く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<正倉院>西宝庫は「勅封」 10月2日天皇の使い勅使立ち会いで開封

2012年09月30日 | 美術

【保存と公開の要請、「そのバランスが難しい」と事務所長】

 奈良時代の文化財の一大宝庫「正倉院」。今年も1カ月後の10月27日から正倉院展が開かれる。正倉院といえば、木造校倉造りの国宝「正倉」が有名だが、宝物は現在、鉄筋コンクリート造りの東西両宝庫に収蔵されている。今年も10月2日には天皇の使いである勅使立ち会いの下で、西宝庫の「御開封の儀」が行われる。ではこれらの宝物を管理する宮内庁正倉院事務所って、実際にどんなことをやっているのだろうか。29日、奈良女子大学で杉本一樹所長を迎え「正倉院のしごと」と題する公開講座が開かれた。

    

 正倉院がある場所は東大寺大仏殿の北西で、敷地は東大寺の旧境内。事務所庁舎の中庭は受戒のため来日した鑑真和上ゆかりの東大寺唐禅院があった場所という。事務所は所長の下に保存課(職員14人)と庶務課(5人)があり、保存課には研究職として工芸、染織、古代史各2人、保存科学3人が所属する。2010年に世界文化遺産に登録された「正倉」は現在、瓦屋根の葺き替え工事中(~2014年)。この「正倉」は国宝だが、宝物は一切国宝に指定されていない。現地事務所が直接保存を担当するため、わざわざ指定する必要がないためという。

 宝物は聖武天皇(701~756)の冥福を祈念し、光明皇后(701~760)が756年、天皇の遺愛品を大仏に奉献したのが始まり。「先帝陛下の奉為に国家の珍宝・種々の翫好及び御帯・牙笏・弓箭・刀剣、兼ねては書法、楽器等を捨して東大寺に入れ、廬舎那仏及び諸仏菩薩一切賢聖を供養せん」(光明皇后の願文)。その後の献納宝物に加え、大仏開眼会などで使われた東大寺の資材、造東大寺司関係品、聖語蔵経巻などが納められた。

 杉本所長は正倉院宝物の価値について「芸術性や国際性、資料的価値など宝物自体に内在する価値と、献納の趣旨そのままに本来の場所から離れることなく、1200年以上にわたり人の手によって保管されてきた伝世品であること」と2つの側面を挙げる。歴史の古い遺物や芸術品に真贋論争は付き物だが、正倉院宝物については真正品であることに疑問を挟む余地がないというわけだ。

    

 1000年以上前の古いものだけに壊れやすく割れやすい。それだけにいかに経年劣化を抑えて保存していくかが最大の課題。正倉院事務所の任務も宝物の適正な管理にある。一方で、展覧会への出陳など公開の要請も強まっている。「そのバランスをどう取るかが難しい」と杉本所長。保存面で大切なのが宝物点検。毎年5月には東宝庫の宝物を点検する。同宝庫は所長判断で開封ができる「所長封」。10~11月の2カ月間開封される西宝庫は管理がより厳しく、勅使立ち会いで開封されるため「勅使封」と呼ばれる。点検は1チーム3人程度で、床にマットを敷いて宝物をなるべく低い位置に置いて調べる。宝庫に入るときは滑らないように体育館シューズ。宝物の扱いには慎重なうえにも慎重を期す。

 正倉院展は毎年ほぼ半年前の5月に出展する品目選定が行われる。その後、6月に東京で正倉院懇談会、7月秋の開封諸手続き、8月正倉院展出陳品の手直し修理、9月開封前諸準備……。スケジュールを見ると、いかに秋の定例開封と正倉院展に向けた準備が大変なことかが分かる。今年の第64回正倉院展は10月27日~11月12日。鮮やかなコバルトブルーが目を引くガラス容器「瑠璃坏(るりのつき)」(上の写真)、聖武天皇ゆかりの「螺鈿紫檀琵琶」、天皇が愛用したすごろく盤「木画紫檀双六局」などが目玉という。

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<く~にゃん物語⑰> 子ウサギたちも立派に成長、人にもよく慣れご覧の通り!

2012年09月29日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【ウサギの楽園「大久野島通信」第3弾、非常識な犬連れ親子も】

 広島県竹原市沖のウサギの楽園「大久野島」からの第3弾だよ~。お友達ご夫妻が関西からまた1泊2日で島を訪ね、写真を撮ってきてくれたの。前回の様子は7月6日付のブログでご紹介したけど、その時たくさんいた子ウサギたちもみんな随分大きくなって、人にも慣れてきた様子だったとか。ただ、ペット持ち込み禁止のはずの島に、つい最近、犬を連れた親子がいたんだって。非常識ねぇ。

    

 前回訪問した時は猛暑ということもあって、日陰で横になったままのウサギや穴倉から出てこないウサギも多かったけど、今回は元気にたくさんのウサギが寄ってきてくれたそうよ。いつも持っていくキャベツ(今回は10玉)に加え、初めてバナナを1房持参。そのバナナが大人気で、写真のように寄ってたかって皮ごとムシャムシャ食べてくれたんだって。そんなこんなで、今回もウサギさんたちからいっぱい癒やしをもらって帰ってきたそうよ。

   

 ところで非常識な犬連れ親子のことは「うたお」と「うたこ」のお2人が綴っているブログ「~うさぎの楽園『大久野島』~」(http://ameblo.jp/maron0/)に詳しく載っているよ。それは23日の日曜日のこと。「うたお」さんたちが犬を散歩させている親子(父親と男の子)を見つけ、犬の持ち込みは禁止されていますよと注意したの。すると、その男性は「それは、知~り~ま~せ~ん~で~し~たぁ~」とふざけた物言い。そこで「それがいい大人のすることか」「子どもの前で恥ずかしくないのか」と説教してやったそうよ。その光景、目に浮かぶよね。「うたお」さん、「うたこ」さん、ウサギを代表して「ありがとう!」 

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<大阪・中大江公園2題> 日本ミツバチが営巣! ハトの変死体相次ぐ!

