く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<シクラメン> 冬の鉢物の〝女王〟 世界中で愛好される多彩な花色

2012年12月30日 | 花の四季

【和名「カガリビバナ」、芳香を放つ品種も】

 サクラソウ科で、原産地は地中海東北部から中近東にかけての地域。シクラメンの名前は学名の「Cyclamen」から。ギリシャ語で渦巻きやサイクルを意味する「Cyklos(キクロス)」から来ているという。花が咲き終わり結実すると花茎がくるくると丸まることに由来する。16世紀終わりごろヨーロッパに渡り、その後、ドイツなどで野生種の1種「シクラメン・ペルシカム」から多くの栽培品種が生まれた。

 日本には100年ほど前の明治時代に入ってきた。今では花色も赤、白、ピンク、紫、黄色と多彩だが、もともとは赤花が中心。植物学者の牧野富太郎はその燃えるような花びらから「カガリビバナ(篝火花)」と名付けた。英名の「sow bread(雌豚のパン)」の和訳から「ブタノマンジュウ(豚の饅頭)」の異名もある。球根を野生の豚が好んで食べたことによるらしいが、この和名が使われることはあまりない。

 シクラメンを歌ったものとして有名なのが布施明の「シクラメンのかほり」(小椋桂作詞・作曲)。1975年のヒット曲だが、実際にいい香りを放つ〝芳香シクラメン〟が誕生したのはそれから21年後。それまでシクラメンにはほとんど香りがないか、あっても乾燥した木材のような匂いだった。開発したのは埼玉県の園芸研究所。バイオ技術を使って園芸種と芳香を持つ野生種を交配してオリジナル品種の育成に成功した。「バラとヒヤシンスを合わせたような香り」といい、2008年には3品種のうち「麗しの香り」と「孤高の香り」の2つが品種登録された。

 国内での年間出荷量は約2040万鉢(2011年度の農林水産統計)で、鉢物全体の8%を占める。出荷量が最も多いのは長野県で、次いで愛知、茨城、栃木と続く。買い求める際には花が葉の数にほぼ比例するため、葉の枚数の多いものを選ぶといいそうだ。自家用のほかクリスマスや正月の贈答用としての人気も高く、冬の花としてのイメージが強いが、俳句では春の季語になっている。「シクラメン風吹き過ぎる街の角」(飯田龍太)。

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<BOOK> 「誰も国境を知らない 揺れ動いた『日本のかたち』をたどる旅」

2012年12月29日 | BOOK

【西牟田靖著、朝日文庫新刊】

 中国、韓国との関係が冷え切ったまま年の瀬を迎えた。きっかけは尖閣諸島国有化に伴う中国船の度重なる領海侵犯であり、韓国大統領の竹島上陸である。北方領土についてもロシアによるインフラ整備が加速し、四島返還は遠のくばかり。著者は困難を乗り越えてこれらの島々を訪ね、国境問題に振り回される人々の姿を追った。〝本土〟で暮らす限り普段意識しない国境の存在。そこでの厳しいせめぎあいが伝わってきた。

   

 西牟田氏は1970年大阪府生まれのノンフィクション作家。主に旅や歴史をテーマに取り上げ、近年は朝鮮半島や旧満州(中国東北部)からの引揚者への聞き取り取材に取り組んでいるという。著書に「僕たちの『深夜特急』」「僕の見た『大日本帝国』」「ニッポンの国境」など。

 本書で取り上げたのは尖閣、竹島、北方領土のほか対馬、沖ノ鳥島、与那国島。このうち尖閣諸島と沖ノ鳥島は接近できても、まだ上陸できていない。尖閣の場合、勝手に上陸すると不法上陸で逮捕や起訴・書類送検されかねないからだ。そこで那覇でセスナをチャーターして魚釣島などの上空を旋回した。戦前の鰹節工場跡や日本青年社が建てた灯台、岩にペンキで描かれた日の丸などが見えた。「竹島や北方領土のように他国に奪われているという状態ではないというのに、自由には行けない。その事実が改めて身にしみて、何ともいえないもどかしさが残った」。

 竹島(韓国名「獨島」)には韓国・鬱陵島からの船による上陸ツアーに日本人であることを隠して参加した。韓国がそれまで禁止していた一般人の竹島上陸を解禁したのは、島根県が「竹島の日」を制定した2005年から。島の滞在時間はわずか30分だが、なかなかの人気ツアーという。竹島にはかつてニホンアシカが多く生息していたが、「見渡す限りどこにも見当たらなかった」。竹島へ出漁したことのある漁民が描いた地図によると、現在韓国の施設が林立している東島の頂上付近は日露戦争時の監視所があった場所という。

 北方領土は2部構成で、函館―サハリン―国後島の旅を「渡航を禁じられた島」として、国後島―色丹島―根室を「歴史が止まったままの島」の副題でまとめた。国後島南西部のオホーツク海に面した海岸で、日本から持参した携帯のアンテナマークは「感度良好を示す3つの縦棒が表示されていた」。砂浜には対岸の知床から流れ着いたのか、日本語の書かれたゴミがあちこちに打ち上げられていた。「ゴミや電波がいとも簡単に越えられる海峡を、人だけは面倒な手続きを経なければ越えられない」。

