く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<鯖江・西山公園㊦> 無数の雪吊りが林立!

2021年11月27日 | 旅・想い出写真館

【公園のシンボル・ツツジの保護へ2500本も】

 北陸の冬支度で欠かせないのが樹木の枝を雪の重みから守る「雪吊り」。本格的な冬の到来を告げる風物詩にもなっている。有名なのが金沢の兼六園。松の木に高い竹から縄が傘状に張られた光景は情緒があり芸術的でもある。これまでこの兼六園のほか高岡古城公園や富山城址公園など各地の雪吊りを目にしてきた。だが、福井県鯖江市の西山公園の雪吊りは本数といい密集度といい異次元の光景だった。広い芝生広場をぐるっと囲むツツジの植え込みに林立する雪吊りは、背丈が低いものが多いものの数え切れないほど。圧巻!というほか言葉がなかった。

 西山公園は秋の紅葉が美しいが、日本海側屈指のツツジの名所としても名高い。公園全体のツツジの株数はなんと5万株に上るそうだ。ヒラドツツジが最も多く3万株を占めるが、ほかにもクルメツツジやオオムラサキなど様々な品種が植樹されている。色とりどりの花が咲き乱れる5月上旬の連休の頃には毎年「つつじまつり」が開かれてきた。約60年という長い歴史を誇る。雪吊りはツツジが冬を乗り切って春に美しい花をたくさん付けてもらうためにも欠かすことができない。

 それにしてもすごい数だ。公園管理事務所に問い合わせたら「2500本。それでも以前よりかなり減っています」とのこと。「なぜ?」と問うと「予算の関係もあって」と正直な答えが返ってきた。雪吊りは例年、降雪の心配がなくなる3月に取り外される。今年開催予定だった「第61回つつじまつり」は新型コロナのため昨年に続き2年連続で中止に追い込まれた。壮観な雪吊りを見たからには、満開のツツジが咲き誇る半年後にぜひもう一度訪ねたいものだ。

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<鯖江・西山公園㊤> 越前随一のモミジの名所

2021年11月26日 | 旅・想い出写真館

【〝祈りの道〟には微笑ましい石仏など約420体】

 北陸有数のモミジの名所として名高い福井県鯖江市の西山公園。11月24日訪ねると、ちょうど鮮やかに色づき、とりわけ〝祈りの道〟の光景は見応え十分だった。木々の間には石仏や石碑などがずらりと並ぶ。中にはモミジの葉っぱを頭に乗せて温かい表情で出迎えてくれたお地蔵さんも。四角形の木の柱には「『西山公園』日本の歴史公園百選選定五周年 もみじ千六百本達成記念植樹」と書かれていた。

 西山公園は祈りの道や西山動物園、芝生の広場、冒険の森、道の駅などがある西側の園地と、東側の日本庭園「嚮陽(きょうよう)庭園」などから成る。嚮陽庭園は江戸時代末期に幕府の老中も務めた越前鯖江藩第7代藩主間部詮勝(まなべあきかつ、1804~84)が「嚮陽渓」として造成した。祈りの道は山頂近くまで脇道も含め約900mにわたって続く。その間、木々を見上げては目を落とし石仏や句碑などを覗き込むことの繰り返し。モミジ狩りに加え石仏などの表情にも癒されるひと時だった。

 祈りの道づくりは1970年代に文化人たちの市民グループが「心の潤いと安らぎの場」として発案したのが発端。市民はもとより全国から賛同者が集まり、プロの指導を受けながら思い思いの石造物を造り上げた。1988年から97年までの10年間に設置された石仏などは420体にも上る。それから20~30年余り。風雨にさらされた石造物は古色蒼然とした味わいも備わってすっかり風景に溶け込んでいた。他のモミジの名所では味わえない雰囲気を堪能しているうちに展望台に到着。赤く染まったモミジの向こう側には鯖江市や越前市、越前町などの広大なパノラマが広がっていた。