2012年09月28日 | アンビリバボー

※9月7~20日の分を「く~にゃん雑記帳Ⅱ」(http://blog.livedoor.jp/kenken1948/)に掲載しています。

【「巣に近寄らないで」と囲い、近くには滑り台も】

 大阪市中央区の「中大江公園」が2つの話題で沸騰している。一つは日本ミツバチが大きな木の根元の空洞に営巣、ハチがブンブン飛び交っていること、もう一つは最近、人の手によって傷つけられたとみられるハトの変死体が相次いで見つかっていること。すぐそばには小学校や大阪商工会議所があり、まさに大阪のど真ん中。警察や大阪市は公園利用者や地域住民に注意を呼びかけている。

  

 ハチの巣が見つかった木の根元周辺は、公園に来た人たちが近づかないように緑のプラスチックのフェンスで囲っている。さらに「日本ミツバチの巣がありますので、いたずら等で刺激しないように近寄らないでください」と注意を喚起する張り紙。連絡先として「東部方面公園事務所」と電話番号を記している。幅20cmぐらいの空洞からはハチがひっきりなしに出たり入ったり。せっせと蜜を集めてきているのだろう。そのそばには滑り台などがある児童広場。

   

 9月から10月にかけてのこの頃は、ちょうどハチのコロニー(巣)が最盛期を迎える時期。巣の中の幼虫やサナギを守ろうと攻撃的になっているから要注意だ。ただミツバチはよほどのことがないと人を攻撃しない。万一刺されたら、すぐにハチの針を抜いたうえ水で洗い流すこと。怖いのはミツバチの巣を襲うことがあるスズメバチがやって来ることだ。スズメバチに刺されると、時に呼吸困難などの急性症状「アナフィラキシーショック」を起こして死に至ることもある。1回目に刺された時より2回目が危ない。

 2010年には全国で20人、11年には16人がハチの犠牲になっている。その多くがスズメバチによる。関西では一昨年、和歌山で飼育中のミツバチを襲ってきたオオスズメバチを追い払おうとして刺された男性が亡くなり、昨年は兵庫県篠山市で草刈り中の男性がキイロスズメバチに襲われ亡くなった。今年も8月に滋賀県米原市でスズメバチの巣を駆除しようとした男性が刺されショック死している。

 ハチから身を守るためには、巣のそばで大声を出したり振動を与えたりしないこと。とにかく巣に近づかないことが一番だ。スズメバチなどが近くに飛んできたら静かにやり過ごす。手や棒で追い払おうとすると、逆にハチを興奮させるため逆効果。ハチは黒いものを攻撃する習性がある。このためハイキングなど野山に出かける時には白っぽい帽子や長袖・長ズボンが無難。香水や整髪料はハチの警戒フェロモン(仲間に知らせる匂い)に似た揮発性物質が含まれ、その香りがハチを引き付けることがあるため、避けたほうがいいそうだ。

 【ハトの死骸、〝猟奇的犯行〟へのエスカレートを懸念】

 中大江公園の入り口など数箇所に「お願い」というタイトルで大阪府警東警察署の張り紙がある。それによると「どう見ても〝人の手によるもの〟と言わざるを得ない」傷つけられたハトの死骸が最近相次いで見つかった。これが「今後〝猟奇的犯行〟につながらないとも限らない」として、夜中から朝方にかけて不審な行動、または不審人物を見かけたら、すぐに警察に一報するよう呼びかけている。この一件を知人に話したところ、なんと「2カ月ほど前、首から上のないハトを見た」というではないか。場所はこの公園から北へ約400mの北大江公園のそば。そのハトをカラスが突っついていたという。

   

 小動物の変死体といえば、今年5月以降、兵庫県下で続発している。加古川市や高砂市で首を切断されたキジバトや、首や腹を切られたネコが相次いで見つかり、姫路市の私立中高一貫校の通用門そばには刃物で切断されたカラスやサギの首が放置された。さらに7月には同じ姫路市の商店街で、胴を切断されたネコの死骸……。警察が動物愛護法違反などの疑いで調べているが、一体どんな人物がこんなむごいことをやっているのだろうか。

 中大江公園では毎年春に桜まつり、夏には盆踊りが行われ、住民でつくる公園愛護会のメンバーはいつも清掃や水やりもやっている。地域住民にとってはかけがえのない交流と憩いの場だ。それだけにこの不気味なハト騒動が一刻も早く収まって、元の平穏な公園に戻ってほしい――。皆さん、心からそう願っているのではないだろうか。

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<ハナトラノオ(花虎の尾)> 北米原産 穂状に優しいピンクの花次々と

2012年09月27日 | 花の四季

【オカトラノオ、ルリトラノオ、観葉植物のトラノオ…みんな別の種類】

 北アメリカ原産の多年草。日本には大正時代に観賞用として渡ってきた。学名の「フィソステギア・バージニアナ」が示すように、米国の東海岸にあるバージニア州辺りに多く自生していたという。その学名から「フィソステギア」とも呼ばれている。

 直立した茎の先に桃紫色の花を下から順番に咲かせる。長い穂は30cm前後にも。花の名前はその花穂を虎の尻尾に見立てたことから付いた。暑さ寒さに強く、半日陰でも育つ。庭植えや鉢植えにし、水揚げがいいことから切り花としても根強い人気。花期は7~10月と長い。葉に白や黄色の斑(ふ)が入ったものもある。

