く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<東大阪市民美術センター> 企画展「宮本順三展~祭りと踊りに見る世界のデザインと色彩」

2023年11月30日 | 美術

【おもちゃ「グリコのおまけ」約3000種類のデザイナー】

 東大阪市民美術センターで11月29日、企画展「宮本順三展」が始まった。副題に「祭りと踊りに見る世界のデザインと色彩」。大阪市出身の宮本順三さん(1915~2004)はかつて子どもたちの人気を集めたおもちゃ「グリコのおまけ」のデザイナーとして知られる。同時に世界の祭りと踊りを画題とし多くの油彩画を描いた。企画展ではそれらの中から代表作を選んで展示している。12月17日まで。

 宮本さんは画家になるのを夢見て、彦根高等商業学校(現滋賀大学)時代には自ら美術部を創設した。卒業後に就職したのがグリコ。入社時の面接では「もっと子どもが喜ぶおもちゃを作りたい」と訴えた。当時グリコはおまけに絵カードなどを入れていた。願いがかなって配属されたのが広告課景品考案係(おまけ係)だった。(下は『浪花郷土玩具集』)

 1945年には退職する。だが、その後も家業だったセルロイド工場を再建し、協力業者としておまけの製造に励んだ。参考にしたのが日本の郷土玩具や世界各地の伝統的なおもちゃなど。生涯にデザインしたおもちゃはなんと約3000種類に上る。宮本さんは生前「子どものおもちゃを大切にする国は文化的に豊かでもある」と話していたそうだ。

 宮本さんは国内だけでなく世界各地を訪ねては祭りや踊り、人々の表情、風景、伝統玩具、考古遺産などをスケッチし、帰国後それらを基に多くの油絵を描いた。作品数は51カ国230点(うち日本117点=いずれも画集掲載分)に及ぶ。(下は『東栄花祭り』)

 企画展は「大阪の祭りと伝統」「日本の四季と祭り」「日本・世界の民族文化」「世界の祭りと踊り」「世界の人々」で構成。絵画の展示数は50点余で、ほかに絵日記や内外の仮面、グリコ時代に手掛けた「世界一周スタンプ集」なども展示している。


 国内の祭りを描いた展示作には『青森ねぶた祭り』や『花笠祭り』(山形県)、『東栄の花祭り』(愛知県)、『美里の祭り』(京都府)、『飛騨高山のどぶろく祭り』(岐阜県)、『長崎のランタン祭り』などがある。『沖縄の文化祭』(上)と北海道網走市の『オロチョンの火祭り』(下)はいずれも100号の大作だ。

 「世界の祭りと踊り」のコーナーにはもっと大きな150号の作品も並ぶ。『シーサンパンナーの水かけ祭』(中国)、『マラケシュのバザール』(モロッコ、下の写真右側)、『ランテの水牛供犠』(インドネシア)、『パロゾンの大祭』(ブータン)……。

 展示絵画の多くは東大阪市にある「宮本順三記念館・豆玩舎ZUNZO(おまけやズンゾ)」所蔵だが、国立民族学博物館(大阪府吹田市)や大阪社会福祉指導センター(大阪市)、大阪セルロイド会館(同)の所蔵作品も含まれる。(下は『ランテの水牛供犠』)

 独特なタッチで描かれた作品はいずれも鮮やかな色彩に溢れ、画面から人々の喜びとエネルギーが伝わってくる。歓声や鳴り響く太鼓などの音まで聞こえてくるようだ。(下は『パロゾンの大祭』)

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<奈良市教委・史料保存館> 企画展示「日新記聞が伝える明治の奈良町」

2023年11月28日 | 考古・歴史

【明治初期に発行された奈良県初の新聞】

 奈良市教育委員会の「史料保存館」(奈良市脇戸町)で、企画展示「日新記聞が伝える明治の奈良町」が開かれている。日新記聞は1872年(明治5年)3月から73年(同6年)11月まで発行された小冊子で、奈良県下初の新聞といわれる。発行期間は2年弱と短いものの、記事内容から“文明開化”に邁進する当時の様子が空気感とともに伝わってきた。

