマキリの姿はなかった。何だ、これは? 初めて見る奇怪な生き物にぞっとして、洗面器の水ごと溝に流した。この不気味な生物の正体を知ったのはそれから数日後だった。名前は「ハリガネムシ(針金虫)」。カマキリなどに寄生し、宿主が水に触れると水中に脱出するという。それで奇妙な初体験の顛末にも納得した。

 そして昨日27日、自宅近くの歩道で同じハラビロカマキリを見つけた。体長は6~7cm。腹がパンパンに膨らんでいる。以前の体験が頭をかすめ、手に取って自宅に戻り、洗面器に1cmほど水を張ってカマキリを入れた。その途端、お尻の先端から2本の黒い線がスルスルと出てきた。予想は的中、ハリガネムシだ。長さは30cm近い。その後、やや短いのが続いた。合わせて3本。水中を泳ぐようにクネクネしたり、互いに絡み合ったり。見た目は名前の通り、まさに硬い針金のよう。

 

 ハリガネムシは類線形虫類に属する水中生物。水の中で交尾し産卵し、孵化した幼生はカゲロウやユスリカ、トンボの幼虫ヤゴなど水生昆虫に食べられると、その体内で「シスト」(嚢胞=のうほう)と呼ばれる殻に包まれた状態で休眠状態に入る。その後、羽化し水中から空中に飛んでいく宿主を、今度はカマキリやコウロギなどが食べる。すると、ハリガネムシの幼虫はその体内に移行し成虫になるまでを過ごす。

 最初に寄生する水性昆虫を〝中間宿主〟、次に寄生するカマキリなどを〝終宿主(しゅうしゅくしゅ)〟と呼ぶ。ハリガネムシは寄生先で順調に成長すると、終宿主が水に触れる機会を捉えて水中に飛び出す。注目されるのはその脱出のメカニズムだ。昆虫や生態学者のこれまでの研究によると、ハリガネムシは巣立つ準備ができると、終宿主を〝洗脳〟し水のある場所に誘導するらしい。そして水辺が近づいたら飛び込ませるそうだ。宿主の脳内に出現させるある種のたんぱく質の働きによると推測されている。見かけは奇怪だが、宿主を〝洗脳〟するとは、すごい能力の持ち主! 

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<BOOK> 「江戸の悪 浮世絵に描かれた悪人たち」

2016年09月27日 | BOOK

【渡邉晃著、太田記念美術館監修、青幻舎発行】

 正義の味方や英雄が輝きを放つのも、存在感を発揮する悪役がいてこそ。それは江戸時代の歌舞伎や人形浄瑠璃でも、現代の映画やテレビドラマでも相通じる。浮世絵は江戸時代の有力な情報媒体。三代歌川豊国(国貞国芳)、月岡芳年ら浮世絵師も競って悪役たちを描いた。「当時の人たちは現実、虚構を問わず、『悪』の持つ魅力に好奇心を抱き、時に酔いしれた」(本書「はじめに」から)。

        

 本書の原型は1年前に太田記念美術館で開かれた「江戸の悪」展。出品作に図版を追加し、解説を加筆してまとめ上げた。取り上げた悪人は〝多士済々〟。大盗賊の石川五右衛門や鼠小僧次郎吉から、忠臣蔵の敵役吉良上野介、四谷怪談の民谷伊右衛門、放火犯の八百屋お七、飛鳥時代の豪族蘇我入鹿まで、実に多彩な人物が登場する。ユニークなのは〝悪人度〟を星一つから極悪の星五つまで5段階で評価していること。

 悪人度最高ランクの1人に民谷伊右衛門。三代歌川豊国の浮世絵「東海道四谷怪談」が添えられている。戸板の両側に括り付け川に流したお岩と小平の死骸が早変わりする〝戸板返し〟の仕掛け絵。解説でも「多く登場人物を躊躇(ためら)いもなく殺す、悪人中の悪人と言える」と断じる。その他の星五つには蘇我入鹿、菅原道真を讒言で大宰府に左遷させた藤原時平、極悪非道の町医者村井長庵、歌舞伎の伊達騒動物に登場する仁木弾正、お家乗っ取りのため後家をはじめ大勢を手に掛けた立場の太平次ら。