 北海道新聞が2000年に北方領土の島民を対象に行ったアンケートでは、色丹島と歯舞群島の引き渡しに賛成が46%、反対が26%だったという。「正直言うと、ここは日本の領土です。島を日本に返すべきです」。著者が色丹島を訪れた時も70代の男性が声を潜めてこう話してくれたという。だが2006年、プーチン政権は北方四島を含む千島列島の経済発展プログラムを発表した。「名実ともに自国の領土として整備しようという、相当の決意の表れであるように思える」。

 日本政府や千島歯舞諸島居住者連盟などはあくまで四島一括返還を目指す。その一方で二島先行返還や三島返還案も出ている。しかし著者は「択捉・国後では老朽化した滑走路の改装工事が始まり、色丹では新しい学校校舎が使用され始めるなど、現地をまわってみて実際のところ返還が遠のきつつある印象を受けた」。改めて尖閣や竹島も含め今日の領土問題は日本政府の長年の〝事なかれ主義〟が招いた結果のように思えてならなかった。

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<全国高校ラグビー開幕> 東福岡の4連覇なるか? 阻止するのは?

2012年12月28日 | スポーツ

【シード校30日初戦 Aの常翔、秋田工、Bの御所実、伏見工、桐蔭学園…】

 第92回全国高校ラグビー大会が27日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場で開幕した。最大の焦点は東福岡(福岡)の4連覇がなるかどうか。達成すると2001~04年の啓光学園に続いて史上3校目となる。Aシードは東福岡のほか常翔学園(大阪第1)と秋田工(秋田)。Bシードは桐蔭学園(神奈川)、国学院久我山(東京第1)、御所実(奈良)、伏見工(京都)、報徳学園(兵庫)など東西各5校。1月7日の決勝はどんな組み合わせになるのだろうか。

  

 東福岡は2009年の決勝で桐蔭学園を31―5、10年には桐蔭学園にノーサイド直前に追いつき31―31で両校優勝、そして前回は東海大仰星を36―24で破って3連覇。その間、国内公式戦で83試合無敗記録を続けていたが、今年2月、全九州新人大会福岡県予選でライバルの筑紫に苦杯をなめた。だが、その後はまた立て直し11月の県予選決勝で筑紫を破って花園への切符を手にした。高校日本代表候補8人を擁し、今大会でも優勝候補の最右翼だろう。

 その前に立ちはだかるのは前回4強で、今年の大阪府予選決勝で東海大仰星を破った常翔学園か。日本代表候補を7人抱え、総合力でも東福岡と遜色がない。過去15回の優勝経験を持つ古豪の秋田工は久しぶりのAシード。1987年以来の頂点を目指す。Bシードのうち御所実は日本代表候補3人を擁し、奈良県予選の決勝で天理との接戦を制して全国大会へ駒を進めた。大阪朝鮮高(大阪第2)は常翔啓光学園を破って4年連続の出場。

          

 

(左上から時計回りに尾道―岡谷工戦、長崎南山―札幌山の手戦、国学院栃木―土佐塾戦、荒尾―富山第一戦) 

 27日の1回戦では九州勢の健闘が光った。荒尾(熊本)、コザ(沖縄)、高鍋(宮崎)、長崎南山(長崎)の出場4校がいずれも初戦を突破。また国学院栃木(栃木)はバックスのスピードの切れが目を引いた。尾道(広島)は岡谷工(長野)を破ったものの後半押し込まれる場面が目立った。その両校は2回戦で激突、その勝者が3回戦で東福岡と当たる可能性が高い。1回戦の残り11試合がある28日は佐賀工―仙台育英戦が注目される。1996年に劇的な全国制覇を成し遂げた西陵(愛知)は3年ぶりの花園出場。倉吉総合産(鳥取)との初戦でどんな戦いぶりを見せるかも楽しみだ。

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<北九州市立美術館本館> 「あおい絵の展覧会」多彩な青の具象画・抽象画

2012年12月27日 | 美術

【赤、白に続く「COLORS」シリーズの第3弾】

 北九州市立美術館本館(戸畑区)で「青」に的を絞った「あおい絵の展覧会」が開かれている。2010年度にスタートした「COLORS」シリーズの第3弾。紺碧の空、群青の海原、青々とした草木……。一口に青といっても様々な青がある。青い色は見る気持ちを鎮める効果があり、憂鬱や寂しさも表す。そうした多彩な青の具象画・抽象画を一堂に集めた。会期は来年2月3日まで。

  

 東山魁夷の「凍池」(写真㊧)は緩やかな曲線で大きな画面を左右2つに分けた構図。雪の白さと枯れ枝、凍った池の水面の深い青から厳寒の空気感が伝わってくる。まさに〝静謐〟という表現が似合う風景画だ。1977年制作ということは70歳直前か。73年から約10年がかりで唐招提寺(奈良)の障壁画の制作に携わっており、その最中の作品ということになる。

 浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景 深川州崎十万坪」(写真㊨)はワシの目で俯瞰した大胆な構図で、空の濃紺と海の明るい青が印象的。その美しさは海外で「ヒロシゲブルー」と呼ばれる。野見山暁治の「病める女」は暗く沈んだ表情の女性をほとんど黒に近い青で描いた。前田常作の作品は「出現光」と「遍照陽光 青」の2点を展示。仏教的な宇宙感を深い青色を基調に神秘的に描く。