 発行元は金沢昇平(1827~93)らが設立した「日新報社」(後に「日新社」に改名)。記聞は縦22cm、横15cmの木版刷りで、発行は月3回だった。ページ数は概ね16ページ。第1号では役人が皆散髪して刀を持たず、洋服で靴のまま出入りしているなど、新しい奈良県庁内の様子を描写している。県は明治政府の「散髪脱刀令」を受け1872年秋、髪を剃らず帽子を被るよう布達「措髪戴帽の奨励」を出した。12号には洋髪散髪店の広告も掲載されている。

 ただ当時は相変わらず「月代(さかやき)」(半髪剃頭、ちょんまげ)をする人も多かった。そんな中、角振町の町民36人が県の説諭に応じて「半髪剃頭は一切いたしません」と連署した「半髪剃頭連印帳」(1873年8月)を作成した。参考文献として、その連印帳(角振町自治会の寄託史料)も展示している。

 記聞には▽人力車の出現でそれを職業にする者が増え、子どもたちも猿沢池を一周するのを楽しみにしている▽奈良県が若草山に牧場を開き乳牛を飼い始めた▽牛乳は子どもの内臓の弱りを補い、大人は肌が潤い、血液は増え、疲れや冷えなどの症状も治す▽近年肉食が盛んになって肉店の開店が相次いでいる――といった記事も見える。

 第9号には東大寺・正倉院宝物の図を掲載。正倉院では文部省が1872年8月に行った文化財調査(壬申の検査)の一環として、明治になって初の開封・調査が実施された。掲載の図はその時に行われた宝物の模写を元にしているとみられる。この時の調査が、1875年の第一次奈良博覧会での正倉院宝物約220点の出品につながった。第12号には政府の「神仏分離令」に伴う興福寺の廃寺に関する記事を掲載している。

 史料館では同時にならまち歳時記「春日若宮おん祭」の特別陳列と、館蔵史料「奈良暦」の特別公開も開催中。会期はいずれも12月17日まで。

 おん祭は1136年(保延2年)に天下泰平、五穀豊穣を祈って始まった大和最大の祭礼。今年12月で888回目を迎える。主な展示史料は江戸時代の「春日大宮若宮御祭礼図」「春日社若宮祭図解」「大和名所図会」など。御祭礼図は1730年(享保15年)の発行以降繰り返し再版されてきた。大宿所祭の図には巫女による湯立て(写真中央)やキジ・ウサギなど“懸け鳥”と呼ばれる供え物(右上)などが詳細に描かれている。

 「奈良暦」のコーナーには江戸時代後半に作成された綴暦(とじごよみ)が並ぶ。江戸時代、暦の作成は江戸・伊勢・三島・奈良・金沢・京都の6カ所に限られた。奈良では幕府の天文方で作成した暦の写本暦が奈良奉行所を通じて下げ渡され、それを元に版を作成し発行許可を得て10~11月に印刷した。販売・配布の権利を持つのは陰陽師(おんみょうじ)で、奈良陰陽町には江戸中期、陰陽師が十数軒あったそうだ。

 展示中の1868年(慶応4年)の暦には1月3~4日の上の余白部分に、鳥羽伏見の戦いについてこんな書き込みがあった。「伏見ニ会津薩州会大砲打合同所火」「上様京橋ヨリ舟候」。この戦いと将軍徳川慶喜の脱出劇は庶民にとっても衝撃的なニュースだったに違いない。1854年(嘉永7年)の暦には11月初め大地震があり、大阪では津波で多くの人が亡くなったと記されている。明治時代に入ると、暦類の出版が自由になったことから暦入り引き札(広告のチラシ)が盛んに発行されるようになった。

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<飛鳥宮跡> 舒明天皇の「岡本宮」の遺構?出土! 