 ちなみに石川五右衛門や「仮名手本忠臣蔵」の高師直(吉良上野介)、「播州皿屋敷」で知られる浅山鉄山は星四つになっている。石川五右衛門の釜茹で場面を描いた歌川国芳の「木下曽我恵砂路」は燃え盛る炎と煮えたぎる熱湯の描写が迫力満点。その釜の中で五右衛門が倅の五郎市を頭上高く掲げる。暴君のイメージが強い平清盛や放火の罪で火炙りとなった八百屋お七は星三つ。本能寺の変の明智光秀、義賊的に描かれることが多い鼠小僧、国定忠治、雁金五人男、毒婦高橋お伝、「安珍・清姫伝説」の清姫は星二つ、侠客の元祖ともいわれる幡隋院長兵衛や「清玄桜姫物」の清玄は星一つになっている。

 悪人度の判定基準となったのは殺した人数や反省の有無など。昨年の展覧会でも悪人度を表示したが、盗んだ金額の多さから星5つを付けた鼠小僧について「義賊だから、そんなに悪くない」という意見が来場者から多く寄せられた。また星2つの「安珍・清姫」の清姫については逆に「これは五つだ」という声があったそうだ。著者も本書の「おわりに」で、悪人に対する見方は「個人の体験や価値観によっても大きく左右される」と認める。悪人の評価は時代によっても変化する。結局、悪の程度を測る尺度は人それぞれで構わないということだろう。それでも悪人度として数値化する試みはユニークであり痛快でもある。本書に登場した悪人の一部からは「俺が星五つでなく、なぜ三つだけ」といった不満の声が聞こえてくるようだ。

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<大町志津子さん> イタリアで活躍するオペラ衣装デザイナーが講演

2016年09月23日 | 音楽

【奈良・秋篠音楽堂で、「アルマーニの助言やレオ・ヌッチの励ましが支えに」】

 イタリアを拠点に活躍する国際的なオペラ衣装デザイナー、大町志津子さんの講演会が22日午後、奈良市西大寺の秋篠音楽堂で開かれた。奈良市国際交流協会イタリア部会、秋篠うたくらぶ研究会、奈良日伊協会の共催。「衣装美術デザイナーの仕事を通じて見るイタリアオペラの舞台裏」というタイトルで講演した大町さんは、四半世紀にわたるデザイナー歴を振り返りながら「全てに感謝。観客の感動する姿も大きな支えとなった」などと話した。

       

 大町さんは1954年岡山県生まれで、イタリア在住歴は30年以上に及ぶ。現在はローマ、ヴェネチアと岡山県美作市に在住。今でこそヨーロッパ在住唯一の日本人オペラ衣装デザイナーといわれる大町さんだが、社会との関わりは神戸の短大卒業後の臨床検査技師がスタートだった。だが「仕事に満足感がなく他の生き方があるのでは」と思い立つ。渡航の貯蓄ができたところでまずロンドンに留学、さらにイタリアに渡って国立ヴェネチア・アカデミア絵画部やミラノのファッション専門学校で研鑽を積んだ。卒業後、ヴェネチアのオペラ衣装製作アトリエで衣装作りの過程を目の当たりにしたのが大きな転機に。「この衣装の世界こそ自分が探し求めていたものだと確信した」。最初はデザイナーのアシスタントとして映画衣装の製作に携わったが、次第に舞台の総合芸術といわれるオペラへの関心が高まった。

 その間、ジョルジオ・アルマーニから「ファッションビジネスでは本当の意味での芸術性は追求できない。君はもっと違う分野に移ったほうがより才能を伸ばせ楽しいのではないか」というアドバイスももらっていた。だが、ヨーロッパ生まれのオペラの世界で日本人が確固とした地位を築くのはたやすいことではない。激しいバッシングにも多く直面したという。オペラ衣装デザイナーとしてのデビュー作はフェニーチェ劇場のヴェルディ「椿姫」。衣装美術デザイナーは「アートディレクターとプロデューサーの両方を兼ねた仕事」。自らは衣装を製作せず、数十人のスタッフを束ねて衣装などを具現化していく。大町さんはこのオペラに全てを賭け懸命に向き合った。裁断・縫製のスタッフは自分の負担でパリのオペラ座から呼び寄せたという。