 名前にトラノオと付いた植物は多いが、穂状の同じような花の形によるもので、別にトラノオ科という種類があるわけではない。ハナトラノオはシソ科で、同じ仲間に湿地に生えるミズトラノオがある。シソ科の植物は茎の形が四角、葉は対生(2枚の葉が向かい合ってつく)などの特徴を持つ。このためハナトラノオには「カクトラノオ(角虎の尾)」の別名もある。

 単にトラノオというと観葉植物のトラノオ(別名サンセベリア、チトセラン)を指す。これはアフリカ原産でリュウゼツラン科。オカトラノオはサクラソウ科の白花で、日本や朝鮮半島、中国などに分布する。同じ仲間にサワトラノオ、ノジトラノオなど。青紫の花が美しいヤマトラノオやルリトラノオはゴマノハグサ科に属する。イブキトラノオはタデ科。花は白または薄紅色で、滋賀県の伊吹山に多いことからその名がある。

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<法隆寺村大工棟梁・安田家文書展>御所上棟絵図、東大寺大仏殿割図など江戸期の貴重な古文書・絵図を展示

2012年09月26日 | 考古・歴史

※この原稿は今月1日送信しようとしたところ、なぜか送信できなかったものです。企画展はすでに終了しています。

【斑鳩町教委、約6000点を3年がかりで調査、町指定文化財に】

 法隆寺西側の西里地区にはかつて社寺などの建築・修理を手掛ける匠の専門集団が多く住んでいた。そのうちの一つに江戸時代活躍した大工棟梁の安田家がある。その安田家から古文書や絵図など約6000点の寄贈を受けた斑鳩町教育委員会は3年がかりで調査した結果、学術的に価値が高いことが判明、昨年12月、町の文化財に指定した。それを記念した企画展が斑鳩文化財センターで開かれている。

  

 安田家は江戸幕府の大工頭、中井家の配下で禁裏御所(京都御所)や城郭など多くの作事・普請に携わった。中井家の中井正清(1565~1619)は徳川家康に重用され、畿内・近江国の大工を束ねて二条城、伏見城、江戸城、名古屋城、御所、知恩院、法隆寺、日光東照宮などの造営・修理に当たった。安田家はその正清の下で宗三郎が名古屋城や東照宮などの造営で棟梁を務めたとみられる。この後、宗兵衛、杢兵衛、武太夫信成、武太夫和茂、武太夫休茂、治部太夫幹茂と、明治初めの中井家による大工支配の解体まで大工職を継いだ。多くの棟梁家が京都に居を移す中で、最後まで西里に留まり続けたのが安田家だった。

 企画展では江戸初期の「日光山東照大権現御造立上棟之記」や「東林寺棟札」「東大寺大仏殿建地割図」(上の写真㊧)、「禁裏御上棟絵図」から、中後期の「二條御城御天守御修復御入用帳」(写真㊨)や「仁和寺御台所屋根取絵図」などまで33点の史料を展示中。このうち東大寺大仏殿建地割図は江戸時代の大仏殿再建に際して作成された計画図のうち最も古いと推定される貴重なもの。二条城の入用帳は修復の経費をまとめたもので、延べ593人の大工と154人の木挽(こびき)が動員され、21貫余の銀と15石余の米を要したことが記されている。

 

 巨大な鉄湯釜(1619年)と風折烏帽子(1855年)も目を引いた。鉄湯釜は中井家の第2代正侶の後見役、中井利次が法隆寺の末寺で大工の拠点だった東林寺修南院に寄進したものという。烏帽子(上の写真㊧)は箱書きに安田治部太夫幹茂が御所造営の上棟式に際して新調したとある。棟梁は御所の上棟式に参列し、朝廷から国名を含む官途名である受領名を与えられることが慣例になっており、幹茂も「下総少掾」の名を頂いた。「安田家に伝わる人形」(写真㊨)はその時の幹茂の姿ではないかと推測されている。

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<エリザベート展> 日本初公開の「星の髪飾り」や結婚式の「黄金のティアラ」

2012年09月25日 | 美術

【贅を尽くした華麗な世界 絵画・装飾品・装身具・工芸品など120点】

 「輝ける皇妃エリザベート展」が京都市の美術館「えき」KYOTOで開かれている。エリザベートは1837年生まれで今年は生誕175年目。僅か16歳でハプスブルク家のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に嫁ぐが、厳格な宮廷生活になじめず、贅の限りを尽くして自由と自らの美を追い続けた。同展ではお気に入りだった絵画や遺品の装飾品、工芸品など約120点を展示している。会期は10月28日まで。

       

 目玉は本邦初公開というダイヤモンドの「星の髪飾り」。ヴィンターハルター作の肖像画「星の髪飾りをつけた皇妃エリザベート」(写真㊤)に描かれている。エリザベートはモーツァルトの歌劇「魔笛」を鑑賞した際、「夜の女王」が着けていた星の髪飾りに大感激。その妻のため皇帝が宮廷御用達の宝石店にそっくりな髪飾りを作らせた。星型の十角形と八角形が作られたが、展示中のものは八角形。これもエリザベートが実際に身に着けていたものという。

 結婚式でエリザベートの頭を飾った黄金のティアラ(下の写真㊧)はまばゆいばかり。ネックレスの中には珍しいハエをモチーフにしたものもあった。このほか金のブレスレットや机、椅子、宝石箱、旅行用の時計、螺鈿細工のキャビネット、家族写真を貼った衝立、結婚アルバムなど、いずれも超一級品ばかり。(写真㊨の絵は「シェーンライトナー通りのスープ・キッチンを訪れる皇后エリザベート」)

   

