く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<リュウゼツラン(竜舌蘭)> 開花は数十年に一度、その後枯れ死!

2016年07月30日 | 花の四季

【メキシコ原産、「万年蘭」「センチュリープラント」の別名も】

 キジカクシ科リュウゼツラン属(アガベ属)の常緑多年生多肉植物。メキシコなどの熱帯アメリカに自生する。葉は肉厚の剣形で、縁には棘状の鋸歯が生え、まるでアロエのお化け。日本名はその巨大な葉を竜の舌にたとえた。開花が数十年に一度と珍しいことから、開花時には新聞などで取り上げられることも多い。別名「マンネンラン(万年蘭)」。英名では「センチュリープラント(百年植物)」とも呼ばれる。

 国内でよく見られるリュウゼツランは「アオノリュウゼツラン」。「アオ」は「青」で、葉全体が灰緑色による。これとは別に、葉に黄白色の斑(ふ)が入るものがある。日本にはまずこの斑入りが江戸時代後半に渡来し「リュウゼツラン」と命名された。その後、明治時代の初めに緑葉が渡来し、区別するため頭に「アオノ」が付けられた。

 植物は一般的に緑葉が基本種(原種)とされ、斑入りは園芸種で暑さ寒さに弱いものが多い。リュウゼツランの場合もアオノリュウゼツランが基本種で、これが先に渡来していれば単に「リュウゼツラン」と命名され、もう一方は「斑入りリュウゼツラン」といった名前になっていたかもしれない。アオノリュウゼツランの渡来は葉からロープなどに使う繊維の原料をとるのが目的だったという。メキシコではリュウゼツラン属の植物の根や葉がテキーラなど蒸留酒の原料になっている。

 リュウゼツランの開花は原産地では10~20年程度で開花するが、日本など温帯地域では開花までに30~40年を要するといわれる。花茎は7~9mにも達し、多数の黄色い花を付ける。蝙蝠(へんぷく)媒花で、原産地ではオオコウモリによって受粉するとのこと。写真は「仙巌園」(鹿児島市)で7月25日に撮ったアオノリュウゼツランの花。同園によると、花茎が伸び始めたのは6月初めごろで、7月中旬に開花した。園内には他にも多くの株があり、数年に1度開花が見られるという。開花し結実した株はその後、枯れてしまうが、必ず根元に小さな子株が生まれているそうだ。

    ☆☆☆    ☆☆☆    ☆☆☆    ☆☆☆

【仙巌園】 島津家19代藩主の光久が1658年(万治元年)に築造した別邸の庭園。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景観で、四季折々の花も来園者の目を楽しませてくれる。国の名勝庭園・史跡。幕末、そばに東洋最大の工場群「集成館」を造り上げた28代藩主斉彬もこの庭園をこよなく愛し、篤姫や勝海舟、グラバー、ロシア皇帝ニコライ2世など歴史上の著名人も多く訪れたという。

 

 

コメント

<ミラクルフルーツ> まさに〝ミラクル〟 酸っぱいレモンが甘い味に!

2016年07月28日 | アンビリバボー

【宮崎県日南市「道の駅なんごう」で販売、原産地は西アフリカ】

 日南海岸国定公園の日向灘を望む国道448号沿いの「道の駅なんごう」(宮崎県日南市南郷町)。ここで実に不思議な果物が売られているという。その名は「ミラクルフルーツ」。店内に入ると、直径6cmほどのプラスチック容器の中に数粒ずつ〝鎮座〟していた。1粒は長さ2~3cmほどの楕円形で、見た目はドングリ(コナラ)を真っ赤にしたような感じ。容器の裏には「税込み250円」とあった。

    

 商品棚の下には「奇跡のくだもの 甘~い味に変身させます」という説明書き。それによると、ミラクルフルーツには「ミラクリン」と呼ばれる糖たんぱく質が含まれ、その成分の働きでレモンのような酸っぱい果実が甘い味に変わるという。その不思議体験の方法も箇条書きになっていた。宮崎特産の完熟マンゴなどに比べると存在感は足元にも及ばない。だが、ミラクルフルーツは名前の通り、他の果物にない神秘なパワーを秘めているようだ。「土産話の種に1つ買ってみようか」