 しかし他の多くのスタッフはなかなか言うことを素直に聞いてくれない。大町さんは四苦八苦していた。そのとき力強い助け舟が登場した。出演者の1人でイタリアオペラ界を代表するバリトン歌手レオ・ヌッチさんだ。舞台衣装を着て現れた彼は大勢のスタッフの前で「シズ、僕の体は君のものだから、好きなように作ればいいんだ」と話した。「みんなの前で私に対するリスペクト(尊敬の念)を示してくれたことで、回りの人たちの態度がその後ガラッと変わった。本当にありがたかった」と振り返る。

 「衣装美術デザイナーの大きなポイントは登場人物の心理状態をどう解釈し、衣装でどう表現するかということ」。そのためには3つの要件が欠かせないと指摘する。①服飾史、社会史、歴史の知識を含めた時代背景をしっかり理解できること②現実的に形にする製作作業を推進できること③クリエイティブなオリジナルなものを作る能力があること。プッチーニの「トゥーランドット」では日本の着物の美しさに着眼し、京都の古着店などで入手した150着分の着物と帯を活用した。また大町さんはほとんどのオペラ衣装を染色してもらっているという。「染色によって舞台に深みと人生の重みを表現できるから」。最新作は8月に手掛けたばかりのヴェルディの「リゴレット」。作った衣装はルネサンス時代のものなど約170着に上った。大町さんのテリトリーは衣装だけでなく出演者の頭から足元まで全身。大町さんは「時間とエネルギーを多く費やすのは、当時の髪型などディテールをきちっと押さえること」とも話していた。

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<BOOK> 「明日に向かって 病気に負けず、自分の道を究めた星奈津美のバタフライの軌跡」

2016年09月21日 | BOOK

【田坂友暁著、ベースボール・マガジン社発行】

 日本競泳女子のバタフライの第一人者、星奈津美。200mバタフライでは日本選手権を7連覇、まさに敵なしだ。今夏のリオデジャネイロ五輪でもロンドンに続いて2大会連続銅メダルを獲得した。日本の女子競泳界で五輪2大会連続メダルはあの前畑秀子と中村礼子だけ。史上3人目の快挙だ。星は決勝後のインタビューで涙ぐみながら「最後はもう腕もかけなくなる、足も蹴れなくなるというぐらいまで初めて出し切れたと思うので、本当に悔いはない」と語った。メダルは完全燃焼の結果だった。

       

 本書の初版発行日はリオ五輪開幕直前の2016年7月30日。200mバタフライ決勝が日本時間8月11日だったので、その僅か10日ほど前ということになる。8章構成。スイミングスクールに通い始めた2歳の頃から、リオ五輪直前の今年6月の大会ヨーロッパグランプリまで、二十数年の水泳人生を星自身のその時々の思いを盛り込みながら辿る。8つの章のタイトルは「出会い」に始まり「病魔」「くやしさ」「飛躍」「苦難」「転機」「責任感」と続き、最終章の「未来」で終わる。その軌跡はまさに「山あり谷あり」だった。

 星は悔しさを飛躍のバネにしてきた。その悔しさは数知れない。中学時代の2度の4位、高校3年生で出場した北京五輪の準決勝敗退、100分の1秒差でメダルを逃した2010年上海世界水泳選手権での4位……。星はその結果を「神様が与えた試練なんだ、って考えるようにした」。そして迎えたロンドン五輪。銅メダルを獲得したものの、自己ベストに及ばない記録での結果に納得できなかった。2013年バルセロナ世界水泳選手権ではまたも4位。2年後の2015年夏、カザン(ロシア)世界水泳選手権でようやく悲願の金メダルに輝く。そしてリオ五輪の代表内定第1号に。五輪のちょうど1年前のこと。ところが、それがかえってプレッシャーに。長くモチベーションを保つのも容易ではなかった。

 星にはもう一方で病魔との闘いも続いた。初めてバセドー病と診断されたのは高校1年生の冬。以来、定期的に検査を受けホルモン値を調整する薬を飲み続けた。だが、2014年夏、ホルモン値のバランスが崩れて病状が悪化。星は甲状腺全摘出を決断し、同年11月手術を受けた。最終目標のリオ五輪から逆算すると、ぎりぎりのタイミングだった。2015年シーズンからは平井伯昌コーチの指導を受け始め、練習環境も一変。さらに今年5月には腰痛も発症した。6月のヨーロッパグランプリの記録が振るわない中、平井コーチが胸の内をじっくり聞いてくれた。平井コーチは星の悩みや不安を聞いたうえで「リオ五輪までの残り2カ月は俺に任せろ」と言ってくれた。「それですごくホッとしたというか、結構前向きな気持ちになれた」という。