 エリザベートは172cmの長身で、体重50kg、ウエスト50cmを維持するためダイエットに励んだ。オレンジ以外は口にしないオレンジ・ダイエットは有名。馬術やフェンシングをはじめ、重量挙げ、平行棒や吊り輪、鉄アレイを使った体操など、運動も毎日欠かさなかった。遠出する時には必ず体重計を持参したそうだ。夜は枕を使わず、腰に濡れた布を巻いて寝た。エリザベートの一番の誇りは膝まである豊かな髪。毎日侍女に2時間もとかせ、2週間に1回、1日がかりで卵とコニャック、整髪料を使って洗髪したという。ウエスト50cmを証明するように、展示品の中には銀製のベルト(ウエストの長さ52cm)やコルセット型ベルト(51cm)もあった。

 「シシィ」の愛称で国民に愛されたエリザベートだが、1898年9月10日、ジュネーブの船着き場でイタリア人の無政府主義者に胸を一突きされ、悲劇的な最期を遂げる。享年60歳。会場にはエリザベートのデスマスクや葬式を飾った花のドライフラワー入り盾、当時の模様を伝える新聞記事、暗殺者ルケーニ直筆の書類と写真などが展示されていた。エリザベートの生涯を描いたミュージカルは宝塚歌劇などで繰り返し上演され、女性に大人気。それだけに同展も来場者の大半を女性が占めているようだ。

     ◎    ◎    ◎    ◎    ◎

 【羽扇で意中の相手にさりげなく合図!

 ヨーロッパの社交界で淑女にとって欠かせなかったのが扇。会場の一角にも豪華な羽扇が飾られていた。単なる飾りの小道具かと思ったら、とんでもない。扇の動きで「恋愛対象の男性にモールス信号のように合図していた」という。例えば「扇を左手で顔の前に持つ→あなたとお知り合いになりたい」「扇で頬をなでる→愛しています」「ゆっくり扇ぐ→結婚しています」「すばやく扇ぐ→婚約しています」「閉じた扇を右目に当てる→いつ会えますか」「指で特定の数の扇の骨や折り目をなでる→会う時刻の指定」――といった具合。その読み取り方を教えるアカデミーまであったそうだ。エリザベートもそんなふうに扇を使ったのだろうか。

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<阪急文化財団> タカラヅカ 半世紀前に全国の民俗芸能を記録! その膨大な資料を保存・公開

2012年09月24日 | 祭り

【奈良県立民俗博物館で映像上映会「宝塚が記録した大和の芸能」】

 宝塚歌劇というと華やかなレビューを連想しがちだが、かつて全国の郷土芸能を地道に取材し記録した時代があった。今から半世紀ほど前の1958年から20年間で、動画テープ(8ミリテープ)1700巻(音なし)、録音テープ(オープンリール)1200巻、写真ネガフィルム7万コマなど膨大な資料が残る。その中にはすでに途絶えた芸能も多く、学術的な価値は極めて高い。その一部を鑑賞する民俗映像上映会「宝塚が記録した大和の芸能―宝塚歌劇団郷土芸能研究会の記録」が23日、奈良県立民俗博物館(大和郡山市)で開かれた。

   

 宝塚歌劇団に郷土芸能研究会ができたのは58年4月。上映会のコメンテーター、阪急文化財団・池田文庫の鶴岡正生さん(写真)によると、「その2年前の56年の『春の踊り』に南九州の盆踊りなどを取り入れたところ大変受けた。これをきっかけに日本各地の郷土芸能を取材し舞台化しようと研究会が設立された」。まず全国都道府県の教育委員会にどんな郷土芸能があるかアンケート調査、これを基に東北から沖縄までほぼ全国の芸能大会や保存会などを取材して回った。それらをまとめた同財団の「日本民俗芸能資料目録」(2006年改訂版)の登録演目数は約7000件に上る。

 中心になって活動したのは故渡辺武雄・歌劇団名誉理事。1カ所の取材は通常4~5日、長い時は1~2週間がかりで、演出・振付家や作曲家、舞台衣装担当者のほかタカラジュンヌまで同行、「舞台で忠実に再現するため、現地の演者から指導を受けたり、細かくスケッチしたりして帰ってきた」。舞台化したのは民俗舞踊シリーズ14編と物語風土記シリーズ8編の計22作品。その中には4作目の「火の島」のように文部省(現文化庁)の芸術祭賞を受賞したものもある。この作品には鹿児島に伝わる上山田や伊作の太鼓踊りなどを取り入れた

 研究会の取材活動は当初観客受けする作品づくりを目的に始まったが、「各地の芸能を取材するうちに、いかに伝承していくかが大きな課題になっていることが分かり、伝承への使命感から忠実に舞台化する機運が高まった」(鶴岡さん)。だが1978年の22作目の「祭ファンタジー」が最後の舞台となる。その背景には、「ベルサイユのばら」(74年初演)など洋物の大ヒットのほか、日本万博の「日本の祭り」や旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」などで民俗芸能が観光資源として見直されてきたこともある。ただ宝塚が全国の郷土芸能を掘り起こし、記録してきた役割は実に大きい。

 この日の上映会ではまず「火の島」と「祭ファンタジー」の2作を基に、各地の芸能がいかに舞台化されたかを映像で鑑賞。その後、研究会が記録した奈良県の芸能のうち阪本踊や鎌倉節踊、そうめんかけ唄、矢田地蔵練供養などが上映された。阪本踊や矢田地蔵練供養は今では途絶えている貴重なもの。仮に復活する場合には大いに参考になりそうだ。音源だけ残っている麻布さらし節や大和万歳も流された。

 研究会が収集した膨大な資料は2003年、阪急文化財団が運営する池田文庫(大阪府池田市)に移管された。同文庫では資料の劣化を防ぐため、映像のDVD化や音源のデジタル化に取り組んでいる。08年には閲覧室での一般公開を開始、昨秋には「タカラヅカを彩った郷土芸能」展を開催した。鶴岡さんによると「資料のインターネットでの公開に向けて準備を始めている」という。ただ別々に記録した映像と音をいかにシンクロさせるかなど課題も多いそうだ。

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<国際比較の中の地方自治> 自治体の力は連邦制のカナダや米国などと並び世界の上位!?