2023年11月26日 | 考古・歴史

【延長35mの掘立柱塀の柱穴列、現地説明会を開催】

 飛鳥時代の宮殿遺跡「飛鳥宮跡」(国史跡)の発掘調査で、舒明天皇の飛鳥岡本宮の遺構とみられる掘立柱塀の柱穴列が見つかった。飛鳥宮跡には天皇の代替わりのたびに宮殿が造営された。ただ初期の遺構は下層に埋もれているため検出例はこれまで極めて断片的で、今回のようにまとまった形で区画施設が出土したのは初めて。奈良県立橿原考古学研究所が11月25~26日、現地説明会を開いた。

 飛鳥宮跡の宮殿遺構は大きくⅠ~Ⅲ期の3つの時期に分けられる。Ⅰ期の遺構は舒明天皇の飛鳥岡本宮、Ⅱ期は皇極天皇の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)。Ⅲ期遺構は前半のA期と後半のB期に分けられ、A期が斉明天皇・天智天皇の後飛鳥岡本宮、B期が天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)と考えられている。

 今回の発掘調査(飛鳥京跡第190次調査)の対象地域はⅢ期遺構の内郭(天皇の住まいなど宮殿中枢部)の西北部に当たる。Ⅰ期とみられる掘立柱塀の柱穴列はその長方形の調査区を北東から南西へ斜めに横断する形で見つかった。総延長は約35mで、柱間の長さは約2.7m。その場所には見学者にも分かりやすいように白いポールが立てられていた。

 飛鳥岡本宮については日本書紀に636年火災に遭ったとの記述が見られる。今回の発掘ではそれを裏付けるように、柱の痕跡や抜き取り穴に赤褐色の焼土や炭化物が多く混じっていた。これまでに周辺で確認されたⅠ期遺構とも共通することから、この柱穴列もⅠ期、つまり岡本宮の遺構と考えられる。

 飛鳥宮後半のⅢ期とみられる掘立柱の建物や石組み溝などの遺構も検出した。建物は2棟の跡が確認されている。いずれも東西棟で、両端の柱の桁行(けたゆき)と梁行(はりゆき)はそれぞれ約19m×約5.4m、約12m以上×約5.4m。建物の北側からは東西方向の幅約0.5mの石組み溝も出土した。

 これとは別に東側で南北方向の石組み溝も見つかった。この遺構は東西の溝より早いⅡ期の遺構とみられる。幅は約0.6mで、底石には径10cmほどの小礫、側石には人頭大の石が使われている。今回の発掘調査で、飛鳥時代の宮殿の構造や変遷がまた一つ明らかになった。

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<キトラ古墳「四神の館」> 切り絵作家・望月めぐみさんの作品展「飛鳥コスモロジー」

2023年11月25日 | 美術

【極彩色壁画発見40年記念企画展、11/30まで】

 奈良県明日香村のキトラ古墳壁画体験館「四神の館」で、壁画発見から40年になるのを記念した企画展「飛鳥コスモロジー~切り絵作家・望月めぐみの宝石箱より」が開かれている。

 会場を飾るのは石室に描かれていた獣頭人身の「十二支」や星座の「二十八宿」を題材に制作した大きな切り絵作品。純白の切り絵の数々が天井中央に描かれた天文図を囲んで一体化し、荘厳かつ華やかな世界を作り出している。

 望月さんは1978年横浜生まれ。現在は京都市に在住し、京都伝統工芸大学校和紙工芸専攻非常勤講師を務める。切り絵作家として内外で高い評価を得ており、寺院などでの大型インスタレーション作品を多く手掛けてきた。著書に『平安絵巻の素敵な切り絵』(PHP研究所)。

 企画展のタイトル「コスモロジー」は直訳すると「宇宙論」。望月さんは「古代飛鳥にも大きな影響を与えた東アジア独自の世界観・コスモロジーを構成する物事に惹かれ、画題として取り組み続けている」という。

 会場中央には巨大なスクリーンが4面あり、石室の壁面に描かれた四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)の精細画像がクローズアップしながら映し出される。その真ん中、天井の天文図の真下に、ひときわ存在感を放つ小さな箱が展示されている。スポットライトを浴びた姿はまさに黄金色に輝く宝石箱。

 『小宇宙(星降るキトラ)』という望月さんの立体切り絵作品だ。「古墳の壁画や出土品をモチーフに石室内部に表された宇宙観を再現した」という。約11㎝四方の立方体。これを33.6㎝四方の1枚の紙から作ったというから驚く。まさに匠の技! 上には円形の天文図が乗る。

 スクリーン裏の壁面にも望月さんの作品が並ぶ。「斉明天皇のまなざし」シリーズは『雨乞い』(下の写真)、『禊ぎ』など4点。飛鳥時代に「海を越えた広い視野を持ち行動した」女帝斉明天皇に思いを馳せて制作した。霊獣の『麒麟』など中国の神話から発想した作品も展示されている。

 他には壁画発見40周年を記念した『明日香村切り絵御朱印』も。初公開の作品群で、発売は来年1月20日とのこと。企画展の会期は11月30日まで。(写真はキトラ古墳の天文図を基にした切り絵御朱印の原画)

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<たかとり城まつり> 時代行列、4年ぶりに復活!