 この後、国道417号を跨ぐ陸橋を渡って嚮陽庭園側へ。丘陵地に築かれたこの庭園には上段、中段、下段の3つの庭がある。嚮陽とはあまり耳慣れないが、自然に親しみ陽に嚮(むか)って常に明るくいつも隣人を愛することを意味するという。池泉回遊式の上段の庭(下の写真)の「初代の嚮陽渓碑」の案内板にこう書いていた。間部詮勝といえば思い浮かぶのは井伊直弼と共に尊皇攘夷派を弾圧した安政の大獄。「井伊の赤鬼」「間部の青鬼」として恐れられ、吉田松陰は間部の暗殺まで企てた。しかし鯖江藩主としては領民の憩いの場として嚮陽渓を造るなど藩のために尽くし名君として慕われたという。上段の庭には間部の胸像も飾られていた。その像の前や鯖江藩ゆかりの松阜神社では毎年顕彰祭が開かれてきたそうだ。

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<朱雀門ひろば> 「みつきうまし祭り~平城京天平祭・秋」

2021年11月21日 | 祭り

【衛士隊の隊列、秋の天平市、音楽の演奏、大道芸…】

 奈良市平城宮跡の朱雀門ひろばで11月20日「みつきうまし祭り」と銘打った「平城京天平祭・秋」が開幕した。「みつき」とは祭りのために収穫した食や花、音楽などを献上するという古代の言葉。「うまし」には「おいしい」や「美しい」との意味が込められている。21日までの2日間、奈良時代に平城宮を警護した「衛士隊」の隊列の再現、県内の名産品や地場野菜を扱う「秋の天平市」の開催をはじめ、和楽器の演奏、ダンス、手品、ジャグリングなど多彩なイベントが繰り広げられる。

 祭りは20日午前10時、衛士隊「開門の儀」からスタート。古代衣装に身を包む衛士たちが隊列を組み、雅楽と太鼓の音に合わせ朱雀門南側の広場を往復した。その後、間をおいて「巡回警護」の様子や「閉門の儀」(午後4時)を披露。この間、広場では2カ所で和楽器演奏集団「独楽(こま)」やアカペラグループ「clearance」の演奏、ヨーヨーエンターテイナー「TOMMY」、和風手品師「izuma」による大道芸などが行われた。

 「独楽」は2001年にグループを結成し、海外演奏ツアーや東日本大震災復興支援公演など内外で活躍。この日は広場に2度登場し、太鼓や三味線、琴などで力強くリズミカルな演奏を披露して観客から大きな拍手が送られていた。ヨーヨーの「TOMMY」は過去に3回も世界チャンピオンになっているという実力者。「さすが!」と思わせる巧みな手さばきでぐるぐる回したり空高く放り投げたりして観客の目を釘付けにしていた。女性手品師「izuma」は着物の長い袖を風になびかせながら、軽やかに舞うようにリングやトランプなどの手品を披露して人気を集めていた。

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<和歌山県立博物館> 特別展「きのくにの名宝」

2021年11月19日 | 考古・歴史

【飛鳥時代の仏像から芦雪・応挙の襖絵まで】

 和歌山県は文化財の宝庫だ。国宝だけで36件(建築7件、美術工芸・古文書など29件)もあり、全国では東京・京都・奈良・大阪・滋賀に次いで6番目に多い。重要文化財も394件で全国7位。県内に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の高野山や熊野三山があり、江戸時代には御三家の一つとして城下町が発展し多様な文化が育まれたことなどが背景にある。これらのお宝を一堂に集めた特別展「きのくにの名宝 和歌山県の国宝・重要文化財」が和歌山県立博物館(和歌山城南側)で開かれている。

 

 県立博物館の創立50周年を記念した展覧会で、①きのくにの仏像と神像②きのくに荘園の世界③国宝・熊野速玉大社の古神宝類④紀州東照宮の名宝⑤芦雪・応挙 紀南寺院の障壁画――の5章で構成する。総展示数は前後期合わせて156点で、国宝35点と重文51点を含む。そのほかのものも大半が重要有形民俗文化財や和歌山県の文化財などに指定されている。展示内容は社寺に伝わる仏像・神像から奉納された名刀や武具、荘園にまつわる古文書、さらには江戸時代の絵師長沢芦雪や円山応挙の襖絵まで実に多岐に渡る。

 ①では飛鳥・奈良時代~鎌倉・南北朝時代の仏像・神像がずらりと並ぶ。県内最古の仏像といわれるのが極楽寺(かつらぎ町)所蔵の金銅仏菩薩半跏像(7世紀、高さ22㎝)で、本尊の如意輪観音半跏像の像内から見つかった。那智の滝への参道沿いの那智経塚から1918年に発見された仏像群も展示されている。熊野速玉大社(新宮市)の国宝神像4体は平安時代の作。主神の「熊野速玉大神坐像」が髭を蓄え威厳があるのに対し、女神像の「夫須美大神坐像」はふくよかで柔和な面持ちと、対照的な表情を浮かべる。