 

 印象派の巨匠、クロード・モネの「睡蓮、柳の反影」(写真㊧)は柳が水面に映る構図の作品を晩年に6点描いており、この館蔵の作品はそのうちの1つ。水面全体に柳が影を落とす中で青い睡蓮の葉が右下と左上に浮かぶ。「光の画家」ともいわれたモネだが、描きなぐったような荒々しいタッチの不思議な作品だ。睡蓮の連作は抽象表現主義やアンフォルメル(前衛的絵画運動)の先駆けになったという。

 英国のポップアート作家、デイヴィッド・ホックニーの「太い線と細い線、緑の淡彩、明るい青の淡彩、暗い青の淡彩でできた水のリトグラフ」(写真㊨)は、同じプールの情景を版の組み合わせを替えて7枚制作しているうちの1点。このほかモーリス・ユトリロの「取引所」「モンマルトルのノルヴァン通り」、坂本繁二郎の「海岸の牛」、小出楢重の「卓上蔬菜」、平田逸治の「青いエンヂニア」、アンリ・マティスの「ジャズ」、池田満寿夫の「マググリットの空と他の空」なども展示中。

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<枚岡神社・お笑い神事> 境内に20分間も響いた「アッハッハー」の大合唱!

2012年12月26日 | 祭り

【福笑いで1年の厄を払い、幸多い新年を願って】

 東大阪市の河内一之宮、枚岡神社で25日、注連縄掛(しめかけ)神事が執り行われた。新年を控え注連縄(しめなわ)を新しいものに張り替えて、その前で「アッハッハー」と高笑い。そのため「お笑い神事」の通称を持つ。この日も宮司の〝発声〟を合図に、数百人の参拝者が1年間の厄を払おうと20分間にわたって大笑い。普段森閑とした境内は地響きのような「アッハッハー」に包まれた。

 

 枚岡神社の祭神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)など4柱。このお笑い神事はその命が天岩戸の前で祭りを行い祝詞を奏上したところ、天照大神が隠れていた岩戸が開かれたという故事に基づく。注連縄は岩戸に二度と入れないように縄で塞いだことが始まりともいわれる。この神事は古くから行われ東大阪市の無形民俗文化財にも指定されているが、一般の参拝者も参加するようになったのは3年前から。

 

 この日は午前8時すぎから白装束の氏子ら十数人によって新しい注連縄づくりが始まり、9時半までに本殿に通じる参道の階段下に張り渡された。お笑い神事は10時に始まった。お祓いの後、宮司の「アッハッハー」の先導に続いて居並ぶ神職らが一斉に3回高笑い。ここまでは厳かに執り行われた。

 

 それからしばらく間を置いて参道広場を埋め尽くした参拝客も参加。中東弘宮司の「いま生かされてうれしいなあ、ありがたいなあということに思いを馳せながら腹の底から笑いましょう」という挨拶の後、「アッハッハー」の大合唱が始まった。5分おきに太鼓の音が響く。お守りの「笑福守」を打ち振りながら高笑いする参拝者たち。少し上の方からこの様子を眺めると、なかなか壮観かつ異様な雰囲気だった。20分を告げる太鼓が響くと、「バンザイ」とともに拍手が沸き起こった。

 

 この後、広場ではハーモニカの伴奏による日本唱歌の合唱や歌謡ショー、お笑いコンテストなどがにぎやかに繰り広げられた。特製の注連縄を買い求めたり、温かい「笑福甘酒」や「笑福汁」を味わったりする参拝客の姿も目立った。

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<ユリオプスデージー> 冬の日だまりを彩る鮮やかな黄花

2012年12月25日 | 花の四季

【南アフリカ原産、晩秋から春まで咲き続ける〝大きな目〟】

 地球上の植物全体の10%近い約2万4000種が、アフリカ大陸南端の南アフリカ原産といわれる。キク科ユリオプス属のユリオプスデージーもそのうちの一つで、日本には1970年代前半に米国経由で輸入されてきたという。花の少ない晩秋から翌年5月ごろまで咲き続けることで人気を集め、最近では鉢植えや庭植えのほか街路の植え込みなどでもよく見かけるようになった。

 ユリオプス(Euryopus)はギリシャ語で「大きな目」を意味する。大きく目立つ花を付けることに由来するようだ。ユリオプス属には1年草から宿根草、常緑低木など約100種あり、そのうち「ユリオプス・ペクティナトゥス」が和名でユリオプスデージーと呼ばれている。半耐寒性の常緑低木で、株が大きくなると茎が木質化してくる。

 ペクティナトゥスは「櫛の歯状」。葉は銀緑色でシロタエギクの葉に似て深い切り込みが入る。花は一重で径3~5cm。マーガレットにもツワブキにも黄花コスモスにも似る。園芸品種には八重咲きや葉に黄色の斑(ふ)が入ったものもある。繁殖力が強く、4~6月ごろ摘み取った新芽を使って挿し芽で増やす。