 

 「道の駅」に案内してくれたドライバーがミラクルフルーツの〝ミラクルぶり〟を確かめてもらおうと、途中で食品スーパーに立ち寄ってレモンを買ってきた。まず輪切りしたレモンの身を少し食べる。酸っぱいのはいつもの通り。その後ミラクルフルーツを1粒口に入れ、皮を破り舌の上で2分間ほど転がす。そして種を出し、再びレモンを口にすると――。あら、不思議! レモンの身はもちろん皮まで甘く丸ごと食べることができた。

 味覚の持続効果には個人差があり、30分から2時間ほど続くという。説明書きには「レモン以外にイチゴ、トマト、ヨーグルトでも使えます」とあった。ミラクルフルーツの原産地は西アフリカ。アカテツ科の熱帯性常緑低木で、国内でも南郷町などで栽培されている。ただ成長が遅いうえ結実もなかなか容易ではないそうだ。ミラクリンはノンカロリーの甘味として注目を集めており、いずれダイエット食品などに活用される日が来るかもしれない。

コメント

<イタチササゲ(鼬大角豆、鼬豇豆)> 花色が次第にイタチの毛のように

2016年07月21日 | 花の四季

【ササゲに似た豆果、「豌豆草」「山豌豆」などの別名も】

 マメ科レンリソウ属の多年草。日本のほか朝鮮半島、中国大陸にも分布する。日当たりのいい草原や河原、林縁などに生え、7~8月ごろ、葉の脇から花軸を伸ばし、総状花序に蝶形の花を下向きに多数付ける。花弁は長さが1.5cmほどで、先端は上向きに反り返る。

 開花後、初めのクリーム色が次第に茶褐色に変化していく。その色をイタチの毛の色に見立てた。イタチと命名された植物にはほかにイタチガヤ、イタチシダ、イタチハギなどがあるが、いずれも花色や形をイタチになぞらえた。イタチササゲの「ササゲ」は扁平で細長い豆果(長さ6~8cm)が食用のササゲに似ているところから。

 葉は偶数羽状複葉と呼ばれ2~4対の小葉からなる。レンリソウ、ハマエンドウなど他のレンリソウ属の植物と同じく、葉軸の先端から巻きひげを伸ばし周りのものに絡み付く。別名の「エンドウソウ(豌豆草)」は若いときの草姿がエンドウによく似ていることによる。「ヤマ(山)エンドウ」や「エンドウササゲ」といった異称もある。

 江戸時代の植物学者小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1806年)にも「茳芒 イタチササゲ ヱンドウサウ」と紹介されている。「茳芒(こうぼう)」は漢名。また江戸中期の百科事典『和漢三才図会』(1712年)でも取り上げられており、かなり古くから知られた植物だったことが分かる。中国では種子を薬用に用いるという。若芽・若葉は山菜として、おひたしや和え物、炒め物、てんぷらなどに。ちなみに全国各地の山地の林縁などに生えるマメ科の「ノ(野)ササゲ」は「キツネ(狐)ササゲ」とも呼ばれている。

コメント

<BOOK> 「大和のたからもの」

2016年07月20日 | BOOK

【岡本彰夫著、写真・桂修平、淡交社発行】

 著者岡本氏は1954年奈良県生まれ。国学院大学文学部神道科を卒業後、春日大社に奉職し2001年から権宮司。15年退職し、現在は奈良県立大学客員教授。日本文化、とりわけ奈良の伝統文化への造詣が深く、著書に『大和古物散策』『大和古物拾遺』『神様にほめられる生き方』などがある。

       

 「大和のいのり」「大和のいとなみ」「大和のたくみ」の3章構成で、長い伝統の中で生まれた神具や彫像、書や絵画、焼き物などの美術・工芸品を、制作者の匠の技とともに紹介する。岡本氏が本書を執筆した背景には「(大和は)古代の文化遺産に恵まれ過ぎて近世・近代をかえって軽んじてしまう」(あとがき)風潮への危惧がある。「大和の近世・近代の匠や物の研究はまだまだ不充分」と指摘する。