2023年11月24日 | 祭り

【火縄銃・殺陣の実演、よさこい、大道芸なども】

 奈良県高取町の高取山頂(標高約584m)に築かれた高取城は備中松山城(岡山)、岩村城(岐阜)とともに日本3大山城といわれる。その旧城下町で11月23日「第35回たかとり城まつり」が開かれた。最大の呼び物は「時代行列」。過去3年はコロナ禍に加え昨年は雨天で中止になっていた。それだけに久しぶりの行列復活に城下町を貫く土佐街道は多くの観光客で溢れかえった。

 メイン会場は高取城から移築した重厚な松ノ門が構える高取児童公園。ここでは午前10時すぎから和太鼓の演奏を皮切りに火縄銃の実演、南京玉すだれ、忍者ショー、殺陣の実演、よさこい踊りなど多彩なイベントが繰り広げられた。兜・陣羽織の試着記念写真コーナーもあり、そばの旧幼稚園の園庭では大骨董市も開かれていた。

 時代行列が出発したのは午後1時。長い行列は石畳の緩やかな上りが続く土佐街道を練り歩いてメイン会場に向かった。先導するのは荷台に巨大な桶胴太鼓を載せた車と「大和高取城」の旗行列。高取町自治会と高取国際高校の生徒による「姫と家老」や「江戸両替商」の行列、高取土佐時代行列保存会による奴行列が続いた。

 その次には「大名駕篭」。中には殿様ではなく可愛い女の子がちょこんと鎮座していた。勇ましい鎧兜姿の甲冑隊がこの後に続く。「高取甲冑隊」、紀州九度山の「手作甲冑真田隊」、「大阪城鉄砲隊」、「甲援隊」、「子ども甲冑隊」。甲冑隊はそれぞれ時折「エイエイオー」と勝どきを上げたり、勝利の舞を披露したりしていた。

 この後ろに高取町社会福祉協議会の女性陣による「くノ一忍者隊」が続き、しんがりは神戸に拠点を置く日本南京玉すだれ協会の行列だった。童謡「ゾウさん」などを歌いながら見事な手さばきを披露すると、沿道の観客から大きな拍手が送られた。

 この日は城まつりに合わせ、小島神社で県指定有形民俗文化財「ナモデ踊り絵馬」が一般公開された。実物の公開は2013年以来10年ぶりとのこと。絵馬は享保8年(1723年)、宝暦2年(1752年)、文政4年(1821年)の3枚あり、江戸時代の雨乞いの「ナモデ(南無手)踊り」の様子が描かれている。(写真は宝暦2年在銘絵馬=部分)

 絵馬は横幅が約1.9m、高さが1.5m前後ある巨大なもの。ちょうど300年前の享保8年在銘のものは残念ながら剥落が激しく絵柄は不鮮明。しかし、残りの2枚は今も華やかな衣装や踊り子の表情までも色鮮やかに残っている。宝暦の絵馬には墨書で「諸願成就皆令満足所」、文政のものには「奉掛/雨乞願成就」と記されているそうだ。(写真は文政4年在銘絵馬=部分)

 「阿波野青畝文学館」も特別開館し、青畝直筆の掛け軸や短冊などを公開した。青畝(1899~1992)は高取町出身の俳人で、昭和初期には山口誓子・高野素十・水原秋桜子とともに“ホトトギスの4S”と呼ばれた。「爪に火をともす育ちの老の春」「月下美人膾(なます)になつて了いけり」