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 そして迎えたリオ五輪。200mバタフライの星の記録は予選が2分07秒37、準決勝は全体の4位の2分06秒74。2012年の日本選手権で出したベストタイム2分04秒69(現日本記録)には遠く及ばない。星は準決勝まで「思うような動きが出せなくて、すごく不安な部分が出てしまった」と決勝後のインタビューで振り返った。決勝を迎えるまでに母真奈美さんをはじめ多くの人から応援メッセージをもらった星は「改めて自分がやるべきことはこの決勝の舞台でしっかり自分の力を出しきることだと思った」。決勝タイムは2分05秒20。前回のロンドン五輪後ではベストタイムだった。メダルの色はロンドンと同じだが、4年前に感じたような悔しさはもうない。表彰台の表情は実に晴れやかで充実感にあふれていた。決勝レースから10日後の8月21日。26歳の誕生日を迎えたその日、星は会社員の男性と結婚した。母親同士が親友という。男性は星がバセドー病手術で入院したとき連日通って力づけるなど星を支え続けてきたそうだ。

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<栗林公園> 日本3名園に勝るともいわれる〝木石の雅趣〟

2016年09月18日 | 旅・想い出写真館

【広大な回遊式庭園に、手入れが行き届いた個性的な松が1000本も】

 日本3名園といわれるのは金沢・兼六園、岡山・後楽園、そして水戸・偕楽園。だが、四国・高松市の栗林公園はそれら3庭園より立派ともいわれる。明治時代の小学校の教科書にもこう紹介された。「木石ノ雅趣却ツテ批ノ三公園ニ優レリ」(明治43年「高等小学読本」)。その栗林公園には随分以前に一度訪れたはず。ところがどんな庭園だったのか、とんと思い出せない。というわけで高松を訪ねたのを機に栗林公園に向かった。

 JR高松駅から高松城跡(玉藻公園)を回った後、アーケードが縦横に走る中心商店街を南下し栗林公園の東門から園内へ。16世紀後半に地元の豪族佐藤氏によって築庭されたのが始まりといわれ、400年という長い歴史を誇る。広さは75万平方キロメートルで、全国36カ所の特別名勝の中でも最大。紫雲山を背景に6つの池と13の築山を配し、年中1000本といわれる松をはじめハスや花ショウブなどが来園者の目を楽しませてくれるという。

 

 大きく分けて北庭と南庭があるが、今回は南庭のお勧めコースを中心に散策。入園してまっすぐ進むと「お手植え松」(上の写真㊧)があった。背の高い5本の松は大正時代に来園した秩父宮さまや高松宮さま、英国のエドワード・アルバート王太子ら5名が植樹された。その近くの「鶴亀松」(㊨)は110個の石で亀をかたどった岩組の背中に鶴が舞うように黒松を配したもので「百名松」とも呼ばれる。

 

 その南側に屏風のようにそびえる高い松並木があり、その前面には箱の形に切りそろえられた並木が続いていた(上の写真㊧)。それぞれ「屏風松」「箱松」と呼ばれる。箱松について「樹芸の粋を極めたもので、ほかに見られない本園ならではの景観」との説明が添えられていた。「夫婦松」(上の写真㊨)は赤松の幹の下部から黒松の枝が張り出すことから、その名で呼ばれる。一口に松の木が1000本といっても、幹の形や枝ぶりは1本ずつみんな異なり実に個性的。お互いに立ち姿を競っているようにも見え、景観の変化はまさに〝一歩一景〟だった。北湖のそばでは1本の大きな松を6人がかりで剪定していた(下の写真㊨)。この名園が長く高い評価を保ってきたのも長年の丹精込めた手入れの賜物だろう。

  