 本書には奈良にゆかりのある各分野の著名人が登場する。俳人の會津八一、文人画家の柳里恭、赤膚焼の奥田木白、彫刻師の森川杜園、陶芸家の富本憲吉……。その一方で、日の当たらない人や忘れ去られた人たちにも焦点を当てた。

 画家・堀川其流(きりゅう)は一畳ほどの画面いっぱいに無数の鹿を配置した「千疋鹿(せんびきじか)」を描いた。その大胆な構図と一匹一匹異なる容態につい見入ってしまう。師匠は「鹿を描けば右に出るものなし」といわれた内藤其淵(きえん)。その内藤の絵の師匠だったといわれるのが菊谷葛陂(かっぴ)。『大和人物志』(1909年)の紹介は「圓山應擧に就きて畫を學び、花鳥を善くせりといふ」と短いが、岡本氏は菊谷について「実はとんでもなお四条派の画家」とし「今後研究すべき奈良の画描きの一人」と強調する。

 岡橋三山は極小の〝細刻職人〟。自作の茶杓に、ルーペで見ても読みづらいほどの文字で般若心経などを刻んだ。しかもなんとか彫ったというのではなく達筆というから驚く。かの有名な彫刻家、市川銕琅(てつろう)をして「あの技は誰にもマネ出来ん」と唸らせたそうだ。安井出雲はかつて「三国一の土人形師」と称されたが、今では忘れ去られた存在。富士山が好きだったらしく、富士をかたどった置物・香炉などを残した。陶芸家の黒田壷中(こちゅう)は沖縄で父と「琉球古典焼」を始め、故郷の大和に戻ってからは人形などの作陶に励んだ。清貧に甘んじ余技として土産物の埴輪や土鈴を作って糊口を凌いだという。

 画家や文人、陶芸家らの中で1人異色の人物が取り上げられている。「孝女もよ」。生まれてすぐ農家の養女になり9歳から病身の養母の看病に当たった。薬代を賄うため農作業や看病の合い間には、奈良晒用の麻糸紡ぎにも精を出した。村役人たちが孝行ぶりを領主に知らせたことから、11歳のときに藩侯からごほうびを授かる……。江戸中・後期の心学者、鎌田一窓はその行いを後世に伝えようと『和州和田邑孝女茂代傳』(1781年)を上梓した。その1ページ目の写真と、もよが書いた「唯」一字の墨書が添えられている。岡本氏は「こんな世の中でこそ、再び孝子や孝女に思いを馳せたい」と思いを記す。

コメント

<メハジキ(目弾き)> 子どもが茎をまぶたに挟んで弾き飛ばす遊びから

2016年07月16日 | 花の四季

【生薬名「益母草」、古くから産前産後などの婦人薬に】

 本州以南の野原や道端などに生えるシソ科の越年草。朝鮮半島や中国、東南アジアなどにも広く分布する。茎はシソ科特有の四角形で直立し、高さは1~2mになる。メハジキは根生葉と茎葉の形が全く異なるのが大きな特徴。根生葉は切れ込みが深く手を広げたような掌状葉で、花期には枯れる。茎葉は中ほどでは細く3深裂するが、上部では切れ込みが少なく細長い披針形や直線状になる。花期は7~9月。茎の上部に淡紅色の唇形花を段状に数個ずつ輪生する。

 「メハジキ」とは随分変わった名前だが、これは子どもたちの「目弾き遊び」に由来するといわれる。茎を短く切ってまぶたに挟み、まばたきした勢いで遠くまで飛ばす。「まばたき」「めっぱり」「めつっぱい」などと呼ぶ地方もある。メハジキは生薬名から「益母草(やくもそう)」とも呼ばれる。文字通り「母の益になる薬草」を意味し、全草を乾燥したものを煎じて服用すると、産後の止血や月経不順、めまいなどの改善に効果があるという。中国の『本草綱目』(1590年)の記述「久しく服すれば子をもうけしめる」から〝子宝の薬〟としても珍重されたそうだ。また種子は「茺尉子(じゅういし)」と呼ばれ、利尿や解熱作用があるという。

