く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「京都妖界案内」

2012年07月12日 | BOOK

【佐々木高弘著、小松和彦監修、大和書房刊】

 陰陽師・阿倍清明ブームもあって、京都の怪奇スポットなどを巡る魔界ツアーが人気を集めている。平安時代、天変地異や厄病は怨霊の祟りといわれた。その怨霊を鎮めるため御霊として祭った。菅原道真を祭る北野天満宮、早良親王や橘逸勢ら八所御霊を祭る上御霊神社……。京都はその他にも閻魔大王に仕えた小野篁を祭る六道珍皇寺、死者が蘇った一条戻橋、源頼光が退治した蜘蛛塚、鞍馬寺の奥の院魔王殿など、魔界スポットに事欠かない。本書はそんな魔界を探索するにはどうすればいいか、怪異にはどんなものがあるかなどを詳しく紹介している。

   

 著者は1959年、兵庫県出身。京都学園大学人間文化学部歴史民俗学専攻教授、国際日本文化研究センター共同研究員。専攻は文化地理学、歴史地理学で「民話の地理学」「怪異の風景学」などの著書もある。監修の小松氏は1947年、東京都出身。文化人類学、民俗学研究の第一人者で、この4月に国際日本文化研究センターの所長に就任したばかり。その小松氏の序章「冥界への案内」に続いて、「怪異と遭遇するために」「土蜘蛛を追いかけた天皇」「人と鬼との邂逅」「魔界に通じる道は何処に」などの8章で構成する。

 著者によると、妖怪は特定の地域に出現する。その地域とは「都市の縁辺部で、人間の居住区とその外部地域の境界。そこに魔界の出入り口があった」。そんな場所を探索する方法として「現代の地図に古地図の情報を落とし込んでおくこと」を推奨する。平安京も戦国時代になって荒廃するが、豊臣秀吉が京の都を取り囲むように〝御土居〟を築いて町を整備した。「古地図を念頭において京都を歩けば、怪異の生じた場所が町の変化を経験していることに気づく」。

 平安京の人々は鬼たちに〝大祓い〟という祭りを行って対処した。祭りが行われた場所は「南の正門」。天皇の居所・清涼殿の「鬼の間」、政治の中心・大内裏の「朱雀門」、都である平安京の「羅城門」で、それらが魔界の出入り口になっていた。ただ一条戻橋は都の北端にあった。平安時代の内裏から見ると北東、つまり鬼門に当たる。この戻橋が安倍清明と関わりが深いのは、北東方向が悪魔の侵入経路とする発想が陰陽道から来ているからという。平安時代の情報を復原した地図では、一条戻橋から南東へ一ブロック離れた場所に安倍清明宅の名がある。

 外部から来た鬼には魔界の入り口で対処したが、〝内からの怨霊〟にも恐れおののいた。非業の死を遂げた霊魂である。桓武天皇は夫人、母らの相次ぐ死や厄病の流行を、早良親王の祟りとみて長岡京から平安京へ遷都、さらに親王を祟道天皇と追称して上御霊神社に祭った。しかも、ただ祭っただけではなかった。都市の境界部の鬼門封じの場所に配置した。「秀吉が移動させた下御霊神社も、きっちりと防衛の役割を果たす寺町に設定されている」。北野天満宮も都の外縁だった証拠に御土居が今も残る。怨霊を御霊として祭った神社も計画的な都市づくりに基づいて配置されていた! 怨霊や妖怪伝説などを古地図と照合すると、そんなことも分かってくるというわけだ。

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