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<大和文華館> 特別企画展「朝鮮螺鈿の美」

2023年11月20日 | 美術

【修理を終えた『螺鈿葡萄文衣裳箱』など公開】

 奈良市学園南の美術館「大和文華館」で、特別企画展「朝鮮螺鈿の美」が始まった。同館所蔵の朝鮮螺鈿の優品に『螺鈿葡萄文衣裳箱』がある。ただ貝殻片の剥落や木地接合部分の亀裂などが見られたため2年がかりで修理中だった。その修理が終わったのを機に貝の輝きが美しい螺鈿作品の数々を見てもらおうと、東京国立博物館から拝借した特別出陳作なども加えて一堂に展示している。12月24日まで。

 

 展示は「螺鈿葡萄文衣裳箱とその系譜」「唐草文・葡萄唐草文の展開」「朝鮮螺鈿の文様と東アジアの美術」の3章で構成する。総展示数は螺鈿作品に同館所蔵の東アジアの陶磁器や絵画なども含め67点。螺鈿作品25点には東京国立博物館蔵6点(うち3点は重要文化財)と個人蔵1点も含まれる。

 修理後初公開の『螺鈿葡萄文衣裳箱』は朝鮮王朝時代の16~17世紀の作品で、大きさが72㎝×43㎝×高さ13㎝の被せ蓋造り。官吏の服を入れる箱として用いられた。蓋の上面ではたわわに実るブドウの枝と飛び交う蝶や蜂を螺鈿で繊細に表現され、側面には宝相華唐草文が巡る。螺鈿に使われているのはアワビ貝。X線撮影で蓋の縁に竹とみられる材を巡らせ釘で固定していることが確認された。

 

 この企画展では東京国立博物館蔵のほぼ同サイズの重文『螺鈿牡丹唐草文衣裳箱』(16世紀、ちらし写真の上半分)や『螺鈿葡萄文衣裳箱』(18~19世紀)も展示中。前者は同時に展示中の重文『螺鈿花鳥文硯箱・螺鈿花鳥文文台』の外箱と伝わっているが、螺鈿技法や文様から制作地は異なる可能性が大きい。この硯箱と文台はもともと戦国大名大内義隆が所有し、後に謀反を起こした家臣の陶氏(すえし)を経て毛利氏に渡ったといわれる。

 朝鮮螺鈿の特徴は“貝割”という技法を多用していること。夜光貝やアワビなどの貝殻から花弁や葉などの文様を切り出したうえ、それぞれをわざわざ数片に割って用いた。これは細かく割ることで貝の光彩が一層きらめく効果を得るため。展示中の螺鈿作品も多くが淡いピンクや緑色の輝きを放ち、その美しさにしばし目を奪われた。

 文様にも変遷がみられる。高麗時代(918~1392)の螺鈿作品には菊唐草文様が施された経箱が多いのに対し、朝鮮時代(1392~1910)に入ると器種が増え、文様も牡丹唐草文が目立つように。さらに朝鮮時代後期には山水文様が多く現れた。展示中の個人蔵『螺鈿山水文箱』には蓋と側面に山や岩、松や桃の木々、舟を漕ぐ人物などが螺鈿で山水画のように表現されている。

 ほかの主な展示作品に東京国立博物館蔵の『螺鈿牡丹唐草文箱』や『螺鈿葡萄栗鼠(りす)文箱』、館蔵品の『螺鈿花鳥文筆筒』、『螺鈿魚文盆』、中国・明時代の『螺鈿山水人物文座屏』『螺鈿花鳥蝶文器局』など。日本の作品では伝本阿弥光悦(1558~1637)作『沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒』(重文)、尾形光琳・乾山の合作品を蒔絵師原羊遊斎(1769~1845)が模造した『螺鈿蒔絵梅文合子』なども並ぶ。

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<東大寺・長池> 発見!修学旅行生が池に落としたカメラ

2023年11月17日 | アンビリバボー

【警備詰所の職員ら奮闘! 懸命の探索が実る】

 11月16日午後2時すぎ、東大寺・二月堂からの帰り道での出来事だった。場所は大仏殿東側の細長い「長池」。大人の男女2人が何かを探すように虫取り網のようなものを池に差し入れていた。そばには心配顔の男女7人の修学旅行生。スマホでも落としたのかな? 男の子に話を聞くと、池のコイの写真を撮ろうとしてカメラを落としたとのことだった。