 万葉歌に登場する「土針(つちはり)」はメハジキが有力視されている。その歌は「わが屋前(やど)に生(お)ふる土針心ゆも 思わぬ人の衣(きぬ)に摺(す)らゆな」(巻7-1338、作者未詳)。ただ牧野富太郎博士は『植物記』の中で「万葉歌のツチハリ」について論じているが、メハジキに関する記述はない。牧野博士は当時通説だったツクバネソウ説やレンゲソウ説に疑問を呈しながらも「万葉のツチハリとは何んであるのか、実は私もその実物の模索には迷っている」と記している。

 メハジキには変種に花が大きく、中国~シベリアの寒冷地に分布する「ホソバ(細葉)メハジキ」がある。また近縁種に帰化植物でヨーロッパ原産の「モミジバキセワタ(紅葉葉着せ綿)」があり、メハジキによく似ていることから「ヨウシュ(洋種)メハジキ」や「セイヨウ(西洋)メハジキ」と呼ばれている。この植物はヨーロッパで「マザーワート(母の草)」とも呼ばれ、やはり古くから婦人病の薬草として用いられてきたそうだ。「目はじきの瞼ふさげば母がある」(長谷川かな女)

コメント

<大阪自由大学> スポーツ事件の裏の裏「ヒットラーとベルリン五輪」

2016年07月15日 | スポーツ

【玉置通夫氏「メディア史上、画期的な大会だった」】

 大阪自由大学主催の連続講座「スポーツ事件の裏の裏―その真相を探る」の第4回講座が14日、大阪市中央区本町の「おおさかシニアネット」で開かれた。講師は大阪スポーツマンクラブ会長の玉置通夫氏(元毎日新聞編集委員)。1936年のベルリン・オリンピックはドイツのヒットラーが〝好戦国家〟としての疑念を払拭するため政治的に最大限利用した大会といわれるが、玉置氏は現地でのテレビによる実況中継や史上初の記録映画の製作など「メディア史のうえで画期的な大会でもあった」などと語った。

   

 ヒットラーは最初、開催に否定的だったが、側近ゲッペルスらの忠言を受け入れ開催を決めたという。「周辺国が警戒を強めていた中、好戦的な姿勢をカモフラージュするうえで格好のイベントだった」。ベルリン大会では新基軸として聖火リレーが初めて採用され、現地ではテレビによる実況中継も行われた。女性監督を起用して「民族の祭典」「美の祭典」という2部構成の記録映画も製作された。また設備や運営面でも参加選手らに好印象を与えたという。

 日本選手の活躍はめざましいものだった。日本の〝お家芸〟といわれた三段跳びでは前々回(アムステルダム)の織田幹雄、前回(ロサンゼルス)の南部忠平に続いて田島直人が世界新で優勝し三連覇。競泳では200m平泳ぎの前畑秀子や葉室鉄夫らが優勝し、マラソンでも孫基禎が金メダルをとった。そのベルリン大会では日本で初めてラジオによる実況中継も実現し、「前畑、がんばれ」の絶叫に多くの国民が熱狂した。河西三省アナウンサーは生前当時を振り返って「冷静に放送しないといけないのに応援団になってしまった。アナウンサーとしては失敗作。絶対に聞きたくない」と話していたそうだ。

 日本の新聞社の報道合戦もすさまじかった。各紙は初めて特派員団を結成し、一流の作家や文化人も送り込んだ。朝日は武者小路実篤、毎日は横光利一、読売は西条八十……。ベルリン大会は「オリンピックとメディアの関係が新たな段階に入った記念すべき大会でもあった」。五輪開幕前日にはIOC(国際オリンピック委員会)の理事会で、4年後の1940年の開催地が東京に決まった。だが、日本は1937年の日華事変(日中戦争)の勃発を機に戦争に突き進む。ドイツも39年ポーランドに侵攻する。そうした中、日本は東京五輪の開催を返上し「東京に向け準備をしていた多くの選手がオリンピックの夢を断たれた」。