2012年09月23日 | メモ

【奈良県立大学公開講座、城戸英樹講師】

 「地方の声を国政運営に反映させたい」「地方のことは霞が関ではなく地方で決められるようにすべきだ」。こう主張する橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」の動向が注目を集めている。地方の権限、財政力が弱いことを揶揄して「3割自治」という言葉もある。では、日本の地方自治体は本当に弱いのだろうか? 22日、奈良県立大学で「国際比較の中の地方自治」をテーマに公開講座があった。講師は地域創造学部の城戸英樹講師。2010年に京大大学院法学研究科博士課程を修了、同大学に迎えられたばかりの気鋭で、行政学、地方自治論を専門としている。

 3割自治という言葉が長く人口に膾炙(かいしゃ)していたこともあって、地方自治体は自主財源(地方税)が少なく弱い立場に置かれているという見方が支配的だった。だが最近の自主財源の割合は歳入全体の4割台(2009年度で47.2%)にアップしているという。ただ残りの5割強は国からの地方交付税と国庫補助金に頼らざるを得ない状況が続いている。

 地方政府の自主財源率を国際的に見ると、高いのはカナダ、スイス、米国など連邦制を取っている国々。日本もこれらの国とあまり差がない。デンマーク、スウェーデン、フィンランドなど福祉先進国といわれる北欧諸国が3割前後で続く。英国やイタリア、フランスなどは僅か1割前後にとどまるという。これは意外! これらのことから城戸講師は「日本の地方は大きな役割を担っており、世界の中では財政的自律性は高い」とみる。

 では政策決定での役割ではどうか。城戸講師は小泉政権下で行われた三位一体改革による地方への税源移譲と、世界で最も分権的とされ州政府の力が強いといわれるカナダでのクレティエン内閣(自由党)下での財政移転改革を比較した。日本では交付税と国庫補助金を合わせ9.8兆円削減され、地方へ3.3兆円の税源を移譲(所得税)。その結果、地方の歳入は差し引き6.5兆円減少してしまった。一方、カナダでは財政移転で80億ドル(約20%)がカットされたうえ税源移譲額まで削減された。強いはずの州政府は何も勝ち取ることができなかったわけだ。

 なぜ日本は税源移譲を勝ち取り、カナダはだめだったのか。日本には国にもの申す地方団体として〝戦う知事会〟をはじめ地方6団体があるが、カナダにも州首相会議があり、行政ルートはほぼ似ている。城戸講師は政治ルートを比較し、「日本では県連という政党組織が中央とつながっているが、カナダではケベック州を除いて中央と地方の政治組織が断裂している。このためカナダでは日本と違って、与党内に州政府を擁護する動きが見られなかった」と指摘する。

 城戸講師は最後に維新の会を念頭に地域政党の可能性と限界に触れた。「確かに地方の意見を中央に反映させる点で意味はある。ただトップが大阪市長、府知事を務める地方政党が北海道や東京でどれだけ受け入れられるだろうか。カナダではケベック連合が財政改革に猛反対したが、少数派(議会の20%)の意見は全く反映されなかった。このことから見ても国政レベルではかなり限界があるのではないか」。

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<ヒガンバナ(彼岸花)> きょうは秋分の日 畦道彩る鮮やかな赤花

2012年09月22日 | 花の四季

【曼珠沙華、イチジバナ、火事花、幽霊花、死人花、嫁の簪、舌曲がり……】

 ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。秋のお彼岸の頃に咲くことから、その名がついた。葉が出る前に茎が地面からすくっと立ち上がり、その先に燃えるような赤い花。昔から全国各地の田畑の畦道や土手などでよく見かけるが、古い時代に中国から渡来した帰化植物といわれる。別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)は「法華経」に出てくる梵語。天上に咲く花を意味するという。

 

 万葉集に「道の辺のいちしの花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は」。この「いちしの花」が何を指すか諸説あるが、牧野富太郎博士のヒガンバナ説が有力という。ヒガンバナはこの他にも多くの別名を持つ。墓地によく生えているためか葬式花、幽霊花、死人花、地獄花。このほかに狐花、火事花、嫁の簪(かんざし)、イチジバナなど異名は数え切れないほど。アルカロイド系の有毒成分を含むことから、手腐り花、舌曲がり、痺(しび)れ花などとも呼ばれる。

 鱗茎(球根)は生で食べると下痢や吐き気を催し、神経麻痺を起こすことも。田畑の畦道によく植えられたのもモグラや野ネズミの防除対策のためといわれる。鱗茎は水にさらし有毒成分を除くと良質のでんぷんが取れる。このため以前は飢饉の際の救荒食料になった。また漢方では「石蒜(せきさん)」と呼ばれ、去痰や吐き気止めの薬としても用いられる。日本では縁起の良くない不吉な名前が多いヒガンバナだが、西洋では「マジックリリー」などと呼ばれ庭花として好まれているそうだ。

 

 同じ仲間に黄色花のショウキズイセン(鍾馗水仙、写真㊧)や白花のシロバナヒガンバナ(シロバナマンジュシャゲ、写真㊨)、ピンクのナツズイセン、オレンジ色のキツネノカミソリなどがある。このうち花弁の縁にフリルがつき上品な雰囲気のショウキズイセンは庭植えや鉢植え、切り花などとして人気が高い。シロバナヒガンバナはヒガンバナとこのショウキズイセンの自然交雑種といわれる。

