く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<信州・安曇野> 双体道祖神② 北アルプス背に仲睦まじく

2012年03月31日 | 旅・想い出写真館

  

  

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<アンズ(杏、杏子)> 桜より一足早く開花 「禁断の木の実」はこの木?

2012年03月30日 | 花の四季

【種は漢方薬の生薬や杏仁豆腐の香りのもとに】

 家の近くにある高齢者福祉施設のアンズのつぼみが綻び始めた。高さ3mほどの木が5本。毎年すぐそばのソメイヨシノより少し早く咲き始める。薄桃色の一番花がニッコリうれしそう。初夏に南高梅大の実を付け、黄色く熟すと収穫される。施設入居者に生の果実として供されるのか、それともジャムやシロップ漬けに加工されるのだろうか。

  バラ科サクラ属。中国東部原産で薬用として日本に伝わったといわれる。だから別名カラモモ(唐桃)。種は杏仁(きょうにん)と呼ばれ、咳止めやぜんそく、風邪予防用の生薬として使われ、杏仁(あんにん)豆腐の香りのもとにもなる。果実として食されるようになったのは明治以降のことらしい。果肉はベータカロチンやリンゴ酸に富み、疲労回復や冷え性に効くという。旧約聖書の「創世記」に出てくるエデンの園の「禁断の木の実」は、長くリンゴのことだといわれてきた。だが、最近では聖書学者の間でアンズではないかという説に傾いているそうだ。

 古代中国の呉の国。董奉という医師は貧しい人から治療費をもらわない代わりに、病気が治ったら裏山にアンズの苗を植えてもらった。それが続くうち、いつしかアンズが茂る立派な林ができていた――。この故事から医術に優れた立派なお医者さんを「杏林」と呼ぶようになったという。日本にも「杏林」や「キョーリン」を冠した医大や製薬会社、ドラッグストアなどがあるが、いずれもその故事に由来しているそうだ。「母死後の目に一杯の花杏」(岸田稚魚)。

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<BOOK> PHP新書『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』

2012年03月29日 | BOOK

【上杉隆著、PHP研究所発行】

 著者は1968年福岡県生まれ。鳩山邦夫代議士の公設秘書、ニューヨークタイムズ東京支局記者などを経てフリージャーナリスト。著書に「ジャーナリスト崩壊」「記者クラブ崩壊」など。日本の記者クラブ制度をなれあいの「官報複合体」と批判し続けており、昨年1月には開かれた記者会見の場の提供を目的に「自由報道協会」を設立、代表に就任している。

    

 記者クラブは中央官庁をはじめ各地の役場や警察、商工会議所などに至るまで全国で800カ所もあるという。新聞やテレビの報道記者はそこを拠点に取材する。情報提供側は記者クラブを使えば効率的に情報を流せ、取材側も労せずして情報を入手できる。だが、その記者クラブについてはかねて閉鎖性・排他性などの問題点が指摘されてきた。

 著者は「メディアと権力双方にとってメリットのある仕組みになっており、権力の側は新聞やテレビを使って世論操作を仕掛けていく。ある意味の情報統制が行われている」と糾弾。東日本大震災の報道も「政府発表をそのまま垂れ流すだけの政府広報」とし、「震災報道9つのウソ」として①メルトダウンはしていない②放射能物質は拡散していない③半径20キ圏外の地域は安全――などを挙げる。

 昨年9月、当時の鉢呂吉雄経済産業相が「放射能をつけちゃうぞ」発言で辞任に追い込まれた。まだ記憶に新しいが、これは記者が「放射能ついていませんか」と話をふったのを受け、経産相は「ほら」とジョークで応じただけで具体的な言葉は発していないという。それがマスコミを通じて報道される過程を検証し、「アンフェアどころか、犯罪行為ですらある」と断罪する。

 記者クラブは「政府をはじめ公式な記者会見を勝手に独占し情報カルテルを形成している」とし、「記者会見への参加を希望するメディアに対し、それを拒否する同業者が存在するのは世界広しといえども日本ぐらい。世界標準から見て明らかにおかしい」と批判。使途不明の官房機密費は「その多くがマスコミ対策のために使われている可能性がある」とも指摘する。