 ②で目を引いたのが金剛峯寺(高野町)蔵の国宝「阿弖河荘(あてがわのしょう)上村百姓等申状」。現在の有田川町の農民たちが1275年(鎌倉時代)、地頭による横暴なやり方をカタカナで言上状を記し荘園領主に訴えた。地頭が逃亡した百姓の田に麦をまかないなら妻子の「ミミヲキリ ハナヲソリ カミヲキリテ アマニナシテ…」と恫喝する様子などをリアルに13項目にわたって列挙する。国宝指定の古文書としてすぐ思い浮かぶのは天皇の宸翰(しんかん)や勅書、名僧の墨蹟や経典など。一般庶民が書いたこうした文書は数少ないに違いない。③には「金銀装鳥頸太刀」など熊野速玉大社の国宝古神宝類25点、④には紀州和歌山藩初代藩主徳川頼宣が創建した紀州東照宮に伝わる父家康の遺品などが並ぶ。

 ⑤の展示品はがらっと変わって江戸時代の絵師長沢芦雪の作品が中心。芦雪は1786~87年、師・円山応挙の名代として南紀の寺院を訪ね歩き180面もの障壁画を残した。現在展示中の作品は成就寺(串本町)の「唐獅子図」4面、草堂寺(白浜町)の「牛図」5面と「朝顔に鼬図」2面、高山寺(田辺市)の「寒山捨得図」1幅など。「朝顔に鼬図」はアサガオの根元でイタチがトンボに狙いを定め前足を上げて身構える構図。濃淡の墨で描かれているはずなのに、気のせいかアサガオの花が青っぽく見えるのが不思議だった。応挙の「雪梅図」10面と「松月図」4面=いずれも草堂寺蔵=も展示している。会期は11月23日まで。

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<橿原菊花展> 橿原神宮を彩る秋の風物詩

2021年11月16日 | 花の四季

【丹精込めた大菊や懸崖、盆栽など約400鉢】

 桜とともに日本の国花として親しまれ、皇室の紋章にもなっている菊の花。ちょうど今が盛りと各地で菊花展が開かれている。奈良県内では昨年が50回目だった「平城宮跡菊花大会」(奈良市・県菊花連盟主催)が長い歴史を誇る。だが、新型コロナが猛威を振るっていた9月に早々と中止が決まった。一方、橿原神宮(橿原市)を会場とする「橿原菊花展」は予定通り開催され、連日多くの見物客や参拝客でにぎわっている。

 橿原菊花展は橿原菊花愛好会(加藤茂樹会長)の主催で今回で37回目。大和三山の一つ畝傍山を背景にした橿原神宮の外拝殿(げはいでん)前広場が例年展示会場になっている。青い天幕の下に愛好会のメンバーが丹精込めて育てた鉢植え約400鉢が整然と並ぶ。会期は11月23日までで、残すところあと1週間ほど。外拝殿の正面右手には来年の干支トラの巨大な絵馬。訪ねたのが好天の週末とあって、七五三参りの着飾った家族連れも多く、絵馬の前で記念写真を撮った後、菊の展示場に立ち寄る姿も見られた。

 一口に菊の花といっても、花の色や大きさ、仕立て方などはさまざま。3本仕立てや花の形が丸い「だるま作り」、草丈の低い1本仕立ての「福助作り」、小菊が滝のように下る「懸崖作り」など。1人で様々な方法を組み合わせて立体的に飾った「総合花壇」という展示もあった。鉢植えの前面に外務大臣賞、県知事賞、橿原市長賞などといった表示があるものも。11月3日に審査会が開かれたという。いずれも溜め息が出る見事な〝作品〟ばかり。直立した樹木のような菊がまるで林や森のように立ち並ぶ寄せ植えもあって、つい見入ってしまった。一つひとつの鉢植えに、作者の深い愛情が詰まっていることを実感した。