  松といえば、高松城跡の三の丸に広がる「披雲閣(ひうんかく)」庭園(下の写真㊧)も老松などを巧みに配置した見事なものだった。大書院の北側には巨大な「銀閣寺型手水鉢」(㊨)。幅・奥行き約1.5m、高さ約2m。重量は約11トンもあるそうだ。高松城跡では8年がかりで行われてきた天守台の修復工事が2013年に完成し公開中。今後天守閣の復元が期待されており、中心商店街にも「高松城復元 10万人署名運動にご協力を」という復元を進める市民の会の大きな横断幕が掲げられていた。

 

 

 

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<葛城一言主神社> 〝いちごんさん〟で秋の大祭「御神火祭」

2016年09月17日 | 祭り

【赤天狗・一言主大神・お多福が練り歩き参拝者の健康長寿などを祈願】

 全国の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)を祭神とする神社の総本社、葛城一言主神社(奈良県御所市森脇)で15日、秋季大祭が開かれた。祭神の一言主大神は一言の願いなら聞き届けてくれるといわれ〝いちごんさん〟と親しまれている。この日は願い事を書いた祈祷串を本殿前の神火壇に自らくべて祈願することができ、「御神火祭」や「お火焚祭」とも呼ばれている。始まったのは室町時代の1482年といわれ、本殿に登壇できるのは年に1回この日だけとあって多くの参詣者が詰め掛けた。

 同神社は葛城山の東麓に鎮座し、一言主大神とともに幼武尊(わかたけるのみこと、雄略天皇)を祭神として祀る。古事記によると、雄略天皇が葛城山で狩りをしていた時、一言主大神が天皇と同じ姿で現れた。天皇が「どこの何者か」と問うと、「善事(よごと)も悪事(まがごと)も一言で言い放つ葛城の一言主大神なり」と答えた。すると天皇はひれ伏して、その後一緒に狩りを楽しんだ――。一言主大神は当時この一帯を本拠地とした大豪族葛城氏の奉斎する神。この説話は葛城氏の権勢がいかに強大だったかを端的に示す。

 

 大祭は本殿の開扉に続いて献餞、祝詞奏上、そしてお火焚きへ。神火壇に火が入ると、参詣者は祈祷串を手に列を成し、拝殿を通り階段を上って本殿前の神火壇まで進んだ。神職はこの日参拝できない人の祈祷串を大量に抱えて最後列に控えていた。ちらっと目にした祈祷串にはこんな願い事が書かれていた。「病気平癒 糖尿病が治りますように」。宮司さんによると「良縁」というのも結構あったそうだ。神火壇から立ち上る煙は本殿・拝殿を囲む高い樹木まで達していた。

 

 お火焚きの後は「神降神事」。拝殿から宮司とともに赤天狗(猿田彦命)、祭神の一言主大神、お多福のお面を付けた3人が登場。宮司が金銀など色とりどりの切り紙をまきながら先導し、参拝者の間を練り歩いた。黄色い装束の赤天狗は腰に太刀を差し、右手には金剛杖。緑色の装束の一言主大神は参拝者の頭上で御幣を打ち振り、青装束のお多福は両手で鈴を鳴らして参拝者の願い事がかなうよう祈願して回った。この後、拝殿前では参拝者全員にお神酒と紅白饅頭の授与があった。

  

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<橿原市・三柱神社> 望月祭に続いて「子ども相撲」を奉納

2016年09月16日 | 祭り

【新生児~小学生、勝者に〝日の丸御幣〟を授与】

 奈良県橿原市膳夫町(かしわてちょう)の三柱神社で15日「望月祭」が行われ、神事終了後、拝殿前に設えられた土俵で伝統行事の「子ども相撲」が奉納された。新生児から小学6年の男児まで約30人が参加し、勝者には大きな青竹の〝日の丸御幣〟が授けられた。その御幣は家宝として大切に保存されるそうだ。

 三柱神社は天の香具山の東北に位置し、香具山小学校の西隣に隣接する。望月祭は別名「敬老祭」。かつて「敬老の日」が9月15日と決まっていた頃の名残からか、毎年15日に行われてきた。子ども相撲は子孫繁栄と健康祈念に加え地域住民の親睦を兼ねた行事。平日のこの日は〝主役〟の小学生の下校に合わせるため祭典も予定よりやや遅く午後3時半ごろにスタート。献餞、祝詞奏上など神事が進むうちに、子どもたちや母親たちが続々と集まってきた。午後4時すぎ、子どもたちは上半身裸に白いふんどしを着け拝殿前に整列、神妙な表情で神主さんからお祓いを受けた。