 秋分の日を中心に各地の名所では「彼岸花まつり」が開かれる。奈良県明日香村は22~23日。HPの開花情報によると、見所の稲渕の棚田は21日現在2~3分咲き。棚田の赤花に続いて、石舞台古墳の外堤では白花も咲き誇る。同じ「日本の棚田百選」では佐賀県小城市江里山地区も22日開催。長崎県大村市の鉢巻山は明日香村と同じ22~23日。神奈川県の小出川彼岸花まつり(藤沢市、茅ケ崎市、寒川町)は29日。小出川沿いの3キロにわたってヒガンバナが咲き誇る。このほか埼玉県日高市の巾着田、幸手市の権現堂堤では今、曼珠沙華祭りが行われている。「飛火野の飛火のひとつ曼珠沙華」(野田しげこ)。

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<BOOK> 「植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫」

2012年09月21日 | BOOK

※9月7~20日分を新しくライブドアブログに立ち上げた「く~にゃん雑記帳Ⅱ」に掲載しています。

【田中修著、中央公論新社刊】
 植物は野菜や果物など大切な食料の供給源。光合成で二酸化炭素を吸って、酸素を供給してくれる。草花は癒やしにも欠かせない。すごいと言えば、虫をおびき寄せ捕まえる食虫植物は確かにすごい。だが、それ以外植物にはどんなすごさがあるのか。著者は京大農学部卒の農学博士で、現在甲南大学理工学部教授。著書に「ふしぎの植物学」「入門楽しい植物学」「花のふしぎ100」など。ここ数年、NHKラジオの「夏休み子ども科学電話相談」で植物についての質問の回答者として出演しており、本書も事例を多く取り上げながら、植物のすごさを易しく解説している。

  

 7章構成。前半で体を守る植物の知恵と工夫、後半では環境に適応し暑さ・寒さなどの逆境に抗して生きていくため、植物が持つ仕組みのすごさを紹介している。まず成長力のすごさ。キャベツの種の重さは約5mg。それが4カ月後に重さ1200gになる。何と約24万倍。エネルギー源は光合成で自ら作り出すブドウ糖やデンプン。「人間がこの反応を真似できたら、地球上の食糧不足などに悩む必要はない」。植物はアミノ酸や脂肪、ビタミンなども自分で作り出せるからすごい。

 植物が動物から身を守る術としてトゲがある。バラやサボテン、ピラカンサなど。葉にトゲがあるヒイラギ(柊)はトゲが刺さると疼くため「疼木」とも書く。奈良公園の鹿はアシビとともに、トゲのあるイラクサも食べない。イラクサの漢名は「蕁麻」。かゆみや痛みを伴い発疹が出る蕁麻疹はその漢名にちなむ。アフリカには「ライオンゴロシ」と呼ばれるゴマ科植物もあるそうだ。口の中にトゲが刺さり、食べ物を食べられなくなって餓死……。えっ、肉食のライオンが植物を食べて死んだ?

 クリは熟すまで鋭いイガで守る。 カキは種ができる前の若いときには虫や鳥に食べられないように渋く、種が出来上がってくると甘くなり、食べられて種を運んでもらう。ゴーヤも成熟前は苦味で種を守り、完熟すると種の周りが赤いゼリー状になる。トウガラシは昆虫が多い地域ほど、辛み成分のカプサイシンを多く含む。シシトウは温度や水分、日照などいい条件がそろうと辛みが少なく、逆に悪い条件で苦労して育つと辛くなるそうだ。

 タンポポやイチジク、ゴムの木などは白いネバネバの液で昆虫から身を守る。ヒノキなどは「フィトンチッド」と呼ばれる香りでカビや細菌を殺したり、繁殖を抑えたりする。サクラの枯れ葉や落ち葉は親株の根元で、腐葉土になるギリギリまで虫の嫌がる香りを放って親を守る。アジサイやキュチクトウ、ユーカリは有毒物質を含む。アジサイは意外だが「青酸を含んだ物質」を持つ。虫に食べられた跡がほとんどないのもそのためという。

 植物は有害な紫外線から身を守るため、自ら作り出すビタミンCやビタミンEなど抗酸化物質で対抗している。夏の暑さには葉から水を蒸発させることで体を冷やすという冷却能力を持つ。では常緑樹はなぜ厳寒の中でも緑のままなのか。「寒さに耐えるために葉っぱの中に糖分を増やす」仕組みを持つ。冬を越した大根や白菜などの野菜が甘くなるのも、その仕組みが働くことによるという。やっぱり、植物はすごい!

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<安野光雅「洛中洛外展」> 淡い水彩で描く古都

2012年09月20日 | 美術

【86歳、原動力は「子どもの頃のような好奇心」】

 画家、安野光雅の「洛中洛外展」(10月8日まで)が19日、大阪高島屋で始まった。1926年島根県津和野町生まれの86歳。小学校の美術教師などを経て43歳のとき絵本作家としてデビュー。以来、想像力あふれる多くの絵本や装画、風景画などを手掛けてきた。絵本のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞(画家賞)を受賞するなど内外での評価は高い。創作の源は「好奇心。〝私は下手、まだ子ども〟という自己暗示がいつもスケッチを始めるときのおまじないになっている」という。

 銀閣寺遠望

 同展には産経新聞に連載中の「洛中洛外」シリーズをはじめ「日本のふるさと奈良」、ヨーロッパを描いた「風景画を描く」、共同通信加盟地方紙に連載中の「日本の原風景」、メルヘンチックな「野の花と小人たち」、唱歌など歌の世界を描いた「絵本歌の旅」、初公開の「絵のある自伝」など、合わせて120点余の作品を展示している。