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<橿考研付属博物館> 3年ぶりリニューアルオープン

2021年11月15日 | 考古・歴史

【黒塚古墳の鏡34面一堂に、〝飛鳥美人〟複製陶板も新登場】

 国内有数の考古学資料の展示施設「奈良県立橿原考古学研究所付属博物館」(橿原市畝傍町)が改修工事を終え、約3年ぶりにリニューアルオープンした。空調施設や展示ケースの改修、耐震対策などで2018年12月末から閉館。この間、横浜ユーラシア文化館、九州国立博物館(福岡県太宰府市)など各地で「しきしまの大和へ―奈良大発掘」と題して巡回展を開いてきた。

 エントランスホールで最初に出迎えてくれるのは飛鳥京跡苑池(明日香村)から出土した2つの巨大な石造物。上部に横穴が貫通した噴水状の流水施設は高さが165㎝、最大幅が125㎝もある。水を貯める石槽は幅270×206㎝、深さ41㎝。苑池は7世紀半ばの女帝斉明天皇の時代に築かれたもので、日本最古の本格的な庭園といわれる。有料展示スペースは特別展示室と第1(旧石器~弥生時代)、第2(古墳時代)、第3(飛鳥・奈良~室町時代)の3つの展示室に分かれる。

 特別展示室ではリニューアルオープン特別陳列として、黒塚古墳(天理市)から出土した銅鏡34面全てを一挙に公開中。「画文帯(がもんたい)神獣鏡」1面は木棺内で刀や剣などの副葬品とともに出土し、「三角縁神獣鏡」33面は棺の周りから見つかった。来館者にとりわけ人気なのが第2展示室の県内各地の古墳から出土した埴輪群と藤ノ木古墳(斑鳩町)で見つかった国宝の金銅製馬具類。メスリ山古墳(桜井市)から出土した国内最大の大型円筒埴輪群には地震対策として今回新たに免震装置が設置された。このほかにも人物や動物、家、武具など様々な形の埴輪が所狭しと並ぶ。中には椅子にちょこんと男子が座ったユニークな埴輪も。この埴輪コーナーだけでも一見の価値がありそうだ。藤ノ木古墳の鞍金具や飾り金具などは発見当時の輝きを今も放って、相変わらず来館者を引き付けていた。

 第3展示室の目玉は高松塚古墳(明日香村)の壁画「西壁女子群像」(通称〝飛鳥美人〟)の複製陶板。発見当時の鮮やかな色彩や質感をそっくり再現したもので自由に触ることができる。来館者の中には去りがたいように何度も繰り返し触る方もいた。この壁画が見つかったのは1972年3月。来年でちょうど半世紀を迎える。この展示室の一角には奈良市郊外の茶畑から出土した太安万侶(古事記の編者)の墓誌や、興福寺旧境内から見つかった平安時代の将棋の駒(日本最古)なども展示中。同館ではリピーターの期待に応えるため今後定期的に展示品の一部を入れ替えていくそうだ。

 

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<揚輝荘> ベンガラ色が映える山荘風の聴松閣

2021年11月09日 | 旅・想い出写真館

【2階では「和色の世界―Kimono」展開催中】

 百貨店松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門祐民(1878~1940)が覚王山(名古屋市千種区)の高台に構築した別邸「揚輝荘(ようきそう)」。2016年に一度周辺を散策したが、このときはシンボル的な建物「聴松閣」の外観をカメラに収めただけで素通りしていた。それが心残りだったので名古屋で一泊したのを機に改めて訪ねた。2階展示室では松坂屋美術館との連携による特別展「揚輝荘が織りなす和色(わのいろ)の世界~KIMONO」が開かれていた。

 揚輝荘が整備されたのは大正から昭和初期にかけて。約1万坪(3万3000㎡)の広大な敷地に30棟を超える建物が建てられた。「迎賓館として多くの財界人や文化人をお迎えしました。テニス場や弓道場などもありました」。ロッジ風の聴松閣に入ると、担当者が昭和初期の揚輝荘を俯瞰した模型を前に詳しく説明してくれた。ただ現在の敷地面積はその後のマンション開発などでかつての3分の1ほどに。南北に分断されており、南園(約2700㎡)と北園(約6500㎡)が狭い通路で結ばれている。