 男女2人のうち黒い制服姿の男性は東大寺警備詰所の職員で、女性は修学旅行生たちに付き添う先生だった。2人は旅行生が指をさす場所を中心に、繰り返し網で池の底をさらった。だが、網に掛かるのは黒い泥ばかり。

 先生は生徒たちに次の見学場所(興福寺?)に向かうよう指示し、先生が残って東大寺の職員と探し続けた。修学旅行生たちの集合時間は午後3時15分とのこと。もう1時間を切っていた。虫取り網を何度も池の中に突っ込むうちに、網の部分が柄から取れて使えなくなった。

 「やはり無理か」。その場を離れて帰途に就こうとしたら、向こうから大きな網を持った白いシャツ姿の男性がやって来た。手にするのは直径が50~60㎝もありそうな巨大な網。もうしばらく様子を見ようと再び現場へ。1人で残っていた先生は携帯で関係者に状況を報告中だった。

 また2人で捜索が始まった。そのうち熊手を持った警備詰所の職員も加わり別の女性の先生も駆けつけた。大網が水中から上がるたび、カメラが入っていないか注視したが、空振りが続く。大網で底をさらうこと十数回。「もう見つからないかも」と思った、その時だった。「あった!」と大網の男性。その場に遭遇して30分弱が経っていた。

 後からやって来た先生が無事に見つかったカメラの紐を手に取った。白い小さなデジカメだった。大網の男性は大任を果たせて安堵の表情。その男性に深々とお辞儀を繰り返す2人の先生の姿が印象的だった。

 先生から報告を受けた生徒たちの喜ぶ姿が目に浮かぶ。長時間水中に漬かったカメラがうまく機能するかどうかは分からない。だけど、この日の東大寺での出来事、警備詰所の職員たちの親身な心遣いは、いい思い出として長く心に刻まれることだろう。

 大網の男性が引き揚げるとき、この長池について話を伺った。それによると、江戸時代に大仏殿を再建するときに使う材木をこの池に浮かべていたらしい。池は貯木場だったのだ。知らなかった。

 では、そんな巨大な網を警備詰所に常備しているのはなぜ? この長池では時々死んだコイが浮かぶことがあり、それを回収するためとのことだった。その大網が今回はカメラの救出に役立ったわけだ。警備詰所の皆様、心温まる場面を見せていただき、ありがとうございました。

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<高校ラグビー大阪府予選> Aシード3校が全国大会へ

2023年11月13日 | スポーツ

【東海大仰星、強豪常翔との接戦制す】

 第103回全国高校ラグビー大会の大阪府予選が11月12日、東大阪市花園ラグビー場で行われ、Aシードの関西大学北陽高校、大阪桐蔭高校、東海大付属仰星高校の3校が勝って全国大会(12月27日開幕)に駒を進めた。関大北陽にとっては初の全国切符。大阪桐蔭は3大会連続17回目、仰星は5大会連続23回目の出場となる。

〔第1地区決勝〕関大北陽41―7大阪産業大学付属高校

 初のAシード関大北陽の戦いぶりが注目を集めた一戦。前半10分台に北陽が2本のトライを決める。これで北陽ペースになるかと思われたが、大産大付属は20分すぎ主将の小谷剛輝がトライ(写真)。その後も互いに譲らず北陽の10―7とわずか3点差で前半を折り返す。

 だが後半に入ると北陽が地力を発揮、バックス・フォワードが一体となって大産大付属を圧倒した。4本のトライとコンバージョンを積み重ね、さらにロスタイムにはペナルティーキックにも成功。大産大付属は後半、零封に抑え込まれた。

〔第2地区決勝〕大阪桐蔭24―3大阪朝鮮中高級学校

 まず先制したのは大阪朝高。開始早々、相手の反則で得たペナルティーキックをきっちり決め、幸先のいい3点に応援席は大盛り上がり。この後、桐蔭は激しくゴールに迫るが、朝高が必死に防戦。桐蔭がモールで押し込みトライと思われた場面もあったが、結局認められず(写真)、朝高の3―0でハーフタイム。