 記者クラブを巡っては15年前、神奈川県鎌倉市がクラブ非加盟の報道機関にも記者室と記者会見を開放、10年前には長野県の田中康夫知事(当時)が脱・記者クラブ宣言をした。その後も「国境なき記者団」(パリ)が当時の小泉純一郎首相にクラブ改革の要望書を送ったり、欧州連合(EU)が「外国メディアが排除されている」としてクラブ制度の廃止を要求したりするなど、国際問題にもなっている。

 その間、日本新聞協会は「記者クラブは可能な限り開かれた存在であるべき」としてたびたび加盟社や主要クラブに通達を出してきた。繰り返し通達を出さざるを得ないことが、裏を返せば記者クラブの閉鎖体質がなお改まっていないことを証明している。税金で賄う官庁内などの施設を記者クラブが独占していいのか。取材先との癒着につながっていないか。自由な取材競争を妨げていないか。記者クラブは閉鎖性以外にもさまざまな問題点が指摘されるが、報道されることが少なく一般にはなじみが薄いテーマだけに、本書が改めて俎上に載せ広く問題提起したことには賛辞を送りたい。

 ただ一部に「日本の記者は、取材した人間が自分で記事を書かない」「記者の評価はたくさんメモを上げること」など、説明不足で読者に誤解を与えそうな表現があったのが残念。

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<ヒュウガミズキ>春の息吹ここにも! かわいい黄花が釣鐘状に鈴なり

2012年03月28日 | 花の四季

【地名の日向、それとも明智日向守光秀から? 由来に諸説】

 若葉を展開する前に、枝先や節々に淡黄色の小花を無数に付ける。マンサク科トサミズキ属で、同じ仲間にトサミズキやキリシマミズキ、コウヤミズキなど。樹高は2~3mぐらい。それほど華があるとはいえないが、春の訪れを告げる庭木として人気が高い。

 トサミズキに比べると樹高はやや低く、花や葉も少し小さめ。このため「ヒメ(姫)ミズキ」の別名もある。トサミズキが1つの花序に7~8個の小花を穂状に付けるのに対し、ヒュウガミズキは1~3個と清楚で控えめなため、区別もつきやすい。

 「日向水木」というからには日向地方(宮崎県)に多いと思われがちだが、日向では長く自生が確認されていなかったため疑問符付き。戦国時代、明智日向守光秀の所領だった丹波地方に多く自生していたことに由来するとの説もある。他に「ヒメミズキ」の訛り説も。

 ヒュウガミズキなどのトサミズキ属と、ミズキ科のミズキは全く別の種類。ミズキは樹高が10~15mと大きく、地中から多量の水を吸い上げる。春先に枝を切ったり傷つけたりすると、樹液が滴り落ちるため、その名があるという。それならヒュウガミズキも樹液を出すかもしれない。そう思って小枝を切り、しばらくたって確認したが、残念ながら樹液は全く出ていなかった。

 では、なぜ地名などの後にミズキとあるのか? トサミズキ属は科名にもなっているマンサク(満作)と同じように黄花を多く付ける。このため豊年満作を意味する「満木(ミタスキ)」と呼ばれ、それが訛って「ミズキ」になったのではないか。そう言われている。

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<く~にゃん物語⑩>苦手なの、唱歌「故郷(ふるさと)」とビーグル犬

2012年03月27日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【ウサギおいし→おいしい!? ビーグルはウサギ狩りの狩猟犬】

 「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川~」。私、この「故郷」という歌を聞くとちょっと怖いの。なぜかって? 以前ラジオでこの曲が流れた後、男の人が「長い間、ウサギの肉はうまいと思っていた」と話すのよ。「追いし」じゃなく「おいしい」と勘違いしていたのね。私、この話を聞いたときドキドキして死ぬかと思ったわ。

   