 戦時下の1944年も五輪は開かれず、48年になってようやくロンドン大会が開かれた。だが戦争当事国の日本とドイツは参加が認められず、日本の五輪復帰は52年のヘルシンキ大会まで待たねばならなかった。ベルリンから実に16年もの空白。「この間にピークを迎えた選手たちにとっては大きな痛手だった」。世界新を連発し〝フジヤマのトビウオ〟とまでいわれた古橋広之進でさえ、ヘルシンキでは400m自由形決勝で最下位に終わった。4年前のロンドンに出ていたら金メダルはほぼ確実だった。ロンドン大会の競泳決勝に合わせ同じ日に行われた日本選手権。古橋が400mと1500m自由形で出したタイムは世界新に相当し、ロンドンの金メダリストの記録も上回っていた。

 ◎次回以降の同講座の開催日とテーマは以下の通り。第5回=9月8日「東京五輪フィーバー」、第6回=10月13日「大相撲界最大の騒動、春秋園事件」、第7回=11月17日「力道山の死」、第8回=12月8日「南海ホークス蔭山監督の急死」(いずれも午後6時半~8時「おおさかシニアネット」で、参加費は1000円)

 

コメント

<リオ・パラリンピック> パラトライアスリート・秦由加子選手〝夢舞台〟へ!

2016年07月14日 | スポーツ

【女子パラトライアスロンの日本代表に内定】

 パラトライアスリートの秦由加子さん(35)=マーズフラッグ・稲毛インター=が、9月に開催されるリオネジャネイロ・パラリンピックのパラトライアスロン女子の日本代表に内定した。日本トライアスロン連合が13日に発表した、水泳からトライアスロン競技に転向して約3年。昨年からパラリンピック出場を目指し積極的に内外の大会に出場してきたが、その努力が報われ大きな夢がかなうことになった。昨年後援会に入会し密かに応援してきた一人としてもうれしい限りだ。

       

 秦さんは13歳だった中学1年のとき、骨肉腫のために右大腿部を切断した。長くスポーツとは無縁の生活だったが、24歳の2007年、一念発起して水泳を始めた。さらに5年後の2013年にはトライアスロンに転向し、翌年には日本トライアスロン連合の強化指定選手に。パラトライアスロン女子はスイム0.75キロ、バイク(自転車)20キロ、ラン5キロの3種目合計25.75キロで競う。障がい度に応じてPT1~5のカテゴリーがあり、秦さんは高度下肢障がいクラスのPT2に属す。

 リオパラリンピックに出場するには国際トライアスロン連合(ITU)主催の国際大会などに数多く出場しポイントを積み上げる必要があった。今年は3月の南アフリカ大会で4位、4月のオーストラリア大会で2位と健闘し、4月末に広島県廿日市市で開かれたアジア選手権では優勝を飾った。5月のITU横浜大会では世界ランキング1位のアリサ・シーリー(米国)に最後のランで抜かれ2位に終わったが、そのときのタイム1時間26分56秒は国際大会でのベスト記録だった。

 秦さんの強みは最初のスイムにある。横浜大会でもスイムでシーリーに約2分半もの大差をつけており、続くバイクでも1位をキープした。先月6月に開かれた関東身体障がい者水泳選手権では100m自由形と400m自由形の2レースを制している。うち100mは大会新記録だった。課題は最後のランをどう粘るかだろう。ランの出来によってはメダル争いも決して夢ではない。パラトライアスロン女子は9月11日、リオ南部のコバカバーナ地区で開かれる。 