 しかし後半開始直後、桐蔭は2本のトライを決め14―3と逆転に成功。その後、約20分間にわたって一進一退の攻防が続いたが、桐蔭が相手のオフサイドの反則で得たペナルティーキックを決め17―3に。さらにロスタイムにはNO8上野凌大の後半2本目のトライ(写真)で引き離した。

〔第3地区決勝〕東海大仰星27―17常翔学園

 Aシードの仰星と春の全国選抜大会4強常翔の対戦は予想通りの好ゲームとなった。前半14分、仰星のCTB金子健伸が独走して右隅にトライすると、常翔もトライを奪い返して5―5の同点に。その後、再び仰星がトライとゴールキックを決め12―5で前半を終えた。

 後半開始早々、先にトライを決めたのは常翔(下の写真)。これで2点差まで迫ったが、その後仰星が2本のトライを決め24―10。だが常翔も負けていない。後半20分、ラインアウトからモールを押し込みゴールも成功し、再び1トライ1ゴール差に。しかし25分、相手にペナルティーキックを与え10点差に広げられた。常翔にとっては前半のペナルティーキックの失敗や後半反則が相次いだことが痛かった。

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<庭の花=立冬11/8> ノコンギク、ホトトギス、ツワブキ…

2023年11月08日 | 花の四季

【ノコンギク(野紺菊)】

【ホトトギス(杜鵑草)】

【ツワブキ(石蕗)】

【トラディスカンティア・シラモンタナ】

【ナンテン(南天)】

【シュウメイギク(秋明菊)】

【シロヨメナ(白嫁菜)】

【ヤツデ(八手)】

【センリョウ(千両)】

【マンリョウ(万両)】

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<平城宮いざない館> 「飛鳥のモティーフ~葬りのカタチ」展

2023年11月07日 | 考古・歴史

【キトラ古墳壁画発見40周年を記念し】

 1983年11月7日のことだった。奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室内に挿入されたカメラのモニターに「Q」の字のような画像が映し出された。「あっ、玄武!」。玄武は四神の一つ、亀と蛇が絡み合う形で描かれる。高松塚古墳に続く国内2例目の極彩色の壁画発見に、関係者から驚きの声が上がった。それから丸40年。国営平城宮跡歴史公園(奈良市)の「平城宮いざない館」でいまキトラ古墳壁画発見40周年記念展「飛鳥のモティーフ~葬りのカタチ」が開かれている。

 キトラ古墳は古墳時代末期から飛鳥時代にかけて造られた終末期古墳の一つ。その発見の11年前、1972年には高松塚古墳の壁画が見つかっている。ただ最大の違いは高松塚で盗掘によって失われたとみられる南壁の「朱雀」像が、キトラ古墳ではほぼ完全な形で残っていたこと。会場の企画展示室入り口正面には明日香村在住の日本画家・烏頭尾靖(うとお・せい)さんが描いた「発見された直後の朱雀再現図像」が飾られている(上の写真)。

 朱雀は壁画4面のうち最後に見つかった。翼を大きく広げ、今まさに飛翔しようとする鳥の姿が生き生きと描かれていた。南壁は閉塞石としての役割も兼ねていることから、この壁のみ屋外で描かれたのではないかといわれる。会場には工作機械メーカー、DMG森精機が立体的に復元したほぼ実物大の朱雀像も展示されている。古墳の石室内部探査時に、カメラを挿入する穴のガイドパイプ設置のため利用された掘削用ドリル(長さ2m)も展示中。

 飛鳥地方では高松塚やキトラより前の古墳から渡来人が活動していたことを示す出土品も多く見つかっている。渡来系氏族の古墳を代表するのが真弓鑵子塚(かんすづか)古墳。石室の天井は百済をはじめとする韓半島に特徴的なドーム状で、ミニチュア炊飯具や須恵器、ベルトを飾る獣面飾金具、馬具などの副葬品(上の写真)が見つかっている。(下の写真はカイワラ2号墳と真弓スズミ1号墳から出土したミニチュア炊飯具)。