 日本は今でこそウサギを食べないけど、食用として飼っていた時代があったんだって。あぁ、こわ! 江戸時代、将軍家ではお正月にウサギ料理が必ず出たそうよ。ウサギをかぞえるとき、たまに「1羽」「2羽」ということがあるでしょ。跳んではねるウサギを鶏など鳥と同類とみなし、何羽とかぞえて食用にしていたときの名残ともいわれているの。

 フランスでは今でもウサギは「ジビエ料理」に欠かせない食材だって。狩猟で獲った野ウサギやキジ、マガモなどを使った料理のことで、ウサギを1匹丸ごと煮込む料理もあるそうよ。食べた人によると、味は鶏肉に似ているとか。だけど、ご主人様だったらフランス料理でエスカルゴは食べても、「ウサギとトマトの白ワイン蒸し」とかが出ても絶対に口にしないはず、多分。

 ビーグルが嫌いな理由? それはこの犬がウサギ狩り用の狩猟犬として育てられてきたからなの。ウサギ狩りは昔イギリスで貴族に人気があって、ビーグルは何匹もで吠え立てながらしつこく追ってくるの。ウサギは後ろ足が発達しているでしょ。だから上り坂は得意だけど下りは大の苦手。それを知っているビーグルは上の方から下へ、下へと追い込むの。私たちにとってビーグルはまさに天敵だったというわけ。

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<信州・安曇野> 双体道祖神① 路傍で微笑む村の守り神

2012年03月26日 | 旅・想い出写真館

   

   

   

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<岡山シーガルズ> 決勝ラウンド4位 残念、でも見せた!粘りのバレー

2012年03月25日 | スポーツ

【デンソーにフルセットの末2―3 優勝は東レ】

 バレーボールのV・プレミアリーグ女子は24日決勝ラウンド最終日を迎え、レギュラーラウンド1位の東レが久光製薬を3―0のストレートで破って2季ぶり4回目の優勝を飾った。岡山シーガルズは3位決定戦でデンソーに2―3で競り負け4位に終わった。昨年12月にスタートしたレギュラーラウンドで、岡山は決勝ラウンドに進出できる「4位以上」という目標を果たしたものの、上位3チームの壁は厚かった。

 デンソーとの3位決定戦で岡山は18―25、18―25で2セット連取されたが、第3セットを25―23、さらに第4セットを25―17で取り返し、信条の粘りのバレーを見せてくれた。だが最終セットを9―15で奪われ、あと一歩及ばなかった。4チーム総当たりの決勝ラウンド1~3日目(16~18日)では、岡山は初戦で東レに1―3で敗れたが、第2セットをジュースの末26―28で落としたのが悔やまれる。第2戦のデンソー戦は0―3。第3戦の久光戦は1―3だったが、この試合でもジュースになった第3セットを28―30で惜しくも奪われた。レギュラーラウンドでは7回あったジュースを全て取っていただけに、「そのセットさえ取っていれば」と思わずにいられなかった。

 今季リーグ戦を振り返ると、岡山はアタック決定率で劣ったものの、ブロックでは8チーム中トップクラスの得点を稼いだ。弱点だったサーブレシーブもレギュラーラウンドから決勝ラウンドに進むにつれ成功率が高くなった。ただ試合の後半になってミスを連発し、点差を引き離される場面も目立った。決勝ラウンドでの戦いを通じ、改めて体力面の強化や攻撃のコンビネーションなど課題が浮かび上がり収穫も多かった。1カ月後の大阪での「黒鷲旗」が楽しみだ。

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<BOOK> 「万葉 こころの風景」

2012年03月24日 | BOOK

【山内英正著、和泉書院発行】

 大和三山を望む甘樫丘(奈良県明日香村)、ハイカーの聖地・山の辺の道……。こうした自然景観の保全も多くの先人の熱い思いがあってこそ。とりわけ万葉集研究の大家、犬養孝氏(19071998)の果たした役割は大きい。「万葉風土学」を提唱、歌に詠まれた万葉集ゆかりの〝万葉故地〟を訪ね歩き、自ら揮毫した歌碑の建立を続けた。1967年から亡くなるまでの30年余に124基。没後も揮毫色紙を基に全国各地で建立が続き2011年現在141基になっているという。