コメント

<ウイキョウ(茴香)> 南欧原産、薬用として古く中国経由で渡来

2016年07月12日 | 花の四季

【英語名「フェンネル」、スパイスやハーブとしても人気】

 セリ科ウイキョウ属(フォエニクラム属)の多年草。草丈は高いもので2mほどにもなり、6~8月ごろ、傘を広げたように黄色い小花をたくさん付ける。その花姿は一見、同じセリ科のディルや秋の七草のオミナエシにもよく似る。原産地は南ヨーロッパの地中海沿岸地方で、日本には平安時代前期ごろに薬草として中国から渡来したといわれる。和名は漢名「茴香」の音読みから。英語名は「フェンネル」(「干し草」を意味するラテン語に由来)で、国内でも料理関係ではフェンネルで通っている。

 フェンネルは古代エジプトの医学書「エーベルス・パピルス」(紀元前1550年ごろ)にも記載があり、作物としての栽培の歴史は古い。ギリシャ神話の中で、プロメテウスが天上の火を地上の人間界にもたらすために使ったのがフェンネルの茎だった。古代ローマでは戦士たちは胃腸の働きを活性化するフェンネルの種子を携えて戦場に向かい、女性たちは葉や茎をダイエットのために利用したという。

 日本ではウイキョウは初め「懐香」と表記されていた。「茴香」の初出は室町時代の辞書『下学集(かがくしゅう)』といわれる。長く「くれのおも(呉の母)」とも呼ばれた。平安初期の薬物辞典『本草和名(わみょう)』(深江輔仁著)には漢名との対照で「久礼乃於毛」と表記され、江戸時代の本草学者小野嵐山の『本草綱目啓蒙』(1805年)にも「クレノヲモ」と記されている。

 ウイキョウはアネトールなどの芳香性精油成分を多く含み、漢方薬「安中散」や健胃薬の主要成分の一つになっている。去痰や駆風(腸内ガスの排出)などの効用も。また種子や若葉はスパイスやハーブとして魚や肉料理に利用され、リキュールやピクルスなどの香り付けにも用いられる。主な栽培品種には代表的な「スイートフェンネル(甘茴香)」のほか、肥大した鱗茎(フィノッキオ)を食用とする「フローレンスフェンネル」、銅色の葉が美しい観賞向きの「ブロンズフェンネル」などがある。「茴香の花の匂ひや梅雨曇」(嶋田青峰)

コメント

<天理参考館> 企画展「天理サファリランド」9月5日まで

2016年07月10日 | 考古・歴史

【古代中国やイランの馬・ラクダ・牛・羊・鹿の出土品など70点】

 天理大学の付属博物館「天理参考館」(奈良県天理市)で、「天理サファリランド―シルクロードの動物と動物意匠の世界」と銘打った企画展が始まった。今にも飛び跳ねそうな馬や往時の交易の模様を彷彿とさせるラクダ、王による狩猟の様子が刻まれた鍍金銀製の皿……。中国の漢~唐時代を中心とする動物俑(よう、人形)や紀元前1000年頃のイランの牛や羊、鹿の土器など70点を展示している。9月5日まで。

 

 シルクロードは前漢の武帝が騎馬民族の匈奴を挟撃するため大月氏に張騫(ちょうけん)を派遣したり、また「汗血馬(かんげつば)」といわれた西方の駿馬を求めて大軍を派遣したりしたことによって開通したともいわれる。「白胎加彩飾馬」(唐時代、写真㊤)はその汗血馬と呼ぶにふさわしい躍動的な姿で、今にも馬のいななきが聞こえてきそう。中国歴史博物館にもほぼ同形の馬俑があるそうだ。

    

 「紅胎加彩打毬女子」(唐、上の写真㊧)は馬上の女性が打毬(ポロ)をしている様子を表現したものといわれる。ポロといえば英国を連想するが、元々は古代ペルシャの国技で、これがシルクロードによって中国にも伝わったという。英国紳士のスポーツとみられたポロが、中国で唐の時代に女性が興じていたことにはただ驚くばかり。「紅胎加彩騎馬男子」(唐、写真㊥)はまさに乗馬しようとする一瞬の姿を捉え、「灰陶加彩飾馬」(北魏、写真㊨)はサラブレッドのようなスマートな体型の飾り馬が精緻に表現されている。

  