 聴松閣の玄関前には祐民が中国で購入したという南北朝時代(5~6世紀)の虎の石像。館内は趣向を凝らした暖炉や重厚なインテリアで落ち着いた雰囲気を醸し出していた。とりわけ目を引いたのが階段の手摺に波模様のように刻まれた手斧(ちょうな)の跡。手斧による透かし彫りもあって、往時の匠の技を味わうことができた。2階の旧応接室や書斎などは展示室に充てられている。開催中のKIMONO展では重要文化財指定の小袖「染分綸子地御所車花鳥模様」のレプリカをはじめ豪華な意匠の振袖や小袖などが、園内の四季の写真や絵画とともに展示されていた。会期は11月21日まで。

 北園は池泉回遊式の庭園で、シンボルになっているのが京都の修学院離宮の千歳橋を模したといわれる廊橋「白雲橋」(市指定有形文化財)。以前訪れたときにはその橋を借景として艶やかな着物姿と紋付姿の若い男女が写真に収まっていた。橋の天井には墨で描かれた龍図。絵心があった祐民が池の名「浴龍池」に因んで描いたのだろうと伝えられている。その龍の絵が「祐民の隠し絵?」と一時話題になった。地元の新聞記事によると、鼻や口ひげなどの部分が見る角度によって冠を被った女性の横顔に見えるという。そう言われれば女性の顔に見えなくもない。ユーモアに富んでいたという祐民が意識的に描いたのだろうか。

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<東山動植物園> ドーム型の曲線が美しい温室前館

2021年11月05日 | 花の四季

【保存修理工事を終え今春8年ぶりに公開】

 「はっ!」とまさに息をのむ美しさだった。東山動植物園(名古屋市千種区)の植物園ゾーンにある温室前館。全面ガラス張りの建物が青空の下でキラキラと輝いていた。その日の目的は植物会館内にある「伊藤圭介記念室」の見学。動物園を通り抜け植物園側に向かっていると、突然左手にその光景が広がっていた。入園は5年前の2016年以来。この温室を目にするのは初めてだった。それもそのはず、温室前館は2013年から老朽化に伴う修理や耐震補強工事などで長い間閉鎖され、今年4月にリニューアルオープンしたばかりだった。

 温室前館は1937年(昭和12年)の「東山植物園」の開園に合わせて建設された。トラス構造の鉄骨造りで、規模は全長66m、最高高さ12.4m、広さ約596㎡。開園当時には「東洋一の水晶宮」と呼ばれたという。正面中央のヤシ室と西翼の多肉植物室、東翼の有用植物室をそれぞれ西花卉室、東花卉室でつなぐ。1960年以降に開設された後館は中南米産植物温室や水生植物室などに充てられている。戦災や台風などを乗り越えてきた前館は2006年国の重要文化財に指定された。国内最初期の鉄とガラスによる本格的な温室建築で、全溶接建築物としても建築技術史にとっても高い価値があるというのがその理由だ。

 遠くから温室をしばらく眺めるうち、以前どこかで見たような気がしてきた。設計は東大で建築学を学び1935年に名古屋市の土木部に入庁したばかりの一圓俊郎(いちえんしゅんろう)という若手職員が担当した。彼が参考にしたというのが英国王室植物園キューガーデンの温室「パームハウス」だった。そうだ! どこかで見たと思ったのはキューガーデンだ。約30年前の1991年夏、英国旅行中にキューガーデンに立ち寄った。その時のアルバムを引っ張り出しページをめくった。あった! 1枚の写真に巨大なガラス張りのパームハウスが写っていた。パームハウスのパームはヤシの木。東山の温室の中央ドームもヤシ室と名付けられている。

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<大和文華館> 特別展「天之美禄 酒の美術」

2021年11月03日 | 美術

【酒器や宴を描いた絵画などの名品90点】

 奈良市学園南にある美術館大和文華館で特別展「天之美禄 酒の美術」が開催中(11/14まで)。「天の美禄」とは天からのありがたい授かり物を意味し、「酒」の異称になっている。同館のほか各地の美術館や博物館、神社などが収蔵する趣向を凝らした酒器や酒宴を描いた絵画など「酒」にまつわる内外の名品90点を一堂に集めている。

 

 特別展は「神・祖先に捧げる―神と人をつなぐ酒〔中国〕」「神に捧げる酒、仏と酒〔日本〕」など5章で構成する。ひときわ目を引くのが巨大な赤い太鼓の形をした「漆塗太鼓形酒筒」(堺市博物館蔵)。室町時代のもので、国の重要文化財に指定されている。大きさは高さ121cm、径73.4cm、幅64cm。一木を刳り抜いて造られ、板を張った鼓面には黒漆地に朱漆で剣巴文(つるぎともえもん)が描かれている。銘文によると、1473年(文明5年)に高野山の僧侶から天野社(現在の丹生都比売神社)の神宮寺に寄進され、お神酒を入れる容器として用いられた。