 7世紀に入ると巨大な前方後円墳に代わって方墳・円墳・八角墳が造られる。畿内で確認されている八角墳は5基あり、そのうち3つは宮内庁により天皇陵に治定されている。段ノ塚古墳(奈良県桜井市)が舒明天皇陵、御廟野古墳(京都市山科区)が天智天皇陵、野口王墓古墳(明日香村)が天武・持統天皇陵。また牽牛子塚古墳と中尾山古墳(いずれも明日香村)もそれぞれ斉明天皇陵、文武天皇陵とする説が有力。会場には野口王墓古墳の鮮やかな朱色の夾紵棺(きょうちょかん)や蔵骨器(いずれも複製)も展示されている。(下の写真は牽牛子塚古墳の出土品と墳丘斜面の凝灰岩)

 また飛鳥時代に造られ、現在は吉備姫王檜隈墓に安置されている「猿石」4体(山王権現・女・男・僧)と高取城の「猿石」1体(いずれも複製)も会場中央に展示。明日香村の村内には他にも古い石造物が多く残っており、これらは斉明天皇の都づくりの一環として迎賓館や庭園など主要施設に配置されていたとみられる。記念展は12月10日まで。

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<橿原市昆虫館> 企画展「飛鳥のバッタ」

2023年11月02日 | メモ

【飛鳥地域に生息するバッタ21種を紹介】

 橿原市昆虫館がオープンしたのは1989年の10月。来秋には四半世紀、25年を迎える。この間、ちびっ子やかつての昆虫少年たちの人気を集め、今夏には来場者300万人を達成した。その昆虫館でいま開かれているのが企画展「見つけてみよう・飼ってみよう 飛鳥のバッタ」。飛鳥地方(明日香村・高取町・橿原市)に生息するバッタ全21種を詳しく紹介している。

 会場は2階の標本展示室。21種のバッタをそれぞれパネルと標本、カラーの拡大写真で取り上げている。パネルでは特徴や好きな場所、食べ物のほか、発見の難易度と飼育の難易度をそれぞれ星(☆)の数で表す。難易度が最も高いのが☆☆☆、次いで☆☆、そしてよく見かけたり飼育しやすいバッタは☆一つ。

 発見度が最も難しい☆☆☆はクルマバッタとショウリョウバッタモドキだった。いずれももともと飛鳥地方ではあまり多くなく、生息場所が限られているという。クルマバッタはトノサマバッタによく似るが、頭の後ろの背中部分が盛り上がっているのが特徴(チラシ写真参照)。

 飼育難易度ではまず体長が0.5㎜ほどのノミバッタに☆☆☆が付いた。その名の通りノミのように小さく、激しくジャンプするからというのがその理由。ヒシバッタの仲間4種(トビヒシバッタ・ハラヒシバッタ・ハネナガヒシバッタ・ニセハネナガヒシバッタ)も☆☆☆。体長が1㎝前後と小さく、乾燥に極端に弱いため飼育ケースに入れるとすぐ死んでしまうそうだ。

 日本最大のバッタで飛鳥地方でもよく見かけるショウリョウバッタは☆一つ。メスの体長は8~9㎝もある。一方オスは5㎝前後と小柄で、飛ぶときキチキチと音を出すためキチキチバッタとも呼ばれる。ショウリョウバッタモドキはこのキチキチバッタによく似る。

 企画展ではほかにトノサマバッタやクルマバッタモドキ、オンブバッタ、ツチイナゴなども取り上げ、パネルでバッタの飼い方や繁殖方法なども紹介している。堺市の男性が持ってきた真っ黒なトノサマバッタの幼虫が羽化した灰色の成虫も展示中(上の写真)。企画展は来年1月28日まで。

 この昆虫館で最も人気なのが1年を通して10種前後のチョウが舞う放蝶温室。久しぶりに訪ねた日にもオオゴマダラやリュウキュウアサギマダラなどが熱帯植物の間を乱舞していた。

 かつて昆虫館の入り口そばに水槽があり、大きなオオサンショウウオが飼われていた。2012年に御所市の水路で発見された。体長約1.1m。国の特別天然記念物に指定されているため本来は捕獲できないが、どこからやって来たか不明だったことなどから、奈良県の要請で昆虫館が保護していた。

 ところが、いつの間にか水槽は取り払われていた。今回あのサンショウウオの姿が脳裏をかすめ、帰り際に受付で伺った。すると、保護してから数年後に死んでしまったという。今では剥製になっているというので、改めて館内の展示場所に戻ってその姿を確かめた。

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