 ユリオプスデージーの花言葉は「明るい愛」「円満な関係」「無邪気」など。花期が長いことからタテハチョウ科のアサギマダラなどの蜜源にもなっているという。アサギマダラは日本本土と南西諸島、台湾の間を1年のうちに往復する〝渡りのチョウ〟として知られる。同じユリオプス属の「ユリオプス・ヴァージネウス」は黄色い小花で〝ゴールデンクラッカー〟の名前で出回っている。

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<北九州市立文学館> 森鴎外・杉田久女・林芙美子・火野葦平・松本清張……

2012年12月24日 | メモ

【ゆかりの文人の足跡を、自筆原稿・日記・書簡・映像などでたどる】

 明治以降の近代化の中で北九州は鉄と石炭の重工業都市として発展してきた。同時に独自の文化を育み多くの文人を輩出してきた。小倉城のそばにある「北九州市立文学館」6年前の2006年11月に開館した。北九州ゆかりの文学者の足跡に触れてみようと、帰省の折に初めて訪ねた。

  

 入って階段を上ると常設展示室が広がる。その導入部で作家や俳人などゆかりの22人を直筆原稿や俳句、書などを背景に写真パネルで紹介していた(写真㊧)。陸軍の軍医部長として約3年間小倉に滞在した森鴎外や女性俳人の先駆者・杉田久女をはじめ、林芙美子、岩下俊作、火野葦平、劉寒吉、松本清張、穴井太、橋本多佳子、横山白紅ら錚々たる顔ぶれが居並ぶ。

 森鴎外のコーナーには「森戸事件」(1920年)に関する所感を記した友人宛ての書簡が展示されていた。その中で無政府主義者クロポトキンについて「動物ハ互ニ助ケアフ性質ヲ有スと云フ説ヲ唱へ ダアヰン(ダーウィン)ノ生存競争ノ向フヲ張リ居ル相当ノ学者ダ……互助論ハ部分的ニ一顧スル價ガアル」と書いている。また別の書簡には小倉時代に再婚した18歳下の妻・志げについて「少々美術品ラシキ妻ヲ迎へ大ニ心配候……」と記していた。

 林芙美子については絶筆となった「めし」の自筆原稿や戦後使っていた名刺、ベストセラーの「放浪記」「続放浪記」、陸軍省報道部発行の旅行券などを展示。旅行の目的の欄には「大東亜戦争一周年記念日宣伝資料蒐集ノタメ」とし、マニラやジャカルタなどの宿泊証明が貼られている。火野葦平の中国従軍手帖は後の「兵隊三部作」の執筆資料になった。葦平は「糞尿譚」で芥川賞を戦地で受賞、その後、軍報道部に転属になっていた。

 松本清張は「在る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞したが、その葦平から「芥川賞に殺されないやうにして頂きたい」という手紙をもらった。「富島松五郎伝」(「無法松の一生」として映画化)の岩下俊作からも受賞を祝うこんな書簡が届いた。「これから随分作品活動に努力せねばならないだろうし、いろいろ気を使はねばならぬこともあるでせうが、切角開けた新しい道です。放騰(ママ)に力一杯書いて下さい」。劉寒吉からの受賞を祝う葉書も展示されていた。

 同館1階では特別企画展「働き、書いた―北九州の職場雑誌展」を開催中。同館の近くには「北九州市立松本清張記念館」(1998年開館)もある。

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<速報・高校駅伝女子> 立命館宇治、5年ぶり3回目の優勝!

2012年12月23日 | スポーツ

【豊川は連覇ならず2位。3~5位に興譲館、筑紫女学園、大阪薫英女】

 全国高校駅伝は23日京都市で開かれ、女子は地元の立命館宇治が5年ぶり3回目の優勝を飾った。昨年優勝の豊川は2位で、目標だった2連覇と男女のアベック優勝はならなかった。3位に岡山の興譲館、4位に筑紫女学園が入った。5位の大阪薫英女学院と7位の青森山田は初の入賞。6位は須磨学園、8位は神村学園で、関西勢と九州勢の活躍が目立った。その分、関東勢が振るわず入賞ゼロだった。

  

☆入賞チームとタイム ①立命館宇治1:07:22②豊川1:07:46③興譲館1:08:03④筑紫女学園1:08:14⑤大阪薫英女学院1:08:15⑥須磨学園1:08:18⑦青森山田1:08:21⑧神村学園1:08:23

☆区間賞とタイム 1区(6km)由水沙季(筑紫女学園2年)19:39▽2区(4.0975km)松田瑞生(大阪薫英女2年)13:00▽3区(3km)鷲見梓沙(豊川1年)9:21=区間新▽4区(3km)小林美香(須磨学園3年)9:12▽5区(5km)ローズメリー・ワンジル(青森山田2年)15:30

 立命館宇治は2区の2年生以外を経験が豊富な3年生で固めた。近畿大会を制したタイム1:08:17は全国の都道府県予選・地区大会でのベスト。区間賞こそ1人もいなかったものの、1区から区間7位、5位、3位、3位、2位と5人とも安定した力を発揮した。中でも3年になって初めて都大路を走った4区広田麻衣が好走、首位と4秒差でアンカーにたすきをつないだことが逆転劇につながった。