 中国・明時代の「五彩金襴手婦女形水注」(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)は女性が踊る姿をかたどった酒器。頭頂部に注水口があり、右手の袖の中に注ぎ口がある。女性のモデルは古代の四大美女の一人である西施との言い伝えがあるそうだ。産地は景徳鎮窯で、景徳鎮のものはほかに「青花花鳥文瓢形徳利」(根津美術館蔵)、「青白磁唐子蓮花唐草文瓶」(奈良・談山神社蔵)、「釉裏紅鳳凰文梅瓶」(MOA美術館蔵)など18点が出品されている。中国・北宋時代に龍泉窯で焼かれた「青磁多嘴壷(たしこ)」(大和文華館蔵)は胴部から5本の円筒形の管が上に伸びる独特な形。胴の下部に1080年に墓に供えられたとの銘文が線刻されている。重要美術品。

 江戸後期の文人画家、小田海僊(1785~1862)の「酔客図巻」(泉屋博古館蔵)は宴会の列席者の酔態を描いた作品。場面が進むにつれ、千鳥足もままならない男性の様子や横倒しの酒壷に潜り込んだりする姿がユーモラスに描かれている。桃山時代の「能面猩々」(奈良・天河大辯才天社蔵、重要文化財)、中国・商後期の銅製酒器で鳥のミミズクの形をした「戈卣(かゆう)」(泉屋博古館蔵)、仙人が住むという仙山をかたどった中国・前漢~後漢時代の「山岳鳥獣文温酒尊」(東京国立博物館蔵)、18世紀のオランダ製「色絵花卉文瓢形八角瓶」(個人蔵)なども展示中。古今東西の酒にまつわる品々をよくこれだけ集めたものだ。企画から借用交渉、展示に至る学芸員の奮闘ぶりが目に浮かぶようだった。

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<奈良大菊人形展> 「国のはじまりの地・奈良」テーマに

2021年11月02日 | 花の四季

【奈良公園バスターミナル屋上で11/7まで】

 良県は全国有数の菊の産地。中でも平群町は小菊、葛城市は1本の茎に2つの花を付ける二輪菊で全国トップクラスの生産量を誇る。それらの県産の菊の花で飾った「奈良大菊人形展」(10/30~11/7)が奈良公園バスターミナルの西棟屋上で始まった。2018年に「天平菊絵巻」として奈良公園をメーン会場としてスタートしたが、鹿による食害などもあって翌年から会場をこのバスターミナルに移した。奈良県は奈良国立博物館での正倉院展(今年は10/30~11/15)に合わせ開催することで、古都の秋を彩る風物詩として定着させたいようだ。

 今年の菊人形展のテーマは「国のはじまりの地・奈良」で、東大寺の大仏を建立した聖武天皇や、天皇を支え国の礎を築いた人々を色とりどりの菊の花で表現している。菊人形は聖武天皇のほか光明皇后、娘の考謙天皇、行基、橘諸兄、藤原仲麻呂、菩提僊那の合わせて7体。天皇のそばには菊で縁どりした「大仏造立の詔」や実寸大の「大仏さまの手」も。今年の正倉院展で25年ぶりに公開中の天皇遺愛の4弦の楽器「螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)」を表現したものも展示されている。

 関西で菊人形といえば、かつて奈良のあやめ池や大阪の枚方で開かれた菊人形が人気を集めた。それらに比べると、この菊人形展は冠に「大」と付くにしては人形の数が少なくやや寂しい感じも。それでも青空の下、屋外の開放的な雰囲気の中で見る菊人形もなかなかのものだ。その上、四囲を見渡すと若草山や春日山原始林、金色に輝く東大寺大仏殿の鴟尾(しび)、興福寺の五重塔など世界遺産の数々も一望できる。そんな贅沢な菊人形展は奈良のこの場所でしか絶対に味わえない。しかも入場は無料ときている。「“大”菊人形展にしてはやや寂しい」? どこの、どいつだ! そんなケチをつけるのは?

 

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