 シルクロードで荷運び役として活躍したのが〝砂漠の船〟といわれたラクダ。「黄白釉加彩駱駝」(唐、写真㊧)は水を入れた壷の後ろ側にウサギと鳥が吊るされている。「灰陶加彩駱駝」(北魏、写真㊥)のラクダの背に載るのは放牧民の移動式住居ゲルの天頂部などの部材。「三彩釉駱駝」(唐、写真㊨)は荷に獣面や宝相華文が施されていることなどから、実際に積み荷を運んだラクダというより装飾化されたラクダを表現したものとみられる。

 「青銅羊形轆轤燈」(漢、下の写真㊧)は灯火具で、背中の部分が跳ね上がって頭の上に載る。開いた背の中央に釘状の突起があり、そこにロウソクを差したとみられる。「青磁羊」(晋、写真㊥)は胴部に刻線で翼が描かれており、羊が天馬に通じる特別な動物だったことを示す。「三彩釉獅子」(唐、写真㊨)は墓を守護するために副葬されたものとみられる。

  

  西アジアのイラン地方からの考古資料では、紀元前1000年ごろの「牛頭飾注口三脚壷」(下の写真㊧)や「瘤牛形注口土器」「鹿形注口土器」「山羊飾角杯形リュトン」(写真㊥)などを展示中。リュトンは底部の穴を指で押さえて液体を入れた後、指を離して注ぐ容器。このリュトンは全体が牛角の形で、先端にヤギの前半身がかたどられており、祭儀用だったとみられる。「鍍金銀帝王狩猟文皿」(7~8世紀、写真㊨)は直径24.4cmで、馬上の王が弓で獣を射る場面が表現されている。この獣は斑点模様からヒョウとみられる。中国の古文書にも西域からヒョウが献上されていたとの記載があるそうだ。

     

コメント

<ホタルブクロ(蛍袋)> 花筒に蛍を入れて虫かご代わりに?

2016年07月09日 | 花の四季

【多くの異名「雨降花」「提灯花」「釣鐘草」「葬礼花」「死人花」】

 キキョウ科ホタルブクロ属(カンパニュラ属)の多年草。北海道南西部から本州、四国、九州まで全国の山野に自生する。草丈は40~80cm。6~7月ごろ、淡紅紫色の釣鐘形の花を下向きに付ける。花の長さは4~5cmほどで、花弁の内側には濃い紫色の斑点がある。花色の濃度は変化に富み、関西では白花も多く見られるという。

 名前の由来には諸説。子どもが虫かご代わりに花筒の中にホタルを入れて遊んだから▽ホタルが飛び交い始める時期に咲くから▽花姿が提灯=「火垂(ほた)る袋」に似ていることから……。別名や異名も多い。花の形から「提灯花」や「灯籠花」「釣鐘草」、梅雨の頃に咲き始めるから「雨降花」。葬礼の提灯に似ているとして「葬礼花」や「死人花(しびとばな)」といったものまである。

 ホタルブクロは萼片(がくへん)の間の〝副萼片〟が発達し大きく反り返っているのが特徴。ただ、変種の「ヤマホタルブクロ」や「シマホタルブクロ」にはその反曲した副萼片がない。前者は東北地方南部~近畿地方東部の高地や山麓地域に分布し、高山のものは紅紫の花色が特に鮮やかになるという。後者は白花で伊豆八丈島などに自生する。

 ホタルブクロの仲間は北半球の温帯域に広く分布する。国内でもヨーロッパ原産などの園芸品種が栽培され「カンパニュラ」として人気を集めている。南欧原産の「メディウム種」は明治初期に渡来し、国内では「フウリンソウ(風鈴草)」の名で親しまれている。「オトメギキョウ(乙女桔梗)」(ベルフラワー)や「モモバギキョウ(桃葉桔梗)」も原産地は海外。変種の「ヤツシロソウ」は最初に見つかった熊本県八代の地名に由来し、「リンドウ咲きカンパニュラ」とも呼ばれている。「蛍袋は愁ひの花か上向かず」(鈴木真砂女)