 豊川は3区で鷲見が6位から一気に1位に押し上げ、4区でも仙台育英からの転校生の関根花観(2年)が踏ん張ってトップを堅持。アンカー堀優花(1年)も中間点まで持ちこたえたが、相手の立命館宇治がエース格の青木奈波(3年)では荷が重すぎた。ただ1~2年生主体チームで、しかも外国人抜きのメンバー構成にもかかわらず1時間7分台の好タイムで2位に食い込んだことは目を見張る。来年も優勝候補としてからんでくるのは間違いない。

 興譲館は2005年の全国優勝以降、11年まで2位、3位、2位、3位、優勝、2位と常に3番以内に顔を出していたが、今年もアンカーの足立知世(2年)が好走、5位から3位に押し上げ〝伝統〟を守った。昨年10位だった筑紫女学園は1区で由水沙季がスプリント勝負を制して区間賞を獲得。4区終了時点で7位まで落ちていたが、アンカーの園田聖子(3年)が区間4位で3人抜きの力走を見せた。昨年15位と入賞を失した神村学園も8位と入賞を果たした。青森山田は高校総体女子3000mで高校国際新記録の8:51:97をたたき出したケニア出身のワンジルが最終区で2人を抜いて初入賞の7位となった。

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<戸畑チャンポン> 細い蒸し麺・豚骨スープ 早い!旨い!安い!

2012年12月22日 | メモ

70年の歴史、長崎とは一味違う庶民の味】

 

「戸畑チャンポン」をご存知だろうか。チャンポンといえば長崎が有名だが、北九州市戸畑区の戸畑チャンポンも庶民の味として親しまれている。チャンポンは太いゆで麺が一般的だが、戸畑はこしのある細い蒸し麺。麺を湯通しするだけなので注文してから出来上がるまでが早い。炒めた野菜や豚肉など具材が麺を覆い、コクのある豚骨スープとの相性もいい。地元の区役所も〝戸畑チャンポンマップ〟を作製するなど、食による地域起こしを支援している。

 

この細麺は戸畑がかつて遠洋漁業の基地だった70年ほど前に、長期保存が可能な麺として開発された。茹で上がりが早くボリューム感たっぷりなため、忙しい製鉄マンたちにも好評だったという。チャンポンマップにはJR戸畑駅や中本町商店街などを中心に、戸畑チャンポンを提供している9店を紹介している。区役所で地図をもらって、2日間でそのうちの4店を食べ歩いた。

 

  

 

人気店の一つ「貫太郎」(上の写真㊧)はこってりしたスープが味わい深く、揚げたイカのゲソが添えられているのも特徴。価格は630円で、替え玉は100円。ゴボ天入り(700円)、チャーシュー入り(750円)、ゲソ多め(750円)などチャンポンの種類も多い。戸畑駅と若戸渡船乗り場の中間にある「八福」(同㊨)も昼時にはお客が入れ替わり立ち替わりする繁盛店だ。キャベツや豚肉などがあふれんばかりのボリュームで、なんと400円という大衆価格。これで十分満腹感を得られるが、さらに100円増しの大盛りもある。この店ではラーメンの人気も高い。普通のラーメンが350円、チャーシュー麺が450円。

 

  

 

中本町商店街の中にある「清龍」(上の写真㊧)は10時間以上煮込むというスープのコクが売り物。価格は650円。戸畑区役所の3階にある食堂「ふれ愛」(同㊨)でも、戸畑チャンポンを「ふれ愛チャンポン」の名前で提供している。450円。ここのスープは家庭的なあっさり味で、茹で卵が真ん中に〝鎮座〟していた。チャンポンマップにはこの他に「王林」「共栄軒」「福龍」「宝雲亭えっちゃん」「ラーメンハウス庄屋」が載っている。

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<石川武志写真展> 「水俣ノート1971~2012」 大阪・ニコンプラザで開幕

2012年12月21日 | メモ

【石川さん「今も続く水俣病の姿を伝えることは私の責務」】

 

 公害病の原点といわれる熊本水俣病。その「ミナマタ」の惨禍を世界に発信したのが米国の写真家ユージン・スミス(191878年)だ。石川武志さん(1950年生まれ)は197174年、そのスミスのアシスタントを務め自らも写真を撮った。そしてスミス没後30周年を機に2008年から水俣病の「その後」を再び撮り始めた。大阪・梅田のニコンプラザ大阪(ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階)で20日始まった「石川武志写真展 水俣ノート19712012」(28日まで)は、その間約40年間の患者と家族1人ひとりの苦難の歳月を改めて想起させる。

 

   

 

 この写真展は10月に写真集「MINAMATA NOTE19712012 私とユージン・スミスと水俣」(千倉書房)が刊行されたことに伴うもので、東京に続いての開催。再び訪れた水俣の風景は変わり、スミスの写真集に登場する患者の多くは亡くなっていた。石川さんがカメラに収めた胎児性水俣病の少年少女たちもとうに50歳を超えていた。だが「水俣病は現存していた。今も続く水俣病の姿を伝えることは多少なりとも水俣病に関わってきた私の責任でもある」。

 