    

 甘樫丘に建てた歌碑第1号は志貴皇子の「采女の袖吹き返す明日香風 都を遠みいたづらに吹く」だった。犬養氏は「万葉の旅」も主宰し、〝犬養節〟で歌を朗唱したが、その旅の参加者は延べ4万人以上に達したという。古都飛鳥の保存にも情熱を傾けた。1956年、飛鳥・高市・阪合の3村合併の際には、新村名の「飛鳥」案を巡って紛糾していた3村に「明日香」を提案、この村名に決まった。明日香村のいわば名付け親でもある。没後、その明日香村に2000年「犬養万葉記念館」ができた。

 著者は大阪大学入学以来、犬養氏が亡くなるまでの約30年間、書生のようにそばで犬養氏が執筆した随想や講演筆録、歌碑建立の記録などに取り組んできた。本書は万葉故地の保存や没後に建立された歌碑の数々(福岡県桂川町の「草深百合」、長野県千曲市の「鰻捕りめせ」など)、「台湾万葉集」のこと、恩師の知られざるエピソードなどを26編に綴ったものである。

 その1編に聞き書きした「関東大震災の思い出」がある。大震災(1923年9月1日)は犬養氏が京華中学4年生で、現在の東京・台東区に居住していた時に起きた。その描写は実にリアルで、当時の甚大な被害や混乱ぶりが詳細に語られている。「聞き書きをしていると、先生はしだいに涙声になっていった」。三浦半島に住む親類から後日聞いた話として、こんな記述もあった。「地震とともに海が後退して海底の岩が海上に露出し、津波が押し寄せてきた」。今回の東日本大震災が頭をよぎった。

 余談をひとつ。山の辺の道は多くの万葉歌碑が出迎えてくれる。武者小路実篤や棟方志功、入江泰吉、東山魁夷ら著名人が自ら揮毫したものだけに、熱心な万葉ファンでなくてもつい目が行ってしまう。そんな中に古事記の歌もある。川端康成の「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる 大和し美し」(倭建命)。揮毫をお願いしていた川端康成が書く前に他界。そのため奈良県桜井市は夫人の了承を得て、ノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」の原稿から一文字一文字拾って歌碑に刻んだという。2月に桜井市であった「語り部・かたりすと」平野啓子さんのお話で、そんな経緯を知った。歌碑にはそれぞれに揮毫した人や建てた人の深い思いが詰まっている。改めてそう感じた。

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<世界卓球団体戦>五輪前哨戦25日開幕 日本女子、めざせ!決勝進出

2012年03月22日 | スポーツ

【過去5回連続、準決勝で敗退し銅メダル】

 国際卓球連盟(ITTF)主催の世界卓球選手権(略・世界卓球)団体戦が25ドイツのドルトムントで開幕する(~4月1日)。日本女子は2001年の大阪大会以来5大会連続、準決勝で敗退中。だが、今大会は石川佳純、福原愛を中心に最近では最強の充実した陣容で臨むだけに、準決勝の壁を突破しロンドン五輪に向けて勢いをつけたい

 世界卓球団体戦は2年毎の開催で、前回の2010年モスクワ大会女子決勝では9連覇を狙った卓球王国・中国をシンガポールが破るという大波乱があった。その大会で日本は準々決勝で韓国をフルセットの末3―2で破ったものの、準決勝では中国に0―3のストレートで敗れた。

予選リーグのグループ別出場チーム

 Aグループ=中国、ルーマニア、ハンガリー、ベラルーシ、ウクライナ、米国。Bグループ=シンガポール、オランダ、チャイニーズタイペイ、トルコ、北朝鮮、スウェーデン。Cグループ=日本、ドイツ、ポーランド、スペイン、セルビア、フランス。Dグループ=香港、韓国、ロシア、チェコ、オーストリア、クロアチア