 

       

 相撲の取組は年齢の若い順で、まず新生児から。母親たちから2人の行司役が受け取って土俵中央に進むや、新生児の1人が大声で泣き始めた。まさに火が付いたように。1年生など低学年同士の取組は仕草がなんとも愛らしい。それが高学年になると力強い熱戦続き。母親たちからも「行け!」と激しい応援が飛び交った。一回りすると、相手を代えてもう1度。あの新生児は土俵の外で行司役に抱かれるやいなや再び大泣きしていた。2回目の取組後、対戦相手が2人1組になってくじ引き。今度はくじの外れ組から始まって、最後は賞品の〝日の丸御幣〟大中小3つのうち小→中→大の順番で取組が行われた。最も大きな御幣が懸かる一戦に勝った男の子は、身長よりずっと大きくずしりと重い御幣を誇らしげに持ち上げていた。

     

 三柱神社が鎮座する膳夫町の地名は、古代の天皇の食事を用意した料理人集団、膳夫氏の一族がこの一帯に住んでいたことに由来するという。三柱神社の参道脇には真言宗豊山派の寺院、保寿院(虚空蔵寺)が立つ。ここは聖徳太子の妃、膳夫姫(芹摘姫)が養母古勢女の菩提を弔うため建立した仁階堂(後の膳夫寺)跡といわれる。膳夫寺跡地からは白鳳時代の古瓦も出土した。膳夫寺の後を引き継いだのがこの保寿院。三柱神社の創建年代ははっきりしない。ただ本殿・拝殿が珍しく北向きに建てられており、すぐ北側に位置する保寿院の鎮守として創建されたとみられている。

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<シラタマホシクサ(白玉星草)> 東海地方の湿地に自生する日本固有種

2016年09月14日 | 花の四季

【別名「コンペイトウグサ」球状の白花を金平糖に見立てて】

 ホシクサ科ホシクサ属の1年草。日本固有種、しかも分布域も伊勢湾と三河湾に面した愛知、三重、静岡三県の湿地帯のみという貴重な植物だ。鉄分を多く含む酸性土壌を好むという性質を持つ。

 ホシクサ属の植物は日本に40種ほど自生する。ホシクサ、シラタマホシクサ、オオホシクサ、ニッポンイヌノヒゲ、クロホシクサ、ヤマトホシクサ……。ホシクサは「干草」ではなく「星草」。その名は星のような形の頭花に由来するといわれる。ホシクサには「だいやもんど」「よるのほし」といった美しい方言名も。かつて子どもたちはホシクサの仲間の白い頭花に色を付けて花かんざしにして遊んだという。

 シラタマホシクサの花期は8月下旬から10月にかけて。細長い線形の葉が束生する根元の中央から、高さ20~40cmほどの花茎を数本立て、先端に「白玉」の名の通り白い玉状の頭花を付ける。頭花は多数の小花からなり径5~8ミリほど。別名に「コンペイトウグサ」。白い小花をお菓子の金平糖に見立てた。

 盛りの時期には湿地一面を満天の星のように無数の花で埋め尽くす。地味なホシクサ属の植物の中で、シラタマホシクサの人気は高い。ただ湿地の減少などに伴って群生地も減っており、環境省はレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に指定している。そのため各県でも湿地環境の保全に力を注ぐ。中にはNPO法人「ラブ・ネイチャーズ」(静岡県浜松市)のように長年シラタマホシクサの保護活動に取り組んできた団体もある。(写真は名古屋市東山動植物園で)

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<名古屋市東区「文化のみち」> 近代化への歩みを伝える歴史遺産群

2016年09月13日 | 旅・想い出写真館

【武家屋敷の風情を今にとどめる「町並み保存地区」】

 久しぶりに名古屋へ。名古屋城~徳川園の東西約3キロのエリアが「文化のみち」と名付けられて歴史的建造物の保存・修復や町並みの整備が進み、観光客が増えているという。そこで、その中央部に位置する「白壁・主税(ちから)・橦木(しゅもく)町並み保存地区」を訪ねた。名古屋は先の大戦で65回も空襲を受け、市街地の大半が焦土と化した。そんな中、名古屋城の東側に位置するこの地域は幸いにも焼け残ったそうだ。(下の写真は拠点施設の「文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)」)