 展示写真はモノクロ40点余。以前撮った人をできるだけ同じ場所で撮影させてもらい、両方の写真を並べて展示した。そのうちの1人、坂本しのぶさんを最初に撮ったのは1972年。16歳だったこの年、しのぶさんはスウェーデンでの国連環境会議で水俣病の実情を世界に伝えた。昨年の千葉・幕張での世界水銀条約会議にも参加し「水俣病はまだ終わっていない」というメッセージを発信し続けている。2009年撮影の写真はしのぶさんの穏やかな笑顔が印象的だ。重いテーマにもかかわらず、このほかにも満面笑顔の人たちの写真が並んで温かい雰囲気が漂っていた。

 

「水俣の三人娘」というタイトルが付いた写真があった。幼い頃からの大の仲良しで、展示写真は1972年のピクニックと今年4月の花見で撮ったもの。このうち1人は車椅子が手放せず、他の2人も足取りが少し覚束ない。40年の時の経過を感じさせるが、これからも3人そろってずっと仲良く過ごしてほしいと願うばかりだ。展示写真の中には廃液を垂れ流すチッソの工場を撮影しようと、真剣な眼差しでファインダーを覗き込むスミスの姿を撮ったものもあった。

 

 大きな瞳の少女の写真3枚も印象的だった。撮影したのは1972年。「この子だけは自分自身で撮りたいと、スミスの仕事の休みを利用してご自宅を訪ねた」。上の写真は自宅前の海の見える場所で母親に抱かれて上機嫌な少女。「小春日和の中で少女は天使そのものに見えた」。水俣再訪を機に少女のその後を撮りたいと思った。だが残念ながら願いはかなわなかった。床に臥したご本人から最後まで了解を頂けなかったという。

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<唐古・鍵遺跡> 今夏で第113次の調査完了 まだ遺跡全体の1割未満!

2012年12月19日 | 考古・歴史

【弥生時代を代表する環濠集落、木製農機具や絵画土器など大量出土】

 登呂遺跡(静岡市)や吉野ケ里遺跡(佐賀県)とともに弥生時代を代表する集落、唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)。その発掘品を展示する「唐古・鍵考古学ミュージアム」を初めて訪ねた。8年前の2004年秋に開館し「展示品にレプリカはほとんどなく、真正の出土品が95%を占める」。遺跡の面積は約30万㎡。1936~37年に京都大学と奈良県橿原考古学研究所が共同で第1次調査を実施、以来この夏までに113次にわたる発掘調査が行われたが、まだ遺跡全体の1割にも満たないという。

  

 遺跡が成立したのは弥生前期で3つのムラがあったが、中期に入って大環濠の掘削で統合され、幾重もの環濠帯の中でムラは古墳時代初期まで約600年間続いた。出土した様々な木製農機具など(上の写真)からも弥生時代が農耕社会だったことが裏付けられた。環濠の機能は灌漑用水の確保や洪水対策、集落の防御のほか、ムラの結束や共同意識を高める目的で掘ったという見方もあるそうだ。

  

 これまでの調査で建物や人物(シャーマン?)、鹿などが描かれた〝絵画土器〟が多く見つかっている。周辺の清水風、八尾九原の両遺跡を含めると、全国で出土した絵画土器の半数以上を占めるという。それらの土器片の中に2層の屋根や渦巻状の棟飾りなどが描かれたものがあった。それらを基に唐古池南西隅に遺跡のランドマークとして復元した高さ12.5mの楼閣(上の写真)が建てられている。

 遺跡南側からは当時の先端技術である青銅器の銅鐸や武器の銅鏃(どうぞく)などを鋳造した鋳型も見つかった。青銅器の工房があったとみられる。木製の盾や磨製石剣なども出土しており戦いがあったと推測される。遺跡の最も南側からは中空の褐鉄鉱(写真㊨)の中から2個のヒスイ製勾玉(まがたま、写真㊧)が出てきた。

    

 土器は紀伊や和泉、摂津、伊勢、伊賀、三河、信濃など各地のものが見つかっている。かなり広域的に交流が行われていたようだ。このほか幼児用の土器棺墓や成人用の木棺墓、巨木をくり抜いた井戸枠、機織りの道具、骨製の縫い針、大型の臼(うす)なども出土しており、弥生時代の暮らしの一端がうかがわれる。次回の発掘調査時期や地域は未定だが、2000年の時を経て新たに画期的な遺物が出てくるかもしれないとの期待を抱かせる貴重な遺跡だ。

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<サザンカ(山茶花)> 日本原産 野生種は一重の白花 北限は山口県

2012年12月18日 | 花の四季

【学名「カメリア・ササンクァ」、園芸品種は300種とも】

 ツバキ科ツバキ属。ツバキと同様、日本原産で「camellia sasanqua(カメリア・ササンクァ)」の学名を持つ。ちなみにツバキの学名は「camellia japonica(カメリア・ジャポニカ)」。野生種は白い一重の5弁花で、自生地は山口と九州、四国、沖縄。かつて佐賀県吉野ケ里町の千石山が自生北限地とされてきたが、今では山口県萩市の指月山が北限とされ、いずれも国の天然記念物に指定されている。

 江戸時代に入って交配で園芸品が多く栽培されるようになり、1739年出版の「本草花蒔絵」には約100種が掲載されているそうだ。その後、ヨーロッパでも多くの品種が生み出され、現在では約300種に上る。ハルサザンカはサザンカとヤブツバキを掛け合わせたもの。ツバキが花弁の下部が合着し、花全体がポトリと落下するのに対し、サザンカは1枚ずつ散っていく。「山茶花の花や葉の上に散り映えり」(高浜虚子)。