 大会に参加するのは24チーム。これを4組に分け、各組ごとに6チーム総当たりの予選リーグを行う。各組1位チームは無条件に準々決勝に進むことができ、同2~3位は準々決勝進出をめざしトーナメント1回戦を戦う。4位以下のチームは順位決定戦に回る。試合は3選手による5シングルス制で先に3勝したチームの勝ち。3位決定戦を行わないため、準決勝敗退の2チームが銅メダルを獲得する。

 日本代表選手は石川(世界ランキング6位)、福原(11位)に加え平野早矢香(13位)、藤井寛子(32位)、石垣優香(45位)の5人。2年前の前回大会に比べると、福原が8位から少し下げたが、石川が29位から、藤井も60位からそれぞれ急上昇している。平野も14位から1つ上げた。

 日本チームの現在の世界ランキングは中国、シンガポールに次ぎ3位で、ドイツやポーランドなどとともにC組に入った。実力的に日本が優位に立っており、5戦全勝で1位通過するのはほぼ間違いないだろう。A組は世界個人ランキング1~4位の丁寧、劉詩ブン、郭炎、李暁霞をそろえた中国が飛びぬけている。B組は前回の優勝チームで、馮天薇(5位)や王越古(8位)=元十六銀行所属=ら中国からの帰化選手を中心とするシンガポールが強い。D組は香港(4位)と韓国(5位)が1位をかけ激しい戦いを展開しそう。このほかドイツ(6位)やオランダ(7位)もトーナメントを勝ち抜いて順当に準々決勝に駒を進めそうだ。

 中国は前回大会のシンガポール戦で当時世界1位の劉詩ブンが2敗、同4位の丁寧が1敗し1―3で敗れており、その歴史的敗戦の雪辱に燃えている。戦力的には優勝候補の1番手だろう。日本の前に立ち塞がるのは中国、シンガポール、韓国あたりか。韓国は金娥(16位)、朴美英(23位)ら日本が苦手とするカット選手をそろえ、2年前も苦戦している。

 ただ、日本チームも石川がこの1年間国際大会を多くこなして、めきめき実力を上げてきた。1月に悲願の全日本選手権初優勝を果たした福原にとっては、日本女王として臨む初の世界卓球。今年もチームの要となる。平野は惜しくもロンドン五輪でのシングルス出場権を獲得できなかったものの、団体戦出場は間違いないだけに前哨戦となるこの大会にかける思いは強い。準々決勝、準決勝はやはりこの3人が中心になるだろう。

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<立寒椿(タチカンツバキ)>椿なのに花びら1枚ずつ落下 そろそろ見納め

2012年03月21日 | 花の四季

 菖蒲(アヤメ)と杜若(カキツバタ)、牡丹(ボタン)と芍薬(シャクヤク)のように、草花にはよく似ていて区別がつきにくいものが少なくない。そして寒椿とサザンカも非常に似て、草花愛好家を悩ませている。実のところ、庭の隅にある高さ3m余のこの花についても百パーセントの自信はなく「多分、立寒椿だろう」という程度であることを、まず断っておきたい。

 寒椿はツバキ科ツバキ属で、椿とサザンカの交雑種。椿は普通花ごとポトリと落ちるが、この寒椿はサザンカと同じく花びらが1枚ずつ散るのが特徴。同時に、おしべと花弁が合着している椿の特徴も併せ持つ。通常、枝が横に伸び背丈がせいぜい1m程度のものを寒椿、枝が縦方向に伸び3~5mにもなるものを立寒椿と呼ぶ。

 花は八重の紅色が多いが、白やピンク、一重も。葉は艶のある暗緑色で、縁には鋸の歯のようなギザギザがある。12月から年を越して長く咲き続け、メジロなど野鳥に蜜を提供してきたが、もうそろそろ見納めだ。

・「寒椿つひに一日の懐手」(石田波郷)、「花咲いておのれをてらす寒椿」(飯田龍太)