 「洛中洛外」は奈良に続く古都シリーズ。「京都を描くことによって忘れていたこと、つまり文化の大切さを思い知らされている」という。そのうちの1点に『銀閣寺遠望』(上の絵)。銀閣寺の全景を俯瞰する形で描いている。その説明文に「見晴らしのいい丘の上まで登ったが、少し息がはずんだ。先月、心臓の定期検診に行ったが、異常はなかった」。日経新聞に昨年2月掲載された「私の履歴書」によると、安野は2005年、狭心症の手術を受け、その半年後には肺に影が見つかり、がんの告知を受けた。ただ担当医から「今のところ、がんはないと思ってください」と言われ、「先生の言葉に拍子抜けし、そしてまた元気が出た」と述懐している。そんな経緯もあってか、この『銀閣寺遠望』はまるで〝いぶし銀〟のように輝いて見えた。

伏見酒蔵りんどう

 奈良については「仏教文化など沢山の物が人間とともに渡来した。百済、高句麗、新羅などを抜きにして、わが国の文化を語ることはできない。昭和を生きた私には『いにし世を静かに思え、百年も昨日の如し』という感慨がある」という。田園風景の奥に大仏殿が描かれた『奈良坂から大仏殿』からは、そんな悠久の時の流れを感じさせられた。安野の描く世界は極力原色を排した淡い色遣いが特徴。『春の小川』『長崎の鐘』などの「歌の旅」シリーズ、『ほたるぶくろ』『りんどう』などの「野の花と小人たち」シリーズなども、いずれも穏やかでやさしさにあふれていた。(上の絵は㊧伏見酒蔵、㊨りんどう)

 安野は1991年夏から司馬遼太郎の「街道をゆく」(週刊朝日連載)の装画を長く担当し、取材旅行にも同行した。司馬が亡くなった後、遺品として靴を2足頂いたが、これが不思議とぴったり合った。「これは司馬さんの靴だぞ、といって威張ってみせた」という。「私の履歴書」にはそんな愉快なエピソードも載っていた。安野の故郷津和野への思い入れは深い。2001年の75歳の誕生日、その津和野の駅前に「安野光雅美術館」が開館した。同じ津和野生まれの森鴎外翻訳の「即興詩人」(アンデルセン原作)の熱心なファンとしても知られ、2010年には自ら「口語訳即興詩人」まで出版した。まもなく米寿を迎えるが、創作への意欲と情熱はなお尽きないようだ。

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<ハギ(萩)> 秋を代表する七草の一つ

2012年09月19日 | 花の四季

【万葉の時代には「芽」「芽子」で「ハギ」と読ませた!】

 マメ科ハギ属。一般に「ハギ」というとハギ属全体を指すことが多いが、万葉集で歌われたハギはヤマハギのこと。庭木などとして最も多く植えられるのはミヤギノハギで、花期には枝先が地面に着くほどにしだれる。一方、ヤマハギや葉に丸みがあるマルバハギは花穂が短くほとんどしだれない。このほかツクシハギ、マキエハギ、メドハギ、エゾヤマハギなどがある。

萩 

 万葉集にはハギの花に託して恋心などを詠んだ歌が多い。草木では最多の141首。ハギが古くからいかに身近な植物だったかが分かる。当時は「芽」や「芽子」と書いて「ハギ」と読ませた。山上憶良も秋の七草を「芽之花乎花葛花…(萩の花をばなくず花…)」と詠んだ。そんなところからハギの語源は、毎年古い株から勢いよく芽を吹き出すことを表す「生え芽(はえき)」が転訛したものといわれる。

 このほか、小さい葉が歯の形に似ているところから「歯木」説、細長い枝が箒(ほうき)に使われることから「掃き(はき)」説、葉が黄色くなるのが早いため「葉黄」説などもあるそうだ。草冠に秋をつけた「萩」は日本で生まれた国字。秋を代表する花であることを示す。この萩の字が使われ始めたのは平安時代以降。中国で萩というと、別のキク科の植物を指すそうだ。

 ハギのついた地名ですぐに思い浮かぶのが山口県萩市。その萩市にはハギが生い茂った山があったといわれ、ハギをツバキとともに「市の花」に制定している。宮城県の県花はミヤギノハギ(宮城野萩)。ハギは仙台市や福井県敦賀市、京都府福知山市などの市の花にもなっている。関西には奈良の百毫寺や薬師寺、京都の梨木神社、大阪府豊中市の萩寺(東光院)などハギの名所が多い。

 なお「ハギ」とつく草花にヌスビトハギやヒメハギがあるが、これらはハギ属とは別もの。ヌスビトハギの名称は豆のさやが盗人の足跡に似ていることに由来する。日本に自生する在来種だが、これとは別にアレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)という北米原産の外来種がある。草むらなどを歩くとズボンなどにさやがくっ付いて往生することがあるが、その犯人がこのアレチヌスビトハギ。近年ますます増殖しているから草むらなどに入るときは要注意だ。「低く垂れその上に垂れ萩の花」(高野素十)。

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<東大寺 十七夜盆踊り> 奈良の「踊り納め」 二月堂下に踊りの輪幾重にも!