 同地区は築城に伴って造られた武家屋敷町で、江戸時代には約600坪の区割りで中級武士の屋敷が並んでいた。明治~大正時代になると、多くの貿易商や財界人が移り住む閑静な住宅街となり、キリスト教の教会や学校などもできた。国産初の自動織機を発明した豊田佐吉やその一族、「ノリタケ」の前身の森村組を創設した森村市左衛門らがここに邸宅を構えた。〝電力王〟と称された福沢桃介と〝日本の女優第一号〟といわれる川上貞奴が暮らした屋敷は中京財界のサロンになっていたという。

 

 まずはその川上貞奴が居住していた和洋折衷の建物を移築・復元した拠点施設「文化のみち二葉館」へ。1階の大広間(上の写真㊧)はカラフルなステンドグラスや赤レンガの暖炉などが設えられたしゃれた造りで、隣り部屋には貞奴の舞台衣装や愛用の品々などを展示、螺旋階段を上ると2階には郷土ゆかりの文学資料が展示されていた。次に向かったのは「文化のみち橦木館」(下の写真㊧)。この一帯はかつて輸出陶磁器の一大集積地だった。同館も陶磁器商として活躍した井元為三郎が大正末期~昭和初期に建てた邸宅で、洋館や和館、茶室が庭を囲むように配置されている。2階の飾り棚には「セトノベルティ」と呼ばれた陶磁器製の置物や装飾品がずらりと並べられていた。ここは様々な文化催事の開催場所にもなっているらしく、訪ねた日は「陶磁器の東海道五十三次展」の最終日だった。「カトリック主税町教会」(㊨)は名古屋最古の教会堂で、二葉館とともに登録文化財になっている。

 

 

 「文化のみち百花百草」(上の下段㊧)は大正時代に建てられた書院・茶室・土蔵を改修したもの。新築の多目的ホールを併設する。「旧豊田佐助邸」(同㊨)は豊田佐吉の弟佐助が大正時代に建てた。白いタイル貼りの洋館と広い間取りの和館で構成する。その隣の「旧春田鉄次郎邸」(下の写真㊧)も大正建築で、陶磁器貿易商として財を成した春田鉄次郎が建てた。保存地区内には名古屋城下に当時の位置のまま残る唯一の武家屋敷長屋門「主税町長屋門」もある。地区内には大きなマンションなども目立つ。ただ、それらの前面の道路沿いも往時の武家屋敷の風情を伝える白塀や板塀という所も多く、官民が一体となって修景整備に取り組んでいる様子が窺われた。(下の写真㊨は「ウエディング百花籠」)

 

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<人形絵本「まんまるパン」> 奈良・田原本の人形作家が3年半かけて製作

2016年09月08日 | メモ

【奈良県立図書情報館で絵本に使われたジオラマ&人形を公開】

 半世紀ほど前、日本で「人形絵本」が大ブームを巻き起こした。手作りの人形で物語を再現し、それらを写真撮影して作ったカラフルな絵本。作家の藤沢匡(1909~94)と画家の土方重巳(1915~86)によって生み出された人形絵本は、国内だけでなく海外でも評判を呼び、外国語版は世界36カ国に輸出されたという。発行総数は2000万部を超えたともいわれる。1954年に出版された「トツパンの人形絵本」の中の『三びきのこぶた』は後にNHKで『ブーフーウー』というテレビ人形劇(60~67年)になってお茶の間の人気を集めた。

 

 今となっては懐かしい人形絵本を蘇らせたい――。そんな思いから人形作りに挑戦し、3年半がかりで1冊の絵本を完成させた人形作家がいる。奈良県田原本町在住のYoko-Bon(ヨウコボン)さん。その作品はロシアの民話「カラボーク」を基にした『まんまるパン』で、ロシア語専門家で「ムーザ文化交流協会」代表の片山ふえさんが翻訳を担当し、ロシア文学を専門に刊行する群像社(本社横浜市)から出版した。この絵本に収められた写真のジオラマ&人形を再現した「まんまるパンの世界展」が奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で始まった(9月29日まで)。

 