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<BOOK> IDP新書『職場うつからの生還』

2012年03月20日 | BOOK

【吉田勝明著、IDP出版発行】

 「自殺大国」日本。自殺者は14年連続3万人を超える。その中にはうつ病など精神疾患によるとみられるものも多い。うつ病は誰でもかかる可能性があるため「心の風邪」ともいわれる。著者は1956年福岡県生まれの精神科医で、横浜相原病院の院長を務める傍ら、産業医としてうつ病休職者の〝復職リハビリ〟に取り組んできた。その経験と症例を基に職場復帰のタイミングや対処方法をまとめたのが本書だ。事業者に従業員のメンタルチェックを義務付ける労働安全衛生法の改正案が今国会に提出されている折だけに、時宜を得たテーマとタイミングといえよう。

     

 うつ病は①メランコリー型うつ病②双極性障害(躁うつ病)③気分変調症④非定型うつ病――の4つに分類される。①②が従来型うつ病で中高年に多い。③④は青年層に多く新型うつ病といわれるが、筆者はバブル景気終焉後の平成という時代が生んだということで「平成うつ」と呼ぶ。就職氷河期、終身雇用制の崩壊、失われた20年……。経済的に恵まれた環境で育ってきた若者がこうした厳しい社会に放り出された途端、挫折感を味わって離職へ。大卒新入社員の3年以内の離職率は4割近くに達するという。こうした時代背景の中で「平成うつ」が増えているというわけだ。

 従来型うつ病の場合、仕事熱心で責任感が強い人に多く、慢性疲労や睡眠不足、ストレスなどから抑うつ状態となり、うつ病に進む。早期発見のポイントとして不眠や食欲不振、味覚障害の有無などを挙げる。休職後の円滑な職場復帰には周りの理解とリラックスできる環境づくりが欠かせないとして、患者・職場・家族の「復帰へのトライアングル」が重要と説く。

 一方「平成うつ」は自身への愛着が強く規範や秩序への否定的な感情を持つ若者がなりやすいという。倦怠感を訴え、すぐに「だるい」と言うほか、過眠・過食も目立つ。旧型は休養と服薬で良くなることが多いが、新型は休養が常に良いとは限らない。慢性化して再発することも珍しくない。周囲の人は「病気であることを認めつつも過保護にならないことが大切」という。

 文部科学省は昨年12月、うつ病などの精神疾患で2010年度中に休職した公立学校の教職員が全国で約5400人に上ると発表した。著者は「若者のうつ病の原因の多くは教育にあると感じている。そのいい例が、教職員のうつ病による休職者の多さ。そういう先生に教えられている子供は、心が弱くならざるを得ない」と指摘する。

 病気などで寝たきりになっていると丈夫だった足の筋肉まで弱ってくることがある。こうしたケースを医学用語で「廃用症候群」というそうだ。うつ病も必要以上に長く休むと社会復帰が難しくなるとして、著者はこれを「心の廃用症候群」と呼ぶ。「医原病」。これは文字通り医者が原因となって起こる病気で、抗生物質を長く使っていると薬が効かない感染症が発生するといった場合を指す。うつ病でも「(患者の求めに応じて)ダラダラ休職期間を引き延ばしている医者が、医原病としてのうつ病を作り出している」と猛省を促す。「うつの治療には時間がかかるが、腫れ物にさわる対処ではなく、組織としての取り組みが肝要」。著者は最後にこう結んでいる。

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<千両>正月に欠かせない縁起物の花材。3月なのにまだ実がこんなに…

2012年03月18日 | 花の四季

 そのめでたい名前から正月飾りによく使われる。赤い実はヒヨドリなどの野鳥たちにとって冬場の貴重な食糧。3月のこの時期ともなれば、実は食べ尽されているのが普通だが、玄関脇で人の出入りがあるためか、鳥の被害に遭わず実をいっぱい付けたまま。見る者にとってはうれしいが、子孫を増やしたい当の千両はとまどっているかもしれない。

 華道の古書などには「仙蓼」として出てくるが、江戸時代に縁起を担いで千両と名付けられた。「草珊瑚」ともいわれる。姿の似た万両が赤い実を葉の下に垂れ下がるように付けるのに対し、千両は葉の上に万両より小さめの実を上向きに付ける。万両はヤブコウジ科だが、千両はヒトリシズカなどと同じセンリョウ科。