コメント

<ウツボグサ(靫草・靭草)> 花穂の形を矢の入れ物「靫」になぞらえて

2016年07月08日 | 花の四季

【盛夏を迎えると黒っぽく枯れる⇒漢方名「夏枯草(カコソウ)」】

 シソ科ウツボグサ属の多年草。全国各地の日当たりのいい山野の草地や農道などでごく普通に見掛ける。花期は6~8月。草丈は20~30cmほどで、茎頂に3~8cmの花穂を伸ばし紅紫色の小花をたくさん付ける。花冠の長さが2cmほどの唇形花で、上唇は菱状、下唇は3裂する。

 茎は角張った四角形。茎や葉、苞などに白く粗い毛が生えるのもウツボグサの特徴。その名は武士が腰や背に着け矢を入れて持ち運んだ用具「靫(うつぼ)」に、花穂の形が似ているところから付けられた。方言名には「かごくさ」「みつすいばな」「こむそうぐさ」「へびのまくら」など。花や若芽、軟らかい葉は山菜として、てんぷらや酢の物、サラダなどに。

 盛夏を迎えると、花穂は次第に枯れて黒っぽくなる。漢方ではその花穂を乾燥したものを「夏枯草(かこそう)」と呼ぶ。煎じて服用し、主に利尿薬として用いられる。消炎作用もあり、口内炎などの炎症にも効き目があるという。様々な薬用として使われることから「ちどめぐさ」と呼ぶ地方もあるそうだが、セリ科に「チドメグサ(血止草)」という正式名を持つ多年草がある。

 変種の「ミヤマウツボグサ」はやや小型で、北海道や本州中部以北の山地に自生する。また近縁種の「タテヤマウツボグサ」は逆にやや大型で、立山連峰など本州の中部や東北地方の高山で見られる。ウツボグサは花後に基部から走出枝を出して広がるが、これら2種は走出枝がないか短いという違いがある。「雨に揺れ虻にゆれけりうつぼ草」(堀口星眠)

コメント

<トウキ(当帰)> 婦人病薬、漢方に欠かせないセリ科の多年草

2016年07月03日 | 花の四季

【優れた品質の大和トウキ、奈良県〝復活〟に本腰!】

 セリ科シシウド属の多年草。漢方薬に処方する生薬「当帰」として栽培され、6~8月頃、傘を大きく開いたような複合散形花序に白い小花を多数つける。草丈60~90cm。秋に根を掘り上げ湯通ししたうえで乾燥させ「当帰芍薬散」などに用いる。当帰は末梢血管の拡張成分を含み、冷え性や貧血、生理不順などに効果があるとして、漢方では婦人病薬に欠かせない生薬になっている。葉にはセロリに似た香りがあり、浴湯に入れると体が温まるという。

 主な栽培地は北海道と奈良、和歌山県。奈良・吉野地方で古くから栽培されてきたものは「大和トウキ」と呼ばれる。『本草弁疑』(1681年、遠藤元理著)の記述などから、江戸時代前半には既に大和地方で栽培が行われていたらしい。国産のトウキは中国産の「唐トウキ」と区別するため「日本トウキ」とも呼ばれる。両者は全く別種の植物だが、その根はよく似た薬効成分を含む。

 「大和トウキ」は収量では昭和に入って北海道で栽培が始まった「北海トウキ」に劣るが、品質面では大和の方が優れているといわれる。中でも和歌山県境に近い奈良県五條市大深地区で産するものが最高として「大和トウキ」は「大深トウキ」とも呼ばれてきた。ただ、奈良県内の生産農家・生産量は激減しており、今では「北海トウキ」が主流に。一方で、中国産の「唐トウキ」の輸入も増えている。

 こうした中で奈良県が「大和トウキ」の復活へ動き出した。2015年7月、官民一体で栽培量の増加や新商品開発、販路開拓などに取り組もうと「奈良県漢方のメッカ推進協議会」を設立した。既に葉を加工したお茶などが商品化されており、肉まん、つみれ、チリソースなどの試作品づくりも進む。さらに化粧品などへの活用も検討中という。「当帰よりあはれは塚の菫草」(松尾芭蕉)

コメント