 この物語はおじいさんとおばあさんが落ちていた小麦を拾い集め丸いパンを焼き上げるところから始まる。最上段の大きな写真は「こんがりパンができた」と2人が大喜びしている場面。ところがこのパン、隙を見て家を飛び出す。コロコロ転がって、次々にウサギやオオカミ、クマに出会うが、その都度、得意の歌を披露して逃げ延びる。しかし、最後に出会ったずる賢いキツネに――。Yoko-Bonさんは人形作りに当たり、監修者のロシア人文学者に折に触れて相談した。試作したウサギやパンは「とてもいい」と好評だったが、キツネは「コヨーテみたい」「ロシアの民話のキツネは赤毛」などと指摘されたそうだ。まんまるパンだけで大小や様々な表情などを合わせて15個も作ったという。

 

 今回の「まんまるパンの世界展」ではこの展覧会のために製作した「ロシアの森のまんまるパン市場」や「カバとカエルの水辺」など4つのジオラマ&人形も展示中。また懐かしの人形絵本コーナーでは今や入手難となった人形絵本のうち『三びきのこぶた』『まっちうりの少女』『へんぜるとぐれーてる』など8冊を手に取って見ることもできる。9月18日には同図書館でYoko-Bonさん、訳者の片山ふえさん、群像社社長の島田進矢さんの3人によるトークイベント「『まんまるパン』ができるまで」も開かれる(無料、要申し込み)。

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<ひいらぎゆき> 『龍の如し』富山新聞社公募の「富山ホビー展」で銀賞!

2016年09月06日 | 美術

【金沢在住の若手イラストレーター、9月21日から個展「和の世界展」】

 3年余り前の2013年春、けいはんな記念公園(京都府精華町)内のギャラリーで、若手イラストレーター・デザイナーの個展が開かれた。「ひいらぎゆき展」。初の個展ということで、作品を見るのはもちろん初めてだったが、その繊細な表現と独特なタッチが目を引き、このブログでも当時紹介した(同年4月3日付)。そのひいらぎさんの作品『龍の如し』がこのほど富山新聞社復刊70周年記念の「富山ホビー展」で銀賞を受賞した。

 ひいらぎさんは石川県金沢市出身・在住。金沢デザイン専門学校を卒業後「イラスト工房Hiiragi」を立ち上げ、有名漫画家のアシスタントなどを務めながら研鑚を積んできた。現在は北国新聞、富山新聞の文化センターなどで漫画イラスト教室の講師を務める。同時にタオルや衣装デザインなども手掛け、造形作家とのコラボ活動にも意欲的。最近では今年3月、神戸市東灘区の「酒心館」でミニ個展を開いた。この間「日本ペンクラブ」に入会するとともに「京都地名研究会」や「京都知恵の会」に加入するなど人の輪を広げてきた。

 今回の受賞作『龍の如し』はB3サイズで、コピック(カラーマーカー)や色鉛筆、パステルなどの画材を使って描いた。龍がにらむイケメンの男性は戦国武将をイメージしたとか。画面の左右には滝登りに挑む鯉を配置した。全面を覆う激しい波しぶきの音が今にも聞こえてくるかのようだ。龍と戦国武将。一見妙な取り合わせだが、ひいらぎさんはこう説明する。「龍は天に昇るもの。武将は一国一城の主を目指し、やがて天下を狙う。魚は出世魚。つまり全ては『天』『上』を目指しているわけです。縁起の良いイラストと思っていただければうれしいですね」。中国の故事では滝を登ることができた鯉は龍になる。そういえば、武将の涼やかな表情の中にも龍や鯉に負けない強い意志がみなぎっているようにも見える。

 ひいらぎさんはいま9月21~26日に地元金沢市で開く個展「ひいらぎゆき 和の世界展」の開催に向け、その準備や作品の仕上げに余念がないそうだ。今回は受賞作をはじめ日本のおとぎ話をモチーフにした作品や名君前田利家公、加賀百万石をイメージしたイラストなども展示する予定という。開催場所は「ギャラリーセーブル」(金沢市大手町7-29)。美術、音楽、スポーツなどどんな分野にしろ、密かに着目してきた若手作家や選手が着実に実力を蓄え期待通りの活躍を見せてくれるとしたら、それに優る楽しみはない。

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