 大きいものは高さが10~15mにもなり、全国各地の寺院などに樹齢数百年の古木が多く残る。群馬県安中市の「中木のサザンカ」や大分県日出町の「日出の大サザンカ」、福井県おおい町の「堀口家のサザンカ」は県指定の天然記念物。長崎県天草市の国道266号は別名「サザンカロード」と呼ばれ、約7kmにわたって色とりどりの花が咲く。諫早市には「山茶花高原」があり、福岡県久留米市の長岩山は「山茶花山」とも呼ばれる。「市の木・花」などに制定している市町村も多い。福島県相馬市、埼玉県川口市、千葉県銚子市、東京都清瀬市、横浜市、神戸市、宝塚市、奈良県大和高田市、鳥取市、福岡市、大分市、日田市……。

 サザンカを題材に取った歌で有名なのが大川栄策のヒット曲「さざんかの宿」(作詞吉岡浩、作曲市川昭介)。ちょうど30年前の1982年発売で、翌83年の日本レコード大賞に選ばれNHK紅白歌合戦にも初出演した。「さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたぎ……」は1941年発表の童謡「たきび」(作詞巽聖歌、作曲渡辺茂)の歌詞の2番目。2007年、親子で歌い継いでほしい「日本の歌百選」に選ばれた。「山茶花の垣一重なり法華寺」(夏目漱石)。

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<大和文華館> 「桃山、江戸前期の美術―都市文化の華やぎ」

2012年12月17日 | 美術

【俵屋宗達、尾形光琳・乾山、本阿弥光悦、輸出漆器…】

 奈良市の大和文華館で特別企画展「桃山、江戸前期の美術―都市文化の華やぎ」(24日まで)が開かれている。長い戦乱が終わった桃山~江戸時代前期には公家や町衆の文化に武家の嗜好が融合し、華やかな絵画や工芸装飾品が生み出された。同展では俵屋宗達や尾形光琳に代表される琳派などの作品や欧州向けの螺鈿や蒔絵が豪華な「輸出漆器」などを展示している。

   

 重要文化財の「扇面貼交手筥(せんめんはりまぜてばこ)」(写真㊤)は尾形光琳筆。扇の骨の跡や折り畳んだ跡が残っており、団扇として鑑賞された後に木製の箱に張られたとみられる。全面金箔地で、蓋に紅白の菊、側面などに雲龍、白梅、富士、西行物語図など多彩な画題が色鮮やかに描かれている。

 「新古今集和歌色紙」(写真㊧)は慶長11年(1606年)11月11日、本阿弥光悦筆。琳派の祖といわれる俵屋宗達がキキョウと下草を描いた料紙に、光悦が新古今和歌集から宜秋門院丹後が詠んだ和歌を書写した。「わすれし濃(な)難波の秋の夜半の空 ことうらにすむつきはみるとも」。光悦はもともと刀剣の鑑定や研磨を家業としており、出品作の中には刀匠の名前や出身地を記した伝光悦筆の「刀匠名書」もあった。

  

 俵屋宗達は生没年不明だが、光悦と親類関係にあったといわれる。宗達筆と伝えられる「伊勢物語図色紙」は近年発見の12面も含め、これまでに59面が確認されているが、そのうち館蔵と特別出陳の計8点(写真㊨は「六段・芥川」)が展示されている。いずれも金銀泥に鮮やかな顔料を使って描いた豪華な作品である。

 尾形乾山筆の「武蔵野隅田川図乱箱」と伝光悦作の「沃懸地(いかけじ)青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒」は重要文化財。乾山は光琳の実弟で、晩年、京都の乾山焼の窯を養子に譲って江戸に下った。この乱箱(蓋のない浅い箱)は没年1743年の作品で、見込みに墨で龍や波、金泥の小さな鳥、側面に色とりどりのススキを描いている。枯淡の境地をそのまま表しているかのようだ。

 渡辺始興筆の「四季花鳥図押絵貼屏風」(6曲1双)はツルやカメ、ウメ、白菊、若竹、オシドリ、アヒルなどを描いたものだが、白黒の水墨の背景の中に彩色した細密な草花や鳥などが浮かび上がる。桃山時代にはポルトガルなどの神父や商人からの注文で、半円筒形の蓋が付いた洋櫃(ようびつ)などが京都近辺で多く制作され「南蛮漆器」「輸出漆器」などと呼ばれた。出展されている「青貝蒔絵草花文洋櫃」や「螺鈿蒔絵鳥獣草花文書箪笥」の豪華さは目を見張るばかりで、当時の漆工技術の水準の高さを示す。

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<全日本実業団女子駅伝> ユニバーサル完勝、1区からトップ譲らず独走

2012年12月16日 | スポーツ

【2位デンソー、3位第一生命、4位ワコール、5位豊田自動織機】

 16日行われた第32回全日本実業団対抗女子駅伝(愛称「クイーンズ駅伝in宮城」)は、東日本大会を圧倒的な力で制し優勝候補の筆頭に上げられていたユニバーサルエンターテインメントが予想通りの強さを発揮し初優勝を飾った。1区から1度もトップを譲らない完全優勝だった。2位争いは競技場までもつれ込む接戦で、2位にデンソーが入り、3位第一生命、4位ワコールと続いた。昨年優勝の第一生命の連覇はならなかった。