 千両と万両があるからには百両や十両もあるの? もちろんある。唐橘(カラタチバナ)が百両、ヤブコウジが十両と呼ばれている。この2つも同様に冬場に赤い実を付ける。万両から十両までの〝序列〟は背丈によるらしい。実の付き方も万両、千両と下がるにつれて少なくなるようだ。百両、十両は万両と同じヤブコウジ科に属する。ミカン科のミヤマシキミ(タチバナモッコク)を億両、アカネ科のアリドオシを一両と呼ぶこともあるとか。

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<BOOK> 『ヤマト政権誕生と大丹波王国 国宝「海部氏系図」が古代史を書き換える』

2012年03月17日 | BOOK

【伴とし子著、新人物往来社発行】

 著者は京都府網野町(現京丹後市)出身で、大谷大学文学部卒業、佛教大学史学科博物館学芸員課程修了。中学講師を経て東近江行政組合に勤める傍ら、主に丹後地方の伝説や古代史の研究に励んでいる。著書に「古代丹後王国は、あった」「前ヤマトを創った大丹波王国」など。

   

 日本三景の一つ、京都府宮津市の天橋立に丹後一宮籠(この)神社がある。この神社宮司の海部家に伝わるのが日本最古の系図「海部氏系図」と「海部氏勘注系図」(いずれも国宝)。著者はその系図の中に、古事記・日本書紀では不鮮明な日本建国の謎を解くカギが隠されていると確信、長年にわたって〝解読〟に努めてきた。本書はこれまでの成果を集約した労作である。

 記紀の天孫降臨神話ではニニギノミコトが九州・日向に降臨し、その子孫が神武天皇だが、著者は系図から天孫降臨はもう一つあったとみる。丹波にホアカリノミコトが天降り、その子孫の海部氏がいち早く大陸から先進技術や文化を取り入れて大丹波王国を築いた。中国の「隋書」に「倭国の王の姓は阿毎(あま)」と書かれており、この「阿毎」が海部氏とみる。王国は「丹後、丹波、但馬(三タン王朝)プラス若狭」と広域にまたがり、その勢力の一部がヤマトに入って「初期ヤマト政権の基礎を創った」。垂仁天皇は丹波国の王女たち5人を妃とし、そのうちヒバスヒメは皇后となって景行天皇を産んでいる。「皇室系譜の母系にしっかりと丹波系の血が流れている」わけで、これも大丹波王国の大きな力の一端を表す。

 伊勢神宮ではまず外宮に、次いで内宮に参る「外宮先祭」というしきたりがある。外宮に祀るのは豊受(とようけ)大神、内宮は皇室の祖神である天照大神。豊受大神は元々、大丹波王国が奉じた最高神だったが、雄略22年(478年)、伊勢に遷座した。なぜか。「ヤマト政権がアマテラスを奉じて国造りをしていくとき、大元の神である豊受大神=天御中主神はなくてはならない神だった」。ただ、記紀は豊受大神のことに触れていない。

 卑弥呼についても記紀にはほとんど記述がないが、「八世紀の大和政権の祖先筋になるのではなく、それ以前にヤマトに君臨していた氏族の中にこそ卑弥呼とトヨは存在したのではないか」。そして卑弥呼の「ひ」は「日」、「みこ」は「巫女」あるいは「御子」「神子」の当て字とみて、「海部氏勘注系図」から「海部氏の九世孫の妹日女命が卑弥呼で、十一世孫の妹日女命がトヨではないだろうか」と推測する。

 丹後、丹波地域の古代の繁栄ぶりは多くの古墳群や出土品、数々の伝承・伝説などからもうかがえる。著作を読んだのは「前ヤマトを創った大丹波王国」に次いで2冊目だが、王国が実際にあったであろうこと、そして、日本の黎明期に中心的な役割を果たしたことは間違いないと確信するに至った。古代史を塗り替える大仕事だが、著者にはさらに調査・研究を重ね、王国と大和朝廷、卑弥呼・邪馬台国との関わりなどを掘り下げていくことを期待したい。