2012年09月18日 | 祭り

【20年前に復活、河内音頭と江州音頭に乗って】

 奈良で「盆踊りの踊り納め」といわれる東大寺の「十七夜盆踊り」が17日、お水取りで知られる二月堂下の広場で行われた。起源は不明だが、江戸時代末期にはすでに行われていたらしい。昭和半ばに中断したが、約20年前の1993年に復活した。この盆踊りは「関西の踊りじまい」ともいわれる。誰でも参加OKで、幾重もの輪が広場を埋め尽くし、熱い踊りが延々2時間半続いた。

 盆踊り

 毎月17日は観音様の縁日。特に旧暦8月17日は「十七夜」と呼ばれ、多くの参拝客でにぎわう。この日、大仏殿前の鏡池南の常夜灯から二月堂に至る参道は石灯籠130基余に灯が入り、二月堂本堂周辺も願い事などを書いた手作りの灯籠約300基で飾られた。ろうそくのあかりが温かい雰囲気を醸し出す。

 盆踊りは本堂での法要に続いて夕方6時半にスタート。やぐらの上で音頭取りによる河内音頭が始まると、「待ってました!」とばかりにすぐに踊りの輪が動き始めた。そろいの浴衣姿の若者や手馴れた身のこなしの中高年グループ。中には浴衣がよく似合ったかわいい金髪のお嬢さんも。この他にも外国の方の姿も目立った。河内音頭に続いて江州音頭。

 二月堂の舞台から下を眺めると、さほど広くない広場は人、人、人。いつの間にか踊りの輪はやぐらを挟んで2つできていた。踊りの熱気が舞台の上まで伝わってくる。その向こうに大仏殿の大屋根。さらにその奥には奈良の市街地がキラキラと輝いていた。

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<大和文華館> 企画展「明清の美術―爛熟の中国文化」

2012年09月17日 | 美術

【透明感あふれる山口宗季(中国名・呉師虔)の「花鳥図」】

 奈良市の大和文華館で特別企画展「明清の美術―爛熟の中国文化」(30日まで)が開かれている。同館所蔵品を中心に16~18世紀の明清時代の花鳥画や山水画など約70点を展示。琉球(沖縄)から中国に絵画留学した絵師、山口宗季(呉師虔)の「花鳥図」(写真)は画面全体に透明感があふれ、高い品格を放っていた。白菜を描いた「墨菜図」や絶世の美女・王昭君(明妃)の故事を描いた「明妃出塞図巻」も印象に残った。

 
花鳥図2

 山口宗季(1672~1743)は31歳の時、琉球との間で文化交流が盛んだった中国・福州に留学し4年間絵画の修業を積む。この「花鳥図」は帰国後の1715年の作。「太湖石」という中国の奇石にボタンやシャクヤク、野菊、ツバキなどを生けるように描き、文鳥など数種のつがいの小鳥を配している。白を基調とした中でボタンとツバキの赤が際立つ。清朝の花鳥図の画風が随所に見られるという。清朝の花鳥図は1731年、長崎に渡来した中国の画家によって日本に伝えられ、江戸後期の画壇に大きな影響を与えたという。

 沖縄の文化財はその多くを沖縄戦で焼失した。ある美術書によると、宗季の作品も存在が確認されているのはこの「花鳥図」も含め僅か7点(うち2点は米国へ流出)。いずれも沖縄戦以前に本土に出ていたものといわれる。宗季の作品には印章に中国名の「呉師虔」が使われていたため、本土では長く中国人と思われていたという。この「花鳥図」にも「呉師虔」と「子敬書」の2つの印章が押されている。「子敬」は宗季の字(あざな)。

 「明妃出塞図巻」は長さ約175cmに及ぶ明時代の巻物。前漢の宮女・王昭君が匈奴(きょうど)の王に嫁いだ故事を絵画化した。匈奴王から女性を所望された漢の元帝は似顔絵の中から一番醜い宮女を選んで差し出すことを決める。この女性が王昭君。宮女は美しく描いてもらおうと絵師に袖の下を贈っていたが、王昭君だけはそれを拒んだため醜く描かれていた。王昭君が絶世の美女と知った元帝は激怒し、その絵師を斬首刑に処したという。

 「墨菜図」は清時代の画家・栖巌鳳臣によるもので、大きな白菜2玉を墨で精密に描いた作品。葉の柔らかそうな感触まで伝わってくるようだ。白菜をモチーフの一部としてではなく、主題として大胆に描いたところが目を引いた。

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<フサフジウツギ(房藤空木)> 芳香に集まるチョウ 英名「バタフライブッシュ」

2012年09月16日 | 花の四季

【トラノオに似た薄紫花、学名から「ブッドレア」とも】

 フジウツギ科の落葉低木。高さ2~3mで、枝先に10~20cmの円錐の穂状に薄紫の小花を無数につける。中国中西部原産で、日本にはヨーロッパで品種改良されたものが明治時代中期の1890年ごろ渡来したといわれる。ただ、秩父地方(埼玉県)の荒川上流部で野生化したものが見つかり「チチブフジウツギ」と呼ばれる。このこともあって帰化植物説のほか一部に在来種説もあるという。

フサフジウツギ

 学名の「Buddleja」から別名「ブッドレア」。英名では「バタフライブッシュ」とも呼ばれる。芳香を発散し蜜も多いため、アゲハやタテハなどのチョウやクマバチ、オオスカシバ(ガの一種)などがよく集まることによる。欧米の庭園では「チョウを呼ぶ花」として、好んで植えられる植物の一つになっている。「ニシキフジウツギ」の別名もあり、花の色が白や紅などの園芸品種も出回っている。

 同じ仲間の「フジウツギ」は学名の「Buddleja japonica」(ブッドレア・ジャポニカ)が示すように、日本原産で本州・四国地方の山間の川沿いでよく見られる。フサフジウツギ同様、芳香があり紅紫色の小花を多数つける。サポニンの一種を含む有毒植物で、葉や茎には魚を麻痺させる作用があるという。「ウラジロフジウツギ」は九州や四国南部に分布する。このほか、同じ仲間に「コフジウツギ」や中国原産の「トウフジウツギ」などがある。

 花木の中には「○○ウツギ(空木)」の名がついたものが多い。これは茎の中が空洞になっているという特徴を表すもので、同じ仲間を示すものではない。フサフジウツギはフジウツギ科だが、タニウツギやヤブウツギはスイカズラ科、マルバウツギやヒメウツギはユキノシタ科、コゴメウツギはバラ科とそれぞれ異なる科目に分類されている。

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