 ユニバーサルは1区で青山瑠衣がスターツの土井友里永との激しいトップ争いを制し区間賞の快走を見せると、2区中村萌乃も区間賞を獲得して3区のエース新谷仁美につないだ。3区は最長区間(10.9km)で各チームともエース級を投入。新谷はワコールの福士加代子に区間賞を譲ったものの区間2位と期待通りの走りを見せた。この時点で2位との差は35秒だったが、外国人選手も走る最短4区で、フェリスタ・ワンジュグが区間賞で2位以下に1分30秒を超える大差をつけた。さらに体調不安が伝えられた5区の那須川瑞穂も区間3位と好走し、アンカー永尾薫が余裕を持って逃げ切った。

 デンソーは昨年3区で区間賞を獲得したエース杉原加代を1区に起用したが、左足痛で万全な練習ができなかったのか、区間14位と出遅れた。しかし2区小泉直子が区間2位と好走して順位を大きく上げ、さらに最終6区で石橋麻衣が区間賞の快走で5位から一気に2位へ。第一生命は連覇ならなかったものの、1区田中智美と2区横沢永奈がともに区間3位と健闘、アンカー垣見優佳も区間2位の走りで3位に押し上げた。

 最長3区の主役は今年もワコールの福士加代子だった。9人抜きの劇走で順位を一気に2位まで引き上げた。3区では福士、ユニバーサルの新谷に続いて、積水化学の清水裕子が区間3位、豊田自動織機の小林祐梨子が4位、パナソニックの吉川美香が5位と、各チームのエースが上位を占めた。ワコールは5区の高藤千紘も区間4位と健闘した。3区に次ぐ長距離区間の5区(10km)で区間賞を獲得したのは天満屋の重友梨佐だった。

 5~8位には豊田自動織機、天満屋、大塚製薬、しまむらが入った。昨年2位のパナソニックは9位、最多優勝回数を誇る三井住友海上は11位、双子の宮内洋子・宏子姉妹を擁する京セラは12位だった。ダイハツは木崎良子が5区で区間2位の好走を見せたが、6区中里麗美の不振が響き19位に沈んだ。野口みずきを擁するシスメックスは25位だった。

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<来年は鑑真和上1250年御遠忌> 「戒律は現代のすさんだ世相を正す原動力」

2012年12月15日 | 考古・歴史

【帝塚山大学の公開講座で石田太一・唐招提寺執事】

 奈良時代、度重なる海難を乗り越えて中国から渡来し、日本の仏教界に新風を吹き込んだ鑑真和上。来年は没後1250年の節目を迎える。鑑真は東大寺に戒壇を設け授戒するとともに、律宗の開祖として唐招提寺を創建した。奈良市の帝塚山大学で15日開かれた市民公開講座「鑑真大和上1250年御遠忌に向けて」の中で、講師の石田太一・唐招提寺執事(写真)は「戒律は現在のすさんだ世相を正す原動力となる。鑑真和上が伝えた法は1250年経ってなお、私たちにそれを教えてくれている」と説いた。

 

 戒律の「戒」は自分で誓う自律的なものでいわば道徳。「律」は遵守すべき法律で他律的なもの。授戒(受戒)は戒律を守ると誓う儀式で、「誓いを立てることで戒めを守ろうとする勇気が備わる。たとえ戒を破ろうとも自責の念を生むことになり、明日への努力につながる」と石田執事。鑑真は平城京に到着した754年に東大寺で聖武上皇や孝謙天皇らに授戒した。(写真㊨は唐招提寺の戒壇上での授戒会の様子)

 在家仏教信者が守るべきものとして「五戒」を挙げる。不殺生戒(生き物をことさらに殺さない)、不偸盗(ふちゅうとう)戒(あらゆるものを盗まない)、不邪淫戒(不適切な関係を持たない)、不妄語戒(嘘をつかない)、不飲酒(ふおんじゅ)戒(酒を飲みすぎない)。「口で唱えることに意味がある」として、講義中にこの五戒を数回唱和させられた。

 律宗では「七衆」といって7種類の集団に分類される。一人前の僧は比丘(びく)、尼僧は比丘尼(びくに)、見習いの沙弥(しゃみ)と沙弥尼(しゃみに)、沙弥尼から比丘尼になるまでの猶予期間中(約2年)の式叉摩那(しきしゃまな)、在家男性の優婆塞(うばそく)、在家女性の優婆夷(うばい)。1人前の比丘には日常生活全般にわたって250に上る戒律が定められており、破ると罰則がある。最も重いのは悟ってもいないのに「悟りを得た」といって妄語戒を破る場合で、教団追放処分になるそうだ。

 唐招提寺では来年の御遠忌に向けて、国宝の鑑真和上坐像(脱活乾漆造り)を模した「平成の御影像」の制作を、仏師集団の財団法人美術院に依頼中。来年6月5日には開眼法要の予定で、年に数日しか拝観できない国宝像に代わって常時公開されることになるという。

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