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<ヤブツバキ> 社寺に多い銘木・老木、お見舞いの〝禁花〟

2012年03月16日 | 花の四季

 「巨勢山のつらつら椿つらつらに 見つつ偲はな巨勢の春野を」(万葉集巻1―54、坂門人足)。ツバキは神聖な木、長寿や魔よけの木として古くから大切にされてきた。万葉集にはツバキの歌が9首(長歌1首を含む)あるが、いずれも野生のヤブツバキを詠んだものといわれる。

 

 その種子から取れるのがツバキ油。食用のほか整髪料などの化粧品、くしや刀の手入れ用などの高級油として広く利用されてきた。第二次大戦中には戦闘機ゼロ戦の燃料の代用品としても使われたらしい。

 ツバキは樹齢100年を超える銘木、老木が全国各地に残っている。関西では京都市御香宮神社の「おそらく椿」や等持院の「有楽椿」、京都府与謝野町の「滝の千年ツバキ」、奈良市の三名椿(白豪寺の五色椿、東大寺の糊こぼし椿、伝香寺の散り椿)、兵庫県豊岡市・長楽寺の「散り椿」などが有名。「おそらく椿」は小堀遠州が「おそらく、これほど見事なツバキは他にあるまい」と言ったことから名付けられたとか。「有楽椿」は織田信長の弟、有楽斎が茶花として好んだことに由来する。

 ツバキは花びらが1枚ずつ落ちるサザンカと違って、花ごと(首ごと)ポトリと落ちる。それが不吉として、お見舞いでは菊やシクラメンなどとともに贈ってはいけない〝禁花〟とされる。競馬の世界でも落馬を連想させるとして、「ツバキ」を馬の名前につけることが長く敬遠されてきた。1969年の日本ダービーで1番人気の「タカツバキ」がスタート直後に落馬したことも影響しているという。ただ、今年1月には京都競馬場の3歳新馬戦でその名もずばり「ツバキ」がデビューした。「花のように美しく可憐に走るように」。そう願って名付けたそうだ。

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うさぎの「く~にゃん物語」⑨ ご覧の通り。ビーバーにも負けないよ!

2012年03月15日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【歯の伸び過ぎ防ぐため、何でもガリガリ】

 ウサギの歯って、何本ぐらいあるか知ってる? 「人間が親知らずを除くと28本だから、その半分ぐらい?」。いいえ、人と同じ28本よ。前歯(門歯)が6本、それに奥歯(臼歯)が左右に11本ずつ。えっ、「ウサギの前歯は上下2本ずつしか見えない」って。実は上の2本の前歯の裏に、もう2本隠れているの。

     

 「常生歯(じょうせいし)」。ウサギの歯は一生伸び続けるからこう呼ばれているの。伸びるスピードが一番速いのが上の前歯、次に下の前歯、そして奥歯の順。だから伸び過ぎないように、つい何でもかじっちゃうの。ペットショップで「かじり木」が売っているそうだけど、私の場合は大きな板を豪快にかじっちゃう。ビーバーにも負けないんだから。「女の子がはしたない」って。そんなこと言わないで。

 以前、部屋の中で遊んでいて机の裏側に黒い線があったの。これをかじっていると、中の銅線まで見えてきたの。それが実はパソコンのコードだったのね。そのため、ご主人様はわざわざ新しいのを買ってきたうえ、部屋中の電気コードを黒くて硬いカバーで覆ってしまったの。いろいろ余分な出費をさせたけど、「習性だから仕方ないか」とあきらめているご様子。

 前歯が伸び過ぎると「不正咬合」といってかみ合わせが悪くなるの。それに奥歯が伸び過ぎたら、口の中が痛くなったり、けがしたりするかもしれないでしょ。だから伸び過ぎを防ぐためにも草やワラをたくさん食べて、できるだけ長くモグモグすることが大切なの。甘いものをたくさんもらううちに、虫歯になる仲間もいるよ。私は今のところ大丈夫だけどね。

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